社長の三行日記

2011.04.28

母校野球部の現況 No.2001

連休前の最後のカキコミとなりました。母校野球部の現況を少し話してみたいと思います。この春の東部大会は地区優勝校・沼津市立に3回戦2-9で敗れ、県大会出場は果たせませんでした。
 
昨年秋に引き続き、連続して県大会への出場はならなかったものの、実力的には少し冬の成果が現われているのではないでしょうか。
 
沼津市立戦、2-9の得点差を眺めると、だいぶ開きがあるようですが、この試合8回表までは2-1で我が方が勝っていたのです。ですからこのまま逃げ切って欲しいと思っていたのですが、こちらの不安要素が的中してしまいました。
 
と言うのも、エ-ス・勝又くんの球威がその前の回ぐらいから、めっきり落ちてきていたのです。そうした懸念していたところを隙のない市立打線につかまってしまいました。また一部中継プレ-のミスなども大きな失点に繋がるところもありました。
 
こうして8回、9回の2イニングで8点もの大量点を入れられ、試合を決められてしまったのですが、エ-スのスタミナ不足やこれに継ぐ2番手以降の投手の養成等、夏に向けての課題はしっかり見えてきました。
 
打線は3番・湯山君のバッティングが見事です。そして外野手の弱肩が少し気になりますが、守りの方は何とかまとまってきているように思えます。
 
監督はいつになく夏に向けて少し期待の持てるチ-ムになってきたと話しています。少し手応えを感じ始めてきているのではないでしょうか。
 
それと言うのも、投手出身の監督が今までの総合的に目配せしていた指導を少し変え、ピッチング指導に力を入れているのです。また素材的にも勝又君に続く良い投手もいないわけではないので、楽しみにしているところです。
 
そしてこの春、1年生の新入部員が19人も入ってきたと言います。こうした若い力も結集して是非、夏に向け捲土重来を期してもらいたいと願っています。監督も掛川から単身で乗り込み頑張ってくれています。それだけに何とか結果を出してやりたいと願うものです。
 
連休を挟むため、カキコミは5月6日より再開します。

2011.04.27

元気になろう No.2000

このカキコミがとうとう2000回を迎えました。2002年、当時は今のようなブログという形式ではなかったのですが、始めだしてちょうど10年目になります。つまらないものかもしれませんが、こうして続けてくると、自分にとっては掛け替えのないような、愛しい存在となるものです。
 
そんなに大勢の方ではないのですが、読んで支えていただける皆様のお陰だと感謝しております。改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。
 
さて、昨日もテレビのニュ-ス特集で眺めたのですが、日本の各地観光地ではお客が激減して大変とのことです。取り上げられていた日光では、平日でお天気が悪かったこともあるためか、名勝・華厳の滝や東照宮陽明門の前には、キャスタ-以外の人を一人も見つけることができなかったくらいです。
 
駅前の土産物屋やレストランの店主の話では、自分が引き継いだり始めだして40年ぐらいになるのですが、今までこんなことは一度もなかったと言われます。
 
ですから、もちろんホテルや旅館にもお客が来ません。それどころか、あの大震災以来、キャンセルが続出していて、予約客のほぼ90%に当たると言います。
 
東日本大震災と福島原発事故の風評被害が追い討ちをかけることになり、4月の1ヶ月が開店休業状態だと言われているのです。こんな中、日光・湯西川温泉で300年近い歴史を持つ、老舗・伴久ホテルまでが破産申請を出したというニュ-スも聞かれました。
 
何とも深刻な状況です。東京では都知事の一声で花見までが自粛されました。こんなときに不謹慎だという気持ちはよく解ります。でも一方では、被災地・宮城や岩手の酒蔵からは、私たちの作ったお酒を今だから飲んで頂きたいという声も届いているのです。
 
テレビにも出て訴えていた酒造メ-カ-の中には、「あさ開」という中小企業家同友会の仲間もいたように思えます。被害のなかった私たち地域までが元気をなくしてしまえば、被災地・東北の支援にならないと言うのです。
 
先日、同級生の間で年に2回定期的に開かれているゴルフコンペを行いました。万年幹事の私は仕事のやりくりがつかなかった関係で不参加だったのですが、1ヶ月前に案内を出した3月中旬、果たして開催してよいものか迷いました。
 
でも発想を転換して、私たちは何の苦もなくゴルフができるのだから、その楽しみの一部を義援金に廻そうと考えました。参加費の中からの一部と、OBや3パットの罰金を全てそれに廻すことにしたのです。
 
こうして集められた義援金は60800円にもなり、ささやかもしれませんが、皆さんの気持ちとして後でそれなりにお届けしようと思っています。こんなわけで自分にできる支援をしていけばよいのではないでしょうか。
 
テレビでも「上を向いて歩こう」の音楽が繰り返し流れています。みんなして下を向いたままでは日本はいつまでも元気になりません。いち早い復興を願うためにも、まず私たちから元気にならなければと考えています。

2011.04.26

期待される夕張市長 No.1999

あの夕張市に、30歳で新進気鋭の市長が誕生しました。もちろん全国最年少の市長で、鈴木直道さんという方です。
 
ご存知の通り、夕張市は全国唯一の財政再建団体です。平たく言えば、市の財政が破綻してしまったため、国の管理下に置かれ、もう一度地方債などの完済を果たして、町の復興を果たすというものです。
 
この極めて厄介な役割に乗り出したのが鈴木さんです。聞くと元々は東京都の職員で、今から3年前の2008年初めに、もう一人の職員と共に、この夕張市の財政再建に貢献しようと派遣されたと言います。
 
派遣期間は2年間、市民課の窓口として、自分の目でこの街の現状をつぶさに眺めてきたのです。そして出向から都庁に戻ってからも、若手経営者や市の職員から市長選出馬を打診され、悩み抜いた末大きな決断をしたのです。
 
何しろ当選するかどうかも判らないが、夕張市長の給与は月約26万円で、年収は200万円減となるのです。また東京都の職員でいれば、一生涯と言ってよいほど安定した収入も望めるからです。
 
しかし、「夕張のために人生をかけてみよう」と、この決断をし、2010年11月に立候補表明をしてこの市長選に臨んだのです。そして市長選で対するは前自民党衆院議員という強豪だったのですが、若さで退けこの市長が誕生したのです。
 
やはり市民レベルに立った政治家の誕生を、市民が望んだのでしょう。そして期待されるのは何よりもその若さと行動力です。選挙戦には、かつての上司でもあった石原東京都知事も駆けつけているのが、テレビでも映し出されていました。
 
とは言ってもこれからは大変です。今後16年間で322億円もの借金を返していかなければならない町の舵取りですから、想像以上のものと思われます。
 
しかし鈴木さんは母親一人で育てられたともいい、都に勤めながら大学にも通って学んだという苦労人です。是非そうした貴重な体験を、庶民目線に立って施政に反映してもらいたいものです。
 
一念岩をも通す」とも言われます。そうした自分の人生をかける思いで臨んだのですから、きっと道は切り開けるはずです。そして武器は何と言ってもその若さです。こうした鈴木さんの若さと行動力に期待するのは、きっと夕張市民だけではないはずです。日本中から大きなエ-ルを送りたいものです。

2011.04.25

ちょっと良い話part76 No.1998

いろいろと騒がれている相撲界でのちょっと良い話です。「お相撲さんが届けたぬくもり」という新聞のコラムからです。
 
大相撲の玉ノ井親方(元大関栃東)の運転する車で、東日本大震災の被災地・福島県相馬市の海岸沿いを走った。大地震から1ヵ月後の13日昼。「第2の故郷が、見る影もないよ」。

がれきで埋め尽くされた街。水田だったとおぼしき泥沼には何隻もの大型漁船が横たわり、あちこちに花束が捧げられていた。

実父の先代親方が相馬出身。部屋では毎夏、ここで合宿を開いている。そんな関係もあり、部屋のある東京都足立区と相馬市は災害時相互応援協定を結んでいた。

区の要請で炊き出しに駆けつけた。冷蔵庫で食材を持ち込み、2日間で2千食のちゃんこを、点在する避難所で振る舞った。

前日に二十歳になった専門学校生の伏見真里さんは、8人家族は皆無事だったが、家は基礎のコンクリ-トしか残らなかった。車で逃げた高台から見つめた津波。「黒い壁がすべてをのみ込んでいきました」

持ち出せたのは就職活動ノ-トと携帯電話だけ。「ス-ツがないので、面接にも行けない。どうすればいいんだろう」。将来への不安に襲われ続けているが、具だくさんのちゃんこに「初めて温かい食事を頂きました。おいしい」。ほんのわずかだが、つらさを忘れることができた。

八百長問題で揺れた大相撲。被災地支援を人気回復に利用すべきではないが、お相撲さんだからこそ分けられるぬくもりがある。

避難所を出た親方に、背後から幼稚園ぐらいの女の子がAKB48の替え歌を口ずさんだ。「
おいしかった、おいしかった」。親方が振り返ると、笑顔で同じ節を繰り返した。「またね」と玉ノ井親方が手を振った。
 
本当にお相撲さんだからこそ届けることのできる、温かいぬくもりですね。当初のちょっとした計画停電で私たちが直面した混乱が、現地ではいつ終わるか判らないほど、毎日のように繰り返されているのです。
 
その事実をしっかりと受け止めなければいけないと考えています。とにかく当たり前のことができる私たちだからこそ、自分にできることをしっかりと考えて、一時的ではなく先の長い支援を続けていかなければと思っています。

2011.04.22

たじたじ No.1997

元キャンディ-ズのス-ちゃんこと田中好子さんが亡くなられました。19年間ガンを患っていたにもかかわらず、そんなことはおくびにも出さず、女優業に励んでいました。何となく温かくなる人で、特に解散コンサ-トのときの「微笑がえし」が忘れられません。ご冥福をお祈りします。
 
さて、菅さんが福島県の避難所を訪れたのですが、避難されている住民の方から厳しい言葉を浴びせられていたのを、テレビや新聞でも伝えていました。
 
予定の30分が来たから避難所を立ち去ろうとしたとき、素通りされた男性から「もう帰るんですか」と呼び掛けられたのです。このため引き返して近くの女性に歩み寄ると、今度はその女性からも「無視して行かれる気持ちってわかりますか」と抗議されたのです。
 
その男性からも「なんでこっからまっすぐ行かれるんですか」と続き、「俺らはどうするんですか、ここにいるの」と咎められました。
 
こうした言葉を受け、菅さんは「いや、ごめんなさい。いや、反省させてください」と、動揺してタジタジだったそうです。
 
このように一向に埒の明かない原発事故処理ですから、余儀なく避難させられている人々の思いは痛いほどよく解ります。時の首相はそうした気持ちが少しでも解らなかったのでしょうか。
 
先に紹介させていただいた天皇・皇后両陛下の避難所訪問とはえらい違いです。このようなことを聞くと、やはりおざなりの訪問だったと言わざるを得ません。
 
とにかく迷惑を掛けているのだから、たとえ回る避難所は1~2箇所かもしれないが、全員の方々にせめてお詫びの気持ちを伝えなければと思っていたのであれば、こうはならなかったものでしょう。
 
やはり被害者の気持ちを読みきれていないのです。それと厳しい言葉ですが、その人に備わっている人間的な徳というものが不足しているのでしょう。人の上に立つ人、特に日本のトップたるもの、こうした未曾有の緊急事態だけに、迅速かつ適正な判断と広く温かい心が一層求められているものです。

2011.04.21

魅了するプロ野球 No.1996

プロ野球が開幕して10日が過ぎました。大震災の影響で少し開幕を延ばしたわけですが、東電以北管内は4月中ナイタ-中止でのやり繰りは、何とか問題ないように進められているように思えます。
 
こんな中、被災地・仙台に本拠地を置く楽天が良いスタ-トを切りました。阪神淡路大震災のときのように、「頑張ろう神戸」を合言葉に優勝までしてしまったオリックス同様、何とかこのまま突っ走ってもらいたいものです。
 
戦力的にも松井、岩村の大リ-グ帰りの両選手の加入が大きいと思います。それから主砲・山崎選手の飛距離もまだまだ衰えていません。
 
そして選手会長であり、守りの要でもある嶋捕手が開幕戦から逆転3ランを放ったりしていての大活躍です。「頑張れ日本、頑張れ東北」のスロ-ガンで、是非地元東北の方々に勇気と希望を届けてもらいたいと願っています。
 
一方、セリ-グの方は昨年のリ-グ覇者・中日が出だしから躓いています。幸先良いスタ-トを切った広島カ-プとは正反対に、ちょっとこの先少し心配されるような、モタツキを見せています。
 
また19日から始まった巨人-阪神戦はやはり見応えのあるものです。伝統の一戦と呼ばれるだけあって、これぞプロ野球と思えるところが随所に織り込まれていて、やはり野球から目が離せなくなっています。
 
ところで週間ポストに載っていたのですが、この巨人のエゲツない選手集めという手法も、元々はプロ野球と巨人軍の産みの親とも言われている、正力松太郎氏の意図するところではなかったと言われています。
 
常にジェントルマンを目指す野球として、日本を代表するチ-ムとしてアメリカに追いつき追い越せを目標にしていたとのことです。
 
それが誌面に登場した広岡達朗氏の話では、長嶋茂雄さんの出現から様相が変わってきたというのです。長嶋さんが一度クビになってから、ファンの戻せという声が凄かったそうです。戻さないと観に行かないぞとまでの声が少なくありませんでした。
 
こうして長島さんが復帰してから、勝っても負けてもお客は来るようになったというのです。そうとはいえ、球界の盟主を誇る巨人軍ということで、やはり負けてはいけないことから、そこまでやるかといわれるぐらいいい選手を集め続けていると紹介していました。
 
その結果、生え抜きの選手がなかなか育成されないという、大きな悩みがついて回るようになってしまっているのです。とにかく今はかつてのように、何でも巨人軍ということから抜け出しているように思えます。
 
この楽天や、斎藤佑ちゃんの入った日本ハムしかり、パリ-グだってずいぶんと魅了させるプロ野球となってきています。是非、プロはさすがだと誰しもが思えるプレ-を見せていただき、被災地の方々にも復興に向け、夢と希望を届けてもらいたいと願っています。

2011.04.20

火事場泥棒 No.1995

石巻の友人から、その後元気にやっているからとの連絡を頂きました。もっともその友人は現在は被災地の石巻から離れ、子どもさんが住む長野に一旦身を寄せられているのです。
 
話を聞くと、現地では私たちの想像以上の出来事が起こっているそうです。以前にも触れましたが、友人はちょうど地震のあった3月11日には仕事で東京に出掛けていました。
 
このためご本人は現地でその被害に巻き込まれなかったものの、翌日やっと繋がった、安否を尋ねた電話では、家や車は多分流されてしまったのではないかということでした。
 
そして交通機関がメタメタになった関係で、帰るに帰れないでいたのですが、5~6日経ってからやっと、新潟経由の車に同乗でき現地に向かったのです。
 
幸い石巻の自宅は流されず無事だったと連絡が入ったのは、その数日後でした。ところが何日も住めないと言うのです。たぶん、このようなことは少し報道管制が敷かれているのではないかと思われるのですが、現地での治安がだいぶ悪いと言われるのです。
 
被災者が避難して留守になった家に、勝手に他人が住みついているそうです。また友人の家は震災後ほぼ1週間戻らないでいた為、家の中の物が何もないと言うのです。それこそ下着の類まで誰かが持っていってしまったとのことです。
 
そしてこうしたトラブルから、一部には殺人事件まで発展しているケ-スもあるというのです。従って友人は怖くなり、早々にこの家を出たのです。また、たぶんこの家にはもう住めなくなるのではないかとまで話していました。
 
折角、被害に遭わず残った家でもこの有り様です。震災直後、世界中から暴動の起きないこの日本に賞賛の声が上がりました。でも実態は必ずしもそうばかりとも言えないのです。
 
よく火事場泥棒という言葉も聞きます。ドサクサに紛れて、人が被害に遭っているのに追い討ちをかける輩です。ニュ-スでもこの大震災に便乗して、義捐金詐欺のようなケ-スが相次いでいるとのことです。
 
こんな奴は本当に最低ですね。まさしく人間の屑とも言えるもので、捕まえたら極刑に科してもよいくらいです。私たちの知らないところで、こんな事まで起こっていると聞きましたので、ちょっと紹介させていただきました。
 
予期しない、このような様々なことがあると思われますが、挫けず負けないでもらいたいと願っています。

2011.04.19

取り残されている動物たち No.1994

一時帰休は許されるものの、半径20km圏内は完全撤退で避難を強いられている福島県の方々にとって、原発事故はとても許されるものではないでしょう。
 
そしてこの中で他の東関東大震災の被害地同様、津波など未曾有の天災を被った地域の方達には、この天災に加えて人災とも言える被害がダブルで襲ってきているのです。
 
こうしたある時を境に一変した生活には、さぞ困惑しているものと思われます。またそれに加え、様々な風評被害が付きまとっていると言われます。
 
川崎の市長が地震で発生したゴミなどの受け入れを表明した途端、住民から放射能を撒き散らかすのかと大反対にあったそうです。また避難先では福島から移ってきた子どもまで、放射能がうつるからとからかわれているとも聞きます。
 
いやはや、何とも悲しい話です。その人たちの立場になって少しでも考えてみたら、決して口にさえできない事柄なのです。人間として是非、最低限での思いやりを持ってもらいたいものです。
 
こんな中で、この圏内に取り残されている動物たちのことをテレビで取り上げていました。すぐに戻れるであろうと飛び出した人たちが、一向に収束されない情勢のため、戻るに戻れない関係で、置き去りにしてきた犬や牛などの動物のことです。
 
映像ではやせ細った犬や、久しぶりに会えた飼い主の元に、一生懸命走って戻ってきた犬の愛くるしい姿が映し出されていました。この置いていかれた動物たちには何の罪もありません。
 
また永年ペットとして一緒に生活していれば、家族と何も変わらないとも言えるのです。また牛たちの世話ができないということは、今後の死活問題にまでなるのです。
 
人によっては人間が生き延びるだけで精一杯で、とても動物どころではないと言われるかもしれません。でも今まで飼い続けてきた飼い主の責任というものがあるのです。それをしたくてもできない人たちの思いを考えると、胸が詰まります。
 
こうしたことからも、今回の原発事故の責任は本当に考えなければいけない、重いものです。私たちの県にも全く同じような環境にある浜岡原発があります。いつ起こるか判らない東海地震に対しても、原発に頼っている現状を今、大きく見直さなければいけない時が来ているのではないでしょうか。

2011.04.18

エアコンに頼らない消夏法 No.1993

延び延びとなっていた男女のプロゴルフも開幕し、昨日はその最終日を迎えました。男子は高山、女子は不動の両選手が優勝を飾ったわけですが、それぞれの選手が口々に、自分達にできることは精一杯良いプレ-をして勇気と感動を与えることだと話していました。
 
中には実家が半壊している男子選手もいると聞きました。とにかく一時的ではなく、息の長い支援を続けていかなければなりません。18番の最終ホ-ルでは石川遼くんが3打目のアプロ-チを見事にチップインしました。
 
やはりこの人の持っている運命的なものを感じます。また一方では斎藤佑ちゃんも同じ早稲田の同期・福井投手と共に、初先発、初勝利を飾りました。今年はこうした若い力から目を離せなくなるのではないかと思われます。
 
さて前置きが長くなりましたが、今朝の天声人語に、かかあ天下ならぬ、かかあ電化という記事が載っていました。一般家庭に電化が進み始めた1955年ごろに流行った言葉だそうです。
 
それによると、家庭の電化程度をいくつかのランク付けしていたとのことです。いまいちだった第7ランクは電灯だけです。そして第6にラジオがあること。
 
また第5にはトースター、電熱器。第4は扇風機に炊飯器。第3は電気洗濯機。第2は電気冷蔵庫。第1ランクの家にはテレビも電気掃除機もあったと言われています。
 
3種の神器とも呼ばれた、洗濯機、冷蔵庫、テレビはおそらく、この後、多くの家庭に普及していったのでしょう。こうした電化製品の開発、普及により、どんどんと私たちの生活がより豊かで快適になっていったものと思われます。
 
記事の中で注目したのが、これから後で普及したエアコンが家庭用電力消費の約25%を占めるということです。冬は寒く、夏は暑いということをいくらかでも解消させた代物です。
 
しかし考えてみると、私たちの小さなときにはそんなエアコンなどというモノはなかったのです。夏の暑い時には扇風機をガンガン廻して、傍らでアイスクリ-ムいやキャンディ-かな、それを頬張るのがささやかな贅沢だったように思えます。
 
そして冬の家の中は、石油スト-ブで暖をとったのが大概の家庭だったのではないでしょうか。こう考えてみると、決してエアコンに頼らなくても、人は生きていけるのです。
 
今年の夏は伝えられているところによると、だいぶ電力不足に陥るということです。ですからここで私たちの生活をもう一回見直す、良いチャンスではないでしょうか。私の寝泊りする部屋はエアコンもありません。
 
それは単なる、物理的にそうしたモノがないだけに過ぎないかもしれませんが、なくても何とか済むのです。ですからこの他にも、記事の中にあった打ち水、緑のカ-テン、川涼み等、エアコンに頼らない消夏法をそれぞれが考え出していく必要があるのではないでしょうか。

2011.04.15

ちょっと良い話part75 No.1992

昨日は天皇・皇后両陛下が被災地をお見舞いに訪れました。テレビから伝えられていることしか見聞きできませんが、お二人ともいつも物腰が柔らかく、本当に被災者の気持ちになって接しているように感じます。
 
それぞれの人の話を聞くにしても、膝まづき同じ目線で対応されています。やはり人間的に優しいのですね。言いたくありませんが、いつも上から目線で話し掛けているように感ずる、時の首相とはえらい違いです。トップに立つ者、両陛下のようにいつもこうありたいものです。
 
届いた泥まみれの葉書に涙」という、ちょっと良い話が新聞に投稿されていましたので紹介します。
 
大震災前日の3月10日、ついでがあって宮城県南三陸町の郵便ポストに、親戚や友人にあてた時候あいさつのはがき33枚を投函した。

だが、町は翌日の震災と津波で多数の死者と行方不明者を出してしまった。はがきの行方が気になり、ガソリンの手当てがついた3月29日に知人の安否確認をかねて町に行ってみた。

ポストがあった3階建ての県合同庁舎は頭から津波にのまれた痕跡があった。周囲のコンビニや民家は全くなくなっていた。これではあきらめるしかないと思って帰宅したら、東京の親戚から「泥まみれのはがきが着いたよ」と電話があった。

その後、山形、千葉、神奈川、埼玉や大阪からも届いたと連絡があった。はがきは透明な袋に入れられ「津波被災で配達が遅れ申し訳ありません」という詫び状まで添付されていたそうだ。

この連絡を聞いたときには涙がこぼれた。郵便局舎も津波にやられ、局員も被災したはずだ。信書を大切にする日本の郵便局なればこそと思う。

はがきを受け取った誰もが「このはがきは東日本大震災の証しであり、いつまでも大切にとっておきたい」と言ってくれている。

 
とてもいい話ではないでしょうか。民営化され、いろいろと苦情もないことはないと思われる日本郵便ですが、郵便局の面目躍如たるところです。言い訳をしない、プロのプロたるところで、職業意識やその使命に徹しているからでしょう。
 
透明な袋に入れられていたというのも凄いことです。このようなことを知らされると、人や企業などの価値というものは、本当に窮地に達し困っているときに真価が発揮されるのではないでしょうか。
 
朝の来ない夜はないと言います。また「禍福も糾える縄の如し」とも言われます。早く被災された方々にとって、本当の意味での春が訪れることを願っています。

2011.04.14

救援医療スタッフの活動よりその1 No.1991

楽天が開幕から2連勝を飾りました。「頑張ろう!東北」と、東北の人たちと一緒に戦うと言っているだけに、被災者の方々を大いに励まし、勇気づけるのではないでしょうか。
 
さて、医療スタッフとして現地に出掛け、自分の目でつぶさに眺め、感じたことを記しているブログを教えてもらいました。報道からは伝わらない、壮絶な、私たちの知らない出来事が記されていますので、少しずつ紹介していきたいと思います。
 
かっこいいことを言いながら強気で踏み入れたのに、来たばかりのときは想像をはるかにこえた現状に打ちのめされました。自分に何が出来るかなんて考える時間もなく、目の前で起きていることを把握して無我夢中でやるしかなかった。

毎日モノを数えるように、増えていく死亡者数をニュースを読み上げてるアナウンサーにさえ嫌気がさしました。

1日2000人以上の受診希望者、床に寝せられ点滴を受ける患者さん、泥だらけの入院ベッドに横たわる患者さん、1人任され不安だらけの救護所、避難所での夜間の急病人

水も電気もない分娩室でのお産、受け入れ先病院が見つからない救急医療体制、備蓄のない医薬品、足りない医療機器、浸水して使えなくなったAED、全部が全部思い出せないくらい、毎日が壮絶でした。

朝からずっと走り回っていて気が付くと夜中の3時、4時ってのを毎日繰り返し。でもそれは私たちだけじゃなく、自衛隊のかたや消防のかた、警察のかた、運転手さん、自治会の会長さん、条件はみーんな一緒だったから頑張れたんだと思います。

私たちは交代でちょっと休めたけど、休めてない職種の方ばかりです。そんなしんどさなんて被災された方々に比べたら、なんてことはないと思うとへっちゃらでした。

それと何回も書いてきたけど、避難所のみなさんの笑顔と優しさと強さに何度こちらが励まされたことか。気丈にふるまっている人こそ心の傷は深く、話を聞いてみると家族といまだに連絡が取れていないという人ばかりでした。

 
このように切り出して、現地での葛藤を思い出しながら、事後ブログに記しているわけですが、もちろん救援医療に携っているときは、ブログなど書いている時間もなかったわけでしょう。
 
この日のカキコミの終わりに、被災しなかった私たちが時が経てば普通の生活に戻り、どんどん忘れていくことになりますが、3月11日のことは決して忘れてはいけないと、以下のように伝えています。
 
当たり前の日常がどんなに幸せなことか。そばにいてくれる家族や友人がどんなに大切な存在か。水や電気の資源の供給がどれだけ恵まれていることか。

いろいろ人それぞれ感じ方も違うし、きっと全く他人事に思う人もいると思うけど、いつ自分が被災者になってもおかしくないのです。

帰りは陸路で帰ってきましたが、だんだん東京が近づいてくると、どっちが現実社会なのか分からない錯覚に陥りました。当たり前についている信号、電気がついている高層ビル、きれいな身なりの道行く人。

震災にあった地域は対岸の火事のように過ぎてる都心の時間。でもきっと本当の現実は被災地で、都心は非現実社会なんだと思います。

 
全くその通りですね。当たり前の普通の生活のできることに感謝し、たとえ気持ちだけになるかもしれませんが、被災者のことをしっかりと考えた毎日に努め、自分にできる支援を続けていかなければと考えています。

2011.04.13

大震災から1ヶ月 No.1990

あの大震災から1ヶ月が過ぎました。今尚、余震に悩まされ、依然として落ち着いた毎日からは、かけ離れた生活を強いられている被災者の方々に対しては、慰める言葉もないほどです。
 
中にはこの4月から開業するといって、医院の完成を今か今かと待ち望んでいる方もいました。そんな矢先、あと少しの落成を待たずして津波に流されて跡形もなくなってしまいました。
 
おそらく絶望のどん底に落とされてしまったでしょう。そんな這い上がれないでいたとき、関西からボランティアで単身被災地に乗り込み、救急医療に当たっている一人の医師のことを知りました。
 
寝る場所もなく、役場の事務所の傍らに、ただ寝転ぶだけの睡眠をとる毎日です。しかし元気よくお年寄りを中心に、被害に遭われた方々のところを回っているのです。
 
このような姿を眺めて、流されてしまった医師はもう一度出直そうと決心したそうです。あきらめていては何も前に進むことはありません。苦しくても辛くても、一歩前に踏み出す勇気をいただいたのです。
 
この他、日本に住む外国人でも素晴らしい方はいっぱいいます。自分が営むホテルの営業を震災の翌日から中止し、被災者の避難所として提供し続ける方もテレビで紹介されていました。
 
日本が災害が起こるたびに支援し続けてくれた、バングラディッシュを母国に持つ方です。日本が本国にしてくれたことへの、せめてもの感謝とお礼の気持ちからです。
 
また本国より帰国命令が出て、一旦は帰国の途に着くバスに乗り込んだものの、泊まった仙台のホテルで眺めたテレビより映し出される被災者の、全て失ったが前向きに突き進む姿から、この人たちを見捨てて帰れないといって、急遽引き返してきたイギリス人も紹介されていました。
 
再会した被災地の友だちから「大馬鹿野郎!」と言われていました。「ばかやろう」という言葉も、こんなに美しく響くことがあるのですね。
 
今朝の新聞でも、東北・関東でこの1ヶ月、観光客のキャンセルが39万人とも伝えられていました。またそれ以外の地域でも17万人のキャンセルがあると言います。こうなると関係者は死活問題ですね。
 
そして依然として終息を読めない福島原発に至っては、とうとうレベル7の最高水準まで危険度が引き上げられてしまいました。当初の読みの甘さが祟ってしまっているのです。何としてでも事態の収拾を早く図らねばなりません。
 
こうした中、テレビから流れるサントリ-のCMがいいですね。タレントのいろいろな方が「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」の歌をうたっているものです。当たり前のことができる幸せをしっかり噛みしめ、自分にできることからまず実践していきたいものです。

2011.04.12

今年のマスタ-ズから No.1989

ゴルフの祭典・マスタ-ズト-ナメントが終わりました。日本選手では石川遼君とアマチュアの松山選手が二人、決勝ラウンドまで残り頑張りました。
 
特に松山選手は唯一、アマチュアで決勝まで残り、4日間1アンダ-という立派なスコアで大会を締め括りました。残念ながら藤田選手と池田選手が予選を通過できなかったのですが、昨年の日本での賞金獲得額1,2位のプロですら、この結果ですので難易度の高いこのコ-スをよく克服したものと思います。
 
テレビで眺めているだけでもその難しさは伝わってきます。何しろグリ-ンに乗せればよいというものではなく、ピンポイントで攻めていかなければ乗っても傾斜でこぼれてしまうのです。
 
余談ですが、こんなコ-スでは一般人を受け付けてくれないはずです。もし入れたりすれば、プレ-が一向に進まないのが目に見えているからです。
 
こうした難コ-スの中、アマチュア選手で勇猛果敢に攻めていったのは本当に見事なものです。この松山選手の健闘に、表彰式では多くの観客がスタンディングオベ-ションで万雷の拍手を送って称えたと言います。
 
被災地の大学出身で出場すら悩んでいた彼に対し、大きな励ましと被災地の復興を願う、温かい拍手でなかったかと思われます。一方、我らの遼君も3年目でやっと決勝ラウンドに残り、本来の思い切りのいいプレ-を見せていました。
 
4日間を終えて通算3アンダ-の成績は今後に繋がるのではないでしょうか。一番近くでいつも見守っている父の勝美さんの話でも、以前よりだいぶ技術的に進化しているとのことですが、それに加え、このマスタ-ズでの経験はさらに飛躍させる一歩になるものと思われます。
 
彼の小学校からの夢が、20歳でマスタ-ズト-ナメントに優勝することだそうです。今年彼より2歳上のロリー・マッキロイが最終日崩れたものの、3日目まで首位に立ち、優勝争いに加わっていました。
 
遼君にとっては彼の背中はまだまだ遠いかもしれませんが、更に1年間いろいろと切磋琢磨していけば、来年のマスタ-ズで優勝争いに加わることは決して夢ではありません。
 
是非その日が来るのを楽しみに待ち望みたいと思います。今日12日からは震災で延びていたプロ野球も開幕します。このゴルフ同様、被災地の方々に夢を届けることのできるようなプレ-を見せてもらいたいと願っています。

2011.04.11

変革よりまずは安定の意志表示 No.1988

統一地方選挙の第1弾が昨日終わり、国民の現政権への痛烈な意志表示とも言える、民主党惨敗が伝えられました。おそらく予想通りの結果だったと思われますが、この先、災害からの早期復興を目指す日本にとっては前途多難ではないでしょうか。
 
私たちも地元に新しい地区センタ-が建設されたことから、今までのすぐ隣りの場所から、少し歩いて向かわなければいけなかったのですが、夕方しっかりと投票を済ませてきました。
 
でも投票所の係員の方に聞くと、やはり投票率は伸び悩んでいるとのことです。結果はほぼ予想されたとおりになったみたいですが、都知事選同様、こうした混乱期には大きな変革を望んでいないものなのでしょうか。
 
この都知事選も、テレビでの中継による石原都知事の会見を少し眺めたのですが、結構、その鼻息が荒かったようです。電力節減にしても、街に無数に転がっている自動販売機や、灯りを煌々と照らして、いつもと何も変わらず営業を続けているパチンコ店のことを槍玉にあげていました。
 
この2つを併せると1000万kwの消費量にもなり、世界でこんなことが許されている国がないとまで言い放っていました。また「東京が止まったら日本が止まる」と、時の政権に限らず、以前の福田バカ政権とまで呼んで痛烈に批判し、強いリ-ダ-シップを力説していたのです。
 
確かにこれ以前に述べていた、日本人のアイデンティティ-とも言われる我欲うんぬんという話も解らないわけではないのですが、どうも石原さんが言うと上から目線のように聞こえてならないのです。
 
そして被災者に向けて言ったのではないでしょうが、天罰発言に繋がりました。結果としてはこれが何も影響なかったようですが、その後、テレビに出て来た、佐藤福島県知事が語ったように、福島県でこの首都圏の電力を1/3も作り出していることに、都民を代表する都知事もさらに着目していかなければならないと思います。
 
でもこの福島で避難を強いられた人々の惨状は、とても選挙どころではなく、私たちの想像以上に大変なことを改めて知りました。避難してその地を離れるということは失業にも繋がり、死活問題となっているからです。とにかく被災者の立場になって、一刻も早い問題解決と元通りの生活ができるよう願っております。

2011.04.08

問われているエネルギ-政策転換 No.1987

昨夜はまた東北地方を襲う地震がありました。仙台では震度6強と、避難所で暮らす人々に追い討ちをかけるようにまた不安と恐怖をもたらしたのです。
 
これも先日の大地震の余震の一部とも伝えられていますが、これでもか、これでもかと情け容赦なく襲ってきて、人間ではどうしようもない自然の脅威を感じさせられるものです。
 
震度6強とは私も体験したことがありませんが、想像以上の揺れだと思われます。そして揺れている時間も比較的長かったと言われます。被災地の方々は未曾有の大地震をほぼ1ヶ月前に経験しているだけに、さぞかし怖い思いをされたのではないでしょうか。
 
新聞などで伝えているところでは、今回の未曾有の大地震は1000年に一度ぐらいの周期で起こると言われます。それだけに、もう当分の間は起こらないだろうと思っていましたが、昨日のような地震が起こると必ずしもそうとも言えません。
 
今回の災害で、決して他山の石とは捉えていませんが、心して備えなければいけないものと思っています。こうしてみると原子力に頼る、日本の推進してきたエネルギ-政策をここで大幅に見直す必要があるのではないでしょうか。
 
想定外の災害による事故ということがあまりにも強調されていて、原発に頼る電気の供給という問題が少し人々の議論から離れているように感じますが、やはり地震大国・日本ではそもそも無理のような気がします。
 
福島の人々が味わったような思いを二度とさせてはいけません。東電ばかりが悪者のように言われていますが、ここまで進めてきた前政権や、今回の咄嗟の対応に後手後手に廻ってしまった政府の責任は少なくないものと思います。
 
今朝の新聞でも、福島第一原発の4基の原子炉を廃炉とするには、最低でも11年の年月が掛かると、当初の設計製作をした東芝の関係者が語っています。
 
それでもスリ-マイルの廃炉処理のスピ-ドより、かなり速いと言われていますが、それだけ厄介な品物なのです。まして今回のように、一たび放射能汚染を引き起こしてしまえば、影響を蒙るところが半端ではないことは明らかです。
 
従って愛する子々孫々のためにも、少しでも美田を残さなければいけないという責務から、安全に安定した電力供給の方法をしっかりと考えていかなければなりません。
 
原爆による放射能の怖さをどの国よりも一番知り尽くしている我が国だけに、きっとその世界にも冠たる技術力を駆使して、効率の良い代替発電方法を開発できるものと信じています。またその道を選択せざるを得ないときを迎えているのではないでしょうか。

2011.04.07

温かく差し伸べられている手 No.1986

被災地に対し、様々な温かい気持ちが寄せられています。先に申し上げたユニクロだけでなく、楽天の会長兼社長である三木谷浩史さんも個人で10億円もの義援金を贈られています。
 
三木谷さんが起業した原点も95年の阪神・淡路大震災での実体験にあったからと言います。この震災で三木谷さんは叔母夫婦も亡くし、被災地を歩き回り、学校に安置された何百もの棺を見て回ったそうです。
 
ですから全く他人事ではないのでしょう。温かな気持ちは本当に嬉しいことです。またソフトバンクグル-プの代表である孫正義さんも、会社での10億円とは別に個人で100億もの大金を寄付したとのことです。
 
それに加え、本年度から引退するまでの間、グループ代表としての報酬も全額寄付し、今回の震災遺児やその他多くの遺児などの支援に当てるそうです。
 
これなど、いくら膨大な資産があるからと言って、到底真似のできることではありません。改めて敬意を表したいものです。それから石川遼君も凄いことを言ってくれています。
 
今シ-ズンの獲得賞金額全額と、さらにバ-ディ1個獲るたびに10万円の基金を上乗せするというのです。そうすると2010年度の実績からは1億8千万円ぐらいの金額になるのです。
 
そしてそれが自分にできる何かであり、東北のみなさんとつながっているつもりで戦いたいと述べています。一部義援金商法などとネットで陰口をたたかれていて可哀想にも思えますが、19歳の青年にできるベストの選択ではないでしょうか。
 
アッパレなものです。今週から始まる夢の祭典・マスタ-ズより賞金は積み上げるそうですが、是非その活躍を期待したいものです。
 
また宅急便のヤマト運輸も、届け物1個につき10円をこの被災地復興や水産業・農業の再生支援向けに寄付すると発表しました。昨年の取扱数が約13億個ですから、災害で取り扱い数が多少減っても約100億円は見込めると言います。
 
そうすると1企業としては最大級の拠出額にもなるわけです。企業の存在目的は自己の利益追求ではなく、世の中へのお役立ちとも言われています。まさに文句なしの社会貢献ではないでしょうか。
 
それから海外からも多くの温かい援助の手が差し伸べられています。台湾からの寄付などは早々に1国だけで100億円を超えたとも言われています。
 
何とも嬉しくなる話です。過去において、日本がそれだけ他の国への施しをしていたとも言えることですが、窮地に立たされているだけに、温かい支援は有難いものです。私共も少ない金額かもしれませんが、是非被災地の方々に、社員それぞれの気持ちを届けたいと思っています。

2011.04.05

天才書家・金澤翔子さん No.1984

金澤翔子さんのことをテレビで知りました。ダウン症として生まれてきたのですが、その道の専門家も驚くほどの女流書家として、今あちこちで活躍されている人です。
 
その母・泰子さんの手により、ここまで立派に育て上げられたわけですが、障害を持って生まれてきたことを知ったとき、泰子さんは絶望から死まで考えたと言います。
 
そして父の死や彼女の普通学級から養護施設への強制転校など、いくつもの試練を乗り越えてきて今日があるわけです。
 
そんな23年間の苦闘を経て、今の至福のときを迎えられている泰子さんは、今でも娘に対し心の中で謝り続けていることがあるそうです。
 
彼女がこの世に生まれてきて初めて見たのが、泰子さんの泣き顔だったからです。23年前は自分だけが不幸だと思って神を呪い、まったく育てる自信がなかったのです。
 
そんな泣きながら我が子を育ててしまったことを、もう取り返しがつかず、いつも心の中で「ごめんね」と謝り続けていると言います。
 
でも翔子さんが書を5歳のときから習い始めたのも、元々は泰子さんが書家で九段の腕前を持つ人だったからです。そのご主人は亡くなる半年前、「女房を日本一の書家にしてください」とその師に言い残したくらいです。
 
こうして母の厳しい指導や、現在の翔子さんの師である柳田泰山先生のお陰で、現在の書家・翔子さんが存在するわけです。
 
テレビから映し出される姿を眺めても、翔子さんは料理がとても好きみたいで、朝早くから起きて食事の支度をしてお母さんを起こす係りのようです。
 
そして随所にその優しさがふんだんと表われているわけですが、いざ書に向かうときはガラッと毅然とした表情に変わっています。それがあの力強い作品に表われているのでしょうか。
 
とにかく泰子さんと翔子さん親子の、しっかりとした強い生き方に、あきらめず、いつも希望を持って生きなければいけないことを教えられます。
 
かつてのクラスメ-トが道で出会ったとき。こう言ったそうです。「いつもビリだった翔子がトップになっちゃったね」人生は絶対あきらめてはいけないものです。

2011.04.04

もし高校野球の女子マネ-ジャ-がドラッカ-のマネジメントを読んだら No.1983

友人にお借りして「もし高校野球の女子マネ-ジャ-がドラッカ-のマネジメントを読んだら」という本を読みました。ご存知の通り、現在230万部を超えたとも言われているベストセラ-の小説です。
 
私はまだ読んだことがありませんが、あの経営学で有名なP.F.ドラッカ-の書かれた「マネジメント」を高校野球に当てはめたらという設定で書かれた小説です。
 
結論から先に申し上げると、私の立場では非常に面白く読ませていただきました。とても甲子園など夢のような、ある都立の高校野球部が女子マネ-ジャ-の奮闘で、いろいろな意識改革等を経て終にはその夢を実現してしまう話です。
 
単なる小説だと言ってしまえば身も蓋もないものですが、野球学校と違い、甲子園など現段階では程遠い学校にとっては少し興味をそそられる内容も含まれています。
 
面白かったのはイノベ-ションという項目です。普通にやっていてはとても相手にならないわけですから、戦略的にも他と違った革新的な部分も出さなければなりません。
 
本の中では、それを「ノ-バント作戦」と「ノ-ボ-ル作戦」という2つの新たな取り組みとして紹介していました。
 
まず「ノ-バント作戦」とは、一切バントで走者を進めるという作戦を採らないのです。それでは打てないチ-ムは、いつまで経っても得点圏に走者が進まないのではないかと指摘されるかもしれませんが、逆に言えば、わざわざバントして1アウトを相手に与えないのです。
 
それから「ノ-ボ-ル作戦」とは投手に限ってのことですが、近年の野球、特に日本野球にとっては、打力の進歩から、ボ-ル球でいかに勝負していくかが常識的になっているものです。
 
このボ-ルを打たした方がヒットになる確率が低いことから、ストライクを続けるのではなく、ストライクに近いボ-ル球で打者の打ち気をそそっているのです。
 
従って当然、投手は球数が増えることになり、夏の大会など連投で一人で投げきることなど、とてもできなくなるわけです。本の中ではエ-スがストライクを投げ続けるお陰で、普通の投手の半分ぐらいの球数で済み、一人で決勝まで投げ切ってしまうのです。
 
しかし実際には本のとおり、そううまくいくわけではありませんが、考え方として他のチ-ムの採らない戦略を打ち出していくことは必要です。そうでなくては、とても練習量に優るチ-ムには相手にならないのです。
 
またその他にも、それぞれの何の為にやるのかという目的意識やコミュニケ-ションの大切さ、また自己改革等、マネジメントに書かれている項目に照らし合わせて物語を進めているわけです。
 
とにかく、一部無理矢理当てはめようとしている部分がないわけではありませんが、一読に値するものと思います。是非、機会があればお読みいただけたらと思っています。

2011.04.01

ちょっと良い話part74 No.1982

今年ほどエイプリ-ルフ-ルのジョ-クが通じない年もないものと思われます。早くみんなで元気になって、明るく気軽にジョ-クを言い合える世の中になりたいものです。被災地の1日も早い復興を心から祈念しています。
 
そして自分に今、何ができるのか、しっかり考えて生きなければと思っています。そうしたこの日本、まだまだ捨てたものではないと、あっちこっちで聞かれる、ちょっと良い話をまだまだ紹介していきたいと思います。
 
地震の日、娘は渋谷の勤め先にいましたが、ビルが閉鎖になり、帰宅しなければならなくなりました。

渋谷駅で調布行きのバスを2時間待ちましたが、やっときたバスがあまりにも混んでいて乗れそうもないと思ったとき、自分の前にいた年配の男性が「次がいつくるかわからないから乗れるときに乗りなさい」と言って引き上げてくれたそうです。

ドアが閉まったあとも乗り切れなかった人たちがバスを取り囲み、なかなか発車できなかったといいます。

娘は終点から歩くつもりでしたが、途中の狛江市で降りればタクシ-に乗れるだろうという、その方の判断で一緒にバスを降り、運良くやってきたタクシ-に同乗させていただきました。

その方は狛江市内の住宅地で先に降りるとき、「タクシ-代に使いなさい」と1万5千円くださったそうです。

娘は「そんなにかかりません」とお断りしたのですが、受け取ってくださらず、お名前も教えていただけなかったそうです。

バスの中でもいろいろ話をしてくれたので心細くなかったという話を聞いて、親として本当に感謝しております。

 
どさくさに紛れてという言葉がありますが、困っているとき人の弱みにつけこんだり、火事場泥棒的な仕業をしでかす輩が被災地でも例外ではないと言います。
 
そんな輩は人間として屑みたいなもので、それこそ馬に蹴られて死んじまえと思うものですが、上記のような困っているときに、温かい手を差し伸べていただける人は本当に有難いものです。
 
その親切は決してお金うんぬんではなく、それ以上の温かな気持ちが伝わったのではないかと思われます。毎日、ニュ-スで伝わってくる被災地の人たちの現状は、胸が締め付けられ、涙が止まらなくなります。
 
それだけにあの被災地の方々のことを思うと、こちらだけぬくぬくと生きているわけにはいきません。会社もそんなことを考え、よほど寒い日を除き事務所内ではほとんど暖房も使いません。
 
そのように今、私たちにできることは何かと考えたら、せめて節電に努めることではないでしょうか。「咽元過ぎれば熱さを忘れる」とも言います。忘れることなく継続していくのが何よりも大きな力に繋がるものです。

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