社長の三行日記

2012.06.29

ちょっと良い話part94 No.2237

米作りやめぬ理由という新聞への投稿文です。親の心、子知らずではないのですが、年老いても頑張っている人は少なくないものです。
 
埼玉県で一人暮らしをする80歳の母は、親戚や娘婿、孫の手を借りながら米を作っている。農薬や肥料代を差し引くと大した収入にならないし、腰が痛い、ひざが痛いと訴えたり、めまいがして救急車を呼んだりするなど、体に相当負担がかかっているようだ。

私は田んぼはもうやめた方がよいのではと心配している。先日、母の近くに住む姉に「母のわがままに付き合ってくれてありがとう」という手紙を出したら、思わぬ返信があった。

「母はただ米を作っているのではなく、米作りを通して得られるご近所との情報交換を楽しんでいる」。そういえば私との電話でも、母は「米あるん?}「野菜送ろうか?」と必ず聞いてくる。

何も手伝えないが、田んぼの見回りや収穫まで奮闘する母の健康を祈りたい。

 
こうやって少しでも体を動かして、米を作ることが生きがいになっているのでしょう。また家の中に閉じこもっていては人との会話もできないし、健康にもよくありません。
 
最近の研究では家に閉じこもっていては、認知症がすすむことも分かってきています。また人間が生きていく上で大切なことは、自分で食べることと自分の力で歩くことと言われています。
 
そう考えると働いていることって、結構自分自身を助けているのかもしれません。早くからリタイヤして、悠々自適な暮らしをしている友人を眺めると、とても羨ましく思えるものですが、案外、慌しく仕事に追っ掛けられている今の自分の方が幸せかもしれません。
 
頑張って、今のこのひと時を大切にしなければいけませんね。

2012.06.28

我が街の空洞化 No.2236

いよいよ我が街・沼津も空洞化の波が押し寄せてきました。昨日のニュ-スによると、セブン&アイ・ホールディングスはそごう呉店と併せ、沼津市駅前にある西武百貨店を2013年初めに閉鎖すると発表しました。
 
沼津に、いや静岡県東部にあった唯一の百貨店だったのですが、この西武沼津店が来年の1月31日を以って閉店するというのです。ずいぶんと寂しい話です。
 
2年ぐらい前の年初め、日経新聞が西武が沼津から撤退と一度はスッパ抜きしたのですが、正式情報ではないと否定されていました。が、沼津市が駅高架事業の先駆けとして、駅南口玄関にイ-ラデという商業ビルを建設した際、西武の入店を打診したらしいのですが、きっぱりと断わられていたのです。
 
このときから既に、長くはここに留まらないというのが大方の見方だったようです。西武沼津店は地方都市への進出百貨店第1号として、57年6月に営業を開始し、71年11月には南隣に新館までオープンさせ、地元での人気を集めたデパ-トです。
 
ところが各地の都市に見られるような、郊外型大型駐車場付ス-パ-の進出により、売り上げ不振を招いたのは例外ではなく、近年赤字続きの経営状態だったようです。
 
家内などの話によると、平日の衣料品売り場などではお客より店員の数が多いくらいで、買い物もし難いような状態だったみたいです。それでも休日や夕方の食料品売り場などでは、やはり新鮮さとデパ-トの持つ安心・安全さから、結構人の賑わいはあったようです。
 
弊社も近年、盆暮れの贈答品などには欠かさずここを利用していました。また同級生などで年2回開催するゴルフコンペの賞品も、ずっとここで商品券などを購入していたものです。
 
これで沼津からはかつての十字屋や長崎屋、そして丸井と撤退していったお店に続き、最後の砦として残っていた西武までがなくなってしまうわけです。
 
まさに駅前は灯が消えてしまいます。何年掛かるか想像がつかない駅高架の事業を、市は推進していますが、果たしてそれまでお客の流れを繋ぎとめることができるのでしょうか。
 
完成した暁には、それを狙いとしている南北の人の流れどころか、周辺から全く人が寄りつかない街にならなければよいと思うのですが...家内の提案では、いっそのこと行政の中心として市役所を持ってきたり、病院を誘致したらどうかと言います。
 
その方がかえって新たな人の流れが生まれるかもしれません。とにかく真剣に考えないと、我が街がゴ-ストタウンに成り下がってしまうかもしれません。やはり沼津で東京のお買い物はできないものなのでしょうか。

2012.06.27

ホテルニュ-オオタニのエコ No.2235

衆院採決の結果は民主党内で反対者が57名にも上り、欠席・棄権を含むと72名もの造反者が出ました。まさに党内分裂とも言えますね。野田政権はこれからの政局運営が益々厳しくなるわけですが、主義主張が違うのだから、潔く新党でも何でも作ったらよいのではないでしょうか。

さて、先週の土曜日、法人会支部研修旅行で東京のホテルニュ-オオタニに行って参りました。と言ってもただの観光や食事というのではなく、このホテルが古くから取り組んでいるエコ活動について、見学させていただいたのです。

あの華やかなホテルの裏側で、こんな取り組みを以前からしていたのだなと、少しびっくりさせられました。またよくこんな裏側をすすんで見せてくれるものと、ホテルの経営姿勢にも好感を持ったものです。

 
私たちはそこまでよく知らなかったのですが、ホテルは水が命と呼ばれるほど、大量の水を消費しているとのことです。ですから上水道の市水だけでなく、井水をそれと全く同じ成分にするだけのプラントシステムを備えています。

     

敷地内の地下水を汲み上げ、飲料水を作る施設です。またこれは緊急の災害時にも、地域住民の協力井戸として活躍できるとのことです。

また中で使われた排水は、やはり備えている排水プラントシステムにより、ホテル内のロ-ズガ-デンはじめ木々への散水や、トイレの洗浄水へと再利用されています。

 
それから食事等の食べ残しや厨房からの生ごみも、ホテルでは半端ではないものと思われます。この生ごみを分別し、コンポストプラントという装置にかけ、高温で脱水した土状のものに変え、農作物への肥料へとリサイクルしているのです。
 
この他、自家発電も災害時の緊急用としてだけでなく、常時いくらかでも高い電力料金を補うため使用しているとのことです。その他屋上緑化や、効率のよい冷暖房の空調システムなど、至るところに省エネが図られています。
 
さすがに日本を代表するだけのホテルと言えます。山本さんと言われる、私たちに丁寧に説明をしていただいた方のお話によると、こうした電気量やガス、水道などの光熱費はニュ-オオタニだけで、1ヶ月1億を超える額だと言います。
 
またその金額は東京都の中では8番目とのことです。意外だったのは何とその一番の消費しているところが、あの東京大学だと言うのです。まさに日本を代表する研究施設だからでしょうか。

     

とにかく、その様々なエコロジ-施設は以前から取り組んでいるためか、多少、老朽化してきているようですが、いち早く着手している経営姿勢は見事なものです。もちろん、その後のタワ-棟最上階でのバイキングによる食事はおいしくいただいたものです。

2012.06.26

国民不在 No.2234

消費増税を柱とする税と社会保障の一体改革関連法案が、本日午後からの衆院本会議で採決となります。これをめぐって与党である民主党は、この法案に反対する議員が60人以上にもなると言われており、党分裂の危機にも直面しています。
 
でもいっそのこと、党解体してもいいのではないでしょうか。長年、自民党に政権を任せていた国民が、何とか疲弊しかけている日本や、不安定な日常を少しでも変えてもらいたいと願い選んだ民主党だったのですが、その期待は大きく外れてしまいました。
 
やっているのはコップの中の嵐ばかりで、国民のことはいつも置き忘れ、唯一こちらを向いたと思えば考えるのは選挙対策ばかりです。そしてマニフェストに載せた公約は全て嘘っぱちばかりで、唯一つ果たされていません。
 
消費税だって上げるとは言っていません。それから公務員改革と称して、国家公務員の人件費削減にしたって、20%と明示していたのにもかかわらず、昨日の党代議士会で野田首相があたかも実現したかのように、-7.8%したじゃないかと大見得を切っています。
 
私たちから言わせれば、「隗より始めよ」という言葉もあるとおり、代議士自らがその報酬を削り、余分な定数削減を実現してこそ国民への説得力があるというものです。
 
大借金にまみれた日本の財政の行く末を考えたら、消費税だって上げなければいけないことは理解できないわけではありません。でもその実現に際し、あまりにも為政者の国民への説得力がないのです。
 
また一方の野党の代表である自民党もお粗末極まりないものです。代表自ら、いつもその口から出るのは相手の批判ばかりで、私たちならこうするという、具体的提示がないのです。そして結局は自分たちの党利党略を考慮し、烏合の衆となり下がったのです。
 
これでは今すぐ解散があっても、自民党を選ぶ人は少ないのではないでしょうか。それからもう一人、自分のグル-プを引きつれ、反対勢力となり明日は新党かと囁かれている御仁ですが、この人も考えているのは選挙のことばかりのような気がします。
 
もっと大所高所に立っての見地が働かないのでしょうか。これでは今やっていることは、かつての自民党の派閥勢力と何も変わるものではありません。それから大阪を束ねている人気市長にしたって、言っていることが首尾一貫していません。
 
脱原発を唱えて、絶対再稼動には反対と言っておきながら、ある日突然豹変したかのように再稼動容認に回る始末です。パフォ-マンスが強すぎることから信用していたわけではありませんが、こんな人には国政は任せられるものではありません。
 
そうしてみると、いったいどこに任せたら、この日本の軌道修正ができるのでしょうか。とにかくどこの政党も信じられない世の中になってしまったようで、一寸先は闇のこれからは、私たち一人ひとりが世の中を変えていくしかないかもしれません。

2012.06.25

ひだまり亭のその後 No.2233

ひだまり亭開店から2ヶ月以上が過ぎました。お陰さまで、毎日のように来てくださる方もいて、常に20~30人ぐらいのお客様の来店があるようです。とても有難いことです。
 
つい先日もFMコ-ストというラジオ番組からも声が掛かり、家内が30分番組の取材を受けてきました。生憎、収録後すぐの翌日放送だったため、私は聴くことができなかったのですが、お相手してくれた元気のよいパ-ソナリティもその趣旨に大いに賛同してくれたようです。

一人暮らしの方や、昼食はいつも一人ぼっちで食べなければいけない方、そしていろいろな方との会話を楽しみたい方などが集い、食事をしながらでも気軽に情報交換ができ、少しでも長く元気でいてもらいたいというのが、そもそもの出発点の発想です。

また地域の集会所は「老人憩いの家」とも銘打っていることもあり、元々はこうした方々が気兼ねなく集まる場所にもなっているわけです。ところがそうは言っても、なかなか皆さんが毎日のように集まることは難しいものです。
 
時にはカラオケや体操教室、囲碁などで集まることがあるようですが、毎日というわけにはいきません。そこで毎週、月~木曜日の4日間ですが、このひだまり亭が開店していることから、そうした集まりともうまく連携を取りながら、相互に楽しめる場所となっているようです。
 
支えて頂いているのはやはり、また少しずつ増えようとしている、スタッフの方々です。10数名になったのでしょうか。4日間のうち、何日かロ-テ-ションで手伝っていただいているようです。
 
ただ昼食が300円という価格で提供しているため、今のところはなかなか採算が取れるというところまではいかず、全くのボランティアということで甘えてしまっています。
 
でも私も時々はこのひだまり亭で食事をさせていただくのですが、スタッフはいつも明るい笑顔で迎えてくれます。またご高齢の方との話し相手にも、意識して努めてくれています。本当に有難いことです。
 
そして以前にも書きましたが、自治会など地域の方々も、積極的にこの事業に協力して下さっているから嬉しいものです。昨日も自治会や婦人会が主催する敬老会の行事があり、そこでのお弁当を100以上注文をいただいたとのことです。
 
ですからその準備で大変だったようで、前日から大忙しです。当日は朝5時前からご飯を手分けして炊いていたみたいです。本当に頭の下がる思いですが、毎日のメニュ-を考えることも含め、全くのボランティアに留まらず、少しでもスタッフの方々の苦労に報いなければと思っているものです。
 
でも継続は力なり、毎日のように来て下さっている方が、木曜日になると「明日は休みだからつまらないよ」と言ってくださったり、「本当においしかった」と言って、残すこともなく綺麗に食べ尽くしてくれることが、スタッフの何よりの励みになっているようです。益々地域の方々から愛される場になることを願っています。 

     

2012.06.22

いかにしてなでしこは世界を制覇したのか その2 No.2232

五輪前の最後の調整を兼ねスウェ-デン遠征した練習試合、なでしこはアメリカに1-4と敗れましたが、続くスウェ-デン戦に1-0で勝ち、1勝1敗の成績で遠征を終えました。
 
どちらの対戦相手もW杯後、日本を研究しており、今までどおりにはいかなかった試合でしたが、五輪本番まで後1ヶ月と迫ったこの時期、もう一回戦略を見直す意味でよい遠征ではなかったでしょうか。
 
このなでしこについてですが、先日の雑誌「致知」の対談の続きにもう少し触れてみたいと思います。W杯優勝時、案外知られていないのが日本チ-ムがフェアプレ-賞を獲得したことです。
 
かつて優勝チ-ムがこの賞を獲ったことは一度もなかったそうですが、日本チ-ムに頂くことができました。それは不服の残る判定にも、レフリ-に一言も文句を言わず、選手一人ひとりが潔く引き下がる姿が評価されたのです。
 
優勝の勝因を一言で表現すると、こうしたすぐ気持ちの切替ができる、メンバ-の団結力が一番だと言っています。それに大きく育ってきたのが、選手個々の自主性です。
 
佐々木監督が女子サッカ-に移ってきて、一番最初に感じたのが、男子に比べて指導者の判断を委ねる傾向が強かったことです。サッカ-では自分たちで工夫したり、相手や仲間の状況を咄嗟に判断しながら対応することが特に重要です。
 
従って野球のバントや投手交代など、監督がゲ-ムに関与する割合より、サッカ-は低く、選手たちが主体的にフィ-ルド内で判断することが大事となっているそうです。ですから極端に言うと、俺はメンバ-を決めるけど、細かいことはおまえたちでやれということです。
 
そしてもう一つ拘ってきたのが、試合のための調整をしたことがないということです。明日が決勝だと言っても普通に練習をやる、また2日続けて試合をしているのにまた2時間練習をやる、すると選手からなぜとの疑問の声が上がるのです。
 
これを受け、「おまえら、チャンピオンを目指しているんだろう。俺はそのための準備をしてるんだ」と選手に投げ掛けたと言うのです。決勝ト-ナメントでは試合を重ねる毎に疲れがたまります。そこで一発勝負となった時に、どれだけスタミナや集中力がしっかりあるかを重視しているからです。
 
こうした効果もあって、W杯で戦ったドイツやスウェ-デンにも動き負けすることはありませんでした。またアメリカとの試合においても、前半こそ苦戦を強いられたものの、最後まで足を止めることなく戦え、走れたということは日頃のこうした積み重ねが功を奏したのではないでしょうか。
 
やはり普段からの練習がものをいうわけです。野球のように監督の采配が表にあまり出ることはありませんが、サッカ-においてもこうした監督しだいで変わってくるわけですね。
 
まだまだ、なぜ世界を制覇できたのか、その対談には躍進の秘訣が込められています。続きは改めてまた触れさせていただきます。とにかく佐々木監督は謙遜していますが、勝つための戦略をしっかり考えている人です。

2012.06.20

季節外れの台風 No.2231

昨夜の日本列島を直撃した台風4号は凄かったですね。6月としては8年ぶりと言われるこの台風は、紀伊半島から列島を縦断するような形で本土を直撃しました。
 
ちょうど金融機関の総代会が三島であり、懇親会が終わったのが6時半頃だったでしょうか。傘を持たずして出掛けたため、駅まではタクシ-で行かなければいけないほどの雨が、もう既に降っていました。
 
そして早めに帰宅できたのですが、夜9時ごろ台風が静岡を通過したのでしょうか、ボロ家が揺すれるほどの強い風で怖いくらいだったほどです。
 
この影響でしょうか、今朝いつもの通り、愛犬との散歩の時、自動販売機のペットボトルの回収BOXとか、やはりポリ製の各家の収納BOXがあちこち飛んでいて、あまりにも散乱がひどいので、とても片付けようのないほどでした。
 
また交通機関が乱れて大変だったみたいですね。7月から東京に住まなければいけない関係で、ちょうど東京に出掛けていた娘から電話が入り、東京駅で新幹線が動かないため、缶詰状態だと言うのです。
 
そして今朝になって連絡がまた入り、何と家に戻ってきたのは夜中の3時過ぎだと言うのです。ですから同じように足留めをくらい、大変な苦労を強いられた人が少なくなかったのではないでしょうか。
 
またニュ-スによると、東日本大震災の被災地、宮城県石巻や気仙沼、また岩手県大船渡や大槌町なども大変だったみたいです。地盤沈下した沿岸部の土地だけに、浸水等の被害が心配されるものです。
 
それからわが町・沼津の沿岸部沖合いでも、冷凍マグロを積んだ運搬船が強風に流されて、浅瀬に乗り上げ座礁するという事故も起きてしまいました。横須賀港から清水港に向かう途中だったらしいのですが、満潮となった今朝に何とか自力で脱出できたかどうか、定かでありません。
 
このように、まさに季節外れの台風でもあったわけです。梅雨が明けるどころか、始まるか否かで、落雷や雹が降るということも、つい先日ありました。全く異常気象ともいえる昨今で、何が起こるか判らないものです。
 
後に続いてやってきそうな台風5号の関係で、通り過ぎても台風一過の好天を臨むことができなくなっています。雨が降り続く地盤等の緩みで、各地で被害がこれ以上ないことを何よりも願いたいものです。
 
明日21日は私用のため、休みをとらせていただくため、カキコミも休ませて下さい。

2012.06.19

巨人の独走 No.2230

プロ野球、セパ交流戦で巨人が優勝が飾りました。交流戦が始まって8年目にして、初めてセリ-グの球団が優勝したというのです。それだけ今まではパリ-グに圧されていたということなのでしょうか。
 
それにしても巨人は強かったですね。まあ、あれだけの選手を抱えているわけですから、これが本来の姿なのでしょうね。開幕から少し躓き、ひょとしたらと思ったのですが、やはり実力が抜けているのでしょう。
 
まず投手陣がいいですね。移籍入団の杉内投手は予想通りの活躍です。直前の楽天戦登板では、相手の高卒ル-キ-・釜田投手と投げ合い敗れましたが、その前の試合では9回2死まで一人の走者も許しませんでした。
 
あわや完全試合かと思われた試合でしたが、次打者に四球を出し、ノ-ヒットノ-ランになってしまいました。それでもノ-ヒットノ-ランの大記録です。この大黒柱の存在は他チ-ムにとって脅威て的なものではないでしょうか。
 
その他内海、沢村、ホ-ルトンと、先発4本柱の投手が揺るぎがなく安定しています。それに抑えの球団新となる、21試合連続無失点を達成した山口投手が加わっているのですから、磐石な体制となっているわけです。
 
そしてこの投手陣に加え、好調な打撃陣な揃っているわけですから強いわけです。でもその強さの裏には原監督の、繋ぎの野球に徹している方針転換があるようです。
 
当初からどこからでも出そうな、一発を秘めた打線を組んで、どちらかと言えば大味な野球をしていたのが今まででしたが、交流戦に入ってからベンチも積極的に動き、バント、エンドラン、盗塁を絡めた、点を取る攻撃に徹しているように思えます。
 
ですから主砲の村田、阿部の両選手にもバントのサインを出すくらいです。こうなれば強いわけです。でもこのまま巨人の独走ではペナントレ-スが面白くなくなってしまいます。
 
何とか楽天の釜田投手のような、強打者を少しも恐れず、強気でどんどん勝負していくような、若くて意気のいい投手の出現を望みたいものです。とにかく、このまま巨人の独走を許さない、特にヤクルトなど他のチ-ムの奮起を促したいものです。

2012.06.18

父の日に No.2229

ついにオウムの最後の逃亡者、高橋克也容疑者が捕まりました。1~2週間で逮捕できないと長期化する懸念があったのですが、さすがは優秀な日本警察の包囲網です。監視カメラの解析の技術などを聞くと、とても逃げ延びることなど不可能と思えるものです。
 
とにかくこれで警察の面目が少しは保たれたのではないでしょうか。さて昨日は父の日でした。母の日と違って、あまり自分には関係ないものと思っていたのですが、嬉しい誤算があった昨日でした。
 
というのも、母の日は周囲も大騒ぎをするためか、子どもたちはそれぞれが日頃の感謝の思いとばかり、何かしらプレゼントを彼女に届けていたのです。一方、もう一人の連れ合いの方には冷たいものです。今まで一度として、こちらはもらったことはありません。
 
そんなわけで、朝から工事で平塚に出張していたのですが、比較的順調に仕事も進み、家には夕方5時前には戻ることができました。家に戻ったところ、めずらしく3人の子どもたちが顔を揃えていました。
 
御殿場に住む長女も戻ってきていて、また結婚したばかりの次女も仕事が休みとのことで、そしていつもは休みになると滅多に家にはいない長男まで顔を揃えていたのです。
 
テ-ブルを眺めると、何やら宅急便が届いているのです。宛先が私の名前になっていて、送り主は長女夫婦の名前です。包みを開けてみると、ご覧のような名前入りの焼酎なのです。長女の旦那が私に気を遣って手配したのでしょう。

またつい先日結婚したばかりの次女からは、新婚旅行で買ってきてくれたという、ゴルフなどに提げていくバッグを頂いたのです。これも以前から私が欲しがっていた品物です。
 
そして社会人2年目となった長男からも、少し気恥ずかしそうに包みを渡されたのです。普段からもっとオシャレをしろとばかり、ポロシャツをいただいたのです。いくら最近、ボ-ナスをもらったばかりだと言え、嬉しい話です。
 
考えてみると、父の日に私には初めてのプレゼントとはいえ、3人ともある意味ではやっと落ち着いてきたのでしょう。昨年、そして今年と続けて嫁いでいった2人の娘、そして社会人2年目になってようやく、地に足が着いてきた長男と、精神的な部分に多少、余裕が出てきたものと思われます。
 
それにしても盆と正月がいっぺんに来たような、私への持て成しには嬉しくないと言ったら嘘になります。こうした子どもたちの成長が何よりです。8月に出産を控える長女が、もう少しで産休をとらせていただきます。
 
いよいよ私も遅かりし、おじいちゃんの仲間入りです。携帯の待ち受けに孫の写真を入れて嬉しそうに眺めている友人を、冷ややかな目で眺めていたものですが、こちらも少し怪しくなってきたものです。

2012.06.15

いかにしてなでしこは世界を制覇したのか その1 No.2228

今度のオリンピックでも金メダルを期待されている「なでしこジャパン」ですが、雑誌「致知」に、いかにしてワ-ルドカップを制覇できたのかを、代表監督の佐々木則夫さんに聞いていました。
 
今でもしっかりと思い出すことができ、一度も勝てなかったあのアメリカを破り、世界の頂点に輝いた優勝は、先制され、追いつく、また勝ち越されて突き放され、土壇場で追いつくといった、劇的な試合を制してものです。
 
そしてこの優勝は、東日本大震災で痛めつけられ、暗く落ち込んでいた日本に勇気と感動をもたらしてくれました。ヨ-ロッパのマスメディアは試合を評して「日本の監督はノンフィクションのスピルバ-グだ」と称えたくらいです。
 
ハラハラ、ドキドキ、そしてハッピ-エンドだったからです。また日本のスポ-ツ史上でも最高の勝ち方ではなかったかと言われています。そしてよく言われるのが、PK戦に日本が臨んだときのあの笑顔についてです。
 
佐々木さんはこれについて「こいつら、よくやっているな、という思いが湧いてきて、自然と表情がニコニコと和らいできた」と言っています。そして「本当のところは選手を和ませるというよりも、おまえらよく頑張ったという私の思いが出た表情だったのです」というのが真相のようです。
 
ですから監督に、妙な欲があれば笑えなかったと言っています。それともう一つ、キャプテンの澤さんが円陣を組んでいる中、スッと寄ってきて「則さん、ごめん」と言ってPKを回避したいと申し出たそうです。それで皆が「ずるい」と言って、また盛り上がったみたいです。
 
彼女は以前、2006年のアジア大会決勝でPKを外して負けて以来、一本もPKを蹴っていなかったそうです。「蹴りたくない」という言葉が本人から出た時点で、これは蹴らさないほうがいいと、監督は即座に判断したと言っています。
 
メンバ-にも「さっき澤がミラクルシュ-トでこの場を与えてくれたんだから許してやれ」と言って納得してもらったのです。この残り2分もない局面で澤選手が奇跡的に入れたシュ-トも、決して初めてではなかったとのことです。
 
北京五輪初戦のニュ-ジ-ランド戦でも、2-0でやられている時に、やはりああいうシュ-トを入れているらしいのです。人々がその時点では、あまりなでしこに注目していなかった時期だったのでしょうね。
 
とにかくW杯に出発する時は、見送りは報道陣も新聞記者が数名とカメラが数台しかなかったと言います。それが戻ってくるときにはあの騒ぎです。報道陣だけでも260人ぐらいが詰め掛け、成田空港始まって以来の数だったそうです。
 
まさに天と地ぐらいの差の扱いだったと言っています。この他にもまだまだ、人はどうやったら気持ちよく動き、成果を上げることができるのか、私たち経営にも通ずる話をふんだんに語られています。また次の機会で紹介させて下さい。

2012.06.14

思い出の五輪 No.2227

ロンドン五輪まであと45日を切った今日、マラソンは人生のドラマという記事に、今は遠い昔となってしまった東京五輪を思い出すことができました。
 
もう48年前になってしまったのですね。ちょうど私が中学3年生の時です。友人の家がこれに備え、カラ-テレビを入れたので、家まで押し掛け見せてもらった、あの開会式での日本チ-ムの赤と白のユニフォ-ムと、真っ青に澄んだ美しい空の色が忘れられません。
 
そのくらい鮮やかなものでした。その東京五輪で活躍した、多くの日本人選手の中で一番思い出に残っていたのが、マラソンの円谷幸吉選手です。
 
7万人が詰め掛けていたという国立競技場に入ってくるまでは、当時24歳の陸上自衛官だった円谷選手は2位を走っていました。大声援に押され、そのまま銀メダルかと思われたのですが、トラックに入ってからイギリスのヒ-トリ-選手に抜かれてしまったのです。
 
惜しくも3位になったというものの、堂々たる銅色に輝くメダルを獲得したのですから、円谷選手は胸を張れる立派なものです。抜いた銀メダリストのヒ-トリ-さんは現在79歳、ロンドン郊外でガ-デニングを趣味に、退職後の余生を静かに暮らしているそうです。
 
このヒ-トリ-さんが当時を振り返って、円谷選手はすごく疲れていたと言っています。また競技場で声援を送っていた円谷さんの兄も「見たことのないほど疲れていた」と述べています。
 
その責任感と日本中の人々から期待されていた使命感だけで、走っていたのではないでしょうか。レ-ス直後、円谷さんは「4年後のメキシコを目指す」と宣言しました。一方、東京で8位に終わった君原健二さんはレ-スの7日後、所属の陸上部に退部届を出したそうです。
 
日記には「やっと東京オリンピックという乗り物から降りた感じだ」と書いていたとのことです。それくらい重圧で苦しんでいたのではないでしょうか。そして君原さんは1年間、競技から遠ざかり、結婚もしたそうです。
 
円谷選手にも結婚を考えていた女性がいましたが、五輪を優先させたいという上官の意向で破談となり、けがも度重なって、ついにはメキシコ五輪目前の68年1月に、自らの命を絶ってしまったのです。
 
自殺を聞いて日本中に大きな衝撃が走ったのを、今でもはっきりと憶えているほどです。君原さんは「ここに2人の人生の大きな分かれ道があったような気がいたします」と述べています。
 
こうしてその円谷さんの思いと願いが乗り移ったかのように、後に迫る選手を振り切って、メキシコで君原選手が銀メダルに輝いたのでした。円谷さんは小学生の頃の親の教えを守り、走っているときには一度も後ろを振り返らなかったそうです。生真面目で人一倍、責任感が強かったのでしょう。
 
このようなドラマがまたロンドンで生まれるかもしれません。来る7月27日に開幕する、3回目のロンドン五輪というものの、日本としては初参加となるこの地での開催に、大いに期待したいものです。できれば私たち同様、子どもたち世代にも東京五輪のような自国での開催の、思い出創りができることを願っています。

2012.06.13

日本語の難しさ(敬語) No.2226

次のような敬語の例文を出されました。私も何気なく使っていそうな言葉なのですが、これが全て誤りだと言うのです。そうしてみると、私も偉そうなことはあまり言えないものです。
 
(1)講演会の資料は、会場の入口で係の者からいただいてください

(2)いえ、とんでもございません

(3)ちょっとお尋ねしたいのですが

(4)こちらにお見えいただけないでしょうか

(5)当店ではお求めやすい品を各種取りそろえて、お客様のご来店をお待ちしております

 
まず(1)なのですが、いただくとは目上の人から何かをもらうときに用いる謙譲語ですから、自分ではないお客さんに対して使う言葉ではありません。ですからお受け取り下さいが正しい表現とのことです。
 
(2)については、「とんでもない」という否定語は「とんでもなくない」ということになりますが、発音しにくいため、「とんでもないことでございます」という使い方が正しいそうです。
 
(3)の「ちょっとお尋ねしたいのですが」ですが、これでは自分に尊敬語を用いることになってしまい、『聞く』の謙譲語は『お伺いする』ということから、「少々お伺いしたいのですが」が最適だといえるそうです。
 
また(4)では、「こちらにお見えになられますか」は、まったくの誤りではないのですが、「こちらにお見えになりますか」で十分とのことです。『お見えになる』がすでに尊敬語なので、これに尊敬の助動詞『れる』を加えると、二重敬語になってしまうそうです。
 
最後の(5)については、どこが間違いか判りにくいものですが、『お求めやすい』ではなく、『お求めになりやすい』が標準的とのことです。『お求めやすい品』は、『お書きやすいペン』『お読みやすい本』という言い方が、明らかにおかしく感じられるように一般的でないそうです。
 
このように結構、気が付かないで使っている言葉に誤りが多いようです。美しい日本語を子々孫々のためにも、私たちはしっかりと引き継ぎ残してやる義務があることと思います。また知性や教養は何気ない、そんな日常の言葉から感ずるものです。

2012.06.12

お通し No.2225

いろいろなお付き合いがある関係で、よく飲む機会が少なくありませんが、ちょっとした小料理屋や居酒屋に行くと、必ずお通しというものがお酒に付いてきます。このお通しについて、新聞でちょっと触れていました。
 
飲食店でお酒を注文すると、必ず付いてくるのがお通しです。このお通しにもいろいろあって、お店がしっかりと手をかけて作っているものもあれば、出来合いの加工食品をただ皿に移し変え、出しているだけのところもあります。
 
でも代金は300円から500円ぐらいまでのところですが、しっかりと勘定に付いています。別にこちらが頼んだわけでもないのに、代金を取られるという、このお通しについて、最近では廃止に踏み切るお店も出てきて、今までの食習慣が変わろうとしているというのです。
 
元々このお通しって何だろうと調べると、本来は客が注文した品を待つ間に、酒のアテに出した気遣いの一品ということであるみたいです。あるお店の主人は「お通しはお客さんと最初の信頼関係を結ぶ大事な一品。時には採算度外視で出しています」と述べています。
 
このようなお店だけでしたら嬉しくて言うことないのですが、なかなかそうばかりではありません。でもこのお通しというものは、店側にとっては大切な収入源でもあると言っているのです。
 
メニュ-にもない物を出すだけで、300~500円の売り上げになるわけですから馬鹿にしたものではありません。分析するとお客が払う飲食代金の約10%にも相当すると言いますから、経営上の重要なシステムとも言えるわけです。
 
でもこれは店側の論理で、お客にしてみれば必要でもないものに、わざわざお金は払いたくないものです。こんなことから高級料理店でも廃止するところや、メニュ-にお通し代金を明記して客が断われば料金は取らないお店も出てきているみたいです。
 
とにかく、お通しは客が最初に出会う店の顔とも言われています。それだけに、手間を掛けて心のこもった一品であれば嬉しいものですが、おざなりの物を出すだけでは、お客のためにもやめたほうがいいのではないでしょうか。
 
それか、もしくは「お通し、必要ですか」と一声、掛けてみたらどうでしょうか。お客との信頼関係という絆を強くすることが何よりです。

2012.06.11

ちょっと良い話part93 No.2224

テレビでこんな、ちょっと良い話を知りましたのでご紹介します。去る6月2~3日の2日間行われた、陸上・十種競技で右代(うしろ)啓祐選手が見事、日本記録に迫る高得点で五輪出場のチャンスを獲得した話です。
 
この十種競技というのは、まず走る分野で100m、110mハ-ドルの短距離と、400m、1500mの中距離のレ-スです。それから投てき分野として円盤投げ、砲丸投げ、やり投げの3種目、そして跳躍部門として走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳びのやはり3種目です。
 
この10種目をすべて競うわけですから、とにかく大変です。パワーとスピードに加え、瞬発力と持久力を併せた「運動能力」すべてを兼ね備えた総合アスリートでもあるわけです。
 
右代選手はこれに先立つ昨年の大会で、8073点の日本記録を樹立しています。その一部記録を紹介しますと、100m11秒39、400m50秒28、棒高跳び4m90、走り高跳び2m06、そしてやり投げ73m06と、どれも見事な記録ばかりです。
 
また知らなかったのですが、この10の競技を2日間で消化しなければいけないのです。そうでないと今までの記録が無効になってしまうというのです。まさにモンスタ-競技とも言えますね。ただ、好記録を出したこの大会の2日目(最終日)は雷や大雨で、一時競技が中断する悪天候だったようです。
 
このため競技時間が大幅に遅れ、一時は右代選手の折角の好記録が無効となるところでした。7種目を終えたところで、右代選手は五輪A標準記録(8200点)ペ-スで順調に記録を伸ばしていました。
 
ところが8種目めの棒高跳びの際に、激しい雷雨の影響で約2時間の中断がありました。そして再開されたのが午後4時です。それから思わぬ敵となったのは競技場の照明です。
 
天候が悪かったこともあり、闇夜は早々と迫ってきます。でもこの競技場に設置されている照明設備は、メインスタンドの屋根に設置されているものだけです。通常ではここで関係者はあきらめてしまうところですが、右代選手の好記録を潰さないためにも、それから必死に様々な手を尽くしたようです。
 
9種目目のやり投げは小さな投光器が急遽用意され、そして最後の1500mでは6台の乗用車まで競技場内に乗り入れ、ヘッドライトでトラックを照らしたというのです。
 
生憎、競技時間が詰まったことと十分な明るさでなかったため、1500mでタイムが伸びず、自己の持つ日本記録は更新できなかったそうですが、まさに関係者の必死な努力が実を結び、右代選手を五輪候補に押し上げたのでした。
 
この種目での五輪出場は東京大会の鈴木章介選手以来、実に48年ぶりと言います。ですから何とか48年ぶりの代表に選出され、この大会での必死に盛り上げてくれた、関係者の期待に応えてもらいたいものです。でもまさに十種競技の選手はキング・オブ・アスリ-トと言えるものですね。

2012.06.07

AKB総選挙 No.2223

これを書いてしまうと、ああやっぱり年寄りのひがみかと思われるかもしれませんが、私たち世代にとってはとても異常な姿に写った昨日でした。AKBの総選挙です。
 
もちろん私は出掛けていて、テレビで生中継されたその番組は観ませんでしたが、NHKの9時のニュ-スでも採り上げたと聞いています。まずもって異常な現象だと思うのですが、そう思うのは私だけなのでしょうか。
 
AKB商法と言われるこの選挙方法は、CDを買って中に入っている投票券で投票するというものらしいのですが、一人で1000枚近く買って投票券だけ抜いて後は捨てるという人間もいるみたいです。
 
明らかに販売者側の作戦に、まんまと乗せられていると思われるものです。でもなぜこの社会現象とまで言われるような、オリコンチャ-トを独占し、青少年ばかりでなく少女たちまでの若者を熱狂させるのか、その謎を少し探ってみました。
 
ある人が言うことには、偶然の人気だけではない、用意周到な戦略が組み込まれているからとのことです。1つにはメンバ-選抜の巧みな点を挙げます。彼女たちを選ぶ基準の一つはどこにでもいるような、NO.1ではない可愛い女の子だと言います。
 
そこに親しみやすさが生まれるからです。また次には規律の中にも、それぞれの個性を自由に発露させる雰囲気ができている点です。統一された中にある自由こそ、強烈な個性として輝くことを指摘しています。
 
また演説の巧みさを挙げています。ニュ-スで眺めただけですが、確かにそれぞれは自分自身の言葉で話していて、陰で作られているものを感じません。こうした生放送であっても、1つ間違えばそれでタレント生命が終わってしまうアドリブ発言など、リスクを怖れない今までにないやり方です。
 
それから総選挙で64位までに入ると、曲を歌える選抜メンバーになれるとのことですが、順位づけによりメンバー間の競争を煽っていることです。否応なくそれ以降の自分たちの仕事量が変わっていくからです。
 
まさにCDを買わされ、見事にのめりこんでいるファンばかりでなく、AKBのメンバ-もこのように見事にコントロ-ルされているとも言えるのです。恐るべき巧みな事業戦略とも言えるのではないでしょうか。
 
それにしても、各人が嬉し涙までこぼしながらのスピ-チで盛り上がっている傍ら、映されている同アングルの後ろに並ぶ、メンバ-の冷ややかな顔がとても印象的でした。一部の世代で盛り上がるのは誠に結構な話ですが、国全体で採り上げ大騒ぎするような話題では決してないと思うのですが...

2012.06.06

先行き明るい男子ゴルフ界 No.2222

男子ゴルフ界にまた凄い新人が現れました。先週の日本ゴルフツア-選手権で優勝した、22歳の藤本佳則選手です。何と今シ-ズンデビュ-したばかりで、ツア-5戦目でメジャ-と言われるこの大会を制したのです。
 
別名、ビリケン藤本と言われていて、はて何のことかな?と調べてみましたら、ビリケンとは尖った頭と吊り上がった目が特徴の、子供の姿をしている幸運の神の像のことをそう呼ぶみたいです。
 
風貌がそのビリケンに似ているからでしょうが、そんなことより何より、身長165cmとそんなに大きな体ではないのですが、スケ-ルの大きなゴルフを見せてくれます。
 
土、日曜日、NHKでしっかりと生放送してくれたお陰で、久しぶりにゴルフ中継を堪能させてもらいました。3日目も首位で迎えた最終日、大学の先輩でもある池田雄太選手の、途中追い上げもありましたが、全然動じることなく逃げ切った勝利とも言えるでしょう。
 
ですがこの大会が行われた宍戸ヒルズCCというゴルフ場は、プロでも本当に手を焼く難コ-スとのことです。パ-71で7313ヤ-ドと距離も長く、毎年バンカ-の位置を変えたりその数を増やし、またグリ-ンやクリ-クの形状改善で、メジャ-大会に相応しいレイアウトを心がけていると言います。
 
そしてフェアウェイが狭いばかりでなくアンジュレ-ションに富み、ラフもボ-ルが見つからないほど長く伸ばしたセッティングにしています。その上、グリ-ンもしっかりとロ-ラ-をかけ、刈り込んである関係で、硬くて速いガラスのグリ-ンと呼ばれているほどです。
 
まさにこれでは、2009年にゴルフ専門誌で、日本におけるベストコ-スを受賞したというのもうなづける話です。こうした難コ-スで新人が危なげなく優勝を飾ったのですから、堂々たるものです。やはりいろいろなデ-タに示されている通り、確かな実力も兼ね備えているのでしょう。
 
この優勝で5年間の日本ツア-のシ-ド権も獲得したと言います。ですから安心してこれから海外にも挑戦できるのではないでしょうか。石川遼くんや松山英樹選手に続き、また凄い新人が現われたものです。
 
それに最終日、最後まで粘って5位タイで残った、やはり新人の18歳、川村昌弘選手を加え、有望な若手の人たちがこの日本男子プロゴルフ界を背負うようになってきたのではないでしょうか。とても明るい話題です。
 
1つだけ付け加えさせていただくと、潰れなければいいなと最後まで応援しながら見守っていた、ベテランと言ってもあまり名前の知られていなかった上平栄道選手、最後まで粘って2位に入り、本当に良かったと思いました。
 
身長は160cmもないと言います。大きな選手の間で、小さな体でもこんなにやれるんだと証明してくれた上平選手と優勝の藤本選手に、心からの拍手と祝福を送りたいと思います。

2012.06.05

ク-ポンとかキャンペ-ンの実態 No.2221

そんなにうまい話などあるわけないと実感した体験です。先日、ネットや配信メ-ルでよく案内をいただく、それなりの旅館が半額で、伊勢海老・アワビ等の極上会席が食べれるとの誘いに乗ってしまいました。
 
半額と言っても9900円です。ですから元々はそんなに悪い旅館とも言えない価格帯です。それに次女の結婚式も控えていて、遠方から駆けつけてくれる家内の両親をお連れするには、近くだしちょうどよいかなと思ったからです。
 
あんまり過ぎたことだから悪く言いたくありませんが、やはり中身は違っていました。部屋などは確かに眺めがよく、悪くはありませんが、料理がいただけません。
 
紹介にもあった伊勢海老などはどこを探してもありません。また豪華な船盛りというお触れでも、人数分を皿に分ければ後は何も残っていない始末です。これでは最初からそれぞれに分けて出してくれればと思ったほどです。
 
また出された蟹は、ずいぶんと細いものが出てきてびっくりしましたが、それでももったいないからと食べたものです。でも水産会社の知人からよく分けていただくだけに、家でも食べたことのない身の細さです。
 
このように元々の半額の値段に当たる、9900円で1泊2食の旅館なら、たいした不満もなく、これで十分満足がいったかもしれません。でも人間の心理というものはおかしなもので、実質の半額しか出していなくても実質の正規の価格を期待しているものです。
 
贅沢でお得なキャンペ-ンプランと銘打った、この価格が頭の中にあるから、余計、不平不満が募るのではないでしょうか。何かだまされたような気がしないわけではありませんでしたが、よく考えれば旅館側だって採算のとれない商売などするわけはありません。
 
こう考え、自分自身で渋々納得したものです。そんなにうまい話など、今の世の中であるものではありません。それなりの料理を食べたかったら、それなりの値段を出さなければいけないと、しっかりと勉強させられました。
 
それでも旅館の名誉のために申し上げておきますが、あの価格ならあのくらいの料理で精一杯ではないでしょうか。翌日の朝食など、本当においしくいただいたものです。

2012.06.04

逃亡の末 No.2220

地下鉄サリン事件などで特別手配されていた菊地直子容疑者が逮捕されました。ちょうどサッカ-ワ-ルドカップアジア最終予選で、日本が初戦のオマ-ンとの試合で快勝した後だっただけに、心地よい気分でスポ-ツニュ-スを観ていた時でした。
 
一瞬、菊地直子って誰だろう?と思ったほど、忘れかけていた名前でした。それはそうですね、もうあの事件から17年も経っているのです。でも被害者にとっては、決して忘れることのできなかった名前だったのではないでしょうか。
 
それにしても手配写真とずいぶん違っているのに驚きました。よく似た女がいると警視庁に寄せた人間の情報を元に、張り込みを続けた結果とのことですが、よく判ったものです。
 
これも今年の2月から2倍に引き上げた、懸賞金1000万円の効果だったのでしょうか。菊地容疑者は名古屋や京都などを転々とした後、所沢そしてこの相模原へと移り住んでいたようです。
 
昔、テレビで観た「逃亡者」というアメリカのドラマがありましたが、逃げ延びている間は心の休まる日がなかったのではないでしょうか。これである意味では容疑者もやっと落ち着き楽になったと言えるものです。
 
新聞などの伝えるところによると、教団の教祖であった麻原に対しては、もう信じてはいない、ありのままを供述すると、述べているようですが、しっかりと罪を認め、ありのままの真実を明かしてもらいたいものです。
 
また直前まで住んでいた相模原では、2年ぐらい前から福祉事業所に勤め、2級ヘルパ-の資格まで取得してまじめに働いていたようです。住まいも外見とは見違えるほど、内部の部屋は綺麗にされていて、招かれた事業主の奥さんも全くそれらしき気配も感じなかったと言います。
 
これでもう一人の特別手配者である、高橋克也容疑者の逮捕も時間の問題ではないでしょうか。とにかく、ここまでの騒ぎになってもまだ潔く自分の罪を認めないどころか、配下の人間に対して少しの気配りも見せない、教祖らしくない教祖に義理立てする必要は全くありません。
 
事件の真相解明に努め、潔く自分たちの罪を償うのが、人間として残された定めではないでしょうか。やはり永遠に逃げ延びることなど、できるわけはありません。3億円の犯人にもよく聞かせてあげたいものです。

2012.06.01

ちょっと良い話part92 No.2219

待ちに待った日」という、新聞に載っていた投稿記事です。こうした出会いもあるのですね。「一期一会」という言葉がありますが、こうしたケ-スは何と呼ぶのでしょうか。
 
5月2日、長年の夢がかないました。富山県に住む文通の友と、半世紀以上をへて初対面を果たしたのです。千葉県に住む私は、岐阜県の実家から87歳の父とともに、相手の春子さんはご主人と高速道路を走り、岐阜県高山市の荘川という所で待ち合わせました。

今では年賀状だけのやりとりになりましたが、「一度会いたいね」と毎年言い続けていたのでした。「とても初対面とは思えない」と春子さんのご主人が驚かれるほど話が弾み、時がたつのを忘れました。

写メ-ルなどない時代、お互いに新婚旅行の写真などを送り合っていたことを懐かしく思い出しました。その後、彼女の実家はダムの底に沈み、「故郷がなくなってしまったのよ」と聞きました。胸が痛みました。

昔、父が出稼ぎの山仕事をしていた時に、滞在していた家の親戚の子どもが春子さん。私と同い年だった彼女の住所を、父が聞いて来たのが文通の始まりでした。小学4,5年のころです。

「まだ続けていたのか」と驚いた父も、五十数年ぶりの再会を喜びました。「またお会いしましょう」と言って別れましたが、忘れることのできない良い日になりました。

 
これも貴重なご縁ですね。ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、私たちも子どもたちがまだ小学生にならない頃、すぐお隣の家を借りていた、岡山からやってきた一家がいました。
 
もう亡くなられたとのことですが、そこのお婆ちゃんがうちの子どもを自分の孫のように、よく可愛がっていただきました。やがて一家は実家のある岡山に再び戻っていかれました。でも年賀状だけは毎年、やりとりしていました。
 
そして20年ぐらい経ったでしょうか。先日、ひょっこり、このご夫妻が我が家にお見えになりました。生憎私は留守していたのですが、我が家の3人の子どもたちがめずらしく顔を揃えていたのです。
 
我が子のずいぶんと成長した姿に驚かれた旨、後日、写真を同封して頂いた礼状には書き記されていました。本当に懐かしかったのでしょう。やはり人のご縁がここにもありました。「袖すり合うも他生の縁」という言葉があるとおり、少しでもご縁のあった方々は大切にしたいものです。

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