会長の”三行日記”
2016.09.02
ちょっと良い話132 No.2887
エレベ-タ-の中でという、ちょっと良い話です。エレベ-タ-の中で見知らぬ人と乗り合わせたとき、短い時間かもしれませんが何となく気が重くなる経験があると思います。そんな一コマを綴ったお話を紹介させて下さい。
10日間ばかりでしたが仕事でアメリカに出掛けた時のことです。慌ただしいスケジュ-ルの中のある日、打ち合わせと夕食をかねて外出しようとしました。私の部屋は23階。私は連れと二人でタイミングよくきたエレベ-タ-に乗り込んで、話を続けていました。
そのエレベ-タ-が19階で停まりドアが開いた時、待っていた一人の男性の姿が現われました。しかし私たちは、その男性をチラッと見ただけで再び話を続けようとしていたのです。
ところが、その見知らぬ外国人は、私たちに笑顔で「グッドイブニング」と挨拶をしながら乗ってきたのです。私はドキッとしました。思いがけなかったために返事をすることも、笑顔を返すこともできず「シマッタ」という気持ちと、相手への申し訳なさがこみあげました。
しかし、エレベ-タ-は3人を乗せて下降しはじめ、私は後悔と焦りでどんどん落ち込み、自分の心の貧しさに気づきはじめていました。そして11階でエレベ-タ-が停まった時、私は今度こそは、という決心で構えていたほど。
今度も男性が一人で待っていました。「エクスキュ-ズミ-」と乗ってきた彼を笑顔で迎え、「何階ですか」と聞くことができた時、私の後悔はふっとびました。それからは4人を乗せたエレベ-タ-はロビ-までノンストップ。
僅か数秒間のことでしたが、4人の見知らぬ人間同士の笑顔が輝いて、和やかなム-ドが漂いました。こんな僅かな時間でもこれ程素晴らしい体験ができるのだ―感激と反省がこみあげました。人と人とのふれあいで大切なのは、知らない人にでも自分から話しかけ、共に語り合うチャンスをつくることであると気づきました。
それなのに、私たちは知っている者同士だけで話をはずませることが何と多いことか-。私の場合もそうだったのです。会社には多くの来客があります。でも、私がその中の何人に声をかけたでしょうか。知らないからと身構えたり、若いから、下請けの人だから...など。
話しかけることなく出会いの縁を無視したこともありました。広い地球にはたくさんの人がいます。一人で生きるよりたくさんの人と出会い、笑顔を交わしあいコミュニケ-ションができてこそ、人生の感動も喜びも大きくなるものです。
自分中心の世界に閉じこもっていては新しい発見はありません。ちょっと位の失敗や恥は誰にでもあることです。自分自身に自信と寛容さを持ち、行動を起こしましょう。
それがひいては人間としての優しさの原点になるのだろう、と改めて感じ入っているこの頃です。そして、一人ひとりの心の優しさがやがては、多くの人々の温かいふれあいに広がっていくものであると確信します。
まさに言われている通り、とかくいろいろな会の席でも知っている人の方が気が楽なこともあって、なかなか見知らぬ人との接触を持たないものです。これでは筆者が言われている通り、新たな出会いによる人生の広がりが生まれないのです。心して改めなければいけないものです。
2016.09.01
小池都知事の手腕 No.2886
東京都の小池知事が就任してからほぼ1ケ月が過ぎ去りました。その間、選挙の後遺症もあるのか、ドンと呼ばれる元自民党都連幹事長はじめ都議会議長などのイジメにもあっているみたいですが、総体的によくやっていると言えるのではないでしょうか。
それにしても上記の人たちの知事を無視するかのような仕業にもあきれたものです。就任直後、挨拶回りで訪れた都議会自民党の部屋では内田元幹事長は初めから留守を決め込んでいて不在で、出迎えた川井議長にしても報道陣の前で「知事と議会は両輪です。一輪車にならないように」と敢えてクギをさしたとのことです。
またそればかりでなく、報道陣から小池氏と並んだ写真の撮影を求められると、その必要はないと言って拒否し、「どうもご苦労さまでした」と小池氏に退室を促したそうです。
そして知事がリオ五輪での引継ぎを無事果たし、にこやかに五輪旗を振って選手団と凱旋帰国した際、歓迎式典が羽田空港で行われたわけですが、そこでも待っていたのはなんとも素っ気ない対応だったのです。
やはり内田氏の腹心とされる川井議長が式典に出席したのですが、記念撮影には応じたものの、終わると小池知事の前を素通りして山下泰裕副団長に挨拶するため駆け寄ったのです。知事とは目を合わさず言葉も交わす様子もなかったと言います。
これなどは露骨な宣戦布告に見える、明らかに知事を無視したやり方で、大人げないとも言えるものでないでしょうか。そんな仕打ちに対しても知事は少しも怯(ひる)むことなく、昨日などは前から決められていた築地市場から豊洲への移転時期も延期するという方針を打ち出しました。
新市場となる豊洲の土壌汚染をめぐる安全性の検証が不十分と判断したからです。これまではまず2020年の東京五輪パラオリンピックありきで、その選手村と都心部を結ぶ環状2号線を通す計画を優先していたのです。
つまり築地市場跡地を通る環状2号線の完成を東京五輪・パラリンピックまでに間に合わせるため、逆算する形で移転の日取りを決めていた都の方針に不信感を示し、はっきりと意思表示をしたのです。
何よりも日本の台所を支える新市場の環境面での安全性を重視したのです。また一部週刊誌が伝える都議会ドンの内田氏の移転に関わる利権問題にも、当初の事業費が大幅にアップしていることから、しっかりと目を向けていくという強い意思を示しています。
まさに頼もしいものではないでしょうか。こういったことはドンと馴れ合いの知事ではできることではありません。臭いものには蓋することなく、どんどんとおかしなことを追求し改めていってもらいたいものです。新知事の予想以上の毅然とした取り組みに何となく心地良さを感じています。
2016.08.31
お盆やお施餓鬼 No.2885
今朝などはめっきり涼しくなり、朝の散歩も快適でした。まだまだ厳しい暑さは続くものと思われますが、秋も少しずつ近づいているようです。210日の今日、例年台風がやってくる一番の時期ですが、昨日は気象庁が統計を始め出して初めての東北地方に台風が上陸しました。
この迷走台風の被害に見舞われた地域の方々には心よりお見舞い申し上げます。さて真宗大谷派真楽寺住職の勧山弘さんがお盆とお施餓鬼について書かれていました。
ちょうどこれを書かれている時期、高校野球やリオ五輪が真っ盛りのときだったのですが、お坊さんにしても裸でも暑い時、白足袋を履き袴を付け、檀家を一軒ずつお経をあげて廻るのは法衣(ころも)を着た発汗器のようなものと言われています。
でも暑いのは坊さんだけではなく、甲子園では選手が眦(まなじり)を決して白球を追う姿を見るにつけ、彼らは暑さをどれだけ感じているかと投げ掛けています。でもそれは問題外の話で、暑さを逃れようとする心を忘れることで暑さから解放されていると説いています。さすがはご住職です。
そしてお盆についても、先祖供養の時であることは申すまでもなく、盆の字は皿を分けると書くと指摘しています。つまりそれは自分に与えられた皿の上の食物を、飢えた人に分け与えるという意味とのことです。
禅の道場では食事のとき、給仕の僧が幾粒かのご飯粒を各修行僧から集めています。寺の庭に行くと石の上に置かれた板に、そのご飯粒が乗せられてあり、小鳥が啄(ついば)んでゆきます。
これが自分だけの口腹(こうふく)の満足ではなく、鳥禽(ちょうきん)にも施す、この布施の心を持つべしと説いています。また仏教ではハングリ-の人を餓鬼と呼ぶそうです。この世を地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六界に分け、その餓鬼に施すことです。
私たちがお寺から案内を頂くお施餓鬼は、その心こそ皿を分けるお盆の大切な布施行と言われているのです。仏教では「わが一飯を献じて、世の飢えを救う」という教えがあります。
わが一飯では7億とも8億ともいわれる世界の欠食者を助けることはできない。でも飽食日本のこと、せめて年2回くらいは一食抜いて、栄養失調に苦しむ人々に施してはいかがと投げ掛けています。
また我が国の家庭やレストラン、ホテル等から出る残飯は優に40万人を養うに足る量だと言われています。美食飽食の時代、いつも言うことですが、地球上の私たちの計り知れない他の地域では、一日約10万人もの人々が餓死しているとのことです。
それだけに一方では有り余って捨てている地域があっては、あまりにも片手落ちで不公平ではないでしょうか。小さな頃、祖母からご飯粒を1粒でも残したら目が潰れると言われながら育てられました。その教えの大切さを改めて噛みしめているものです。