社長の三行日記

2013.06.28

ちょっと良い話その108 No.2420

 こんなに踏みにじられても負けない、不屈な闘魂を持つ酒造りのちょっと良い話です。

2011年3月11日。「磐城壽(いわきことぶき)」を造る、日本で最も海に近い蔵といわれる福島県浪江町の鈴木酒造店は、その年の酒仕込みを終了する「甑(こしき)倒し」の日だった。

突然の大揺れに、蔵元の鈴木大介さんは、家族を高台に避難させ、自身は消防団員として町民の誘導に全力を傾ける。3日後、避難先で見たネット映像で、蔵は跡形もなく消え、タンクは1キロ先まで漂流したと知り、廃業を決意した。

隣の山形県の東洋酒造が空いている長井市の蔵を使わないかと声をかけてきた。他県で造るには新しい酒造免許が必要になる。家族の願いは、故郷浪江での再開。地元の免許は残したまま、新しい免許を取るために住民票を山形に移し、福島の義援金は受け取れなかった。

気候や水が変わるなど数々の困難を乗り越え、祈る気持ちで仕込んだ新酒は、年明けに、浪江町役場が移転していた福島県二本松市であった浪江町消防団の出初め式で披露され、「これが浪江の味だ」と感激させ、「早く帰って来い」と激励された。

蔵が蔵を助け、酒が故郷の結束を確認する。東京・代々木上原の居酒屋「笹吟」で飲んだ「磐城壽」は澄みきった味わいに、しなやかな希望と望郷の念を感じさせた。

飲むには理由(わけ)があると題した、居酒屋探訪家の書かれたコラムです。甑とは米などを蒸す道具を指し、これが不要となるからそのように呼ばれているのではないかと思います。造る人から言えば、丹精に酒を仕込み終え、やれやれとする日ではなかったでしょうか。

それが一瞬にして何もなくなってしまったのですから、その大きな落胆は想像以上のものだったと思われます。そして一度は廃業を決意したのですが、培われた酒造りの熱い血が黙っていなかったのでしょう。

思うに、こうした苦労を経て何とか酒造りは再開できたのですが、何よりも、早く故郷に帰って再びおいしい酒を造りたいのではないでしょうか。しかしながら、現実はなかなかままならない苦悩を持ち続けているわけです。

これと同じような苦労をされている方々は数え切れないのではないでしょうか。ものづくりの執念を感じた、ちょっと良い話でした。歳をとるにつれ、どんどんと日本酒好きになってきた私も、このような秘話が隠されていることも思いながら、深く味わなければと感じたしだいです。

2013.06.27

歴史人物に学ぶ2・山田方谷 No.2419

 山田方谷って知らない方が多いのではないかと思いますが、幕末期、破綻寸前だった備中松山藩(現在の岡山県高梁市)の財政を立て直したことで知られている人です。

当時の負債額は10万両、現在に換算すると100億円以上にもなる大金です。それをたった8年で黒字に転換し、しかも余剰金を10万両蓄財させたと言われています。驚くべきその手腕ですが、その改革手法はそのまま現代の企業再生の手法にも通ずるとのことです。

幕末の日本には260余りの藩があり、それぞれの大名による経営で、完全な自己完結型経営でした。でも当時は石高制の崩壊や商人の台頭による貨幣経済が主流で、ほとんどの藩が困窮していたそうです。開国後、力のある大名は商社化し、武士は商人化することで破綻寸前の財政を立て直したのです。

この松山藩も同様で、藩主でもない山田方谷という、農民出身にもかかわらず、後に学問で身を立て藩士となった人物により藩政改革が行われたのです。当時では異例の出世で、養子だった藩主・板倉勝静が幕府の寺社奉行や老中に抜擢された関係から、留守がちな自藩の建て直しを信頼のおける方谷に委ねたのです。

作家の童門冬二さんはその著書「山田方谷」で、現代で言えば養子社長と農民出身総務部長というコンビで改革を行ったと表現しています。それでは改革前はどのような実態だったかというと、当時の藩の経済力を表わしていた石高(とれる米の量)は、公称5万石と言われていましたが、実際の年貢高は2万石にも満たなかったと言います。

従って石高の半分にも満たない収入で、2倍以上の5万石に見合った税を幕府に収めていたわけですから、10万両もの借金ができるわけです。まさに粉飾決済とも言えるものなのです。ではどうやって藩予算の5倍以上の借金を返したのかは、下記の改革概要に示すとおりです。

① 借金元の大阪商人に藩財政を公開し、返済期限を延期してもらった

② 家中に質素倹約を命じ、上級武士には賄賂や接待を受けることを禁止した

③ 過剰発行で信用を失った藩札を領民の前で焼却、新藩札を発行し兌換を義務化

④ 藩内で採れる砂金から農作業効率のよい「備中鍬」を作り、大ヒット商品となる

⑤ 農産物の特産品化と専売化(タバコ、茶、ゆべし、そうめん、和紙を「備中」というブランドで売り出す)による藩の会社組織化

⑥ 中間マ-ジンを排除するため特産品は船で江戸に直接運び、江戸の藩邸で直販

⑦ 藩士以外の領民の教育にも重点を置き、優秀者は出身に関わらず藩士に登用するという人材育成

このような現代にも通用する手法を実践し、見事、藩の財政再建を行った山田方谷ですが、成功の秘訣は何よりも率先垂範だったと言います。方谷に対するねたみや悪口も多かったものですが、藩の財政ばかりを考え自らの家庭を省みず、山田家は窮乏し、山の中の荒地を開墾して食い扶持を稼いでいたという、身銭を切って藩のために尽くしたという姿に感動する者も多かったからです。

大切なのは率先垂範で、それを下の者に強要しないことだと言います。現在で言えば、「社長の私がここまで努力しているのだから、部下の君たちもそうしろ!」という言葉です。つい口に出したくなる言葉でしょうが、それを言ったらお終いというものです。そうした心を磨くのには自らトイレ掃除をやるのがよいかもしれません。やはり自らに厳しく、実践あるのみです。

2013.06.26

83歳の女性野球部員 No.2418

何と83歳の女性野球部員がグランドに現われたという記事を読みました。以下その記述です。

高校定時制通信制軟式野球の神奈川県大会決勝が23日行われ、高津4年の上中別府(かみなかべっぷ)チエさん(83)が、0―1の6回1死満塁の場面で伝令として登場。背番号12をつけ、三塁ベンチから駆け足で飛び出すとスタンドから拍手が湧き起こった。

「落ち着いて。頑張れ」。マウンド中央でエース小鹿のお尻を2度、ポンポンと叩くとナインに笑みがこぼれた。孫が5人、ひ孫が4人いるが、もっと勉強がしたいと79歳だった10年4月に同校へ入学。

好きな言葉は「生涯現役」で「何でも挑戦したい」と意欲満々だ。昨年10月、クラス担任の中島克己監督(45)から誘われ入部。今年のバレンタインデーには部員に手作りチョコをプレゼントし、お返しにグラブをもらった。週3日、球拾いやキャッチボールで汗を流す。

試合中はベンチの最前列で手を叩いて選手を鼓舞した。0―4で戸塚に敗れ、全国大会出場は逃したが「良い人生経験だよ」と涙を流す部員を励ました。準優勝の銀メダルを首から下げ「一生の宝物です。このチームは日本一」とすがすがしい表情を浮かべた。 

何と素敵な方ではないでしょうか。いわゆる定時制の高校に79歳のとき、もっと勉強がしたいと言って入った人です。そして更に野球部にまで入って、みんなのお手伝いまでされているとのことです。まさに生涯現役そのものです。

こうした前向きな方が本当にいるのですね。自分の孫のような野球部員に混じっての活動は、さぞ素敵な汗をかかれていることではないでしょうか。話はちょっと逸れますが、梅雨もそろそろ明ける時期となり、いよいよ夏の全国高校野球選手権静岡県大会が近づいてきました。

22日にその組合せが決まり、我が母校は15日に清水庵原球場で佐久間高校と対戦します。1回戦それに勝てば強豪と言われる、静清と浜松工の勝者との試合です。大きなヤマになると思われますが、好投手・宮澤くんを擁する我が方にしたって、決して劣っているとは言えない今年のチ-ムです。

是非、後輩たちの活躍を期待したいものです。このチ-ムも現在3年生の女子マネ-ジャ-が抜けてしまうと、一人で頑張っていただけに、後に続く女子マネがいなくなってしまいます。83歳とは言いませんから、何とかこのように素敵なマネ-ジャ-が入ってくれることを願いたいものです。本当に影の大きな原動力となる存在です。

2013.06.25

世界文化遺産 No.2417

 富士山が世界文化遺産に登録されました。地元の静岡県に住む私たちにとっても、大変喜ばしいことです。おまけに三保の松原もその資産に含まれることになりました。富士山から45kmも離れている位置にあることから、当初は問題視されていたのですが、土壇場で良いほうに覆ったわけです。

やはり富士山には松原が切っても切り離せない情景だということです。今はあまりお目に掛かれなくなってしまいましたが、小さなときによく通った銭湯の中に描かれていた富士山にも、必ずと言っていいほど、松原は添えられていたものです。

そうすると我が町にある千本松原も捨てたものではありません。海岸からこの千本松原越しに望む富士山もなかなか素敵な光景です。富士山そのものの形の良さから、むしろ清水方面から望むそれより綺麗だと言われるかもしれません。

特には三津浜や大瀬崎方面からのそれは、絶景とも言えるのではないでしょうか。世界文化遺産登録が決まった週末、三保の松原には多くの人が訪れたということです。普段はガラガラな駐車場が、この日は車の整理で忙しかったと聞きます。

何という現金な話ではないでしょうか。このへんが日本人独特なものを感ずるわけです。このように遺産登録されたことで、今年の富士登山は例年にも増して凄いことになるのではないでしょうか。

今年からその保護の目的で、入山料を1000円とるとも言われています。それでも料金が安いような気がしますが、多くの人々が訪れることから、ゴミのない貴重な自然遺産として、いつまでも守り続けていきたいものです。

一方では遺産登録されたことを記念として、いろいろなイベントが企画されています。清水では史上最高の105万円チケットなるものが売り出されるといい、Jリ-グの清水戦観戦に超ビップなおまけがついているとのことです。

また我が街・沼津でも夜の街の活性化を狙い、飲み歩きパスポ-トなるものが生まれました。市内の飲食店58店舗が名を連ね、パスポ-トを持参すれば800円でその店自慢の料理や飲み物を1品ずつ味わえると言います。

この立ち上げた実行委員会には、同友会でもいろいろと頑張っている、あした葉の望月大樹さんも加わっているようで、いろいろと新しい挑戦を試みています。やはり動かなければ何も変わらないということです。とにかく待ちに待った富士山の世界文化遺産登録で、地域の活性化が少しずつ生まれ始めようとしていて、良い傾向ではないでしょうか。

2013.06.24

奇跡のリンゴ No.2416

 週末、家内と久しぶりに映画に行ってきました。二人で映画を観ることなど、ほとんどなかったわけですが、平日はほとんどボランティア的事業のひだまり亭があることや、週末になっても老いる私の父親の面倒をみてもらっている関係で、彼女が家を離れる機会が少ないからです。

そんなわけで、彼女にも少し気晴らしをさせてやりたいと思い、気分転換を兼ねての映画鑑賞だったのです。観てきたのは「奇跡のリンゴ」という映画です。娘たちからも「お父さん、泣ける映画だよ」と薦められたこともあって、この映画を選びました。

結論から申し上げると、夫婦はじめ親や子どもたちまで含んだ家族愛に溢れた、良い映画でした。夫婦役を演じた主演の阿部サダヲさん、菅野美穂さんが、さすが役者だなあと思わせられる、とても素晴らしい演技を見せていたと思います。

この映画は青森県でりんご農家を営む、木村秋則さんの実話をもとに描かれたものです。元々、虫のつきやすいリンゴはその栽培に農薬が欠かせないと言われていました。しかし大量に散布する農薬が、しだいに愛する妻の体を蝕んでいることに気がついた木村さんは、何とか無農薬栽培ができないものかと取り組み始めます。

でも想像以上にその栽培は難しく、初めは力を貸してくれていた青年部の仲間にも次第にそっぽを向かれ、私財を投げ打ってこれに没頭することから、電気を止められたりして生活は困窮を極めていきます。

またそれでも、りんごの木に「何とか育ってくれよ」などと話しかけている秋則さんゆえ、周囲からも白い目で見られ、ほとんど相手にされなくなるのです。そんな彼を支えてくれたのは愛する妻と、婿入り先の親父、そして3人の可愛い娘たちです。

中でも小学生の長女が学校で書いた作文には、父親への信頼と愛情が溢れるもので泣かされてしまいました。こうして10年が過ぎたある日、無農薬のりんごが実ることとなるわけですが、執念と家族のそれぞれの愛がもたらしたものと言えるのではないでしょうか。

このように、言われていた不可能を可能にするためには、家族愛のような、目に見えない要素の占める割合が決して少なくないのではないでしょうか。娘たちが言っていた、やはり「泣かされてしまった」映画でしたが、一見に値するものと思います。それにしても、それぞれ料金が1000円という、夫婦割引の映画鑑賞システムはとても得をしたようで嬉しかったものです。

2013.06.21

無神経な発言 No.2415

 自民党の高市早苗政調会長が「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」と述べ、原発再稼働をめざす考えを示しました。地元の方々の苦しみを知ってか知らずか、ずいぶんと無神経な発言です。

東日本大震災発生後、東京電力福島第一原発に近い双葉病院では、入院患者が取り残されて避難が遅れ、病院によると事故のあった2011年3月中に患者40人が死亡したと言います。

また、福島県須賀川市の農家の男性が野菜の有機栽培に力を入れ、丹精込めたキャベツ7500株の収穫を待つばかりとなっていましたが、この震災の影響で、その13日後に首を吊って亡くなるという痛ましい出来事があったことも、多くの方に知られています。

そして避難所生活でストレスが溜まり、亡くなった方もいることも聞かされています。そんな状況の中、よくそんなことが言えたものか、あきれて二の句が告げません。先日の復興庁職員の暴言同様、聞かされた地元の方々の怒りは増すばかりではないでしょうか。

原発事故から2年過ぎた今、未だに地元に帰ることができない人たちの中には、避難先の一部でも地元住民との間に、いろいろとトラブルがあるようです。過日の新聞が伝えるところによると、事故後、多くの避難者を受け入れているいわき市でも、市民と避難者との間で軋轢(あつれき)が生じているようです。以下がその記述です。

もともといた住民が、市に苦情を送った件数は今年2月で約390件。苦情の具体的な内容は、「賠償金をもらっている避難者で、働いていない人もいる。一方、いわき市民は賠償も少額で、みんな働いている。

公園や道路、公共施設などは避難者も使っているのに、税金が公平に取られないのはおかしい。住民が増えたため、スーパーや病院が混雑している。避難者は医療費が無料になっているのも混雑の一因ではないか」というものです。

避難者にしたって、別に好きこのんでこの場所に来たわけではないでしょうし、賠償金なんかより早く事故前の生活に戻してくれよというのが本音でしょう。でも一方の地元民が持つ「いったい、いつまでこうした生活が続くのか」という不安も解らないわけではありません。

要は国がその復興計画で、いついつまでにこうするといった、はっきりとした明確なビジョンを示さないから無用な混乱が生じてしまうのです。ですから怒りの矛先は国に向けるべきです。

でもこうした住民の苦しみをさも知らないかのように、事故の記憶を風化させる発言の議員には何も期待ができないものです。その資格もないでしょうし、人間としての最低限持たなければいけない、相手のことを気遣った思いやりと優しさに欠けていて、大変残念な話です。

2013.06.19

巨人のセカンド No.2414

 ある記事で巨人のセカンドがなかなか定着しないということに触れていました。今シ-ズン、絶好のスタ-トを切ったように見える巨人なのですが、いまいち独走するところまではいきません。それは阪神の頑張りもありますが、そればかりでなく、二塁手が定着しないということが少なからず要因にあるという指摘です。

以下、指摘していた、だいたいの内容です。巨人には2000年代後半から抱え続けている課題に、正二塁手という存在がいないことがあります。今季も脇谷、寺内、藤村、立岡といった面々が起用されるが、確実にレギュラ-ポジションを獲っている選手がいません。

この問題に長い間、巨人の正二塁手として活躍した仁志さんがこう答えています。「常勝を求められている状況で、セカンドというポジションを育てるのは難しい。キャッチャ-と同じように、ある種、特別な育て方をしないと本当のセカンドにならないんです」 

カバ-リングなど、単純だけど欠かせない動きが多く、いろいろなプレ-ができる。だけどその一方で、誰でもそれなりにできてしまうポジションです。プロのセカンドはアマ時代、ショ-トなどをやっていた、守備には定評のある選手が、流れてくるケ-スが多い

でも大学時代、ショ-トをやっていた仁志さんは社会人で失格の烙印を押され、サ-ドにコンバ-トされた、いわば守備が苦手だった選手の一人だったと言います。ですからほとんどのセカンドにコンバ-トされている、プロの選手とはアプローチが違うと言うのです。

苦手意識があったからこそ、活躍しなければ出番がないチ-ム状況の自分にとって、プロに入ってセカンドに挑戦することになったので必死でした。一からのセカンド守備を、当時のコーチの土井正三さんにみっちり教えてもらったのが、自分がセカンドで戦えた理由です」と語ります。

しかし、巨人の場合は常に勝ちを求められている環境から、守備だけでなく、チ-ムに貢献できるだけの打力が絶対必要で、そこでなかなかアピ-ルできる選手が出てこないと指摘しています。また2番セカンドというケ-スが多く、小技の利く2番でしかも打力も求められています。

こういった状況から、なかなか固定できないというのです。野球におけるセンタ-ラインとは昔から重要だとよく言われています。ショ-トとセカンドの守備の連携、センタ-とのポジショニングなど、やはり入れ替わり立ち代わりの人間ではなく、固定したメンバ-だからこそレベルも上げられるというものです。

ですから巨人の場合、キャッチャ-には阿部、ショ-ト坂本、センタ-長野といった絶対的な存在がいることゆえ、これにセカンドが固定したら強さが倍増することは明らかです。アンチ巨人の私にとっては、そうでない現状の方が望ましいわけですが、ご指摘のとおり、今のメンバ-にセカンドが固定されたら、それこそ鬼に金棒となるのではないでしょうか。逆にそうでない現状はプロ野球全体からすればちょうど良いかもしれません。

明日、20日は私用で会社を休ませていただくため、カキコミはお休みいたします。

2013.06.18

ク-デタ- No.2413

 ク-デタ-と言っても、中東シリアや揺れるトルコなどのことではありません。よくドラマなどの世界では見ることがある、社長解任劇の話です。その名も知られた川崎重工という、れっきとした大会社での話なのです。

去る13日、造船・重機大手の川崎重工業は、この日開かれた臨時取締役会で長谷川聡社長ら幹部3人を解任しました。いわゆるクーデターというものなのですが、その背景には、3人が三井造船との経営統合交渉を独断で進めていたことに対する、社内での強い反発があったようです。

従って川崎重工は同日、三井造船との統合交渉の打ち切りも決定したらしいのですが、ドラマの世界にはある、こうした解任劇が実際に行われているのを知り、結構、驚かされたものです。

その実情は解任された3人だけで経営統合の話を進めており、他の役員が知ったのは、4月時点での報道があったわずか1週間前と言われています。またこの3人を除いては、反対意見が多数を占めていたことから、その後に開かれた会議でも統合交渉打ち切りの方向で話が進められていたようです。

こうしてこの13日に予定していた臨時取締役会で、打ち切りを正式に決議しようとしていたのですが、それを察知した前社長らがその阻止を図り、議長に採決させないよう働きかけ、統合の是非を26日の株主総会後に引き伸ばし、決定しようとしていたらしいのです。

そして予定通り開かれた当日、全員の取締役の出席の下、解任の緊急動議が提出され、3人の解任と統合交渉打ち切りが決定したのですが、わずか35分で終了したとのことです。まさしくドラマの世界ですね。解任された前社長らの慌てぶりが目に見えるようです。

川崎重工と三井造船の統合話が持ち上がった報道直後、川崎重工の株価は下落したそうですが、この13日以降、統合が打ち切りと知らされると川重の株価は上がり、三井造船は下がるという皮肉な結果が表われています。

ですから市場の動きは統合には否定的のように見えるものですが、川崎重工の造船部門は全体の売上高の1割にすぎないということから、造船部門での中国・韓国との国際競争という視点を除けば、全体的にはメリットが小さいと判断されたのではないでしょうか。

また解任の13日以前、会長からも前社長に対し、役員間の対立を収めるため、穏便に解決を図るからと言って辞任を迫っていたようですが、これにも耳を貸さなかったみたいです。ですから3人以外の全てを敵に回してしまったのではないでしょうか。

とにかく、あまり格好の良い話ではありません。これでは当初、今月の26日に開かれる予定になっていた株主総会もどうなることだか判りません。今回のことで独善的にことを進める危うさと、企業内コンセンサスをとらなければいけない大切さを教えられました。それにしても一方的に統合を打ち切られた三井造船は、さぞ困っていることでしょうね。

2013.06.17

大人と子ども No.2412

 静岡県知事選挙は現職の川勝さんの圧勝で終わりました。原発再稼動はNOといった県民の意思表示の表れで、当選確定後のインタビュ-にあったとおり、とても再稼動できるような状態ではないといった、ご本人の正常な感覚による県政を期待したいものです。

さて、こちらの時間で日曜日の早朝、ブラジルで開かれているコンフェデレ-ションズカップで日本は開催国・ブラジルと対戦しました。このサッカ-とゴルフの全米オ-プンがあるため、前夜は早めに休んでこれに備えたのですが、朝5時前にテレビをつけたら早々に1点を奪われていました。

それも試合が始まってから3分ぐらいで得点されたというのです。私が見始めたのが開始後30分ぐらいだったのですが、なかなか日本チ-ムが思うようにボ-ルの支配ができません。また、たまにボ-ルに触っても、相手のようにトラップが足に吸い付いていないため、すぐに奪われてしまいます。

これはビッグマウスの本田選手にしたって同様です。一方、ブラジルの方はというと、さすがに個人技は素晴らしいものがあり、得点のシュ-トもそうですが、まるでボ-ルを手で扱っているような巧さをほとんどの選手が備えています。

それにいつものことながら、決定力にかなりの違いがあるみたいです。ブラジルにしたって、1試合のうち、そう度々決定的なチャンスが訪れるわけではありません。でも限られたチャンスを確実にものにする正確さがあるわけです。

それをキ-パ-・川島選手の好セ-ブもあり、凌いでいたわけですが、前半の本田選手のポストを大きく外したボレ-シュ-トなどにしても、ブラジルの選手だったら決めていたかもしれない、個の違いを見せつけられたものです。

これではとてもW杯優勝などは、夢また夢の物語に過ぎません。試合後、長友選手が言っていたみたいですが、「中学生とプロぐらいのレベル差。W杯優勝と言ってきたけど、腹を抱えて笑われる」の言葉どおりです。

そんなわけで、何とか我慢しながら観ていた内容だったのですが、後半も開始早々、やはり3分ぐらいの時間帯で追加点を挙げられてしまいました。しばらく見守ったのですが、いつまで経っても日本の劣勢は変わりません。まるで大人と子どもの試合にように感じられたほどです。

こうしてゲ-ム途中で全米オ-プンに切り替えてしまったわけですが、この大会を通して、一流国との歴然とした力の違いを見せつけられるのではないでしょうか。そして何が足りないのか、よく考えた上で1年先に向け、再スタ-トを切らなければなりません。技術の差はもちろんですが、サッカ-に賭けるハングリ-さを欠いているような気がします。

2013.06.14

櫻井よし子氏講演会より No.2411

  昨日は久しぶりに講演会に出かけてきました。商工会議所が主催する櫻井よしこ氏の講演会です。聞くとこの日は同会議所の議員総会だったとのことで、いつもはその会が終わると定例の懇親会へと流れるらしいのですが、時節柄、自粛したのか、一般向けの記念講演会を開催してくれたのです。

そんなわけで私も参加させていただいたのですが、櫻井よしこさんと言ったらご存知の通り、歯切れのよさで定評のある方です。そしていつも対中国には特に厳しい姿勢を貫いていることでも知られています。

そんなことから、尖閣問題で揺れる日中間だけに、「この国の行方~日本の進路と誇りある国づくり}と題した講演は大いに興味をそそられたわけです。まず先ごろ行われた、オバマと習近平の両氏による米中首脳会談から語り始めました。

8時間もの時間をかけた両者の話し合いでしたが、結局、結論らしきものは何一つなかったと言います。現在、アメリカは国民の1/5に当たる6000万人の人が、病気になっても医者にも診てもらえないのが実情です。

日本のように国民ひとり一人に対する保険制度がないからです。このため来年から施行することになった、国民がこの保険に頼る制度には莫大な費用が掛かり、この先10年間で120兆円もの軍事費を削らなければいけないと言われています。

そんなわけで財政が逼迫してきていることから、むやみやたらに軍事費を掛けるわけにはいかないのが現状のようです。従って北朝鮮問題にしても自国は介入せずその解決を中国に任せるような方式をとったり、シリア問題でもアサド大統領が10万人も国民を殺しているというのに、未だに反政府軍に手を差し伸べようとはしていません。

それはアメリカ国民の間からも、自国民をないがしろにして、他国の防衛や軍事援助もないものだという声が出始めているからです。一方、中国の習近平のめざすものは、偉大なる中華民族の復興という、中国の夢を叶えることにあるみたいです。

従って失ったものを取り返すと称して、尖閣列島どころか日本に対しては沖縄まで、そしてご存知の通り、南シナ海まで足を伸ばしたり、挙句にはインドまで勢力を拡大しようとしているとのことです。全く説得力が何もないものなのですが、軍事力を最優先し平時に活用すべきと声を大にしているみたいです。

こうした内外情勢で日本がめざすことは、ご本人が持論としている、まず憲法を改正して反撃のできる自衛隊にしなければと熱く語っていました。ここが私の考えるところと違っているわけですが、会場から拍手が沸いていたとおり、そうした望む声も少なくないのかなと思ったほどです。

この国を守るということには何も異存がないものですが、だからと言って、目には目をといったやり方が果たして有効なのでしょうか。それこそ、大切にしなければいけない次世代の人間を再度、悲惨な戦争に巻き込むことになるのではないでしょうか。それにしても90分間、よどみなく語った聡明さには感心させられたものです。

2013.06.13

歴史人物に学ぶ1・伊藤博文 No.2410

 やはりお札にまでなった人ですから偉大には違いないでしょうが、いったいどういう功績があった人なのか、よく把握していないのは私に限らず、少なくないのではないでしょうか。そんなことから伊藤博文という人物について、少し調べてみました。

人間はその一生のうちで、のるかそるかの大きな判断を下さなければいけないときがあるはずです。明治の元勲と記され、初代総理大臣にもなった伊藤博文にも、そんな大博打を打たなければいけない時があったと言われています。以下、少しまとめた記述です。

伊藤は、長州下級武士の出身。吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作、井上聞多らと倒幕運動に加わった。22歳のときには、長州藩の代表として秘密裏にイギリスに渡航。しかし四ケ国連合艦隊による長州藩攻撃が近いことを知ると、井上聞多とともに急ぎ帰国し戦争回避に奔走する。

当時長州藩は外国人を排斥しようとする攘夷派の総本山のような立場にあり、諸国との戦争を回避に奔走した伊藤は、井上、高杉晋作と共に藩内外から外国列強に与したと批判をされ、命をつけねらわれることになる。

四ケ国戦争の後、長州藩は正義派と呼ばれる攘夷推進政権が倒れ、俗論派と呼ばれる幕府恭順政権が発足する。時おりしも幕府が第一次長州征伐の陣触れを出し、幕府軍以下26藩が長州に攻め入ることとなる。恭順政権は、攘夷を推進した重臣を処刑するなど徹底して幕威の前にひれ伏す体制をとる。

当時長州藩には、諸隊と呼ばれる軍事部隊があった。高杉晋作が作り上げた奇兵隊、諸藩の脱藩浪士が集った遊撃隊、力士が集った力士隊など、身分制度にとらわれない武士階級と農民や町民が混合された部隊だ。武士が主体となった正兵と区別され、かつ長州藩内にて一級の武力を備えていた。

しかし恭順政権の前に動きをとることができず、諸隊は推移をただ見守るしかなかったが、暗殺の危険から藩外に逃亡していた高杉晋作が帰藩。奇兵隊を軸にクーデターを起こし、一気に情勢を挽回しようとする。しかし諸隊合わせても人数は800名足らず。恭順派に与する正兵は2000名強。どうしたって勝ち目がなく、諸隊は動こうとしない。業を煮やした晋作は、わずかな人数での挙兵を決意する。

そのとき伊藤博文は、どうしたか。どう考えても高杉晋作の挙兵は暴挙であり、失敗すると伊藤自身は考えていた。しかし、いままでの行きがかり上、晋作に命をくれてやろうと決意したのだ。晋作は、唯一の同志となった伊藤に、10名でもいいから同志を集めることを命じ、下関に向かわせた。

もともと武士階級の出ではなかった伊藤は、まともに馬に乗れない。必死にたてがみにしがみつきながら、「俺はもう死んでいるのだ、死んでいるのだ」と自らに言い聞かせながらただ一騎夜道を下関に向かったという。

結果わずか80名で蜂起した高杉晋作一派が、奇兵隊をも動かし、ついには時の政権軍との決戦に至り、旧態依然とした銃器、戦法での武士(政権軍)たちは、洋式銃をもった奇兵隊たちの敵にはならず、激闘のうえ、ついにクーデターは成功した。

じつはそれまでの伊藤は、身分が低いゆえ、その立場はちょっと気のきく使い走り的な扱いであり、晋作の手駒に過ぎなかった。しかしそれ以降、藩において重き役につくようになる。維新後明治政府内においてはついには参議にまで登りつめ、明治憲法の制定の中心的な存在となり、やがて内閣総理大臣(しかも4度も!)を拝命するまでになるのだ。

「俺は死んでいる」と自分に言い聞かせ、クーデターに参加したのが新たな人生を切り開くことになったのです。いちかばちかの局面で自分の人生を賭けるほどの性根は大いに評価されます。このように難局に直面したときの人間の振る舞いにより、その後の人生を大きく変えることができるわけです。

2013.06.12

統一球の混乱 No.2409

 もうシ-ズンが始まって2ヶ月以上経っているというこの時期に、統一球が昨年と違って作られ、使用されているという事実が判明しました。なぜこの時期にということなのですが、プロ野球界は無用の混乱を招いてしまっています。

そもそもその背景は、大リ-グでの使用球や今年行われたWBCでの使用球などとの違いから、日本プロ野球も国際化を図った統一球にしなければというのが出発点でした。

このため、一昨年の2011年度から、それまでの各球団ごとに選択していた公式球を、全てミズノ製の統一球を使用することに改めたのです。この結果、ボ-ルの反発係数をそれまでより低く抑えたため、以前よりボ-ルが飛ばず、ホ-ムランも出にくくなってしまったのです。

いわゆる飛ばないボ-ルというものです。ここまでの日本野球機構(NPB)がとった処置は、結果はともかく、その趣旨から決して責められるようなことではないと思います。大リ-グに移籍する選手も増えてきたり、日本のボ-ルがあちらに比べて飛び過ぎるのでは何かと不都合が生ずるからです。

でも導入により極端な打率の低下やホ-ムランの減少を招き、投高打低となった野球が顕著となりました。これが2年も続いたからでしょう。野球そのものが面白くなくなってきているという声が一部にも聞かれ、日本野球機構(NPB)がとった処置とは、今シ-ズンを前にして製造会社のミズノに対して、反発係数の調整を指示していたのです。

それも内緒でこっそりとやっていたのです。NPBに言わせると、反発係数の検査で下限を下回るボールが頻出し、反発係数の下限を守るためといった答弁をしているようですが、どうもそれも言い逃れのように聞こえてしまいます。

今シ-ズン、ここ2年間よりぐっとホ-ムランの数も増え、選手ばかりでなくフアンの間からも、飛ぶボ-ルに変わったのでは?という声があちこちに聞かれるようになりました。こうした声が高まるにつれて、NPBもこの時点で発表しないわけにはいかなくなったのでしょう。

問題は今シ-ズンを前に、なぜNPBが独断でそういった処置を取ったかです。導入の結果がどうあれ、NPBだけで結論を出せる問題ではないはずです。そもそもの出発点の趣旨や、野球をもっと面白くさせる事情があるにしても、そこには当然、選手を含めた球団関係者との話し合いがあってしかるべきです。

NPBはメ-カ-のミズノにまで、そうした指示があったことは内密にという通達を出していたと言います。そうした隠蔽体質そのものが大きな問題であると考えます。加藤良三コミッショナ-は自分は何も知らされていなかったと述べています。

でも、もしそれが本当であっても、統一球に自分のサインまで刻印されていることだけに、知らなかったでは済まされないのではないでしょうか。そうした隠蔽体質の組織の長ゆえに、大きな責任を感ずるものです。とにかく選手やフアンあってのプロ野球であることをよく自覚してもらいたいものです。

2013.06.11

一所懸命 No.2408

 この歳になって初めて知らされたことがあります。以前から「一所懸命」という語句を目にすると、「一生懸命」の間違いだと、正直思っていました。ところがどちらの言葉も、実際に使われていることを知ったのです。

調べてみたら一所懸命とは、賜った一か所の領地を生活の頼みとし、その所領安堵に命をかけた鎌倉武士の姿からきたものだと言われています。 ですからそこから転じて、物事を命がけでまじめに努力するという意味になるということです。

一方、一生懸命とは、意味としては物事を一心にするさまということで、一所懸命と同じ使われ方をしていますが、元々は「一所懸命」から来た言葉だと言いますから、むしろこちらの表現の方が正しい意味なのです。

読み方は前者が「いっしょけんめい」というのに対し、後者は「いっしょうけんめい」と異なった発音となります。ですから「いっしょけんめい」と言われて、一生懸命と表記するのは誤まりですが、言葉としてはどちらを使ってもよいみたいです。

元々、「いっしょけんめい」と言われていたのを、その発音と命がけでという意味から、だんだん一生懸命という言葉に自然に変わっていったのではないでしょうか。こんなことを調べていたら、次に挙げるような素敵な例え話に遭遇できました。

数年前、あるお婆さんのお葬式にお参りした時のことです。遺族の方が謝辞の中で、亡きお母さんとの思い出話を述べられました。まだ子どもの頃、畑でお母さんの草取りを手伝っていた時のお話でした。

ギラギラと照りつける太陽の下、暑さと苦しさにたまりかねて何度か立ち上がっては、あとどのくらいあるかと見ていると、お母さんが、「そんなに先ばかり見ていては仕事がつらくなるばかりだ。しっかり手もとを見て頑張っていれば、いつかつらい仕事も終わるものだ。」と、さとされたという内容でした。

また続けてこんなことも書かれていました。平安時代の能書家、小野道風が書の修行で壁につきあたり、深い物思いにふけりながら小雨の中を歩いていると、いっぴきの蛙が柳の小枝に飛びつこうとして何度も失敗し、最後にとうとう飛びついたのを見て、迷いからさめたという話は有名です。

最終のゴールにばかり目がいっていては、そこまでの道のりの遠さ、つらさばかりが目について気が遠くなるばかりでしょう。千本、万本の雑草も、手もとの一本の草を抜くことの積み重ねと念じ、ただ黙々と努力を傾けてゆかねばならないということです。

まさにその通りですね。積み重ねも満足に行わないうちから、結果ばかり求めたくなるものです。「ロ-マは一日にして成らず」とか、「千里の道も一歩から」という同義語もあります。まず目先のことからしっかりとやり続けなさい、との教えではないでしょうか。 

2013.06.10

DJポリス No.2407

 こんな素敵な警察官がいることに驚き、また微笑ましくなったものです。日本がW杯出場を決めた日、若者たちでごった返す渋谷の駅前で、DJポリスと呼ばれた素敵な警察官のお話です。

以下、DJポリスが集まった人たちに投げ掛けた、素敵なコメントをちょっと紹介させて下さい。「みなさんは12番目の選手です。チ-ムワ-クをお願いします。駅の方へ進んでください」。「目の前にいるお巡りさんも、みなさんが憎くて怖い顔をしているわけではありません。心の中ではW杯出場を喜んでいるのです」。

お互い気持ちよく、きょうという日をお祝いできるよう、ル-ルとマナ-を守りましょう」。そして胴上げを始めた集団には、「それはイエロ-カ-ドです」と穏やかに注意し、「皆さん、明日も仕事です。そろそろ帰りましょう」。

何と的を得た対応ではないでしょうか。喜びに湧く群衆の中には、お酒が入っている人も少なくないことでしょう。それだけに警察官が頭から高圧的に注意したりすると、かえって火に油を注ぐようなものです。

でもユ-モアに溢れたこうした呼び掛けには、若者は素直に耳を貸したと言われています。あの人、何者?と、押し合いへし合いしている人たちににまで笑顔が広がったそうです。

そしてこの時代を反映するかのように、ネット上にその動画が流れ、たちまち「DJポリス」と呼ばれるようになりました。人々からは「最高の仕事をしていた」と称賛の声が続いていたそうです。

この素敵なDJポリスは第9機動隊に所属する、20代の隊員とのことです。昨年から広報係という役に就き、デモや多くの群衆が詰め掛ける場所で、マイクを手に整然とした行動を呼び掛けるのがその役目です。

今年の初詣でやはり多くの人がごった返す明治神宮でも、「みなさん、急がなくても神様は逃げません。急いでもご利益は変わりません」と、ユ-モアたっぷりに呼び掛けていたそうです。

元々、そうした人々の心を和ませるセンスを持ち合わせているのでしょう。このようなことから、渋谷でもお巡りさんコ-ルが広がったと言われます。そんなとき、兼ね備えている絶妙なセンスが感じられるが次の言葉です。

声援も嬉しいですが、皆さんが歩道に上がってくれる方がうれしいです」。やはり取り上げていた天声人語でも、人の心に響き琴線に触れる対応で、当意即妙の才能が覗かれると述べていました。

権力をかさに、頭ごなしで呼び掛けても人は動くものではありません。その場にあった、理屈より情のこもった柔らかい言葉で、同世代に呼び掛けたからこそ、人々の気持ちに入り込めたのでしょう。警視総監賞うんぬんという話もありますが、決してもらってもおかしな話ではないと思います。

2013.06.07

個への着目 No.2406

先週の火曜日の対オ-ストラリア戦、日本がとうとうW杯への出場を決めました。後半の35分過ぎの終盤、相手のフリ-キックがそのままゴ-ルするというピンチに立たされましたが、何とかPKを奪って引き分けに持ち込んだのです。

観ている大半の人間は、終わりが近づいていた時点での相手のゴ-ルだっただけに、このまま負けてしまうのかという思いを抱いたと思われますが、そこは日本、持ち味のスピ-ドとコンビネ-ションが最後に相手のミスを誘ったのです。

やはりそこに位置したのは本田と香川の両選手です。阿吽の呼吸と言うのでしょうか、このクラスの選手となるとお互いの意図するところがよく解るのでしょう。何としてでも1点を取るという、執念が相手のハンドというミスを生み出しました。

そこでPKを蹴ったのが本田選手です。私たち観ている方でも、ここで外したらなどと余分な懸念が否が応でも湧いてくる、本当に緊迫した場面だったと思います。ですから本人も言われていたように、結構、緊張していたのではないでしょうか。

でもそこはビッグマウスとも言われている本田選手、「真ん中に蹴って捕られたら、しゃあないな」という開き直りで、ここ一番の大きな場面に臨んだのです。結果は見事な、ど真ん中への胸のすくようなゴ-ルです。

このゴ-ルでさすがは本田だと、多くの人が思ったのではないでしょうか。出場を決めた後、翌日の選手全員の記者会見でもこの本田選手の独壇場でした。チ-ムメ-トの主だった選手の名前をわざわざ挙げながら、これからの課題なるものや、目指さなければいけないことを語っていました。

それだけ、このW杯にかける思いが人一倍強いのでしょう。それからただ出場するだけでなく、出たからには何とか勝って優勝したいと、本当に思っているのでしょう。その中で特に強く指摘していたのが、「個」を徹底的に伸ばし、磨き上げることです。

確かに今のチ-ム力のままでは、正直言って、とても優勝するレベルではないと、誰が見ても判断できるのではないでしょうか。この前のブルガリア戦にしたって、オ-ストラリアの試合でもそうですが、やはり決めるべきところでしっかりと決めるといった、決定力とゴ-ル前の執念と技術に欠けています。

それだけにビッグマウスと言われるかもしれませんが、やはり日本チ-ムの課題をしっかりと突いているのではないでしょうか。私たち観ている方の立場でも、W杯に出るからにはやはり日本に勝ってもらいたいものです。あと1年、日本チ-ムの更なる目覚ましい進化を期待しましょう。 

2013.06.06

ビックリス-パ- No.2405

 昨日、工事で訪れた軽井沢はやはり良い季節になってきたことで、爽やかさが一段と増しています。木々は緑濃く色づき、いろいろな小鳥のさえずりが耳に心地よく響きます。仕事でなければずっとここに居たくなるものですね。

仕事は制御プログラムの変更でしたから、明るいうちに帰ってこれたのですが、早い時間で帰れるときは途中、いつも寄るのが野辺山の高原野菜を売っている、ビックリス-パ-です。

141号線沿いにある市場なのですが、野菜や果物がとびきり安く売っているから嬉しくなるものです。野辺山と言ったら、中央高速を須玉ICで下車し、夏場の観光地でも知られた清里を抜けてからすぐのところです。

佐久に向かう141号線では左手に八ヶ岳を望める広々とした高原で、単線のJR小海線が走る、のどかな地です。このJRの野辺山駅は全国にあるJRの中でも、最も標高の高い(1346m)ところとしても知られています。

ここで採れた野菜等が嬉しくなるような値段で提供されているのです。季節のものとしてはセリや山ウド、ワラビをはじめ有名なキャベツ、レタスからきゅうりや人参に至るまで、全て安い価格で並んでいるのです。

私がここでよく買うのが、生しいたけとエリンギです。それからとろろ芋もあれば買いたくなるものです。またトマトなども下界では結構高いみたいですが、ここでは飛びつきなるほどです。

このように仕事とは言っても、途中このような所があるから楽しみも増えるというものです。時にはひだまり亭で頑張っている、家内にその場で電話を入れ、仕入れの真似事までしたくなるわけです。

そんなわけで往復400kmあまりの、軽井沢への車でのひとり旅は、結構しんどいものですが、こうした諸々のことが癒してくれるものです。野辺山で購入していったアスパラとエリンギは、家内の手により、その日のうちに夕食のテ-ブルに乗り、もちろんおいしくいただきました。

2013.06.04

泣き相撲 No.2404

 この日曜日、昨年8月に生まれた長女の子・由稀(ゆき)と、やはり11月に生まれた次女の子・羽菜(はな)が泣き相撲に出るというので同行しました。沼津市原の長興寺で開催されたものですが、県内外から170人もの赤ちゃんが参加するという、結構、ビッグイベントとも言える、凄いものでした。

泣き相撲とは、乳幼児の健やかな成長と安産を祈る目的で行われる神事と言われています。力士に抱えられた赤ちゃんの泣き声を競い合わせるもので、長興寺では早く大きな声で泣いたほうが勝ちなのですが、場所によっては逆に負けとなるところもあるそうです。

170人もの参加者があることから、午前の部と午後の部に分かれており、羽菜のほうが午前の5番目、そして由稀は午後の40番目というので、2回も駆けつけたほどです。ちょうど相手が大泣きしていた関係で、その5番目の取り組みは静岡新聞に写真を掲載してくれました。(http://www.at-s.com/news/detail/681485090.html)

それにしても、地域の人たちや各種団体の協力で多くの売店が安価で提供してくれていたり、また多数の人たちが集まる関係でお寺の本堂や客殿などを全て控え室にしてくれる等、寺院はじめこの地域を挙げての素晴らしいイベントのように感じました。

そうそう、臨時駐車場にしても近隣の企業の敷地内を開放していたほどです。さすがはご住職の松下宗伯さんの取り組みです。地域の聡明なリ-ダ-としても知られている方ですが、初めて参加させてもらった私も、このイベントが地域にしっかりと根を下ろしていることを感じ取れました。

明日5日は軽井沢に工事で出張するため、カキコミは休ませていただきます。

2013.06.03

凄い新人 No.2403

 先週末は雨が降るという、事前の週間天気予報が良い方に外れ、一滴の雨もなく爽やかな休日を過ごすことができました。そして今週も梅雨はいったん中休みとのことです。しばし爽やかな初夏の風を満喫できればと願っています。

さて出場5戦中、2回も優勝している凄い新人がいます。しかも残りの3試合でも2位が2回です。この凄い新人が今シ-ズンプロ転向したばかりの、ご存知、松山英樹選手です。

昨日まで名門・大洗GCで行われていた、ダイヤモンドカップでも最終日、見事な逃げ切りで2勝目を挙げました。その2週前の日本プロで、4打もリ-ドしながら最終日に崩れ、優勝を逃がした口惜しさが本人には相当、大きかったのでしょう。

ですから優勝そのものより、そうした状況を自分自身が克服したことのほうが喜びが大きかったようです。このへんが並みの選手ではありません。ダイヤモンドカップでも3日目まで首位タイで頑張った、58歳の中島常幸選手も彼の可能性について、大きな期待を寄せています。

何しろ体も180cm、88kgと、堂々たるもので、300ヤ-ドは飛ばす飛距離も大きな魅力です。そして私もVISA太平洋マスタ-ズで彼について回ったことがあるのですが、スイングもゆっくりでまだまだ余力を残しているように感じられることです。

このへんが怪物と言われる所以ではないでしょうか。再来週の10日後には4大メジャ-の1つである、全米オ-プンも開催され、松山選手も出場を予定しています。是非、日本人ここにありというところを見せつけてもらいたいものです。

また同じ歳の石川遼くんと比べても、体が大きい分、可能性は大きいように思えます。もちろん、小技等器用さにかけては遼くんに一日の長があるように思えますが、どちらについてもこれからの日本ゴルフ界を背負っていくのは、やはりこの二人ではないでしょうか。

とにかく楽しみな大きな逸材が出てきたものです。何といっても思い出されるのは、プロ2戦目で初優勝を飾ったときのことです。首位と2打差でスタ-トし、15番のバ-ディで首位に並ぶと、続く16・17・18番、上がり4ホ-ル連続のバ-ディで見事、逆転優勝を飾ったシ-ンです。

外国人選手にはこの逆のパタ-ンで負けることはあっても、近年、日本人選手がこのような強い勝ち方をしたのは久しくなかったものです。それだけに多くの日本人ファンが溜飲を下げたし、強いハ-トも兼ね備えた松山選手に大きな期待を持てたわけです。全米オ-プンがとても楽しみです。

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