会長の”三行日記”

2016年08月

2016.08.31

お盆やお施餓鬼 No.2885

 今朝などはめっきり涼しくなり、朝の散歩も快適でした。まだまだ厳しい暑さは続くものと思われますが、秋も少しずつ近づいているようです。210日の今日、例年台風がやってくる一番の時期ですが、昨日は気象庁が統計を始め出して初めての東北地方に台風が上陸しました。

この迷走台風の被害に見舞われた地域の方々には心よりお見舞い申し上げます。さて真宗大谷派真楽寺住職の勧山弘さんがお盆とお施餓鬼について書かれていました。

ちょうどこれを書かれている時期、高校野球やリオ五輪が真っ盛りのときだったのですが、お坊さんにしても裸でも暑い時、白足袋を履き袴を付け、檀家を一軒ずつお経をあげて廻るのは法衣(ころも)を着た発汗器のようなものと言われています。

でも暑いのは坊さんだけではなく、甲子園では選手が眦(まなじり)を決して白球を追う姿を見るにつけ、彼らは暑さをどれだけ感じているかと投げ掛けています。でもそれは問題外の話で、暑さを逃れようとする心を忘れることで暑さから解放されていると説いています。さすがはご住職です。

そしてお盆についても、先祖供養の時であることは申すまでもなく、盆の字は皿を分けると書くと指摘しています。つまりそれは自分に与えられた皿の上の食物を、飢えた人に分け与えるという意味とのことです。

禅の道場では食事のとき、給仕の僧が幾粒かのご飯粒を各修行僧から集めています。寺の庭に行くと石の上に置かれた板に、そのご飯粒が乗せられてあり、小鳥が啄(ついば)んでゆきます。

これが自分だけの口腹(こうふく)の満足ではなく、鳥禽(ちょうきん)にも施す、この布施の心を持つべしと説いています。また仏教ではハングリ-の人を餓鬼と呼ぶそうです。この世を地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六界に分け、その餓鬼に施すことです。

私たちがお寺から案内を頂くお施餓鬼は、その心こそ皿を分けるお盆の大切な布施行と言われているのです。仏教では「わが一飯を献じて、世の飢えを救う」という教えがあります。

わが一飯では7億とも8億ともいわれる世界の欠食者を助けることはできない。でも飽食日本のこと、せめて年2回くらいは一食抜いて、栄養失調に苦しむ人々に施してはいかがと投げ掛けています。

また我が国の家庭やレストラン、ホテル等から出る残飯は優に40万人を養うに足る量だと言われています。美食飽食の時代、いつも言うことですが、地球上の私たちの計り知れない他の地域では、一日約10万人もの人々が餓死しているとのことです。

それだけに一方では有り余って捨てている地域があっては、あまりにも片手落ちで不公平ではないでしょうか。小さな頃、祖母からご飯粒を1粒でも残したら目が潰れると言われながら育てられました。その教えの大切さを改めて噛みしめているものです。

2016.08.30

一流との差 No.2884

 よく一流の人と言われていることがあります。では二流、三流に比べて一流との差はどこにあるのでしょうか。下記のようなコラムを見つけましたので紹介したいと思います。記述は一部省略してあります。

大正・昭和初期に活躍し、「この道」など童謡の作詞者としても知られる北原白秋は、57歳で没するまで、「詩道一筋」の生涯を送った。次々と傑作を著わし、大衆に支持された白秋は、いわゆる「天才」のひとりといえるかもしれない。

しかし現実には、そこには血のにじむ努力の積み重ねがあった。次のようなエピソードがある。ある時、彼は、若い急進派の歌人から批判を受けた。「あなたの歌はやはり型にはまった31文字の歌で、新しい現代の歌といっても、以前の旧派の歌とはただ紙一重の相違ではないか」

それに対し、白秋は答える。「そうです、ほんの紙一重です。しかしこの紙一重のために、この30幾年という長い年月を私は苦労してきたのだ」――そして水泳の競技にしても、ほんの1秒の何分の1という違いを競って新記録をつくるために毎日、朝となく夕となく涙ぐましい練習を続けているとし、「詩歌の修行も同じである」と述べている。

さらに修行について白秋は「突拍子もない大々飛躍などということはめったにできるものではない。修行というものは、石なら石をひとつずつ積みあげていくようなもので、根気よく、こつこつと仕事の力と量とを積みあげていかねばならない。

どれだけ天賦の才に恵まれていても、この平生の努力を怠れば、ついには何の業をも大成し得ないであろう」と。“紙一重”の前進のためにしのぎを削り、そのために必死の努力を重ねる――これが天才といわれる人の真実の姿なのである。

たしかに、現在のレベルに満足し、“これでよし”とする人に、成長はない。つねに初心にもどり、“もっと努力しよう”“もっといい作品を残そう”という心をもてる人が向上していけるのであろう。これは現実の生活のなかにおいても、ビジネスにおいても同じことに違いない。

北原白秋が例に出した水泳について聞いた話だが、1988年に開催されたソウルオリンピック100メートル背泳ぎ、鈴木大地選手の金メダル獲得秘話がある。100メートル決勝は鈴木選手が3レーン、ライバルのアメリカのバーコフ選手が4レーンを泳ぐ。ただし鈴木選手の決勝に至るまでの泳ぎでは、到底優勝候補であったバーコフには勝ち目がない。

そこで鈴木選手は作戦を考えた。彼はバサロ泳法の回数を23回から、予選でも練習でもやったことのない27回に、距離にして5メートル延長して勝負に挑んだ のだ。これにより、隣を泳ぐバーコフがあせった。2人は入り乱れるようにゴールへ、まさにタッチの差で鈴木選手が金メダルを獲得した。

じつは鈴木選手は、このときのために手の爪を3~4センチ伸ばしていたという。その長く伸びた爪の分早くゴール板にタッチし、まさにミリ単位の勝負に勝ったのである。執念の勝利といってよい。

まさに人事を尽くして天命を待つのではなく、人事を尽くして天命をもぎ取るという話です。従って一流の人とはまさに勝つための執念を持ち、万全の準備を整えて勝つための努力を怠らない人のことを指すと指摘しています。

ですから北原白秋や鈴木大地選手のように、紙一重のために必死の努力を重ねる人が一流の人と呼ばれるのでしょう。従って人事を尽くしたと自分は思っていても、それ以上に磨きを掛けなければ一流にはなれないわけですね。

2016.08.29

すい臓がん No.2883

 先月末に大相撲の元横綱千代の富士の九重親方が亡くなられました。61歳という若さだったのですが、すい臓がんに侵されてしまったのです。現役時代、小さな体ながらその技の美しさと圧倒的な強さに多くの人たちが魅了されたものです。

そのすい臓がんで亡くなる方が増えているそうです。ガンは以前とは違って、初期の段階なら死には至らなくなった今日ですが、このすい臓がんだけは技術が進歩した現代医学においても、なかなか治癒が難しい、厄介なガンと言われているのです。

意外と知られていないのが、今ガンで亡くなる人が減り続けているということです。亡くなる人自体の数は増えているのですが、高齢化という原因が多く、ガン全体の死亡率は年々減り続けていると言われています。

ところがこのすい臓がんだけは例外です。それは早期発見が難しく、悪化しやすいからです。すい臓は血糖値などを調整するホルモンを出す臓器で、胃や肝臓などと比べても見劣りしないほどの大きさですが、とても見にくい場所に位置します。

レントゲンなどのX線検査では調べることができず、胃や大腸と違って口と直接繋がっていないため、胃カメラでも調べることができません。またすい臓がんになっても初期はほとんど自覚症状がないのです。

このため早期発見が難しく、発見されたときは既に他の臓器に転移しているケ-スが多いのです。ではなぜ増えているのかということですが、詳しくは判りませんが糖尿病や慢性すい炎などを持つ患者がすい臓がんになるリスクが高いかもしれないと指摘されていることがあります。

運動不足や食生活の変化です。また暴飲暴食などの過食も原因の1つです。それではどうしたら予防できるのかということですが、腹痛や皮膚や目が黄色くなる黄疸、また腰から背中にかけての痛みの症状が出た時は、早めに医療機関で診てもらった方がよいそうです。

やはり体の異変に早めに気がつくことです。ネットではアメリカの15歳の少年がたった1滴の尿と血液が必要なだけの早期発見法を開発したとの記事がありますが、果たしてどうなのでしょうか。

自分の友人もちょうど42歳の頃、このすい臓がんで若くして亡くなりました。今でも毎年、6月の末頃、彼を偲ぶ会を友人が集まり開催していますが、早いものでもうあれから25年の歳月が流れようとしています。

こうした若くして亡くなる方には言葉もありませんが、60歳を過ぎると発生率が高くなると言われています。発見が難しい箇所だけに異変に気がついたら早期治療を心がけるべきです。私たちも60半ばを過ぎたと言っても、まだまだこんな病気には侵されたくなく、元気で長生きしたいものです。

2016.08.26

愚行 No.2882

 ある女優の息子で、最近売出し中のタレントがビジネスホテルで女性従業員を暴行するという事件が起こりました。まさに愚行そのもので、理由がとても我慢できなかったというものです。それを聞いてあまりにも浅はかだなと驚いてもいる次第です。

聞くと、もっか売出し中でNHKの大河ドラマ「真田丸」にもこの先、出演が決まっていて主人公・信繁の兄の息子役とのことです。その信繁兄弟の母は実際の母である女優が演じているわけですから、親子2代共演となるはずだったのです。

また週末、日本テレビで予定されている24時間テレビにもメインキャスタ-として抜擢されていたようです。このようにようやくタレントして芽を出しかけていた矢先だっただけに、何ともその浅はかな考えにもったいないというか、そんなに簡単に自分のポジションを捨てることに大きな疑問すら持つものです。

普通考えるのに、いくら我慢できないと言っても、そういったことをすればその先どうなるかは予測がつくはずです。下世話なことですが我慢できないのならいくらでも別の方法だってあるものです。

この息子の母親は女手一つで、女優として2人の子どもを育て上げてきたと言います。そしてようやく一人前のタレントして芽を出し始め、さあこれからといった矢先だけに、さぞショックが大きいのではないでしょうか。

そんな親の心子知らずと言っても、あまりにもお粗末な話です。要は一言で片づければ、世間知らずで甘ちゃんだったということですが、22歳にもなる成年男子の取るべき行動とは思えません。

今回のことで女優の母親まで、何本か出ているCMが中止されようとしています。また既に収録した番組もこの影響で撮り直しされようとしています。自分一人が起こした行動でも、その影響は決して自分だけのものではないと解っているのでしょうか。

このように最近の若い人の中には、折角今まで積み上げてきたものを簡単にリセットする人が増えてきたように感じます。あまりにももったいない話です。自分の取る行動が周囲にいかに影響を与えるのか、十分理解して事を起こして欲しいものです。

2016.08.24

心打つ10の約束 No.2881

 我が家の愛犬も平成16年生まれですから今年12歳、13年目を迎えています。今年が猛暑、酷暑の関係でこの夏、少しへばった期間もありましたが、今では回復し相変わらずの元気印そのものです。そうしたペットを飼われている人が少なくない昨今ですが、ともに生活することで得られる癒しや心の潤いがあるからでしょう。

そんなお互いの共存生活の中で、心打つ10の約束という話を見つけましたので紹介したいと思います。それは川口晴さんという方が書かれた『犬と私の10の約束』という本で、映画化までされていて結構人気があるようです。

スト-リ-は小樽で暮らす大学病院勤務の医師である父と元看護師の母をもつ少女が、片足の先が靴下をはいたように白いゴールデンレトリバーの子犬「ソックス」と出会い、犬とともに生活しながら母との死別、ギタリストをめざす少年との恋、「仕事人間」である父との確執を通じて成長していくものです。

この中で物語をまとめているキーワードとしての、「10の約束」がなんとも味わい深いと言われていますので紹介します。以下は子犬を飼いたいと言った娘に対し、病床の母親が語った言葉です。

(1)私と気長につきあってください。 (2)私を信じてください。それだけで私は幸せです。 (3)私にも心があることを忘れないでください。

(4)言うことをきかないときは理由があります。 (5)私にたくさん話しかけてください。人のことばは話せないけど、わかっています。 (6)私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないで。

(7)私が年を取っても仲良くしてください。 (8)私は十年くらいしか生きられません。だからできるだけ私と一緒にいてください。 (9)あなたには学校もあるし友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。

(10)私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。どうか覚えていてください、私がずっとあなたを愛していたことを。 

物語で語ろうとしていることは、人は出会いを選べるけれども、犬は人との出会いを選べないという運命についてです。またその言葉はそのまま、家族同士は出会いを選べないということに置き換えられます。

また仕事や生き方はそれぞれの人の選択で可能ですが、家族は選べないということをソックスという犬の存在で浮き彫りにしています。つまり家族とはその運命的な出会いを受け入れ、互いにいたわり思いやりをもちながら、幸せを作り上げていく共同体だと指摘しているのです。

そうした家族の幸せの問題と併せ、私たちのような会社の進む道も、いつも平坦ではなく、社員のみなさんと経営陣が時には無理をしながら乗り越えなくてはならない問題もあると思いますが、いかなる時もお互いの家族の幸せを忘れてはならないと言われているのです。

家族こそ働く私たちに癒やしと温もりを与えてくれるもので、困難にぶつかった時こそ、家族のことを思い出し語り合いたいものだと、この物語から学ぶことができます。心温まる物語ですね。

明日25日は鎌倉山のN邸にモノレ-ルの年次点検に出掛けるため、カキコミは休ませていただきます。

2016.08.23

ちょっと良い話131 No.2880

 様々な感動を呼んだリオ五輪の中で、まさにこれぞ五輪の精神という特筆すべき美しい場面がありました。このちょっと良い話を紹介したいと思います。陸上女子5000メ-トル予選で起こったエピソ-ドです。

リオ五輪の陸上女子5000メートル予選で16日、接触して倒れた米国とニュージーランドの選手同士が互いを助けあった。米国のアビー・ダゴスティノ選手とニュージーランドのニッキー・ハンブリン選手のその姿は、オリンピック精神そのものだと称えられている。

両選手は5000メートル走の約3000メートルを走った時点で、ダゴスティノ選手の足が前を走っていたハンブリン選手の足に触れ、2人とも転倒した。ダゴスティノ選手が先に立ちあがったが、ハンブリン選手は体を地面に強く打ちつけた様子で、しばらく起き上がらなかった。

ダゴスティノ選手はそのまま1人で走り続けることなく、泣いているようにも見えたハンブリン選手の脇を抱えて助け起こし、「立って。最後までやらないと」と励ました。

2人はレースを続けたが、ダゴスティノ選手が足首を負傷していることが次第に明らかになると、今度はハンブリン選手が相手を励まし続けた。

足を引きながら最下位でゴールインしたダゴスティノ選手は、待っていたハンブリン選手と涙ながらの抱擁を交わした後、車椅子でトラックを後にした。

ハンブリン選手はレース後に、「先に彼女が助けてくれた。自分も彼女を助けようとした。かなりひどいけがだったので」と話した。ダゴスティノ選手は棄権やむなしかと思い、ハンブリン選手は先にゴールしたが、そのままダゴスティノ選手を待った。

足を引きながら完走したダゴスティノ選手について、「あれこそまさにオリンピック精神そのもの」とハンブリン選手は称えた。どちらもこの予選では決勝進出はならなかったが、助け合う姿には多くの称賛が集まり、大会側は2人の決勝出場を認めた。19日夜までに復調していれば、決勝でまた共に競い合うことになる。

とかく勝つためには手段を選ばないということが多く見られる中、二人の美しい光景は長く語り継がれるのではないでしょうか。同様なことが銅メダルを獲得した男子50km競歩の新井選手にも起こりました。

二人が接触したといって、一旦は新井選手が失格になったのですが、日本チ-ムの再抗議を審議した結果、3位が認められることになりました。これなども相手チ-ムの不必要な抗議が原因です。

新井選手と接触したカナダのダンフィー選手はレ-ス後、お互いを讃えあいハグまでしていて選手間では何も問題はなかったのです。これなどは周囲の異常なまでの勝利主義によるものですが、当事者同士はお互いの健闘を讃えあっていて、まさにスポ-ツマンそのものなのです。

このように周囲が巻き起こす不必要な勝利至上主義などは極力控えて、ダゴスティノ選手とハンブリン選手のように、もう一度初期の五輪精神を見直す必要があるのではないでしょうか。

2016.08.22

リオ五輪閉幕 No.2879

 早いもので熱い戦いが続き、私たちに大きな感動を与えてくれたリオ五輪が幕を閉じました。その間、私たちは夏季工事で4日間出張作業もありましたが、お陰様で無事完了することができました。暑い日が続く中、社員の頑張りに本当に感謝しています。

さて、そのリオ五輪ですが、毎日のように日本人選手の活躍が伝えられたものです。心に残った感動を呼んだ幾つかを振り返ってみたいと思います。まず直近なので今でもその感動が忘れられないのが、男子400mリレ-の決勝です。

山県、飯塚、桐生、ケンブリッジの4選手が見事に繋いで獲得した銀メダルには、日本中多くの人が感動したのではないでしょうか。ちょうど土曜日の休みの日でもあり、日本陸上に新たな歴史を刻んだとも伝えられた、このリレ-結果にはテレビでありながら大きな声援を送ったものです。

びっくりしたのは3位に入り、後で失格となったアメリカにも勝ったことです。また3走桐生選手から最終走者・ケンブリッジ選手に繋いだときはあのウサイン・ボルトを有するジャマイカを凌ぐトップでもあったことです。

各国に比べ、個人では誰一人として決勝にも残れないメンバ-構成で、まさにアンダ-ハンドパスを武器とした日本チ-ムのチ-ムワ-クがもたらした勝利とも言えるものです。思わずテレビに向かって「行け、行け」と大きな声を出し続けていました。

それから体操個人総合の内村選手の技の凄さはもちろんとして、潜む精神力の強さにも心を大きく動かされたものです。ちょうどこれも休みの日であった関係で、日本時間の朝、LIVEで放映されていた鉄棒の演技に釘付けとなりました。

圧巻だったのはこの最終種目の鉄棒の演技が完璧だったことです。それまで1位の選手に1点近くリ-ドされていたのですが、こうした土壇場で見事にひっくり返す力がどこに潜んでいたのでしょうか。

また一時代前の昔の鉄棒演技と違い、内村選手の演技は鉄棒から大きく離れる、まさに離れ技とも言える演技が続くのです。従って失敗しなければいいと観ているこちらまで、ハラハラドキドキさせられてしまうのですが、結果は見事な金メダルに恐れ入ったものです。

この他、卓球男子・女子やテニスの錦織選手、バドミントンの女子ダブルスの両選手の活躍にも心踊らされ、嬉しくなったものです。それからレスリング吉田沙保里の涙にも感動させられました。謝ることなど何1つもない、見事なこれまでの積み重ねではないでしょうか。

勝ち続けた人がいつかは訪れる宿命です。まして超人的な吉田選手ゆえ、世界中からも破りたいと研究され続けている目標の選手です。それゆえ今までの誰もが成し遂げれない功績に、胸を張って帰ってきてもらいたいと思います。

とにかく日本人選手が過去最多の合計41個というメダルを獲得し、めざましい活躍を残した今大会でした。さらに嬉しいのは卓球、バドミントン、レスリング、柔道、飛び込み、水泳、体操等といった、次の東京大会に期待が持てる若い人たちの活躍があったことです。

やはり五輪はこのように国威高揚にも繋がり、改めて私たちにも自国を見直す機会にもなる場です。そして敗れて口惜しい思いをした選手にとっても、きっと次に何らかの形で繋がっていくのではないでしょうか。また大きな問題もなく、無事開催されたことが何よりだと思っています。

2016.08.10

原発及び企業見学 No.2878

 昨日は御前崎にある浜岡原発と、高校同窓会会長の企業・木村鋳造所の見学に行ってまいりました。まず最初に訪れたのが浜岡原発です。といっても発電所そのものにはとても入ることはできないわけで、付帯の原子力館です。

それでも原子力館の中には実物大の原子炉模型や防波壁模型が作られていました。防波壁も何とも頑丈なもので海抜22mの高さで、2012年末までに完成した18mの工事分にさらに4m上積みされ造られています。

これなら津波はまず越えないだろうという想定で、東日本大震災の教訓として、越えたとしても防波壁が壊れないよう、基礎部分をだいぶ強化しているようです。しかしその長さは総延長1、6kmにも及ぶもので建設費用をかなり費やしたと聞いています。

現在1~2号機は運転を完了し、廃炉となるとのことですが、他の3~5号機もずっと運転を停止したままです。休止の状態なのに大震災以降、この防波壁など3000億以上の莫大な金を掛けているということは、やはり早く運転させたいという中部電力の強い意向なのでしょうか。

とにかく館内の女性係員の説明にしても、全て安全を力説するのに終始しているようで、本来の原発を持つ意義など何も聞かされることはありませんでした。でもこの原発にシビアに反応している現代ゆえ、致し方ないかもしれませんね。

昼食後、私たちは木村鋳造所に向かいました。私の想像以上の広大な土地に各工場を構える同社は、日本の名高い企業にはほとんど取引口座があるということを証明できるほど、工場内にはいろいろな鋳物の型となる模型が並んでいました。

鋳造法としては今までは一般的に木型を用いることが常だったそうですが、同社が開発したフルモ-ルド鋳造法というやり方は独自な手法で未だに他の追随を許していないそうです。

これは発砲スチロ-ルを用いた模型から造る方法で、同社が力を入れて推進しているCAD・CAMにより、デ-タから発砲スチロ-ルの模型を加工し造りだしていくやり方です。これは1つの木型で複数の鋳物をつくる木型法に比べ、単品製造に向いているわけですが、製品と同じ形状の模型を製作することからデ-タの永久保存が可能となるわけです。

そして劣化の恐れもなく、設計変更による模型の修正も容易なわけで、鋳造段階においても木型法にある、合わせ面のバリが残らないのです。このような他社の真似できない工法が多くのお客様から支持を受ける所以ではないでしょうか。

また特筆すべきことは、鋳造工場と言えばイメ-ジ的に3Kと思い描くものですが、同社はとにかくそうした先入観を拭い去るだけの取り組みをしていることです。この整然とした工場の綺麗さがまたお客の大きな評価に繋がっているとのことです。

会社の名誉会長でもある、我が高校の同窓会会長自らが丁寧に工場を回りながら説明して頂いたのですが、3S・5S運動についてもこんなことを言われていました。「そうした運動は全て終業時間内にやることです。でなければ社員の習性としてせいぜい3か月ぐらいしか続かない」と。

私たちが社員に対する接し方の大きなヒントのような気がします。とにかくいろいろな設備にも潤沢な投資をされているようで、益々発展していくものを十分感じ取りました。羨ましい限りのこの会社から、せめて弊社もお客様に見せられる製作現場を作っていきたいと強く感じさせられたものです。

明日から21日までは夏季工事やそれの振替休暇で会社を空けることになります。この期間、カキコミは休ませていただきますのでよろしくお願いいたします。猛暑酷暑ゆえくれぐれもご自愛下さい。

2016.08.08

リオ五輪開幕他 No.2877

 ようやく連休工事の目途が立ってきました。このように私たち業種はお客様や工場が休みに入るとき、少し仕事が潤うようになっているものですが、逆に言えば暇で仕事がなかったら大変とも言えるわけです。そういった意味でも仕事があるということは、何よりも有難いことで感謝の気持ちを持って仕事に当たらなければいけません。

さてリオのオリンピックが始まり、夏の高校野球甲子園大会も開幕して周囲はいっぺんに慌ただしくなりました。またイチロ-選手が今日、メジャ-通算3000本安打を達成しました。そんなわけで話題には事欠かないのですが、ダイジェスト版で感想やら思いついたことをそれぞれ述べさせていただきます。

まず五輪の話題からなのですが、萩野公介さんが日本人初めての金メダルを獲得しました。戦前から強いと言われ、日本中の期待を一身に背負っていたわけですから当たり前のように言われますが、物凄いことのように思えます。

五輪は魔物と言われ、今まで期待されていた選手が以前、どのくらい敗れ去っていったのかはご承知の透りです。勝たなくてはというプレッシャ-に負けるとも言われています。その私たちの想像を遥かに超えるくらい、重圧がかかる中、萩野選手は決勝で何と1秒56も縮めた日本記録で優勝しているのです。

驚くべきそのハ-トの強さにとにかく感銘しました。やはり本番で実力以上の力を出せる選手は頼もしいものです。それから期待されている柔道ですが、初日、2日目と男女それぞれ金メダルは逃したものの、併せて4つの銅メダルを獲得しています。

解説の古賀さんが言っていたみたいですが、優勝を狙っている日本選手が途中で敗れ、3位決定戦まで勝ち進むのには大変な気持ちの切替が求められるそうです。何しろ日本人選手や、その取り巻きは優勝をひたすら目指しているわけで、負けると大きな挫折感を味わうことになります。

その気持ちを立て直し、新たに3位決定戦に向かうまでには大変のものがあると言います。私たち外野は「なんだ3位か」と思いがちですが、こうした経緯を経て得た銅メダルというのは貴重な価値あるものだと改めて知らされました。

またイチロ-選手ですが、本人の卓越した技術やこれまでの切磋琢磨の積み重ねには大きな敬意を払っているものですが、嬉しかったのはスタンドの観衆が一体となって祝福してくれたことです。

そこにはもう日本人だからとかいった、母国以外の排他的な感情は一切なく、ただただ大記録を打ち立てたプレイヤ-に敬意とリスペクトの思いが全てに表れていました。さすがメジャ-だとつくづく思ったものです。

イチロ-選手には今回の3000本も単なる通過点に過ぎないことと思いますので、この先できれば50歳ぐらいまでプレ-を続け、更なる高みを目指してもらいたいものです。

明日は1日、御前崎の方に企業見学と浜岡原発資料館見学で出掛けるため、カキコミは休ませていただきます。

2016.08.01

沼津の夏祭りから No.2876

 東京都知事選は小池百合子さんの圧勝で終わりました。もう少し増田さん、鳥越さんと接戦になるかなと思っていたのですが、意外な結果のように思えました。風見鶏のような小池さんですが、知事になった以上強い信念を持って都政に当たってもらいたいものです。

それにしても昨日などは暑かったですね。あの炎天下の中、私たちソフトボ-ルのシニアチ-ムは14時過ぎから練習を行いました。さすがにあの暑さでへばったものです。ここで代表が出揃った高校球児とは根本的に体力が違うわけですから、年相応に無理は禁物です。

余分な話ですが、会社の入口に小さな蛇が口をパカ-ンと開けたまま死んでいました。これも暑さに負けてしまったたのでしょうか。さて昨日、一昨日は沼津の夏祭りでした。私も友人の招待で1日だけ出掛けましたが、かなり賑わっていたように思えました。

友人のマンションがちょうど大手町の交差点や中央公園を眼下に見下ろすことのできる場所ゆえに、ベランダから下を覗いてみたら、もう人、ひと、人の波です。よくもこんなに人がいるものかと思ったほどです。

ということは面白いイベントがあれば人は集まるということではないでしょうか。近年、商店街も夕方6時半ぐらいに店を閉めるところも少なくないと言います。ですから昔は賑わいの中心だった仲見世通りも夜8時過ぎれば人の姿がほとんど見えないほどです。

こんなことでいいのでしょうか。年中、夏祭りのようなことをやっているわけにはいきませんが、もっと人を呼ぶ魅力的な仕掛けが求められているのではないでしょうか。それは決して駅の高架化のようなものに頼るものではなく、人々が素直にあそこに行ってみたいと思うようなところです。

当時、三島在住の栗原市長が市の会報にも書いていましたが、昔は何かあれば街へ行くと言って、それは全て我が街・沼津を指すものでした。沼津の街に行けば当時、欲しいものがほとんど手に入り、おいしいものが食べることができたからです。

それが今はどうでしょうか。お隣の三島の方がよっぽど元気があり、人々が集まり出しています。それは賑わいを生み出す、いろいろな仕掛けをしているからです。県庁所在地ということもありますが、静岡などもまた然りです。

花火が打ち上げられている狩野川を見るたびに、なぜこんな素晴らしいロケ-ションを生かせないのかと思わせられます。箱物などのハ-ドに頼るのではなく、人々がワクワク、ドキドキするようなソフトを考え出さなければ、この街はきっと衰退してしまいます。

今週は来週末から予定されている工事の準備で何かと追われるため、申し訳ありませんがカキコミは休ませていただきます。