会長の”三行日記”

2011年07月

2011.07.22

ベスト32で潰える No.2049

カキコミが遅くなりましたが、今年も我が校の夏が残念ながら終わってしまいました。今日の島田球場での第1試合、仕事先の挨拶回りを兼ねて、早朝よりその応援に出掛けました。
 
対するは先日も少しお話ししたシ-ド校・静清高です。先攻の初回、いきなり先頭打者・佐藤君の三遊間安打を2,3番で3塁まで進め、4番の大庭くんが見事にセンタ-前に打って、まず1点先取しました。
 
ここまでは2回戦の良い流れを引き継いでいて、まずは良い出だしだと思ったのですが、その裏が少しいただけません。相手の先頭打者の遊ゴロをがっちり捕ったまでは良かったのですが、スロ-イングが悪く一塁に高投。
 
一塁手は何とかこれを抑えてランナ-にタッチしたのですが、この球がグラブから抜けてしまったのです。ですから良い流れはここでブッツリと止まってしまって、簡単に2塁にバントで送られた後、3番がセンタ-前ヒットでまず1点。
 
そして球が甘かったのでしょう、続く4番が打った瞬間に分かるような、ライトスタンドに入るホ-ムランで、あっさりと3点を入れて逆転されたのです。
 
以後、こちらの攻撃は走者を出すものの、なかなか決定打が出ず得点に結びつきません。一方、静清の方は下位打線は何とか抑えていましたが、やはり上位につかまってしまいます。
 
また当たりが強烈なせいか、なかなかこちら側の守備もグラブが手につかず、それに3番、4番の鋭い打撃が加わって1点、2点ずつですが、徐々に点差は開いていってしまったのです。
 
そして結果は8回コ-ルド1-8で敗れ去ったわけです。このように明らかにその地力は違っていましたが、眺めていて、必ずしもコ-ルドゲ-ムまでになる試合だとは思えませんでした。
 
それには何よりもこちらのミスをなくすことです。明らかにこちらより力のあるチ-ムと対戦するには、まずベストの守りをすることが不可欠なのです。やはりこちらからエラ-して自滅していては、勝負にならなくなってしまうわけです。
 
でもこちらの3番の湯山君は相変わらず巧いバッティングをしていました。4番の大庭君と共にそれぞれ2安打ずつ放っていましたが、ここで高校野球を卒業しても、そのセンスの良さから、その上でも是非野球をやり続けてもらいたいものです。
 
このように、残念ながら我が校の夏は終わってしまったわけですが、たとえ練習量は他の学校に劣っていても、もう少し勝ち抜けるヒントは他にもあるはずです。とにかく、ここで投手は作り直さなければいけないものですが、守りの強化と併せ、捲土重来で何とか秋に備え、もう一度鍛え直して再出発を図ってもらいたいと願っています。
 
何とか調整がつきましたので、来週25日より1週間は、かねがね機会があればと願っていた、東北被災地への支援活動に出掛ける為、会社を留守にします。戻ったらこの目で眺めてきた現実を紹介したいと思いますが、この間、カキコミは休ませていただきますので、ご了承下さい。

2011.07.21

季節外れの台風から思うこと No.2048

本日は土用の丑の日です。暑い盛り、丑の日には「う」のつくものがよいという、江戸時代からの慣わしみたいです。でも稚魚の不漁で、養殖のうなぎの数が減っていると言います。
 
このため値上げする店も多く、庶民の口にはなかなか入りにくくなっています。でも夏ばてには一番の食するものゆえ、やはりいつまでもこの大好物とは付き合っていたいものですね。
 
さて、この時期では珍しい台風6号が西日本、特に高知や香川県を襲いました。7月としては横綱級とのことで、高知県の一部では、降り始めからの雨量が1000ミリを超えたとも言われています。
 
その進路には少し驚かされましたが、北上して日本列島に差し掛かった途端、急に右折し、しかも極めてゆっくりと停滞するような動きを見せました。これも太平洋高気圧が衰えたことによる影響らしいのですが、何よりもの救いは東北の被災地を免れたことです。
 
でもこの影響で、我が県では海に隣接する、東名高速の富士-清水間が高波の為普通となり、それを受け一般道路の国道1号線が大渋滞の様子を見せていました。こうなると東名高速の迂回路とされている、第2東名のいち早い開通が望まれるものです。
 
こうした大動脈が少しでも途切れると、及ぼす影響は大きいものです。そう考えると、もし近隣に位置する、浜岡原発に何か異変があったらどうなるのか、考えただけでも怖ろしくなる話です。
 
おそらく日本経済に及ぼす打撃は半端なものではありません。東西の流通は全く途絶えてしまうわけですし、それに放射線による被害が加わったら、静岡県から東京中心の関東、また名古屋を中心とした中部エリアまでが全く機能しなくなるわけです。
 
やはりこの原発はあまりにもその位置するところが悪すぎます。それに今、政府の指示もあり、原子炉が停止して活動をやめていますが、いつでも運転再開できる状態にあります。ですから今の停止状態でも、何かあれば福島と同じような事態を招くことを私たちは知っておくべきです。
 
従っておそらくこの先、必ず来るであろうと思われる、東海、南海複合地震のことを考えたら一刻も早く、その機能をなくすべきです。それはそうなってからでは全く遅い、今打つべきことのできる一番大切な対策であるように思えるのですが...

2011.07.20

若者へのメッセ-ジ No.2047

ついに魁皇関が引退です。今場所4日目で千代の富士の持つ、通算最多勝利1045に並び、その数を1047にまで延ばしたばかりでしたが、満身創痍でやはり限界なのでしょう。
 
それにしても今場所千秋楽には39歳になると言いますから、本当によく務めたものと思います。とっくに引退している貴乃花、若乃花、曙と同期とのことですから、出世は遅かったかもしれませんが、息の長い愛される関取ではなかったでしょうか。ゆっくり休んでもらいたいものです。
 
さて就職難で仕事がなく、不安を抱いている若者が少なくありません。その若者に対し、建築家の安藤忠雄さんが次のようなメッセ-ジを送っています。
 
自分は本当に仕事と人生を真剣に考えているのかと、もう一度見つめ直して欲しいと思います。真っ暗闇に見えても、何か、どこかに光はあるはずなのです。感覚を研ぎ澄まし、その光の方向へ歩いていくのだという、強い前向きの覚悟を持って欲しい。

私は学歴もなく、資金もなく、何の基盤も信用もないというところからのスタ-トでした。でも人との出会いには恵まれていたと思います。思い出すのは中学校時代の数学の先生です。

猛烈に熱心な教師で、授業中たるんでいるとチョ-クが飛んでくる。この真剣さは何だろうと何度も考えましたが、自分が仕事に取り組むようになって分かったのは、責任と誇りがあるからだということです。

私にいろいろなことを教えてくれた大工さんも、とにかくよく怒りましたが一心不乱に働いていました。仕事に対する気迫、まずそれが一番にあるべきで、条件とか景気とか、周囲の思惑に一喜一憂している暇はないと思います。

私は日本の若者にそのことに気付いて欲しいと期待しています。地球上の同じ時代を生きている若者を見れば、現代の日本ではどんな仕事の冒険をしても、命や家族に差し障りが出ることはほとんどないのですから。

 
このメッセ-ジは若者のみならず、私たち企業人に対しても、呼び掛けられているように思えます。仕事の閉塞感を状況のせいにしないということです。
 
やはり安藤さんが言われるように、その取り組み姿勢が大いに問われているものです。ついつい周りが落ち込んでいるからといって、それに流されてはいないか、また自分の仕事に対する情熱や気迫が緩んではいないか、自分達にも問われているような気がします。
 
そして、会社はパッと咲いてパッと散るのではなく、魁皇関のように、息が長く続けることにその使命と責任があることを、改めて教えられているように思えます。

2011.07.19

アッパレ!なでしこ No.2046

嬉しいことが続きました。まず母校が富士高を8-1のコ-ルドで下し、2回戦を突破してくれたことです。相手は1回戦で16-0のコ-ルド勝ちで大勝を収めていただけに、ちょっと心配していたのですが杞憂に終わったようです。
 
この試合が行われた昨日は、秦野に工事の切替で出張していたため、観ることができなかったのですが、新聞などによると相手を2安打に抑えたエ-ス・勝又君のスライダ-のキレが良かったのと、打線が18安打を放つなど、よく打ってくれたお陰でしょう。
 
是非、この良い流れを次のシ-ド高、静清高との対戦にも繋げてもらいたいものです。相手は春の選抜にも出場している強豪ですが、高校野球は試合を積み重ねるごとに地力が付いてくる学校があるだけに、何が起こるか判りません。我が校もその1つとなって、波乱を期待したいものです。
 
それからもう1つは何と言っても、なでしこJAPANの世界一でしょう。昨日の朝は日本中の多くの人たちが、このテレビの前に釘付けになったのではないでしょうか。
 
私も朝6時半に出張に出掛けなければいけないため、前夜は早く休みながらこのサッカ-と出張に備えたのですが、運良く感動の瞬間に立ち会うことができました。
 
本当にこの勝利の瞬間のみならず、延長戦の沢選手の2点目の同点ゴ-ルなど、鳥肌が立つほどの感動を頂いたものです。それこそ、あるテレビ番組のキャッチフレ-ズではないのですが、「何ということでしょうか」の快挙です。
 
とにかく何が起こっても「絶対あきらめない」、なでしこイレブンの立ち向かう姿は、多くの人たちに学ぶべきものがあったのではないでしょうか。前半開始早々の試合展開は、お世辞にもこの強いアメリカにはとても勝てると思えるものではありませんでした。
 
それが相手のミスや、こちら側の耐え忍んで必死に守っている粘りが、途中から何とかなるかなといったまでに、試合を変えてしまうのです。
 
そして先制されたときや、延長戦のアメリカのエ-ス・ワンバックのシュ-トは、もはやこれまでと、決定的なものを思わされられたものですが、なでしこは絶対あきらめませんでした。これが残り3分という、追い詰められた土壇場での、沢選手の見事なゴ-ルに繋がったのでしょう。
 
ここまでの彼女達の苦労については、また別の機会に触れたいと思いますが、男子のJリ-ガ-などと比べたら、生活面でも、とても似ても似つかない環境の中で育ってきたと聞きます。
 
そうしたものがこの世界一をもたらしたのでしょう。PK戦に挑む前、全員が円陣を組んでいる姿に、それぞれの素適な笑顔がありました。これを眺めた時、必ず勝たなければいけないアメリカと違って、日本はリラックスしてできるなと確信したものです。
 
とにかく彼女達の偉業は、今沈んでいてなかなか浮かび上がれない日本中の人たちに、大きな感動と勇気を与えてもらいました。これがきっかけで、被災者の方々にも明日に繋がる、新たな勇気と希望が生まれることを切に願っています。本当に見事な、彼女達が掴んだ栄光でした。

2011.07.13

ちょっと良い話part79 No.2045

身近にもいたコロンボという、ちょっと良い話です。新聞に投稿されていたものですが、紹介させて下さい。
 
「刑事コロンボ」で知られる俳優、ピ-タ-・フォ-クさんが亡くなった。刑事らしくない身なりで、犯人と話しながら事件を解く。好きな番組だった。

12、13年前、息子が小学生のとき、警察と泥棒ごっこ、いわゆる「ケイドロ」がはやっていた。ある雨上がりの夕方、路地裏を走り回っていた息子は財布を発見。中のお札を抜き取り、友達とコンビニでお菓子を買い食いした。

不審に思った店員さんが私に教えてくれ、ねこばばが発覚。「親が教えたように子は育たぬ」と悟った。息子を連れて現場に行った。道ばたに雨にぬれた赤い財布が捨てられていた。

息子の預金を払い戻し、財布と一緒に交番に届けた。年配のお巡りさんは見逃さなかった。財布がぬれているのに、お札がぬれていないことを。息子は正直に話した。私は厳しくしかって欲しいとお願いした。

ワイシャツ姿だったお巡りさんは、制服を着直して帽子をかぶり、姿勢を正して言った。
「君に手錠をかけたくないので、本物の泥棒にならないように」と。

以来、敬意を込めてそのお巡りさんを「刑事コロンボ」と呼んでいた。今頃はどうしているだろうか。

 
誰でもこの話と似たような経験があるものと思われます。そんなとき、このコロンボさんのように、しっかり悪いことだと諭してくれたか、くれないかで、その後の人生が少し変わるような気がします。
 
拾ったものだから使うのは当たり前だと、人によっては思うかもしれません。でもこの話のように、やっぱり他人の財布を拾ったからといって、勝手に中身を抜き取るのは悪いことで、落とした人はさぞ、こまっているだろうと思うこととは全然意味が違ってきます。
 
こうした幼児体験というのでしょうか、ここで善悪のけじめをつけることは、とても大切なことではないでしょうか。愚息が最近、ある店で携帯を落としてしまいました。気がついてすぐ戻ったのですが、既に物はなく、その後も一向に出てきません。
 
もちろん、落とした人間が一番悪いのですが、ちょっと高価なものになると、ネコババされてしまうのが今の日本かもしれません。私たちの小さな頃はここまでではなかったように思えるのですが、古き良き日本に戻ることはできないものなのでしょうか。
 
明日14日から2日間、私用でお休みを頂きますので、カキコミは休ませて下さい。

2011.07.12

なでしこJAPANのアッパレな勝利 No.2044

なでしこJAPAN、歴史的とも言える、アッパレな勝利でした。ご存知のとおり、サッカ-女子ワ-ルドカップドイツ大会で、日本が優勝候補と言われていた、強豪・ドイツを延長戦の上、1-0で下しました。
 
この試合、あとで録画をテレビで観戦させてもらいましたが、こちらの予想以上に、ドイツに対しボ-ルの支配率が高かったように思えます。
 
感心したのは日本男子同様、繋ぎのパスが見事に機能していたように見えたことです。女子だからと言って馬鹿にしていたわけではないのですが、やはりワ-ルドカップ代表ともなると違うものですね。
 
日本のお得意の速いパスが見事に繋がっていて、大柄なドイツの動きが緩慢に見えていたくらいです。でも体があまりにも違うせいか、競り合いや体を当てられると小さな日本は吹っ飛んでしまい、見ていても可哀想なくらいでした。
 
それでも少しも相手の当たりを怖れず、勇気あふれる積極的なプレ-していたことが、好結果をもたらしたのではないでしょうか。最終的にはキャプテン・沢選手の絶妙なアシストを、途中出場の馬力のある、丸山桂里奈選手が角度のない難しいゴ-ルを決めて決勝点としました。
 
この沢選手のことが今朝の天声人語にも書かれていました。その名前は沢穂希(ほまれ)さんと言い、父親が豊作を願って付けたと言います。今年32歳になり、15歳で代表入りして既に17年プレ-し続けていることになります。
 
その間、2008年の北京五輪3位決定戦ではこのドイツに0-2で屈し、W杯と五輪初メダルを阻止されました。そして挑んだこの大会、地元のドイツだけに大観衆を相手に完全アウェ-の試合です。それだけにこの勝利は感慨ひとしおでしょうね。
 
そして、試合開始4時間前に選手は一室に集まり、スタッフが編集したある映像を眺めたそうです。映し出されたのは発生から4カ月となる東日本大震災の被災地です。
 
そのエンディングには『自分たちに今、できることは何だろう』との字幕が刻まれていて、だれもが涙を浮かべたそうです。そしてそうした願いを込め、耐え忍んだ結果が、過去8回1度も勝てなかったドイツ戦の大きな勝利に繋がったのでしょう。
 
本当にアッパレだったと思います。こうなれば、続くスウェ-デン戦にも勝利を挙げ、是非決勝まで進んでもらいたいものです。今、日本が大変なことになっているだけに、このなでしこJAPANの勝利は、日本中の人々に大きな勇気をもたらしたものと思います。
 
本当に苦しい時は被災した方々のことを思って踏ん張れ」と監督は選手に話し掛けたそうです。言い換えれば、大きな苦難を強いられている被災地の方々への、日本中からの強い思いが大きな力になったかもしれません。

2011.07.11

マルモのおきて No.2043

アメリカで行われている全米女子オ-プンでは宮里藍ちゃんと宮里美香ちゃんの両宮里選手が頑張っています。土日は工事で出張していたため観れませんでしたが、今朝は4時に起きてテレビにかじりつきました。
 
会社に出てくる前までは、途中雷雨の為、プレ-が中断していましたが、両選手とも第3Rで少しスコアを崩し、5Hを終えたところで藍ちゃんが+1、美香ちゃんがEのスコアで、現在5位、6位の成績です。でも難コ-ス、これから先、何があるか判らないだけに、まだまだ期待を持てるものです。
 
さて、テレビの番組の話ですが、先週で毎週楽しみに観ていた「マルモのおきて」という番組が終わってしまい、少し寂しくなってしまいました。やはり人気番組でした「仁」と人気を二分していたのですが、どちらか1つを観なければいけない我が家の選択では、子ども達の圧倒的支持があり、このマルモのおきてでした。
 
というのも、家族の情愛がとてもよく描かれているのと、二人の子役、芦田愛菜ちゃんと鈴木福君の名演技があったからです。もちろんこの二人を、主人公・阿部サダヲさんの熱演が支えていたからこそですが、これに人間の言葉を話す、ムックという拾ってきた犬の存在が面白さを加えていました。
 
ドラマの内容は、阿部さん扮する独身男が、学生時代バッテリ-を組んでいた親友の死により、残された双子の姉弟(愛菜ちゃん、鈴木福君)を引き取るところから始まります。
 
この二人にいろいろと振り回されながら、血は繋がっていないが本当の家族になっていくというお話です。また3人が一緒に暮らすうえでのル-ルとして、おきてノ-トというものに約束事を記し、姉弟はこれを守りながらそれぞれの絆が深まっていくというものです。
 
先週の最終回はだいぶ視聴率も高かったようです。二人の実母の出現で、考え抜いた末、母親に子ども達を帰すことを決意して、みんなで旅行に出掛けるわけですが、真相を話された二人の演技など、子ども離れしていて全く見事だったように思えます。
 
それから番組の最後で披露される、主題歌「マル・マル・モリ・モリ!」と歌われる、「マル・モリ!ダンス」が子どもたちを中心に人気を呼んでいるようです。
 
とにかく、近年親子の間でも殺傷とか、虐待など、信じられないような出来事が起こっています。それだけに、こうした家族愛を描いた、ほのぼのとしたドラマが茶の間向けにはよいのではないでしょうか。
 
テレビ局はただ安易にお笑いやクイズ番組などを制作するだけが、その使命ではないように思えるのですが...

2011.07.08

丈夫で長持ち No.2042

折角の1年に1回の、彦星と織姫のデ-トが果たしてできたのでしょうか、夜まで雨がちらついている、危ぶまれる天気でした。6月の後半は異常に暑かったし、いつまでも梅雨は明けようとしません。現政権同様、少し変な状態ですね。
 
新聞に騎乗最年長の騎手が紹介されていました。あと少しで62歳になろうとする、山中利夫さんという地方競馬で活躍されている方です。
 
山中さんは3日の金沢競馬で、自己の持つ騎乗最年長記録を更に28日間、更新したとのことです。61歳11ヶ月と22日という、何とも真似のできない凄い記録です。
 
ちょうど私とは同級生になるのでしょうか、この歳まで自分のウェイトを管理し、しかも私たちの想像以上にハ-ドなレ-スに出続けるということは、とても真似のできることではありません。
 
お付き合いがあるというものの、始終私のように飲んだくれていては、到底務まる仕事ではありません。それどころか、飲めないでしょうし、好きな食べ物も自由に食べることができないのではないでしょうか。
 
山中さんは毎日、午前2時に起きて調教に汗を流し、週2日のレ-スに向け、1~1.5kgの減量を繰り返しているそうです。いくら仕事とは言え、大変なことです。
 
この地方や中央の競馬会でも、全部で440人騎手がいるそうですが、60歳を超えて出場しているのは、この山中さん、ただ一人とのことです。一流と呼ばれる騎手も50歳を過ぎると引退し、調教師などになりますから、本当に異例の長い選手寿命とも言えるわけです。
 
その騎手生活を支えたのは、何と言ってもその丈夫な体なのでしょう。そして誰よりも柔軟な体にあると言います。ご本人いわくところ、モチ腰といって、柔かくて粘る腰のお陰で、大きなケガをしたことなく、1日に2度落馬したこともありますが無傷だったそうです。
 
こうして地方競馬一筋に積み上げた勝利の数は、2811まで上るそうです。あと1年は乗りたいと話す山中さんですが、こうなったら1年と言わず、2年でも3年でも乗り続けてもらいたいものです。
 
とかく華々しい中央競馬会ばかりに目が行きがちですが、地方にもこんな素晴らしい方がいるものです。目立たなくても丈夫で長持ち、これが1番ではないでしょうか。また、こうした方にスポットを当ててくれる、新聞にも好感が持てるものです。

2011.07.07

娘よ強く生きなさい No.2041

雨の七夕の日になってしまいました。さて、夜にはこの雨も上がって、晴れて牽牛(彦星)と織女の、年に一度の逢瀬ができるでしょうか。願いが叶うと言われる短冊に、東北の人たちの1日も早い復興を記し願いたいものです。
 
この被災者の中に、今も働き場であるホテルに寝泊りし、強く生きようとしている母娘の記事を読みました。ホテルは宮城県でも有名な南三陸ホテル観洋です。
 
震災後、このホテルの社長である、阿部憲子さんを先頭とした、被災者や宿泊客に対する取り組みには、全く頭が下がる思いですが、これはまた後日触れさせていただき、今日は前記の記事を紹介させていただきます。
 
海を見下ろす高台に立つ「南三陸ホテル観洋」の一室。ここが私の仕事場であり、寝泊りをする生活の場だ。ホテルウ-マンとして働く遠藤台子さん(58)は、いつも笑顔で約500人の避難者や工事関係者らに接している。

笑みのわけを尋ねると、真剣な表情になって答えた。「もうすぐ娘に子どもが生まれるんです」遠藤さんの長女、江利香さん(27)は、震災の6日前に結婚式を挙げた。新郎(23)が、新居を構える石巻市に婚姻届を出しに行った日、大地が揺れた。

翌日、新郎は遺体で見つかった。近くの祖父母と妹を助けに行き、一緒に津波にのまれたらしい。4人の遺体の前で泣き崩れる新郎の母(46)に江利香さんは言った。「私をこのまま、お嫁さんにしてくれますか」

改めて婚姻届を出した。石巻市は6月、「婚姻届は津波で流失した」と判断し、3月11日付での受理を認めた。出産予定日は、今月上旬だという。「長女に言ったんです。強く生きなさい、あなたは母親なのよって」

新しく生まれてくる命を、遠藤さんたちは、どんな笑顔で迎えるのだろう。この家族の風景をしばらく、日記につづっていきたいと思う。

 
何とも皮肉な運命のことでしょう。新たな人生の出発だったのに、その掛け替えのない伴侶を失ってしまいました。二人の愛の結晶としての一粒種は、父親の顔を全く見ることなく、この世に生を受けるのです。
 
でも尊い人の生まれ変わりかもしれません。このように、今回の未曾有な災害からは、こうした悲しい出来事が決してこれにとどまることなく、まだまだ数多くあるものと思われます。
 
今日から1ヵ月後、開かれるかどうか判らない仙台の七夕なのですが、たとえ開かれなくても、それぞれの胸の中の短冊に、これからの人生に幸多かりしと、しっかりと刻んで願いたいと思います。

2011.07.06

お粗末な言動 No.2040

大臣在任9日間ですか、何とも短すぎる就任期間でした。でも、あそこまで好き勝手なことを話したら、もう居られないでしょうね。本当にお粗末な復興相の言動でした。
 
誰もがそのように感じた中で、少しうがった見方をすると、なぜあの人はあそこまでの言動を繰り返したのかを考えてみました。
 
少し考え過ぎかもしれませんが、1つには菅政権の幕を引く為に、わざとあのような放言を行い、揺さぶりをかけたということです。聞くと、松本さんはその就任を当初から固辞していたようです。
 
それは昨日の後任の人事で、なかなか決まらなかったと同様に、今のいつ壊れるか判らないような内閣には、誰しも就きたくはないものでしょう。
 
そして就任直後でも、内閣に在りながら唯一人、菅首相は6月一杯までに退陣するだろうと、会見しているくらいです。このように少しこの方に特異な部分を感じましたので、調べてみました。
 
松本さんは衆院当選7回で、旧社会党から社民党を経て民主党に入りました。祖父、父はともに旧社会党参院議員で、祖父の治一郎氏は「部落解放の父」として知られています。

また政界有数の資産家でもあり、4日に公開された衆参両院議員の昨年1年間の所得も民主党で2番目に多いものでした。党では長年、主要ポストには就きませんでしたが、昨年9月に環境相兼防災相として初入閣を果たしたのです。

この環境相当時、昨年10月に開かれた国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)では議長を務め、名古屋議定書の採択などで、うまく成功に導いています。

また「各国代表の意見を議長の権威で突っぱねることもできたが、その選択をせず、丁寧に声を拾い上げる手法をとった」と、その粘り強さを評価する意見まであったくらいです。

 
そして思ったことを率直に口にし、周囲の目を気にしないタイプで、いわゆる親分肌の政治家で、部下に仕事を任せ責任は俺が持つという姿勢から、周囲ではとても仕事がやりやすかったようです。
 
こう聞くと、ずいぶんと惜しいことをしたような気がします。でも、いくら旧知の仲でも、カメラの入っているような場での、上から目線の発言はいただけません。それに何よりも被災者を愚弄するようにも聞こえる、発言はもっての他です。
 
やはり今までの人生を順風満帆に、不自由なく過ごしてきたツケが出てしまったのでしょう。苦労を少しでも知っていれば、今、私たちの想像を超える劣悪な環境の中に居る、被災者の方々の気持ちを逆撫でにするような言葉は、とても出てこないものです。
 
そしていつも言うことなのですが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の姿勢です。それは万人から注目を集める立場に就いていれば、尚更のことではないでしょうか。お粗末過ぎます。