会長の”三行日記”

2017年06月

2017.06.27

29連勝 No.2941

 藤井聡太四段が昨日、増田康宏四段を破り29連勝という、将棋界では新たな伝説となる前人未踏の大記録を打ち立てました。何と14歳の中学生なのですが、昨年のプロデビュ-以来一度も負けていないのです。

とにかく驚きの人です。この将棋の強さはもちろんですが、勝っても実に謙虚なところが好感を持てるところです。とても幸運でしたとか、望外の喜びといった表現や、この勝利は僥倖とも言えるものといったコメントには14歳という年齢を感じさせない驚きさえ覚えるものです。

私も僥倖などという言葉を知らなかった一人ですが、その意味を調べてみたら「思いがけない幸い、偶然に得る幸運」と載っていました。この若さでこうした言葉をさりげなく使うところが非凡ではありません。

藤井四段のことをここにきてマスコミはいろいろ伝えていますが、その中で興味深かったのはある人がこんなことを述べています。過去40年で天才を挙げるなら、谷川、羽生、藤井の3人だと断言しています。

将棋の場合は才能が遺伝するケ-スは少ないと言われ、いずれも共通しているのが親が将棋をしなかったことと指摘します。将棋ができる親が子供に練習を強制し、やる気を失わせる例も多いわけで、3人とも出過ぎない親だったのがよかったと話しています。

またよく知られている内藤九段は彼のことを、小さな頃から望んでいる“横綱”になるには「才能、努力、強運、素直さ、の4要素が必要」ということで、そのすべてをそろえていると断言しています。

とにかく才能に関しては言うまでもなく、努力といった点でも、幼少のころからやり始めたらとことんやる集中力を持っていたと言われています。このため、将棋の世界に入ってからも夢中になると、他のことに気が回らなくなってしまうそうです。

ですからよく忘れ物をしたというエピソ-ドもあったわけです。また強運といった点でも、プロに入って最初に加藤一二三九段と対局したことを挙げています。抜群のネ-ムバリュ-を持つ加藤九段との対局で、デビュ-から大きな注目を集めその経験が大きなプラスになっているという指摘です。

何とも凄い少年が現われたものです。日本の将棋界にとっても将来にも通じる明るい話題で、頼もしい話ではないでしょうか。それにしてもこの藤井聡太四段をはじめとして、スポ-ツ界でも平野、伊藤の女子両選手、また13歳の張本くんなどといった10代の新進気鋭な若手がどんどん現われています。

日本の将来も決して暗いものではないですね。とにかく余分なプレッシャ-は掛けず、子どものやりたいようにやらせ、親はそれを温かく見守るのが子どもを伸ばすことのように思われます。

2017.06.14

ちょっと良い話134 No.2940

 魔法の言葉というちょっと良い話を県農業経営士の方が新聞に載せていました。一度だけの人生だから、魔法の言葉で楽しい人生を送りたいというお話です。

今日中にやらなければならない仕事がある時、焦れば焦るほど空回り、失敗もあり、けがの原因になる。こんな時、自分には魔法の言葉がある。「焦らず、急いで」。この言葉を繰り返していると自然と仕事が順調に進み、時間内に終わることができるのだ。

また仕事から帰ってきた時、満面の笑顔で「お帰りなさい~」と小さな自転車で遊んでいた孫から元気な声で迎えられた時、心地よい幸せを感じる。これらの言葉でどれだけ助けられただろう。まさしく自分にとって魔法の言葉だ。

また、逆に嫌な思いにさせることを言う人、傷つけたり、やる気を無くさせることを言ってくる人がいる。自分も今までに何度か言われたことがある。落ち込み、寝ても寝られないくらい辛いことで、忘れようとしても忘れられないことだ。

しかし、自分の中で答えを出した。「人生だからいろいろあるさ、こんな言い方しかできない人ってかわいそうだな」と気持ちを切り替えた。人に対して不愉快や、やる気を無くす言葉は言わない方が良いに決まっている、自分も気を付けないと「この人と同じ人間になってしまうぞ」。

もしかしてこの人って人生の師匠かもしれない、反面教師の。そう思えてきた。魔法の言葉とは、人を勇気づけ、元気にしたり、やる気を起こす心のこもった言葉なのだ。

他にも「ありがとう!」「お疲れさま!」「なんとかなるさ」「一緒に頑張ろう」。まだまだ魔法の言葉はたくさんある。一度だけの人生 魔法の言葉で楽しい人生を送りたいものだ。

言われているように自分一人では生きていけないものです。それならお互いのことを気遣い、相手の立場になって考えながら楽しく生きたいものです。筆者が言われているように、なぜこんな言葉をぶつけるのかと思った時、この人は反面教師なんだと思った方が楽かもしれませんね。

2017.06.13

失敗談 No.2939

 恥ずかしいのですが私の失敗談をお話しします。先週の金曜日のことです。同友会の県の役職を務めている関係で、午後から静岡で開かれる総務財務委員会に出掛けました。

いつもの通り、委員会では財務的なことや規約の中で少し解釈があいまいになっていることなど、何点か協議を終えたわけですが、その後これも定例的になっている飲み会に先輩会員たちと繰り出しました。

会議は16時から約2時間ぐらいですから、飲み始めたのはまだ早い時間で6時過ぎだったと思います。先輩と結構いい調子で日本酒を差しつ差されつ、2合徳利で4~5本空けたでしょうか。従ってちょっとばかり酩酊していたものと思われます。

こうして帰りの途についたわけですが、静岡発20:03の上り東海道線普通電車に乗りました。静岡では比較的混んでいて座席には座れないため、吊革につかまり立っていました。ですから多分このときに持っていたバッグを網棚に載せたのではないかと思われます。

そして1駅か2駅して直ぐに前の座席が空き、座れることになりました。こうなったらあとはもう眠るだけで、降りるはずの片浜駅を通り越してしまうのが時々のパタ-ンです。でも今回はちょっとそれが違っていました。

なぜか片浜駅に着いた途端、目を覚ますことができ、何か見慣れた駅だなと気がつき、慌てて飛び降りたのです。そしてここまではよかったのですが、片浜駅からの帰り道、何か手が軽いなという手ぶらの状態に気がついたのです。

そうです、バッグを置き忘れてきたのです。バッグの中には大したものは入っていなかったのですが、それでも日常付けている業務上の日誌を記入しているダイアリ-ノ-トや、会社の鍵などが入っているのです。

そして家についてから家内にその旨話をして、JRの遺失物係に電話をしてもらいました。ところがJR東海のこの係にも見当たらないとの返事があり、電車の終点が熱海だったことから管轄のJR東日本の同係も教えてもらったのですが、やっぱりありません。

また翌日の早朝にも同様に問合せをしたのですが、その期待は外れました。ところがこの日、所用で午前中出掛けていたのですが、家に帰ってみるとJR東海静岡駅のこの係からバッグがあったという連絡を頂いたとのことでした。ですからバッグは熱海を折り返し、静岡までまた行ったのですね。

やはり嬉しかったですね。そして更に嬉しかったのは着払いで送ってもらったこの荷物が、丁寧な二重の梱包をされていたことです。こちらの不注意以外何物でもないわけですが、こうした丁寧な取り扱いや対応には頭が下がる思いでした。

こうしてちょっとした油断が人様に迷惑を掛け、また、まかり間違えば取り返しのつかない事態にも発展しかねないことに大いに反省をさせられた次第です。もちろんその翌日だった昨日、この遺失物係の方にはお礼の書状をお送りしたのは言うまでもありません。

2017.06.07

大腸検診 No.2938

 先月末の31日、4年ぶりに大腸検診を行ないました。ちょうど4年前の検診で小さなポリ-プが1つ見つかっていて、悪性ではないのでそのまま様子を見ようということになっていました。

そして毎年、誕生日近くで実施している人間ドックにおいて、検査後の先生との面談で、4年経っているからそろそろ大腸もやった方がよいという話になり、やるついでに前回のポリ-プが少し大きくなっているかもしれないので切除するということになりました。

それから3か月経ってこの当日を迎えたわけですが、いつものことながら検診前の準備が大変です。大腸をきれいにする溶液を2リットル近く飲まなければなりません。仕方がないからこの日は会社に休みをもらって、自宅で備えることにしました。

病院には13時30分に入ってくれと言われているので10時ぐらいから飲みだしたのですが、およそ7~8回トイレに行ったのでしょうか。自分ではすっかりきれいになったと思っていましたが、病院では再度チェックを受けてから、いよいよ検診が開始となりました。

でも点滴に睡眠剤が入っているのか、いざ開始となるときにはこちら側の意識はもう全くなくなっていました。そして1時間近く眠ったのでしょうか、起きてから先生の説明を受けたのですが、どうやら切除したのは4つらしいのです。

4年前には1つだったのが4つに増えていたと聞かされて、少しびっくりしたのですが、4年前のものもそんなに大きくなっていないと言い、どれも小さく悪性ではないだろうということでしたので胸を撫で下ろしました。

それにしても65歳を過ぎたらある程度、定期的にこうした検診もやらなければいけませんね。好き嫌いがないと言っても、歳の割には比較的よく食べるし、お酒も結構飲むことから自身の体も考えなければなりません。

でも余分な話ですが、ポリ-プの摘出と言っても手術には違いないことから、加入している保険からいくらかの給付を受けられるみたいです。これは全く予想していなかったことだけに嬉しい話です。

社会人となってから、一度も入院とか手術をしなければいけないような怪我がなかった私にとっては、まさに初めて受け取る保険金となるわけです。何か嬉しいような、またそうでもないような複雑な思いがしていますが、良く考えればこうしたお金を受け取らなくて済むことが一番の幸せではないでしょうか。

2017.06.06

政局のゆくえ(田崎講演からその1) No.2937

 ちょっと時が経ってしまいましたが、時事通信社特別解説委員の田崎史郎さんの講演を聴く機会がありました。TBSの昼番組の「ひるおび」や、フジテレビ系の「めざましTV」などに出演されているキャスタ-です。

演題は「これからの政局のゆくえ」というものですが、まずご自身が現政権の安倍首相や菅官房長官と強いパイプを持っていることを紹介していました。菅さんとは初当選以来のつきあいで長いものですが、安倍さんとは2008年秋以来のつきあいと言っていました。

この安倍さんは2007年で一度退陣したわけですが、総理を辞めた途端、浜辺の波がサッと引くようにして多くの取り巻きが自分から去っていったと言います。そのくらい権力の中枢にいると居ないとでは大きな違いがあるわけです。

でも田崎さんはそれ以降のつきあいで、2012年まで3か月に1度ぐらい食事を共にしていたそうです。そしてどんな記者を信用するかと問うてみたら、自民党が野党時代に来てくれた人と答えたと言います。

このように政治家は不遇の時もあるということです。そして政治はこうした情と2つのり(利と理)で動いていると述べていました。利はいわゆる打算です。またもう一つの理は正しいかどうかという判断です。

こうした意味で政治家という人格・人間性が反映して政治を動かしているわけで、その人間性が分かった方が政治が分かりやすいと言います。つまり人間として信用されているかどうかが大きな要素なのです。

こういった点で自民党内で全く信用されていないのが小池百合子さんだと言っていました。近頃、都民ファ-ストの会を立ち上げ、自民党にも離党届を出していますが、権力を持っている人に近づいてくるのが今までのやり方だと指摘していました。

それが政治家として判断を間違えたのが2012年9月に行われた自民党総裁選で、当初安倍さんを支持していたのだが途中から石破さんに変更したことです。ですから自民党では不遇の扱いから都知事への道を選択したのではないでしょうか。

一方、すこぶる評判の良い人に小泉進次郎さんを挙げていました。まだ35歳ながら大変な努力家だということです。議員会館の自室でも、この人はバランスボ-ドに立って仕事をしているそうです。それは日頃の運動不足を解消するためです。

また先のアメリカの日本大使でもあったケネディ-大使との食事会でも、その英語力は堪能で単に留学しただけの知識ではないと言われていました。これから大いに期待される政治家ではないでしょうか。

この他、生前退位の問題やアメリカのトランプ政権との関係、また安倍政権の今後について等、いろいろと語っていましたが、詳細は後日に回します。てっきり私より年上だと思っていた田崎さんですが、実は同じ1950年生まれですが学年は1つ下だったことに少し驚きでした。

2017.06.05

トランプ大統領 No.2936

 度々採り上げるトランプさんですが、またまた地球温暖化対策を全世界で進めようとしている、パリ協定から離脱すると発表しました。前任者のオバマさんが地球の将来に危機感を持ち、主導して結んだパリ協定ですが、全く無視したかのようにいとも簡単に決めてしまったのです。

これで世界190か国以上が合意し、147か国・地域が締結しているパリ協定ですが、世界第2位の温室効果ガス排出国であるアメリカが抜けたことにより、大きな影響をもたらすのではないでしょうか。

トランプ大統領の言い分はこうです。「協定はアメリカの経済を弱らせ、労働者をくじき、主権を損ねる。アメリカを常に他国より不利の立場に置くものだ」としています。そして中国とインドを名指しして両国の対策が不十分だとして再交渉を呼び掛けています。

まさに先の保護主義的な貿易同様、自国の利益のみ考慮しただけの政策を推し進めようとしています。ただこのトランプさんにしてもアキレスになるのではないかと言われているのがロシアびいきの問題です。

先にFBIの前長官であるコミ-氏を解任したのはご存知の通りですが、これもロシア政府による昨年の米大統領選介入疑惑への捜査追及が大きく関与しています。トランプ氏のロシア好みについてニュ-ヨ-クタイムズ紙が次の5つの点を挙げています。

第1にはロシアとの緊張解消は米国にも利益となるということです。また第2の理由はロシアとのビジネスに関する結びつきです。トランプ氏の会社は巨額の負債を抱えていることで、米国内の銀行からの融資が難しいことです。

ですからロシアに頼っているに違いないとした見方です。そして第3にはロシアとの政治的共謀説です。これはプ-チン政権がクリントン氏側の電子メ-ルを暴くだけでなく、トランプ陣営と密接な連絡をとっていたのではという説で、FBIの捜査対象になっているわけです。

次に第4の説明としては、トランプ氏がロシアでの私的行動をロシア側に握られていて弱みを持つという噂です。女性問題が絡んでいるかもしれません。そして第5番目としてプ-チン氏とトランプ氏はイデオロギ-で共鳴しているといった点です。

プ-チン氏は自国を強権で統治しようとする政治家で、白人・キリスト教徒中心の国家主義者であり、イスラム教徒とグロ-バル・エリ-トを敵とみなしています。この点がまさにトランプ氏が共感を抱くところです。

でもどうでしょう。こうした資質の持ち主が民主国家であるアメリカ大統領として、相応しいと言えるでしょうか。この先、捜査が進んでロシアとの政治的共謀説が暴かれるようなことになれば、かつてのウォ-タ-ゲ-ト事件以上に発展することは間違いありません。

そうなれば大統領の弾劾にもつながることになり、極めて短命の大統領にもなりかねません。そうした意味で捜査の流れを注視したいものです。とにかく、何かとお騒がせする人物で困ったものです。

2017.06.02

宮里藍ちゃんの引退 No.2935

 女子ゴルフの宮里藍ちゃんが今季限りで引退することになりました。まさに日本女子プロゴルフ会の第1人者で、現在の女子プロ人気を高めた一番の功労者でもあります。またそれに相応しい成績で、米ツア-9勝、日本ツア-15勝という輝かしい足跡を残しています。

そしてまだ31歳と年も若く、引退するにはもったいないという声が多いのですが、会見では維持していくだけのモチベ-ションが難しくなったという理由を挙げていました。

確かに近年、若手の成長が著しく、技術的にも155cmの小柄な藍ちゃんでは飛距離という点では、なかなか難しいところもあるのでしょうが、自身が一番の身上としていた小技、特にパタ-の巧さがあるはずです。

でも聞くところによると、このパタ-もあるとき輸送の途中でシャフトに狂いが生じてから、なかなか以前のようにはいかず悩んでいたみたいです。このへんが我々素人とは違う、精度といった点で大きな差があるのでしょう。

それにしても、この宮里藍ちゃんという選手の、きちんとした受け答えや礼儀正しさはいつ見ても心地良いものです。こんな話があるそうです。彼女が19歳で米ツア-に参戦する前の年のことです。

アメリカ進出を目指して英語の勉強をしていたとのことですが、欧州ツア-のある時、海外メディアの質問に対し必死に英語で応えていました。その会見には通訳がついていたにも関わらず、「すいません。いけるところまで自分でやってみたいんです」と言って自分で応えていたのです。

英語そのものはまだ流暢ではなかったにしろ、言葉につまったときでも通訳に「どう言ったらいいですか」と聞きながら、堂々と英語で応えていたそうです。19歳でしかも大勢の海外記者に囲まれての取材では、なかなかこうはいかないものです。

こうした人間としての備えている非凡さも、父である優さんの教えらしいのです。「勉強一番、ゴルフ二番。技術的に上り詰めたプロの世界では、最終的には“人格勝負”になる。人間的な幅を持ったスポーツマンになること」がその教えです。

プロゴルファ-である前に一人の人間として恥ずかしくないことがその信条なのでしょう。実際に優さんはゴルフの技術的なことでは怒ることはしなかったけど、マナーや躾には厳しかったそうです。

その小学生時代、ジュニア大会に出場した宮里選手はプレイが終わってから、帽子を脱いでスタッフ、メンバー、会う人全てに「ありがとうございました」の挨拶をしていたと言います。そしてカートを使っても、最後は洗って返していたし、進んでゴルフ場の仕事もしていたそうです。

こうしたことから培われた彼女は単なるゴルフの技術的なことではなく、心や感性が磨かれた真の強さを育んでいったのでしょう。第一線から抜けてしまうのはとても寂しい限りですが、彼女ならまた違った活躍がきっと待っていることでしょう。できれば残された今季のメジャ-で、もう一花咲かせてくれれば言うことないですね。

2017.06.01

ちょっと良い話133 No.2934

 ラグビ-の監督が新聞にこんな、ちょっと良い話を投稿されていましたので紹介いたします。母の死という題です。高校1年生の時に母親を病気で亡くした。とにかく明るい人で、町内会では顔役の存在だった。

家にはいつでも人生相談に来る近所の住民がいたものだ。私は人見知りのため、何とも居心地が悪かったのを覚えている。しかしある朝、くも膜下出血を発症し、それが原因で間もなく天国に行ってしまった。

当時の私は思春期真っ盛りで、母の死という事実を受け入れられなかった。ところが、そんな気持ちも母親の通夜の日を境に、一気に吹き飛んだ。300人以上の参列者の数もそうだが、それ以上に驚いたのが多くの方々が母の死に直面して本気の涙を流してくれていたことだ。

母は何か特別な能力を持っていたわけではない。他者の思いに寄り添い、他者と共に笑い、泣いてきたからだろう。母の生きざまを強く感じた瞬間だった。

その後の父の変化もすごかった。仕事で連日の深夜帰宅が当たり前だった父。反抗期の感情の矛先を父に向けていた私は、高校3年間、必要以上の会話を交わさなかった。それなのに父は、毎朝4時ごろに起きて弁当をつくり続けてくれた。

料理などろくにしたことがなかった父の弁当は、お世辞にもうまいとは言えなかった。最後に「3年間ありがとうございました」という言葉が自然と出た。

気がつけば、私も今年で母と同じ年齢になった。自分は両親のように、人のために全力を尽くす人生を歩めているだろうかと、最近よく思う。

母の死からその偉大さを知らされたという話です。生前中は何気なく顔を突き合わせていても、なかなか深く突っ込んだところには気がつかないものです。とかく現代人は他人のことは後回しで自分中心で考えがちなものです。

それだけに自分に欠けがちな他者への思いやりの心に気がつかされたのでしょう。この心が日本人特有の古くから培ってきたものと思われますが、もう一度、他の国では見られないこの良き長所を見直したいものです。