社長の三行日記

2017.10.18

白隠禅師没後250年その2 No.2947

 今では沼津市の一部となっている、東海道の原という宿場町に生を受けた白隠禅師は、幼少のある時、お風呂で突然泣き出しました。風呂を沸かす火の音を聞いて、お寺で話の出た地獄を思い出したからです。

虫や魚の殺生をしてきた自分も、輪廻転生で地獄に落ちるに違いないと思い込んでいたわけですが、地獄という死に対しての恐怖を逃れるためお坊さんになることを決心します。そして15歳の時、地元の臨済宗の小さなお寺・松陰寺に預けられ、慧鶴(えかく)という僧名を頂きます。

こうして修業に励むわけですが、地獄から逃れたいために出家した慧鶴にとっては、なかなか修業に身が入りません。そんなあるとき、自らの足にきりをさして眠気と闘いながら修行をした人の話を本から知り、各地に良い師を求めながら再び修業に励むことになります。

そして自分ほどこの悟りを究めた人間はいないとうぬぼれるわけですが、24歳のとき信州飯山への旅でその後の人生が大きく変わることになります。ここで出会った生涯の師、道鏡慧端(どうきょうえたん)という、人びとから正受老人と呼ばれていた禅僧からこっぴどくやられてしまいます。

六十四歳の正受老人に二十四歳の雲水が胸ぐらを捕まれ、殴られ蹴られ、参禅のたびに「どぶねずみ」「穴蔵禅坊主」と罵倒されるのです。そんなここでの体験は、慧鶴の人の好い坊ちゃん気質を大きく打ち砕かれることになり、約半年余りの滞在でしたが、苦労の甲斐あって、ある雨の日の托鉢中に老婆に箒で殴られた途端、大きな悟りを開いたと伝えられています。

こうして84歳でその生涯を閉じるまで、元の松陰寺に戻ってから白隠と名乗り、臨済宗の中興の祖と呼ばれるまでになるわけですが、42歳のときから多くの禅画を描いた書画や本格的な著作を始め出したと言われています。

多才な一面が表われ始めたものですが、そうした手法により単なる弟子の養成ばかりでなく、晩年まで檀家や信者との結びつきを強めたとも言われます。それは作品に見られる圧倒的に個人に向けた表現が多いからです。

またそればかりでなく、殿様への叱責があったり、庶民への励ましもあり、その説法の相手も内容も、ほとんど無制限といえるほど広いと言われているくらい、あらゆる人々に接し、その人に応じた教えを説いていたのではないでしょうか。

こうした第2部のお話を聞いていた中で、私の胸に大きく突き刺さった話が次に挙げることです。人間の死ということですが、この身は死すると残るのは骨だけです。あとの血や肉などは蒸気となって大気中にばら撒かれます。

その人間が生前中、多くの動物や植物に命を頂いてきて生命の保存ができていたわけで、亡くなると骨となって地中の肥やしや栄養分となったり、天に昇っていく蒸気が大気中の雨などを降らせることができるわけです。

つまり人間は亡くなってみて初めて、今までに頂いてきた多くの命のお返しができるということです。このことは初めて聞いたことでもあり、自分にとって死というものをある意味で納得させられるものでした。人間は死んだらどうなるのだろうと、幼き頃から常に頭にあったことですが、死んで初めてお返しができれば少しは気が楽になるようにも思えました。

2017.10.03

白隠禅師没後250年 No.2946

 「駿河には、過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とも謳われている、白隠禅師が亡くなられてから今年は250年とのことです。先の日曜日、久しぶりに家内と共に静岡の方へちょっと足をのばしてみました。

静岡県立美術館で開かれている「井伊直虎から直政へ」の展覧会を覗きながら、夕方から清水のお寺で予定されている、「白隠さんに因んだ演談とト-クの夕べ」というものに行きたかったからです。

この催し物には日頃お世話になっている取引先の会長の奥様が出演されると聞いていたのと、またお寺のご住職とも以前、一緒に宴席を共にしていたこともあって楽しみにしていたのです。

第1部は「子育て白隠」という朗読劇(動読)です。臨済宗中興の祖と呼ばれた、白隠さんのこんな一面を知らせる朗読劇ですがちょっとその内容を紹介します。

白隠が復興させた地元のお寺・松陰寺の檀家でもある、近所の夫婦の娘が突然子どもを身ごもります。しかし親がいくら尋ねてもその子の父親の名前を明かそうとしません。

執拗に問い詰める両親にたまりかね、ある日娘はその相手が白隠さまですと告げます。信頼しいろいろな教えを乞うていた白隠がその相手と知って、驚き裏切られたような思いで父親は子どもが生まれると、お寺を訪ねその子を引き取れと放り出します。

受け取った白隠は「ほお、そうか。」と一言だけ呟いてその子を育て始めます。それからというもの、彼は出掛けるたびにどこへでも連れていき、雨や嵐の日でも近所の家々に乳をもらいにいく日々を過ごしていました。

そんな姿に弟子の多くは堕落したと思い、白隠のもとを去っていったが彼は一言も言うことはありませんでした。その白隠の姿に娘は申し訳なさで居ても立ってもいられなくなり、父に本当のことを打ち明けます。

白隠が子どもの父親でないと知った娘の父は、申し訳なさでいっぱいになり、そのもとへ謝罪に出掛けます。そしてひれ伏しながら子どもを返してもらうのですが、聞いた白隠は「ほお、そうか。」とたった一言口にしただけというお話です。

普通なら自分の子どもでもなければ違うと言うでしょう。でもこの嘘をつかなければいけなかった、娘の追い詰められた気持ちが解っていたゆえ、一切の弁解することなく、たった一言「ほお、そうか。」と言って受け入れたのです。

そして周囲の非難や中傷には一切耳を貸さず、ただ子どもの命を繋ぐことだけを考えて毎日を過ごしました。自分の名誉や肩書より子どもの命の大切さを考えることができた人だったのです。

自分のエゴ(欲)やマインド(思考)に振り回されることなく、今、目の前にある大切なことをやるというのが白隠さんの生き方だったのです。あるものを貪る欲を抑えてそのまま受け入れるという、座禅和算にある、「布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修業等 其品多き諸善行 皆この中に帰するなり」この言葉そのままですね。

また第2部として行われた「白隠さんが伝えたかったこと」というト-クも素晴らしかったので後日お伝えしたいと思います。

2017.08.23

ちょっと良い話135 No.2945

 こんな良い話を見つけました。歌手の松山千春さんが皆さんの困っているのを見かねて咄嗟にとった行動です。この行動に対し、多くの人たちから「神対応」と呼ばれるほど、称賛の声が挙がっているそうです。

ANA(全日本空輸)の札幌(新千歳)発、大阪(伊丹)行きの便は2017年8月20日、出発予定時刻の11時55分を過ぎても、動かないままだった。翌日ANAの広報担当者に取材すると、飛行機の出発時刻は13時3分まで遅れていたことが分かった。約1時間、乗客は機内で待機を余儀なくされていた。

同担当者によると、理由は保安検査場の混雑だった。大渋滞を起こしていたという。「機内のお客様にお詫びのメッセージを流していました」乗客の1人は21日取材に応じ、機内の雰囲気について「機内はピリピリした様子でした。また、遅延の理由が保安検査場の混雑によるものでしたので余計に私を含めた乗客はイライラしていたと思います」と振り返った。

だが出発時刻から1時間が経とうとする12時50分頃、乗客たちはある有名人の登場で度胆を抜かれることとなる。シンガーソングライターの松山千春さんが突然、客室乗務員用のマイクで乗客に話し始めたのだ。乗客の1人によると、松山さんは「滅多にこんな事はないんです。皆さん頑張ってますから、もう少しお待ち下さい」などと語りかけ、自身の楽曲「大空と大地の中で」の冒頭部分を歌い出した。

「果てしない 大空と 広い大地の その中で、 いつの日か 幸せを 自分の腕でつかむよう」松山さんは歌い終わると、「皆さんのご旅行が、またこれからの人生が、すばらしいことをお祈りします。もう少しお待ちください。ありがとうございました」と話し、拍手喝采が巻き起こった。

乗客の1人によると、「歌われた後は、場はなごみ、乗客のいらだちが歓声に変わって、即席コンサートのようなものになってました」という。取材に応じた乗客たちは皆一様に、松山さんに感謝の弁を述べた。 「それまでの事は何処かに吹っ飛んで、旅のエンディングが素晴らしいものになった事に、感謝でしたね」

「私たち乗客のいらだちを和ませようと、大変粋なはからいをしていただき、感動いたしました。機内にもかかわらず、コンサートのようで僅かですがとても楽しい時間を過ごさせていただきました」ANAの広報担当者も取材の際、「松山様のご厚意に感謝申し上げたい」と話していた。

その後、松山さんは飛行機を降りたその足で、同日夜21~22時に放送される番組の生放送に出演するため、OBCラジオ大阪のスタジオに向かったそうです。そして番組の中でもこのことに次のように触れました。

「機長からアナウンスがあり、保安検査が大渋滞になっていて、この便に乗る予定の方々が巻き込まれてしまい...(中略)そうか~皆頑張ってあそこに並んでな、待っているんだな、みたいなね。それにしても遅いな、みたいなね。段々雰囲気が悪くなるんだよ、分かるべ?機内の雰囲気が悪いんだよ(笑)」

松山さんはそこで、立ち上がって客室乗務員のところへ行った。「『すみませんが、みんなイライラしています。マイクを貸していただけますか』って言ったら、キャビンアテンダントの方が『機長に伝えますので』。そしたら機長さんからOKが出ました。『じゃあ、ここを押して話してください』」

そして、「千歳発伊丹行きにご搭乗の皆さん、松山千春です。もうシートベルトされてから1時間以上も経つ。いらだつでしょう、むかつくでしょう。しかし、安全に飛んでくれることを自分たちは信じていますし、皆苦労していますから待ちましょう。『旅は道連れ』ですから、一緒に旅行を終えましょう...と言って、『果てしない 大空と~』と歌ったんだよ」という。

松山さんはそこまで振り返ると、「おれね、歌い出してから40年以上経つけど、キャビンアテンダントのマイクで歌ったの初めて(笑)」と苦笑いし、 「おれも出しゃばったことしているな、と思うけどさ、皆の気持ち考えたら、何とかしなきゃ、みたいな。機長さんよく許してくれたな、と思うわ。うそみたいな、話でした」と締めくくった。

こうした咄嗟の機転で乗客の方々はさぞかしイライラが解けたのではないでしょうか。臨機応変、プロならではの嬉しい配慮ですね。逆にこのことがあったお蔭で、乗客の方々はきっと居合わせてよかったと思ったのではないでしょうか。

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