社長の三行日記

2011.09.30

頑張るシニアエイジその1 No.2083

先日のテレビ「クロ-ズアップ現代」で50~60歳代で起業している、頑張っているシニアエイジのことを取り上げていました。まず成功しているケ-スです。
 
一人目は63歳になる社長が営む翻訳会社です。7年前、独立してこの企業を立ち上げ、今では社員100名、年間14億円もの売上げがある、業界大手の会社にまで成長しています。
 
社長である中嶌さんは20年以上銀行に勤め、主に中小企業を相手に営業していましたが、ある時取引先の翻訳会社に引き抜かれました。そして翻訳の仕事に従事していたのですが、組織の中では十分自分の力を発揮できないということから、思い切って50代半ばで独立したのです。
 
その仕事は製品などの取扱説明書の翻訳に特化しました。そして50以上の言語に対応したことから、次々と引合いが生まれていき、社長自ら第1線の営業に立っていったのです。
 
新しい会社の開拓や新しい事業をやっていく上では、営業力はすごく大事な要素だと言われています。銀行時代、多くの経営者に接してきた、この営業力を活用できたというのです。
 
そして自分が接した尊敬する経営者なら、きっとこうしたのではないかと思い、従業員を全て正社員とする方針を打ち立てました。社員の募集を掛けたところ、不況で喘ぐこの時代、派遣社員や一時従業員の数は半端ではありません。
 
そうした中、留学経験者がいっぱい含まれていて、大きな戦力となっていったと話しています。やはり会社が成長していく上では、この人の使い方というのが大事な要素であることを改めて知らせてくれました。
 
これなど、まさに中小企業家同友会で言われるところの人間尊重の経営そのものです。社員にその多くの時間を費やしている仕事へのやりがいや、人間としての生きがいをいかに持たせているかが問われているのです。
 
それにシニアの強みでもある、経験と知識、そして幅広く培った人脈を持つ経営者が加わったら、やはり会社としての飛躍する大きな要素ではないでしょうか。他にも紹介されていた事例はまた次回紹介させて頂きますが、ただ流されているだけのような私たちにも、それなりの警告を発せられたような気がします。

2011.09.29

ちょっと良い話part83 No.2082

覚えていた電話番号という、ちょっと良い話です。少し長くなっていますが、やはり絆は断ち切れないもので、いつまで経っても親は見守ってくれているという話です。
 
今は、二人の子どもの母となった私だが、実家に電話するたびに思い出す出来事がある。電話番号はケータイまかせの時代に、困った時に助けてくれたのが、8年間も音信不通にしていた実家の電話番号。

それは、親子の絆となってくれた電話番号でもある。子どもたちにも「家の電話番号だけは、絶対に忘れちゃだめよ」と教えているのは、この出来事があったからだ。

私は、就職を機に家出した。大学生になっても9時以降の電話は取り次いでもらえず、男友達からの電話は、父が出たら最後、有無を言わさずガチャンと切られるという家庭環境は、辛いを通り越して悲劇に近かった。

おまけに、「学生の本分は勉学」ということで門限は9時。9時をほんの少し過ぎただけで玄関先に仁王立ちの父がいた。そんな束縛と横暴に耐えながら、こっそりアルバイトをしてコツコツとお金を貯め、「就職が決まったら家を出てやる」と、その一念だけで大学時代は、勉強もバイトも就職活動もがんばった。

就職が決まると、マンションを決め、梱包した私物を少しずつ宅配便で送り、準備万端整ったところで、両親にいきなりの独立宣言。それは、すごいことになった。鬼のように激怒する父と、ただただ泣いている母。

そんな両親を振りきって、家を飛び出した私の背中に「二度と、帰って来るな!」の父の罵声。「はいはい、二度と帰ってきませんよぉ」と心の中で返事して、住宅街を抜けて駅へ向かう時の晴れ晴れとした気分、「私は自由だぁ~」と叫んでいた。

世はバブルで、自由な時間を楽しんだが、なぜか9時頃になるとソワソワしてくるトラウマに悩まされたりもした。 (中略) 社会人8年目に入った頃、高校の同級生の結婚式に出席するため、実家へ向かう懐かしい沿線に乗った。式場が、実家から4駅先の駅から送迎バスが出ていたからだ。

結婚式、披露宴、二次会に参加した後、駅で切符を買おうとバッグを探したがそれがない。バッグは、引き出物の紙袋の中に入れておいたはずなのに…、どうも二次会のレストランで置き忘れたような気が…。

駅前の交番で相談すると「電話を貸すから、友達に連絡してみては」とお巡りさん。でも、電話番号はケータイの中にあり、そのケータイもバッグの中、友達の電話番号など覚えているわけがない。

その時、ただひとつ覚えていた電話番号が頭に浮かんだ。それは実家の電話番号…。酔った勢いとは恐いもので、そうだ、母に頼んで、この駅まで来てもらい、1000円借りよう…と、頭が回った。

8年前の親への裏切りと不義理をポカンと忘れ、躊躇することなく電話することを思いついたのは、懐かしい沿線の風景のせいで、母の顔が見たくなったのかもしれない。

8年ぶりに回した電話番号からは、母の声がした。「もしもし、私…」の声に、固まったような母だったが、状況と要件だけを言い、今からすぐ駅に向かうという母の返事を聞いて電話を切った。

駅の改札前に立っていると、後から背中をたたかれ、そこに母がいた。「お父さんが、バッグを探してあげるって…、車で来たから、そのレストランまでお父さんが連れて行ってあげるって…」 

そう言うとロータリーに止めた車に私を乗せた。運転席で待っていた父に、小さな声で「ごぶさたしてます」と挨拶すると「店はどこや、道を言え」と言う。車の中の会話は、レストランまでの道順だけ。

バッグは二次会のレストランで見つかり、父に「ありがとうございました」とお礼を言うと、車はそのまま実家に向かい、親子3人無言で家の中に入った。

無言のままお茶を入れる母を見ながら、どんどん酔いが醒めていく中で、「突然に電話して申し訳ありませんでした。これからはご迷惑はかけません」と頭を下げると「これからも何かあったら、電話したらええ」と言う父。

「お父さんはね、あんたが社会人になったら、門限も自由にしてあげるつもりやったんよ…真面目にがんばって偉いって、あんたのこと褒めてたんよ。お父さんの気持ちもわからんと、勝手なことして、アホや、ほんまにアホな子や」

と言う母の話に、私は当時の状況を必死に整理しようとしたが、出てきた言葉が「アホな子でスンマセン」これに家族3人が吹き出した。

一通り話をして、それでは今日は帰りますと玄関を出た私の背中に、「親に連絡もなしに、結婚はゆるさへんからな。好きな人がいるなら、ここに連れてきなさい」という父の声に、私は振り向いてテレ笑いした。

住宅街を抜けて駅へ向かう時の晴れ晴れとした気分、「私は、ホンマにぃ~、アホな子やぁ~」と笑おうとしたら、どっと涙が溢れていた。

 
持つべきものは親ですね。子どもが可愛くない親など、いるわけがありません。でも父親って、というより血が繋がっている間柄って、どこか照れ臭いところがあって、愛情表現が下手になるものです。

2011.09.28

ネットス-パ- No.2081

ずいぶんと便利な世の中になったものです。ネットス-パ-といって、生鮮食品や日用品などをインタ-ネットで注文し、自宅まで届けてくれるのです。
 
昔なら横着者がと、年寄りに怒られそうなことですが、仕事が忙しかったり、小さな子どもがいたりするときや、車などの足がないときには極めて便利なサ-ビスです。
 
大手ス-パ-のイト-ヨ-カド-は全国174店舗のうち、135店舗でこのネットス-パ-を運営し、8月にはその利用者が100万人を超えたとも言われています。
 
そのやり方としては、まず利用可能な店舗をHPで探し、会員登録をした後、HP上の食品やベビ-用品など種類ごとに並んでいる商品棚から、カ-トに入れればよいのです。
 
また注文は配達時間ごとに決まった締め切り時間までに済ませれば、各売場の注文品を集めて配送員が届けてくれるのです。そして嬉しいのは価格が店頭と同じで、1点から利用ができることです。
 
但し、金額により配送料が掛かるとのことですが、こうしたサ-ビスを利用すれば、米などの重いものをお年寄りが下げて帰らなくてもよいわけです。
 
それから結構こちらのリクエストに応えてくれることもあり、商品の入っている段ボ-ルなどは不要と、注文時に記入すればできる限り受けてくれると言います。
 
ただ配達時間ごとに定員枠が決まっていて、夕方やこの前の大雨の日などは、その枠が埋まりやすいので早めに注文した方がよいと言われています。
 
とにかく、重いものや運びにくいものを届けてくれたり、買い物に出掛ける時間の節約にも繋がるわけですから、そのメリットは少なくありません。また冷蔵庫などの食品を見ながら買えるわけですから、無駄な買い物も減るというものです。
 
以上良いことばかりのように思えますが、ある一定金額以上買えば配送料が無料になるといったことにこだわると、無駄なものまで買わされてしまいます。このようなことさえ気をつければ、このサ-ビスを利用するメリットがあるのではないでしょうか。
 
でもこれがこの先どんどん普及していくと、街は賑わいを失うかもしれません。危険な言葉となった、死の町にはなりたくありませんね。

2011.09.27

解任 No.2080

来年度の中日監督に落合監督が外されました。今年が契約最終年と言っていますが、言ってみれば事実上の解任みたいなものでしょう。
 
オレ流を貫いてきた落合監督は、コ-チ陣なども中日生え抜きのOBにはこだわらず、独自に進めていたことなどがOB優先の球団方針とはどうも合わなかったようです。
 
また観客動員数も近年減っていることから、勝つことが唯一のファンサ-ビスだと主張していた監督との溝が埋まらなかったようです。
 
でも就任8年で3位が1回だけ、後は全て1位か2位で、リ-グ制覇も3回もしている成績は見事なものです。それでも切られるのですから、ずいぶんと非情な世界です。万年赤字経営の球団にとって、一番ネックとなっていたのは、やはり監督の高い年俸だったのでしょうか。
 
この落合監督の解任が発表されたのが、首位ヤクルトとの4連戦の初日でした。皮肉なもので、日曜日の4戦目には負けましたが、それまで3連勝して1.5差まで差を縮めたのです。
 
中日はこのように球団史上初めてのリ-グ連覇を狙っていて、ヤクルトと熾烈な首位を争っている時、なぜこの時期に監督の首のすげ替えが発表されるのか、不思議でなりません。
 
詮索すれば、それだけ落合監督を替えたくて仕方がなかったとも思えます。というのも、ヤクルトとの首位決戦はまだ5試合もあるわけです。それも全てホ-ムの名古屋ド-ムでの試合です。
 
ですから中日の優勝の可能性は低くなく、もし優勝でもすればそれだけ監督を替えにくくなるからです。こうした、うがった見方も満更外れてはいないのではないでしょうか。
 
とにかく、落合監督が一言、「契約書通り。この世界はそういう世界」と言ってはいても、先日の日本ハム・梨田監督といい、なかなか厳しい世界です。
 
私たちの想像以上に、現場とフロントとの隔たりとか確執があるみたいです。でも面白いもので、辞めるのが分かった途端、今まで以上に選手の動きが良くなったような気がします。そして落合監督も冷たいようなイメ-ジがありましたが、ずいぶんと優しくなっているようにも思えます。
 
こうなると我らヤクルトファンにとっては少し心中、穏やかではありません。正直、何とか逃げ切ってリ-グ制覇を果たしても、クライマックスシリ-ズでは危ないかもしれませんね。何しろ、最後までオレ流を貫く落合監督でしょうから...

2011.09.26

ファ-ストレディ No.2079

野田首相の奥様、野田仁実さんが外交デビュ-を果たしました。この度の首相の訪米に伴うもので、9.11の世界貿易センタービル関連施設を視察・献花したり、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場などでも、関係者に3.11災害への各国支援に対し謝意を述べるなど、首相とは別行動で頑張っているようです。
 
親しい周囲の方からは、控え目で地味なタイプで、首相を飛び越えて目立ってしまうような、前首相や前々首相の奥様のようなタイプとは異なると言います。世は苦境の中、五輪出場を果たしたなでしこブ-ムに湧いていますが、野田さんの奥様もあまり周囲から批判を受けるようなことが見つからず、大和撫子そのものだとも言われているのです。
 
そしてその風貌も、ちょっぴり夫婦がよく似ているようなところもあり、ポッチャリタイプの可愛いような感じです。でも20年ぐらい前の写真を見ると、浅野ゆう子似と言われるくらい、野田さんが一目惚れしたというのも頷ける、なかなかの美人です。
 
こうした風貌そのものよりも、素適な人だなと思ったのがその活動についてです。障害児施設などもボランティアでよく訪れていると言い、いわゆる政治家の奥さんという雰囲気は全く感じさせないようです。
 
そう言えば首相になった直後の会見で、野田さんは家族はどのように言っていましたかとの問いに、「まだ連絡が取れていません。先程、電話したら留守番電話になっていました」と、答えていたのを思い出しました。
 
そのくらい、あまり表にしゃしゃり出るのが好きでない、普通の人なのでしょう。今度の震災でも被災地へのボランティアに出掛けたと言います。それも政治家の奥さんという肩書きを伏せての行動だったと聞いています。
 
また実家は江戸川区の町工場だと言います。だからと言って、野田さんが就任後のこの訪米前、大田区の中小企業の町工場を訪れたわけではないでしょうが、少なくとも今までの中小企業などとは無縁の家系出身の方とは大違いです。
 
それから野田家の家計は全てこの奥様がやりくりしているそうです。総理になる前、財務大臣として国の会計を仕切っていた旦那を押しのけ、家でのやりくりを全てこの奥様が担っているというのも面白い話ですが、そのくらい当たり前の家庭なのでしょう。
 
是非、こうした庶民感覚で、国家の明日を左右する総理大臣である夫への、良妻賢母としての役割を担ってもらいたいものです。でもでしゃばりな方ではないと言いますから、きっと越権行為である、差し出がましい余分なことは言わないのでしょうね。

2011.09.22

風評被害 No.2078

いや-、昨日の台風は凄かったですね。浜松に上陸した後、我が地域も直撃しながら抜けていった関係で、雨というよりも風が物凄い勢いでした。
 
お陰で建物に取り付けられている看板がむしり取られるような被害はありましたが、比較的、軽微なもので済みました。でもちょうど夕方の業務中で社内におりましたので、風速30mを超えるような台風の怖さを実感したものです。
 
先日の台風で被害に遭った和歌山の地域などはどうだったでしょうか。土砂がせき止め作られたダムの決壊が心配されたところです。また都心でも交通機関がストップし、多くの人の帰宅の足を奪っていました。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
 
さて腹立たしいことが1つありました。愛知県日進市の花火大会で、福島県製花火を打ち上げることができなかったことです。これは一部の住民より、福島県製の花火は放射能を撒き散らす恐れがあるから、打ち上げないでくれといった苦情が寄せられ、市がそのまま認めてしまったのです。
 
当事者である日進市は、事後この問題に対する抗議が殺到している関係で、昨日になって慌てて謝罪会見を開き、今日22日に福島の花火業者へお詫びに訪れるとのことです。
 
全てやっていることが後手後手で、しまらない話です。風評被害の何者でもない話なのですが、まず当局である日進市が事前にしっかりとした対応を取っていたかということです。
 
福島の花火工場では品物は屋内に置かれていて、放射線も弱く全く問題になるようなことではなかったと聞きます。こうした情報も事前にしっかりと調査していれば、苦情が寄せられても毅然とした対応ができていたはずです。
 
それと何よりも残念で腹立たしいのは、こうした苦情を寄せてくる住民の感情です。先に福岡でも福島を助けようと開催された物産展が、住民の反対により中止になってしまいました。
 
こうした人々の感情がとても理解できません。逆の立場で、もし自分達が福島に住んでいたのなら、いったいどのような気持ちになるでしょうか。福島の人たちだって、すき好んでこうした事態になったわけではありません。というより、ある日突然降って湧いてきた悲劇による、大変な犠牲者なのです。
 
このことを少しでも理解していたのなら、とても冷たく突き放すような真似はできないのではないでしょうか。朝日新聞の天声人語にも書かれていました。ある人が寄せてきた歌に、桃買うを迷いてポップ確認す「福島」とあり迷わずに買う、との一首がありました。
 
手書き広告の産地名に店の心意気を感じ、思わず手に取る人がいるとの意味合いです。これが当たり前の人間としての感情で、思わぬ被災で大変なご苦労を強いられている方々への、せめてもの労わりと心情ではないでしょうか。

2011.09.21

イチロ-ピンチ No.2077

残り8試合で24本打たなければ達成できないとのことです。ご存知、我らのイチロ-選手がいよいよ追い込まれているような状況です。
 
もっともご本人はもうあきらめているかもしれませんが、10年連続200本安打を放っているイチロ-選手が、どうやら今年はその達成が望み薄となってきました。
 
何しろ残り試合、1試合で3本打たなければなりません。まあ、あのイチロ-選手だから必ずしも不可能なことではないかもしれませんが、相手のあることです。いくら打ちたくても勝負をしてくれなくては話にならないのです。
 
今シ-ズン、ここまでの成績は20日現在、打率・273、5本塁打、44打点と、本人にとっても納得のゆく数字ではないはずです。ただ盗塁は40の記録を残していますから、一概に年齢から来る衰えとも言えません。
 
でも動体視力などはやはり38歳の年齢では、全盛期と比べると同じとは言えないのではないでしょうか。何しろ150km以上の球を一瞬のうちにバットで捉えるのです。
 
そして、そればかりならこのレベルでは難しくないでしょうが、近年、カット・ファスト・ボールと言って、ストレ-トと同じ球速で、手元に来てから微妙に変化するボ-ルを投げる投手が、大リ-グでは増えています。
 
つい先日、大リ-グ記録となる602セ-ブを記録した、ヤンキ-スのマリアノ・リベラ投手などは、このボ-ルを最も得意としている投手の一人です。打者は直球だと思って打ちに行くと、手元で横に曲がったり、斜めや縦に落ちる為、バットの芯を外されてしまうのです。
 
どうもイチロ-選手も、今シ-ズンはこのボ-ルに悩まされたようです。それから大リ-グ全体に言えることですが、今年は投手の方がよかった、投高打低の年だったみたいです。
 
積み重ねてきた記録がここで途絶えるのは、本当に残念ですが、元々がとてつもない大記録なのです。それをイチロ-選手だからこそ、簡単のように成し遂げていたわけですので、あきらめもつくのではないでしょうか。
 
とにかく、イチロ-選手には大記録が途絶えても、また別の目標に向かって、息の長い選手としていつまでも活躍してもらいたいものです。そしてシ-ズン終了後はゆっくりと体を休め、来季に備えてもらいたいと願っています。

2011.09.20

国語の難しさ No.2076

先日の新聞に国語世論調査の結果が載っていました。それによると、「寒っ」などの語幹のみの形容詞や、「来れる」などの、ら抜き言葉がよく使われていることが判明されています。
 
また間違った言葉の使い方も指摘されていて、そのうちの幾つかは私も該当するものもあり、しっかりと正さなければと反省させられたものです。
 
まず語幹のみの形容詞ですが、やはりこの時代の若者の感性が、多分に影響が及ぼしているのでしょう。「寒っ」」もそうですが、「すごっ」や「短っ」、「長っ」また「うるさっ」などは、どちらかと言うと、私たちより若者の方が多用している言葉です。
 
これらはテレビを通じて耳慣れていることもあって、こうした言葉への抵抗感がほとんどないとのことです。そしてこうした語幹のみの形容詞の用法は、文法的には決して間違いではないとも言われています。
 
それから。ら抜き言葉もよく使われています。「食べられない」が「食べれない」、「見られる」が「見れる」また「出られる」というより、「出れる」という方がよく使われています。
 
この「出られる」という言葉などは、自分が出ることができるという意味より、むしろ相手の尊敬語として使う、「出る」という意味合いの方が強いような気がします。
 
こんなことで、日本語の味わい深さを改めて知らされたわけですが、結構、私たちはその言葉の意味合いを間違って使用しているケ-スも多いようです。いくつか次の使い方を試してみましょう。
 
情けはひとのためならず・・・①人に情けを掛けると、巡り巡って自分のためになる ②人に情けを掛けると、その人のためにならない
姑息   ・・・①一時しのぎ  ②ひきょうな
雨模様・・・①雨が降りそうな様子  ②小雨が降ったりやんだりしている様子
号泣する・・・①大声を上げてなく  ②激しく泣く
 
さてどうでしたしょうか、私はその意味合いをほとんど間違えていました。正解は全て①の方が本来の意味です。このように日本語は結構、気がつかないまま間違えて使っているものですが、誤りを指摘されたなら素直に直さなければいけませんね。少し勉強になりました。

2011.09.16

選ばれる会社とは No.2075

戸田建設が大手を向こうに回し、目ざましい受注を繰り広げているという記事を目にしました。「戸田がまた暴れた」と言って、大手ゼネコンの間で、準大手の同社が怖れられている存在となっているのです。
 
ここ数年、大学や公立、日本赤十字などの大型医療施設を相次いで落札しているのです。2011年の3月期の建築分野における、医療・福祉関連の受注実績では、決算等その資料によると、清水建設が1285億円、鹿島が878億円、大林組が730億円(5社のうち大成建設と竹中工務店は、詳細を非公表)に比べ、戸田建設は1326億円と大手を上回る実績を残していると言われています。
 
つまりこの分野では、東京都健康長寿医療センターや埼玉県立がんセンター新病院などを受注した昨年は、年間受注高が1兆円を超える大手ゼネコン5社を上回る、業界ナンバーワンの実績を挙げているのです。
 
この業界には詳しくはありませんが、このことはずいぶんと驚異的なことではないでしょうか。同業者である準大手の幹部話では、長年の実績と信頼がある幹部社員の力量がないと成約に結び付かない世界だと言われています。
 
従って戸田建設は成約できるだけの食い込んでいる組織力と、安価の受注力を兼ね備えているということになります。そして、もともと病院や大学の施設が得意とされているからとも言われています。
 
そもそも、その原動力は92歳で今尚、取締役を務めるオ-ナ-から生まれているようです。人員は大手の1/3に当たる5000人体制ですが、4年前に代表取締役会長を退いた、オ-ナ-の戸田順之助さんは創業者から3代目に当たりますが、20年間務めた会長を退いても取締役を辞めず、会社に残っているそうです。
 
つまり1945年に常務に就任して以来、66年間経営の第1線に携っているのです。その薫陶を受けた幹部は、優良なリピート客を増やすという営業路線を受け継いで、総合病院や大学本部の幹部への長年のトップセールスを怠りませんでした。
 
そしてこの8年間、2代続けて非同族の社長が就任し、一般社員に至るまで、統率のよく取れた他のゼネコンと一線を画する社風が培われたと言われているのです。
 
それを表わすエピソ-ドにこんなことがあります。就任4年の井上舜三社長は、ある東北の地方病院応札で、プレゼンテーション役を自ら買って出て、最後まで熱弁を振るったそうです。他の大手ゼネコン幹部は冒頭のあいさつ程度で、専門部署の幹部に説明を譲ったのに、細かな仕様まで全部自分で仕切ったと言われているのです。
 
ただ原稿を読むのではなく、頭の中にしっかりとその概要が詰まってなければ為せないことです。それだけ仕事に取り組む意欲とか姿勢が違っていることは、客先から見ても明らかではないでしょうか。
 
狙った獲物は逃がさず、社長という絶対的立場でも、権力を内向きに行使せず、外向きに「看板」を最大限利用するという体制が敷かれているのです。これでは強いはずですね。
 
改めて社長とは何かということを教えられたような気がします。とても比べようもない、我々零細企業でも、営業といった1点でも、社長の責任と使命が大きいことを痛感しています。私たち中小零細企業の浮沈はやはりこの社長の姿勢次第ですね。

2011.09.15

所信表明演説から No.2074

新首相である野田さんの所信表明演説が行われました。新しく開設された首相のブログ「官邸かわら版」によると、この原稿は予め閣議で決定し、事前に国会へ印刷物で配布しなければいけないと言われます。
 
そして一字一句、その原稿から離れてはいけないとのことです。そのため、聴いている人の反応を読みながら、アドリブを入れたり、勝手に変えることができないため、結構不自由だと書かれていました。
 
所信表明の中で、忘れてはならないことがあると、繰り返し呼びかけて、3つの心を打たれた事柄を挙げていました。南三陸町で自分が犠牲になりながら、最後まで津波からの避難を防災無線で呼びかけた、遠藤未希さんについて。
 
また家族が犠牲になったにもかかわらず、未だに災害復旧の陣頭指揮に立って、公務に励まれている那智勝浦町の寺本町長のこと。そして佐藤福島県知事から頂いた、DVDを見て感動した高校生の演劇のセリフについてです。
 
遠藤さんは呼びかけながら多くの人たちの命を救ったにもかかわらず、24歳の若い身空で、あの世に旅立ってしまいました。発見された遺体には、1年前に結婚した夫からのプレゼントである、ミサンガがその足首にしっかり巻き付けられていたと言います。何とも切ない、感動的な行為の代償です。
 
それから、台風12号による豪雨災害で、いっぺんに奥さんと、やはり24歳の娘さんを亡くしてしまった寺本町長も痛ましいケ-スです。奥さんから娘が流されたという電話が入ったにもかかわらず、災害本部の町役場から動けず、そのうちに奥さんまで行方不明となってしまったのです。
 
また悲しいことに、娘さんはこの日が結納を取り交わす当日だったのです。職場である町の観光協会では周りからも可愛がられ、仕事ぶりは真面目で、英語やフランス語が得意なため、熊野古道などを訪れる外国からの観光客たちをもてなしていたと言います。
 
余分な話ですが、この秋、同級生の仲間と、この熊野古道を訪れる予定でした。でもこのような事態では延期せざるを得ません。それから福島の高校生の創作劇は、「福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす」というセリフなどが入った感動的なものとのことです。
 
そのリンクが貼り付けられていたので、ここでも紹介させて頂きます。
http://www.youtube.com/user/fukushimasoubun#p/u/4/w-aLucdIXXI
 
とにかく、このような感動的な出来事を首相が述べたのにもかかわらず、その最中でも、国会内では大変な野次が飛び交っていました。これはいったいどういうことでしょうか。
 
せめて感動的なその話の時だけでも、静かに聴き入るぐらいの裁量がないものでしょうか。まるで人間性が欠如している塊りのようで、その様子を伝えるニュ-スを観て、あきれたほどです。
 
アメリカでは与野党とも、大統領のこのような所信表明演説では、野次もなく静かに聴き入り、終わった時は全員の拍手で迎えると言います。あまりにも情けない我が国の議員さんたちの実情を知り、これでは多くの期待はとてもできないと観念させられたものです。

2011.09.14

県大会出場 No.2073

朝晩はめっきり涼しくなりましたが、昨日あたりの日中の天気はどうでしょうか、まるで真夏の天候です。所によっては熱中症の声も聞かれました。被災地ではがれきを取り除いた後、草が一面に生い茂る中、秋の虫の音が聞かれるというのに、本格的な秋はいつ訪れるのでしょうか。
 
さて、母校がひさしぶりに秋の県大会出場を果たしました。1回戦、早々に強豪と言われた伊東商に敗れ、その出場を危ぶまれていたのですが、敗者復活戦にまわり、富岳館、三島南、三島、桐陽、そして5位決定戦で加藤学園を倒し、見事その権利を得たのです。
 
残念ながら仕事の都合で、その1試合も眺めていないことから、詳しい試合内容は掴めていないのですが、投手・中林くんが尻上がりに良くなってきていると聞いています。
 
ただ得点差だけを眺めてみると、敗者復活1回戦の富岳館戦9-2コ-ルド勝ちを除き、他の4戦、3-1、5-4、5-3、5-3と、どれも接戦で試合をものにしています。これはチ-ムに粘りが出てきた証しではないでしょうか。
 
こうして県大会出場を決め、その組合せも決まりました。東部5位の我が校は、17日の1回戦、掛川球場で、やはり西部5位の掛川東と対戦します。この学校は東高の現監督がこちらに赴任する以前に指導していた学校です。
 
それだけに少しやりにくいところがあるかもしれませんが、逆に言えば精神的にもあまりプレッシャ-がないものと思われます。思う存分、その手腕を振るってもらいたいところです。
 
そして1回戦勝てば中部1位の東海大翔洋の強敵です。でもこの秋の大会は新チ-ムだけに、それぞれの伸びしろが計り知れないものがあります。従って1戦ずつ、確実に力をつけて成長していくチ-ムが必ずあります。
 
我が校も是非、ここで大きく伸びるチ-ムの1つになって、強豪を倒すという波乱を巻き起こすことを願いたいものです。何よりも秋は、1回も負けられないという夏の大会と違って、何回か負けても、その負け方次第でチャンスが残ります。
 
願わくばこの県大会、優勝とまではいかなくても、何とか3位に残って東海4県出場を果たせれば、21世紀枠ということもあるし、大きな夢に近づくことができるのですが...とにかく母校の健闘をただただ願うばかりです。

2011.09.13

ちょっと良い話part82 No.2072

湯たんぽという、足元ばかりでなく心まで温まる、ちょっと良い話です。自分の両親が亡くなったりすると、どうしても親戚と言っても、だんだん縁が薄くなっていくものです。そんな絆を絶やさず、守っている話です。
 
ふるさと岩手での同級会は、実家に宿を頼んでの参加。40年ぶりの懐かしい顔もあり、話は尽きることなく、お開きは11時過ぎだった。

それでも甥夫婦は起きて待っていてくれた。遅くなったのを詫び、風呂を頂き、床に就いた。すでに部屋は温かくなっていた。スト-ブを消して床に入った足元に、ゴロリとした物が。何と湯たんぽが入っていた。

両親も亡くなって30年以上経ち、兄夫婦も3年前に相次いで亡くなり、現在は甥夫婦だけ。それなのにこんな温かい心づくしのもてなしを受けることができた。

仏間に並んでいる遺影に感謝の手を合わせ、嬉し涙が止まらない。体と心の芯まで温かくなった一泊でした。

 
実家に自身の親や兄弟がまだ存命な場合は、里帰りや所用での立ち寄りはまだしやすいものですが、このような世代が代わってくるようなケ-スになると、中には帰省しにくい場合も出てきます。
 
それだけにこうした心配りがとりわけ嬉しかったのでしょう。特に自分の親が亡くなってしまうと、その付き合いが疎遠になりがちです。
 
私もあまり言いたくないことですが、母親の兄弟である伯父や伯母の通夜・葬儀にはしっかりと参列し、お悔やみはしたつもりですが、跡取りである、同世代の従兄弟からは私の母親が亡くなっても、なしのつぶてです。
 
まあ、こんなケ-スはごく稀なケ-スでしょうが、せめて人間として顔を会わせても、まともに目を合わせることのできる付き合いはしたいものです。それだけに、ご先祖さんを敬い、せめて自分にできる限りの、縁を絶やさない、このような優しい心配りは是非していきたいものと思っています。

2011.09.12

あの日から半年 No.2071

あの大震災から半年が過ぎ去りました。被災地では依然として一向に進まない復旧で、今尚、多くの人たちが苦渋を強いられています。
 
そんな中、昨日のNHKのど自慢は被災地・岩手の久慈市からの中継でした。いつもより30分延長し、やはり被災地の宮城・福島からの参加者、各5名を加えた30名による特別番組でした。
 
この、のど自慢には少し泣かされました。出場者はほとんど、震災の影響を受けた方々ばかりで、やはり東北の方ですから、歌のうまい人たちが揃っていました。
 
そしてそれぞれの歌が、どれも身につまされるものばかりだったのです。「夕焼け雲」の、帰りたいけど帰れないとか、涙を拭いて抱きしめ合おうなどと、熱唱されると、こちらまで居たまらない気持ちになったものです。
 
中には特別賞を獲得した、家が崩壊し仮設住宅暮らしの人もいます。また9人暮らしの大世帯だったのが、東京や新潟、秋田など3箇所に今は分かれて住まなければいけない方もいました。
 
そんな辛い思いをしているのにもかかわらず、笑顔で元気よく唄う姿に、何とも言えない気持ちにさせられたものです。
 
また新聞にも「開業 青空コンビニから」という記事が載っていました。セブンイレブンのお店が8月6日になって、ようやくプレハブの仮店舗に移ったというお話です。
 
震災から2ヶ月経った後、経営者である夫婦は南三陸町の道路脇の青空の下、小さなテ-ブル一つでがれきの中に立ち、青空コンビニを再開しました。目の前をがれきを載せたダンプカ-が通り過ぎる影響で、家に帰ると髪の毛だけでなく、鼻や耳の中にも砂がいっぱい詰まっています。
 
なぜここまでしてやらなければいけないのか、その答えを教えてもらいました。夫婦は親類も誰もいない、この南三陸町に二人で15年前にコンビニを開きました。海が近いし、若者がいるからという見込みからです。
 
しかし完全にこの見込みは外れ、パ-ト従業員すら集まりません。そして廃業も考えた10年目になって、ようやく気づきました。都会のように不特定多数の来店を待つのではなく、人と人との繋がりで商品を買ってもらう、そんなお店でなければこの町では買ってもらえないことに。
 
こうして地域に溶け込み、受け入れられ始めた15年目の今年の春、津波に店舗を押し流されたのです。プレハブの店舗に通うお客が最初に向かうのは、商品棚ではなくレジに立ち寄り、「よっ、元気かい」と店主に声を掛けてから、買い物かごに商品を入れ始めると言います。
 
またこのお店のオ-プン後、陳列する商品も大きく変わったとのことです。近所の農家から頼まれた野菜とか、仮設住宅の仏壇に供えるお花や線香などが加わったからです。またどこの家にあるのが当たり前の商品もよく売れると言います。それだけ、生活の全てを押し流されてしまったからでしょう。
 
こうして単に商品を売るだけのお店ではなく、物と一緒に心まで支え合って、地域の人との大切な絆を守って、復興の足がかりともなっているわけです。のど自慢の出演者同様、いち早い、多くの方々の明るい笑顔の訪れる日を心から願うものです。

2011.09.09

五輪出場 No.2070

なでしこがロンドン五輪出場を決めました。昨日、対北朝鮮戦では終盤のロスタイム、後3分という時間帯になって同点のゴ-ルを奪われ、惜しくも引き分けとなりましたが、その夜の試合、中国がオ-ストラリアに負けた為決定したのです。
 
でも疲労がピ-クに達していたのでしょう、この北朝鮮戦では終始、相手のペ-スで試合が運ばれていました。できる限りバックを含む全体を押し上げ、攻撃的なサッカ-に徹していた北朝鮮は、年齢的なものもあって、動きも最後まで鋭く、なでしこお得意のパス回しも封じていたくらいです。
 
今回はこれで出場を決めたからよいものの、これから韓国と並び、北朝鮮は嫌な相手になるのではないでしょうか。それにしても、その前の試合までの5日間で3試合を含み、8日で4試合の強行軍です。しかもそのほとんどが夜ではなく、日中の時間帯です。
 
これなどは主催国である、中国に仕組まれたのではないかと思ったほどです。この地元である中国は、ほとんど夜の時間帯で、涼しいときをあてがっていたからです。
 
もっとも昼間も予想していたほど、暑くはならず助かりましたが、連戦での影響はピッチコンディションと併せ、かなりしんどいものだったようです。
 
でもこうした大変な要素も克服して、見事、五輪出場を決めたなでしこのメンバ-はさすがです。前回少し触れたように、ワ-ルドカップで優勝を勝ち取ったゆえに、どうしても負けられないというプレッシャ-は小さなものではなかったはずです。
 
また五輪出場を決めてから出て来たニュ-スによれば、佐々木監督も、もし出れなければ監督を辞任する覚悟でいたとのことです。いくらW杯チャンピオンとはいえ、五輪の出場権を得られなかったら、また、ただのチ-ムに戻ってしまうからです。
 
そういった意味では、監督が言われるように、眠れない毎日が続いていたのかもしれません。何はともあれ、出場できて何よりです。来年に迫った五輪では、今回の北朝鮮戦で示されたように、押し上げられた素早い攻撃や、当たりに対する対策や課題が突きつけられました。
 
是非、もう一回、ゆっくり時間を掛けて鍛え直し、美しいなでしこのサッカ-を見せてもらいたいものです。またそれが多くの人が望み、期待しているところです。

2011.09.08

父と子 No.2069

地元の新聞によく投稿をされている、眼科医の方がこんなことを書かれていました。
 
父と子という題の、このような内容です。出掛けたある温泉場での出来事です。露天風呂に入ると、小学校2、3年生ぐらいの男の子がたった一人で湯船に入っていました。
 
どこから来たのとか、何気ない会話をいくつか交わした後、この少年をよく見るとタオルを着けたまま、湯船に入っていることに気がつきました。
 
先生はちょっと迷ったのですが、少年にこう伝えました。「僕、湯船の中にタオルは入れないほうがいいよ。みんなが入るのに、お湯が汚れるからね」こう言った途端、少年は素直にタオルを湯船から出しました。
 
しばらくすると、この少年の父親が入ってきたのです。そして少年と同じように、タオルを着けたまま湯船に入りました。並んで湯に浸かっていた少年は、父親に問い掛けました。
 
お父さん、湯船の中にタオルを入れてもいいの」、「別にかまわないさ」 二人と対面する形で湯に入っていた先生は、少年の様子を観察していました。父親の返事を聞いた少年は、それでも外に出していたタオルを再び湯の中に入れようとはしませんでした。
 
そして湯から上がった脱衣所で、父親から離れた少年に先生はこう言いました。「僕、偉かったね」、少年は少し、はにかみながらも嬉しそうに出て行ったのです。
 
こうした、小さな何気ないやりとりかもしれませんが、爽やかな話ではないでしょうか。先生がこの少年にこうしたアドバイスを送らなければ、きっといつまでも気がつくことがなかったでしょう。
 
まして父親がそのことに全く気がついていないのですから、尚更のことです。この話を読んで、このような先人からの教えや言い伝えを、正しいことであれば後世に、特に自分の子どもですら伝えきれていない親が多いように思えます。また気がついていないとも言えるかもしれません。
 
そしてもう一つ、他人から教えられたことと、父親からの言葉が食い違い、少年なりに心の中で小さな葛藤があったのではないでしょうか。それを小さな胸で受け止めた後の対応は、見事でした。
 
私たちはこの先生のように、正しいと思ったことはやはり、これからの時代を担う世代に、たとえ勇気が要ることでも伝えていかなければなりません。それが今の世に生きる責任として、思いやりと優しさを社会に育むことに繋がっていくのではないでしょうか。

2011.09.07

納豆への思い出 No.2068

昨日は軽井沢に工事で出掛けたのですが、やはり現地は涼しいですね。朝4時ぐらいにこちらを出発したのですが、向かう途中、清里を抜けて野辺山に差し掛かる辺では、道路付属の気温表示が13℃を示していました。
 
そして現地でも朝早かった為か、半袖の出で立ちでは少し涼しく、日なたが恋しかったくらいです。それでも向こうの方の話では、やっとそれらしい天候になってきたようで、今年の夏は暑かったと言われていました。やっと秋になってきたという感じでしょうか。
 
さて雑誌に納豆のことを取り上げた記事が載っていました。学生時代、その頃は今のように出来合いの惣菜を売っているお店がありませんでした。
 
従って貧しい独身者としては、モヤシぐらいしか求めるものがなく、八百屋で買ってきては油で炒めてご飯のおかずにしたそうです。でも先輩から、栄養失調になるぞと忠告されたので、豆腐に目を向けました。
 
安くて栄養価があり、生でもいいし煮て食べても飽きません。でも今のように日持ちがする真空パックがないため、買い置きができません。そこでこの納豆に注目したのです。
 
そして毎日、明けても暮れても納豆、納豆の生活となったのです。こうして、他にも二人の納豆好きが寄り集まり、ついには日本全国の納豆を食べ歩きする、「大日本納豆党」なるものを結成したというのです。
 
面白かったのは、公園の木陰で、この納豆を食べ比べする品評を行っていたときのことです。誰かが通報したらしく、警官に不審訊問されたそうです。アイスクリ-ムならまだしも、納豆を真面目な顔をして食べ比べしている様子が、いかにも怪しかったのでしょうね。
 
そして仕事で世話になっている印刷会社の専務が以下のような、納豆にまつわる思い出話をしてくれたそうです。
 
昭和33年の冬、学生服姿でアルバイトの納豆売りをして頑張ったが、1ヶ月も続かなかった。1本10円で売り、朝早く自転車を走らせて、ナット、ナットオと大声で呼びながら売る。ナットオ-、と語尾を伸ばすのがコツでね。
 
そしてこんな秘話も披露してくれました。東京の下町をテリトリ-に売り歩いたのだが、ある家のお嬢さんに一目惚れしてしまった。品のよい美人である。

毎朝、けなげにも自宅の前を掃除している。挨拶を交わすだけの仲だ。ある日、呼びとめられた。納豆を下さい、と注文された。専務は真っ赤になった。嬉しさと恥ずかしさが一緒くたである。それきり、娘の家の前を通れなくなった。

 
何とも古き良き日本が感じられる話です。ちょうど3丁目の夕日の世界でしょうか。私も幼き頃、売ったことはありませんが、この納豆売りの声はよく聞いていたものです。
 
ワラに包まれていた納豆の香りが、何とも言えないほど、ほんのりとした記憶に残っているものです。ちょうど「寒い朝」の、大好きだった吉永小百合さんを思い出させます。古き良き郷愁に浸るのは老化現象の始まりかもしれませんが、今では感じられない日本の良さを思い起こさせられました。

2011.09.05

頑張りがその将来を変える No.2067

ノロノロ台風が和歌山県はじめ近畿地方に多くの被害をもたらしました。これは何よりも雨が凄く、その記録的な降水量から、河川の氾濫や土砂崩れを招いたからです。被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 
毎日のようにテレビを賑わせていた、世界陸上が終わりました。ボルトの200m決勝がいつ始まるのかと、なでしこの韓国戦を観ながら、何度かチャンネルを切り替えた、落ち着かぬ日もがあったくらいです。
 
また昨日のマラソンに出場した、埼玉県職員の川内優輝選手も、後半必死な粘りで日本の団体銀メダルに貢献しました。実業団に所属しない市民ランナ-なだけに、多くの人から期待され、注目が集まっていて、結構プレッシャ-もあったでしょうが、よく頑張ったと思います。
 
今回の出場に関しても、有給休暇扱いとのことで、明日6日からは通常通りの出勤となるようです。このようなサラリ-マン選手で、練習も限られていて、なかなかできないことから、本当によくやったと言えるのではないでしょうか。
 
さてタイと韓国に2連勝した、なでしこについてです。メンバ-を落としたタイ戦はともかくとして、土曜日の韓国戦は少しハラハラさせられました。良い流れだったのは前半の開始早々の時間帯だけで、特に後半など、本来の綺麗なパス回しも見せれないほど、終始韓国のペ-スになっていたように思われます。
 
やはり少し疲れているのでしょうか。何しろ今日のオ-ストラリア戦まで、5日間で3試合という強行軍です。またそれに加え、世界一となり勝ちを義務付けられている、今までとは違ったプレッシャ-もあるからでしょうか。
 
ちょうど今から3年前の北京五輪、準決勝でアメリカに、そして3位決定戦でドイツに敗れたといっても、このなでしこのメンバ-の間では、口惜しさどころか、ここまでやれたという満足感すら漂っていたようです。
 
それが今回のワ-ルドカップで、早い段階で強豪ドイツを下し、準決勝でスウェ-デン、そして決勝で24戦して一度も勝ったことのないアメリカまで破り、その頂点に着いたのです。
 
これは真の実力がNO.1となったわけではないにしろ、たった3年で、その立場が大きく変わったことには違いありません。何しろ対戦チ-ムの挑み方が変わってきて、今までの追う立場から追われる者となったのです。これは大きな違いではないでしょうか。
 
それでもこうして苦しみながらも、何とか試合に勝ち、勝ち点3を獲るのはさすがです。北京五輪で日本に勝ったアメリカの女性監督が、こう言って日本チ-ムを褒め称えたそうです。
 
「なでしこのサッカーは女子サッカーの未来である」その言葉どおりの結果を出しつつある、なでしこのサッカ-だけに、本来の流れるような、美しいパス回しのサッカ-を今日のオ-ストラリア戦では是非見せてもらいたいものです。
 
それが川内選手ではないのですが、まだまだサラリ-マン選手の多い、日本女子サッカ-界のこれからを大きく変えていく、望んでいるところに繋がるのではないでしょうか。
 
明日は早朝より、軽井沢にモノレ-ルの工事で調整依頼があり出張します。カキコミは休ませて下さい。

2011.09.02

ちょっと良い話part81 No.2066

父からの電話という、ちょっと良い話です。少し長文になっていますが、そのやりとりの情景が目に浮かぶようで、ほのぼのとした気分にさせてもらいました。
 
「お前、明日は仕事何時に終る?」仕事で東京に住む私の元にかかってきた1本の電話。それは生まれて初めて父親からもらう電話だった。父は仕事で客船に乗っていて、明日東京に来るから、母から預かった荷物を持ってくるという。

普段から無口な父は、電話でも用件を言うとすぐに切ってしまった。狐につままれたような気分になりながらも、久しぶりに父に会えることを楽しみにした。

父は私が幼稚園に上がる時に母と結婚した。つまり私と父には血のつながりがない。その後、弟と妹が生まれたが、わけ隔てなく接してくれていた。もちろん口数が少ないために、あまり話しをした記憶などなかったけれど、幼い頃に熱を出した私のために、熱いミルクを作ってくれたのを良く覚えている。

そんなことを思い出しながら待っていると、大きな手提げ袋を抱えた父が改札を通ってきた。「飯食いに行くか。なにが食べたい?」ごく当たり前のように、夕食を一緒に食べようと言う父に若干とまどった。

家に居たころにそんなことを言われたことがなかったからだ。とっさに思い浮かばず口ごもっていると「食べたのか?お腹空いていないのか?」と聞いてくる。

こんなに話す父は初めてだったが、なんだか嬉しくなった。駅ビルの中にあるトンカツ屋で、一緒にトンカツ定食を食べた。『職場はどうだ?』『人付き合いは大変じゃないか?』『新人なんだから礼儀はきっちりしておけよ』食べながら社会人としての心得や、お互いの仕事の話をした。

父はこんなに話す人だったのか・・・。と驚きながら、仕事という共通の話題ができたことが嬉しかった。食べ終わると、荷物を持ったまま私の電車はどれか?と聞いてきた。

「女子寮だからね・・入れないよ!」と言うと、乗り継ぎの駅まで送ると言う。大きな袋は重そうだったし、父とこんなに話をすることもないので言葉に甘えて帰りの電車に乗った。最後の乗り継ぎ駅は蒲田だった。

そこで父は大きな袋を私に渡すと「こっちの冬は寒いぞ。そんな格好じゃあ風邪をひくぞ。もっと暖かい格好をしなさい」と言って、今来た電車のホームに歩いていった。「またこっちに来るときは電話してね!」と声を掛けると、照れたように笑って改札を通っていった。

大きな荷物は意外に重く、寮までの歩きは大変だったけれど、帰宅して開けてみると缶詰やらレトルトパックの食品だった。「母さん、父さんから荷物貰ったよ!ありがとう♪こんなにたくさん・・」と実家の母に電話をかけた。

「すぐあえたの?大丈夫だった?」という母に、父に食事をご馳走になったと言うと、やっぱり母も驚いていた。「缶詰とか食品はわかるけど・・お菓子まで入れて・・こっちでも買えるのに」と笑うと「え?私はそんなの入れてないよ」という母の声。

まさか、父が?なんだか胸がキュンとして、母と二人で笑いながら涙がこぼれた。「ねぇ、母さん、父さんの船に電話できる?」と聞くと「そうね、電話してあげたらいいよ」 そういって、船の電話番号を教えてくれた。

父が船に着いたころを見計らって、母から聞いた電話番号に電話を掛けると、すぐに父を呼び出してくれた。「ちゃんと着いた?」 ちょっと照れながら話す私に「当たり前だろ、大人だぞ!お前より電車には慣れてる!」 相変わらずぶっきらぼうな口調で答えてくる父。

「今日はご馳走様でした。」 「おぅ!」 「それから、荷物ありがとう」 「おぅ!」 「荷物の中の、お菓子もありがとう」 「・・・おぅ!お前、そんなことで電話してきたのか?」 電話の向こうの声がちょっと照れているのがわかった。

 
近頃、虐待などの悲しい事件がよく聞かれます。血が繋がっていようが、いまいが関係ない、これが本当の親子なのでしょうね。世の中、全てこういけばいいのですが...

2011.09.01

とうとう息切れ No.2065

とうとう息切れしてしまいました。何年も応援し続けている、愛する球団・ヤクルトだけに、ずっとその力がホンモノかどうか心配していましたが、その当たって欲しくない予測が現実となってきたのです。
 
一昨日は今季初めての延長戦負けで、小川監督の誕生日も飾れず4連敗でした。そして昨日も負けて、いよいよ尻に火がついてきたという感じです。一昨日の試合では、守護神・林昌勇がランナ-を2塁に置いての暴投で、一挙ホ-ムまで帰ってきてしまったのです。
 
これなどは2塁からまさか帰ってこないものと思った、ちょっとした油断を突かれたものです。またエ-ス・館山投手が故障で離脱しているのも、少し痛いところですね。
 
一方、対する巨人や阪神が元気になってきましたね。昨日の時点では2位巨人と1.5差、3位の中日・阪神とは2.5差、そして5位の広島までが3.5差という、5球団がもつれるような展開となってきました。
 
これも戦力的には公平な目からすれば、やっとそれぞれが本来の実力を発揮してきたように思えるものです。特に巨人は、この8月、17勝8敗1分けと大きく勝ち越したのに比べ、ヤクルトは7勝15敗3分けと全く逆の様相です。
 
これでは最大12ゲ-ムもあった差が1.5に縮まるわけです。まさしく魔の8月だったわけですが、今日からは月も替わり、嫌な流れを断ち切りたいところです。
 
これも見方を変えれば、どん底のチ-ム状態だったのに、まだ首位にいるとはある意味、ラッキ-とも言えるのではないでしょうか。唯一、期待の持てるのは投手陣がまだ若いことです。
 
由規をはじめとして、村中、増渕、七條、久古などの若手が苦手な暑い夏を乗り越え、本来の力を取り戻してくれば、石川、館山両エ-スに掛かる負担がもっと軽くなるというものです。
 
とにかく、折角ここまで首位で持ちこたえてきたのですから、何とか、もうひとふん張りしてもらいたいものです。パリ-グでは今、楽天が頑張っています。どちらのチ-ムも派手さはありませんが、人を引きつける魅力は持っています。
 
その小さくても、コツコツと野球のセオリ-通りやっていれば、栄冠だって掴めることを証明してもらいたいものです。大型チ-ムばかりが勝っていても面白くないし、楽天やヤクルトのような球団が勝つのも、ある種の勇気をもらえるのではないでしょうか。

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