社長の三行日記

2017.10.03

白隠禅師没後250年 No.2946

 「駿河には、過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とも謳われている、白隠禅師が亡くなられてから今年は250年とのことです。先の日曜日、久しぶりに家内と共に静岡の方へちょっと足をのばしてみました。

静岡県立美術館で開かれている「井伊直虎から直政へ」の展覧会を覗きながら、夕方から清水のお寺で予定されている、「白隠さんに因んだ演談とト-クの夕べ」というものに行きたかったからです。

この催し物には日頃お世話になっている取引先の会長の奥様が出演されると聞いていたのと、またお寺のご住職とも以前、一緒に宴席を共にしていたこともあって楽しみにしていたのです。

第1部は「子育て白隠」という朗読劇(動読)です。臨済宗中興の祖と呼ばれた、白隠さんのこんな一面を知らせる朗読劇ですがちょっとその内容を紹介します。

白隠が復興させた地元のお寺・松陰寺の檀家でもある、近所の夫婦の娘が突然子どもを身ごもります。しかし親がいくら尋ねてもその子の父親の名前を明かそうとしません。

執拗に問い詰める両親にたまりかね、ある日娘はその相手が白隠さまですと告げます。信頼しいろいろな教えを乞うていた白隠がその相手と知って、驚き裏切られたような思いで父親は子どもが生まれると、お寺を訪ねその子を引き取れと放り出します。

受け取った白隠は「ほお、そうか。」と一言だけ呟いてその子を育て始めます。それからというもの、彼は出掛けるたびにどこへでも連れていき、雨や嵐の日でも近所の家々に乳をもらいにいく日々を過ごしていました。

そんな姿に弟子の多くは堕落したと思い、白隠のもとを去っていったが彼は一言も言うことはありませんでした。その白隠の姿に娘は申し訳なさで居ても立ってもいられなくなり、父に本当のことを打ち明けます。

白隠が子どもの父親でないと知った娘の父は、申し訳なさでいっぱいになり、そのもとへ謝罪に出掛けます。そしてひれ伏しながら子どもを返してもらうのですが、聞いた白隠は「ほお、そうか。」とたった一言口にしただけというお話です。

普通なら自分の子どもでもなければ違うと言うでしょう。でもこの嘘をつかなければいけなかった、娘の追い詰められた気持ちが解っていたゆえ、一切の弁解することなく、たった一言「ほお、そうか。」と言って受け入れたのです。

そして周囲の非難や中傷には一切耳を貸さず、ただ子どもの命を繋ぐことだけを考えて毎日を過ごしました。自分の名誉や肩書より子どもの命の大切さを考えることができた人だったのです。

自分のエゴ(欲)やマインド(思考)に振り回されることなく、今、目の前にある大切なことをやるというのが白隠さんの生き方だったのです。あるものを貪る欲を抑えてそのまま受け入れるという、座禅和算にある、「布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修業等 其品多き諸善行 皆この中に帰するなり」この言葉そのままですね。

また第2部として行われた「白隠さんが伝えたかったこと」というト-クも素晴らしかったので後日お伝えしたいと思います。

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