会長の”三行日記”
2011年04月
2011.04.14
救援医療スタッフの活動よりその1 No.1991
楽天が開幕から2連勝を飾りました。「頑張ろう!東北」と、東北の人たちと一緒に戦うと言っているだけに、被災者の方々を大いに励まし、勇気づけるのではないでしょうか。
さて、医療スタッフとして現地に出掛け、自分の目でつぶさに眺め、感じたことを記しているブログを教えてもらいました。報道からは伝わらない、壮絶な、私たちの知らない出来事が記されていますので、少しずつ紹介していきたいと思います。
かっこいいことを言いながら強気で踏み入れたのに、来たばかりのときは想像をはるかにこえた現状に打ちのめされました。自分に何が出来るかなんて考える時間もなく、目の前で起きていることを把握して無我夢中でやるしかなかった。
毎日モノを数えるように、増えていく死亡者数をニュースを読み上げてるアナウンサーにさえ嫌気がさしました。
1日2000人以上の受診希望者、床に寝せられ点滴を受ける患者さん、泥だらけの入院ベッドに横たわる患者さん、1人任され不安だらけの救護所、避難所での夜間の急病人
水も電気もない分娩室でのお産、受け入れ先病院が見つからない救急医療体制、備蓄のない医薬品、足りない医療機器、浸水して使えなくなったAED、全部が全部思い出せないくらい、毎日が壮絶でした。
朝からずっと走り回っていて気が付くと夜中の3時、4時ってのを毎日繰り返し。でもそれは私たちだけじゃなく、自衛隊のかたや消防のかた、警察のかた、運転手さん、自治会の会長さん、条件はみーんな一緒だったから頑張れたんだと思います。
私たちは交代でちょっと休めたけど、休めてない職種の方ばかりです。そんなしんどさなんて被災された方々に比べたら、なんてことはないと思うとへっちゃらでした。
それと何回も書いてきたけど、避難所のみなさんの笑顔と優しさと強さに何度こちらが励まされたことか。気丈にふるまっている人こそ心の傷は深く、話を聞いてみると家族といまだに連絡が取れていないという人ばかりでした。
このように切り出して、現地での葛藤を思い出しながら、事後ブログに記しているわけですが、もちろん救援医療に携っているときは、ブログなど書いている時間もなかったわけでしょう。
この日のカキコミの終わりに、被災しなかった私たちが時が経てば普通の生活に戻り、どんどん忘れていくことになりますが、3月11日のことは決して忘れてはいけないと、以下のように伝えています。
当たり前の日常がどんなに幸せなことか。そばにいてくれる家族や友人がどんなに大切な存在か。水や電気の資源の供給がどれだけ恵まれていることか。
いろいろ人それぞれ感じ方も違うし、きっと全く他人事に思う人もいると思うけど、いつ自分が被災者になってもおかしくないのです。
帰りは陸路で帰ってきましたが、だんだん東京が近づいてくると、どっちが現実社会なのか分からない錯覚に陥りました。当たり前についている信号、電気がついている高層ビル、きれいな身なりの道行く人。
震災にあった地域は対岸の火事のように過ぎてる都心の時間。でもきっと本当の現実は被災地で、都心は非現実社会なんだと思います。
全くその通りですね。当たり前の普通の生活のできることに感謝し、たとえ気持ちだけになるかもしれませんが、被災者のことをしっかりと考えた毎日に努め、自分にできる支援を続けていかなければと考えています。
2011.04.13
大震災から1ヶ月 No.1990
あの大震災から1ヶ月が過ぎました。今尚、余震に悩まされ、依然として落ち着いた毎日からは、かけ離れた生活を強いられている被災者の方々に対しては、慰める言葉もないほどです。
中にはこの4月から開業するといって、医院の完成を今か今かと待ち望んでいる方もいました。そんな矢先、あと少しの落成を待たずして津波に流されて跡形もなくなってしまいました。
おそらく絶望のどん底に落とされてしまったでしょう。そんな這い上がれないでいたとき、関西からボランティアで単身被災地に乗り込み、救急医療に当たっている一人の医師のことを知りました。
寝る場所もなく、役場の事務所の傍らに、ただ寝転ぶだけの睡眠をとる毎日です。しかし元気よくお年寄りを中心に、被害に遭われた方々のところを回っているのです。
このような姿を眺めて、流されてしまった医師はもう一度出直そうと決心したそうです。あきらめていては何も前に進むことはありません。苦しくても辛くても、一歩前に踏み出す勇気をいただいたのです。
この他、日本に住む外国人でも素晴らしい方はいっぱいいます。自分が営むホテルの営業を震災の翌日から中止し、被災者の避難所として提供し続ける方もテレビで紹介されていました。
日本が災害が起こるたびに支援し続けてくれた、バングラディッシュを母国に持つ方です。日本が本国にしてくれたことへの、せめてもの感謝とお礼の気持ちからです。
また本国より帰国命令が出て、一旦は帰国の途に着くバスに乗り込んだものの、泊まった仙台のホテルで眺めたテレビより映し出される被災者の、全て失ったが前向きに突き進む姿から、この人たちを見捨てて帰れないといって、急遽引き返してきたイギリス人も紹介されていました。
再会した被災地の友だちから「大馬鹿野郎!」と言われていました。「ばかやろう」という言葉も、こんなに美しく響くことがあるのですね。
今朝の新聞でも、東北・関東でこの1ヶ月、観光客のキャンセルが39万人とも伝えられていました。またそれ以外の地域でも17万人のキャンセルがあると言います。こうなると関係者は死活問題ですね。
そして依然として終息を読めない福島原発に至っては、とうとうレベル7の最高水準まで危険度が引き上げられてしまいました。当初の読みの甘さが祟ってしまっているのです。何としてでも事態の収拾を早く図らねばなりません。
こうした中、テレビから流れるサントリ-のCMがいいですね。タレントのいろいろな方が「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」の歌をうたっているものです。当たり前のことができる幸せをしっかり噛みしめ、自分にできることからまず実践していきたいものです。
2011.04.12
今年のマスタ-ズから No.1989
ゴルフの祭典・マスタ-ズト-ナメントが終わりました。日本選手では石川遼君とアマチュアの松山選手が二人、決勝ラウンドまで残り頑張りました。
特に松山選手は唯一、アマチュアで決勝まで残り、4日間1アンダ-という立派なスコアで大会を締め括りました。残念ながら藤田選手と池田選手が予選を通過できなかったのですが、昨年の日本での賞金獲得額1,2位のプロですら、この結果ですので難易度の高いこのコ-スをよく克服したものと思います。
テレビで眺めているだけでもその難しさは伝わってきます。何しろグリ-ンに乗せればよいというものではなく、ピンポイントで攻めていかなければ乗っても傾斜でこぼれてしまうのです。
余談ですが、こんなコ-スでは一般人を受け付けてくれないはずです。もし入れたりすれば、プレ-が一向に進まないのが目に見えているからです。
こうした難コ-スの中、アマチュア選手で勇猛果敢に攻めていったのは本当に見事なものです。この松山選手の健闘に、表彰式では多くの観客がスタンディングオベ-ションで万雷の拍手を送って称えたと言います。
被災地の大学出身で出場すら悩んでいた彼に対し、大きな励ましと被災地の復興を願う、温かい拍手でなかったかと思われます。一方、我らの遼君も3年目でやっと決勝ラウンドに残り、本来の思い切りのいいプレ-を見せていました。
4日間を終えて通算3アンダ-の成績は今後に繋がるのではないでしょうか。一番近くでいつも見守っている父の勝美さんの話でも、以前よりだいぶ技術的に進化しているとのことですが、それに加え、このマスタ-ズでの経験はさらに飛躍させる一歩になるものと思われます。
彼の小学校からの夢が、20歳でマスタ-ズト-ナメントに優勝することだそうです。今年彼より2歳上のロリー・マッキロイが最終日崩れたものの、3日目まで首位に立ち、優勝争いに加わっていました。
遼君にとっては彼の背中はまだまだ遠いかもしれませんが、更に1年間いろいろと切磋琢磨していけば、来年のマスタ-ズで優勝争いに加わることは決して夢ではありません。
是非その日が来るのを楽しみに待ち望みたいと思います。今日12日からは震災で延びていたプロ野球も開幕します。このゴルフ同様、被災地の方々に夢を届けることのできるようなプレ-を見せてもらいたいと願っています。
2011.04.11
変革よりまずは安定の意志表示 No.1988
統一地方選挙の第1弾が昨日終わり、国民の現政権への痛烈な意志表示とも言える、民主党惨敗が伝えられました。おそらく予想通りの結果だったと思われますが、この先、災害からの早期復興を目指す日本にとっては前途多難ではないでしょうか。
私たちも地元に新しい地区センタ-が建設されたことから、今までのすぐ隣りの場所から、少し歩いて向かわなければいけなかったのですが、夕方しっかりと投票を済ませてきました。
でも投票所の係員の方に聞くと、やはり投票率は伸び悩んでいるとのことです。結果はほぼ予想されたとおりになったみたいですが、都知事選同様、こうした混乱期には大きな変革を望んでいないものなのでしょうか。
この都知事選も、テレビでの中継による石原都知事の会見を少し眺めたのですが、結構、その鼻息が荒かったようです。電力節減にしても、街に無数に転がっている自動販売機や、灯りを煌々と照らして、いつもと何も変わらず営業を続けているパチンコ店のことを槍玉にあげていました。
この2つを併せると1000万kwの消費量にもなり、世界でこんなことが許されている国がないとまで言い放っていました。また「東京が止まったら日本が止まる」と、時の政権に限らず、以前の福田バカ政権とまで呼んで痛烈に批判し、強いリ-ダ-シップを力説していたのです。
確かにこれ以前に述べていた、日本人のアイデンティティ-とも言われる我欲うんぬんという話も解らないわけではないのですが、どうも石原さんが言うと上から目線のように聞こえてならないのです。
そして被災者に向けて言ったのではないでしょうが、天罰発言に繋がりました。結果としてはこれが何も影響なかったようですが、その後、テレビに出て来た、佐藤福島県知事が語ったように、福島県でこの首都圏の電力を1/3も作り出していることに、都民を代表する都知事もさらに着目していかなければならないと思います。
でもこの福島で避難を強いられた人々の惨状は、とても選挙どころではなく、私たちの想像以上に大変なことを改めて知りました。避難してその地を離れるということは失業にも繋がり、死活問題となっているからです。とにかく被災者の立場になって、一刻も早い問題解決と元通りの生活ができるよう願っております。
2011.04.08
問われているエネルギ-政策転換 No.1987
昨夜はまた東北地方を襲う地震がありました。仙台では震度6強と、避難所で暮らす人々に追い討ちをかけるようにまた不安と恐怖をもたらしたのです。
これも先日の大地震の余震の一部とも伝えられていますが、これでもか、これでもかと情け容赦なく襲ってきて、人間ではどうしようもない自然の脅威を感じさせられるものです。
震度6強とは私も体験したことがありませんが、想像以上の揺れだと思われます。そして揺れている時間も比較的長かったと言われます。被災地の方々は未曾有の大地震をほぼ1ヶ月前に経験しているだけに、さぞかし怖い思いをされたのではないでしょうか。
新聞などで伝えているところでは、今回の未曾有の大地震は1000年に一度ぐらいの周期で起こると言われます。それだけに、もう当分の間は起こらないだろうと思っていましたが、昨日のような地震が起こると必ずしもそうとも言えません。
今回の災害で、決して他山の石とは捉えていませんが、心して備えなければいけないものと思っています。こうしてみると原子力に頼る、日本の推進してきたエネルギ-政策をここで大幅に見直す必要があるのではないでしょうか。
想定外の災害による事故ということがあまりにも強調されていて、原発に頼る電気の供給という問題が少し人々の議論から離れているように感じますが、やはり地震大国・日本ではそもそも無理のような気がします。
福島の人々が味わったような思いを二度とさせてはいけません。東電ばかりが悪者のように言われていますが、ここまで進めてきた前政権や、今回の咄嗟の対応に後手後手に廻ってしまった政府の責任は少なくないものと思います。
今朝の新聞でも、福島第一原発の4基の原子炉を廃炉とするには、最低でも11年の年月が掛かると、当初の設計製作をした東芝の関係者が語っています。
それでもスリ-マイルの廃炉処理のスピ-ドより、かなり速いと言われていますが、それだけ厄介な品物なのです。まして今回のように、一たび放射能汚染を引き起こしてしまえば、影響を蒙るところが半端ではないことは明らかです。
従って愛する子々孫々のためにも、少しでも美田を残さなければいけないという責務から、安全に安定した電力供給の方法をしっかりと考えていかなければなりません。
原爆による放射能の怖さをどの国よりも一番知り尽くしている我が国だけに、きっとその世界にも冠たる技術力を駆使して、効率の良い代替発電方法を開発できるものと信じています。またその道を選択せざるを得ないときを迎えているのではないでしょうか。
2011.04.07
温かく差し伸べられている手 No.1986
被災地に対し、様々な温かい気持ちが寄せられています。先に申し上げたユニクロだけでなく、楽天の会長兼社長である三木谷浩史さんも個人で10億円もの義援金を贈られています。
三木谷さんが起業した原点も95年の阪神・淡路大震災での実体験にあったからと言います。この震災で三木谷さんは叔母夫婦も亡くし、被災地を歩き回り、学校に安置された何百もの棺を見て回ったそうです。
ですから全く他人事ではないのでしょう。温かな気持ちは本当に嬉しいことです。またソフトバンクグル-プの代表である孫正義さんも、会社での10億円とは別に個人で100億もの大金を寄付したとのことです。
それに加え、本年度から引退するまでの間、グループ代表としての報酬も全額寄付し、今回の震災遺児やその他多くの遺児などの支援に当てるそうです。
これなど、いくら膨大な資産があるからと言って、到底真似のできることではありません。改めて敬意を表したいものです。それから石川遼君も凄いことを言ってくれています。
今シ-ズンの獲得賞金額全額と、さらにバ-ディ1個獲るたびに10万円の基金を上乗せするというのです。そうすると2010年度の実績からは1億8千万円ぐらいの金額になるのです。
そしてそれが自分にできる何かであり、東北のみなさんとつながっているつもりで戦いたいと述べています。一部義援金商法などとネットで陰口をたたかれていて可哀想にも思えますが、19歳の青年にできるベストの選択ではないでしょうか。
アッパレなものです。今週から始まる夢の祭典・マスタ-ズより賞金は積み上げるそうですが、是非その活躍を期待したいものです。
また宅急便のヤマト運輸も、届け物1個につき10円をこの被災地復興や水産業・農業の再生支援向けに寄付すると発表しました。昨年の取扱数が約13億個ですから、災害で取り扱い数が多少減っても約100億円は見込めると言います。
そうすると1企業としては最大級の拠出額にもなるわけです。企業の存在目的は自己の利益追求ではなく、世の中へのお役立ちとも言われています。まさに文句なしの社会貢献ではないでしょうか。
それから海外からも多くの温かい援助の手が差し伸べられています。台湾からの寄付などは早々に1国だけで100億円を超えたとも言われています。
何とも嬉しくなる話です。過去において、日本がそれだけ他の国への施しをしていたとも言えることですが、窮地に立たされているだけに、温かい支援は有難いものです。私共も少ない金額かもしれませんが、是非被災地の方々に、社員それぞれの気持ちを届けたいと思っています。
2011.04.05
天才書家・金澤翔子さん No.1984
金澤翔子さんのことをテレビで知りました。ダウン症として生まれてきたのですが、その道の専門家も驚くほどの女流書家として、今あちこちで活躍されている人です。
その母・泰子さんの手により、ここまで立派に育て上げられたわけですが、障害を持って生まれてきたことを知ったとき、泰子さんは絶望から死まで考えたと言います。
そして父の死や彼女の普通学級から養護施設への強制転校など、いくつもの試練を乗り越えてきて今日があるわけです。
そんな23年間の苦闘を経て、今の至福のときを迎えられている泰子さんは、今でも娘に対し心の中で謝り続けていることがあるそうです。
彼女がこの世に生まれてきて初めて見たのが、泰子さんの泣き顔だったからです。23年前は自分だけが不幸だと思って神を呪い、まったく育てる自信がなかったのです。
そんな泣きながら我が子を育ててしまったことを、もう取り返しがつかず、いつも心の中で「ごめんね」と謝り続けていると言います。
でも翔子さんが書を5歳のときから習い始めたのも、元々は泰子さんが書家で九段の腕前を持つ人だったからです。そのご主人は亡くなる半年前、「女房を日本一の書家にしてください」とその師に言い残したくらいです。
こうして母の厳しい指導や、現在の翔子さんの師である柳田泰山先生のお陰で、現在の書家・翔子さんが存在するわけです。
テレビから映し出される姿を眺めても、翔子さんは料理がとても好きみたいで、朝早くから起きて食事の支度をしてお母さんを起こす係りのようです。
そして随所にその優しさがふんだんと表われているわけですが、いざ書に向かうときはガラッと毅然とした表情に変わっています。それがあの力強い作品に表われているのでしょうか。
とにかく泰子さんと翔子さん親子の、しっかりとした強い生き方に、あきらめず、いつも希望を持って生きなければいけないことを教えられます。
かつてのクラスメ-トが道で出会ったとき。こう言ったそうです。「いつもビリだった翔子がトップになっちゃったね」人生は絶対あきらめてはいけないものです。
2011.04.04
もし高校野球の女子マネ-ジャ-がドラッカ-のマネジメントを読んだら No.1983
友人にお借りして「もし高校野球の女子マネ-ジャ-がドラッカ-のマネジメントを読んだら」という本を読みました。ご存知の通り、現在230万部を超えたとも言われているベストセラ-の小説です。
私はまだ読んだことがありませんが、あの経営学で有名なP.F.ドラッカ-の書かれた「マネジメント」を高校野球に当てはめたらという設定で書かれた小説です。
結論から先に申し上げると、私の立場では非常に面白く読ませていただきました。とても甲子園など夢のような、ある都立の高校野球部が女子マネ-ジャ-の奮闘で、いろいろな意識改革等を経て終にはその夢を実現してしまう話です。
単なる小説だと言ってしまえば身も蓋もないものですが、野球学校と違い、甲子園など現段階では程遠い学校にとっては少し興味をそそられる内容も含まれています。
面白かったのはイノベ-ションという項目です。普通にやっていてはとても相手にならないわけですから、戦略的にも他と違った革新的な部分も出さなければなりません。
本の中では、それを「ノ-バント作戦」と「ノ-ボ-ル作戦」という2つの新たな取り組みとして紹介していました。
まず「ノ-バント作戦」とは、一切バントで走者を進めるという作戦を採らないのです。それでは打てないチ-ムは、いつまで経っても得点圏に走者が進まないのではないかと指摘されるかもしれませんが、逆に言えば、わざわざバントして1アウトを相手に与えないのです。
それから「ノ-ボ-ル作戦」とは投手に限ってのことですが、近年の野球、特に日本野球にとっては、打力の進歩から、ボ-ル球でいかに勝負していくかが常識的になっているものです。
このボ-ルを打たした方がヒットになる確率が低いことから、ストライクを続けるのではなく、ストライクに近いボ-ル球で打者の打ち気をそそっているのです。
従って当然、投手は球数が増えることになり、夏の大会など連投で一人で投げきることなど、とてもできなくなるわけです。本の中ではエ-スがストライクを投げ続けるお陰で、普通の投手の半分ぐらいの球数で済み、一人で決勝まで投げ切ってしまうのです。
しかし実際には本のとおり、そううまくいくわけではありませんが、考え方として他のチ-ムの採らない戦略を打ち出していくことは必要です。そうでなくては、とても練習量に優るチ-ムには相手にならないのです。
またその他にも、それぞれの何の為にやるのかという目的意識やコミュニケ-ションの大切さ、また自己改革等、マネジメントに書かれている項目に照らし合わせて物語を進めているわけです。
とにかく、一部無理矢理当てはめようとしている部分がないわけではありませんが、一読に値するものと思います。是非、機会があればお読みいただけたらと思っています。
2011.04.01
ちょっと良い話part74 No.1982
今年ほどエイプリ-ルフ-ルのジョ-クが通じない年もないものと思われます。早くみんなで元気になって、明るく気軽にジョ-クを言い合える世の中になりたいものです。被災地の1日も早い復興を心から祈念しています。
そして自分に今、何ができるのか、しっかり考えて生きなければと思っています。そうしたこの日本、まだまだ捨てたものではないと、あっちこっちで聞かれる、ちょっと良い話をまだまだ紹介していきたいと思います。
地震の日、娘は渋谷の勤め先にいましたが、ビルが閉鎖になり、帰宅しなければならなくなりました。
渋谷駅で調布行きのバスを2時間待ちましたが、やっときたバスがあまりにも混んでいて乗れそうもないと思ったとき、自分の前にいた年配の男性が「次がいつくるかわからないから乗れるときに乗りなさい」と言って引き上げてくれたそうです。
ドアが閉まったあとも乗り切れなかった人たちがバスを取り囲み、なかなか発車できなかったといいます。
娘は終点から歩くつもりでしたが、途中の狛江市で降りればタクシ-に乗れるだろうという、その方の判断で一緒にバスを降り、運良くやってきたタクシ-に同乗させていただきました。
その方は狛江市内の住宅地で先に降りるとき、「タクシ-代に使いなさい」と1万5千円くださったそうです。
娘は「そんなにかかりません」とお断りしたのですが、受け取ってくださらず、お名前も教えていただけなかったそうです。
バスの中でもいろいろ話をしてくれたので心細くなかったという話を聞いて、親として本当に感謝しております。
どさくさに紛れてという言葉がありますが、困っているとき人の弱みにつけこんだり、火事場泥棒的な仕業をしでかす輩が被災地でも例外ではないと言います。
そんな輩は人間として屑みたいなもので、それこそ馬に蹴られて死んじまえと思うものですが、上記のような困っているときに、温かい手を差し伸べていただける人は本当に有難いものです。
その親切は決してお金うんぬんではなく、それ以上の温かな気持ちが伝わったのではないかと思われます。毎日、ニュ-スで伝わってくる被災地の人たちの現状は、胸が締め付けられ、涙が止まらなくなります。
それだけにあの被災地の方々のことを思うと、こちらだけぬくぬくと生きているわけにはいきません。会社もそんなことを考え、よほど寒い日を除き事務所内ではほとんど暖房も使いません。
そのように今、私たちにできることは何かと考えたら、せめて節電に努めることではないでしょうか。「咽元過ぎれば熱さを忘れる」とも言います。忘れることなく継続していくのが何よりも大きな力に繋がるものです。
- « 前のページ
- 2 / 2