会長の”三行日記”

2015年07月

2015.07.29

日本人のマナ- No.2746

日本人のマナ-は世界一と言われています。特に日本を訪れる外国人の指摘ですから間違いないところで、以下のように語っています。「日本は公共の場所に必ずゴミ箱があるし、観光地ではゴミを持ち帰るルールも浸透している。本当にどこへ行っても街がキレイですね

まだまだ私たちからすれば平気で道路にゴミを捨てていく若者たちを見ると、腹立たしい思いが消えませんが、日本人以外の人たちから眺めると結構まとものようで、何気なく暮らしていると私たちには気づかないこともあるようです。

先日もテレビで少し触れていましたが、あの素敵なパリの街もゴミの悩みが尽きないみたいです。また「日本人はエレベーターで見ず知らずの人にも『開』ボタンを押して先を譲りますよね。

エスカレーターなら、どこにも何も書いてないのに片側をきちんと空けて急ぐ人のための道をつくっている。オ・モ・テ・ナ・シの国なんだなって思います」という声も聞かれます。

そして「車列に入れてもらったり、道を譲ってもらった時に多くのクルマがハザードを点けてありがとうのサインをしますね。最初は意味がわからなかったのですが、みんな渋滞でイライラしてるはずなのにあくまで協調性を失わない。

有名なお店に並ぶ時の行列もそうですね。誰もインチキして順番を飛ばそうとしたりしないで大人しく待ってる。素晴らしいですよ」 こう語るのは香港から赴任している40代の証券マンです。

東京などは物価の高さや館員電車、渋滞などをとってみても決して暮らしやすい街とは言えません。それでもそうした最低のマナ-が守られているというのです。

外資系予約サイトが以前ホテルの従業員に行なったアンケートによると、宿泊客としての日本人のマナーはイギリス、カナダ、ドイツ人らを抑えて圧倒的な1位だったそうです。そうしたもともとの意識の高さに加え、ルールを順守する気持ちが強いからでしょう。

ここまで褒められると悪い気がしないものですが、とかくマナ-云々と指摘されている中国人の人たちに聞かせてやりたいものです。今、日本人に代わって世界中を旅行している彼らの悪名高さは聞き捨てならないものです。

宿泊の際、ホテルの備品は全て持ち出してしまうし、美術館などの公共の建物中でも平気でつばを吐いたりすると言います。またホテルのバイキング料理にしても並べられている銀の大皿毎、自分の席に持っていってしまう人もいるそうです。

そればかりではなく、自分のペットボトルにジュ-スやコ-ヒ-を次々と詰めていく人も見掛けるみたいです。そして驚いたのはホテルの部屋に据え置きのテレビや、お湯を沸かすポットまで持ち出す人がいるという始末です。重くて大変だろうにと笑い話にもならないことです。

そんなわけで、お国が違えばずいぶんとその文化や意識の違いを感じさせられます。2020年には我が国でオリンピックも開催されることから、世界中に日本の素晴らしさを一層アピ-ルしたいものです。日本人に生まれて良かったですね。

2015.07.28

食中毒 No.2745

 今年の夏、土用の丑の日は既に過ぎてしまった7月24日と8月5日の2日間が当たります。近年その減少から、なかなか値段が高くて口に入りにくくなってきているうなぎですが、和歌山ではこの土用の日に購入したうなぎ弁当から食中毒になったと伝えられています。

それくらい高温多湿で食中毒が起こりやすい季節になっているわけですが、腹痛や下痢、おう吐などが急に出るのがその症状です。食中毒は飲食店で発生するばかりでなく、家庭でも起こると言われています。

この時期、以前にも食中毒に関しては触れましたが、再度注意を促すため記載してみました。食中毒を防ぐためには、細菌などを食べ物に「つけない」、食べ物に付着した細菌を「増やさない」、食べ物や調理器具に付着した細菌やウイルスを「やっつける」という3つのことが原則となるそうです。

引き起こす主な原因は細菌とウィルスです。これは目に見えない小さなものですが、細菌は温度や湿度などの条件がそろうと食べ物の中で増殖し、その食べ物を食べることにより食中毒を引き起こします。

一方、ウイルスは自ら増殖しませんが、食べ物を通じて体内に入ると、腸管内で増殖し、食中毒を引き起こします。細菌が原因となる食中毒は夏場に多く発生し、その代表的なものは、腸管出血性大腸菌 (O157、O111など)やカンピロバクター、サルモネラ菌などです。

また代表的なウイルスであるノロウイルスは、調理者から食品を介して感染する場合が多く、ほかに二枚貝に潜んでいることもあります。特に冬は、ノロウイルスによる食中毒が毎年多く発生しています。

このようにさまざまな原因物質によって食中毒は1年中発生しているわけですが、飲食店で発生する食中毒に比べ、家庭における食中毒は、症状が軽かったり、家族のうち全員には症状が出なかったりする場合があるため、食中毒であると認識されないケースも少なくないと言われています。

つまり認識していないまま食中毒にかかっているわけですから、かえって始末が悪いかもしれません。とにかく細菌やウィルスを食材や自分の手につけないように心掛けることです。肉や魚などにはそれが付着していると思っていた方がよいということです。

そしていろいろなものに触れる手にも注意が必要です。次のようなときには必ず手を洗った方がよいそうです。調理を始める前、生の肉や魚、卵などを取り扱う前後、調理の途中で、トイレに行ったり、鼻をかんだりした後、おむつを交換したり、動物に触れたりした後

食卓につく前、残った食品を扱う前などと言われています。また冷蔵庫を過信するのもよくないそうで、できれば冷蔵庫に入れたものも早めに食べることです。そして時間が経ち過ぎたものや、ちょっとでもあやしいと思ったら食べずに思い切って捨てることです。

おう吐や下痢の症状は原因物質を排除しようという、体の防御反応と言われています。それだけに食中毒をあまり簡単に考えず、おかしいと思ったら早めに医師の診断を受けることです。とにかく暑い夏、食中毒が起こりやすい季節だけにくれぐれも気をつけたいものです。

2015.07.27

小松大谷のリベンジ No.2744

昨日は離陸したばかりの飛行機が民家に突っ込み、3人が亡くなるという悲しい事故が起こってしまいました。離陸してから1分もしないうちに墜落したということで、たぶんエンジントラブルだと思われますが、巻き添えになった民家の方々は本当にお気の毒な出来事です。

さて夏の全国高校野球の地方予選が各地で白熱化しているこの時期ですが、石川県の準決勝で凄いことが起こりました。ご存知の方もいらっしゃることと思いますが、昨年の石川県大会の決勝戦、星稜対小松大谷戦は8-0で勝っていた小松大谷が9回裏に9点を入れられ、サヨナラ負けを喫しました。

ちょっと信じられないような話で野球の怖さを感じさせられたのですが、何と今年は昨年敗れた小松大谷が0-3で星稜に負けていた9回裏、今度は4点を挙げて逆転勝ちを収めたのです。

まさかの敗戦から1年、まさに昨年のリベンジを見事に果たし、先輩たちの口惜しい思いを晴らしたのです。9回裏、先頭打者の下口主将は不思議な予感がしたそうです。「もしかしたら何かあるかもしれない。去年と同じパターンだ」と。

1年前の夏、相手の猛攻も相手主将の出塁から始まり、その前の9回表が3人で終わったのも同じだったからです。こうして下口主将の2塁打から始まった小松大谷の猛攻はあっという間に同点とし、4番西田君の犠牲フライでさよなら勝ちとなったのです。

この二人は昨年もレギュラ-だったことから、その口惜しさは今でも忘れずしっかりと胸に刻みつけているとのことです。下記のように紹介されています。1年前、決勝の翌日に選手たちは部室で黙々と掃除をした。

大差をつけてチームに慢心が漂ったことを猛省し、部室のホワイトボードにはその試合のイニングを手書きした。それは今も消えずに残る。「甘えをなくそう」。技術の向上以上に、それぞれが自分と向き合い、朝の掃除が日課となった。

「あの日のことを一日も忘れたことはない」と話す西田君。「絶対かえす」と打席に向かう。強く振り切った打球は高く、深くレフトへ上がる。決勝の犠飛となってサヨナラ勝ち。

試合後、下口君は「去年の負けがあるから今がある」と振り返り、西田君は「最後は気持ちが強いチームが勝つんだと、今日分かった」と笑った。

やはり野球は下駄を履くまで判らないとよく言われますが、そのとおりですね。そして思いの強い方が最後には優ることを知らされています。ということは絶対あきらめてはいけないということですね。

名前負けしないことです。埼玉でも春の選抜ベスト4の浦和学院が、ノ-シ-ドの県立高に準決勝で敗れるという波乱がありました。敗れた方にも油断があったかもしれませんが、それ以上に相手校の勝つという執念が優ったのではないでしょうか。この勝つという強い執念を我が母校も是非学んでもらいたいと願っています。

2015.07.24

ちょっと良い話122 No.2743

 「いまここに生きる」というちょっと良い話です。今このときを逃すと二度と戻らないから、大切に生きよというお話です。過ぎ去った時を呼び戻すことができないわけで、もっとも確実なときである今を完全燃焼させるのが賢明な生き方と説いています。

道元禅師は二十四歳のとき、真実の仏法を求めて、明全和尚とともに入宋した。青年僧道元が天童山景徳寺(浙江省)におったときのこと、ある日、病気療養中の明全和尚を見舞うため、東の回廊を通って仏殿の前まで来ると、一人の老僧が敷き瓦の上に茸を並べて干している。

見れば典座(てんぞ:食事を司る最高責任者)の用(ゆう)和尚である。手に竹の杖をつき、暑いのに笠もかぶらず、汗だくになって作務(仕事)に余念がない。こんなときの作務は若い人でさえらくでないのに、古希に近い老僧ともなるとまことに痛々しい。

若き留学僧道元は用和尚の側に歩み寄り、「ご高齢のご老師がそんなことをなさらずに、誰が若い者にやらせてはいかがですか」と思いやりの言葉を述べた。

すると、「他は是れ吾にあらず」(他人のしたことは、わしのしたことにならんでのう)まことに厳しく鋭い言葉がはね返ってきた。ぎくりとしたが道元はさらに、「まことにそのとおりではございますが、いまは暑いさかりですし、いま少しお休みになられてはいかがでしょう。

お体に無理があるといけませんから」と、いたわりの言葉をかけた。すると、用和尚は毅然として、「更にいずれの時をか待たん」(ひとたび去って還らぬこの時を過ごして、またいずれの時をか待とうといわっしゃるのか)と答えて、作務の手を休めなかった。

道元は、「山僧すなわち休す」と、絶句して、「廊を歩する脚下、潜かにこの職の機要たるを覚ゆ」と結んでいる。「他に是れ吾にあらず」、これは空間的位置ここを決定した言葉であり、「更にいずれの時をか待たん」は時間の位置いまの決定である。

他人でなく自分(ここ)、あとでなく(いま)、このいまとここのクロスしたところが現実であり、道元禅師はこれを「而今(にこん)」という。

今日ほど社会の進展変貌のはげしい時代はないであろう。技術革新は単に生産工程の一部を変えるだけでなく、産業構造から社会構造までアッという間に変えてしまい、新興勢力のかげには没落の悲運に泣く多くの人がいる。

したがって、世の中が、いつ、どんな方向に、どんなふうに変わるかは誰しもが知りたいところである。しかしそれは、コップを床に落せば割れることはわかっても、いくつの破片に割れるかはわからないと同様、誰にもはっきりしたことはわからない。

不確かな未来は他人と同様であてにならないし、過ぎ去った時を呼び戻すことはできない。するとこの世の中でもっとも確実なのはいまここの一点「而今」でしかない。だとすると、いまここの一点に生命を完全燃焼させることがもっとも確実な賢明な生き方ではないか。

 他不是吾(他は是れ吾にあらず)  更待何時(更に何れの時をか待たん) いま、ここに生きることを端的に表明した言葉。

言われるとおり、一寸先は見えない現世です。それゆえ一番確かな今を大事に生きなければということですが、私のような凡人はついつい流された生き方をしてしまいます。先日ある会で、会社の方向性を決める経営指針は10年先まで見据えたものをしっかりと立てなければいけないと指摘されました。不確実なだけに尚更求められるのではないでしょうか。

2015.07.23

火花 No.2742

 昨日書いた感電事故なのですが、その後の調べでどうやら100Vを400Vに上げるトランスを使っていたみたいですね。もしその話が本当なら悲しいのですが、当然起こるべくして起こったという事故ではないでしょうか。

さて話はガラッと変わりますが、お笑いコンビ・ピ-スの一人である、又吉直樹さんが書いた小説「火花」が今年の芥川賞を受賞しました。又吉さんはピ-スの中ではボケ担当ですが、太宰治などの小説を多く読む読書芸人としても知られています。

火花という小説を私はまだ読んでいませんが、若手芸人の日常を笑いと悲しみに包んで描いたものと言われています。そしてこの小説を最初に掲載した文芸誌「文学界」は創刊以来初の増刷にもなり、単行本は100万部のベストセラ-を記録しています。

又吉さんにとって、好きな作家が投稿する雑誌に新人としてつつましく参加したつもりのものが、予想外の反響を呼んでいて困惑しているとのことです。この芥川賞というのはその時代の青春を扱ったものが多いみたいで、火花についても時代性が刻印された青春文学とのことで賞にぴったりだと言われています。

かつては石原慎太郎さんの「太陽の季節」や村上龍さんの「限りなく透明に近いブル-」などが芥川賞を受賞していますが、若者の風俗を鋭くえぐり出し、一文学作品が社会現象にまでなったものまであります。

また又吉さんの人柄についても、文芸春秋のある人は「浮ついたことを言わず、人のことを察する。誠実のきわみのような人で、担当編集者はみんな彼のことを好きになってしまう」と話しているほど評判は良いみたいです。

そしてもう一つ陰には隠れていますがピ-スの相方の綾部祐二さんも、なかなかの人みたいです。16年間、しかも圧倒的に下積みが長い芸人生活を二人三脚で共に歩んできた人間が、一夜にして「大先生」ともてはやされるわけですから、胸中はさぞ複雑なことに違いありません。

でも自ら「格差キャラ」と位置づけ、自身を又吉さんの「付き人」「アシスタント」と称し、もちろん敬語も忘れない姿勢で明るく笑いに変える実力はさすがです。何しろコンビで先に脚光を浴びたのは綾部さんだったからです。

後輩が又吉さんのために開いてくれたお祝いの席にも呼ばれない彼でしたが、そんな小さな思いに留まっていることなく、むしろ又吉さんの快挙を新しい笑いを変えようという、どん欲さにあふれているそうです。

ですからそれは嫉み(ねたみ)などとは程遠いもので、その快挙は自分のことのように喜んでいると話している通り、相方に対する揺るぎないリスペクトがあるからだと言われています。

こういった二人の関係が続く限り、お笑い芸人としてのピ-スもこの芥川賞などには振り回されることなく、今後も人気コンビとして活躍が続くのではないでしょうか。又吉さんの大変な快挙にも賛辞を贈りたいと思いますが、一方でそれを陰から支える綾部さんとの二人の関係に、何か言葉では言い知れない清々しさを感じ、心地良くなったものです。

2015.07.22

感電死 No.2741

 西伊豆で不幸な感電死事故が起こってしまいました。都会から来た2家族が川で遊んでいるうち、何らかのことでイノシシ除けの電気防護柵に触れたみたいで起こった事故です。

そして悪いことにこの柵の一部が切れて川の水に浸かったことから、助けようとした家族などの全員が感電したものです。ご存知のように水は電気を流す導電性というものが極めてよい物質です。

この特性を利用し、私たち電気の分野でも水の中に電極を浸して水位を制御したり、ポンプの運転などに活用しています。ですからこれからの暑い夏、濡れた手で電気部分を触るのはもちろんいけませんが、汗で湿った手や顔などを近づけるのもご法度です。

事故後の調べによると電気柵が施されているから危険という看板がなかったことや、家庭用コンセントの100Vの電源もいつもは夜間しか入れず、昼間はOFFだったのが切り忘れていたことが判りました。

またもう一つ致命的だったのが100V電源の元に漏電遮断器が設置されてなかったことです。これさえあれば、私たちは地絡と呼んでいるのですが、生きた線が切れて他の箇所に触れたり、今回のように水の中に触れると電源が自動的に落ちることになるのです。

ですから助けようとした家族の人たちが二重三重に巻き込まれることにはならなかったのです。近年、私たち電気に携わる業者が客先で工事を行う場合、電源をお借りするとき必ず漏電ブレ-カ付のコ-ドドラムやテ-ブルタップを使用することが義務付けられています。

それはお客様の電源系統を保護する目的の他、こうした事故を防ぐ意味があるからでしょう。一部の伝えるところによると、電気柵の設置主と事故に遭った家族の一部は親戚関係にあると聞きました。

そうなると、とてもややこしい話で悲惨さと哀れさが増してきます。それから電源を切り忘れたということですが、人間が行う手動では当然そのようなこともあるわけで、24時間式のタイムスイッチ1個あれば自動的にその時間帯しか電源が入らないという簡単な制御ができるわけです。

とにかく電気と水の相性の怖さを改めて知らされた事故でもありました。そしてたかが100Vと油断していても、水などがその媒体となると人間の命まで奪ってしまうことを知らされました。とても対岸の火事とは言えるものではなく、電気を扱う私たちに置いても良い教訓としなければと考えています。

2015.07.21

松山選手の可能性 No.2740

 全英オ-プンでの松山選手の活躍で寝不足になった方が多いのではないでしょうか。ちょうど3連休も手伝い、私も連夜のテレビ観戦が続きました。特に金曜日の夜から土曜日にかけての深夜は、スタ-トが朝方の強い雨の影響で3時間ほど延びたため、引きずられた人が多かったことと思われます。

何しろ松山選手のスタ-トは日本時間で土曜日に入った1時40分ぐらいでしたから、現地時間では金曜日の17時40分になります。当然スタ-ト時からその日のうちには18ホ-ルは回れないだろうと言われていました。

そして眠いのをこらえ、何とかそのスタ-トまで持ちこたえていたのですが、圧巻はスタ-トホ-ルから4ホ-ル、怒涛のバ-ディ-ラッシュだったのです。これではもう眠ってはいられなくなりました。

初日とこの日のペアリングは、マスタ-ズと全米オ-プンを立て続けに獲ったジョ-ダン・スピ-スと、そして化け物みたいに飛ばし全米オ-プンでスピ-スに1打差で敗れたダスティン・ジョンソンです。これにも松山選手への注目度がいかに高いかが窺えます。

初日、ジョンソン-7、スピ-ス-5と二人に少し置かれていた松山選手でしたが、開始4ホ-ルでほぼ互角と言えるほどの勢いを示したのです。そして12番の途中で放送は切れてしまいましたが、12、13番とボギ-が出たものの、続く14番もバ-ディ-を取った後、時間切れサスペンデッドとなり、8バ-ディ-2ボギ-のスコアでこの日を終えたのです。

とにかく面白いようにパットが決まりました。でもゴルフというのは本当に面白いと思うのは、このパットが初日は全然決まらず、2日目の快進撃の前でも練習グリ-ンではパットはあまり入らなかったと言います。

そして2日目にあれだけ入ったパットも、3日目にはまた惜しいパットですが決まらないのです。でもそれを少しでも救っていたのは正確なショットと言えるのではないでしょうか。強風の影響で1日プレ-が延びた3日目、前日のようにはパットが入らず我慢のゴルフが続いたのですが、14番のロングホ-ルが流れを左右したように感じます。

青木さんの解説では思い切ってグリ-ン奥にこぼしても2オンを狙っていった方がよいとのことでしたが、アイアンで刻んだ選択が結果的にラフでしたので、3打目にグリ-ンに乗せる角度が難しく3パットとしてしまったのが惜しまれるところです。

また17番でもかつて中島選手がここに入れ優勝争いから後退した、トミ-ズバンカ-と呼ばれるバンカ-に入れてしまいパ-を逃し、この日の貯金を吐き出すことになってしまいました。

しかしながら最終日、全体的にはトップとスコアは離れましたが、ゴルフの内容は少しもひけをとってはいませんでした。ショットの精度は高いし、パタ-さえ入っていればもう少し流れが変わったのではないかと思われるのです。

それと本人の優勝したいという強い意欲に表れているとおり、ゴルフそのもののレベルが凄く高いように感じました。それは2日目今を代表するスピ-スと一緒に回り、彼との遜色のなさや、他の日本人プレイヤ-が全て予選落ちしていたことからも、技術的な面や精神面での違いに表れています。

とにかく今のゴルフを続けている限り、そう遠くない内にメジャ-を獲れるのではないでしょうか。最終結果には表われませんでしたが、松山選手に大きな可能性を感じた今回の全英オ-プンでした。

2015.07.17

安保法案 No.2739

 安保法案が衆議院で可決されました。民主党など野党が採決に欠席する中、強行採決という形で行われたものです。世論調査の結果では、国民の70%以上がこの法案の中身を十分に理解していないという段階にも拘わらず、採決まで踏み切ったことに強く憤りを感じています。

これで9月まで延長された今国会での法案成立の可能性が高くなったということです。それはたとえ参議院で否決されても、60日ル-ルというものがあり、衆議院に法案が戻され2/3以上の賛成があれば再可決できるからです。

このことを当初から見越して強行採決に踏み切ったということは、数だけの力を頼りにした卑劣な暴挙とも言えることです。何しろ国民の声や意向が全く反映されていないからです。おそらくどんどん高まっていく国民の反対の声を聞いていては、法案成立の見通しが立たないという危機感を持ったのでしょう。

そもそも事の始まりは4月に安倍首相が訪米した際、米議会での演説で夏までに成就させると勝手に期限を切って宣言したことからです。そこにアメリカの強い圧力がなかったとは言えませんが、戦争を全く知らない世代である首相の軽挙妄動とも言えるのではないでしょうか。

元自衛官の兵庫県市議は下記のように語っています。そもそも自分の自衛隊への入隊は陸上競技を極めたいということで体育学校の希望でしたが、体力があるからということでレンジャ-部隊になりました。自衛隊員は全て、入隊時に服務の宣誓をします。

「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し」「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えることを誓います」

自民党が推薦して国会に招いた方を含む憲法学者や、「法の番人」と言われる内閣法制局長官経験者、そして国民の多くが憲法違反と考えている集団的自衛権の行使を認める法案は、明らかにこの宣誓文に反するもので、民主主義をないがしろにするものです。

命を張って国民の負託に応えることを求められている現役自衛官たちに対する明白な契約違反です。3カ月にわたる陸自で最も過酷とされる訓練では、炎天下、小銃を携帯し、完全武装で20キロ走。生きたカエルや蛇を食べさせられる生存自活。

敵を暗殺する隠密処理など数々のメニューをこなすことで、外国並みの精強な兵に育てられます。死亡事故が発生することもあり、遺書を書かされます。しかし、約14万人とされる陸自隊員のうち、レンジャー経験があるのは5千人ほどしかいません。

9割以上が最過酷の訓練には挑戦できない、いわばサラリーマン隊員です。そうした実態で恒久法による海外派兵に耐えられるとは思えません。私自身は定年まで働くつもりでしたが、1992年に国連平和維持活動(PKO)法が成立したことで、依願退職をしました。

自衛隊の役割が国土防衛から海外派兵まで拡大したわけですが、そうした契約を国と交わして入隊したわけではありません。敵が撃つまで反撃もできず、誤って射殺すれば帰国後、罰則を受けかねないなど、自衛官の命を軽視した法律に我慢がならなかったからです。

今も、同期の隊員が一線で頑張っています。今回の法案について彼らの本音はなかなか漏れてきませんが、先行きについて最も不安で、懸念を持っているのが、彼ら隊員やその家族であることは間違いありません。

第1線で国を守ろうとしている自衛隊員でさえ、このように本音と建前が大きく違っているのではないでしょうか。とにかく自衛隊員だけでなく、私たち国民にも強い覚悟が求められる法案の内容です。明らかに憲法違反が明白なものだけに、私たちは勇気を持ってノ-といった声を出し続けなければと考えています。

2015.07.16

全米女子オ-プン No.2738

 男子の全英オ-プンが今日からゴルフの聖地とも言われる、セントアンドリュ-ス・オ-ルドコ-スで始まりますが、先ほど行なわれた全米女子オ-プンの話題です。

日本人では大山志保選手が頑張りました。その大山選手と一緒に最終組の1組前で回った、韓国のチョン・インジ選手が優勝し、他の韓国勢も上位を独占してその強さを見せた大会でしたが、大山選手とチョン・インジ選手の組がギャラリ-から好評だったようです。

というのもこの組は二人とも笑顔を絶やさなかったからです。ギャラリ-の中には二人をよく知らない人たちも少なくなかったようで、どんな人たちなのか報道陣に尋ねてくる人もいたみたいです。

でもプレ-内容と併せ、終始笑顔がこぼれる二人はだいぶギャラリ-を魅了したようです。この全米女子オ-プンが行われたペンシルバニア州にあるランカスターという地区は、ア-ミッシュと呼ばれる伝統的キリスト教を信仰する宗教集団で、近代文明と距離を置く“簡素な生活”が特徴な人たちが住む街です。

その数は3万人を超えると言われ、車などは使わず馬車かサドルのない自転車、あるいは徒歩が移動手段です。道の両脇にのどかな田園風景が広がり、牛や馬が放牧されているこの地域で、自給自足の生活を営み、その農業はオーガニックとのことです。

そうした一種独特な地域だけに、いわゆる俗っぽい選手より感じの良い選手が受けたのでしょう。ギャラリ-のある人は「スマイルが大切ね。スマイルはユニバ-サルジェスチャ-だから」と答えています。言葉が違っていても笑顔が世界を繋ぐということなのでしょうか。

その大山選手は大会前、このコ-スでの練習ラウンドを許可されませんでした。出場資格であるランク50位以内というのがまだ確定していないという理由からでした。前週までのランキングは44位でほぼ確実だったのですが、大会出場者のみラウンドを行えるという規定を貫く主催者側の、融通の利かない扱いからです。

でも少しも腐らずそうした事実を明るく受け止め、イライラすることもなく、起きた事態を素直に受け入れるという大人の対応を見せたのです。まさにベテラン選手の懐の深さと、ここ数年間ケガなどで苦しんだ時期を乗り越え、大会に出場できるという喜びからなのでしょう。

一方、優勝したチョン・インジ選手も優勝後のインタビュ-で自身の過去に触れ、次のように語っています。「自分がゴルフをはじめたとき、父は自分でビジネスをやっていて、母は小さな食堂で働いていた。それから、父の仕事があまりうまくいかなくなって、母も足を怪我して食堂を辞めなくてはいけなくなったの。

だから、一時期は両親とも仕事がなかった。でも、両親は私がゴルフに恋をして以来ずっと、私に金銭的な困難は感じさせなかったし、それを知らせもしなかった。ちょうどその頃、コーチに会った。コーチから教わったのは、ゴルフを楽しむこと。

だから、私がしてきたことは、悲観的なことは一切考えず、ただゴルフを楽しむこと。それが、全米女子オープンの優勝につながったと私は信じています」。

やはり二人の持つ性格の良さや、今まで積み重ねてきた苦労や経験から自然と笑顔を生み出したのではないでしょうか。誰かとは言いませんが日本の女子プロの中にも、ブスッとした顔から全然笑顔がこぼれない選手もいます。

ギャラリ-などお客様あってのプロの世界ですから、よく考えてもらいたいものです。やっている人間が楽しそうなら、観ている私たちも自然と楽しくなるものです。

2015.07.14

高尾山古墳その2 No.2737

 「尾山古墳を知ろう」という学習会に出掛けてきました。先週土曜日の午前中、沼津市内の第5地区センタ-で行われたものですが、静大教授である篠原和大さんを講師にお迎えしたこの学習会には200人を超える方々が参加していました。

参加者は予想以上の人数で駐車場が車で溢れていたほどです。遠くは大阪の方からも参加された方がいたみたいで、それだけこうした古墳や遺跡といった我が国の歴史・文化への興味や関心の高さを示しているのではないでしょうか。

まず初めに高尾山古墳がどんな古墳なのか触れていました。形状等は前回のこの欄でも触れましたので省略しますが、この作られた場所は当時は今のように高い建物がないことから、駿河湾と田方平野を広く見渡すことができ、かつ愛鷹山の山塊越しに富士山を仰ぎ見ることができます。

できればもう少し高台の方が駿河湾などを望むのには格好ですが、それでは富士山が愛鷹山に隠れて見えなくなることからこの場所が選ばれたのではないかということです。ですから古墳の巨大さと富士山の威容を背後にすることで、その威信を示そうとしたのではないかと言われています。

また古墳を造るという意味は、初期の農耕社会はお互いが協力関係を持つ農業共同体的社会でしたが、その中で人物や集団が権力を握るためには、権力の根拠となる威信やその継承の正当性を示す仕組みが必要で、独立巨大な墳丘を持ち、その威信を示す副葬品の納める築造物が役割を果たしたというわけです。

それからつくられたのがどんな時代かということですが、築造230年、埋葬250年と言われる時代は、農耕集落であった登呂遺跡の最後が洪水に襲われたのが127年頃で、それから100年後と言われています。

この作られるまでの間は、洪水や干ばつが繰り返されていた厳しい環境の時代であったと考えられています。ですから高尾山古墳の北側2kmに当たる地域には、こうした環境悪化を避け移り住んだと見られる高地性集落の遺跡群も発見されています。

そして倭国乱の後(2世紀末から3世紀初頭)の時期は邪馬台国の女王・卑弥呼が登場しています。その活躍の時代は3世紀前半で、中頃に没して巨大な墓を造ったと言われていますから、ちょうど築造され高尾山古墳に被葬された権力者とは同年代に活躍し埋葬されたと思われます。

つまり卑弥呼の時代と接点を持った可能性が高いわけです。また倭人伝の中では大和を中心とした卑弥呼の邪馬台国と東日本地域との抗争が記されていることから、高尾山古墳の主はその対抗勢力であったという見方ができるということです。

そうなると高尾山古墳の存在が日本の歴史を正しく理解する上で、欠くことのできない一級の文化遺産とも言えるわけです。こうした文化遺産は保存するからこそ、さらに調査研究が進むというものです。

この度世界遺産に登録された、韮山の反射炉も残されていたからこそ登録されたわけです。ですからこの高尾山古墳も今回の学習会で、改めて極めて重要な遺跡だということを知らされ、とても取り壊されるものではないことを強く感じました。

要するに残していけば我が街の重要な史跡になることは間違いなく、多くの人々から愛されるのではないでしょうか。

明日15日は客先への挨拶回りで会社を留守にしますので、カキコミは休ませていただきます。