社長の三行日記

2012.01.31

石巻工高選抜出場 No.2147

明るいニュ-スです。3月21日より始まる春の選抜高校野球大会に、宮城県立石巻工高の出場が決まりました。21世紀枠推薦3校の中に選ばれたのです。
 
石巻工は3月11日の東日本大震災により、津波に襲われてグラウンドが水没し、約15センチのヘドロに埋まったと言われます。そして当時30人いた部員の7割が被災し、祖父母を亡くしたり現在でも仮設住宅から通う部員がいるとのことです。
 
こうした困難な条件にも負けず、昨秋の宮城県大会では見事、準優勝した成績が、21世紀枠の選考基準を満たしたのです。選考では15人の委員全員一致による、文句なしの結果とも言われています。
 
それでもその過程においては、野球ができる環境に至るまでは大変なものがあったらしく、ボールや野球用具など全国からの支援と、地元の協力なくしては、とてもこぎつけることができなかったとのことです。
 
グランドにたまったヘドロと、2トントラック約300台分のがれきの処理には1ヶ月を要し、やっと練習を再開したものの、秋の台風15号の豪雨で再びグラウンドが冠水したと言います。でも2年生が率先してグランド整備に努めた結果、県大会を勝ち進んだのです。
 
この部員は全員が地元の石巻市、東松島市出身と言いますから、文句なしの地元代表なのでしょう。こうしたどんな苦しい状況でも決してあきらめない、強い気持ちが春夏初の甲子園出場という偉業に繋がったのだと思われます。
 
嬉しい話ではないでしょうか。さすが根強い東北魂を持った地域です。彼らの選抜出場は地元被災者の皆さんにも、大きな励ましと勇気を与えるものになるのではないでしょうか。
 
こうなったら甲子園でも石巻旋風を是非、巻き起こしてもらいたいものです。どんな困難な状況に置かれても、前向きに絶対あきらめない強い気持ちが、大きな壁を突き破ることになるのですね。
 
余分なことですが、我が母校もこの21世紀枠に選ばれるのが、一番悲願の出場への近道だと思われます。でも人一倍強い気持ちと、高い目標に向けての努力が求められるものなのでしょうね。

2012.01.30

運命の人 No.2146

野口みずきさんが欠場した大阪国際女子マラソンですが、また新たに期待されるニュ-ヒロインが誕生しました。てんまやの重友梨佐選手です。マラソン2回目と言われましたが、2時間23分台という素晴らしい記録で堂々たる優勝です。これでまたロンドン五輪に楽しみが1つ増えました。
 
さて、このところ日曜日に、はまっているものが1つあります。夜9時から放送される「運命の人」という番組です。例の実際にあったと言われる、沖縄返還密約事件を描いた、山崎豊子さんの書かれた本のテレビドラマ化なのです。
 
山崎豊子さんの強い思いで書かれたという、この運命の人は今年返還40年と言われ、節目の年を迎えている沖縄について、巻き起こった出来事に対する疑問と怒りや、今なお現実のものとして大きな傷跡や基地返還問題などの大きな矛盾を残していることへの投げ掛けではないかと思われます。
 
そして昨日がその第3回目の放送だったのですが、正義を貫く新聞記者のエ-ス・弓成亮太を演じる本木雅弘さんが、とうとう国家権力の見えない大きな圧力により捕われの身となってしまったのです。
 
こうした記者としての仕事に没頭し、家庭を省みない主人公でも、彼に従順に仕える妻・由里子という存在と、やはり彼に特別な感情を抱き、外務省の機密文書まで渡してしまう、外務省女性事務官との間で繰り広げられる、男1人と女2人が予期せぬ運命に翻弄されていく物語です。
 
この従順で耐える妻の役を演じているのが松たか子さんです。これからのスト-リ-の展開はよく解りませんが、怪しげな女性事務官と夫との関係に苦しむことになる立場です。
 
でも内心、女としての気持ちは穏やかではないものの、新聞記者としての夫を何ら否定することなく守り抜き、従順で聡明な妻役を、松たか子さんが好演しているように思えます。
 
また、元外務省職員だが病気のため自宅療養中の、この女性事務官の夫を演じているのが原田泰造さんです。家計簿に妻の生理日や帰宅時間まで記入し、執拗にその監視や管理まで行う嫌らしい役を演じているのですが、なかなかの役者ぶりを発揮しているものです。
 
とにかく10年掛けた取材と執筆で、この作品を完成したという、作者・山崎豊子さんの熱い思いが感じられるドラマです。多くの映像化の申し込みの中、断わり続けたのですが、TBSの執念に折れたという経緯ですから期待は持てるのではないでしょうか。
 
それにしても山崎豊子さんという作家は凄い人ですね。ドラマ化された前回の不毛地帯、またその前の華麗なる一族も面白い作品でした。
 
このドラマを通じ、同じ日本国民でありながら、基地問題等、なぜ沖縄の人々だけが犠牲になり続けているのか、という大きな命題を、私たち部外者に考えさせるきっかけになればと願っています。

2012.01.27

回復を祈ります No.2145

非常に残念なことが起こってしまいました。弊社の窓口となる電話や資材の調達等、一切引き受けてくれている女子事務員が倒れてしまったのです。
 
一昨日の朝、お母さんから会社に電話があり、朝、熱があり頭が痛いと言って救急車で運ばれたとの連絡がありました。私が電話を受けなかった関係でその詳細が分からなかったため、風邪かなと思い、そのまま連絡もしなかったのですが、昨日の朝の電話で知らされました。
 
何と、くも膜下出血だったとのことで、一昨日の午後から8時間ぐらいに及ぶ手術をしたと聞きました。幸い手術はうまくいったとのことですが、昨夜の電話の話では、処置した箇所からまた少し出血があり、予断を許さないような状態とのことです。
 
ですから、そのまま順調に回復に向かっても、医師の話では、1ヵ月後にはバイパス手術を施さなければならないそうです。何とか後遺症もなく、順調に回復してくれることを何よりも願っています。
 
そんなわけで、強い味方が少し長期に亘って離脱することになり、関係各位の方々にはできる限りご迷惑の掛からないよう努めますが、どうぞご容赦、ご理解いただきますようお願いいたします。
 
それにしても突然のことで驚いています。このくも膜下出血を少し調べてみたのですが、人によっては1~2割の方が即死に繋がるとも言われ、病院搬送後でも治療中に亡くなることもある、極めて怖い病気です。
 
しかし出血量が比較的経度で、手間をかけた治療により、動脈瘤の処置や、脳血管れん縮といって脳の太い血管が収縮して細くなり、脳梗塞になりやすい時期を食い止め、乗り越えてしまえば、安心して元通りの状態に戻れると言います。
 
とにかく発祥してから1ヶ月の間が、キメの細かい集中治療が必要になってくるとのことです。入社してからもう15年以上にもなり、その間、黙々と真面目に会社に尽くしてくれた彼女に、何事もなく、無事戻ってくれることをただただ祈るばかりです。

2012.01.26

ちょっと良い話part87 No.2144

昨日この欄に書いたばかりですが、野口みずきさんが大阪国際女子マラソンを欠場してしまいました。やはり左太腿の炎症という故障を抱えているみたいです。でも「私は諦めません」という本人のコメントを信じ、3月の名古屋に期待したいものです。
 
さて今日は身近に起こった「ちょっと良い話」を紹介させて下さい。昨日の午前中の話です。所用で出掛けていた家内から電話が入り、ちょっと自宅の近くまで来てくれと言うのです。
 
何が起こったのか、よく解らないまま車で現場に向かいました。そしたら顔見知りのご老人なのですが、八幡神社の横の車道で、家内が付き添い、その脇を抱えられているのです。
 
また顔は寒さのためか、血の気を失い、真っ青になっていて歩くこともできないような状態なのです。おそらく歩けなくなってからしばらくの間、そこに佇んでいたところを、通りがかりの家内に見つけられたのでしょう。
 
ご老人の家はそこからすぐの所なのですが、女の力では抱えて歩くこともできないことから私を呼んだのです。そして二人で両脇を抱え、連れて行こうと思ったのですが、全く歩けないことから、私がおんぶして背負うことにしました。
 
ところが私も慣れていないせいか、しっかりおんぶができません。そうしたところ、一人の青年がいきなり走ってきて、「私が背負います」と言い、すぐそこの家まで連れていってくれたのです。
 
青年にご老人を任せた私は情けないことに、そのお尻を後ろから支えていただけです。家に着いてから助けて頂いた青年に事情を聞くと、車で通りかかったら大変そうなので駆けつけてくれたというのです。
 
ですから自分の車をどこかに乗り捨てて、慌てて来てくれたのでしょう。そして名前を聞き出そうとしたのですが、いいですからと言って名乗らず、ただ一言、「私もそうした病院に勤めていますから」と言い残して立ち去ったのです。
 
何とも爽やかで、格好よい青年です。見ず知らずの人をさりげなく助けてくれる、こうした青年がまだいるのですね。思わず嬉しくなったものです。日本もまだまだ捨てたものではないですね。

2012.01.25

野口みずきさんの復活 No.2143

アテネ五輪金メダリストの野口みずき選手が、今度の日曜日に開かれる大阪国際女子マラソンに帰ってきます。このフルマラソンは実に4年2ヶ月ぶりと言いますが、ちょっと楽しみですね。
 
何しろあの強い頃の野口選手が帰ってくれば、近年、男女ともアフリカ勢の驚異的なパワ-に押されている現状を、何とか切り開くことができるのではないかと思われるからです。
 
そのくらい、どちらかと言えば低迷しているマラソン界にあって、一筋の光明になるかもしれません。でも知らなかったのですが、ここに至るまでの野口選手は、結構大変な苦労があったみたいです。
 
2004年に開かれたアテネ五輪では酷暑の中、途中から独走し、最後ヌデレバに少し追い上げられましたが、そのまま逃げ切って、高橋尚子選手に続いて五輪2大会連続で日本人優勝を果たしました。
 
そして2005年開かれたベルリンマラソンでも、2時間19分12秒という好タイムで優勝し、「走った距離は裏切らない」という彼女の言葉どおり、毎日約40kmのランニング練習の成果が現れていました。
 
ところがその翌年のベルリンマラソンにも出場を予定していましたが、練習中左足首の故障で断念し、この頃からケガとの闘いに苦しむことになります。また2007年も同様に、左足首アキレス腱の故障でロンドンマラソンを回避することになりました。
 
そして北京五輪代表選考レ-スとなった、その年の11月に開かれた東京国際女子マラソンでは何とか優勝を果たし、北京五輪代表として選出されたものの、本番直前の8月になって合宿先から急遽帰国し、左足太ももの肉離れとの診断が出て、五輪を断念せざるを得なくなってしまったのです。
 
こうしたことから、その後、ケガの回復が遅れ、十分な練習も積めなかったことから、一時は引退まで考えたという野口さんです。それだけに今回、十分な事前練習も積めて出場できることは、とても嬉しいことでもあるわけです。
 
というわけですので、来る日曜日、久々の野口みずきさんの、あのぶっち切りの快走を見たいものです。そして晴れて今年のロンドン五輪の代表となり、できればメインポ-ルの中央に、燦然とはためく日の丸を眺めてみたいと願っています。

2012.01.24

人の力を活かす No.2142

人の力を活かすということが、私たち企業にとっても会社発展の大きな要素となっています。戦国の武将・武田信玄について、あるメルマガに「心の機微に触れた人材の登用」と紹介されていました。
 
武田信玄といえば、いわずと知れた戦国の名武将ですが、あの信長も正面衝突を避けていたほどの強さを持っていたと言われています。そしてその強さは人材登用の巧みさに起因しているそうです。
 
まず実力本位で人を集め、配置しました。正当な実力を評価さ れた部下たちは、それぞれの持ち場でその能力をいかんなく発揮し、活躍したのが武田勢の強さの秘密であったと言われているのです。
 
それから次代を担う若い世代の育成にも抜かりなかったとのことです。信玄自身、幼くしてその非凡な才能を見抜かれ、老臣から徹底した教育を施されて、将としてのあるべき姿を教わりました。
 
こうした自身の経験から、同様に様々な機会を捉えて、若い武将の育成にあたっていったのです。ですから事あるごとに、人間的な触れ合いを通して、部下の動静に目を配っていたとも言えるわけなのです。
 
そうした心の機微を知り尽くした人間学が根底にあったと言われています。1つには目を掛けていた一人に、多田久蔵という人がいて、足軽大将に取り立てたとき、こう戒めたそうです。
 
「今後はひとり働きは無用である。足軽を預かっていながらひとり善がりの行動は、足軽が行動の規範を失い、ひいては全軍の勝利がおぼつかなくなる」と言って、リ-ダ-が自らの勲功や名誉のため、勝手に動いていては団結を乱し、全体の敗北にも繋がるゆえ、リ-ダ-には全体観が必要と説いています。
 
またこんな逸話も紹介されています。武田四天王のひとりに板垣信形という人間がいて、歴戦の勇将として知られた信形は、ある合戦で周囲が止めるのも聞かず、無謀に兵を進め、結局は敵にはめられ多く の犠牲を出してしまいました。
 
当然、責められるものだと思っていた信形に、信玄はこう言ったそうです。「敵の欺きにあいながら、大敗を免れたのはさすが信形である。周りの人間のたわごとなどに耳を貸すな」と。
 
この琴線に触れる言葉に深く感銘を受け、その後、思いに答えようと、信形は一身をなげうって奮闘したということです。失敗したときに責めることはたやすい。しかし責めてみても、人間が失敗から立ち直ることが少ないため、思わぬ失敗をしたときこそ、包容し守り抜 くことが大切だと言っているのです。
 
ちょうど先週の土曜日、中小企業家同友会富士支部の30周年記念式典があり、出掛けた記念講演で、全国のカリスマ的存在でもある、赤石義博前会長の言葉を思い出しました。
 
「人間それぞれには伸縮自在の袋を持っていて、それを大きく膨らませてやるのが企業や経営者の務めである」と述べていました。社員それぞれの可能性を信じ、社員が何年か経ってリタイヤするとき、ああこの会社にいてよかったと思える会社を目指さなければと、改めて教え込まれたものでした。

2012.01.23

大川小の悲劇 No.2141

東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった石巻市の大川小学校で、3度めとなる説明会が開かれました。約7ヶ月半ぶりの開催とのことですが、子どもを亡くした保護者からの強い要望で、何とかここまでこぎ着けたものです。
 
何しろこの日まで正式な形での、学校側等、教育関係者当局による正式な説明や謝罪がなかったゆえに、愛する子どもを失った保護者の立場からは、「なぜ?」と、とても納得できるものではなかったからです。
 
説明会では、学校側がきちんとした避難マニュアルを作成しておらず、以前実施していた避難訓練も校庭に集まるだけで、それ以上の避難を実施していなかったことが判りました。
 
ですから震災当日も、児童や教員が避難を始めたのは、発生から約45分経ってからで、小学校から一番近い高台だった裏山が地震による倒木の恐れがあるとのことから、約200メートル西の橋のたもとの交差点を目指している途中に津波にのまれてしまったのです。
 
自宅から車で学校に迎えに来て、辛うじて難を免れた児童やその保護者の話によると、地震直後、先生の指示で校庭に集まり、座って点呼をとっていた児童の中には、その恐怖から泣き叫んだり、嘔吐をする者もいて、だいぶ混乱していたようです。
 
そして避難を始めた当時の様子を一人の児童が以下のように語っています。すごい音がして、津波が前から来た。腰を抜かし、その場に座り込んだ子もいた。自分で判断して、裏山に逃げた。

竹林で他の男の子2人と大人十数人と一緒になり、一晩過ごした。大人が持っていたライターで火をおこした。「眠れば死ぬんだからな」と言われ、一睡もしなかった。

 
おそらく、ちょっとしたタイミングの差が生死を分けてしまったのでしょう。この裏山になぜ逃げなかったのかというのが一番の疑問になっているようですが、まずここまでの津波到達を市が予想していなかったことと、裏山への道が滑りやすかったことも原因の一部としてあったようです。
 
学校長も山に避難場所をつくろうと職員で話はしていたみたいですが、裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話しているうちに、そのまま震災になってしまったというのです。
 
このように聞くと、誰が悪いというわけではないのが、今回の大震災の実情なのでしょう。先生たちは必死に子どもを守ろうとしていて、自らも被害に遭ってしまったのです。
 
ですから辛いのは、当日所用で学校を留守にしていた校長と、教職員11人のうち、たった一人生き残った先生なのでしょう。この先生にしても、避難の最中、負傷しながらも近くの男児1人を押し上げるように助けたと言われています。
 
でも心身疲れ果ててしまって、現在は休職中と聞きます。天災だけではなく、半分は人災とも呼ばれている、この大川小の惨劇も、誰をも責めることのできない、今回の大震災がもたらした大きな悲劇ではないでしょうか。

2012.01.20

湯たんぽ No.2140

もう何日か前から、家内に湯たんぽを入れてもらっています。この湯たんぽ、とっても優れ品であることを改めて知らされています。
 
もちろん湯たんぽを入れた布団の中は、ポッカポッカで暖かいものですが、寝る直前に足下に置けばよいわけで、それまでは布団の中でも背中の辺りぐらいのところに入れています。
 
そうすると布団の中全体が暖まります。このお陰でそれ以前までの、冷たい布団に恐々体を入れ、じっと自分の体の温もりで暖まるのを待ってていたのが嘘みたいに、快適に布団の中に収まることができます。
 
またこのところの寒さで、年のせいか、時々は明け方冷え込んでいるときなど、トイレに行きたくなることもあるのですが、そんなことも解消してくれます。
 
それからもう一つ、朝になり、もうご用済みかと思ったのですが、家内の話ではその湯たんぽを今度はダイニングのイスなどの上に乗せ、布のようなもので覆っておくと、イスが暖まって朝食のときまで、温もりが持続しているのです。
 
何とも凄いものです。ここまでその効能があると、本当に嬉しくなりますね。そして電気代を使うわけでもないし、石油の世話になるわけでもなく、極めて省エネと言える代物でもあるわけです。
 
このような先人の作り上げてくれた功績には、敬意を表さなければならないものです。とにかく、まだまだ日本にはこのように今は眠ろうとしている良きものがあるはずです。懐古ではなく、もっともっと掘り出してみたいものですね。

2012.01.19

レンジャ-ズ入り No.2139

ダルビッシュ投手のレンジャ-ズ入りが決まりました。契約は何と6年契約で総額約6000万ドルと言われています。日本円に直すと、約46億2000万円ですから、年俸で7億7000万円ですか、何とも凄い数字です。
 
これは大リ-グに渡った日本人選手の中では、松坂投手がレッドソックス入りした際の6年総額5200万ドルを抜いて、最高額とも言われています。
 
それだけ彼に対する期待が高いのでしょう。また十分その期待通りの働きをしてくれるのではないかと、予想できるものです。何しろストレ-トの威力に加え、変化球のキレが半端ではありません。
 
一番打ちにくい、打者の手元で変化してくるのです。それにこうした変化球の球種の多さも加わっています。これではいくらパワ-のメジャ-リ-ガ-でも、なかなか苦戦させられるのではないでしょうか。
 
またここ一番での無駄なランナ-を出さない集中力にも凄いものがあります。何しろ東北高から日本ハムに入団し、2年目から昨年まで6年連続二桁勝利、3年目からは5年連続防御率1点台をマークしています。
 
この防御率が全てを物語っているのではないでしょうか。防御率1点台というのは投手が9回投げて2点以上取られていないということです。それを5年も続けているというのは、味方のエラ-などにも動揺しない、並みの集中力ではないという証明です。
 
こうした私たちの期待を一身に背負ったダルビッシュ投手が、大きく日本人の溜飲を下げてくれるのではないかと思われるものです。それというのも、ダルビッシュ投手以外の日本人選手、特に野手の評価が下がっているからです。
 
ポスティング制度で大リ-グ入りを果たそうとした、西武の中島選手がヤンキ-スで控え扱いの評価で断念させられたり、ここで何とかブルワーズ入りが決まったヤクルトの青木選手にしても、入団前のテストをさせられたと聞きます。
 
日本では200本安打も放ち、首位打者を3回も取っている選手に対してもこの扱いです。明らかに日本人選手への評価が低くなっているのではないでしょうか。
 
とにかく、ダルビッシュ投手の快投で、あの大リ-ガ-達がキリキリ舞いするところを是非眺めてみたいものです。今年のメジャ-が本当に楽しみになりました。

2012.01.18

余裕のある生活 No.2138

昨日の1月17日は阪神淡路大震災の起こった日で、あれから、もう17年も経っていることを知らされました。昨年の東日本大震災の悲劇のために、すっかり忘れかけようとしていましたが、そのくらい街は見事な復興を果たしているものです。
 
被災地・東北もこの阪神のように、いち早く人々の生活が元通りに戻れることを何よりも願っています。さて年が明けてから何かといろいろなお付き合いが続いているものです。
 
相手変わっても主変わらずで、あちこちに良い顔をしていたら、体がいくつあっても足りないような状態かもしれません。こうなると毎日の生活に少し余裕がなくなってきます。あるところに次のような「余裕のある生活」ということが書かれていました。
 
ある知的障がいの施設にあったお話です。みんなで、一生懸命がんばったから、先生やお母さんといっしょに関西旅行に行こうと、相談がまとまりました。

「新幹線に乗れる」と子ども達は大喜びでしたが、少年の中にうかない顔をしている子どもが一人おりました。その少年は鉄道が好きな子で、駅の名前や列車のことにかけては、何でも知っているベテランでした。

その少年が園長先生の目にとまり顔をながめると、少年の目が何かを訴えています。わけを聞いてみますと「新幹線は窓があかないよ。駅がぼくたちを待っているよ。駅にあいさつすることができないよ。」と、答えたそうです。

さすが園長先生、この言葉にうたれて、二枚の切符を求めると少年と二人だけで、たった1本しかないドンコウで、皆より6時間も早く出発しました。

目的地には、ほぼ同時に到着しました。待ち合わせた父兄や友人が異口同音に叫んだのは「やはり、ドンコウに限る」の言葉だったそうです。

 
スピ-ドだけを求め、何でも押しのけていく近代文明に対する警告かもしれません。俺がオレがではなく、一歩譲って、人々を先に行かせる余裕を持たなければいけない、忠告の言葉のような気がします。
 
そんなに慌てて何処に行く、今度の休みが来たら、家内と二人で鈍行か東名バスにでも乗って、のんびりと寄席にでも行きたくなりました。

2012.01.17

逃げ出した船長 No.2137

イタリアで座礁した豪華客船コスタ・コンコルディア号の話です。地中海クル-ズの途中、イタリア中部ジリオ島の沖合で座礁した、この船の船長が何と真っ先に逃げ出していたというのです。
 
事故が起こったのが夜の9時半過ぎだっただけに、4200人もの乗員乗客を乗せていた船の中は灯りも消えて大パニックだったみたいです。大声で泣き叫ぶ人がいても、乗員はノ-・プロブレムと言って誘導すらしなかったと言います。
 
また救命ボ-トには大勢の人が群がったため脱出が取り止めになったり、我先とばかり2階上のデッキに上るはじごに200人ぐらいが殺到したそうです。
 
それも女性と子どもが先だと誰かが叫んでもお構いなく、いい年をした老年男性が我先に登ろうとして引きずり下ろされ、激しい喧嘩にまでなっていたと言います。
 
こう聞くと、映画「タイタニック」よりもっと醜く凄まじい状況のように思えます。こうして座礁から6時間余り経ってようやく沿岸警備隊の船で救出され、ジリオ島に上陸できたというのです。
 
そして何よりも一番酷いのはこの船の船長が、こうしたドサクサの4時間余り前に脱出していたと伝えられていることです。船と運命を共にすると言って、自室にこもって覚悟を決めたタイタニック号の船長とは全然違った、全く情けないものです。
 
また乗客より先にジリオ島に非難している船長を見つけた沿岸警備隊関係者から、船に戻るよう、とがめられても、戻ると答えておきながら、とうとう戻ることはなかったと言います。
 
何ともお粗末な話です。さらにこの座礁の原因も、船長の指示で乗組員に島を見せようと、島に近づき過ぎたからとも言われています。まったく何をかいわんや、あきれ返って言葉も出ません。
 
よく窮地になると人間の本性が露呈すると言われます。女性や子どもを押しのけ、我先にと逃げ出した輩も同様でしょう。実話に基づいたとも言われていますが、映画「タイタニック」号が海の底に沈むまで、乗客に少しでも安心をと、演奏を奏でていた楽団の人たちのことが思い出されます。
 
何が起こるか全く判らない現世ですが、何が起きても慌てふためくことのないよう、一大事の中でも周囲を思いやれる人になりたいものです。

2012.01.16

着信音の妨害 No.2136

毎日寒い日が続きます。昔は二番正月と言っていたのでしょうか、その期間も過ぎ、正月気分の残っていた世の中はすっかり平常モ-ドに戻ります。気合を入れてこの寒い冬を乗り越えたいと思っています。
 
さて公共の場においての携帯電話使用については、相変わらず改善の動きが一向に見られません。電車の中でも辺りにお構いなく通話している人も見掛けますし、駅の地下道などでも、歩きながらそれとにらめっこしている人も少なくありません。
 
海外から伝わってきた、そんな携帯電話の着信音が引き起こしたニュ-スに少し驚かされました。何とあの名門のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団のコンサ-トの最中に、携帯電話が鳴り響き、演奏を中止してしまったというのです。
 
曲はマーラーの交響曲第9番で、最後のクライマックスを過ぎて、静寂の中に繊細な音楽が奏でる、タイミング的には最悪の場面だったと言われます。
 
携帯が鳴っていたのはステージ左側の最前列に座っていた高齢の男性でしたが、この男性は身じろぎもせず、その着信音は3~4分あまりも鳴り続けたとのことです。
 
音に気付いた指揮者が手を止めて演奏を中断し、会場には着信音だけが響き渡ったそうです。そして指揮者は携帯の持ち主に向かって「終わりましたか?」と尋ねました。
 
しかし持ち主からは返事がなかったため、「結構です、待ちましょう」と言い、指揮棒を譜面台の上に置いた後、着信音はさらに何度か続いてようやく鳴りやんだと言います。
 
そして指揮者のギルバート氏が「通常であれば、このような妨害があっても止めない方がいいのですが、今回はひどすぎました」と断った後に、オーケストラの方を向き、「118番」と指示して演奏の再開を促し、観客からの拍手で続けられたとのことです。
 
如何せんひどすぎますね。オ-ケストラはこうした演奏に命をかけているといっても過言ではないでしょう。静寂の中に繊細な響きを奏でる、いわば聴かせどころとも言える場面です。
 
それがたった一人の不注意のためにぶち壊しになってしまったのです。少なくともこうした芸術を味わう感性を持ち合わせている人なら、なぜ?と首を傾げたくなるものです。
 
とにかく、このケ-スは一番迷惑を掛けてしまった代表的なものになると思われますが、多かれ少なかれ、不注意な携帯音が周囲に迷惑を掛けていることには違いありません。公共の道徳を守り、周囲への配慮に心がけたいものです。

2012.01.13

あったかいお正月 No.2135

あったかいお正月」という、ちょっと良い話を新聞の投稿で見つけましたのでご紹介します。いつまでも忘れないで思ってくれている人がいるということは、本当に嬉しいことです。
 
「お正月はどう過ごされていますか」。息子の友人の一人から突然、電話をもらったのは昨年10月。遊びに来てくれるのかなと思いながら、「家でのんびりしていますよ」と答えると、「今年はお父さんと二人で温泉でのんびりしてきてください」と言うのです。

実は息子は15年前、日本語教師をしていた異国の地で、不本意にも29歳の若さで亡くなりました。それ以来、全国各地でそれぞれに暮らす息子の友人たちは、命日に、順に生花を贈ってくれます。

息子のことを覚えてくれている人がいる、それだけで親としてうれしさでいっぱいです。彼らは浪人時代の1年を東京の同じ下宿で支え合い、励まし合って過ごした仲間です。その間に強い絆が生まれたのでしょう。

結局、彼らにもらった旅行券で、年末に県内の温泉に一泊させてもらいました。夫と、娘夫婦と孫3人とで、本当に久しぶりの旅でした。温泉の温かさと、人の温かさが身にしみました。

「ママ、甘え過ぎじゃない!」。あの世から息子の声が聞こえてきたような気がしました。私たちのことまで気遣ってくれる彼らに、感謝でいっぱいです。

 
本当にあったかいお正月になりましたね。15年も経った今、こうして残されたご両親のことまで気遣ってくれるのは、亡くなられた息子さんとその友人の方々が、よほど強い絆で結ばれていたからでしょう。
 
私は一度も経験がありませんが、暮れから正月に掛け、のんびりと温泉にも浸かりながら好きな山登りなどできたらいいでしょうね。来年はちょっと、それができるよう心がけてみたくなりました。

2012.01.12

自分らしく No.2134

今朝は今年一番の冷え込みだと言われているとおり、富士山の手前に位置する愛鷹山までうっすらと雪に覆われています。また昨夜、久しぶりのお湿りとなった雨の影響で、外に出してあった車は全面、凍り付いて、お湯の出番がなくては始動できなかったくらいです。
 
このとおり、いよいよ冬本番なのですね。温かい我が地域がこんな状況ですから、被災地の北国・東北ではさぞかし大変なことでしょう。いち早い復興と、一日でも早い春の訪れが望まれるものです。
 
さて昨日、一昨日と新年の年始回りを済ませ、いよいよ今日からは本格的な実業開始です。と言っても、もう実質は例年になく、おとそ気分も早々に抜け仕事モ-ドに変換でき、まずは出足順調というところですが、何とかこの調子で進めたらと願っています。
 
あるメルマガに「自分らしく自分の道を進め!」と載っていました。山本周五郎さんの作品で「武道無門」という本があるそうですが、気が小さく皆から「臆病者」呼ばわりされている青年の物語です。以下その大体のあらすじです。
 
主人公は宮部小弥太。28歳の青年武士だが、武士というのは形だけ。度胸がなく、他人のけんかを見るだけで体中が震えるというほどの臆病者だった。

自分から戦いを挑んだり、責任ある立場についたりすることを避け、いつも逃げ回ってばかり。そんな自分の性格を変えたいと思い、いろいろ努力をしたが結局あきらめることになる。自分はいまのままでいい。自虐的に思い込んでいた。

しかし、そんな彼がある時、主君に抜擢される。主君自らが服装を変え、隣国の難攻不落の巨城を偵察に行くことに。その随行の2人のなかに小弥太が選ばれたのである。

"なぜ自分のような者が、そんな大事な役目を命じられるのか"――小弥太青年はとまどった。もちろん、断わるわけにはいかない。言われた通り、彼も商人に扮して、隣国へのお供をすることになった。

自分らしくいこう。自分らしくいけばいいんだ。道中、小弥太は、そわそわと落ち着かずおかしな行動を繰り返した。時々消えていなくなり、いつのまにか戻ってくる。隣国の城下町に入ってもその行動は続いた。そうこうしているうちに、3人は巨城に着いた。しかし偵察をしているところを見つかってしまう。

「怪しい奴」とばかりに取り囲まれ、ついに追いつめられてしまう。万事休す、となったそのとき、小弥太が「自分がご案内をいたします」と言うなり、駆け出した。 

小道から小道へ、路地から路地へ、抜けていった。そして1軒の店に入り、3頭の馬を牽いて出てきた。「早く、殿、早くこの馬に!」。 3人は馬に乗り、無事に逃げおおせることができた。

彼は万一の場合に備えて、逃げ道、抜け道をそっと調べ、馬の手配までしていた。自信にあふれた豪勇の人間であれば、前に進み、攻めることしか考えないかもしれない。 人一倍、慎重な彼だからこそ、そこまで細かく心を砕き準備することができたのである。

 
メルマガの筆者は上記の物語に示されるとおり、人間には多くの道があり、生き方があると説いています。それは会社という組織のなかにおいても同じで、他人と比較するだけでは社会の奴隷となってしまい、自分しか歩めぬ道を堂々と進むことこそ必要だと言われています。
 
要はあくまでも自分らしく、自分の生き方を貫きなさいということだと思います。また他人と比較するのではなく、昨日の自分との比較こそ大切だと指摘しています。十分考えさせられ、かなり説得力のある言葉ではないでしょうか。

2012.01.11

生涯現役 No.2133

昨年の暮れ、プロゴルファ-の杉原輝雄さんが亡くなられました。プロゴルフ界のドンと呼ばれた方で、1957年プロ入り後、54年間にわたって試合に出場し続け、生涯現役を貫き通した人です。
 
しかし98年に前立腺がんが発覚し、切れば試合に出られなくなるからといって、現役続行を決意して、外科的手術に頼らず、ホルモン注射などの投与治療をしながら現役を続けていたのです。
 
でも昨年3月には、リンパへの転移が見つかってしまいました。幸い、それから悪化はしていないということでしたが、治療に専念し、いつでも試合に出れるような準備をしていたのですが、とうとうそれも叶わず帰らぬ人となってしまったのです。
 
今でも思い出されるのがジャンボや青木選手の全盛の頃、時々クラブを投げつけたりしてマナ-の悪さを見せると、一緒にプレ-していた杉原さんが叩くなら自分の頭を叩けと、テレビでも歯に衣を着せぬ苦言を呈していたことです。
 
そのくらい、飛ぶ鳥を落とすような勢いだった両選手でも、この人だけは少しも遠慮せずモノが言えるくらい、やはり実力者であり、一目置かれていた存在だったのでしょう。
 
また同選手の周りにはユ-モアがいつも溢れていました。この病気が怖くないかと問い掛けられると、「怖いよ」と言っていながら、、「だから、聞きたいことがあったらなんでも聞いといてや。明日、電話してくれてももう出られへんかもしれんなんてこともあるかもしれへん。今のうちやで」と、いたづらっぽく語ってもいました。
 
そのくらい、プロ意識に徹していたのでしょう。ト-ナメントのティ-グランドではいつもギャラリ-に語り掛け、笑わせていました。ですからむっつりと愛想もなくプレーする若手には、一言言わなくては気が済まなかったようです。
 
石川遼くんがゴルフだけではなく、あれだけきっちりとしたコメントを語るのを引き合いに出し、ゴルフの腕で負けてもしゃべりでは負けないよう、若手にはもっとはっぱを掛けたかったみたいです。
 
また「病気のおかげで新しい出会いがあった」とも杉原さんは言っています。身に起きた不幸も不幸ととらえず、むしろ「成長するための糧」として前向きに捉えているのです。
 
こうでなければ、かつての青木・尾崎「AO」のあれだけの飛ばしに対しても、いくらアプローチ、パットの達人でいても、気持ちが怯んでしまって、とても太刀打ちできなかったのではないでしょうか。
 
そんな杉原さんが残したのは次の言葉です。ゴルフとは一人で戦うものだ。そしてゴルフとはボールを自分が止めたいところに止めるゲームだ、ということです。
 
「生涯現役」言葉ではたやすいかもしれませんが、杉原さんのように自ら実践し、貫き通すことは大変なことです。天国から注がれている、あの笑顔を思い浮かべることができるくらい、いつまでも忘れることのできない人です。ご冥福をお祈りします。

2012.01.10

どんど焼き No.2132

正月休みが終わった途端の3連休でしたが、いかがお過ごしだったでしょうか。相変わらずの貧乏暇なしの小生は3連休とは暦だけのもので、そのうちの2日間は会社に出ていました。
 
出勤前の8日・日曜日の早朝、いつものとおり、散歩で愛犬と国1バイパスの近くまで来ると、遠く田んぼの中に火の手が上がっているのです。一瞬、火事かなと思ったのも束の間、その日がどんど焼きが行われるのに気づきました。
 
時刻はまだ5時半前ですから辺りは真っ暗の中、遠く田んぼの中に組まれた3箇所のやぐらから、それぞれ勢いよく火が空に向かって放たれているのです。正月の松飾りやしめなわなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、古来からの全国に伝わる正月の行事です。
 
またここで焼いた団子などを食べると、1年間風邪もひかず健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣を祈る伝承行事でもあるわけです。
 
わが町内は歩いてすぐのところに海がある関係で、浜でこの行事が行われるのですが、バイパスから北側の地域はまだまだ広々とした田んぼが残っているお陰で、毎年その空き地をお借りしてやっているのでしょう。
 
すぐ近くまでは行きませんでしたが、遠くから眺めていても、なかなか風情があるものです。富士山をバックにカメラがあれば是非撮っておきたいところでしたが残念でした。
 
そしていつまでも立ちずさんでいるわけにもいかないことから、その場を後にすると、背中からパ-ン、パンと、おそらく骨組みに使っている竹のはでる(この言葉は方言なのでしょうか、はじけるという意味)音がいつまでも追いかけてくるようでした。
 
その帰り道、ふと、こうした伝統行事がいつまで続くのだろうかと考えたものです。田んぼなどの空き地はどんどん宅地や工場の敷地と化し、正月のお飾りなども簡素化されているからです。
 
またやぐらの組み方やいろいろ、そうしたノウハウを熟知しているお年寄りや年配の方も少なくなっていくからです。これは神社やお寺などに飾られる門松についても、同じことが言えると思います。
 
とにかく、できればいつまでも残してやりたい行事ですね。一説には「正月飾り」を燃やすということから、神様を空に送る、「正月の神様」が空に帰っていくという意味合いがあるみたいです。
 
年のはじめにあたり、人々の健康と無病息災、おまけに欲張って家内安全、五穀豊穣、企業繁栄を是非願いたいものです。追伸)辞書で調べたら”はでる”ではなく、爆ぜる(はぜる)というのが正しい表現みたいです。

2012.01.06

2012年のはじめに No.2131

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。昨年は大晦日まで出張工事で出掛けておりましたので、年末は細かなことが何もできず、年賀状も大晦日の夕方になって投函したくらいでバタバタでした。
 
でも社内製作にも追われていた関係で、私を含む出張組と、社内製作組に分かれていたわけですが、休みのない年末にもかかわらず、愚痴一つなく黙々と仕事に励んでくれた社員に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
 
そんな社員の皆さんのためにも、少しでもこの会社にいて良かったと思ってもらい、もっともっと日常的に豊かになれるような会社を目指さなければと、改めて強く思ったしだいです。
 
それにしても穏やかな正月でしたね。元日の天気が心配され、初日の出が見れないのではないかと言われていましたが、風もなく日中は暖かい日差しが注ぐくらいの良いお天気でした。
 
そんな中、元日早々、恒例の近隣町内3チ-ムによる、新年親睦のソフトボ-ルの試合に出掛けたわけですが、ちょっぴり嬉しいことがありました。
 
と言ってもほとんど自慢話で恐縮ですが、何と今年早々に62歳になろうとしている私めが満塁で右中間を抜くホ-ムランを放ったのです。
 
年々、老いていくに連れ、ゴルフは飛ばなくなっているし、ちょっと歳を感じて自信を失くしかけていた自分だっただけに、自信復活にも繋がる、ちょっぴり嬉しい出来事だったのです。
 
まだまだやれる、そう思い直せるものでした。これはソフトボ-ルに限ったことではなく、これからの仕事に対しても同じことが言えます。
 
ついつい、世の中の景気のせいにしたり、不幸な震災が起こったことに理由付けしている自分が存在していたように思えます。でもそれではこれからの時代、生き残れないのではないでしょうか。
 
とにかく社員との絆を一層強くするためにも、今まで以上に精進に励み、工場の入口に掲げられている「選ばれる会社」を目指していきます。本年も変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

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