社長の三行日記

2012.11.30

浅草・スカイツリ-への旅その1 No.2322

またまた3連休の話で恐縮ですが、24日は仕事に励みましたが、その翌日の25日の日曜日は金融機関の同友会研修旅行と銘打って、東京スカイツリ-と浅草見物に出掛けました。
 
まず浅草と言えば、何といっても浅草寺です。何回も行っている場所なのですが、今回は今まで訪れていても気がつかなかったことが幾つかあったので、写真を中心に紹介したいと思います。
 
それはご覧のような若いお兄さんのガイドが付いてくれたからで、当日は絶好のお天気にも恵まれ、知らなかった浅草を楽しめたものです。

     

この浅草寺界隈で一番の賑やかな通りと言ったら、まず仲見世通りです。多くの人々でごった返しているのは周知のとおりですが、ここからすぐ西に折れると、ご覧のような白浪五人男の人形が建物の上などに飾れているのをご存知でしょうか。

     

     

それから浅草六区(ロック)通りと言って、ご覧のような喜劇などで私たちを和ませてくれた人たちの、肖像写真が飾られている通りがあります。ここで1つだけ写真の入っていない区画があるのですが、それはビ-トたけしさん用に残されているとのことです。

     

まだ本人が生きているのに、恐れ多いとのことで遠慮しているらしいのですが、しっかりとその予約ができているみたいです。このようにガイドさんが付いてくれると、また違った浅草が楽しめるものです。その他にも幾つか紹介したいものがありますが、また次回にさせていただきます。

2012.11.29

龍沢寺の虫干し No.2321

弊社会長でもある父は今日で満89歳を迎えます。仕事からは離れていますが、まだまだ元気です。足腰がだいぶ弱くなってきたのが少し気になりますが、いつまでも健やかで長生きしてもらいたいものです。
 
さて先の3連休の初日だった23日は同級生の友人に誘っていただき、三島・沢地にある龍沢寺の観楓祭と言って、お寺が所有するお宝の虫干しの見学に出掛けてきました。
 
当日は小雨がぱらつく生憎のお天気でしたが、お宝をこの日に限り、一般公開してくれるとあって、きっと毎年訪れていると思われるマニアの方たちを中心に、大勢が押し掛けていました。
 
龍沢寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、現在の住職が後藤栄山さんと言います。私が時々は出掛ける、毎月2日に行われる沼津の東方寺での座禅修養会において、法話を務めていただいている老師でもあります。
 
お寺の実質的な開山は座禅和讃でも知られる白隠禅師です。そして一番の弟子とも言われている東嶺禅師が、この地に伽藍を創建したと伝えられています。
 
その後、一時は廃寺同様とまでなりますが、終戦勅語で知られる「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という文言を進言した山本玄峰老師により、修行道場として復興したのです。
 
虫干しには室内に飾りきれないほどの書や絵画が多数、並べられていました。白隠禅師、東嶺禅師の多くの書画の他、俵屋宗達、良寛さんのものや、伊藤若冲さんの作品まで見つけたくらいです。
 
とにかく撮影禁止であるがゆえに、ここでお見せできないのが残念に思うくらい、ふんだんに高価なものが飾られていたのです。また友人の知り合いでこれらに詳しい方の解説もあって、作品への興味が一層増したわけです。
 
その一部説明によると、東嶺禅師の書画には必ずハマグリの絵が落款と一緒に付いています。これが何を意味するのかまでは解らなかったのですが、ハマグリがついていれば、多少字の解読が困難でも作者が判るというものです。
 
そんなわけで、下世話な話ですが、何でも鑑定団などに出せばいくらの金額がつくか、計り知れないようなものばかりです。またそんなことより何よりも、落ち着いてゆっくり鑑賞できる、その安らぎの気持ちになるのが嬉しいものです。故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る、まさに温故知新そのものです。

2012.11.28

新たな第3極 No.2320

雨の後の筍のように次から次へと出てくる新しい党に、ほとほと困惑しているような昨今ですが、いったい来月16日に予定されている衆議院選挙にはどの党を選んだらよいのでしょうか。
 
そんなことを思っていた矢先、滋賀県の嘉田知事が新党・日本未来の党を結成しました。まず何よりも一番に挙げている政策が脱原発です。京都大学出身のこの知事は、学生時代から滋賀県のみならず、関西地区の貴重な水源となっている琵琶湖の環境保全に大きな興味を寄せていたみたいです。
 
それが3.11後の目を覆うばかりの原発被害をきっかけに、滋賀県に隣接する北陸地方・若狭湾にある原発に何かがあれば、貴重な水源の琵琶湖が汚染されるという危機感を抱くことは至極当然のことでしょう。
 
こうした切実なる地元の事情を思えば、乱立する第3極がいまいち脱原発についての主張が強調されていないだけに、居ても立ってもいられなくなったのではないかと思われます。
 
また当初より脱原発を掲げ、目玉になっていた橋下大阪市長も石原さんと合流した途端、その主張が消えてしまうような情けない結果となっています。
 
それだけにこの嘉田知事の旗揚げはちょっと遅すぎたかもしれませんが、十分国民への説得力があるものではないでしょうか。「脱(卒)原発」の他には「活女性、子ども」「脱増税」を掲げ、会見場ではそれに「守暮らし」「脱官僚」「誇外交」の3項目が加わりました。
 
これからの日本が原発に頼らない政策を進めていかなければならないのは、愛する故郷にいつまで経っても帰ることのできない福島の人々の惨状を見れば、誰が見ても明らかなことではないでしょうか。
 
とかく人の噂も75日ではないのですが、被害に直面していない人々の思いは消えやすく、はかないものです。それゆえに原発より目先の景気の問題の方が優先だと、言われる人が少なくないかもしれません。
 
でも愛する故郷を捨てたいわけではないのに、いつまで経っても戻れない人々の気持ちを考えたら、行き着く我が国がとらなければいけない政策は自明のことと思われます。
 
さてそんなわけで、この日本未来の党に小沢さんの国民の生活が第一や、亀井静香さんや減税日本の河村さんたちが合流し、新たな第3極が誕生したわけですが、私たちの選択肢がある程度、明確になったように思われます。
 
嘉田知事が言われているように、国の品格を失わない、まず美しい日本を取り戻すことが第一ではないでしょうか。

2012.11.27

大リ-グ入りする前に No.2319

アメリカ大リ-グ入りを希望している、岩手・花巻東高の大谷翔平投手に、ドラフト1位で指名した日本ハム球団が昨日初めて会って話をしたとのことです。
 
この50分間の会談には栗山監督も同席し、自身の解説者時代に取材した大リーガーの状況などを説明して、日本球界を経由しての大リーグ挑戦を勧めたみたいです。
 
確かにあれだけの逸材ですから大切に扱わなければいけないところですが、聞くところによると、アメリカに行ってもすぐ大リーガーになれるわけではなく、少なくとも3~4年は日本で言うところのファ-ム暮らしをしなければいけません。
 
そのファ-ムというのがなかなか大変で、日本では単なる2軍というところだけなのですが、アメリカでは大リーグのすぐ下が3Aと呼ばれるもので、その下の2A以下のチ-ムもいっぱいあります。
 
ですから高校生からの選手ですと、いきなり3Aのチ-ムからではなく、その下の2A以下のチ-ムからスタ-トを切らなければなりません。そして投手の場合ですと、日本より投球数を重んじていることから、なかなか本人が望んでいるような出場機会にも恵まれないのです。
 
こうしたことからその育成には少なくとも3~4年は掛かるみたいです。でもメジャ-昇格はその期間に目覚しい結果を残した人のみで、チャンスに恵まなければ6年経ってもそれ以上でも昇格はあり得ないのです。
 
また一部には大リ-グを目指した日本と韓国人選手の実例も挙げて、いろいろと説明をしたみたいです。日本からはご承知の通り、日本球界で活躍した選手がほとんど大リーガーを目指して渡っているのですが、韓国はちょっとその事情が違っているようです。
 
過去韓国からの選手は、日本人大リーガーのように球団を経て大リ-グ入りする選手は少なく、今までに2人しかいないそうです。ですからそのほとんどがこうした下積み期間を経て、大リーガーとなっているわけです。
 
でも昇格しても必ずしも大リーガーとして長く働いているわけではありません。また下世話な話ですが、契約金に関しても日本のドラフト1位に与えられる破格の条件など、なかなか少ないのです。
 
こうしたからも、その将来性を考えても大谷投手は直接向こうに渡るのではなく、日本である程度じっくり育ててもらい、それなりの結果を残してからの方がよいのではないでしょうか。
 
そうした意味でも、敢えてリスクを承知で2年続けてドラフト1位を指名した、日本ハム球団に敬意を表したいところです。またそのトップが栗山監督という、頭の良い、気遣いのある方ですから、安心して大谷投手を任せられるのではないでしょうか。

2012.11.26

究極のリサイクル No.2318

3連休の初日は雨にたたられ、そして2日目もはっきりしない天気で夕方からは雨、昨日の日曜日だけは綺麗に晴れましたが、今朝もまた雨模様です。この雨が降るたびに寒さが厳しくなっていくこの頃です。どうぞくれぐれもご自愛下さい。
 
さて今朝も少しでも家内の仕事を減らしてあげようと、回収日のためゴミ出しをしてきましたが、このゴミについて、かつての江戸が世界一ゴミのない清潔な都市であったとの記事を読みました。
 
それによると、当時は100万人の人が生活を営んでいた世界一の大都市だった江戸ですが、世界一ゴミのない都市だったそうです。それから300年、今の東京が世界一ゴミの多い都市になったというのも、何とも皮肉な話です。
 
その世界一の清潔な都市・江戸には最先端のゴミ処理システムがあったそうです。以下、それについの記述を紹介したいと思います。
 
江戸住民の究極のリサイクル
 
早朝、各家庭から生ゴミが出される。収集車が来るまでにカラスがつついたり、悪臭や汁漏れがあったりと、暮らしのなかでの嫌われ者代表が生ゴミだ。自治体では生ゴミの軽減に努めてきたが、家庭からの排出量は増える一方。ところが、遡ること300年、江戸の街にはゴミなど見当たらなかったという。なぜか?

何でもかんでもリサイクルしていたからだ。ときは元禄を迎える直前の1650年ころ、江戸は高度経済成長期に入り、ちょうど「初物を食べると75日長生きする」という初物ブームが到来し、江戸っ子は競って初物を食べた。

近郊の農家は、1日でも早く作物を実らせようと、生ゴミを肥料に使うことを思いつく。江戸の家庭から出た生ゴミを地面に埋めて発酵させ、油紙をかぶせて保温するという方法で作物の発育が早くなった。

それ以後、近郊の農民は、野菜や薪をもって定期的に江戸を訪れ、帰りには肥料となる生ゴミを積んで持ち帰った。その肥料で育てた野菜を江戸住民が食べるという、食物のリサイクルが成立していた。

生ゴミだけではない。人々の糞尿もリサイクルされた。糞尿は中世から畑の肥料として使われていたが、江戸時代には、糞尿専門の回収業者があらわれ、有償で江戸の街から下肥として回収した。それが結局は野菜となって、江戸住民の口に戻ってくるのだから、これぞ人間を巻き込んだ、究極のリサイクルといえよう。

 
江戸住民はリサイクルの天才
 
江戸のリサイクルは、食べ物に関してだけではない。このリサイクルは慈善事業ではない。商売として成り立つからこそ、各種のリサイクル業者が生まれた。

たとえば「灰買い」という業者がいた。当時の燃料は薪なので、当然各家庭から灰が出る。それを「灰買い」が買い集め「灰問屋」に卸す。灰は、清酒の醸造、衣服の染物、紙すき、洗いものなどに使われていたので、酒造業者、紺屋、製紙職人などが「灰問屋」から灰を購入していた。

そのほかにも、街を巡回して紙くずを買い古紙問屋に卸す「紙くず買い」、蝋燭のしずくを買い安い蝋燭を作る「蝋燭の流れ買い」、壊れた傘を買い集め古傘問屋に卸す「傘の古骨買い」など、現代ならばゴミとなるものでも、専門の業者や問屋が存在し、再利用を生業としていた。

着物のリサイクルも忘れてはならない。江戸時代は、布はすべて手織りで、生産量にも限りがあったので、庶民はもちろんのこと、武士階級でも古着を着ていた。何度もリサイクルされ着物として使えなくなっても、雑巾や赤ん坊のおしめとして利用された。江戸の住人にとって古着商は欠かすことのできないリサイクル業者だった。

これだけいろいろなものがリサイクルされれば、ゴミも出ないはずだ。複雑なデジタル家電が溢れる現代は、「直すよりも買ったほうが安い」という時代。江戸時代の生活に戻れといわれても無理な話だが、江戸のゴミ処理システムは、現代の環境問題解決のヒントになるかもしれない。

 
なるほど、先人は無駄なくいろいろなものを再利用していたことを、改めて知らされました。それは何でも捨てる現代への戒めのようにも聞こえます。ゴミの軽減と「もったいない」を今一度見直さなければなりません。

2012.11.22

いい夫婦の日に No.2317

今日は「いい夫婦」の日ですね。「仲良きことは美しきかな」という武者小路実篤さんの言葉がありますが、私たち夫婦も先月で結婚30周年を迎えました。
 
一口に30年と言っても、夫婦で長く居続けるということは結構、大変なことでもあるわけなのでしょうね。朝のテレビでいろいろなカップルにインタビュ-をしていましたが、その中の61年目を迎える年配のご夫婦がこう言っていました。
 
お互いの良いところを認め合って、嫌なところには目をつぶることです」と。なるほど、年輪を重ねているだけに、うんちくのある言葉です。そして継続にはやはり我慢が不可欠だと付け加えていました。
 
我が家ではその言葉は、私よりかは何よりも家内に当てはまる言葉です。家庭を顧みずというと少し大袈裟ですが、自分の好きなことをやり続けていた私に比べ、嫁・姑の関係のある家に遠方より嫁ぎ、誰一人知らない土地からその生活が始まったのです。
 
おそらくその不安は、私なんかの想像の届かないところではなかったかと思われます。そして3人の子育てに追われ、そのうち会社での経理も引き受けなければいけなくなりました。
 
また私の母親は結婚後、一切家事から手を引いてしまった関係で、子育て、家事、会社の経理と、体がいくつあっても足りない毎日を送っていたように思われます。
 
ですから本人の好きだった、お茶だとか絵画、音楽等の習い事もきっとやりたかったでしょうが、とてもやれるような状況ではありませんでした。それに比べ、私の方は言うと、好きなソフトボ-ルやゴルフ、またいろいろな人との付き合い等、何でも遠慮なくやっていたような始末です。
 
改めてこのように考えますと、よく我慢していたものと思います。まさにその言葉がぴったりの結婚生活ではなかったでしょうか。そんな私たちに対して、先日の日曜日に3人の子どもたちから素敵なプレゼントがありました。
 
私は日曜日、箱根に泊まっていた関係で、一日遅いプレゼントとなったわけですが、月曜日家に戻ると3人それぞれからのメッセ-ジが添えられた、プレゼントの時計を渡されたのです。
 
見ると家内の腕にはもう既に収まっているのです。何かもう、グッと来るものがありましたね。もちろん私たち夫婦に頂いたものなのですが、これは永年、わがままな亭主に付き添ってくれた勲章のように思えるものでした。
 
一昨年の母親が亡くなるまでは、10年以上もその介護に追われた毎日でした。そしてここで二人の娘たちが無事に出産を終え、やれやれとは言いながら、まだまだその手伝いに追われている彼女です。そして最近では地域でのボランティアの事業までそれに加わりました。
 
そんなわけで何よりも感謝しなければいけない存在になっています。子どもたちのメッセ-ジにあった、お父さん、お母さんのような素敵な夫婦をめざしたいとの言葉に恥じないよう、来年の秋にはのんびりと二人で旅行にも行ける、今からでも償いのできる夫婦を目指さなければと思っています。

2012.11.21

「能作」社長の講演からその2 No.2316

能作社長の講演の続きです。能作さんは芸大を卒業して新聞記者となります。当時は記者になると、定年にならなければ地元に戻れないという、不文律みたいなようなものがあったそうです。
 
ご本人が言われることには、このため支局を転々としなければいけない新聞社より、この会社のある高岡の方が、地元の福井には近いという単純な理由で見切りをつけ、女系家族だった能作という会社に婿として入ったのです。
 
でもやはりモノづくりが好きだったのでしょう。以来、職人として腕を磨き続け、扱う材質の優れた点や伝統工芸の可能性に着目するわけです。
 
そして原点はこの仕事が好きで楽しくやっているからでしょう。能作さんは楽しく仕事をしていると様々な情報が集まってくると言っています。言い換えれば仕事に没頭していると、貴重な情報をキャッチするセンサ-が発達するということです。
 
こうして売っている人に聞いたほうが手っ取り早いと、多店舗展開のお店からも情報を収集し、素材とデザインを極めていくのです。また展示会にも積極的に出展し、見せるとか知ってもらうというシステムにも努めていくのです。
 
こうして今ではフランスのディオ-ルからも直接、話が舞い込むほどの会社にもなるのですが、能作さんの常に抱いているポリシ-は以下に挙げる事柄です。
 
① 続けること、あきらめないこと。最低でも5年以上は続けなければいけない。今は全盛のAKB48ですが、このグル-プをずっと支援していた企業があったそうです。でも3年間サポ-トしていたのですが、芽が出ないため4年目は打ち切ったとのことです。
 
そして皮肉なもので、その4年目にAKBが花を開かせたのです。これでは後の祭りで、折角の苦労した支援も無駄になってしまうわけです。とにかくバットは振り続けなければ何も当たらないと言っています。
 
② 営業はしないということで、この会社では営業マンを持ちません。来る者拒まず、去る者追わずの信条です。
 
③ 過ぎ去ったことは考えない。今を大事にすれば未来が開ける。
 
④ 常にオ-プンでいて、対立、対抗はしない。今でも会社を訪ねてくるお客が、地元の問屋に取引のあるところなら、そこを通すように勧めているとのことです。
 
ですから今まで扱ってきた商品を直接、県外に持っていくようなことではなく、新しく開発した商品のみ県外に出し、問屋とメ-カ-との共存共栄も図っているわけです。
 
⑤ 仕事を楽しみ、愉しむ
 
まさにその姿勢は地域社会には労を惜しまず貢献するという言葉どおりの、世界に羽ばたいても地元・高岡という地域への愛着と、伝統工芸の伝承を常に頭に置いての展開です。それをGLOCAL(Think Global,Act Local)という言葉で表わしていました。さすがですね。久しぶりに眠っていたものを起こされたような、素晴らしい講演でした。

2012.11.20

「能作」社長の講演からその1 No.2315

日曜日から泊りがけで、同級生の仲間と小旅行に出掛け、昨日は会社を休ませていただいたため、カキコミはできませんでした。ご容赦下さい。
 
それにしても、お天気にも恵まれたせいか、暮れ行く秋を惜しむかのように、紅葉狩りやハイキングに出掛けた人の多さにはびっくりしました。夏が暑かったこともあり、今年の紅葉はどこもみな見事でしたね。
 
さて、先日行われた中小企業家同友会・全県経営フォ-ラムでお聴きした、記念講演について触れさせていただきます。講師は富山県高岡市で会社を営む、能作克治氏です。
 
株式会社 能作という、銅やすず製品を加工して製作・販売している会社なのですが、とても興味深く聴き入ってしまった講演の内容でした。私もこの会社のことを、講演をお聴きするまで全く知らなかったのですが、今では世界まで進出している、なかなかの業績に優れた会社のようです。
 
と言っても10年前まではただのモノづくりの下請けに過ぎず、このような素晴らしい展開など全く予想できないほどの、100%問屋相手の鋳物を作っていた会社だったとのことです。
 
鋳物とは溶かした金属を型にはめこんで作るものですが、能作さんは自ら婿さんとして飛び込んだこの会社に、17年間職人としても腕を磨くことから入り込みました。
 
そこで錫などの素材の持つ、以下に挙げるような利点に気がつき、周囲の協力も得ながら商品開発に励んでいくわけです。錫はさび難く、抗菌作用に優れています。そしてお酒などがこの容器で飲むとおいしいし、金属アレルギ-がありません。
 
また純度100%の錫は軟らかくて曲げやすいものです。この扱い難さを逆に捉えて、曲がる金属ならば、曲げて使う商品を開発すればいいと、食器の常識を覆す「曲がる器」を生み出したのです。
 
そして展示会などを経て、その良さが海外まで認められていくのです。今でも能作さんは朝6時に出社し、会社をしまうのは夜11時頃だと言われます。日中は電話やいろいろな用事に追われるからで、朝の数時間と夜のひと時が落ち着いて仕事ができるからです。
 
そのくらい、今の仕事が好きで楽しいからだと言われます。とにかく長い間3Kと言われ続けていた職場を、別の5K(改革・改良・改善・改修・改進)に変えていった歩みやポリシ-は、興味深いものでまた次回に触れさせていただきます。
 
この能作氏が講演でずっと言われ続けていた、「続けること、あきらめないこと」という言葉は、大きなインパクトを持つもので、必ず道は開けると私たちも信じたいものです。

2012.11.16

森光子さん No.2314

女優の森光子さんが亡くなりました。享年92歳とのことですが、本当に惜しい人を亡くしたような気がします。今朝の天声人語にも書かれていましたが、文化勲章も受けたし、国民栄誉賞にも輝きましたが、何といっても「時間ですよ」の松の湯のおかみさんがピッタリの方でした。
 
また代表作の「放浪記」のお芝居は、その上演回数が2017回を数えたと言います。劇の中では高齢にもかかわらずでんぐり返りまで試みた、まさに体当たりの演技を貫き通した方でした。
 
でもおかみさんだとか、お母さんがピッタリのはまり役でしたが、ご本人には実のお子さんは一人もいなかったと言われます。また女優として芽が出たのがずいぶん遅く、41歳でこの放浪記の主役の座をやっと射とめ、以来89歳まで演技続けたのです。
 
逆に言えばそれだけ長いこと、下積みを続けたからこそ、その経験が生きて周囲の人々から慕われたのでしょう。それでもそんな苦労はおくびにも出さず、いつも明るい方でした。
 
亡くなったのもひっそりと入院先の病院で、長年連れ添った付き人とマネジャーの見守る中、まるで眠っているように穏やかに息を引き取ったと言います。そして皆さんに迷惑を掛けるからと言って、近親者だけで密葬を済ませたそうです。
 
このへんが気遣いのある森さんらしいところです。また入院先の病室には放浪記の台本まで持ち込んで、復帰に備えて毎日運動までしていたというから、凄いものです。
 
ドクタ-ストップがかかり、放浪記の公演を一昨年の10月に中止したのですが、まだまだやれるという、復帰の意欲を持ち続けていたのです。まさに生涯、現役だったのですね。
 
また来週、詳しく触れますが、水曜日に聴いてきた講演でも触れていたように、続けることとあきらめないことが大きな成果をもたらすということです。大女優・森光子さんのご冥福を心からお祈りいたします。

2012.11.15

衆議院解散 No.2313

野田首相による突然の解散宣言です。昨日の党首討論の中で、衆議院解散を迫る自民党・安倍総裁との約束に応じ、16日に解散する旨発表致しました。
 
これにはそれと引き換えに、特例公債法案と、違憲判決の出た1票格差を是正する法案を成立させる条件要求が首相にはあったわけですが、自民党が呑んだことから解散という運びとなったのです。
 
この他、衆議院の定数是正となる比例代表定数40削減と、議員歳費の削減も求めたわけですが、安倍さんが難色を示したため、これは来年の通常国会での確約を自公両党が協力するということで、解散の表明に至ったわけです。
 
これでいよいよ、来月16日に実施される年末選挙となりました。急遽、このような展開に至ったのは、何と言っても第3極の政治勢力と言われる、維新の会や太陽の党などの影響が少なくありません。
 
できればその準備が整わないうちに、選挙を実施したい事情があるのです。と言っても現政権の民主党が大負けするのは誰が見ても明らかです。それなのになぜというものですが、野田さんはこのところずっと言われ続けていた、近いうちにという発言をめぐっての、うそつき呼ばわりが本当に嫌だったのでしょう。
 
それと民主党の中にも、この解散をめぐって、したくないということから野田降ろしというのが始まっていたとも言われ、内閣不信任案可決の可能性がないこともない四面楚歌のような状況で、それなら早く手をうっておこうと、伝家の宝刀を抜いたのです。
 
この解散表明の中で、少し共感を持てたのが条件に出した、定数是正とそれまでの間、議員歳費を削減する「身を切る改革」の確約を求めたことです。以前から国民に消費税増税を求めながら、なぜ自分たちは少しも身を切らないのか、とても納得のいくものではありませんでした。
 
それはさすがに野田首相の頭の中に、いくらかでも引っ掛かっていたのでしょう。こうでなくてはいけません。この最後になって、真のリ-ダ-らしくなったのも、何とも皮肉な話です。さて、かくして年末の選挙になったわけですが、結果はいかなることでしょうか。
 
自民党が再び政権に返り咲いたとしても、大きく世の中が好転するとも思えません。またそういった意味でも次の選挙ほど、誰に、どこの党に、入れてよいのか、全く判らないのも珍しいことです。とにかく各党の政策を、私たちは注意してしっかりと見比べなければなりません。

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