会長の”三行日記”

2013年05月

2013.05.31

意外な一面 No.2402

 サンミュ-ジックの創業者で会長の相澤秀禎さんという方が亡くなられました。桜田淳子さんや酒井法子さんなど、多くの人気芸能人を輩出したプロダクションの辣腕家として知られた方です。

この相澤さんにとって、特に思い入れが強かったのが、あの松田聖子さんだと言われています。聖子さんと聞くと、結構ミ-ハ-的で、ぶりっ子などのあだ名で知られていることから、典型的な芸能人だと思われるかもしれませんが、意外な一面を知らされました。

相澤さんが聖子さんと出会ったのは、彼女がまだ高校3年生の1979年の5月ことです。レコ-ド会社のオ-ディションに合格していたのですが、相澤さんは翌年、既にデビュ-させる歌手を決めていたので、高校を卒業してからいらっしゃいと、一度福岡の実家に帰したのです。

しかし再び相澤さんの前に現れたのは、それからわずか3ヶ月後のことです。先生にもしっかりと話し、分かってもらって高校はやめてきたと、デビュ-を懇願してきたのです。

元々聖子さんの才能を見出していた相澤さんでしたので、その強い思いにより一層惹かれていったと言います。こうして翌年4月に見事、デビュ-を果たし、それからは瞬く間にトップアイドルの座に就いていったのです。

住み込み時代のことを相澤さんはこう語っています。「毎朝5時半に起きて、ぼくと一緒に走るんです。走りながらいろんな会話をする。タレントとしての心構えや一般常識、マナ-から人との関わり方まで、何でも思いついたことを話す。 

途中、鎮守さまに寄って手を合わせるんですが、聖子は“毎日、誰よりも厳しいレッスンを積んで努力します”と声に出して言っていましたね」。そのくらいですから、手塩にかけていた彼女は特別、可愛かったのでしょう。

ところがその後、海外進出を狙うレコ-ド会社と、相澤さんの方針の違いにより、聖子さんは育ての親の元を離れることになってしまうのです。そのとき、何度も相澤さんのところに電話を掛けてきたのですが、悪いと思っていながら一度も電話に出なかったと言います。

その電話は離れてしまう育ての父への罪悪感から、いてもたってもいられぬ気持ちでかけたものだったのでしょう。相澤さんにとっては、わが子が飛び立つことに言い知れぬ失望と寂しさを抱えていたからです。

こうしてその後、一度も言葉を交わすことのないまま、絆を断ってしまったのです。それから17年後の2006年12月のこと、聖子さんのディナ-ショ-のチケットを知り合いに頼まれた相澤さんは、気まずい思いでマネ-ジャ-に電話を入れました。

そうしたところ、「本人が相澤さんにディナ-ショ-に来て下さい」と言っているとの、思わぬ言葉が返ってきたのです。17年の空白の歳月はそんなに簡単なものではなく、気が重く強張る脚をやっと進めながら何とかショ-の席に着き、複雑な思いでステ-ジを見つめていたのです。

そしてショ-の最中、予期せぬハプニングが待っていました。「今日は育ての親の相澤さんが来てくれました」と、満員の観客に向かって聖子さんが語りかけたのです。この言葉で17年間のわだかまりはいっぺんに解け、楽屋に駆けつけた相澤さんに気づくと、聖子さんは大粒の涙をこぼしたそうです。

相澤さんの方も、「ごめんな、聖子」としか、言うことができなかったそうです。こうして抱き合う二人は17年の断絶を涙でとかし、その後、聖子さんはサンミュ-ジックと業務提携を決めたとのことです。育ててくれた恩をしっかりと持ち続けていた、聖子さんの意外な一面を垣間見た話でした。

2013.05.30

新たな詐欺の手口 No.2401

 友人からのメルマガで、こんな新たな詐欺が発生していることを知らせてもらいました。実に巧妙な手口ですから、くれぐれもご注意下さい。

昨年から三島駅~清水駅の区間で、以下のような手口の事件が発生しているそうです。狙われているのは、自閉傾向の方と学生みたいです。

よく歩きながら携帯に夢中になっている人を見掛けます。そんな人に男性がぶつかり転倒し、自分が使っている携帯が壊れたからと言って、弁償を求められ数万円を支払ってしまったというものです。

このケ-スは言われた当人が、携帯に夢中になっていて相手をよく見ていなかっただけに、状況把握がよくできず、相手の言いなりになってしまうようです。

そして警察に行って訴えても、こちらの思うようには取り合ってもらえないみたいです。「モノが壊れたのだから示談をしてください」という返事が返ってくるだけです。

そして厄介なのは、お金を直接要求しないで、壊れた携帯の弁償を求めるといったことから、お金だけを要求される詐欺事件には該当しないということです。

ですから、さも見ていなかった自分が悪かったような錯覚に陥りやすく、事件としても取り扱ってくれないことから、相手の思うままになるようです。

実に巧妙な手口です。こうしたケ-スが頻繁に発生していることから、警察もやっと動き出したみたいですが、くれぐれもその場で示談にしないことです。そしてそういったことが起こらないよう、歩く時はしっかりと前を向いて進むことです。

このように、いろいろなだましのテクニックを考えてくるものです。以前は世の中、性善説が主流でしたが、ここまでくるとこれからは性悪説で考えなければいけません。くれぐれもだまされないよう、気をつけるようにしましょう。

2013.05.29

非情采配 No.2400

 巨人・原監督の非情采配が伝えられていました。26日のオリックス戦、1回の守りで痛い失策をして失点につなげてしまった村田選手を、その裏、回ってきた打席で三球三振、その回限りでベンチに下げたのです。

原監督に言わせると、心技体ともに準備不足ということからです。そして川相コ-チからは「失敗したから代えたのではない。挽回の機会の打席で、取り返してやろうという気迫が感じられなかったのだと思う」と述べています。

おそらく、たまたま村田選手が標的にされたのですが、チ-ム全体に喝を入れたかったのでしょう。ご存知の通り、今シ-ズン、スタ-トダッシュよく、快調な滑り出しでここまで首位を走る巨人なのですが、5月の交流戦を境にちょっと足踏み状態が続いています。

この巨人に限らず、セリ-グの球団全部がパリ-グ球団に手を焼いているのが現状でしょうが、このまま続くとこの先上昇・阪神に足もとをすくわれる恐れがあるからということかもしれません。

村田選手が1回で引っ込められた試合、両チ-ムの監督は対照的な采配を見せていたようです。原監督の情け容赦のない采配により、試合後の村田選手は鬼の形相だったようです。

一方、オリックスの森脇監督は、1番ショ-トで先発した山本和作選手が3打席三振、そして守備でもトンネルや、痛い8回のショ-トフライの落球があるにもかかわらず、代えることがありません。

目を覆うような惨憺たる内容だったのですが、9回の打席で右前打を放ち、ようやく代走を出したのです。そして「ミスをしたときに、どう取り返すかが大事。ひるんだり、体が丸まったり、目が死んだりするようでは戦力として使えない。最後のヒットは非常に価値がある」と述べています。

面白い対照的な采配なのですが、選手層の厚い巨人とそうでないオリックスではチ-ム事情が全然違うからではないでしょうか。この原監督の毅然たる判断の采配に、以前この欄でも触れた高代延博さんは、原監督らしい決断で、これまで取り組んできた野球観が表われていると評価しています。

監督の仕事はバントのサインを出したり、投手交代を決めるだけではない。一番大事なことはチ-ムとしてどんな野球を目指すのか、それを選手、スタッフに浸透させることだ」と述べています。そしてこの試合で、戦う準備ができていない選手は使わないという、強烈なメッセ-ジをチ-ム全体に発しました。

一見、お坊ちゃんのように見える監督なのですが、「当たり前のことを当たり前にやる。そのためにも準備をおろそかにしてはいけない」と、巨人独走と思われたペナントレ-スに決して油断することなく、勝負はそんなに甘いものではないと、手綱を引き締めた采配には、ちょっと見直すものがありました。我が敵ながらアッパレで、益々手強さを感じた一件でした。

2013.05.28

ちょっと良い話その107 No.2399

母の日記という、ちょっと良い話を見つけましたので、久しぶりにカキコミさせていただきます。

母がこの春、90歳で他界しました。長寿社会の日本では、決して長生きとはいえないかもしれませんが、父の死後、約20年間一人暮らしで元気に生活を続けてきました。

元気とはいいながら高齢の為、外出する際は出来る限り家族が同伴するようにしていました。確か、目医者に行くときだったと思います。電車の中で空席があったので、危ないから座るように言ったところ、母はこう断わりました。

「ここは、お年寄りの優先座席ですよ」。この時は、一体お年寄りとは何歳ぐらいの人を指すのかと、妻と顔を見合わせました。このように気丈で元気な母でした。しかし、最後は約1ヶ月闘病生活を送りました。

母の死後、遺品を整理していると、日記を発見しました。亡くなる前日まで日記をつけていたのには、驚きました。病気が治らないことに対する不満はありましたが、入院中、母の住む家と病院(徒歩20分ぐらい)を一日に何往復もして世話をしてくれた妻に対して、感謝・感謝と書いていました。

こんな些細なことで喜んでもらっていたんだと、日記を読みほっとしました。些細な事しか出来ない家族でしたが、母に感謝してもらいながら天国に送り出せたのは、寂しさはあるものの、自分にとってちょっといい話かなと思っています。

ピンピンコロリという言葉もありますが、なかなか、そのようにうまくいくものでもありません。生老病死と言われるように、人間歳をとってくると、思うように体もいうことをきいてくれず、やがては死を迎えることになります。

小さな頃から、この自分自身が全く消えて無くなるという死に対して、すごく恐怖を抱いていたものです。それは60年過ぎた今でも変わっていませんが、遅かれ早かれ、やがては素直に受け入れなければならない事実です。

逃れることができない事実なら、せめてこの生きているうちに、充実した人生を送らなければと、ある時から思うようになりました。この筆者同様、私の家内にも、亡くなった母の介護を10年以上続け、やれやれと思う間もなく、今度は連れ合いをなくした父の面倒をみてもらっています。

その献身ぶりには全く頭が上がらないほど、感謝以外の言葉がありませんが、夫婦だけになかなかその気持ちを素直に伝えることができません。できればそうした境遇から少しでも逃れ、気晴らしに旅行でも連れ出してあげたいと思っているのですが、老いた父親を一人置いていくわけにもいきません。

そうしたジレンマを抱え、ままならない昨今なのですが、何とかその感謝の気持ちだけは持ち続けているものです。決して父の死を望んでいるわけではなく、命ある限り精一杯生きてもらいたいと願っていますが、一方では家内の負担が少しでも軽くなる日が待ち遠しくなったりするものです。

2013.05.27

チャリティ-ライブ No.2398

 なかなか面白い企画をやるものです。沼津市制施行90周年記念と称して、東日本大震災チャリティ-ライブが来る6月29日に行われるとのことです。主催は沼津市政策企画課内に席を置く実行委員会によるものですが、青年部のメンバ-が協力してこれに当たっています。

商工会議所青年部(YEG)と沼津青年会議所(JC)、そして沼津法人会青年部という、市内の若者を中心とした3団体がこぞってこのイベントに協力しているという話です。さらに嬉しいのはチケット代は1000円というお手頃価格なのですが、その全額を義援金として被災地に寄付するとのことです。

また会場は現在新しく作られていて、完成まで後わずかと言われる新キラメッセぬまづです。このオープンを祝う意味でのイベントとして位置付けられているみたいです。出演者はかつてスパイダ-スのメンバ-でも知られた、あのムッシュかまやつひろしさんと、女性ヴォ-カリストの坪倉唯子さんです。

森山良子さんの従兄でもあり、今をときめく森山直太朗さんの叔父さんでもある、かまやつさんに関してはあえて説明することもないでしょう。もう一人の坪倉さんはB.B.クィ-ンズのボ-カルとして、ちびまる子ちゃんの主題歌だった「おどるポンポコリン」で知られた人でもあります。

この2時間あまりのライブを、格安の価格で行ってくれるというのも嬉しいことです。しかも被災地に全額寄付するとは、低迷している我が街・沼津市もなかなか見捨てたものではありません。そして、今まで上記青年部3団体が一緒に1つのイベントをやったということはなかったのではないでしょうか。

原発の再稼動話がまた新たに持ち上がり、東日本大震災での人々が受けた心の大きな傷が少しも癒されていないというのに、震災そのものはだんだん風化されようとしている現在、このようなイベントは素晴らしい試みだと思います。

風化されようとしているからこそ、震災は決して終わっているわけではなく、本当の意味での復興はこれからだということを知らしめなければなりません。そうした意味でも、この街の青年部が力を合わせて1つの事業をやり抜くということは、とても意義深いことです。

私も片浜産業クラブの総会で、PRにきたYEGのメンバ-から初めてこの話を聞き、その趣旨の素晴らしさから思わず嬉しくなって10枚ものチケットを購入したくらいです。とにかく私たちだっていつ来るとも知れない震災だけに、いつまでも被災者の苦しみを少しでも思いやりながら生きていたいものです。

2013.05.24

見事な80歳の挑戦 No.2397

 昨日は出張が入ってしまい、カキコミができず申し訳ありませんでした。さて凄いニュ-スが飛び込んできました。80歳の冒険家・三浦雄一郎さんが世界最高峰である、8848mのエベレスト登頂に成功しました。

ご本人のエベレスト登頂は今回で3回目となるわけですが、もちろんこの80歳という年齢では史上最高齢とも言える、世界初となる快挙です。最終キャンプ地の8500m地点を出発したのが午前2時15分頃、満天の星空に囲まれた無風快晴の絶好のお天気だったそうです。

そして午前9時、地球上で最高点とも言える山頂征服に成功したのです。「頑張って頑張って頑張って、とうとう地球のてっぺんにたどり着きました。応援ありがとうございました」。このように語る三浦さんの言葉に示されるように、シェルパと呼ばれるヒマラヤ登山の案内人や、山岳パ-ティ・一行の力強い支援があったことは言うまでもありません。

また用意周到な事前での登山計画は、前回よりも途中でのベ-スキャンプを増やしたり、三浦さんの80歳という年齢を考えて、念には念を入れたものだったようです。それでも普通の山ではありません。氷の壁がそびえ立つような難関を克服して快挙ですから、やはり凄いとしか言いようがありません。

三浦さんは2003年70歳で、また2008年75歳で過去二度の エベレスト登頂に成功しているわけですが、その後、スキ-事故による骨盤骨折や持病の不整脈を克服しての、今回の挑戦だったのです。それだけに人知れない陰での訓練や日頃の努力があるわけですが、何と言っても支えていたのは冒険一家とも言える家族の素晴らしき絆です。

元モ-グル五輪選手だった次男の豪太さんは3回の登頂に全て同行しています。その2回目のときには重い高山病に掛かり、生死をさまよったとも言われています。またスピ-ド競技系スキー選手として活躍した長男の雄大さんも、父のエベレスト挑戦の度にシステムエンジニアの仕事を休職し、遠征隊の通信担当として支えています。

そして国際ヨットレ-スの運営には辣腕をふるっていた長女の恵美里さんも、父のエベレスト挑戦を聞くと、あっさりと仕事をやめ、スポンサ-の調達や広報担当に至るまで裏方の責任者として仕切っています。

それにしてもこれだけのスタッフを抱えての挑戦ですから、掛かる費用も半端ではないはずです。通常、エベレスト登山には一人700~1000万円も掛かると言われています。入山料をネパ-ル政府に払ったり、シェルパや食糧・燃料・テントなどの滞在・運搬費が全て含まれるからです。

ですから三浦さんの今回の挑戦は、一説には数億円とも言われていますから、スポンサ-にも恵まれているでしょうが、裏方の支えも結構、大変なはずです。このような壮大な夢を叶えるのには、やはりそれなりの少なくない費用も伴うわけです。そして何よりも、三浦さんの言葉にあるように、「諦めなければ夢が実現できる」ものです。

2013.05.22

飼い主のマナ- No.2396

 飼い主のマナ-が問われています。世の中ペットブ-ムで、あちこちで犬と散歩する姿を見かけます。それは微笑ましいことなのですが、中にはマナ-を守れない飼い主がいて問題となっています。

まずノ-リ-ドと言って、綱をつけずに歩く飼い主が増えているそうです。これは主にチワワとかトイプ-ドルといった小型犬に多く見られるみたいですが、小型犬ブ-ムと自分のペットを、生きたぬいぐるみのように扱う、ファッション感覚に問題が潜むみたいです。

もちろん小型犬と言っても、幼児などは咬みつかれたら大変です。伝えるところによると、2~3年前の記録でも年間、4400件も人が犬に咬まれるといった事故が起きているそうです。

それだけにノ-リ-ドでは、飼い主にいざという時にコントロ-ルができないわけですから、極めて危険だとも言えるわけです。また自分の犬ばかりに意識が注がれていて、他のことなど目に入らないといった人たちも少なくありません。

このことは今の時代を反映しているようなことなのですが、自分さえよければいいとばかり、散歩で顔を会わせても会釈すらしない人もいる始末です。こういった人に限って、自分の犬の排泄物の処理を怠るのかもしれません。

また私のところのラブラド-ルのような、中型犬以上の犬は小型犬への配慮もしなければいけません。一度私も失敗してしまったことなのですが、散歩の途中、小型犬と出会い、じゃれあっているうちに相手の犬が怒り出してしまったのです。

するとこちらも本気ではなかったのでしょうが、相手にちょっかいを出したのです。そうしたら、すかさず相手の飼い主が怒り狂い私の犬を蹴りまくったのです。一瞬腹が立ちましたが、こちらが悪いと思い平謝りに詫びたのです。それでもまだこちらの犬の腹を蹴っている始末です。

これなどはまさに犬が可愛いのではなく、自分の持ち物だけがただ愛しいという、典型的なケ-スです。それから何日か経ってのこと、時には同じような散歩のコ-スを辿ることもあります。でもやはり自分のしたことにバツが悪いのでしょう、遠くから私たちを見つけた途端、慌ててコ-スを変えています。

自分のしたことでそれだけ行動範囲が狭まっているのです。つまらない話です。少し話題が逸れますが、自分の犬にあった餌というものがあることに気づいています。以前はよく食べ物を吐き出すことが多く、この犬は胃腸が弱いのかなと思っていました。

そしてあるとき、家内が動物病院で餌を変えてみたらというアドバイスをいただいたことから、それまでの餌をやめ新しいものに変えてみました。その途端、それからはあれだけ戻していた犬が一度も吐かないようになったのです。

やはり合う合わないということがあるのでしょう。また今までよりずっと排泄物もよくなったものです。とにかく人間様同様、自分の持ち物だけを大切に扱うというのでなく、周りの迷惑もしっかり考え、周囲への気配りや思いやりを持っていたいものです。その方が愛するものからも、ずっと癒されることが多いのではないでしょうか。

2013.05.21

元気な中高年 No.2395

 先週末、シニアのソフトボ-ル県大会があり、静岡・安倍川の河川敷グランドに行ってまいりました。すこやか長寿祭スポ-ツ大会と銘打ったものだったのですが、60歳以上のシニアのメンバ-が一同に会し、元気な姿を見せていました。

シニアというと年寄りの集まりと思うかもしれませんが、どうしてどうしてプレ-ぶりは昔取った○○で、シャープな動きで溌剌としていたものです。私どものチ-ムもなかなかのもので、ト-ナメントの試合、負ければそれで終わりなのですが、土曜日に2試合勝ち抜き、続く日曜日に行われた準決勝では焼津のチ-ムに勝ち、とうとう決勝進出です。

しかしながら決勝では好ゲ-ムだったのですが、どちらかと言えばミスの多かった私どもより、好投手を備え抜け目のないゲ-ムを進めていた磐田のチ-ムに軍配が上がってしまいました。勝てば10月に行われる高知での全国大会に出場できたのですが、後一歩のところでその夢が叶いませんでした。

やはりここ一番という試合ではミスをした方が負けです。ということで、残念ながら涙を呑んで沼津に引き揚げてきたのですが、自分のチ-ムながら良いチ-ムだなとつくづく感じたことがあります。

それは決して他より技量が優れているといったことではなく、チ-ムのまとまりの良さです。土曜日からの2日間、我がチ-ムからはそれぞれ25名ぐらいの多くの人たちがこの大会に出掛けました。でもその中で試合に出るのはたったの9人です。

まして負ければ終わりという試合では、そんなにメンバ-は替えれません。従って9人以外の人たちは2日間、安倍川まで通ってほとんど試合には出られないのです。中には高齢の方もいて、試合に出るよりゲ-ムを見て楽しむという方もいないわけではないのですが、決してそういう人ばかりではありません。

でも帰ってからの飲み会でも、皆さん和気藹々で試合に出れなかった鬱憤や不満など、一切聞くことがありません。私のように特別、技量が優れているわけではないのですが、4試合ずっと出場している人間には、そういう人たちを気の毒に思っても、心底秘めた気持ちなど、とても計り知ることはできないものです。

得てしてそういったところからチ-ムの綻(ほころ)びが大きくなっていくものですが、私どものチ-ムに関しては知る限りでは一切そういったものが見られず、愚痴を聞くこともありません。皆さん、大人だと言ってしまえばそれまでですが、そういった素晴らしいチ-ムに入っていて良かったと、つくづく感じたものです。

2013.05.20

橋下発言の波紋 No.2394

 「戦時中、従軍慰安婦は必要だった」、また在日米軍に対しての「日本の風俗業を活用して欲しい」といった、一連の橋下徹大阪市長の発言が内外に大きな波紋を広げています。

まず従軍慰安婦についてですが、戦時中のことだからよく分かりませんが、いろいろな資料によると第二次世界大戦中、朝鮮半島、中国、フィリピン、インドネシア、オランダ等の女性が動員され、旧日本軍兵士によって旧日本兵の性的処理を押し付けられ、性的な凌辱を受けた、極めて恥ずべき制度であると記述されています。

ですから橋下さんが言うような、命をかけて戦場を駆けずり回る兵士にはそうした性的処理が必要だったということより、それ以前の制度そのものが全く認められないものであったという事実認識に欠けていたのではないでしょうか。

また女性たちは監禁され、性行為を強要され、拒絶すれば残酷な暴力がふるわれたとのことですから、女性蔑視だけでなく、人間としての尊厳まで大きく踏みにじられていたものです。

それを単なる性的処理のはけ口が必要だったと捉えられても仕方がない発言は、あまりにも浅薄で乱暴だったと言えるものです。また日本維新の会の共同代表という、公の地位に就いている人の発言としては品位に欠け相応しくなかったものではないでしょうか。

元々のそうした本音の持論が建前を飛び越して出てしまったのでしょうが、立場上、吐いてよい本音とそうでないものがあるはずです。確かに沖縄で再三起こっている、現地女性へのレイプ等の問題には、橋下さんの何とかしなければという気持ちは感じ取ることができます。

でももっと人々に説得力のある表現ができなかっただけに、このような大きな問題に発展してしまったのです。この結果、日本維新の会はみんなの党からもそっぽを向かれ、選挙協力を断ち切られました。

お陰でいい迷惑を蒙っているのが、同級生でもあり、今度の参議院選・静岡地方区から出馬することになっている、土田博和氏です。本人は決してそのような発言は、もちろんしているわけではないのですが、日本維新の会所属だけに、さも維新の会全部がそうであるかのように受け取られるかもしれません。

私も今までこうした選挙にはタッチしたこともなく、あまり好きでもありませんが、同級生だけに見てみぬふりもできません。脱原発もうたい、地元では昼夜を問わず患者を診てくれるという、評判の良い病院の理事長だけに、何とか既成勢力に大きな風穴を開けてもらいたいと願っています。

2013.05.17

私たちの取り組み No.2393

 2日間カキコミができず失礼致しました。実はこのゴ-ルデンウィ-ク前から依頼のあった仕事の案件が、一部なかなか解決できない部分があり、ようやく今日の客先への訪問作業で終止符を打てたのです。

その間何回か客先への訪問を繰り返し、原因究明やメ-カ-である三菱電機の技術相談ともやりとりしていたため、カキコミにはとても手が付けられる状態ではなかったからです。

それではそのことが少し弊社のアピ-ルにも繋がるかもしれませんので、経緯を振り返ってみたいと思います。客先が今回、5月の連休で空調機(パッケ-ジエアコン・・・以後PE)の入替を予定していたことから、受注した設備業者から古いPEから新設のそれへの、調査を兼ねた接続替の依頼が連休の2週間ぐらい前にありました。

当初、既設の現場調査を1週間前に行えるはずでしたが、客先の都合で直前の27日(土)までは入場できず、その日しか行うことができませんでした。事前での話では新旧あまり違いがないということでしたが、いざ調べてみると新しいタイプは内部ユニットが基板で組まれていることから、ブラックボックスで不明なところが多くあり互換性はないのです。

従って頂いた取扱説明書だけでは十分理解できないため、メ-カ-に問合せしたいのですが、27日時点ではもう連休に入っており、技術相談にも対応してもらえません。しかし設備の方はこの連休で切り替えなければいけないことから、一部不明な箇所を残して工事は進めざるを得ませんでした。

こうして連休中の3日には設備の入替が終わり、4日からは電気配線の接続替の作業に入ったのです。そして試運転を迎え、何とかやりくりはしてリモコン制御では動くのですが、遠方起動の場合、圧縮機と送風機の運転の切り離しができません。

仕方がないから温度・湿度の管理が厳しい部屋であるゆえ、工場の稼動する初日からはリモコン制御で動かし、三菱に問合せながら対応していこうということになったのです。そして技術相談のアドバイスをいただき、やりとりで不明なところは少しずつ解消していったのですが、今度はヒ-タ-の再熱回路が働いていないことに気づきました。

雨が降って湿度が高くなったとき、その湿度が思うように追随しないからです。そして今週も何日か繰り返し工場に入っていたのですが、回路は間違いないとはいえ、思うように改善できません。そして根気よく詰めていった結果、やりとりしている計装盤の中に組み込まれている、サイリスタ制御でヒ-タをコントロ-ルする電力比例制御パネルに異常があることが判りました。

そして急遽、中の基板ユニットをメ-カ-から送ってもらい、交換したら解決したのです。何も今回いじることのない同パネルの異常など、初めから何も考えていなかったのです。このように私たちの仕事は途中の経過ではなく、結果が全てです。ですからいくら小回りを利かせても、お役に立てなければビジネスとしては成り立たないのです。

そういった意味では大きな迷惑も掛けず、何とか望まれるとおりの結果にたどりついて、何よりもホッとしています。願わくばあと少し事前での引き合いが早く頂けたらと思うことです。きっとメ-カ-の技術相談が応じているうちなら、事前での詰めがもっと素早くできたものと思われます。やはり段取り7分と言われますが、本番前の詰めの善し悪しで仕事は左右されるものです。