社長の三行日記

2011.04.28

母校野球部の現況 No.2001

連休前の最後のカキコミとなりました。母校野球部の現況を少し話してみたいと思います。この春の東部大会は地区優勝校・沼津市立に3回戦2-9で敗れ、県大会出場は果たせませんでした。
 
昨年秋に引き続き、連続して県大会への出場はならなかったものの、実力的には少し冬の成果が現われているのではないでしょうか。
 
沼津市立戦、2-9の得点差を眺めると、だいぶ開きがあるようですが、この試合8回表までは2-1で我が方が勝っていたのです。ですからこのまま逃げ切って欲しいと思っていたのですが、こちらの不安要素が的中してしまいました。
 
と言うのも、エ-ス・勝又くんの球威がその前の回ぐらいから、めっきり落ちてきていたのです。そうした懸念していたところを隙のない市立打線につかまってしまいました。また一部中継プレ-のミスなども大きな失点に繋がるところもありました。
 
こうして8回、9回の2イニングで8点もの大量点を入れられ、試合を決められてしまったのですが、エ-スのスタミナ不足やこれに継ぐ2番手以降の投手の養成等、夏に向けての課題はしっかり見えてきました。
 
打線は3番・湯山君のバッティングが見事です。そして外野手の弱肩が少し気になりますが、守りの方は何とかまとまってきているように思えます。
 
監督はいつになく夏に向けて少し期待の持てるチ-ムになってきたと話しています。少し手応えを感じ始めてきているのではないでしょうか。
 
それと言うのも、投手出身の監督が今までの総合的に目配せしていた指導を少し変え、ピッチング指導に力を入れているのです。また素材的にも勝又君に続く良い投手もいないわけではないので、楽しみにしているところです。
 
そしてこの春、1年生の新入部員が19人も入ってきたと言います。こうした若い力も結集して是非、夏に向け捲土重来を期してもらいたいと願っています。監督も掛川から単身で乗り込み頑張ってくれています。それだけに何とか結果を出してやりたいと願うものです。
 
連休を挟むため、カキコミは5月6日より再開します。

2011.04.27

元気になろう No.2000

このカキコミがとうとう2000回を迎えました。2002年、当時は今のようなブログという形式ではなかったのですが、始めだしてちょうど10年目になります。つまらないものかもしれませんが、こうして続けてくると、自分にとっては掛け替えのないような、愛しい存在となるものです。
 
そんなに大勢の方ではないのですが、読んで支えていただける皆様のお陰だと感謝しております。改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。
 
さて、昨日もテレビのニュ-ス特集で眺めたのですが、日本の各地観光地ではお客が激減して大変とのことです。取り上げられていた日光では、平日でお天気が悪かったこともあるためか、名勝・華厳の滝や東照宮陽明門の前には、キャスタ-以外の人を一人も見つけることができなかったくらいです。
 
駅前の土産物屋やレストランの店主の話では、自分が引き継いだり始めだして40年ぐらいになるのですが、今までこんなことは一度もなかったと言われます。
 
ですから、もちろんホテルや旅館にもお客が来ません。それどころか、あの大震災以来、キャンセルが続出していて、予約客のほぼ90%に当たると言います。
 
東日本大震災と福島原発事故の風評被害が追い討ちをかけることになり、4月の1ヶ月が開店休業状態だと言われているのです。こんな中、日光・湯西川温泉で300年近い歴史を持つ、老舗・伴久ホテルまでが破産申請を出したというニュ-スも聞かれました。
 
何とも深刻な状況です。東京では都知事の一声で花見までが自粛されました。こんなときに不謹慎だという気持ちはよく解ります。でも一方では、被災地・宮城や岩手の酒蔵からは、私たちの作ったお酒を今だから飲んで頂きたいという声も届いているのです。
 
テレビにも出て訴えていた酒造メ-カ-の中には、「あさ開」という中小企業家同友会の仲間もいたように思えます。被害のなかった私たち地域までが元気をなくしてしまえば、被災地・東北の支援にならないと言うのです。
 
先日、同級生の間で年に2回定期的に開かれているゴルフコンペを行いました。万年幹事の私は仕事のやりくりがつかなかった関係で不参加だったのですが、1ヶ月前に案内を出した3月中旬、果たして開催してよいものか迷いました。
 
でも発想を転換して、私たちは何の苦もなくゴルフができるのだから、その楽しみの一部を義援金に廻そうと考えました。参加費の中からの一部と、OBや3パットの罰金を全てそれに廻すことにしたのです。
 
こうして集められた義援金は60800円にもなり、ささやかもしれませんが、皆さんの気持ちとして後でそれなりにお届けしようと思っています。こんなわけで自分にできる支援をしていけばよいのではないでしょうか。
 
テレビでも「上を向いて歩こう」の音楽が繰り返し流れています。みんなして下を向いたままでは日本はいつまでも元気になりません。いち早い復興を願うためにも、まず私たちから元気にならなければと考えています。

2011.04.26

期待される夕張市長 No.1999

あの夕張市に、30歳で新進気鋭の市長が誕生しました。もちろん全国最年少の市長で、鈴木直道さんという方です。
 
ご存知の通り、夕張市は全国唯一の財政再建団体です。平たく言えば、市の財政が破綻してしまったため、国の管理下に置かれ、もう一度地方債などの完済を果たして、町の復興を果たすというものです。
 
この極めて厄介な役割に乗り出したのが鈴木さんです。聞くと元々は東京都の職員で、今から3年前の2008年初めに、もう一人の職員と共に、この夕張市の財政再建に貢献しようと派遣されたと言います。
 
派遣期間は2年間、市民課の窓口として、自分の目でこの街の現状をつぶさに眺めてきたのです。そして出向から都庁に戻ってからも、若手経営者や市の職員から市長選出馬を打診され、悩み抜いた末大きな決断をしたのです。
 
何しろ当選するかどうかも判らないが、夕張市長の給与は月約26万円で、年収は200万円減となるのです。また東京都の職員でいれば、一生涯と言ってよいほど安定した収入も望めるからです。
 
しかし、「夕張のために人生をかけてみよう」と、この決断をし、2010年11月に立候補表明をしてこの市長選に臨んだのです。そして市長選で対するは前自民党衆院議員という強豪だったのですが、若さで退けこの市長が誕生したのです。
 
やはり市民レベルに立った政治家の誕生を、市民が望んだのでしょう。そして期待されるのは何よりもその若さと行動力です。選挙戦には、かつての上司でもあった石原東京都知事も駆けつけているのが、テレビでも映し出されていました。
 
とは言ってもこれからは大変です。今後16年間で322億円もの借金を返していかなければならない町の舵取りですから、想像以上のものと思われます。
 
しかし鈴木さんは母親一人で育てられたともいい、都に勤めながら大学にも通って学んだという苦労人です。是非そうした貴重な体験を、庶民目線に立って施政に反映してもらいたいものです。
 
一念岩をも通す」とも言われます。そうした自分の人生をかける思いで臨んだのですから、きっと道は切り開けるはずです。そして武器は何と言ってもその若さです。こうした鈴木さんの若さと行動力に期待するのは、きっと夕張市民だけではないはずです。日本中から大きなエ-ルを送りたいものです。

2011.04.25

ちょっと良い話part76 No.1998

いろいろと騒がれている相撲界でのちょっと良い話です。「お相撲さんが届けたぬくもり」という新聞のコラムからです。
 
大相撲の玉ノ井親方(元大関栃東)の運転する車で、東日本大震災の被災地・福島県相馬市の海岸沿いを走った。大地震から1ヵ月後の13日昼。「第2の故郷が、見る影もないよ」。

がれきで埋め尽くされた街。水田だったとおぼしき泥沼には何隻もの大型漁船が横たわり、あちこちに花束が捧げられていた。

実父の先代親方が相馬出身。部屋では毎夏、ここで合宿を開いている。そんな関係もあり、部屋のある東京都足立区と相馬市は災害時相互応援協定を結んでいた。

区の要請で炊き出しに駆けつけた。冷蔵庫で食材を持ち込み、2日間で2千食のちゃんこを、点在する避難所で振る舞った。

前日に二十歳になった専門学校生の伏見真里さんは、8人家族は皆無事だったが、家は基礎のコンクリ-トしか残らなかった。車で逃げた高台から見つめた津波。「黒い壁がすべてをのみ込んでいきました」

持ち出せたのは就職活動ノ-トと携帯電話だけ。「ス-ツがないので、面接にも行けない。どうすればいいんだろう」。将来への不安に襲われ続けているが、具だくさんのちゃんこに「初めて温かい食事を頂きました。おいしい」。ほんのわずかだが、つらさを忘れることができた。

八百長問題で揺れた大相撲。被災地支援を人気回復に利用すべきではないが、お相撲さんだからこそ分けられるぬくもりがある。

避難所を出た親方に、背後から幼稚園ぐらいの女の子がAKB48の替え歌を口ずさんだ。「
おいしかった、おいしかった」。親方が振り返ると、笑顔で同じ節を繰り返した。「またね」と玉ノ井親方が手を振った。
 
本当にお相撲さんだからこそ届けることのできる、温かいぬくもりですね。当初のちょっとした計画停電で私たちが直面した混乱が、現地ではいつ終わるか判らないほど、毎日のように繰り返されているのです。
 
その事実をしっかりと受け止めなければいけないと考えています。とにかく当たり前のことができる私たちだからこそ、自分にできることをしっかりと考えて、一時的ではなく先の長い支援を続けていかなければと思っています。

2011.04.22

たじたじ No.1997

元キャンディ-ズのス-ちゃんこと田中好子さんが亡くなられました。19年間ガンを患っていたにもかかわらず、そんなことはおくびにも出さず、女優業に励んでいました。何となく温かくなる人で、特に解散コンサ-トのときの「微笑がえし」が忘れられません。ご冥福をお祈りします。
 
さて、菅さんが福島県の避難所を訪れたのですが、避難されている住民の方から厳しい言葉を浴びせられていたのを、テレビや新聞でも伝えていました。
 
予定の30分が来たから避難所を立ち去ろうとしたとき、素通りされた男性から「もう帰るんですか」と呼び掛けられたのです。このため引き返して近くの女性に歩み寄ると、今度はその女性からも「無視して行かれる気持ちってわかりますか」と抗議されたのです。
 
その男性からも「なんでこっからまっすぐ行かれるんですか」と続き、「俺らはどうするんですか、ここにいるの」と咎められました。
 
こうした言葉を受け、菅さんは「いや、ごめんなさい。いや、反省させてください」と、動揺してタジタジだったそうです。
 
このように一向に埒の明かない原発事故処理ですから、余儀なく避難させられている人々の思いは痛いほどよく解ります。時の首相はそうした気持ちが少しでも解らなかったのでしょうか。
 
先に紹介させていただいた天皇・皇后両陛下の避難所訪問とはえらい違いです。このようなことを聞くと、やはりおざなりの訪問だったと言わざるを得ません。
 
とにかく迷惑を掛けているのだから、たとえ回る避難所は1~2箇所かもしれないが、全員の方々にせめてお詫びの気持ちを伝えなければと思っていたのであれば、こうはならなかったものでしょう。
 
やはり被害者の気持ちを読みきれていないのです。それと厳しい言葉ですが、その人に備わっている人間的な徳というものが不足しているのでしょう。人の上に立つ人、特に日本のトップたるもの、こうした未曾有の緊急事態だけに、迅速かつ適正な判断と広く温かい心が一層求められているものです。

2011.04.21

魅了するプロ野球 No.1996

プロ野球が開幕して10日が過ぎました。大震災の影響で少し開幕を延ばしたわけですが、東電以北管内は4月中ナイタ-中止でのやり繰りは、何とか問題ないように進められているように思えます。
 
こんな中、被災地・仙台に本拠地を置く楽天が良いスタ-トを切りました。阪神淡路大震災のときのように、「頑張ろう神戸」を合言葉に優勝までしてしまったオリックス同様、何とかこのまま突っ走ってもらいたいものです。
 
戦力的にも松井、岩村の大リ-グ帰りの両選手の加入が大きいと思います。それから主砲・山崎選手の飛距離もまだまだ衰えていません。
 
そして選手会長であり、守りの要でもある嶋捕手が開幕戦から逆転3ランを放ったりしていての大活躍です。「頑張れ日本、頑張れ東北」のスロ-ガンで、是非地元東北の方々に勇気と希望を届けてもらいたいと願っています。
 
一方、セリ-グの方は昨年のリ-グ覇者・中日が出だしから躓いています。幸先良いスタ-トを切った広島カ-プとは正反対に、ちょっとこの先少し心配されるような、モタツキを見せています。
 
また19日から始まった巨人-阪神戦はやはり見応えのあるものです。伝統の一戦と呼ばれるだけあって、これぞプロ野球と思えるところが随所に織り込まれていて、やはり野球から目が離せなくなっています。
 
ところで週間ポストに載っていたのですが、この巨人のエゲツない選手集めという手法も、元々はプロ野球と巨人軍の産みの親とも言われている、正力松太郎氏の意図するところではなかったと言われています。
 
常にジェントルマンを目指す野球として、日本を代表するチ-ムとしてアメリカに追いつき追い越せを目標にしていたとのことです。
 
それが誌面に登場した広岡達朗氏の話では、長嶋茂雄さんの出現から様相が変わってきたというのです。長嶋さんが一度クビになってから、ファンの戻せという声が凄かったそうです。戻さないと観に行かないぞとまでの声が少なくありませんでした。
 
こうして長島さんが復帰してから、勝っても負けてもお客は来るようになったというのです。そうとはいえ、球界の盟主を誇る巨人軍ということで、やはり負けてはいけないことから、そこまでやるかといわれるぐらいいい選手を集め続けていると紹介していました。
 
その結果、生え抜きの選手がなかなか育成されないという、大きな悩みがついて回るようになってしまっているのです。とにかく今はかつてのように、何でも巨人軍ということから抜け出しているように思えます。
 
この楽天や、斎藤佑ちゃんの入った日本ハムしかり、パリ-グだってずいぶんと魅了させるプロ野球となってきています。是非、プロはさすがだと誰しもが思えるプレ-を見せていただき、被災地の方々にも復興に向け、夢と希望を届けてもらいたいと願っています。

2011.04.20

火事場泥棒 No.1995

石巻の友人から、その後元気にやっているからとの連絡を頂きました。もっともその友人は現在は被災地の石巻から離れ、子どもさんが住む長野に一旦身を寄せられているのです。
 
話を聞くと、現地では私たちの想像以上の出来事が起こっているそうです。以前にも触れましたが、友人はちょうど地震のあった3月11日には仕事で東京に出掛けていました。
 
このためご本人は現地でその被害に巻き込まれなかったものの、翌日やっと繋がった、安否を尋ねた電話では、家や車は多分流されてしまったのではないかということでした。
 
そして交通機関がメタメタになった関係で、帰るに帰れないでいたのですが、5~6日経ってからやっと、新潟経由の車に同乗でき現地に向かったのです。
 
幸い石巻の自宅は流されず無事だったと連絡が入ったのは、その数日後でした。ところが何日も住めないと言うのです。たぶん、このようなことは少し報道管制が敷かれているのではないかと思われるのですが、現地での治安がだいぶ悪いと言われるのです。
 
被災者が避難して留守になった家に、勝手に他人が住みついているそうです。また友人の家は震災後ほぼ1週間戻らないでいた為、家の中の物が何もないと言うのです。それこそ下着の類まで誰かが持っていってしまったとのことです。
 
そしてこうしたトラブルから、一部には殺人事件まで発展しているケ-スもあるというのです。従って友人は怖くなり、早々にこの家を出たのです。また、たぶんこの家にはもう住めなくなるのではないかとまで話していました。
 
折角、被害に遭わず残った家でもこの有り様です。震災直後、世界中から暴動の起きないこの日本に賞賛の声が上がりました。でも実態は必ずしもそうばかりとも言えないのです。
 
よく火事場泥棒という言葉も聞きます。ドサクサに紛れて、人が被害に遭っているのに追い討ちをかける輩です。ニュ-スでもこの大震災に便乗して、義捐金詐欺のようなケ-スが相次いでいるとのことです。
 
こんな奴は本当に最低ですね。まさしく人間の屑とも言えるもので、捕まえたら極刑に科してもよいくらいです。私たちの知らないところで、こんな事まで起こっていると聞きましたので、ちょっと紹介させていただきました。
 
予期しない、このような様々なことがあると思われますが、挫けず負けないでもらいたいと願っています。

2011.04.19

取り残されている動物たち No.1994

一時帰休は許されるものの、半径20km圏内は完全撤退で避難を強いられている福島県の方々にとって、原発事故はとても許されるものではないでしょう。
 
そしてこの中で他の東関東大震災の被害地同様、津波など未曾有の天災を被った地域の方達には、この天災に加えて人災とも言える被害がダブルで襲ってきているのです。
 
こうしたある時を境に一変した生活には、さぞ困惑しているものと思われます。またそれに加え、様々な風評被害が付きまとっていると言われます。
 
川崎の市長が地震で発生したゴミなどの受け入れを表明した途端、住民から放射能を撒き散らかすのかと大反対にあったそうです。また避難先では福島から移ってきた子どもまで、放射能がうつるからとからかわれているとも聞きます。
 
いやはや、何とも悲しい話です。その人たちの立場になって少しでも考えてみたら、決して口にさえできない事柄なのです。人間として是非、最低限での思いやりを持ってもらいたいものです。
 
こんな中で、この圏内に取り残されている動物たちのことをテレビで取り上げていました。すぐに戻れるであろうと飛び出した人たちが、一向に収束されない情勢のため、戻るに戻れない関係で、置き去りにしてきた犬や牛などの動物のことです。
 
映像ではやせ細った犬や、久しぶりに会えた飼い主の元に、一生懸命走って戻ってきた犬の愛くるしい姿が映し出されていました。この置いていかれた動物たちには何の罪もありません。
 
また永年ペットとして一緒に生活していれば、家族と何も変わらないとも言えるのです。また牛たちの世話ができないということは、今後の死活問題にまでなるのです。
 
人によっては人間が生き延びるだけで精一杯で、とても動物どころではないと言われるかもしれません。でも今まで飼い続けてきた飼い主の責任というものがあるのです。それをしたくてもできない人たちの思いを考えると、胸が詰まります。
 
こうしたことからも、今回の原発事故の責任は本当に考えなければいけない、重いものです。私たちの県にも全く同じような環境にある浜岡原発があります。いつ起こるか判らない東海地震に対しても、原発に頼っている現状を今、大きく見直さなければいけない時が来ているのではないでしょうか。

2011.04.18

エアコンに頼らない消夏法 No.1993

延び延びとなっていた男女のプロゴルフも開幕し、昨日はその最終日を迎えました。男子は高山、女子は不動の両選手が優勝を飾ったわけですが、それぞれの選手が口々に、自分達にできることは精一杯良いプレ-をして勇気と感動を与えることだと話していました。
 
中には実家が半壊している男子選手もいると聞きました。とにかく一時的ではなく、息の長い支援を続けていかなければなりません。18番の最終ホ-ルでは石川遼くんが3打目のアプロ-チを見事にチップインしました。
 
やはりこの人の持っている運命的なものを感じます。また一方では斎藤佑ちゃんも同じ早稲田の同期・福井投手と共に、初先発、初勝利を飾りました。今年はこうした若い力から目を離せなくなるのではないかと思われます。
 
さて前置きが長くなりましたが、今朝の天声人語に、かかあ天下ならぬ、かかあ電化という記事が載っていました。一般家庭に電化が進み始めた1955年ごろに流行った言葉だそうです。
 
それによると、家庭の電化程度をいくつかのランク付けしていたとのことです。いまいちだった第7ランクは電灯だけです。そして第6にラジオがあること。
 
また第5にはトースター、電熱器。第4は扇風機に炊飯器。第3は電気洗濯機。第2は電気冷蔵庫。第1ランクの家にはテレビも電気掃除機もあったと言われています。
 
3種の神器とも呼ばれた、洗濯機、冷蔵庫、テレビはおそらく、この後、多くの家庭に普及していったのでしょう。こうした電化製品の開発、普及により、どんどんと私たちの生活がより豊かで快適になっていったものと思われます。
 
記事の中で注目したのが、これから後で普及したエアコンが家庭用電力消費の約25%を占めるということです。冬は寒く、夏は暑いということをいくらかでも解消させた代物です。
 
しかし考えてみると、私たちの小さなときにはそんなエアコンなどというモノはなかったのです。夏の暑い時には扇風機をガンガン廻して、傍らでアイスクリ-ムいやキャンディ-かな、それを頬張るのがささやかな贅沢だったように思えます。
 
そして冬の家の中は、石油スト-ブで暖をとったのが大概の家庭だったのではないでしょうか。こう考えてみると、決してエアコンに頼らなくても、人は生きていけるのです。
 
今年の夏は伝えられているところによると、だいぶ電力不足に陥るということです。ですからここで私たちの生活をもう一回見直す、良いチャンスではないでしょうか。私の寝泊りする部屋はエアコンもありません。
 
それは単なる、物理的にそうしたモノがないだけに過ぎないかもしれませんが、なくても何とか済むのです。ですからこの他にも、記事の中にあった打ち水、緑のカ-テン、川涼み等、エアコンに頼らない消夏法をそれぞれが考え出していく必要があるのではないでしょうか。

2011.04.15

ちょっと良い話part75 No.1992

昨日は天皇・皇后両陛下が被災地をお見舞いに訪れました。テレビから伝えられていることしか見聞きできませんが、お二人ともいつも物腰が柔らかく、本当に被災者の気持ちになって接しているように感じます。
 
それぞれの人の話を聞くにしても、膝まづき同じ目線で対応されています。やはり人間的に優しいのですね。言いたくありませんが、いつも上から目線で話し掛けているように感ずる、時の首相とはえらい違いです。トップに立つ者、両陛下のようにいつもこうありたいものです。
 
届いた泥まみれの葉書に涙」という、ちょっと良い話が新聞に投稿されていましたので紹介します。
 
大震災前日の3月10日、ついでがあって宮城県南三陸町の郵便ポストに、親戚や友人にあてた時候あいさつのはがき33枚を投函した。

だが、町は翌日の震災と津波で多数の死者と行方不明者を出してしまった。はがきの行方が気になり、ガソリンの手当てがついた3月29日に知人の安否確認をかねて町に行ってみた。

ポストがあった3階建ての県合同庁舎は頭から津波にのまれた痕跡があった。周囲のコンビニや民家は全くなくなっていた。これではあきらめるしかないと思って帰宅したら、東京の親戚から「泥まみれのはがきが着いたよ」と電話があった。

その後、山形、千葉、神奈川、埼玉や大阪からも届いたと連絡があった。はがきは透明な袋に入れられ「津波被災で配達が遅れ申し訳ありません」という詫び状まで添付されていたそうだ。

この連絡を聞いたときには涙がこぼれた。郵便局舎も津波にやられ、局員も被災したはずだ。信書を大切にする日本の郵便局なればこそと思う。

はがきを受け取った誰もが「このはがきは東日本大震災の証しであり、いつまでも大切にとっておきたい」と言ってくれている。

 
とてもいい話ではないでしょうか。民営化され、いろいろと苦情もないことはないと思われる日本郵便ですが、郵便局の面目躍如たるところです。言い訳をしない、プロのプロたるところで、職業意識やその使命に徹しているからでしょう。
 
透明な袋に入れられていたというのも凄いことです。このようなことを知らされると、人や企業などの価値というものは、本当に窮地に達し困っているときに真価が発揮されるのではないでしょうか。
 
朝の来ない夜はないと言います。また「禍福も糾える縄の如し」とも言われます。早く被災された方々にとって、本当の意味での春が訪れることを願っています。

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