社長の三行日記

2011.08.31

大丈夫 No.2064

よく使われている大丈夫という言葉は、危険や心配がなく安心できたり、間違いなく確かなさまを言い表わします。その言葉は元々、中国で生まれ、立派な男子のことをそう呼んでいたそうです。
 
大丈夫という言葉の中で、「丈」は長さの単位のことで、周尺では約1.7mで成人男性の背丈に当たります。また「夫」は「おっと」という意味合いではなく、男性を意味し、中国では成人男性を丈夫と呼んでいるとのことです。
 
この立派な男子を意味する大丈夫について、孟子は次のような格調高い定義を残しています。
 
天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行く。志を得れば民とこれに由り、志を得ざれば独りその道を行う。富貴も淫すること能(あた)わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈すること能わず、これをこれ大丈夫と謂う。
 
その意味は、天下を広い住居として、天下の真ん中に立って、天下の大道を歩む。目指す地位を得れば人民とともに道を実現し、その地位が得られなければ自分ひとりで道を行う。
 
富貴にも迷わされず、貧賤にも挫けず、威武もものともしない。こういうのが本当の大丈夫なのだ。
 
まさにこれは国のトップに求められているものでしょうが、ここまで望むのは今の世、ほとんど不可能だと思いますので、こうした気概を持たなければいけないと言うことでしょう。
 
休日を除き、雨の日や風の日も25年間、船橋の駅前に立ち人々に訴え続けたという野田さんですから、その気概はとても小さなものではないはずです。継続は力なり、期待を少し持てるのではないでしょうか。
 
この大丈夫を外した例と、見事にその期待に応えた例を、韓国・テグで開かれている世界陸上選手権大会に見ました。絶対大丈夫どころか、その世界記録更新を期待されていた、ウサイン・ボルトがまさかのフライングで失格となったのです。
 
これは今シ-ズンからフライングが1回で失格に変わったとはいえ、会場に詰め掛けた多くの観客のみならず、テレビの前で釘付けとなっていた私たち、多くのフアンを失望させてしまったのです。
 
その反対に、80mを超えたのがここ1~2年なかったと言われる、ハンマ-投げの室伏広冶選手が、1回目から今季自己ベストの投てきで、6投中4投も80m超えの見事な優勝を飾りました。
 
36歳にもなるベテランで、調子を落としていたとも言われていたことから、大丈夫かなと思われていた懸念を見事に打ち払ってくれたのです。その調子を大きな大会である今回に合わせていたようで、インタビュ-からも、堂々たる見事なチャンピオンだったと思います。
 
このように絶対的な大丈夫を外すアクシデントには大きな落胆や失望が、また多少の不安があってもそれを見事に乗り越えた結果には、惜しみない賞賛と感動が伴うものです。でも喜びと感動はいいにしても、今回のボルト選手のような失格はとても寂しく、哀れに思えるものです。

2011.08.30

どじょうの勝利 No.2063

決選投票の行方は野田さんに軍配が上がりました。215対177の票差です。やはり1回目では決着がつかず、予想通りの1位だった海江田さんは票を伸ばせず、珍しいケ-スとなりましたが、2位の野田さんが大逆転勝利で手中にしたのです。
 
この結果を見て、正直、意外と民主党も、まともだなと思ったものです。もし海江田さんだったら、どうだったでしょう。大派閥の小沢さんが後押ししていたのですから、その後は目に見えるようです。
 
海江田さんは操り人形のごとく、裏で糸を引かれていたのではないでしょうか。口の悪い人はそれを海江田政権ではなく、かいらい政権と呼んでいたくらいです。それともう一つ、海江田さんの選挙用の政策パンフレットが小沢さんのときと、瓜二つだと言われているのです。
 
私たちには約束がある。国民の生活が第一。海江田万里」が、昨年9月の代表選で作った小沢さんの「僕には夢がある。国民の生活が第一。小沢一郎」というパンフレットにそっくりだというのです。
 
これを民主党員の多くの人たちが嫌った結果だったのではないでしょうか。こうして今日にも代表となった野田さんが、第95代総理大臣として首班指名を受けるわけです。
 
この野田さん、代表になってから俄かにクロ-ズアップされるほど、どちらかと言うと地味な方なのですが、ご自身をよくわきまえている人との印象を持ちました。知らなかっただけに、以前のパフォ-マンスを繰り返す人たちと違って、少しやってくれるのではないかと期待を持てたものです。
 
代表選の演説でも、自分をどじょうに喩え、「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」という、あいだみつをさんの詩を引合いに出し、金魚が前原さんのことを指すかどうかは分かりませんが、とても金魚にはなれない自分は泥臭く汗をかいていくしかないと述べています。
 
こうした己を知り抜いている人だからこそ、また落選や、鳩山内閣のときの不遇とも思える副大臣などの経験を経て、今に生かされているのではないかと思われます。
 
とにかく、かつての数や力による政治の選択ではなかったことに、少し明るい兆しを覚えたものです。そして願わくば経済状況をよく見極めた上での、財務官僚主導ではない増税論議を図ってもらいたいと思います。またその慕われている人間性から、いかに脱とか反ではない党内融和を図れるかがポイントでしょうね。

2011.08.29

決選投票の行方 No.2062

いくらコップの中の嵐と言っても、選出された代表は次期総理大臣を担うわけですから、全く無視するわけにはいきません。嫌でも何でも今日の民主党両院議員総会を経て、午後にはその代表が選出されることになっています。
 
大方の予想はまず1回目の投票で、小沢さんが推す力を頼りに、海江田さんの第1位は覆らないというものの、過半数までは達しない為、上位2名による決選投票が確実視されています。
 
この第2位が誰かというのが焦点のようで、昨日と今朝の段階ではもう見方が変わっているくらいです。今朝の新聞では野田さん有利と伝えられていますが、昨日の時点では漁夫の利のような形で、決選投票となれば反小沢の前原・野田の両氏ではなく、中間派をまとめている鹿野さんが手強いようなことが書かれていました。
 
ですから、いくら第1回で海江田さんが票を集めても、2位以降がまとまるような形になれば、決戦投票で勝てるとは言えないわけです。むしろそのキャスティングボ-トを握るのは、どこの派にも所属していない100名余りの人たちではないでしょうか。
 
とにかく誰がなっても大きく変わらないだろうと前回書きましたが、次のことだけは何を置いても、即実行してもらいたいものです。
 
何よりも被災地の早急な復旧・復興の支援です。大きな被害の出た東北の各地では、未だに仮設住宅が足りないなどの話も聞かれ、いったい半年が経とうとしている現在、政治は何をしていたのかということです。
 
そして将来的に被害に遭った土地をどうするのか、やむなく捨てざるを得なくなってもその代替地をどうするのか、これは単なるそれぞれの行政や、自治体に任せておけばいいといったことではなく、国家がきちんとビジョンを示すことだと思います。
 
また福島原発事故の影響を受け、避難している人たちに対しても、いったいいつになったら戻れるのか、戻れないのか、また農産物や畜産等の生産者の具体的な保護対策など、早急に手を打たなければいけないことが山積しています。
 
これらのことに何の対策も打てず、ただ、おめおめと自身の延命依存だけに時間を割き、無駄に過ごしていた菅さんがやっと辞めるわけですから、是非とも早急に手を打ってもらいたいものです。
 
それでなくてはもう民主党など、誰も見向きもしなくなるのではないでしょうか。とにかく、元々無理があったマニフェストの実現など、期待をしている国民は少ないだけに、「今できること」に全力を挙げて取り組む必要があるものです。

2011.08.26

ちょっと良い話part80 No.2061

昨日は終日、試運転の立会いでお客様のところに呼ばれていましたので、カキコミができませんでした。どうぞご容赦下さい。
 
民主党では次期代表選出馬で、前原さんがようやく名乗り出ましたが、一部スポ-ツ誌等新聞ではこのことより、紳助さん芸能界引退の方が大々的に報じられていました。
 
何か今の日本の政治を象徴しているようで、コップの中の嵐というか、国民が全く不在の中、「勝手にどうぞお好きなようにやってくれ、どうせ誰がなっても大きく変わることはないだろう」というのが、大半の見方ではないでしょうか。
 
どちらの話題にも敢えて触れないで、今日は久しぶりにちょっと良い話・譲る気持ちの余裕という、今は亡き法人会の大先輩の話を紹介させていただきます。
 
私たちは生活の中で車を運転することが不可欠となっています。沼津市内を走っていると、横断歩道で渡ろうとしている人を見かけますが、ほとんどの車はただ通り過ぎるだけで、歩行者に気がつく車も少ないのが現状です。

運転者も歩行者の立場に立てば、ちょっとの時間を歩行者に譲ることによって気持ちの余裕ができます。また、譲ることは歩行者、運転者お互いの交通安全となり、譲ることがお礼を言うことにつながると思います。

先日も市内を走っていて、歩行者に横断歩道の手前で止まったときに会釈をされました。運転している自分が何故かうれしくなりました。また、小学生には大きな声で、「ありがとうございました」と言われたときの清々しさは何とも言えません。

ただし気をつけなければいけないこともあります。譲るときに対向車にも歩行者が渡ることを知ってもらうために、パッシングなどをしなければなりません。

お互いが気持ちよくなるため、また、交通安全のためには気遣いが必要となります。自分が気持ちいい毎日を過ごすために、また沼津市が日本一歩行者に優しく、運転が楽しいまちになれるように、心のどこかに留めておきたいと思います。

 
筆者が言われるように、何よりも余裕を持って運転を心掛けたいものです。時間的にもいっぱい、いっぱいで動いていると、心の余裕など全く持てるものではありません。
 
またそうした時に限って、思わぬ不測の事態を招きがちです。往々にして事故の起きるときはそんなケ-スが多いものです。また歩行者の立場に立ってみると、折角車が停まってくれたのですから、会釈をして、できれば速やかに渡りたいものです。
 
とにかくお互いの思いやりでしょうね。雨の日なども、全く人が通っていてもお構いなしに、すぐ脇をスピ-ドを緩めず通り過ぎていく車が少なくありません。自分さえ良ければいいという類でしょうが、そんな人に限って、今度は逆の立場できっと辛い目に遭っているのではないでしょうか。

2011.08.24

富士山登頂 No.2060

この連休工事でカキコミのお休みをいただく少し前、初めての富士山登頂に挑戦しました。無事、登頂は極めたものの、こんなはずではなかったという結末は、少しあとで述べさせていただきます。
 
夕食を終えて自宅を出発したのが午後10時頃、友人と二人で富士宮口か須走口か迷った挙げ句、比較的空いているだろうと読み、須走口から登ることにしました。
 
と言っても、2台でそれぞれ移動し、1台は御殿場口の駐車場に留め、もう1台で二人が須走口まで向かったのです。でも到着した須走口の駐車場は既に満車となっており、引き返してきて皆が停めている路肩しか留める所かありませんでした。
 
それでも須走口がこんなでは、富士宮口ではとても留める所はなかっただろうと、二人で胸を撫で下ろしたものです。そして車を停めた後、少し仮眠を取り、午前2時過ぎにいよいよ出発したのです。
 
でも眠れたのは私だけで、友人はほとんど眠ることができず、ただただ私のいびきを耳にしていただけと言っていましたが...そんなわけで風もなく絶好のお天気の中、出発できたのです。
 
富士山の4つの登山ル-トのうち、この須走口が標高2000m、そして一番高い所にあり登り易いと言われている富士宮口が2400m、またツア-客などが多く押し寄せる、山梨県側にある富士吉田口が2300mと言われています。
 
従って昨年挑戦して失敗した御殿場口は何と標高1400mと言われていますから、ずっと下方に当たるわけで、その過酷さはやはり初めてでは無理だったんでしょうね。

こうしてまさに晴天のお陰で、星が降ってくるような、近年眺めたことのないような素適な星空を眺めながら、一路山頂を目指したのです。途中、6合目を過ぎた当たりだったでしょうか、山中湖を眼下に見下ろすその先から綺麗な日の出も拝むことができました。

そして8合目からは、今までのまばらな登山客が打って変わって急に賑やかになりだしました。これはここで富士吉田口からのル-トと合流する為です。

静かにいろいろと物思いに耽りながら、叙情的に歩いていた今までとは違い、急に俗化したような人々の群れに入りながら、今度はついて行くしかありません。こうして9合目過ぎあたりからの岩場が続く、最後の難関を乗り越え、何とか頂上にたどり着いたのです。

時は10時45分、須走5合目を出発してちょうど8時間半の所要時間です。ですから途中、朝食を含む休憩を何度か入れたにしても、そんなに早いペ-スではありません。これは初めての富士山でもあるし、慌てて登って起こるという高山病を気に掛けていたからです。

やれやれ、ならなくて済んだと安心して昼食をとり、そろそろ帰り支度をするかと思い始めた頃、ちょっと変なのです。何か少しムカムカするような感じがしてきました。
 
気のせいだろうと、あまり気に掛けず、帰りのル-トにつき下り始めました。帰りは御殿場口に抜ける、途中7合目から大砂走りを通るコ-スです。ですから3時間もあれば下まで着いてしまうのではないでしょうか。

よし、早めに帰れるかもと思いながら下山していた途中、比較的ゆっくり歩を進めていたとは言え、脚は重くなるし、気持ちはどんどん悪くなってきたのです。そして頭が痛くなってきたわけですから、そうです、これが高山病なのです。
 
従って歩いては休み、また一歩きしては休むという、牛歩の歩みになってしまい、友人には大変迷惑を掛けてしまいました。そして大砂走りも、とても一気にとはいかず、何回か休んだ後、6合目ぐらいだったでしょうか、いよいよたまらなくなって吐いてしまったのです。
 
でも不思議ですね。吐いた後のほうが少し楽になってきたのです。それにしても体調の良い時ならまだしも、大砂走りの長い距離はこたえました。こうして重い脚に鞭を入れながら何とか、5合目まで辿り着いたのです。時既に5時半を回り、辺りはうっすらと暗くなり始めていました。
 
まさに高山病の症状そのもので、5合目ではほとんど何でもないのです。こうして紹介が少し長くなってしまいましたが、富士山への初登頂は一番気にしていた高山病との戦いという、思ってもみない結末となったのです。でもこれで怯んでは癪ですから、再度、万全の備えで、捲土重来を期したいと思っています。

2011.08.23

甲子園大会を振り返って No.2059

長い間、出張工事・試運転等でお休みを頂いていました。ようやく今日は会社にも居ることができるほど、何とか順調な進み具合となっています。でも今まで手掛けたことのない、サ-ボ制御等を含んでいる為、まだまだ安心はできないものです。
 
さて夏の甲子園大会が終わった途端、雨が多い日が続いているようです。ちょっと時間を置いたため、色褪せてしまった甲子園の話題ですが、「がんばろう、日本」をスロ-ガンにした今大会だけに、最後まであきらめない、白熱した好ゲ-ムが多かったものです。
 
特に忘れられないのが、優勝候補の一角であった帝京高を下した、八幡商の試合です。8回まで2塁すら踏ませない完璧なピッチングを続けていた、帝京2年生投手・渡辺くんが、まさかの逆転満塁本塁打を八幡商・遠藤君に許し、敗れ去ったゲ-ムです。
 
この試合、帝京はエ-ス・伊藤投手を温存し、3回戦に備えました。この采配がズバリと当たり、この9回を除いては文句なしの投球でしたので、誰もが帝京の勝ちと踏んでいたのです。
 
でも野球には魔物が棲むと言われているとおり、勝ちをあせったのでしょうか。1死満塁から内野のエラ-で1点、そして右打者にライトポ-ル際に放たれた本塁打が決勝点となったのです。
 
一瞬の油断を突いた、八幡商の最後まで絶対あきらめない、粘りと執念によるものでした。これだから高校野球は人々に大きな感動を与えてくれるのでしょうか。まさにこれぞ、甲子園というドラマでした。
 
またこの帝京と同じく、やはり優勝候補と目されていた日大三高が、予想通り勝ち進み、深紅の大優勝旗を手にしました。戦った6戦、全ての試合に2桁安打の強打と、エ-ス吉永君を中心とした堅守で、文句なしの堂々たる勝利だったと思います。
 
まさに勝つべくして勝ったという、高校球児全てが目指すお手本のチ-ムになっていたのではないでしょうか。とにかくこの日大三高をはじめとして、今大会は好投手が多かったように思えます。そんな中で、秋田・能代商の保坂投手が特に印象的でした。
 
秋田勢としては14年ぶりの初戦突破のみならず、2回戦も勝ち3回戦まで進みました。惜しくも広島・如水館に延長の末、敗れましたが、豪腕投手でもない保坂君に高校野球のヒントを感じたものです。
 
スピ-ドは120km台、最速でも131kmです。昨年、鹿児島実業に0-15と大敗した後、その口惜しさをバネに猛練習の中、ボ-ルのキレを追い求めたそうです。
 
スピ-ドはそんなに変わらなくても、キレのある低めのストレ-トが両コ-ナ-に決まり、対戦した打者が手元で伸びてくるため、振り遅れていることもあったのです。
 
このように豪腕投手でなくても、コントロールや変化球の切れ、配球さえしっかりしていれば強打者でも抑えられるということを、彼が教えてくれました。一握りの投手を除く、ほとんどの投手に言えるだけに目指すべきお手本のように感じたものです。
 
大会後、準優勝チ-ムに不祥事が発覚し、折角の震災地に希望の灯を点す動きに少し水を差されましたが、高校野球はやはり私たちに大きな感動と教訓を与えてくれるものとして、再認識させてもらった今大会でした。

2011.08.13

ご連絡

8月13日より22日ぐらいの予定で、お客様の連休工事切替期間に当たり、出張いたします。この間、申し訳ありませんが、カキコミは休ませて頂きますのでご了承下さい。

2011.08.12

アッパレ!日韓戦 No.2058

やあ、水曜日に行われたサッカ-・日韓戦練習試合は久しぶりに溜飲を下げる好ゲ-ムでした。本当にやっとというか、攻撃に転じた日本のきめ細かさの良さが出ていたような気がします。
 
特に香川選手が本領発揮という試合で、ようやくチ-ムに打ち解けて本来の実力を発揮していたように思えます。やはり遠慮がなくなったのでしょう。その実力の高さを十二分に私たちに見せつけてくれました。
 
それにしても本田、香川両選手のボ-ル回しのテクニックは見事ですね。この二人のパス回しはまるで他の選手が弄ばれているようです。やっと日本にも、こういった選手が出てきたのですね。
 
とにかく香川選手などはボ-ルに対する突然の反応が素晴らしいですね。利き足などは関係なく、臨機応変に、しかも咄嗟に反応しゴ-ルに結びつけるのは、今までの日本選手の中でも数少ない貴重な存在ではないでしょうか。
 
それから在日韓国人4世として生まれ育った、李忠成選手もよくやったと思います。ゴ-ル前、自分が蹴ってもよかったボ-ルを見事にスル-し、香川選手の見事なゴ-ルに繋げたあたり、プレ-にも余裕が出てきたのでしょうね。
 
何よりもその生い立ちから、この日韓戦に出場しプレ-するのが夢だったそうです。夢を1つ乗り越えたわけですから、今度はもっとそれより大きな夢を、ワ-ルドカップに繋げて欲しいものです。
 
またケガを乗り越え、久しぶりに出場した駒野選手も良い働きをしていました。日本の3点目もバックの駒野選手が良い上がりを見せ、惜しくもシュ-トは外れたものの、それが転じての得点です。
 
このように日本にとっては快勝とも言える勝利ではないでしょうか。今までの韓国戦と言ったら、日本が防戦一方で、なかなかこのような攻撃に結び付けれなかったものです。
 
ですから3-0というゲ-ムも近年なかったのではないでしょうか。これでワ-ルドカップ予選が楽しみになってきました。故障で今回出場できなかった、ドイツで活躍する長友選手も加われば、安心して観ていられるゲ-ムになるものと思われます。
 
でも負けた韓国は大変みたいですね。今までに日本に対し、こんな負け方もなかったでしょうから、マスコミもその不甲斐なさを大いに叩いています。
 
しかし言い換えれば、日本の力が上がってきたということでしょう。また国民栄誉賞まで受賞し、私たちに大きな感動を与えてくれた、なでしこJAPANの存在が少なからず影響したものと思われます。女子と違って、皆大きな報奨を受けている身ですゆえ、うかうかしていてはきっといられなくなるでしょうね。

2011.08.10

犬の熱中症 No.2057

甲子園では連日、熱闘が繰り返されています。我が県代表の静岡高は早々に敗れてしまいましたが、同じ東海地区の4県である、愛知、三重、岐阜の代表校も揃って討死です。どうなんでしょうか、この地区レベルが全体的に下がっているのでしょうか。
 
また先日、愛するヤクルトスワロ-ズのことを久しぶりに書いたら、何と昨日で5連敗です。夏バテかもしれませんが、15もあった貯金が10まで減ってしまいました。また盛り返してくれると思いますが、何とか久しぶりの優勝まで頑張って漕ぎ着けてもらいたいものです。
 
さて前置きが長くなりました。今日はワンちゃんの話題です。毎日うだるような暑さが続いています。また夜も暑くてなかなか寝苦しくなっています。そんな人間同様、熱中症に掛かるペットが急増しているということが女性週刊誌に書かれていました。
 
ある病院によると、今年は前年比2割増しのような状況で、特に多いのが犬とのことです。猫はもともと砂漠の動物ともいわれ、暑さや渇きに強いのですが、犬は冷涼な地域の出身種が多く、暑さに弱いと言われているのです。
 
またその他の理由としても、汗腺があって熱を放出できる人間と違って、犬は口でハ-ハ-と呼吸するか、脚についている肉球で汗を外に出すしかないため、体温調節がしにくいと言われています。
 
そして人間より地面に近いため、その反射熱も受けやすくなるとのことです。このように聞くと、よく炎天下で犬の散歩をしている人などを見掛けますが、考えさせられるものです。
 
真夏のアスファルトは50度にも達すると言われています。それだけに靴を履いている人間様はよいものの、裸足で歩いていると言ってもよい犬にとっては、火傷する危険まである、拷問とも言える行為なのです。
 
我が家では愛するワンちゃんと、5時過ぎには家を出て散歩に出掛けます。そんな時間でも日によっては、もうお日様がギラギラ照り付けていることもあるのです。ですからこの時期、散歩から帰るとよく水を飲むものです。
 
それから犬の場合、5才を過ぎると熱中症のみならず、日々の健康管理が特に重要だと指摘しています。5才というと人間では35歳を過ぎた中年にも当たります。それだけに普段とは違うような症状が見えるときは、早めに獣医師に相談した方がよいそうです。
 
それにしても、糞の片付けをせずそのまま放置していくなど、相変わらずマナ-の悪さが目立ちます。毎日のことだけに、それでは自分が余計、散歩しづらくなると思うのですが...
 
とにかく最低限のル-ルを守らなければ飼う資格もないし、当の犬からも受け入れてもらえなくなるものです。お犬様同様、私たち人間もくれぐれもこの暑さに負けないよう、皆様のご自愛を祈ります!
 
明日11日は私用で1日お休みをいただくため、カキコミを休ませて下さい。

2011.08.09

長崎を最後の被爆地に No.2056

先週土曜日の広島に続き、今日は66回目の長崎の原爆記念日です。1945年8月9日、午前11時2分広島に次いで2発目の原子爆弾が長崎の地に落とされました。
 
長崎市のホ-ムペ-ジには、私たちが伝えなければならないこととして、下記のようなメッセ-ジを投げ掛けています。
 
1945年8月9日午前11時2分、長崎の空が白く輝き、時計の針が止まりました。

青空に噴き上げる巨大なきのこ雲。
なにが起きたのか。人々はどうなってしまったのか。

崩れ落ちた壮麗な天主堂の残骸が、破れた衣服が、熔けたガラス壜が、
今も静かに語りかけてきます。

被爆者が苦難を乗り越えて、語り伝えてきたナガサキからの平和のメッセージをわたくしたちは、これからも伝えていきます。

核兵器のない未来に向かって
世界の人々が共に手をつないでいくために。
 
 
おそらく人類で最悪の出来事ではないでしょうか。何しろ一瞬にして、多くの尊い命を奪ってしまったのですから...あまりにもその罪は大き過ぎます。
 
被爆後66年、現在の素適な街、長崎からはそのかけらも見つけられないほど、見事な復興を果たしています。それだけにいつまでも、この大惨事を後世まで語り継いでいかなければなりません
 
ちょうど3年ぐらい前になるでしょうか。中小企業家同友会熊本の全国大会の後、私たちは現支部長の出身地・長崎を訪れました。
 
ご主人に先立たれ、今は長崎にお一人で住まれているお母さんのところへ寄ったとき、この原爆の話をお聞きする機会を得ました。そのお話は私たちが全く知る由もないところまで触れ、あまりにも凄惨なものでした。
 
何しろ突然の原爆が落とされてから、どうしていいか迷いながら逃げ惑う人たちを、追跡し空から機銃掃射まで放たれたというのです。いくら敵国とはいえ、どこに人間の血が通っているのか、腹立たしく覚えたことを今でもはっきりと思い出します。
 
こうしたお話を少しでも多くの皆さんにお伝えしたいとのことで、会が桑崎支部長のお母さんを長崎からお呼びして、講演会を開きます。会員以外でも自由にご参加いただけます。下記ご案内を参照の上、多くの方のご参加をよろしくお願い申し上げます。
 
講演会  「長崎・被爆体験を語る会」 入場無料

日 時   平成23年8月22日(月) 19:00~21:00

場 所   サンウェル沼津 2F 大会議室

お問い合わせ  株式会社 アイソ- 秋山まで(055-923-2321)

2011.08.08

花嫁の父 No.2055

この土曜日は長女の結婚式でした。新郎新婦同様、こちらも全く初めての経験でしたので、やはり緊張していたのでしょうか、終わってその日は現地のホテルに泊まったのですが、翌日にはどっと疲れが出ていました。
 
その日はもう一つ、高校全体の同窓会総会があり、地元同窓会の事務局長を務めていることから、役目柄、本来ならそちらにも出席しなければならないところでしたが、時間的にもちょうどその開始が3時半と重なっており、ご容赦を頂きました。
 
場所は修善寺の先にある、中伊豆ワイナリ-です。シダックスの社長が経営する、ワイン畑を眼下に見下ろす、チャペルを含む白い瀟洒(しょうしゃ)な建物が真ん中に位置する場所です。

新郎新婦同様、こちらもタキシ-ドなるものを着せられる関係で、少し早くからその控え室に入れさせられていました。控え室は冷房が効いているからよいものの、外はうだるような暑さです。身内や親戚ならまだしも、こんな真夏に招かれたお客の皆さん方は本当にいい迷惑だと、気の毒になってしまったほどです。
 
しかし、二人とも中学の教師を務める関係で、子ども達にも迷惑を掛けず、また自分達も旅行などで少しまとまった休みが取れるとしたら、やはりこの時期しかないかもしれません。
 
そんなことを考えながら、時間だけは十分あるのですが、なぜか落ち着かない時が過ぎて行き、やがてその時を迎えました。チャペルでの式などあまり慣れていないこちらでしたが、簡単なリハ-サルがあり、入場は2通りあって、1つは最後まで父親がエスコ-トしていく方法と、もう1つは途中から新郎にバトンタッチするやり方です。
 
これを新婦に選ばせたのですが、開口一番、最後までお父さんと行きたいと言ってくれました。さすがにちょっと嬉しかったですね。こうしていざ本番を迎えたのですが、やはり誰もいなかったリハ-サルの時とは違うものです。

大勢の招待客が出迎えてくれた入場は、扉が開いた途端、主役ではないこちらまでジ-ンとなったものです。そして一通りの儀式が終わった後、牧師の言われるまま賛美歌の何番でしたか、歌い始めた途端、不覚にも胸がいっぱいになってしまいました。
 
ここまでの彼女の成長が思い浮かんできたのでしょう。でも努めて耐えて、歌は歌えませんでしたが、涙は人には気づかれないよう堪えたものです。これがやはり花嫁の父の心境なのでしょう。
 
こうして披露宴も皆さんの温かい祝福のお陰で、滞りなく進行することができました。花嫁の父ながら、新郎の父君が昨年3月急逝した関係で、最後のお礼の挨拶はこのことにも少し触れながら、私が務めさせていただきました。
 
この挨拶が控えていたのと、恒例の花嫁からのお涙頂戴の儀式がなかったことが、崩れないで済んだお陰ではないかと思います。そして二人が今日を迎えることができたのも、列席者はじめ多くの方々の支えがあったからこそということを実感しました。
 
最後にサプライズで、ブドウ畑の彼方から二人を祝福する花火まで上がりました。ロケ-ションの良さを活かした幻想的なものでしたが、これはワイナリ-の方での気遣ってくれたサ-ビスとのことです。
 
とにかく、こうした関係者が少しでも列席者に感動を届けようと、いろいろと心配りしてくれたお陰で、時間の長さも感ずることなく、本当に楽しいまま祝宴を閉じることができました。列席者並びに関係者に深く感謝申し上げます。

2011.08.05

被災地・石巻を訪ねてその2 No.2054

    

ボランティアの初日、現地企業さんに出向く前、友人がそのすぐ近くの、大きな被害が出た住宅地域に迂回して案内してくれました。
 
その前日にも少し、被害に遭った別の地域を眺めましたが、目の前に飛び込んできたのは一面洗い流されたような、何にも残っていない風景です。
 
思わず息を呑んで、ただ呆然と眺めるだけでした。そして次第に胸が詰まるような思いが込み上げ、涙を抑えることができませんでした。
 
ポツン、ポツンと少しばかり、風穴があいたように残っている家も、ほとんどが大きなもので、どれも比較的新しい家に見えました。一瞬にしてこの自身が永年掛かって築き上げた、財産を失ってしまった方々の思いはどうなのだろうか。
 
そう考えると、居た堪れない思いに駆られたものです。そして支援作業をやらせて頂いた企業さんに向かいました。その場所はおよそ海からは100mぐらいの所からでしょうか、まだまだ残骸がゴロゴロしている周辺区域には、カモメが群れ飛びかっていました。

     

社長さんに一通り、工場全体を案内して頂いた後、作業に取り掛かったわけですが、そのお話や昼休みに皆さんからお聞きしたところによると、幸いにも会社の社員で亡くなられた方はいないものの、やはり家族や親戚となると、津波に巻き込まれた方もいて、被害は少なくないようです。
 
ただ社員が無事だったのは、その前に岩手の沿岸部や気仙沼など、大きな津波に呑まれている情報をいち早くキャッチできた関係で、直ちに山の方に避難する旨、全員に通達がされたそうです。
 
そして一部は車で逃げたものの、途中渋滞していた関係で、車を捨てて走って逃げたとのことです。しかし中には一旦は逃げましたが、忘れ物をして家に引き返した人や、周辺工場でも地震直後、後片付けを済ましてから業務を終わろうとした所などが、全員犠牲になってしまったとのことです。
 
ですからその生死を分けるのは、ちょっとした差なんでしょうね。まずは何を置いても避難して自分の身を守る、そのメッセ-ジは身に迫った生々しい体験だけに、私たちにも貴重なアドバイスでした。

2011.08.04

被災地とのミスマッチ No.2053

震災地・東北で例年通り、三大祭りが始まりました。2日に青森ねぶた祭り、翌3日からは秋田竿灯祭り、そして6日に仙台七夕祭りが開幕します。
 
今年は大震災後のお祭りとあって、「鎮魂」と「復興」への願いが込められたものが目立つそうです。またこれに先立ち、先月には東北6県の県庁所在地の夏祭りが初めて一堂に会する、「東北六魂祭(ろっこんさい)」なるものが仙台市で開かれました。
 
この東北六魂祭には復興を願い、何と13万人を超える人たちが集まったと言います。また先週末には私が訪れた石巻でも花火大会が開かれたようです。
 
このように聞くと、何か少しミスマッチのようなものを感じてしまいます。と言うのも、この被災地に気遣ってか、それ以外の地では早々にこの夏予定していた花火大会などを中止した所が少なくありません。
 
しかし当の震災で痛めつけられた現地は、このように何とか勇気と知恵を出してその開催にこぎつけています。もちろん、大変な人たちが東北にはいっぱいいるのに、自分達だけで賑やかに盛り上がっては申し訳ないというところから、結論が出ていることと思われます。
 
でも今のような状況を聞くと、早々に中止を決めたところは、少し結論を急ぎすぎたのではないでしょうか。その直後ではどうしてもこのように感情論が先に立ってしまいます。後の祭りですが、何とか開催して少しでもその利益を現地の復興に役立てた方がよかったような気がします。
 
そんな中、我が町・沼津では市長の判断で、早くから例年通り花火大会を実施することに決めていました。開催するのも支援の1つとして判断し、花火大会は先週末から行われ、土曜日は少し雨に祟られ、月曜日順延となりましたが、予定通り実施されました。
 
その中で、我が町にしてはなかなか良い企画だなと思ったことが1つありました。震災に直撃された岩手県大船渡市の小学校8校の6年生、137人をこの花火大会に招待したのです。
 
これは商工会議所が音頭を取って進められたものですが、一時でも震災のことを忘れて、楽しい思い出作りをしてもらいたいと願って企画されたものでした。
 
もちろん、その趣旨には大賛成でしたので、少しですが弊社も協賛させてもらいました。とにかく、日本中あちこちで同様な招待事業があるようですが、何の罪もない人たち、特に子ども達には一日でも早く元気を取り戻し、復興への大きな手助けになってもらうよう願うものです。

2011.08.03

地味力に率いられたツバメ No.2052

我が愛するヤクルトスワロ-ズが首位を快走しています。近年珍しいことで、初めはいつまで続くやらと高をくくっていたのですが、どうしてどうして、強さはホンモノのようです。
 
この好調の原因はやはり指揮官である、小川監督にあるのではないでしょうか。新聞にも「地味力が育てた」と、取り上げられていました。
 
確かに巨人の原監督や中日の落合監督などと比べれば、小川さんをよく知らない野球ファンは結構いるのではないかと思われます。ですから、どちらかと言うと、小川さんは地味であまり目立たない人です。
 
でも今年の甲子園でも千葉代表を決めた、あの名門・習志野高のエ-スとして、夏の大会、全国制覇を果たした方なのです。でも頂点はそれがピ-クで、その後、中央大学に進んでからは打者に転向して、社会人を経てドラフト4位でこのヤクルトに入団したのです。
 
プロに入ってからは、なかなかレギュラ-に定着するほどの活躍は見せなかったのですが、当時の関根監督によると「とにかく、小川を見習え」と言わせるほど、くそ真面目なくらい練習には取り組んでいたそうです。
 
ですから下積み選手への目の掛け方が違っています。今シ-ズン、4番打者として活躍している畠山選手などは、その経験のなかった外野手に転向させ、打撃を生かし、4番を打つほどにまで育て上げています。
 
これらは2軍監督を9年も務めた成果ではないでしょうか。また昨年、成績不振で途中休養になった高田監督の後を引き受け、19もあった借金を貯金4にまで引き上げたのも、やはりこの人の持っている何かではないでしょうか。
 
とにかく監督になってから選手の非難は絶対していません。先日の広島戦でも畠山選手の満塁ホ-ムランで逆転し勝ったと思いましたが、その後中継ぎで出て来た押本投手が崩れ、再逆転され負けた後、「私自身の継投を誤った完全なミス」と潔く言い放っていました。
 
また他の試合においても、2死満塁、一打サヨナラの味方の攻撃で、一塁ランナ-を代えました。そうしたところ、飛んだ打球が二遊間の深いゴロで、二塁手はボ-ルをやっと押さえ二塁ベ-スに投げましたが、走者の足が一瞬早く、セ-フでサヨナラ勝ちとなりました。
 
これなどは先見の明がある、なかなか渋い采配ではないでしょうか。1軍、2軍問わず、選手全員に目を配っているそうです。またどんな試合展開になっても、記者には丁寧に対応するとのことです。
 
これがまさに、苦労人だからこそのことです。「選手の力をどう引き出すか」、いつもこう考え続けている指揮官に率いられてのチ-ムは、やはり強いものです。野球以外にも相通ずるものがあるのでしょうね。

2011.08.02

これが中国という事故 No.2051

1週間近く会社を空けていた関係で、すっかり話題がふるくなってしまいましたが、やはりこのお粗末な事故に触れないわけにはいかないでしょう。
 
もう10日が経ってしまいましたが、中国で起きた高速鉄道の脱線事故です。死者約40名、負傷者200名を出す惨事となりましたが、中国当局の対応にはあまりにも首を傾げたくなるものです。
 
まあ、これが今の中国を象徴していることなのでしょうが、世界中の人々が驚いたのではないでしょうか。まず第1に、早々に追突した先頭の事故車両を埋めてしまったことです。そして笑ってしまうのは、批判が出てきたので、今度はまたその車両を掘り返していることです。
 
これなど全く当局の”臭いものには蓋”という、隠蔽体質そのものではないでしょうか。それから被害者の救出に全力を挙げて努めたのかが疑問を持たれるところです。事故から1日半でその運転は再開されました。
 
その後、事故車両から一人の女の子の生存が発見されました。私たち日本人であっても、よく埋められなくてよかったと思ったほどです。でもよ-く考えてみると、事故の原因究明をそれなりに確認しなくて、よく列車を動かすことができるなと、日本では考えられないその対応です。
 
それから当初、原因を雷のせいだと天災によるものと発表していましたが、いくら落雷があってもその逆ならともかくとして、赤信号が青になることなど子どもでも考えません。
 
まあ、私たち日本にとっては、この中国が独自に開発した技術として、アメリカにも特許申請した当初の事実を訝しく思ったわけですが、こうした事態に至るとやはり日本の技術ではなく、中国版新幹線はオリジナルな技術だったんだなと、巷にも変に納得させられたことにもなるわけです。
 
要は中国当局により、あまりにもこうした高速鉄道計画を急ピッチに進め、安全性重視より、政府の威信と経済的利益を優先した結果なるものと思われます。
 
改めて日本の新幹線技術のレベルの高さと、無事故神話とも言われている安全運行システムの優秀さを感ずるものです。やはり昔の人が言っているように、「急いては事を仕損じる」そのものですね。

2011.08.01

被災地・石巻を訪ねて No.2050

しばらくお休みしていたカキコミをどうぞご容赦下さい。先週月曜日から東北被災地の1つである仙台と石巻に行ってまいりました。
 
3.11の大震災以来、できれば早く行きたいと願っていたのですが、なかなか1週間近く会社を空けることが適わず、4ヶ月以上経ってからようやく実現したのです。
 
現地にはたった一人で乗り込みました。と言っても、ボランティアに関するいろいろな準備については、既に5~6回以上その支援で出掛けている先輩から、貴重な情報を教えていただいてはいました。
 
そして事前に調べた限りでは、どちらのVC(ボランティアセンタ-)も個人では受け付けず、団体のみと知ったことから、現地にいる中小企業家同友会の仲間の方のお世話で、石巻にある水産飼料会社を紹介していただきました。
 
この会社で生産される銀鮭の飼料などは、日本で25%ものシェアを持つと聞きました。しかし写真でも紹介するとおり、石巻の沿岸部に位置するため、6mを超す津波の被害で工場の生産設備は壊滅状態となってしまいました。

    

震災以後、向かいの缶詰工場などとは違って、ボランティアなどの応援が一切なく、自社の作業員のみの力によることから、一面覆い尽くされたヘドロや瓦礫の掻き出しの整理に、2ヶ月近く掛かったと言われます。
 
そしてようやく復旧に向け、現在は工場内にある生産設備の修復や掃除が始まったところのようでした。そんな中、私に依頼を受けたのは、元々この飼料の加工運搬に使われている、コンベヤに付属の半円筒形状の容器の清掃です。
 
この容器が写真のように、いっぱいあるわけで、元々魚の飼料の生産設備ですから、その油かすなどが容器の周辺にこびりついているのですが、それに津波によるヘドロが加わっているわけです。

     

その関係からか、薬品を入れた槽にこの容器を漬けてあるとはいえ、なかなか汚れが取れにくくなっているのです。そして魚関係ですから当然それなりの臭いもするし、それに誘われてかハエも纏わり付いてきます。
 
でも不思議ですね、そうした単純作業で、お世辞にも良い環境とは言えない作業でしたが、一度も嫌でたまらないと思うことはありませんでした。
 
それはまた後でも紹介したいと思っている、あまりにも壮絶な被災地の状況をこの目にしたことや、被災者の方々がそれでもあきらめず、何とか頑張っている前向きの姿を眺めたからではないかと思います。
 
それに会社で一緒に働いている方々からも「秋山さん、休み休みやって下さい」などと、始終気遣って言葉を掛けていただきました。そうしたことが気持ちよくやれたことに繋がっています。
 
聞くと社員の方々の中には、犠牲になった人はいないということでしたが、その家族や親戚となると、そうばかりとは言えない、酷い状況とのことです。
 
それにもかかわらず、単なる自己満足の手伝いに過ぎない私などを、温かく迎え入れてくれたのは、やはり東北人特有の優しさと人の良さではないでしょうか。やはり本当に行ってみてよかったと、自分自身、少なくない学びと感じたことをこの先、何回かに分けて紹介させて頂きます。

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