会長の”三行日記”
2015年04月
2015.04.15
ちょっと良い話120 No.2706
あのノ-ベル医学・生理学賞受賞の山中伸弥教授が、雑誌・致知の中でこんな素晴らしい話を紹介していました。「おかげさま」と「身から出たサビ」という、ちょっと良い話です。
この頃(中学生)、特に忘れられない思い出があります。教育大学の学生さんが教育実習に来た時のことです。彼は柔道三段という腕前でした。その人と練習で組み合うと、いとも簡単に投げられる。
受け身を取って一本にされるのは悔しいので、私はちゃんと受け身を取らずに最後まで粘り、変な手の付き方をしてしまった。そのために、腕がボキッと折れてしまったのです。
実習の先生としてみれば、大変なことです。部活動をしている最中に、生徒の腕を自分のせいで折ってしまったのですから。その日の夜、慌てたように先生から電話がありました。
電話を取ったのは母ですが、そばで聞いていると、先生は受話器の向こう側で平謝りをしている様子でした。しかし母はその時、こう答えたのです。
「いやいや先生、気にしないでください。うちの息子の転び方が悪かったんだと思います。怪我したのはうちの息子のせいです。明日からも気にせず、いろんな子を投げ飛ばしてください」
その時の態度は、わが親ながら立派だと感じたものです。母親からはあまり教えられたことはありませんが、その出来事以来、私はいつも次のことを心掛けるようにしています。
何か悪いことが起こった時は「身から出たサビ」。つまり自分のせいだと考える。先生に投げられた時、自分がちゃんと受け身さえしておけば怪我をしなかった。そのために三か月ほど柔道ができなくなりましたが、それも身から出たサビなのだと。
逆に、いいことが起こった時は「おかげさま」と思う。確かに、自分が努力をしたためにうまくいくことはありますが、実はその割合は少なくて、周りの人の助けがあって初めて物事はうまくいくものなのだと思います。
とても味わい深い言葉ではないでしょうか。とかく他人の責任にしたがるのが最近の風潮です。権利ばかり主張して、自分が為すべきことをしっかりと行っていないことが多いものです。その意味でも山中さんのお母さんのように言ってくれる方って、本当に素敵な人ですね。
明日、明後日とまたまた会社を離れるため、カキコミは休ませて下さい。
2015.04.13
アッパレ松山選手 No.2705
先週木曜日は鎌倉山設置のモノレ-ルで一部不具合があり、急遽、早朝より駆けつけました。また金曜日の10日は以前より予定が組まれていた、お客様である日立ITプラットフォ-ム事業本部の分電盤改造工事で出掛けていました。
このため2日間カキコミができなかったわけですが、このところ何かと出掛けることが多くなっていて、なかなか落ち着いて会社にいることが少なくなっています。これも私たちの使命からすれば有難いことなのですが...喜ばなければいけないことなのでしょうが、ちょっとしんどい毎日が続いています。
さて週末のここ数日は早朝からテレビにかじりついていました。それというのもマスタ-ズのテレビ中継があったからです。また日本選手の中で唯一出場していた松山選手の活躍がその気にさせてもらったわけです。
やはり日本人プレ-ヤ-が決勝ラウンドまで残り、活躍してくれないと面白くありません。幸い今年のマスタ-ズは松山選手が尻上がりに調子を上げ、最終日には何と66というスコアを出してくれました。
日曜日の晩、昼間にソフトボ-ルの試合などがあった関係で、その日は早々に床に就き、翌朝の中継を早くから観てやろうと決め込みました。そんなわけで3時には目が覚め、テレビをつけるとちょうど松山選手がスタ-トするところでした。
これ幸いとばかり食い入るように画面を見つめると、出だしの6~7ホ-ルは我慢のゴルフが続いていました。1mぐらいのパ-パットが何度か残り、これをことごとく沈めてパ-セ-ブをしていたのです。
解説の中島さんに言わせると、3日目まではこのくらいの距離がなかなか入らなかったとのことです。でもこの日は何とか沈めてくれていたので、これがきっと中盤から後半に繋がるはずという、中島さんの解説通りにその後は展開していったのです。
最初のバ-ディが8番のロングホ-ルで来て、INに入るや否や、いきなり10,11ホ-ルでも来てくれました。こうなるともう松山選手のペ-スで、13番の池越えロングでは見事2オンし、完璧なラインでイ-グルを奪ったのです。
そんなわけでこの日はノ-ボギ-、マキロイと並ぶベストスコアです。そして3日目まで本人は悪かったと言ってはいるものの、4日間全てアンダ-パ-のスコアなのです。このへんが大きな可能性を秘める、この人の魅力ではないでしょうか。
ですから日本人の他の選手ならこれで十分満足したものと思われますが、本人はさほど嬉しそうではないのです。それよりむしろ初めの3日間のことを悔やみ、最終日のようなゴルフを続けないとここでは勝てないとインタビュ-に答えていました。
まさに優勝することしかその照準になく、このへんが私たち周囲から大いに期待を持てるところなのです。本当に1番ホ-ルから彼のプレ-を観ていて、つまらないボギ-を出すことなく、パ-セ-ブを繰り返していればきっとチャンスが出てくるものだと実感しました。
これは日常の生活でも同様なことが言えるのではないでしょうか。地味なようでも我慢を重ねていれば、そのうちきっと運は開けてくるはずです。松山選手の素晴らしいプレ-から、そんなことも感じさせてくれた、気持ち良いその日の朝でした。
明日14日は茅ヶ崎にある湘南東部総合病院に工事で出掛けるため、度々で申し訳ありませんがカキコミは休ませていただきます。
2015.04.08
うつ病 No.2704
先週から雨が降り続いているわけですが、いくら菜種梅雨と言ってもちょっとうんざりですね。この影響もあってか、社員の一人は先週から全く会社に出てこなくなりました。いわゆる、鬱の症状を抱えている人間で、それまでは休むにしても何らかの連絡がありましたが、今回はそうしたこともありません。
でもこのことは今回に始まったことではなく、4~5年前からずっと繰り返し続いていることです。ただ最近の傾向は今までとはちょっと違い、自分が責任を持って処理している仕事まで投げ出してしまったり、以前にはなかった出張の約束まで反故にするようになってしまったのです。
ですから以前よりずっと当てにならなくなってしまったわけですが、ほとほと、どうしたらよいか手を焼いている始末です。知人の一人からは、そうしたことを繰り返している人間なら辞めてもらった方がよいのではないかと忠告されるのですが、なかなかそんなこともできません。
というのも、元々は真面目で責任を持って仕事も処理してくれる人間だからです。もっとも鬱になるような人はいい加減ではなく、真面目で責任感がある人が多いわけですが、彼にも当てはまるところが少なくありません。
そして年齢もここで61を過ぎているわけで、うちの会社が見放してしまったらどこも雇ってくれるところなどなく、路頭に迷ってしまうと思われるからです。また病院に行って薬も飲むようにと忠告するのですが、最近ではそんなこともしていないようで、症状も一向によくならないみたいです。
こんなわけで以前よりずっとその扱いに困っているものです。こうした鬱病を抱える人間のことが頭にある関係で、同じ悩みを抱える人の記事が目に留まりました。歌手の武田鉄也さんの話です。
武田さんがこの症状を自分で感じ始めたのがちょうど42歳の時、ドラマ「101回目のプロポーズ」の主演をはじめ、複数のドラマに出演して多忙を極めていた頃のことだったと言います。
「ちょっとうつ病っぽくなっちゃって、なにをやっても力が沸かない」「やたら疲れる」「考え方が暗くなる」と当時の状態を明かしています。でもなかなか人には言えず、自分の不調を女房や子どもに知られて、「頑張れ」などと言われると、余計つまづくことがあると話しています。
そうした悶々とした日々を過ごす中、1つの言葉に出会ったそうです。それは、心理学者C・G・ユングの「人生は山登りに似ている。山へ登った限りは降りなければならない。山に登ったということは、登って降りたということ」という言葉です。
これまでいわば「山を登り続けよう」と気を張り詰めていた武田さんにとって、その考えはずいぶん新鮮なものだったようです。20年に及ぶうつ状態の末に辿り着いたのが、この「飾らずに人生を下る」という境地だったということです。
真面目であるゆえにいつも登り詰めようとしていたのでしょう。その考えを少し変えただけで楽になるというのも、この病の持つ複雑さではないかと思われます。こうした次元がうちの社員に当てはまるかどうかは別の話ですが、とにかく病院にも通いながら1日でも早い回復を祈るばかりです。
2015.04.07
大塚家具お家騒動 No.2703
すっかりご無沙汰してしまい、大変申し訳ありませんでした。言い訳以外の何物でもありませんが、年度末の3月後半から毎日何かと仕事に追われ、なかなかゆとりの持てる日々を送ることができず、カキコミもままなりませんでした。どうぞご容赦下さい。
さてその間、桜の花は既に満開となり、このところの愚図ついたお天気の影響で、花見も満足に行えないような今年の状況です。やはり週末に1日でも爽やかな日がないと、人々は優雅な気持ちで楽しめないものです。
また世間を賑やかせた話題の中に、大塚家具の親子の確執の問題がありました。結果としては株主総会で娘さんの方の現社長側が勝利を収めたわけですが、負けた会長側もこれに諦めることはなく、再度巻き返しを図ると言っていますから一件落着とは言えないのではないでしょうか。
でもどうなんでしょうか。企業としては大きなマイナスイメ-ジではないでしょうか。この総会の席でも会長のみならず、久美子社長の母親からも痛烈な娘批判が出るくらいの、壮絶なバトルが繰り返されたみたいですが、親子の間でここまでの確執が果たして起こるものなのでしょうか。
一部の株主からは見かねて、「会長が進めた富裕層向けのビジネスと、社長のいうカジュアルな製品の両方をやればいい」と、双方の融和を求める声も相次いだとのことです。
いったい血の繋がった父娘がここまで争う理由は何なのか、私たち門外漢には計り知れないものがあるわけですが、対立の背景には双方の大きな経営路線の違いがあるようです。
この久美子氏が社長に就任したのが平成21年3月のことで、それまでの社長の勝久氏は会長に退きました。就任するや否や、久美子社長は今までと異なる路線をとり、店舗運営のやり方などを見直しました。
前社長は入り口で顧客に名前や住所を書かせて登録し、店員がついて回る接客販売で会社を成長させました。しかし久美子氏は、この接客方式が利用客の心理的な負担になり、客足を遠のかせるとして、カジュアルで気軽に入れる店作りを進めるようになったのです。
元々たたき上げで一介のタンス職人から身を起こした超ワンマンの勝久氏は、このやり方を自分の敷いた路線の否定と捉え我慢できなかったのです。こうして昨年7月に久美子氏を解任し、取締役に降格させ自分が社長を兼務する形で、再び経営の指揮を取るようになったのです。
しかしながら業績は上がらず、役員の中でも久美子氏の復帰を望む声が増え、今年1月のような社長復帰の経緯になったのです。そもそもたたき上げで、一代でここまでの会社にした勝久氏と、旧富士銀行出身で、経営コンサルタントも務めた経験もある才媛の久美子氏とは、水と油のようなもので全く肌が合わないとも言われています。
でも上場企業でもあるゆえに、同社の醜い確執は単なる親子喧嘩では済まされないものと思われます。もちろん会社のイメ-ジも大幅なマイナスになることは間違いなく、「コップの中の嵐」騒動のうちにはニトリやイケアといった新興勢力にそのシェアを食われているのではないでしょうか。
とにかく内輪でそんなことをしていられないほど、経営環境は深刻で刻々変わっているとも言えます。近年めずらしいお家騒動を期せずして私たちは見ることになりましたが、会社あってのなんぼということを考えたら喧嘩している場合ではないように思えるものです。
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