会長の”三行日記”

2015年05月

2015.05.28

善光寺御開帳その2 No.2712

 善光寺御開帳の続きです。内陣の入口への長蛇の列を辿っていくと、最後尾と記された看板を持った案内係の人がいました。どのくらい待つのかと聞くと、およそ90分ぐらいとのことです。

ここまで来たらもう待つしかありません。この日は天気も良く、日差しも夏のように強く照りつけています。そんな中、だらだらと列が少しずつ進みながら、待つこと70分ぐらいだったでしょうか、ようやく本堂の入口に辿り着きました。

でも本堂に入ったからと言ってすぐに本尊を拝めるわけではありません。ここでも案内通路がジグザグ状に誘導されているのです。回向柱の列と違って人の進みが悪いのがようやくここまで来て解りました。

焼香台の前で4人ずつ、それぞれ願いをかけているからです。そしてやっと拝むことができた前立本尊ですが、既にテレビなどでも紹介されているように、比較的小さめなものです。

説明書によると、元々善光寺本尊の一光三尊阿弥陀如来像はインドで作られ、百済に渡り、仏教と共に日本に渡ってきたと伝えられています。でもその後、秘仏となり、それ以降は誰も目にしたことがないというのです。

ですから御開帳されているものは、本尊の分身として同じ姿で作られた前立本尊ということです。前立とは本尊に代わって立つという意味みたいで、普段は善光寺御宝庫に安置されているのです。

そして7年に1度、このように御開帳の期間だけ、本堂の内々陣中央に遷され御開帳となっているのです。この500円の参拝券でさらにお戒壇めぐりと言って、ご本尊の真下に通じる暗闇の回廊を壁づたいに歩くというのもできるのですが、それまでは止めることにしました。

何しろこちらもまた入る人が長蛇の列をなしているからです。待つのももう限界というものです。こうして善光寺を後にしたわけですが、もう一つの楽しみであった、おいしいお蕎麦屋さんを見つけるのも大変でした。

とにかく人々のお目当てが皆、同じだからです。近隣のお蕎麦屋さんはどこも一杯か入場制限している所ばかりで、仕方がないから駅まで歩いてその近くで見つけることにしました。

そして駅のすぐ近くにあった戸隠というお蕎麦屋さんに入ったわけですが、やはり混んでいた関係で、5人組の若い女性のグル-プと相席になりました。彼女たちの出で立ちを見ると、背中に善光寺命と書かれ、前面には英語で I LOVE 善光寺と記したお揃いのTシャツを着ています。

善光寺で買ってきたのですかと聞くと、出発前に自分たちでわざわざ作ってきたというのです。ずいぶんと力(リキ)が入っているものです。そしてお互いの帰りの無事を祈りながら別れたわけですが、こんなところにも「袖擦りあうも多生の縁」という旅の良さが生まれるものです。

そんなわけで歩き疲れたというか、待ち疲れた今回の善光寺詣りだったわけですが、また7年後も是非来てみたいと思った場所でした。そのときは泊りがけでゆっくりと、もう少し余裕を持った旅にしてみたいと思っています。蛇足ながら善光寺の御開帳は朝4時過ぎからできるということです。

2015.05.27

東大4年半ぶりの勝利 No.2711

東京六大学で 東大野球部が4年半ぶりに勝利を掴みました。これまでリ-グ史上最長の94連敗を喫していたのですが、23日の対法大戦で終止符を打ちました。敗れた法大の方はぼう然自失だったようですが、実に2010年秋の対早大戦以来の勝利です。

この試合、逆転に次ぐ逆転で結構ドラマチックな試合だったようですが、途中からはのびのびとやっていた東大に比べ、法大の方が硬くなってしまったのではないでしょうか。

このようにたった1勝を挙げただけで大騒ぎになる東大野球部の現状ですが、かつては注目を集めていた時代もあったようです。東京六大学創設期当時の東大には、大学野球界屈指の名投手・東武雄さんという方がいたそうです。

この人の活躍で他の5大学とも好試合を演じて、リーグに加盟できたといっても良いくらいだと言われています。東さんは東大野球部で唯一、ノーヒットノーランも記録した伝説の投手で、1925年秋のリーグでは、その快投により法大に4-1で勝利したそうです。

やはりそのときの相手が法大だったわけですが、東大はなんとリーグ初戦を白星で飾ったのです。またこの試合で東さんが放った本塁打が、記念すべき東京六大学リーグ初本塁打でもあるそうです。

そして1961年から64年にかけては、チ-ムの全8勝を一人でマ-クした新治伸治投手がいます。、東大野球部史上初めてプロ野球入りを果たした人です。この他にもやはりエースだった井手峻投手が、中日にドラフト指名されてプロ入りしています。

また怪物と呼ばれていた、あの江川投手が法大でデビュ-した年、開幕から3連勝していた彼に対して、初黒星をつけたのが東大野球部だったと言われています。それからNHK9時のニュ-スの元キャスタ-大越健介さんも、やはり東大のエ-スとして8勝を挙げて活躍している一人です。

このように調べてみると、東大野球部にも輝かしい伝統や歴史があるわけです。それだけに94連敗は屈辱以外の何物でもなく、周囲からも待ちこがれていた1勝ではないでしょうか。一昨年、東大の臨時コ-チに就任した元巨人の桑田真澄さんが以下のように述べています。

「よく野球は質より量と呼ばれていますが、大切なのはむしろ質で、効率よく中身の濃い練習をどう行ったかが重要です」と。就任して驚いたのはその練習時間の長かったことです。また今シ-ズンに向けて一番ポイントを置いたのが守りとのことです。

ですから、いかに守備でエラ-のないチ-ムを作り上げ、他の5大学にない、短時間で効率の良い練習ができるかではないでしょうか。それは県下強豪のひしめく高校野球界で、我が母校にも課せられていることのように思えます。

2015.05.26

善光寺御開帳 No.2710

 家内と二人で善光寺御開帳に行ってまいりました。往路、国道139号線沿いの富士芝桜まつりの会場を通過していく関係で、混まない前にと早めの朝5時45分には自宅を出発しました。

そのお蔭もあって道路は渋滞もなく順調で、精進湖経由で中央道甲府ICより中央道に乗り、双葉SAで最初の休憩をとったのが7時ちょっと過ぎぐらいの予定より早い時間でした。

そしてしばしの休憩後、中央道を下り岡谷JCTより長野道に入り、当初長野ICで降りようと思っていたのですが、NETで調べていった資料によると、更埴ICで降りて篠ノ井駅から電車で行くという方法を見つけましたのでそれに従いました。

善光寺のある長野駅周辺の道路は渋滞が予想されていて、長野駅より4つ手前の篠ノ井駅にはこの期間、無料の臨時駐車場が設けられていたからです。こうして12分ぐらい掛かり長野駅に着いたわけですが、その周辺はまさに善光寺一色となっていました。

駅から専用バスに乗り善光寺参道入口に着くと、10時過ぎの時間でしたがそこは人、ひと、人で溢れかえっていました。これが7年に1度の御開帳なのですね。そして両側に古き由緒ある、郵便局や旅館などの建物が並ぶ広い通りを抜けるといよいよ参道です。

でも、そこからがもう全く動かなくなっているのです。両側の一部は少し流れるのですが、真ん中の4~5列が人が止まったまま動かないのです。聞いてみるとそれは御開帳のシンボルとなっている、回向柱に触れるための列なのです。

最後列と記した看板には待ち時間90分となっていますので、どうしようか家内と相談したら、折角ここまで来たのだから並ぼうということになりました。こうなったら観念して持久戦以外ありません。

資料を調べてみると、山門と本堂のほぼ中央に位置している高さ約10mの回向柱ですが、御開帳となる本堂の前立本尊に繋がっていると言われ、この柱に触れることは前立本尊に触れるのと同じ功徳があり、結縁で願い事が叶うということです。

それなら何としてでも一度は触れなければなりません。そして待つことちょうど1時間ちょっとぐらい経ったでしょうか、やっと回向柱まで辿り着きました。家内安全と商売繁盛を願って回向柱に触れたのですが、面白かったのは係員の長いこと触れていたからと言って、ご利益が増すわけではありませんという言葉です。

こうして次は本堂に設置された御開帳の前立本尊への参拝です。ここには内陣と外陣という入口があって、すぐに入れる外陣はこの本尊の近くまで行けず遠くから眺めなければなりません。

それではつまらないと内陣の方へ行こうとすると、これまたびっくりで、こちらも入ろうとする人の波が延々と長蛇の列をなしているのです。でもこうなったら待つしかないと観念しました。その続きはまた次回紹介したいと思いますが、とにかく待つという耐えることでずいぶん人間ができたような気がしています。

2015.05.25

ベ-ブル-ス超え No.2709

 イチロ-選手の粋な計らいに周囲のム-ドがいっぺんに良くなったと伝えられています。ご存知の通り、今シ-ズン所属するマ-リンズはそんなに弱いチ-ムではないのですが、現在のところ低迷を続けています。

そんな折、ここに至ってマイク・レドモンド監督が成績不振を理由に解任されました。この解任そのものも前監督が名将と呼ばれていただけに、関係者からは物議を醸しているのですが、辛いのは新監督の前GMのダン・ジェニングス氏です。

何しろジェニングス氏は異例のGMからの転身で、人格者として、そして、才能を見抜くスカウトマンとして絶大な評価を受けていますが、監督経験は30年前に高校の野球チームを指導したのみだからです。

そんな新監督の肩の力を抜こうとサプライズを仕掛けたのがイチロ-選手だったのです。試合前のダグアウトでつかつかと歩み寄ると、ユニフォ-ム姿の監督にマーリンズのロゴの入ったチェックのネクタイを首にかけたのです。

すると新監督は満面に笑みを浮かべ、ゴードン選手らとハイタッチしたのです。イチロ-選手のこの気遣いのある演出で、モヤモヤとしていたベンチの雰囲気がいっぺんに吹き飛び明るくなったのです。

監督自身も「あれは最高だったね。受け入れてもらったんだという気持ちになった。自分にとっては温かい気持ちになったし、このグループの一員になれたと感じさせてくれた。ずっと忘れられない瞬間だよ」と言って感謝しているくらいです。

まさにイチロ-選手の周囲の異様な空気を読み取っていた上での行動だったのです。そのイチロ-選手がこの試合でベ-ブル-スと並ぶ、歴代42位のメジャー通算2873安打を記録しました。そして4戦ぶりに先発出場した22日の試合で、いとも簡単に2安打を放ち、大打者の記録を追い抜いたのです。

大リ-グに入り立て当初のマリナ-ズの時には孤高の人とも呼ばれていた人は、最近見るからに変わったような気がします。起用法にしても調子が悪くないのに、なかなかスタメンでは起用してもらえません。

シ-ズン当初、故障でDL入りしていて出場していなかった若手の外野手が復帰した途端、ベンチスタ-トとなりました。ところがこの若手、なかなか良い結果を出すことができないのです。でもシ-ズン当初の契約だからでしょうか、この選手を使い続けてイチロ-選手は先発では使ってくれません。

でも少しもくさったようなところも見せず、出場機会の減った試合でも黙々とその準備を怠ることがありません。このへんが技術のみならず、大打者と呼ばれる所以ではないでしょうか。またそれがチ-ム内でも一目置かれ、若手選手の良いお手本になっているものと思われます。

とにかく観ていると、何か野球に達観したようなものを感ずるわけです。変に気負いもないし、ただただ自分の出番を静かに待ち続けて、しかもそれなりに結果を出しています。これならメジャ-3000本安打も単なる通過点となるのではないでしょうか。やはり凄い人です。

2015.05.20

百寿者幸福の極意 No.2708

 100歳以上の高齢者(百寿者)は全国で5万9千人もいると伝えられています。この方々の記事を新聞で読ませていただきました。それによると、戦争や災害など波乱に満ちた1世紀を乗り越えてきた人の中には、趣味や仕事で軽やかに日々を送る「ス-パ-高齢者」も少なくないと言われています。

それらの方々の生き方から、長い老年期を心豊かに生きるヒントをもらえるかもしれません。こうした百寿者をめぐる研究も進んでいて、食事や生活習慣に加え、遺伝子など科学的な調査も本格化しているそうです。

その驚くべき若々しさに注目されがちですが、上手に老いを受け入れることで、幸福感を得ている百寿者も少なくないと、精神面での大切さも指摘しています。注目するのは百寿者の心のありようです。

寝たきりになっていても「幸せです」と答える人が珍しくないというのです。要は肉体的な衰えをどう受け入れるかということで、体の健康と心の健康は必ずしも関連しておらず、若さを保つことだけが幸せな老年期の条件ではないようだと指摘しています。

そして予防医学を推進し、平和教育にも力を入れている、あの103歳の現役医師・日野原重明先生は私たち人生の後輩に次のようにメッセ-ジを語ってくれました。

私は高齢者より「老人」という言葉の方が好きです。もともと「老」という字には敬意が込められている。特に75歳以上の人を「後期高齢者」という呼び方を私は受け入れられない。

むしろ75歳以上こそ「新しい老人だ」という意味で「新老人」と名前を付けて、2000年から「新老人運動」を進めてきました。皆さんに挑戦してほしいのは、30歳のときの体重を思い出して、肥満にならないように食生活を改善すること。

私は「腹7分目がちょうど良い」と提唱しています。そして適度に運動して上手に休養をとること。この3つが健康維持の柱です。現代は60~70代で現役を退いても、まだまだ社会的な活動をする余力がある人が多い。

例えば新しい仕事をする、趣味を持つ、ボランティアをする。社会と関わり合うことで「生きがい」が感じられて、心も体も健康でいられるのです。最近は年を取ると家族と離れて暮らす方が増えました。

でも豊かな時代に生まれた子どもや孫たちと暮らして過去の戦争について語り、どんなに惨めだったかを伝えてほしい。命の大切さを教え、平和をもたらすことも新老人の使命です。

私は数年前から俳句と書道を始めました。人は新しいことを始めると気持ちが活性化してバイタリティ-が湧いてくる。年を重ねても、勇気を出して新しい世界に一歩を踏み出してほしい。それがきっと、健康と生きがいにつながるでしょう。

そんなわけで、私も何かとは言いませんが、今年の初めからある事を始めました。楽しいのには違いありませんが、老いて学ぶことは幸福の極意に繋がることなのでしょうか。

2015.05.18

橋下徹氏政界引退 No.2707

 まずもって長い間、カキコミができなかったことをお詫びします。さて昨日は大阪都構想を市民に問いかけた住民投票が行われ、その結果、橋下さんが政治生命を懸けていた都構想は、僅差ながら否定される結果に終わりました。

これにより即日のうちに橋下さんは政治家から引退する旨、はっきりと意思表示することになったのです。ちょうど7年ぐらい前でしょうか、テレビを賑わせていた茶髪の弁護士が大阪府知事選に立候補し、見事政治家としての道を歩み出したのです。

それからの政治活動は破竹の勢いで、維新の会という国政政党のトップにも登り詰め、大阪市長にまでなるという、浪花の風雲児と呼ばれる名前そのものでした。でも歯に衣を着せぬ発言が続く中、必ずしも味方ばかりではなく、多くの軋轢が生まれたのも事実です。

そして大阪府知事と市長の両方を経験したことから、府と大阪市の二重行政による無駄を強く感じ、大阪市を解体して府と特別区に仕事を分けるこの都構想を掲げたのです。ですから賛否を問うこの住民投票への思いは人一倍強く、投票時間締切寸前まで街頭を回っていたと言われています。

しかしながらその思いは民意に届かないという結果に終わったのです。これで精も根も尽き果てたということでしょうか。でも府知事になった途端、職員給料と併せ、自らの給料や退職金にも手を加えカットするという改革手法は大勢の評価を受けたことでもあり、あの池上彰さんでさえ、今の日本に欠くことのできない政治家だと呼んでいるくらいです。

ですから政治家引退という話は少しもったいないような気がしないわけでもありませんが、あの橋下さんのことだからすっぱりと手を引いてしまうことと思われます。住民投票前、周囲の賛成可決という楽観論の中、橋下さん自身は一貫して厳しい見方をしていたようです。

ほぼ1か月前、「人間は不安が残っている限りは、最後は現状維持を望む。もっと厳しいと思いますよ。現実は」と記者団に漏らしていたみたいです。その予感が皮肉にも当たってしまったのです。

こうして大阪都構想は実現不可能となったわけですが、その選択は大阪市民が選択したわけですから、門外漢である私たちがどうのこうの言う筋合いのものでもないでしょう。それよりむしろ1つ喜ばしいことは、安倍さんが密かに進めようとしている憲法改正の動きに水を差したことです。

既に知られていたことでもありますが、この改憲については安倍さんと橋下さんは盟友とも言えるくらいの関係にあったのです。ですから水面下では橋下氏側が安倍政権を応援し、その一方で、安倍氏側は都構想を後押しするという「互助関係」があったとも言われています。

それが橋下さん引退で、維新の党は逆に自民党に対抗する勢力として、野党として民主党などとの再編をにらんだ連携を加速させる可能性があると言われているからです。こうなれば護憲派としての私たちの望むところでもあるわけです。

とにかく、いろいろと騒がせてくれた橋下さんの引退は少し寂しいものがありますが、世の流れはまた違ったリ-ダ-を求めていると言えるかもしれません。それにしても先日の韓国出張時、現地でも話した人からは、安倍さんは本当に人気がないですね。

2015.05.11

お知らせ

 4月15日以来、長い間このカキコミができず誠に申し訳ありません。言い訳以外の何物でもありませんが、ゴ-ルデンウィ-クも挟み、いろいろと落ち着かない毎日が続いていたことから、なかなか着手できませんでした。

そしてこの連休明けから何とか立て直そうと思っていたのですが、お取引様の社長に声を掛けていただき、本日午後から韓国・釜山の方へ現地モノレ-ルのお引合いと視察を兼ね、急遽出張することになりました。従って来週からは再開したいと思っていますので、どうぞご容赦頂きますようお願い申し上げます。