会長の”三行日記”

2014年10月

2014.10.27

全県経営フォ-ラム No.2638

 土曜日は榛原で全県経営フォ-ラムが行われました。基調講演は三重からお呼びした、ミナミ産業(株)社長の南川さんです。大豆加工食品、主に豆腐の設備の製造販売を手掛けている方で、今では世界的にその事業を展開されています。

特に萬来鍋といって、この鍋から手軽に豆腐を作り出すことができるものを開発してから、一挙に販売対象が広がったようです。健康志向で日本の食が世界中の人々から見直されている今日、新たな販売戦略で独自の生存領域(ドメイン)を切り開いている取り組みは見事です。

この記念講演終了後、会場がいくつか分かれて開かれた5つの分科会のうち、私は「県下NO.1をめざして~31位からの復活」というテ-マの榛南自動車学校・水野社長報告の第1分科会を選びました。

サラリ-マンとして入社した自動車学校の総務と経理を担当し、社員から叩き上げといった形で前社長に後継を指名され社長となった水野さんが、引き継いだ時点では県下44校中31位の業績でした。

そのお客様に当たる自動車学校への受講生は、今から3年前の当時は800人ぐらいと言われていましたが、2014年の今では目標の3000人に迫る2600人と、県下6位の位置まで大きな躍進を図っています。

その躍進の原動力となったのは、水野さん自身がそのプランを温めていた合宿制度を始めていったからです。前社長はこの合宿に対しては必ずしも快い返事ではなかったみたいですが、社長になった途端、その年の11月には合宿免許をスタ-トさせています。

これにより県外からのお客も呼び込むことができ、受講生を大幅に伸ばすことができたのです。またこの地が海と山に囲まれた美しい街であるお蔭で、合宿免許に素晴らしいロケ-ションを生かして周辺観光やリゾ-トでのエステなど組み入れたプランも組み入れています。

しかしそんな順風満帆なことばかり続くわけでなく、今年、合宿免許の受講生が夜の自由時間に海岸で遊んでいて、折からの台風の高波で、2人が海にさらわれ亡くなってしまうという、痛ましい事故に見舞われてしまいました。

社長である水野さんはその責任を感じて、このフォ-ラムの報告者のみならず社長の職まで辞すところまで考えましたが、周囲の慰留で踏みとどまったわけです。でも亡くなられた遺族に対しては、葬儀が全て済むまでしっかりと手厚いフォロ-と誠意を持って対処したお蔭で、遺族からもとても温かい感謝の気持ちを持って頂いたようです。

まさにピンチをチャンスに変えてしまったわけです。これがまさに水野さんの人間性そのもののような気がします。また他のところでは日常茶飯事になっている個人情報を買うといった点でも、その信念から一切社内的に禁止しているとのことです。

その他、社員を含め周囲への思いやりや感謝の気持ちを持ち続けている、水野社長率いる榛南自動車学校ですから、県下一と掲げている大きな目標もきっとやり遂げるのではないでしょうか。何よりもぶれないその経営指針をすぐ実践に移している行動力は見事です。

2014.10.24

102枚目の履歴書 No.2637

 もう結構前の新聞だったのですが、以下に掲げる102枚目の履歴書という投稿がありました。同じような立場で苦労している人がかなりいるのではないでしょうか。

58歳半ばで会社から突然リストラを宣告された。1年の猶予を与えるからその間に転職先を捜せ、とのこと。会社の業績がかなり悪いのは知っていたが、大学と高校に通う子供たちに家のロ-ンを抱え「なぜ自分が」と怒りと悔しさがこみ上げた。

が、悔いていても仕方がない。ハロ-ワ-クやネットの求人サイトなど手当り次第に登録し、履歴書を送りまくった。だが、断りの返事ばかりがくる。10通に一つは面接までたどり着けるが「当社は定年が60歳。あと1年で何をしてもらえるのか」と問われた。

長年の経験をアピ-ルしても難しい顔。焦りは日ごとに募り、家族の不安もひしひしと伝わり、絶望に襲われもした。だが諦めるわけにはいかない。1年がたとうとしたころ、65歳定年の会社から採用の通知が来た。

「101回目のプロポ-ズ」というドラマがあったが102枚目の履歴書だった。収入は下がるが家族の協力があれば何とかなりそうだ。

働き始めて3か月。新しい知識の習得に忙しいが、自分の経験を生かせている充実感がある。家族に笑顔が戻った。振り返れば自分を試す貴重な日々だったようにも思う。

この方からも指摘されるように、雇用側の会社というのはこのように大きな責任が伴うものです。近年、業績が行き詰ってきているからと言って、簡単に廃業など勝手に会社を閉めるところが少なくないように思えます。

でも本人は自業自得だから仕方がないものの、雇用されている社員の立場からしたら、全く酷い仕打ちになるわけです。投稿にもあるように、明日から路頭に迷う身となってしまうからです。

また昨日の新聞にも載っていたように、静岡県内では母子家庭の方に調査したところ非正規社員が57.4%と、過半数を超えていてその多くは年収200万円未満で、転職を希望しながら仕事や育児の都合で就職活動ができない人も多く、現状から抜け出せない実情が伝えられていました。

このように厳しい実情ながら私たち経営者に求められているのは、会社を継続していく責任が何よりも求められていることだと思います。そして社員を含めた全てが少しでも豊かになれるよう努めることです。まさに同友会の言っているところの、労使見解の精神を持たなければなりません。

2014.10.22

気になる若者の食事 No.2636

 我が子はきちんと食事をとっているだろうか、学生など遠く離れて下宿などしている子どものことを、気に掛けている親は少なくないと思えます。そんな心配の種が彼らの食生活です。

その食生活を少しでも改善しようという取り組みが、各地の大学で行われているという記事が載っていました。全国の大学食堂ではその利用履歴を確認できる「学食パス」や、朝ご飯を食べる習慣を促す「100円朝食」といった制度が導入し始めているのです。

調査結果によると、その食生活ではきちんとした子とル-ズな子にはっきり分かれるそうです。そして学年が上がるにつれて食事内容に偏りが見られると言います。入学時は多くの子が自炊を試みるのですが、アルバイト等で忙しくなってくるとコンビニの弁当やレトルトで済まそうとしているのです。

こうしたことにより、この食生活を改善しようとする大学食堂の試みの1つが、スイカなど交通系ICカ-ドを利用した学食パスです。登録したカ-ドで学食を利用すると、食べたメニュ-や栄養価などを学生本人や親がチェックできるのです。

既に横浜国立大や新潟大など11大学で学食パスが導入されており、食事履歴が見られるサ-ビスは他大学でも多く取り入れられているそうです。これにより導入した食堂ではひじきや冷ややっこなども売れるようになり、体に良いおかずを食べようという意識も学生に芽生えているみたいです。

また100円朝食というのは、学食の朝食メニュ-を100円という手頃な価格で提供するサ-ビスですが、朝食を習慣化することで学業への集中力向上を図る狙いで、昨年12月から立命館大で始まり全国に広がったとのことです。

ある大学などおにぎり2つと豚汁のメニュ-が紹介されていましたが、確かに100円では採算は合わないことと思われます。実費は300円ぐらい掛かるとのことですが、差額は学生の父母らで構成している後援会が負担し、予定の1日150食は毎日ほぼ売り切れると言います。

余分なことですが、家内が取り組んでいる地域の食堂「ひだまり亭」でも300円のメニュ-は、なかなか価格的にも大変なものがあるようです。このように通学時間を多くとられる学生にとられ、朝食抜きとなってしまう学生にとっても良いシステムではないでしょうか。

学校に来てから朝ご飯を食べるという選択肢ができて、喜ばれているはずです。とにかく、これからの日本を背負っていく若者たちだけに、ファ-ストフ-ドのようなものでなく、栄養価の高いものをしっかりと食べ、頑強な肉体を作ってもらいたいものです。

明日は1日、私用のため会社を離れるため、カキコミは休ませていただきます。

2014.10.21

素敵な町おこし No.2635

 人口が高々2千数百人の町でもこんな素敵な町おこしができるのですね。本土から沖合60㎞の位置にある島根県の隠岐諸島の中の1つで、周囲がほぼ90kmぐらいの1島1町である海士町(あまちょう)の話です。

2007年に北海道夕張市が財政再建団体へ移行するという、いわゆる財政破綻のニュースが話題を呼びましたが、この町も他人事ではないような実情だったようで、2002年に当選し町長となった山内さんは少しも驚かなかったと言います。

この海士町は平成の大合併の嵐が吹き荒れる中で、離島が合併してもメリットがないと判断し、単独の道を選んだそうです。でも地方交付税が削減され、国からの補助金も減少すると公共事業で雇用の確保もできず、「2008年には海士町は財政再建団体へ転落する」と言われていたほどです。

その窮地を救う手だてをしたのが、誰でもないこの町長である山内道雄さんだったのです。徹底した行財政改革を断行するには、自ら身を削らなければならないと考え、当選後にまず自分の給与カットに踏み切ったのです。

すると、職員たちも「自分たちの給与もカットしてほしい」と申し出てくれ、町議、教育委員も続いたのです。2005年には町長の給与は50%、助役、町議、教育委員は40%、職員は16%から30%とそれぞれカットし、2億円の人件費削減に成功したと言います。

これで海士町は「日本一給料の安い自治体」となったわけですが、小さく守りに入ったわけではなく、生き残りをかけ、ここから攻めに転じていくのです。何かこれだけでも感動的な話で胸が熱くなりそうですが、町長を中心として攻めに転じていった話を少しずつ紹介したいと思います。

元々この島は魚介類が豊富に獲れ、サザエなどは島民が飽きるほど食していたわけですが、離島というハンデと市場がないことから、漁師が捕ったものを漁協に渡して、漁協が境港(鳥取県)の魚市に出していたのです。

そして魚などは今日捕ってきたものでも、あくる日の船で行けば鮮度が落ちて買い叩かれてしまい、漁師が儲かる仕組みができていなかったのです。

そこで海士町では第三セクター「ふるさと海士」というものを立ち上げ、細胞組織を壊すことなく冷凍、鮮度を保ったまま魚介を出荷できる「CASシステム」という最新技術を導入したのです。

この町で一貫生産に成功したブランド「いわがき・春香」や、特産の「しろイカ」などを直接、都市の消費者に届けることがねらいだったのです。システムそのものは1億円もしなかったのですが、建物なども含めると5億円掛かってしまったのです。

県議会などでは採算がとれず黒字にはならないと揉めたのですが、背水の陣で挑んだ結果、産地直送の新鮮な魚介は人気となり、首都圏の外食チェーンをはじめ、百貨店やスーパー、米国や中国など海外にも販路を広げていったのです。

この他、これに留まらず次々と新しい施策を打ち出していくのですが、また次回紹介したいと思います。とにかくこの山内町長みたいに、身を削ってもこの町を良くしたいという、気骨のある人を我が街でも欲しいですね。

2014.10.20

ふがいない巨人 No.2634

 セリ-グ・クライマックスシリ-ズファイナルステ-ジは阪神の4連勝であっけなく終わってしまいました。アドバンテ-ジの1勝はあったものの、巨人は実戦には1回も勝つことなく、敗れ去ってしまったのです。

まさにどうした盟主・巨人と言われても仕方ないところですが、最後までリズムに乗れないまま終わってしまったような気がします。これが短期決戦の難しいところではないでしょうか。

もっともアンチ巨人のこちらとしては、この結果は喜ばしいところで、強い巨人が目を覚まさないうちに倒さなければと思っていました。連敗はしていたものの、1つ勝つとム-ドがガラッと変わってしまうからです。

そんなわけで巨人の調子が出ないうちに終わってしまったようなファイナルステ-ジだったのですが、阪神の投手陣も良かったですね。その顔ぶれを比較するとやはり阪神の方が優っていたのではないでしょうか。

それとゴメスを中心とした打線が好調でしたね。さすがセリ-グ打点王です。このようにこうした短期決戦は早く調子を上げた方に軍配が上がるものですが、それにしても巨人はあれだけの選手が揃っているだけに、敵ながら不甲斐なさを感じたものです。

でもシ-ズン中にしたって、打線が定まっておらず、日替わりの組み換えで監督は結構、苦労したのではないでしょうか。このチ-ム、いつも感ずるところですが、獲得外人に比較的恵まれないところがあるように感じます。

今期もキュ-バから鳴り物入りで獲得したセペタが全く働きませんでした。このクライマックスシリ-ズでも満塁のチャンスで代打で出てホ-ムゲッツ-ですか。後で振り返っても結構、この場面が痛かったように思えます。

それと投手が揃っているようで、いまいちのように感じました。またシ-ズン終盤で菅野投手が肘を痛めたのが響きました。勝ちを計算できる投手が減ってしまったからです。

それにしてもFA組も含め、球界のそれなりの選手を根こそぎ集めている割には、圧倒的なところが見られません。そうするとただ良い選手だけ集めても強くはならないということかもしれません。

野球は9人でやるもの、やはり一人の力ではなく、必死になってナインが力を合わせてこそ勝ちを掴めるものです。何か私たち企業にも相通じるものがありますね。

2014.10.17

持ち帰り寿司 No.2633

 昨日はその前の日と違って素晴らしいお天気でしたね。寒川総合体育館の現場調査の後、もう一つ依頼されていた茅ヶ崎にある老人施設・太陽の郷という所に行ってきたのですが、素敵な場所でした。

緑の木々や広い芝生スペ-スなどもいっぱいあり、晩年はこんなところで暮らすのもよいなと思ったほどです。でもちょっと小耳に挟んだのですが保証金が2千万ぐらいと聞きましたので、とても庶民の自分たちには無理だと思い知らされたのです。

この7階建ての建物の屋上にある装置が故障しているので、その屋上に上がったわけですが、見晴らしの良いのにはびっくりしました。四方見渡せるわけですが、東には江の島や海の中に烏帽子岩がくっきりと浮かび、また西北には箱根の山々の上に、初冠雪とも言われていた富士山が綺麗な姿を現わしていました。

こんな素敵な景色を眺めることのできるのも、商売柄、自分たちの特典かもしれません。さて話はガラッと変わってしまいますが、持ち帰り寿司の代表格でもある、小僧寿しが少しピンチに立たされているという情報を耳にしました。

今年に入ってから不透明な資金の流れが複数回あったり、リストラを始めたりしていて、社内外から経営改革案を募っているように、なりふり構わない姿を見せているようです。こうした経営者の資質に関する問題が少ないないとも言えるわけですが、持ち帰り寿司自体、その業界が下降線にあるのではないでしょうか。

ご存知の通り、今ファミリ-に人気のあるのは回転寿司です。すぐ手軽に食べられるというのが魅力ですが、ここでも持ち帰り寿司を販売しています。この回転寿司が登場する前に人気だったのが、小僧寿しのような持ち帰り寿司だったのです。

かつてはお寿司と言ったら特別な日の食事だったからです。その持ち帰り寿司のメインとなるタ-ゲットがこのファミリ-だったわけで、そのファミリ-が回転寿司の登場でこちらに移動してしまったのです。

それから宅配寿司の登場の影響も少なくありません。今では持ち帰り寿司の競合は、回転寿司だけでなく宅配寿司という、私たち消費者にとっては自宅に届けてくれる大きなメリットを持つ強敵が現われたからです。

確かに自分で持ち帰るのには、嵩張ったり、斜めになったりして持ち帰りしにくい不都合があるのです。そして味という点でも年々宅配寿司はそのレベルを上げてきています。一方の小僧寿しや京樽といった持ち帰り寿司は大した進歩がないようにも聞いています。

このように持ち帰り寿司は外では回転寿司に敗れ、内においても宅配寿司にリ-ドされるような展開になっているのが現実なのです。それでは全くそれが生き残れる戦略がないのかといった点で、有識者は次のように語っています。

1つには回転寿司や宅配寿司にない、独自の存在意義のある強みを見つけ出すということです。味や価格に左右されないコンセプトを見つけることで、豪華なパッケ-ジなどでお祝いのための寿司というものを位置づけたり、自宅でのパ-ティ-用にロシアンル-レットのような要素で盛り上がりを演出したりする方法です。

またもう一つは海外展開を考えることです。現在、日本の食文化は世界的にも人気があり、日本市場ではなくグローバル市場に目を向ければ、持ち帰り寿司の未来にも明かりが見えてくると言っているのです。

ですから全く未来のない業界といったわけではないのですが、今のままで手をこまねいていては近い将来消えていくかもしれないと警鐘を鳴らしています。こうしたピンチに立たされている業界は決してこの持ち帰り寿司だけではないのですが、やはり業界の隙間を縫った戦略や消費者がワクワクするような仕組みづくりが求められているものです。

2014.10.15

ノ-ベル平和賞 No.2632

 ノ-ベル平和賞がパキスタンの17歳女子学生マララ・ユスフザイさんと、インドの活動家カイラシュ・サティヤルティさんの2人に決まりました。マララさんはご承知の通り、女子教育の権利を唱えてイスラム過激派に頭を撃たれ一命を取り留めた人です。

銃撃から奇跡的に回復したわけですが、少しもへこたれず現在も全ての女子や児童への教育実現を唱えている勇気には、とても17歳とは思えない並々ならぬ決意と固い信念が感じられるものです。特に受賞後に語った「これは始まりにすぎない。私はすべての子供たちに学校に行ってほしい」との言葉が全てを表わしています。

このマララさんたちの受賞には全く異議を唱えることはありませんが、一部に伝えられていた戦後憲法9条を守り抜いてきた「日本国民」というのも面白い話でした。そうなれば私たち護憲派にとっては、集団的自衛権の行使を容認し、いったいどこに進もうとしているのか判らない、現政権を揺さぶる良いチャンスでもあったわけです。

この話が出たそもそものきっかけは、座間市に住む2児の母親である主婦のアイデアであったみたいです。「平和が大切」「子どもを守りたい」という思いがあるものの、子育てに追われてデモや集会には参加できないことから、家でもできることとしてノ-ベル賞委員会にメ-ルを送り始めたというのです。

また署名集めのサイトもつくり、集まった署名をこの委員会に送っているうち、「憲法9条にノ-ベル平和賞を」実行委員会が発足し、そして今年の4月、とうとうその候補として受理されたという連絡が入ったのです。

まさに「一念岩をもとおす」という言葉通りの執念による実りですね。実行委員会の共同代表は「運動が国内的にも国際的にもここまで評価されるとは。受賞して憲法改正の流れを止めたい」とまで語っていました。

ここまで当局に評価されたのも、安倍政権による9条の解釈変更が武力衝突の兆しとして懸念されていて、東アジアでの緊張の高まりに言及し、この平和賞が創設当初の戦争防止の原点に返るのは時宜にかなっていたからです。

でも残念ながら受賞には至りませんでしたが、改憲派に対してはそれなりのプレッシャ-にはなったのではないでしょうか。ある改憲派閣僚は「そんなことになったら自民党は終わりだ」とまで言っているほどです。

また自民党内にもハト派として知られる谷垣幹事長あたりは、こうした流れを快く受け止め、できれば候補のまま最後までいって欲しいと言っていたほど、考えに温度差が見られたものです。要はこの先も根気よく平和を守る運動を進めるべきということです。今回このことで世界が注目しているくらいですから、改憲には最後までノ-と言い続けたいものです。

明日16日は早朝から寒川の方へ現場調査の依頼があり、一日出掛けますのでカキコミは休ませていただきます。

2014.10.14

ぬまづ港BAR No.2631

 3連休の最終日、列島は台風情報一色でした。NHKのテレビ番組など、朝からずっとこの情報を流しっぱなしで、予定されていた番組を全てキャンセルするほどでした。でも18号に比べたら被害は少なかったのではないでしょうか。それにしても右旋回してなぜこんなに日本列島の方に向かって来るのでしょうか。憎っくき台風です。

そんな台風が来る前のこと、3連休の初日に「ぬまづ港BAR」というイベントに初参加しました。参加といってもただ飲み食いするだけですが、家内と二人、5軒ぐらいハシゴしたのですが結構楽しめたものです。

このBAR(バル)というのは元々、晩ごはんの遅いスペインなどでバルにいき軽食を食べる習慣があるそうで、そうしたお酒を飲みながら軽食をつまむという習慣を、商店街の活性化のためにイベントとして取り入れているものです。

このぬまづ港BARももう何年か前から始まっているイベントですが、沼津港にあるお店43店舗に加え、今回から駅に近いあげつち商店街9店舗も加わり、全部で52店が加盟して参加してくれています。日頃から休日になると県外者で賑わう沼津港ですから、3連休の初日、大勢の人々が押しかけていました。

私たちも予めネットで前売り券を予約していた関係で、当日は4000円のところ3500円となり、5枚綴りのチケットを本部で渡してくれました。つまりBAR加盟のお店の予め決められたBARメニュ-なら、一人5軒まで飲食できるのです。

最初に訪れた「さかなや日本一」は、3種類の日本酒利き酒ができるという案内につられて入りました。つまみも串揚げ5本セットがついており、ほどほどに満足できるものです。ここで商工会議所の知り合いとも隣り合わせたり、またBARの常連客みたいな女性の二人連れともいろいろと話が弾みました。

イベントではこうした予期せぬ効果があるものです。聞くと日本酒の利き酒等、近隣で開かれている日本酒のイベントには結構出かけているみたいです。そしてここがもう3~4軒目というものですから、他のお店の情報も仕入れてこのお店をあとにしました。

次に入ったのが「なな輝」というところで、ここは生ビ-ルと金目鯛の煮つけ、そして3軒目は「さすよ亭」で海鮮カルパッチョと生ビ-ルもしくは焼酎割というメニュ-です。生ビ-ルも1杯飲めば結構、腹が膨れるのでここでは焼酎の水割りにしました。

ここでも隣り合わせた富士から来たというご夫婦とも話が弾み、各店の情報交換をしました。メニュ-の海鮮カルパッチョはおいしかったものの、私たちのガラスの盛り皿は良かったのですが、お隣のご夫婦のそれは和風の皿でしたので、同じ料理ながら何となく気の毒に思えたものでした。

そして4軒目は「鮨庵さいとう」です。ここのお寿司は一度食べてみたいと思っていましたので、初めも少し覗いたところやはり大勢待っていた行列で一度はあきらめかけたのですが、再度覗いてみると待ってはいるものの、そんなでもなかったので列に並んだのです。

お寿司が4巻と飲み物というメニュ-でしたが、やはり評判通りおいしかったですね。こうしてお腹いっぱいとなりましたので最後の「うなぎ処京丸」はおみやげにしてもらい、帰途についたのです。こうした初めてのぬまづ港BARという食べ歩きでしたが、それなりに満足したものです。今度は来年の5月開催です。是非一度お出掛けになったらどうでしょうか。

2014.10.10

栃木ねんりんピックよりその3 No.2630

各県、各政令都市がそれぞれ、色とりどりのお揃いのユニフォ-ムを着た入場行進が終わり、開会式が始まりました。宇都宮市長の開会宣言の後、炬火台(きょかだい。ここでは聖火とは言わず、たいまつやかがり火の意味で、栃木県内3か所で採火した「元気の火」と名付けられた火をともす)への点火です。

競技場内で3組ぐらいのリレ-が行われた後、最終ランナ-として現われたのは栃木県出身の元ボクサ-でタレントのガッツ石松さんと、長女でやはりタレントの鈴木佑季さん親子です。点火後主催者挨拶など、お定まりのセレモニ-が終わり、私たちは予め決められていた観客席に移動し、いよいよメインアトラクションの始まりです。

まず最初のアトラクションは栃木の伝統と称して、日光東照宮で例大祭神事として行われている流鏑馬の披露です。

でもいつもの馬場ではなく、大観衆の競技場内という特殊な場所だっただけに、馬が興奮したのか、残念ながら的には1回しか当たりませんでした。

しかし流鏑馬を初めて見ただけに、十分楽しむことができたものです。

日光東照宮で行われる流鏑馬の披露

鞍上の射手3人によるものです

ご覧の写真のように高校生ダンサ-による創作ダンスの舞や、小学生のキッズダンス、そして日光和楽踊りの踊り手がトラック1周を埋め尽くしたアトラクションの数々に感動させられたものです。そしてフィナ-レとして登場したのが、やはり栃木県出身の歌手、森昌子さんです。せんせいや同級生など私たちにお馴染の歌を4曲披露しただけに、会場は大いに盛り上がったものです。

こうした長時間に亘る開会式がやっと幕を閉じたのですが、この日の私たちはこれで終りになったわけではありません。今度は明日から始まる競技ごとに違う会場にそれぞれ別れて移動するのです。私たちソフトボ-ルは県南西部の足利市なのですが、1時間半ぐらい掛けて現地に着き、待っていたのが今度はソフトボ-ルだけの開始式というものなのです。

式中、68もあるチ-ム紹介に時間が掛かり、2時間近くこの開始式が掛かったわけで、いささかうんざりだったのですが、最後にスペシャルゲストとして登場したのが、何とアジア大会で見事に連覇を果たし、帰国したばかりの宇津木監督と上野投手だったのです。これに少し救われたところがありますが、朝7時前から移動し、終わったのが夕方6時過ぎという、シニアといえどもタフでなければ本当に務まらないと思えた、ねんりんピック初日だったわけです。でも良い思い出になりました。

2014.10.09

栃木ねんりんピックよりその2 No.2629

 感動した開会式をちょっと紹介したいと思います。静岡県選手団一行140余名はお揃いのユニフォ-ムを着て、10/3(金)のお昼にこちらを出発しました。この日は行事は何もないのですが、翌日の開会式に備え、同県の全ての競技者が同じ宿に泊まるからです。

静岡県の宿泊地は温泉地鬼怒川です。このため他県に比べても、比較的良い場所に恵まれたのではないかと思われるのですが、難点は朝の出発が早いことです。何と朝食が6時からで6時50分フロント集合ですから、皆さん大慌てです。

10/4(土)バスを降りて開会式会場の栃木県総合運動公園陸上競技場に向かう

我がチ-ム(沼津片浜シニアソフトボ-ルクラブ)のメンバ-勢揃い

開会式入場まで隣の硬式野球場で待機

専用バスで鬼怒川を7時15分出発、開会式会場には8時30分頃到着。荷物を預けたり会場内散策して9時25分に選手団控え場所となっている硬式野球場内に集合。

ここからが入場行進の始まる10時40分過ぎまで、待ち時間がとても長く、お年寄り軍団にはかなり辛いのではないかと思われました。でも皆さん、本当にお元気です。

ねんりんとちまるキッズとの交流会

この待ち時間を利用して、ねんりんとちまるキッズと呼ばれる地元の迎えてくれた小学生との交流が始まりました。

これは各県、政令都市ごとに行われ、静岡県は宇都宮市姿川第一小学校4年生の児童が温かく迎えてくれました。手作りの横断幕を掲げたり、それぞれ激励の言葉を読み上げてくれ、ねんりんピックならではの「おもてなし」です。

そして11時、いよいよ我ら静岡県選手団の入場です。選手団は47都道府県と20の政令都市からの67代表で、その数約1万人とも言われているから壮観です。

地元の高校や県警察音楽隊の演奏をバックに入場行進するのですが、ねんりんピックだけにその曲も高校3年生や学生時代など、私たちにはお馴染の曲です。

ですから結構、うきうきといい気分にさせられるものです。メインスタンドを通過するときには、常陸宮様はじめ来賓に帽子を振っての挨拶です。

また待機広場で私たちと交流した地元小学生のキッズたちが、競技場内でこのように出迎えてくれています。

このようにまた明日紹介しますメインアトラクション同様、地元栃木の方々が、この日に備えて温かく私たちを迎えてくれる気持ちが嬉しいものです。

とにかく大きな感動を頂いた、この開会式に出ただけでもその価値があるというものです。続きはまた明日、紹介させていただきます。

静岡県選手団の入場

会場は芝生の空きスペ-スがないほど選手団で埋まります