会長の”三行日記”

2012年01月

2012.01.31

石巻工高選抜出場 No.2147

明るいニュ-スです。3月21日より始まる春の選抜高校野球大会に、宮城県立石巻工高の出場が決まりました。21世紀枠推薦3校の中に選ばれたのです。
 
石巻工は3月11日の東日本大震災により、津波に襲われてグラウンドが水没し、約15センチのヘドロに埋まったと言われます。そして当時30人いた部員の7割が被災し、祖父母を亡くしたり現在でも仮設住宅から通う部員がいるとのことです。
 
こうした困難な条件にも負けず、昨秋の宮城県大会では見事、準優勝した成績が、21世紀枠の選考基準を満たしたのです。選考では15人の委員全員一致による、文句なしの結果とも言われています。
 
それでもその過程においては、野球ができる環境に至るまでは大変なものがあったらしく、ボールや野球用具など全国からの支援と、地元の協力なくしては、とてもこぎつけることができなかったとのことです。
 
グランドにたまったヘドロと、2トントラック約300台分のがれきの処理には1ヶ月を要し、やっと練習を再開したものの、秋の台風15号の豪雨で再びグラウンドが冠水したと言います。でも2年生が率先してグランド整備に努めた結果、県大会を勝ち進んだのです。
 
この部員は全員が地元の石巻市、東松島市出身と言いますから、文句なしの地元代表なのでしょう。こうしたどんな苦しい状況でも決してあきらめない、強い気持ちが春夏初の甲子園出場という偉業に繋がったのだと思われます。
 
嬉しい話ではないでしょうか。さすが根強い東北魂を持った地域です。彼らの選抜出場は地元被災者の皆さんにも、大きな励ましと勇気を与えるものになるのではないでしょうか。
 
こうなったら甲子園でも石巻旋風を是非、巻き起こしてもらいたいものです。どんな困難な状況に置かれても、前向きに絶対あきらめない強い気持ちが、大きな壁を突き破ることになるのですね。
 
余分なことですが、我が母校もこの21世紀枠に選ばれるのが、一番悲願の出場への近道だと思われます。でも人一倍強い気持ちと、高い目標に向けての努力が求められるものなのでしょうね。

2012.01.30

運命の人 No.2146

野口みずきさんが欠場した大阪国際女子マラソンですが、また新たに期待されるニュ-ヒロインが誕生しました。てんまやの重友梨佐選手です。マラソン2回目と言われましたが、2時間23分台という素晴らしい記録で堂々たる優勝です。これでまたロンドン五輪に楽しみが1つ増えました。
 
さて、このところ日曜日に、はまっているものが1つあります。夜9時から放送される「運命の人」という番組です。例の実際にあったと言われる、沖縄返還密約事件を描いた、山崎豊子さんの書かれた本のテレビドラマ化なのです。
 
山崎豊子さんの強い思いで書かれたという、この運命の人は今年返還40年と言われ、節目の年を迎えている沖縄について、巻き起こった出来事に対する疑問と怒りや、今なお現実のものとして大きな傷跡や基地返還問題などの大きな矛盾を残していることへの投げ掛けではないかと思われます。
 
そして昨日がその第3回目の放送だったのですが、正義を貫く新聞記者のエ-ス・弓成亮太を演じる本木雅弘さんが、とうとう国家権力の見えない大きな圧力により捕われの身となってしまったのです。
 
こうした記者としての仕事に没頭し、家庭を省みない主人公でも、彼に従順に仕える妻・由里子という存在と、やはり彼に特別な感情を抱き、外務省の機密文書まで渡してしまう、外務省女性事務官との間で繰り広げられる、男1人と女2人が予期せぬ運命に翻弄されていく物語です。
 
この従順で耐える妻の役を演じているのが松たか子さんです。これからのスト-リ-の展開はよく解りませんが、怪しげな女性事務官と夫との関係に苦しむことになる立場です。
 
でも内心、女としての気持ちは穏やかではないものの、新聞記者としての夫を何ら否定することなく守り抜き、従順で聡明な妻役を、松たか子さんが好演しているように思えます。
 
また、元外務省職員だが病気のため自宅療養中の、この女性事務官の夫を演じているのが原田泰造さんです。家計簿に妻の生理日や帰宅時間まで記入し、執拗にその監視や管理まで行う嫌らしい役を演じているのですが、なかなかの役者ぶりを発揮しているものです。
 
とにかく10年掛けた取材と執筆で、この作品を完成したという、作者・山崎豊子さんの熱い思いが感じられるドラマです。多くの映像化の申し込みの中、断わり続けたのですが、TBSの執念に折れたという経緯ですから期待は持てるのではないでしょうか。
 
それにしても山崎豊子さんという作家は凄い人ですね。ドラマ化された前回の不毛地帯、またその前の華麗なる一族も面白い作品でした。
 
このドラマを通じ、同じ日本国民でありながら、基地問題等、なぜ沖縄の人々だけが犠牲になり続けているのか、という大きな命題を、私たち部外者に考えさせるきっかけになればと願っています。

2012.01.27

回復を祈ります No.2145

非常に残念なことが起こってしまいました。弊社の窓口となる電話や資材の調達等、一切引き受けてくれている女子事務員が倒れてしまったのです。
 
一昨日の朝、お母さんから会社に電話があり、朝、熱があり頭が痛いと言って救急車で運ばれたとの連絡がありました。私が電話を受けなかった関係でその詳細が分からなかったため、風邪かなと思い、そのまま連絡もしなかったのですが、昨日の朝の電話で知らされました。
 
何と、くも膜下出血だったとのことで、一昨日の午後から8時間ぐらいに及ぶ手術をしたと聞きました。幸い手術はうまくいったとのことですが、昨夜の電話の話では、処置した箇所からまた少し出血があり、予断を許さないような状態とのことです。
 
ですから、そのまま順調に回復に向かっても、医師の話では、1ヵ月後にはバイパス手術を施さなければならないそうです。何とか後遺症もなく、順調に回復してくれることを何よりも願っています。
 
そんなわけで、強い味方が少し長期に亘って離脱することになり、関係各位の方々にはできる限りご迷惑の掛からないよう努めますが、どうぞご容赦、ご理解いただきますようお願いいたします。
 
それにしても突然のことで驚いています。このくも膜下出血を少し調べてみたのですが、人によっては1~2割の方が即死に繋がるとも言われ、病院搬送後でも治療中に亡くなることもある、極めて怖い病気です。
 
しかし出血量が比較的経度で、手間をかけた治療により、動脈瘤の処置や、脳血管れん縮といって脳の太い血管が収縮して細くなり、脳梗塞になりやすい時期を食い止め、乗り越えてしまえば、安心して元通りの状態に戻れると言います。
 
とにかく発祥してから1ヶ月の間が、キメの細かい集中治療が必要になってくるとのことです。入社してからもう15年以上にもなり、その間、黙々と真面目に会社に尽くしてくれた彼女に、何事もなく、無事戻ってくれることをただただ祈るばかりです。

2012.01.26

ちょっと良い話part87 No.2144

昨日この欄に書いたばかりですが、野口みずきさんが大阪国際女子マラソンを欠場してしまいました。やはり左太腿の炎症という故障を抱えているみたいです。でも「私は諦めません」という本人のコメントを信じ、3月の名古屋に期待したいものです。
 
さて今日は身近に起こった「ちょっと良い話」を紹介させて下さい。昨日の午前中の話です。所用で出掛けていた家内から電話が入り、ちょっと自宅の近くまで来てくれと言うのです。
 
何が起こったのか、よく解らないまま車で現場に向かいました。そしたら顔見知りのご老人なのですが、八幡神社の横の車道で、家内が付き添い、その脇を抱えられているのです。
 
また顔は寒さのためか、血の気を失い、真っ青になっていて歩くこともできないような状態なのです。おそらく歩けなくなってからしばらくの間、そこに佇んでいたところを、通りがかりの家内に見つけられたのでしょう。
 
ご老人の家はそこからすぐの所なのですが、女の力では抱えて歩くこともできないことから私を呼んだのです。そして二人で両脇を抱え、連れて行こうと思ったのですが、全く歩けないことから、私がおんぶして背負うことにしました。
 
ところが私も慣れていないせいか、しっかりおんぶができません。そうしたところ、一人の青年がいきなり走ってきて、「私が背負います」と言い、すぐそこの家まで連れていってくれたのです。
 
青年にご老人を任せた私は情けないことに、そのお尻を後ろから支えていただけです。家に着いてから助けて頂いた青年に事情を聞くと、車で通りかかったら大変そうなので駆けつけてくれたというのです。
 
ですから自分の車をどこかに乗り捨てて、慌てて来てくれたのでしょう。そして名前を聞き出そうとしたのですが、いいですからと言って名乗らず、ただ一言、「私もそうした病院に勤めていますから」と言い残して立ち去ったのです。
 
何とも爽やかで、格好よい青年です。見ず知らずの人をさりげなく助けてくれる、こうした青年がまだいるのですね。思わず嬉しくなったものです。日本もまだまだ捨てたものではないですね。

2012.01.25

野口みずきさんの復活 No.2143

アテネ五輪金メダリストの野口みずき選手が、今度の日曜日に開かれる大阪国際女子マラソンに帰ってきます。このフルマラソンは実に4年2ヶ月ぶりと言いますが、ちょっと楽しみですね。
 
何しろあの強い頃の野口選手が帰ってくれば、近年、男女ともアフリカ勢の驚異的なパワ-に押されている現状を、何とか切り開くことができるのではないかと思われるからです。
 
そのくらい、どちらかと言えば低迷しているマラソン界にあって、一筋の光明になるかもしれません。でも知らなかったのですが、ここに至るまでの野口選手は、結構大変な苦労があったみたいです。
 
2004年に開かれたアテネ五輪では酷暑の中、途中から独走し、最後ヌデレバに少し追い上げられましたが、そのまま逃げ切って、高橋尚子選手に続いて五輪2大会連続で日本人優勝を果たしました。
 
そして2005年開かれたベルリンマラソンでも、2時間19分12秒という好タイムで優勝し、「走った距離は裏切らない」という彼女の言葉どおり、毎日約40kmのランニング練習の成果が現れていました。
 
ところがその翌年のベルリンマラソンにも出場を予定していましたが、練習中左足首の故障で断念し、この頃からケガとの闘いに苦しむことになります。また2007年も同様に、左足首アキレス腱の故障でロンドンマラソンを回避することになりました。
 
そして北京五輪代表選考レ-スとなった、その年の11月に開かれた東京国際女子マラソンでは何とか優勝を果たし、北京五輪代表として選出されたものの、本番直前の8月になって合宿先から急遽帰国し、左足太ももの肉離れとの診断が出て、五輪を断念せざるを得なくなってしまったのです。
 
こうしたことから、その後、ケガの回復が遅れ、十分な練習も積めなかったことから、一時は引退まで考えたという野口さんです。それだけに今回、十分な事前練習も積めて出場できることは、とても嬉しいことでもあるわけです。
 
というわけですので、来る日曜日、久々の野口みずきさんの、あのぶっち切りの快走を見たいものです。そして晴れて今年のロンドン五輪の代表となり、できればメインポ-ルの中央に、燦然とはためく日の丸を眺めてみたいと願っています。

2012.01.24

人の力を活かす No.2142

人の力を活かすということが、私たち企業にとっても会社発展の大きな要素となっています。戦国の武将・武田信玄について、あるメルマガに「心の機微に触れた人材の登用」と紹介されていました。
 
武田信玄といえば、いわずと知れた戦国の名武将ですが、あの信長も正面衝突を避けていたほどの強さを持っていたと言われています。そしてその強さは人材登用の巧みさに起因しているそうです。
 
まず実力本位で人を集め、配置しました。正当な実力を評価さ れた部下たちは、それぞれの持ち場でその能力をいかんなく発揮し、活躍したのが武田勢の強さの秘密であったと言われているのです。
 
それから次代を担う若い世代の育成にも抜かりなかったとのことです。信玄自身、幼くしてその非凡な才能を見抜かれ、老臣から徹底した教育を施されて、将としてのあるべき姿を教わりました。
 
こうした自身の経験から、同様に様々な機会を捉えて、若い武将の育成にあたっていったのです。ですから事あるごとに、人間的な触れ合いを通して、部下の動静に目を配っていたとも言えるわけなのです。
 
そうした心の機微を知り尽くした人間学が根底にあったと言われています。1つには目を掛けていた一人に、多田久蔵という人がいて、足軽大将に取り立てたとき、こう戒めたそうです。
 
「今後はひとり働きは無用である。足軽を預かっていながらひとり善がりの行動は、足軽が行動の規範を失い、ひいては全軍の勝利がおぼつかなくなる」と言って、リ-ダ-が自らの勲功や名誉のため、勝手に動いていては団結を乱し、全体の敗北にも繋がるゆえ、リ-ダ-には全体観が必要と説いています。
 
またこんな逸話も紹介されています。武田四天王のひとりに板垣信形という人間がいて、歴戦の勇将として知られた信形は、ある合戦で周囲が止めるのも聞かず、無謀に兵を進め、結局は敵にはめられ多く の犠牲を出してしまいました。
 
当然、責められるものだと思っていた信形に、信玄はこう言ったそうです。「敵の欺きにあいながら、大敗を免れたのはさすが信形である。周りの人間のたわごとなどに耳を貸すな」と。
 
この琴線に触れる言葉に深く感銘を受け、その後、思いに答えようと、信形は一身をなげうって奮闘したということです。失敗したときに責めることはたやすい。しかし責めてみても、人間が失敗から立ち直ることが少ないため、思わぬ失敗をしたときこそ、包容し守り抜 くことが大切だと言っているのです。
 
ちょうど先週の土曜日、中小企業家同友会富士支部の30周年記念式典があり、出掛けた記念講演で、全国のカリスマ的存在でもある、赤石義博前会長の言葉を思い出しました。
 
「人間それぞれには伸縮自在の袋を持っていて、それを大きく膨らませてやるのが企業や経営者の務めである」と述べていました。社員それぞれの可能性を信じ、社員が何年か経ってリタイヤするとき、ああこの会社にいてよかったと思える会社を目指さなければと、改めて教え込まれたものでした。

2012.01.23

大川小の悲劇 No.2141

東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった石巻市の大川小学校で、3度めとなる説明会が開かれました。約7ヶ月半ぶりの開催とのことですが、子どもを亡くした保護者からの強い要望で、何とかここまでこぎ着けたものです。
 
何しろこの日まで正式な形での、学校側等、教育関係者当局による正式な説明や謝罪がなかったゆえに、愛する子どもを失った保護者の立場からは、「なぜ?」と、とても納得できるものではなかったからです。
 
説明会では、学校側がきちんとした避難マニュアルを作成しておらず、以前実施していた避難訓練も校庭に集まるだけで、それ以上の避難を実施していなかったことが判りました。
 
ですから震災当日も、児童や教員が避難を始めたのは、発生から約45分経ってからで、小学校から一番近い高台だった裏山が地震による倒木の恐れがあるとのことから、約200メートル西の橋のたもとの交差点を目指している途中に津波にのまれてしまったのです。
 
自宅から車で学校に迎えに来て、辛うじて難を免れた児童やその保護者の話によると、地震直後、先生の指示で校庭に集まり、座って点呼をとっていた児童の中には、その恐怖から泣き叫んだり、嘔吐をする者もいて、だいぶ混乱していたようです。
 
そして避難を始めた当時の様子を一人の児童が以下のように語っています。すごい音がして、津波が前から来た。腰を抜かし、その場に座り込んだ子もいた。自分で判断して、裏山に逃げた。

竹林で他の男の子2人と大人十数人と一緒になり、一晩過ごした。大人が持っていたライターで火をおこした。「眠れば死ぬんだからな」と言われ、一睡もしなかった。

 
おそらく、ちょっとしたタイミングの差が生死を分けてしまったのでしょう。この裏山になぜ逃げなかったのかというのが一番の疑問になっているようですが、まずここまでの津波到達を市が予想していなかったことと、裏山への道が滑りやすかったことも原因の一部としてあったようです。
 
学校長も山に避難場所をつくろうと職員で話はしていたみたいですが、裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話しているうちに、そのまま震災になってしまったというのです。
 
このように聞くと、誰が悪いというわけではないのが、今回の大震災の実情なのでしょう。先生たちは必死に子どもを守ろうとしていて、自らも被害に遭ってしまったのです。
 
ですから辛いのは、当日所用で学校を留守にしていた校長と、教職員11人のうち、たった一人生き残った先生なのでしょう。この先生にしても、避難の最中、負傷しながらも近くの男児1人を押し上げるように助けたと言われています。
 
でも心身疲れ果ててしまって、現在は休職中と聞きます。天災だけではなく、半分は人災とも呼ばれている、この大川小の惨劇も、誰をも責めることのできない、今回の大震災がもたらした大きな悲劇ではないでしょうか。

2012.01.20

湯たんぽ No.2140

もう何日か前から、家内に湯たんぽを入れてもらっています。この湯たんぽ、とっても優れ品であることを改めて知らされています。
 
もちろん湯たんぽを入れた布団の中は、ポッカポッカで暖かいものですが、寝る直前に足下に置けばよいわけで、それまでは布団の中でも背中の辺りぐらいのところに入れています。
 
そうすると布団の中全体が暖まります。このお陰でそれ以前までの、冷たい布団に恐々体を入れ、じっと自分の体の温もりで暖まるのを待ってていたのが嘘みたいに、快適に布団の中に収まることができます。
 
またこのところの寒さで、年のせいか、時々は明け方冷え込んでいるときなど、トイレに行きたくなることもあるのですが、そんなことも解消してくれます。
 
それからもう一つ、朝になり、もうご用済みかと思ったのですが、家内の話ではその湯たんぽを今度はダイニングのイスなどの上に乗せ、布のようなもので覆っておくと、イスが暖まって朝食のときまで、温もりが持続しているのです。
 
何とも凄いものです。ここまでその効能があると、本当に嬉しくなりますね。そして電気代を使うわけでもないし、石油の世話になるわけでもなく、極めて省エネと言える代物でもあるわけです。
 
このような先人の作り上げてくれた功績には、敬意を表さなければならないものです。とにかく、まだまだ日本にはこのように今は眠ろうとしている良きものがあるはずです。懐古ではなく、もっともっと掘り出してみたいものですね。

2012.01.19

レンジャ-ズ入り No.2139

ダルビッシュ投手のレンジャ-ズ入りが決まりました。契約は何と6年契約で総額約6000万ドルと言われています。日本円に直すと、約46億2000万円ですから、年俸で7億7000万円ですか、何とも凄い数字です。
 
これは大リ-グに渡った日本人選手の中では、松坂投手がレッドソックス入りした際の6年総額5200万ドルを抜いて、最高額とも言われています。
 
それだけ彼に対する期待が高いのでしょう。また十分その期待通りの働きをしてくれるのではないかと、予想できるものです。何しろストレ-トの威力に加え、変化球のキレが半端ではありません。
 
一番打ちにくい、打者の手元で変化してくるのです。それにこうした変化球の球種の多さも加わっています。これではいくらパワ-のメジャ-リ-ガ-でも、なかなか苦戦させられるのではないでしょうか。
 
またここ一番での無駄なランナ-を出さない集中力にも凄いものがあります。何しろ東北高から日本ハムに入団し、2年目から昨年まで6年連続二桁勝利、3年目からは5年連続防御率1点台をマークしています。
 
この防御率が全てを物語っているのではないでしょうか。防御率1点台というのは投手が9回投げて2点以上取られていないということです。それを5年も続けているというのは、味方のエラ-などにも動揺しない、並みの集中力ではないという証明です。
 
こうした私たちの期待を一身に背負ったダルビッシュ投手が、大きく日本人の溜飲を下げてくれるのではないかと思われるものです。それというのも、ダルビッシュ投手以外の日本人選手、特に野手の評価が下がっているからです。
 
ポスティング制度で大リ-グ入りを果たそうとした、西武の中島選手がヤンキ-スで控え扱いの評価で断念させられたり、ここで何とかブルワーズ入りが決まったヤクルトの青木選手にしても、入団前のテストをさせられたと聞きます。
 
日本では200本安打も放ち、首位打者を3回も取っている選手に対してもこの扱いです。明らかに日本人選手への評価が低くなっているのではないでしょうか。
 
とにかく、ダルビッシュ投手の快投で、あの大リ-ガ-達がキリキリ舞いするところを是非眺めてみたいものです。今年のメジャ-が本当に楽しみになりました。

2012.01.18

余裕のある生活 No.2138

昨日の1月17日は阪神淡路大震災の起こった日で、あれから、もう17年も経っていることを知らされました。昨年の東日本大震災の悲劇のために、すっかり忘れかけようとしていましたが、そのくらい街は見事な復興を果たしているものです。
 
被災地・東北もこの阪神のように、いち早く人々の生活が元通りに戻れることを何よりも願っています。さて年が明けてから何かといろいろなお付き合いが続いているものです。
 
相手変わっても主変わらずで、あちこちに良い顔をしていたら、体がいくつあっても足りないような状態かもしれません。こうなると毎日の生活に少し余裕がなくなってきます。あるところに次のような「余裕のある生活」ということが書かれていました。
 
ある知的障がいの施設にあったお話です。みんなで、一生懸命がんばったから、先生やお母さんといっしょに関西旅行に行こうと、相談がまとまりました。

「新幹線に乗れる」と子ども達は大喜びでしたが、少年の中にうかない顔をしている子どもが一人おりました。その少年は鉄道が好きな子で、駅の名前や列車のことにかけては、何でも知っているベテランでした。

その少年が園長先生の目にとまり顔をながめると、少年の目が何かを訴えています。わけを聞いてみますと「新幹線は窓があかないよ。駅がぼくたちを待っているよ。駅にあいさつすることができないよ。」と、答えたそうです。

さすが園長先生、この言葉にうたれて、二枚の切符を求めると少年と二人だけで、たった1本しかないドンコウで、皆より6時間も早く出発しました。

目的地には、ほぼ同時に到着しました。待ち合わせた父兄や友人が異口同音に叫んだのは「やはり、ドンコウに限る」の言葉だったそうです。

 
スピ-ドだけを求め、何でも押しのけていく近代文明に対する警告かもしれません。俺がオレがではなく、一歩譲って、人々を先に行かせる余裕を持たなければいけない、忠告の言葉のような気がします。
 
そんなに慌てて何処に行く、今度の休みが来たら、家内と二人で鈍行か東名バスにでも乗って、のんびりと寄席にでも行きたくなりました。