社長の三行日記

2016.03.30

人間の隠された一面 No.2830

 とんでもない事件に驚いています。ここで終着をみたのですが、何と中学の女子生徒を2年間もの長い間監禁し、しかも自分は何食わぬ顔をして大学まで通っていたというのです。また大学の名も知られている、国立の千葉大というから驚きです。

そして就職まで決まっていたというから、少女を監禁していながら自分は普通の大学生活をしていたのです。このような輩が一番性質の悪い犯罪者です。女子生徒は連れ去れた当時は中学1年生だったというから、一番多感な時期でもあります。

それから2年間もの長い間、外からカギを掛けられ自分では外出もできなかったと言います。その期間、想像を絶するようなやりとりが続いていたかと思うと、何ともやりきれない哀れな気持ちになるものです。

容疑者が住んでいたのは千葉市稲毛区にある3階建てのアパ-トで、通っていた千葉大学のすぐ近くだったと言います。アパートには二つの部屋があり、女子生徒は室内にはテレビはなく、パソコンがあったなどと説明しています。

室内では拘束されていることはなく、女子生徒はインターネットをする機会があり、両親が自分の行方を捜していることを知って、逃げる機会を探っていたと言います。ですから連れ去れたときの両親が離婚したなどや誰も探してはいないという嘘の話はとっくに見抜いていたと思われます。

また容疑者はこの事件以前の2012年の10月から1年間、カナダのバンク-バ-へ語学留学という名目で大学を自主的に休学し、飛行機の操縦資格の取得までしています。ですから生まれ育った実家はきっと裕福ではなかったかと思われます。

このようにとにかく奇怪な猟奇的な事件なのですが、容疑者はともかくとして本当に哀れなのは女子生徒自身です。早速、その家族から報道関係を自粛するよう依頼のコメントが出ていましたが、大変なのは彼女の今後に向けての生き方です。

しばらくは周囲が協力してそっとしておいてやるべきではないでしょうか。特に女の子であるだけに対応には十分な細心の配慮が必要となってきます。彼女がすき好んで選んだ道では絶対にないだけに、もし我が子が同じ立場に置かれたらという思いでそっとしてやることが肝要です。

またそのことが人間として一番優しい思いやりのあることではないでしょうか。彼女のこれからの長い一生に幸多かりしと願うばかりです。明日からしばらくの間、現場での製作作業が多忙なため、応援に回りますのでカキコミは休ませて下さい。

2016.03.28

横綱の重み No.2829

 先週土曜日に北海道新幹線が開通いたしました。計画から実に50年余りの歳月を経ての開業となったようです。朝6時45分の函館発東京行きのの一番列車をテレビ中継していましたが、その車体からして実に精悍なマスクをしていて新しい時代の幕開けのような気がしました。厳しい寒さが和らぐこの時期にピッタリなタイミングですね。

さて昨日の日曜日の夕方、めずらしく相撲のテレビ観戦を決め込みました。というのも大好きなヤクルトは巨人に3連敗するし、女子ゴルフは相変わらず外国勢の勢いが強く、日本人プレ-ヤ-の不甲斐なさを感じていたからです。

それと荒れる大阪場所と言われているのを信じて、2大関が頑張っている姿を見たかったからです。横綱昇進がかかった琴奨菊は早々に優勝戦線からリタイアしてしまいましたが、大関・稀勢の里ともう一人、今場所カド番を迎え心配されていた地元・豪栄道がめずらしく頑張っていたからです。

まずこの両者の対決は稀勢の里にやはり一日の長があるみたいで、豪栄道コ-ルに沸く館内の大声援に応えることができない、豪栄道の完敗とも言えるものでした。これで唯一、稀勢の里が決定戦があればという、まだ優勝するチャンスが残っていたわけで、続く白鵬と日馬富士の横綱同士の一番に期待していました。

ところがふたを開けてビックリ、朝の連続ドラマではないのですがビックリポンの一番になってしまったのです。何と横綱同士の戦いであの白鵬が立ち会いで変化を見せたのです。理事長の八角さんはあれはいなしだと擁護していますが、どうみても変化としか見えません。

全く予想もしておらず驚いた日馬富士はそのまま一直線で土俵を割ってしまったのです。実に1秒1の相撲だったと伝えられています。あっけにとられたのは相手力士に限らず、この一番を期待していて観ていた多くの相撲ファンです。

これで白鵬は優勝を決めたわけですが、館内からは拍手さえ起こらず、たちまちのうちのブ-イングです。もっと酷かったのはこの後優勝式が開かれるのですが、半分以上のお客さんが抗議の意味もあってか、早々に席を立ってしまったのです。

更にすごかったのは優勝力士インタビュ-のときです。アナウンサ-が白鵬にインタビュ-をしようとするのですが、その声を打ち消すかのようなヤジと罵声が飛び交っていたのです。たまらず白鵬は少しも話すことができず、しまいには堪えきれず自分の一番に対し謝罪しながら涙ぐむ始末です。

この醜態は私も眺めていて当然のことのように感じました。横綱同士の一番ですから正々堂々の力相撲を誰しも期待していたのです。そして優勝するのは仕方ないとしても、最多優勝35回もしている横綱だけに、優勝するだけの無敵の強さを見せつけて欲しいと思っていたからではないでしょうか。

横綱は何がなんでも勝てばいいというわけではありません。やはりその地位に見合った品格というものが立ち居振る舞いに備わっていなければいけないものです。インタビュ-では謝ったものの、支度部屋に戻ったら開き直っているような話も聞きました。深く反省を促したいものです。

2016.03.24

小豆島敗れる No.2828

 連休の間に甲子園が開幕しました。開会式を久しぶりにテレビで眺めましたが、溌剌とした若者の姿はやはりよいものです。そして注目していた小豆島高の樋本主将の選手宣誓は本人が100%の出来と言うだけあって、感動的な素晴らしいものでした。

小豆島繋がりで彼とは縁もゆかりもないのですが、トチらなければいいなと観ていたこちらの心配など、全く不要に思えるほどの出来栄えで、なぜか胸を撫で下ろしている自分がそこにおりました。

そして翌日の第1試合はお目当ての小豆島-釜石戦です。生憎、他の用事がありましたので、甲子園にも応援に行けないどころかテレビ観戦もできなかったくらいですが、しっかりとこの試合をビデオに収めておきました。

夕方帰宅後、小豆島が負けた結果は分かっていましたが、その試合の模様を一部始終ビデオで眺めました。驚いたのは3塁側のアルプススタンドの小豆島応援団の物凄さです。

もちろん小豆島からの甲子園出場は春夏初めてのことですが、アルプススタンドに陣取った応援団の数が何と4000人と言われています。スク-ルカラ-の小豆色のジャンパ-をそれぞれがまとい、背中につけた背番号は皆、18番です。

これは部員が17人しかいないということから、18人目の選手として後押ししようということです。誰が考えたのか、うまいことを思いついたものです。当日、島から球場入りした応援団は2000人と言われ、午前2時半にチャ-タしたフェリ-4隻で出発、高松港から46台のバスに分乗してやってきたものです。

来年4月から土庄高校と合併し、新しく小豆島中央高として生まれ変わるわけですが、最後の最後で甲子園出場を果たし、負けたというものの素晴らしい記念になってのではないでしょうか。

野球の方は序盤、結構押し気味に試合を進めていたのですが、ここ一発が出ないため、逆に少ないチャンスを有効的にものにした釜石高に軍配が上がりました。試合が終わって数日後、この小豆島高の野球部が運営管理しているブログを眺めたのですが、今回の甲子園での経験をよく分析していました。

できればこのブログにある通り、かなり大変なことと思われますが、再度甲子園に戻ってこれるよう夏に向けてしっかりと精進してもらいたいものです。とにかく、久しぶりに親近感を持った学校の出場で、ワクワクした選抜高校野球になったものです。できれば我が母校もこんな素晴らしい経験ができるよう心から願っています。

2016.03.18

ちょっと良い話128 No.2827

 被災地に住む方々それぞれの復興に向けた前向きな努力には本当に頭の下がる思いですが、「ホワイトデ-の笑顔」というちょっと良い話を見つけました。復興は何よりも自分たちの手で進めたいという意気込みが強く感じられます。

5年前の3月14日、原発事故の影響で静まりかえった福島県いわき市の駅前で1軒の洋菓子店に明かりがついていた――。そうつづった投稿が今月11日の本紙生活面「ひととき」に掲載された。その店は今も同じ駅前でケーキを並べている。

「このお菓子、売ってくれるんですか」「もちろんです、今日はホワイトデーですから」その日、投稿者の井坂美誉(みよ)さん(51)に笑顔で答えたのは、JRいわき駅前にある「アンジェリーク」の伊藤志保さん(41)だ。

店は水道管が破裂し、皿や酒瓶が割れて散乱。3月12日には東京電力福島第一原発の1号機が爆発。南方40キロの所にあるいわき市も一時は人通りが途絶えた。「お店どうしようか」。夫の亨(とおる)さんと相談した。ホワイトデーの予約が十数件入っていたが、電話はつながらず、家を探して訪ねても無人だった。

「もし来てくれた時に、店を閉めていたら迷惑がかかる」と考えた。3月は卒業や門出の季節。お祝いする気になれなくても、少しでもお客さんの気持ちが明るくなればと思った。夫婦2人で店を開けた。市内は断水し、仕入れもできなかったが、電気とガスは使えた。

給水所に通いながら店にある材料で作れるケーキを焼いた。やって来る客は1時間に1、2組ほど。「パンはありませんか」と尋ねる人も多かった。ケーキなんて売っていていいのかな――。無力感が募った。井坂さんが店を訪ねたのはそんな時だった。

14日、2度目の原発の爆発があった。翌日から1週間は店を閉めた。店舗は被災の影響で使えなくなり、県外への移転も考えたが、震災を機に店じまいした隣の花屋の建物を借り、その年の夏に移転した。いわき市は原発の廃炉作業の人も集まり、少しずつ活気が戻った。

伊藤さんは毎年、3月11日の追悼のサイレンを聞きながらホワイトデーの焼き菓子を作る。今年は約30件の予約が入った。「みんなで無事にホワイトデーを迎えたい、と祈りながら焼きました」と話す。井坂さんは12日に店を訪れ、「怖かったあの時、とてもお菓子が食べたくなった。ケーキに励まされました」と涙ぐんだ。

被災者のご苦労に比べたら、とても言う資格はないと思いますが、やはりあきらめてはいけないということではないでしょうか。「朝の来ない夜はない」とも言われています。いつ何時、自分たちの身に降りかかるかもしれない災害に、しっかりと心の準備をしておかなくてはいけないということだと思います。

連休明けの22日は川崎に工事で出張、また23日はお客様から引き合いがあり伊勢原に現場調査で出張します。このためカキコミは休ませて頂きます。

2016.03.17

多湖先生亡くなる No.2826

 ベストセラ-にもなった著書「頭の体操」で知られた多湖輝先生が亡くなられました。昨日の新聞で初めて知ったのですが、今月6日に間質性肺炎のためお亡くなりになり、既に葬儀は近親者で済まされたと聞きました。

多湖先生には私どもも大変お世話になっていて、弊社の第1号乗用モノレ-ルを先生の中軽井沢の別荘に敷設させて頂きました。1号機はウィンチモ-タ-でケ-ブルを巻き取ったり、緩めたりして上昇・下降を繰り返すタイプですが、別荘の入口にある駐車場から中腹の建物玄関までの脚として使用して頂いているものです。

これは奥様の脚がすぐれないことから、折角、軽井沢の別荘に車で到着しても、中腹にある別荘の玄関まで辿り着くのは難儀のことゆえ設置して頂いたものです。また数年後、この別荘の上部の土地を先生が別に購入されたことから、一番上の見晴らしの良い所に展望台を兼ねたゲストハウスを築かれました。

これに伴い中腹の玄関の位置から、今度はゲストハウスのある最上部まで乗用モノレ-ルの2号機を設置して頂いたのです。この2号機は走行するキャビンに自走式モ-タ-を積んだタイプです。ですから人が乗っていない時、キャビンを呼び寄せる方法として、無線による制御なども初めて導入させてもらったのです。

このような設備の導入のお陰で、特に初期の頃など軽井沢まで往復することが頻繁にありました。時には先生が別荘にご在宅のときもあり、そんなときは必ずお顔を出していただき、温かい声を掛けてくれました。

そして工事が夕方近くまで掛かると、必ずと言ってよいほど一緒に夕食に行こうと誘っていただきました。そして何回かご馳走になったこともあったり、その別荘にも泊まらせて頂いたこともありましたが、いつも気さくで千葉大の名誉教授といった、私たちが近寄り難いところなど一切なかったものです。

あるときは「多湖輝」という表札と並んで「レイトン」の名前を見つけ、不思議に思ったこともありましたが、家に帰ってから子どもたちに聞くと、それが「レイトン教授と何々」とかいう、多湖先生が監修した人気ゲ-ムソフトということであることを知らされました。

またモノレ-ルの試運転等の時も立ち会い、専門外なのにかなり技術的に鋭い質問をされたり、ときたまびっくりするようなアイディアを出されたときには、さすが頭の体操の先生だと、柔軟な頭脳を存分に感じさせられたものです。

葬儀は密葬という形で済まされたと言いますが、このように少なからず晩年の先生と関わらせて頂いただけに、何らかの弔意を示したいと思います。関係者にお聞きすると、今のところお別れ会などの予定はないと言われていますが、あれだけの功績のある方だけに、何とかどなたかが音頭をとって開催して欲しいものです。

先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

2016.03.16

円陣での声出し No.2825

 昨日は納品等の業務でカキコミができず失礼しました。春が近づいてきたと思ったら朝晩は風も冷たく、まだまだ春の訪れを許してくれません。それでも国道1号線バイパス沿いの原付近には、お花見の提灯がぶら下がり、その訪れを今かいまかと待ち構えています。

さて巨人軍の野球賭博の話が再燃したと思ったら、ここにきて何か円陣での「声出し」という、選手間で金銭授受に絡む新たなやりとりがあることが明らかになってきました。それも巨人だけでなく、阪神や西武までやっていたというのです。

そのやりとりは以下のようなものです。1軍登録された28人(投手12人前後、野手16人前後)が毎試合、投手と野手の「円陣」でそれぞれ1人ずつ「声出し役」を決め、勝てば1人5千円をその選手に支払う。

勝てば約6万~8万円を手にすることもあり、翌試合も継続する。負ければ逆に、声出し役が1人につき1千円、計1万2千~1万6千円を払う仕組みだったと言います。阪神や西武も同様で、多少金額の違いがあるにせよ、5年前から行われていたと言われています。

球団はこれについて「験担ぎ」や「モチベーションの維持」の意味合いを強調し、チ-ムの一体感、士気を高めるためのものとし、賭博とは全く異なる行為で公表するまでもないとしていましたが、果たしてそんなものでしょうか。

また金額が少ないという問題では済まされないように思えます。チ-ム全体で日常的に現金のやりとりをしていたことに問題があるのではないでしょうか。確かに年俸を何千万や数億をもらっている選手にとっては、数千円の金額のやり取りは大したことではないかもしれません。

でもこうした行為が日常的になってしまっては、それこそこうした金銭授受がマヒしてきて、賭け事に繋がりやすくなるのではないでしょうか。現在はやめているとのことですが、あまりにもファンを無視した軽率な行為のように思えます。

それが後から指摘されている、試合前のノックや練習中のミスにまで現金が絡むような問題にまで発展しているのです。もっと野球そのものに集中し情熱を傾けてもらいたいものです。

このような問題が続けばプロ野球を愛するファンを裏切っているとも言えるものです。一部ファンが言っているように、当該チ-ムにはかつてJリ-グであった無観客試合のようなペナルティ-を課しても良いような気がします。

とにかく、日本プロ野球崩壊にも繋がりかねない一連の問題に、いち早く終止符を打てるよう各球団に調査を重ね、はびこる膿を徹底的に出してもらいたいと願っています。そして何よりもファンあってのプロ野球だと自覚してもらいたいものです。

2016.03.14

学校の責任 No.2824

 この時期は寒暖の差が激しく、今日も朝から冷たい雨が降りしきる一日となっていますが、この気候に柔軟に対応するのにはなかなかしんどいものがありそうです。くれぐれもご自愛頂きたいものです。さて、中学3年生の生徒が進路問題に悩み自殺したことで、学校の責任が大きく問われています。

これは広島の府中緑ヶ丘中学で、男子生徒が高校入学につけ、学校の推薦を受けれなかったことが原因で自殺してしまった問題です。推薦を得られなかったのは、1年生のときに引き起こした万引きという問題行動が原因とされたのですが、実はこれが人違いであったということが判明したからです。

当時開かれた13年の委員会では、自殺した生徒が万引きをしたとの誤った資料が配られたのですが、その場で誤りに気づき修正されました。ところが委員会に管理職が不在だったため、お粗末なのは元データを修正する指示がなく、そのまま放置されたのです。

そして誤ったままのデータが2年後の進路指導で使われ、生徒の自殺につながったというのです。更にこうした校長が誤った資料で進路指導が行われていたと知ったのは、生徒の自殺当日だったと言われているのです。

またこのような問題行動を起こした生徒の状況を報告する校内の重要会議に、元校長ら管理職がほとんど出席していなかったという事実も判明しているのです。あまりにもその体質が怠慢や無責任と言えるのではないでしょうか。

そもそも生徒にとっては進路を決めるというのは大きな問題であって、下手をすればその子の一生を左右するとも言えるかもしれません。そしてたとえ過去においてちょっとした問題行動を起こしたかもしれませんが、それを戒め是正していくのが教師の役目ではないでしょうか。

思い起こしてみると、私も中学1年生の時は結構、悪たれでした。万引きなどはやりませんが、教師に向かっていったこともあります。またクラス全員に呼び掛けて、この授業のときは口をきかないようになどとしたこともありました。

そうしたことで、えらく怒られたことや反省させられたことを懐かしく思い出します。でも今でも感謝しているのはそれをいつまでも引きずっていない先生方の温情というか、温かい配慮に対してです。

中学3年生になって入試が迫ってきたとき、担任の先生は私を呼んでこう言いました。「おまえの1年の時の素行をそのまま内申書に乗せたら、おまえがいくら頑張っても志望校には入れないよ。解っているな。

それ以外は一言も語らず、ずいぶんと温かな言葉に感じたものです。中学1年ぐらいのときはまだまだ子どもから少し抜け出ようとしている段階で、物事の分別がつけにくい時期でもあるわけです。それをしっかりと諭しながら育ませていくのが学校や教師の役目ではないでしょうか。

今回のことは決して本人が問題行動を起こしているわけではないのですが、たとえ間違って万引きなどを犯してしまっても、それで烙印を押すのではなく、良き方向に導いてやるのが本来の役目のように思えます。学校や教師の在り方が問われている問題です。

2016.03.11

あの日から5年 No.2823

 あの日から5年が経ちました。今でも避難生活を送る人は17万人以上に上り、とても復興が進んでいるとは思えません。また2561人もの方の行方が未だにわかっていないとのことで、関係者の思いを推しはかると、心の復興はまだまだ遠く先のように思われます。

折しも今日11日は選抜高校野球の組み合わせ抽選日に当たります。その前日である10日は出場全32校の主将が交流する「キャプテントーク」を同ホールで開催しました。ここで21世紀枠代表の被災地・釜石高の菊池主将が約5分間にわたり、自身の被災体験を振り返り、語ったそうです。

他の学校の主将はこの話を真剣な面持ちで、じっと耳を傾けていたとのことですが、まさに被災者の気持ちを代表しているようで、私もこれを読んで胸が熱くなりましたので、ちょっと紹介させて下さい。

は5年前の3月11日、あの東日本大震災の被害を受けました。当時、私は1週間後に卒業式をひかえ、学校も午前中に終わり、校庭で友達と遊んでいました。そして地震が発生しました。震度7の揺れが5分以上も続き、私たちは不安にかられ、30分後には津波が町をのみ込みました。

自分たちが住んでいた町が海になり、一面が黒い海水と大量のがれきで埋まりました。あんな思いだけは二度としたくないと今でも強く思います。そして、地震はさらなる不安を招きました。家族の安否です。私は1人でその日の夜を過ごしました。

みなさんは自分の家族が亡くなったかもしれない夜を1人で過ごす大変さは分からないと思いますが、私はそのとき、ものすごい絶望感と不安に襲われました。その日の夜がとても悲しくてたまりませんでした。あんなにも家族に会いたいと思ったことはありません。翌朝、家族と無事に再会できたときはとてもうれしかったです。

しかし、町を見たとき、周りの家がなくなり、道路の一部が決壊し、前日までの釜石とは思えませんでした。津波は多くの家や風景、そして命を奪ったのです。信じられませんでした。避難所ではライフラインが途絶えた状況が1カ月ほど続き、本当に苦しい毎日でした。

毎食おにぎり1個と味噌汁、水もみんなで回して飲み、お風呂も震災発生から1週間以上入れず、外に出ても油の臭いや津波の影響で家の屋外が腐敗した臭いが漂い、凄いストレスがたまりました。その影響もあり、体重が10キロも減りました。

そんななか、中学校に入学し、部活動の選択をしなければいけない時がきました。私は一度は諦めました。道具集めや遠征費で親に迷惑をかけてしまうと思ったからです。それでも野球を続けられたのは両親の支えや昔の先輩の支え、そして何より全国各地からのたくさんの支援があったからだと思います。

あの支援がなければ今私がここにいることはないですし、いろんな人たちと野球を通して関わることはありませんでした。心から感謝しています。震災から明日(11日)で5年。私の住む釜石はかさ上げ工事がまだ終わらず、道路の整備もまだ完璧には行われていません。

釜石を通る三陸鉄道や道路の冠水もついこの間、終わったところです。まだまだ野球部の中にも仮設住宅に住んでいる人もいます。本当に復興はまだ始まったばかりです。

私たちは今回のセンバツで、少しでも被災地の方々へ元気を与えられるよう、そして、多くの支援をしてくださった全国の方々へ感謝を届けられるように、選抜大会では全力でひたむきなプレーをしたいと思います。きょうはありがとうございました。

皮肉にもその釜石高が同じ21世紀枠出場の小豆島高校と1回戦で対戦することになりました。どちらも勝たしてやりたいのが正直な気持ちです。日々の生活に追われている私たちはこのような節目の日を迎えないと、なかなか被災した方々のことを思ってやれないところがあります。

でもこの未曾有の大震災は絶対風化させてはいけません。私たち日本人の一人一人が被災者の立場になって考え続けることが、いくらかでも被災者の気持ちを癒やし、心の復興を早めることに繋がるのではないでしょうか。そんな思いで今朝は朝礼で社員全員で黙とうを捧げました。

2016.03.10

CoCo壱番屋社長講演 No.2822

 昨日沼津のプラサ・ヴェルデでCoCo壱番屋・宗次社長の講演がありました。法人会の経営研究部会主催のものですが、生憎の雨の中でも、150人ぐらいの人たちが聴講に訪れました。

社長は1948年10月生まれと言いますから、私より学年が1つ上の67歳です。でも見た目にはルックスも良く、サッパリと身ぎれいにされていますから、実際の歳よりずっと若く見えました。またユ-モアが溢れていて、講演の最後に少し幼少の頃の極貧の苦労話をされましたが、そんなふうには全く感じさせないほどの垢抜けた感じさえ持ったものです。

しかしながら結構、その話は脱線しますが、講演の要所要所で話されていた言葉にはやはり創業者でここまで登り詰めただけの重く、それなりに感じさせる深いものがありました。演題も「夢を持つな!目標を持て!」というものです。

今から37年前、29歳で創業したと言います。今日まで専門的なコンサルタントには一切つくことなく、自ら素人商法だと謙遜します。資料にも儲けたい、成功したいという気持ちはなく、ただ人に喜んでもらいたかったと記されています。笑顔で溢れた店にしようという思いがその出発点です

話の中から掻い摘んでいくつかその言葉を紹介します。経営者はよそ見をせず、経営に身をささげるべき。特に感謝の気持ちを常に持ち続けることです。経営なんて自分一人では何もできません。お客様、取引先、そして社員の方たちに常に感謝の気持ちを持ち続ける。

私の場合は、苦労した生い立ちがあるので、自然と人に対する感謝の気持ちを持ち続けることができました。大事なのは、継続することなんです。意外に継続することは難しいんですよ。器用な人ほど、最初はうまくやるけど、継続はしない。

仕事も最初はそれなりに頑張って少し良い結果が生まれます。そしてある程度の段階まで達するとそれで満足してやめてしまう。そうではなく今度は次の目標をその時点で立て、継続して頑張り続けることが大事なのです。

私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくりませんでした。飲み屋に行ったこともありません。仕事の邪魔になることは、何ひとつやりませんでした。年間5640時間(1日15時間半を365日)働くこともありました。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。

全ては日々の積み重ねで、毎日必死に頑張っていれば、10年、20年経ったときに夢のような奇跡が起こるのです。宗次社長は今でも毎朝3:55に起床し、自身が建てた宗次ホール周辺を掃除し、花を植え、公演前には入場口で客を出迎え、一緒にクラシック音楽を堪能するのが日課とのことです。

また53歳の若さで経営の第1線から身を引き、創業間もないころ19歳でアルバイトで入った浜島さんに代表を引き継ぎました。そしてそれ以後一切経営の口出しはしないと言います。後継者を私より優秀な経営者だと認め、信頼しているからです。

こうした独特な生きざまを自ら変人経営などと名付けているものの、とても凡人では真似のできないことばかりです。幼き頃から地獄に近いようなものを見た人にとっては、大変さの物差しが違うようにも思えました。現状に満足することなく、次の目標に向かって一歩一歩進まなければ、とてもやり遂げることはできないと教えられました。

2016.03.09

開幕前にサプライズ No.2821

 開幕前に何というサプライズでしょうか。球界の盟主たる巨人軍に、更にもう一人野球賭博の関係者が発覚してしまいました。昨年、3投手がこれに関わっていたとして、日本野球機構(NPB)から無期失格処分を受けた上に、所属していた巨人からも解雇されました。

これで膿を出し切ったとしていた巨人軍でしたが、ここにきて中継ぎなどで活躍している高木投手という、新たな野球賭博に関与していた人間が出てきてしまったのです。開幕までもう1ケ月もないというこの時期に、球団のみならず、これでプロ野球界そのものが一気に暗い話題に包まれてしまいました。

その巨人軍にしても、新しく生まれ変わろうと今年から高橋新監督に一新し、スタ-トを切ろうとしていた矢先の出来事で、かなりのショックを受けているものと思われます。まさに青天の霹靂とも言えるサプライズではないでしょうか。

2月のキャンプ中には、球団所属の全選手がNPBによる野球賭博の講習会を受けていました。そのときにも当該の投手は皆と同じように話を聞いていたというのですが、果たしてどんな心境だったのでしょうか。

そしてここにきて週刊文春が嗅ぎつけたことから事態が揺れ動くことになったのです。発覚は一部には「なんで自分たちだけが罰を受けなければならないのか」といった声によるものと伝えられていますが、やはり取り繕ってもどうしても不公平感が働くもので、一蓮托生の結果にならざるを得ません。

それにしてもこんなことで好きな野球から離れなければいけなくなってしまっては、本人にとっては断腸の思いで、ずいぶんと後悔するのではないでしょうか。また解雇されることになれば明日からの生活もままならないというものです。

そう言ったらなんですが、野球しか取り柄のない人から野球をとってしまえば、潰しがきかなくなってしまいます。それゆえに本当につまらないことをしたものです。でも覆水盆に返らず、あとの後悔先に立たずというものです。

これで今シ-ズンの巨人は鼻からその勢いに水を差されてしまいました。一部の週刊誌がまだまだこれで終わらないと、さらに関与した人間があるかのように書いてありますが、球界のためにもそんなことのないよう祈りたいものです。

2016.03.08

なでしこ五輪出場ならず No.2820

 上の写真は先週、土曜日に訪れた富士の岩本山公園の梅林です。紅白の梅がものの見事に咲き誇っていました。この日は本当に暖かな日で、いよいよ春の足音が聞こえてきました。このまま春になってくれればいいのですが、やはりそうはいかないでしょうね。

さて、ほんのわずかな可能性しか残っていませんでしたが、昨日中国が韓国に勝ったことから、なでしこジャパンのリオ五輪出場が途絶えてしまいました。私たちにとってはとても残念な結果ですが、五輪でのメダル獲得どころか、その出場さえ逃してしまったのです。

勝てば官軍で何を言っても許されるものですが、こうして期待にそえず敗れ去ってしまうとマスコミはいろいろなことを書きたてるものです。伝えられている1つに、中心選手と若手との間に大きな溝が生まれていたということです。

澤選手から主将を引き継いでいる宮間選手は、本当だかどうかは計り知れませんが、時には佐々木監督の要求すら突き返すほど気が強く、自分にも他人にもスキを与えない厳しいところがあると言います。

それゆえ若手の中には萎縮する選手も出てきて、ほとんど声も掛けられないということです。また10番を引き継いだ攻撃の中心、大儀見選手は中国戦に敗れた後、「ピッチに立つ以前の問題」と泣き、怒りの矛先を仲間に向けていたと伝えられています。

このように聞くと、今さらながら昨年12月に引退した澤選手の存在の大きさに気づかされます。澤選手は厳しい宮間選手と若手選手の間を埋められる無二の存在で、潤滑油的役割を果たしていたと言われています。

また昨夏のカナダ大会では、ピッチ上の技量では宇津木選手の方が上で、澤選手は控え選手の一人だったものの、プレ-以上に精神的支柱としての、ベンチでのこうした役割は小さなものではなかったのではないでしょうか。

今回この宇津木選手をケガで欠いていたのも、守りの要であるだけに痛かったものと思われます。こうしてみると中心選手の役割や、世代交代の難しさを否が応でも感じさせられるものです。

苦しいときは私の背中を見て」と言って、いつもチ-ムを引っ張り続けた澤選手の代わりはそんなに簡単にできないということでしょうか。佐々木監督が昨年末、澤選手の引退を告げられた時、「誤算。リオに連れていくつもりだった」と漏らしたのは、結構、本音の部分だったかもしれません。

とにかくこのような結果になってしまった以上、次期フランスでのW杯や東京五輪に向けて、いち早く立て直さなければなりません。言い換えれば五輪に出場できない分、早くその準備ができるとも言えるものです。

捲土重来、佐々木監督が抜けた次の監督のもと、生まれ変わったなでしこを是非見せてもらいたいものです。それにしてもいずれの世界においても、リ-ダ-の大切さをつくづく感じさせられるものです。

2016.03.07

キャディ-の役目 No.2819

 先週から今シ-ズンの女子プロゴルフが始まりました。沖縄で開かれたダイキンオ-キッドレディ-スがその開幕戦でしたが、今年も外国勢にやられてしまうのかと思わせられる、テレサル-選手の昨年に続く優勝でした。

また昨年賞金王のイボミ選手は最終日に追い上げ、6位まで順位を上げています。最終日までリ-ドしていてもなかなか勝てない日本選手に、少しいらだたしさまで感じてしまうほどです。やはり優勝するためには、最終日にいかに良いゴルフをするかにかかっているみたいです。

さてこのイ・ボミ選手についているキャディ-の清水さんについて、書かれていた記事を読ませてもらいました。ご存知の通り、清水重憲さんは彼女のキャディ-として昨年、男女最高額となる2億3千万円を超える賞金を獲得した陰の力として知られています。

そのイ・ボミ選手からも「清水さんじゃなかったらこんな成績は出せなかった。日本一のキャディ-」との絶賛の声も挙がっているくらいです。清水さんは元々近大付高で野球部の外野手だったそうです。そして父の勧めもあり、大学ではゴルフ部に入りました。

近大ゴルフ部は強豪として知られていることから初心者は彼だけだったのですが、野球で鍛えた体力で練習に励んだ結果、4年ではメンバ-に選ばれるまでに上達したとのことです。そして1級上の先輩の要請もあり、卒業と同時にプロキャディ-の道に進みました。

キャディ-の報酬は1大会10万~15万円、予選通過すれば選手の順位に応じ、賞金の3~10%を得るのが相場だと言われています。そして2年目に田中秀道プロの専属となり、優勝を味わいながらそのイロハを学んだとのことです。

またその後、賞金王となった谷口徹プロや上田桃子選手のバッグを担ぎながら腕を磨いていったそうです。こうした経験がイ・ボミ選手にも生かされていて、組み始めた頃アプロ-チに問題のあった彼女に、男子選手は目いっぱい短くグリップしていたよなどという助言で、見る見るうちに改善していったと言います。

そのくらい彼女は吸収力に優れていて、いいものは直ぐに採り入れ合わないものは捨てるという選手で、選手の成長を実感できる醍醐味が魅力だと話します。また選手にストレスを感じさせないのが信条で、試合の3日前に会場を下見することもしばしばあるそうです。

そしてゴルフはトラブルの連続。せめてスタ-トまでは何事も起こさせないと言って、準備万端を欠かしません。従って今ではイ・ボミ選手自身がコ-スマネジメントは私の感覚より信頼していると言うほどです。

こうした清水さんはキャディ-の力で出る差は大会4日間で1~2打差ぐらいと謙遜していますが、決してそれだけのものではないでしょう。ピンチに陥ったりしたとき、自分を取り戻さなければいけないようなケ-スを考えたら、この役割は大きいものではないでしょうか。

その役割は単なるアシスタントではなく、戦国の世の懐刀(ふところがたな)と呼ばれた参謀というか、重鎮に似たものがあるように思えます。この清水さんのいる限り、日本人としてはちょっと残念ですが、今年もやはりイ・ボミ選手は強いでしょうね。

2016.03.04

お雛祭り No.2818

 昨日は3月3日の雛祭りでした。お客様と一日出掛けていたため、カキコミができませんでしたが、家に戻ったらご覧のようなお雛様が輝いていましたので記念に写真を撮っておきました。

左側のお雛様が私の長女のために30年ぐらい前に、家内の実家から贈られたものです。

父は大したことないと言われていますが、今お店などで見ると、結構高額で売り出されていますから、えらく散財をお掛けしたと今更ながら思っています。

そして右側の写真で、市松人形が長女の第1子(初孫)のときに、また2対の木目込み人形が今年、第2子の双子(真歩と志帆)のために、私たちから贈ったものです。

贈ったとはいえ、今ではこうしたお雛様を普通の若い夫婦の家では飾る場所がないようです。従って夫婦二人だけの我が家のような、そんなに大きな家でなくても空いている部屋がなくてはこうして飾れないのです。

これを飾ったばっかりに、寝るのにも困ったら元もこうもないからです。でも予めそんなことも考えていたから、長女のときには7段飾りのようなものではなく(もっとも予算的にも無理でしたが)、場所もくわない市松人形にしたのですが、それすら飾れない始末です。

こうして今回、二人目、三人目の双子ゆえにどんなものにしようか、結構、考えさせられました。いずれは二人が大きくなったとき、分けられるものでなくてはいけないと思ったからです。

そんなとき、人形店の方が素敵な提案をしてくれたのです。木目込み人形というものを対で揃えたらどうかと言ってくれたのです。私はこの木目込み人形というものをあまり知らなかったのですが、大きさ的にもちょうど手頃で、しかも可愛らしいのです。

木目込み人形を調べたら以下のように書かれていました。桐塑または木で作られた人形に、衣服の皺や模様の形に本体に筋彫りを入れ、筋彫りに目打ちなどで布の端を押し込んで衣装を着ているように仕立てた人形ということです。

こうしてこの人形も我が家に飾るはめになったのですが、お陰でこのところ華のない我が家にも、きらびやかな雰囲気が戻ってきました。やはり女の子ならではのもので、可愛い彼女たちの存在に感謝するものです。

2016.03.02

寄席二人会 No.2817

 先週末の27~28日は中小企業家同友会の県経営指針を創る会の卒業式でした。初日こそ一日中、会場である沼津のウェルサンピアに夜まで詰めましたが、翌日の日曜日は親戚の49日法要があるため休ませていただきました。

それにしてもいつものとおり、白熱した議論のやりとりには凄いものがあり、皆さんの経営に対しての真摯な取り組みに少なからぬ刺激を頂けるものです。さてその日曜日、法要が済んだ夕方、予めチケットを購入していた沼津寄席二人会という落語を聴きに家内と出掛けました。

人間国宝・桂米朝さんの息子である桂米團治さんと、笑点でお馴染みの林家たい平さんの二人会です。まず最初は二人による掛け合いのト-クショ-から始まり、次は前座の吉の丞さんによる『犬の目』という落語です。

古典落語の1つらしいのですが、両目を患った男が医者の元に駆けつけ、目玉をくり抜いて洗浄し、乾かしていたら犬に食われてしまったという噺(はなし)です。

そして仕方ないからその犬の目を代わりに元の目に戻すというものですが、今までよりずっとよく見えるようになったけど、1つだけ困ったことができたと言います。それは電柱を見ると小便がしたくなるという落ちがついていました。

往復6時間以上かけてこの沼津に来たが、演ずる時間がたった12分とぼやいていた吉の丞さんでしたが、短い時間でも結構楽しませてもらいました。そして昼の部では1時間20分ぐらいの大熱演をトリで務めたという桂米團治さんが、今度は先の出番での登場です。

本当だかどうだか分かりませんが、ご本人の真打ち口上で自分の名前を米團治ではなく、あの関西大御所4人衆の一人、春団治さんと間違ったところから展開する、面白おかしい失敗談から始まり、『稽古屋』というお囃子や踊りも交えた落語で楽しませてくれました。

これは音曲噺(おんぎょくばなし)という貴重な噺みたいですが、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら進めていく形式のものです。そのやり方は今では絶滅したというくらいの貴重なものらしく、米團治さんにその素養があるからだと思えました。

そして最後はたい平さんの登場です。ちょうど笑点をやっている時間帯だったことから、ここに来ている人たちはみんな笑点を観ていない人たちなんだと笑わせてから始まりました。演目は『抜け雀』といって、無一文の絵師であるお客が、夫婦だけでやっている旅籠に泊まるところから始まります。

宿賃の代わりについたてに雀の絵を書くわけですが、あくる朝、1羽5両だと言って、戻ってくるまでの抵当だとして絵師は出て行きます。出て行った部屋を覗くと不思議なことに、その5羽の雀がついたてから抜け出て部屋の中を飛び回り、終いには元の絵の中に帰ります。

このことが評判となり旅籠が繁盛していくわけですが、しまいには絵師の親が現われこのままでは雀が死んでしまうと言って、止まり木と籠を書き足します。そしてまた数日後、この絵師が戻ってきてその絵を眺めると、俺は親不孝をしたと言って屏風の前でひれ伏すのです。

衝立を見ろ、俺は我が親をかごかきにしたという落ちでしめていました。さすがですね。米團治さんといい、たい平さんといい、その話芸には堪能させられるものがありました。やはり日本が守らなければいけない古典芸能です。少しやみつきになりそうです。

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