会長の”三行日記”

2011年06月

2011.06.30

褒めるのか、叱るのか No.2036

褒めて伸ばすのか、また叱って鍛えるのか、教育や指導についてはいろいろと考えさせられるものです。特派員メモとして、新聞にもアメリカの日本との違いについて、触れていました。
 
それによると、特派員の中学生の息子が地元の野球チ-ムに入っているそうですが、アメリカでは良いところを見つけて、盛んに褒めようとしているところが見られているとのことです。
 
やはり日本同様、親たちも熱心で一緒に応援するのですが、ちょっとその応援風景に違いがあるようです。ヒットやファインプレ-にはもちろん大歓声なのですが、空振りでも「グッド・スイング!}。またエラ-した子に対しても「グッド・トライ!」と叫んでいるのです。
 
思わず笑ってしまったそうですが、やはりお国柄の違いなのでしょうか。この特派員も同じように書かれていましたが、かつて私も高校まで野球をやっていて、指導者である監督から褒められたような記憶はほとんどありません。
 
褒められるどころか、怒声を浴びせられたり、顔も見られないような態度に出会ったのは、しょっちゅうです。従って正直、現役当時、野球をやっていても楽しかったという記憶があまりなかったくらいです。
 
ですから監督の顔を見るのが嫌で、練習が始まってから、その途中で登場する時間がたまらなく嫌だったことをよく憶えています。でも今となっては良い思い出で、かつての監督であり恩師に当たる方とも、今では一緒に酒を酌み交わしたり、一昨年は尾瀬へのハイキングなどにも出掛けるほどです。
 
しかし、こうして歳を喰ったからこそ、分かり合えることなのですが、現役当時はそうはいきません。今になって考えてみると、もう少し褒められるというところまでは行かなくても、せめてあまりうるさく、ガミガミ言われない方がのびのびと、できたのではないかと思うことがよくあります。
 
本当に才能のある、野球漬けになっても大丈夫な選手には、事細かくうるさく言っても這い上がってこれるでしょう。でもそこそこの人間で、精神的にもあまり強くないような選手には、萎縮してしまって、かえって逆効果のような気がします。
 
ですから、対する人それぞれなのでしょう。でも指導者の方の苦労を思えば、そんなこともなかなか言えないかもしれません。甘やかすとつけ上がったり、辛抱や努力ができなくなる人間もいるからです。
 
このように、なかなか人を育てるということは難しいものです。ただ、これだけは言えると思うのですが、人は褒められると、とても嬉しくなるものです。ですから5つ怒られる中に、1つぐらい良いところを見つけて指摘してやるのもよいかもしれませんね。

2011.06.29

言葉は大切に No.2035

残り少ない日々、言葉は大切に」という、ちょっと身につまされるような投稿文を読みましたので、紹介させていただきます。
 
珍しく夫が私のジャケットを褒めてくれた。それも、洗濯を終えてハンガ-につるしたときにである。「京都の着物のような柄でとてもいいよ。センスがいいね」だって。「着ているときにそれを言ってよ」と言って大笑いした。

夫の言うとおり縮緬柄。でも正絹ではなく、ポリエステル100%の安物である。手触りと柄は本物そっくりで高価に見えるため、外出の時にはインナ-を替えて楽しんだ。

夫は老妻が日常どんなものを着ているかなど気にもしていないだろうと思っていたのに、ちゃんと目にとめていたのか、と嬉しかった。

お互いに高齢者。残された日々の言葉も限られてくる。いたわり励まし合うためにこそ言葉は使いたい。物忘れが進んでも「ありがとう」「おしあわせに」だけは覚えていたい。

今朝も趣味の山に出かける夫に、私は「ヨッ、万年青年、気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけた。

 
何とも、ほのぼのした夫婦の情感が伝わってきます。糟糠の妻という言葉があります。永年苦労して連れ添ったくれた妻のことを、そう呼ぶそうです。
 
投稿文のような、とても円熟した域にまで達してはいない当方ですが、教えられるところは少なくありません。まずお互い相手に関心を持つ会話についてです。
 
上記のように、相手がどんな出で立ちなのか、まず関心を持つことはもちろんですが、相手の変化に対しても見逃してはなりません。
 
例えば美容院に行って髪をきれいにしてきた後とか、目新しい料理を作ってくれたときの、こちらの対応についてです。まず気がついたら声に出して伝えなければなりません。
 
それが男というものは、気がついていてもなかなか口には出さないものです。永年連れ添っている、テレみたいなものがあるためでしょうか。「おお、ちょっと今日は綺麗だな」と思っていても、重い口が開きません。
 
これがまずいのですね。口に出さなくても、相手は分かってくれているだろうという思いは大間違いなのです。お相手はやはり、私には無関心なのだと思うしかないのです。
 
こちらはまだまだ、残り少ないというほどではないにしても、「いつまであると思うな、親と金」ではないのですが、我慢して連れ添ってもらっている間に、そろそろ、こちらも今までの習慣を改めなければなりません。
 
言葉に出しながら、ちょっとした気遣いをみせる、例えば親しき仲にも「ありがとう」という言葉を掛け合うことなどが、夫婦円満の秘訣ではないでしょうか。反省すること然りです。

2011.06.28

世界遺産登録 No.2034

小笠原と平泉が世界遺産に登録されました。人類の至宝とも呼ばれる、この世界遺産への登録は本当に喜ばしいことです。
 
2つのうち、小笠原はまだ一度も訪れたことがありませんが、平泉にはここ4~5年で2回ほど行かせていただきました。まず代表するのは何と言っても中尊寺です。金色堂でよく知られた中尊寺ですが、平安時代の後期、約百年続いた奥州藤原氏の初代、藤原清衡(きよひら)が建立したと言われているお寺です。
 
奥の細道で知られた俳人・松尾芭蕉の詠んだ、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」という句も、ちょうど今頃の時期、草いきれの高台に立ち、この地で非業の死を遂げた源義経らを偲んで生まれたとも言われています。
 
またこの中尊寺には3000点以上の国宝・重要文化財があり、今日まで私たちに守り伝えているとのことです。きらびやかな金色堂を除き、この中尊寺からは何とも言えない、東北の落ち着いた厳かな雰囲気が伝わってくるものです。
 
それからもう少し足を延ばすと、やはり素敵な毛越寺(もうつうじ)というお寺があります。越という字はつうとは読みませんが、”おつ”と読むことから、もうおつじとなり、それが”もうつじ”、”もうつうじ”と変わっていたようです。

毛越寺にある浄土庭園と呼ばれる庭園には、とても癒されたものです。大泉が池という、真ん中に位置する池に船が浮かべられていて、当時の平安衣装を纏った人たちが、池の向かい側まで優雅に漕ぎ出していました。
 
またその周囲には築山や州浜のようなものが設けられ、池に注ぐ小さなせせらぎには、句をしたためた色紙をそっと浮かべていたものです。ですから、ほとんど平安時代そのもののような雰囲気にさせて頂いたのが強く記憶に残っています。
 
こうした極楽浄土の世界を表現したと思われる庭園なのですが、やはり当時の3代続いたと言われる藤原氏の力が強かったのでしょう。それが義経と親しくなったばっかりに、源頼朝の怒りに触れ、滅亡への道を辿ってしまったのです。
 
そうした栄枯盛衰が、後にこの地を訪れた俳聖・松尾芭蕉の心に止まって、あのような名句が生まれたのではないでしょうか。とにかく一見には十分値する、素晴らしい地域です。是非これを良い機会として、被災地・東北振興に役立つことを何よりも願うものです。
 
また船で片道25時間半という、半端な距離ではない楽園・小笠原の地にも、是非一度は訪れてみたいと思っています。併せて固有種保全の為、外来種の持込禁止を貫くこの地が、今同様、いつまでも美しい自然遺産のままでいることを願っています。

2011.06.27

夏に向けて No.2033

高校野球夏の県大会の組み合わせが決まりました。我が方は16日の1回戦で浜松日体と当たります。島田球場で1回戦とは朝早く、選手にとっては少し厳しいものですが、そんなことも言っていられないでしょう。
 
この沼津東高野球部壮行会が、昨晩、保護者会主催により地元ホテルで開かれました。例年恒例となっているものですが、OB会からも代表の挨拶ということで、一言激励の言葉を述べさせていただきました。
 
まず年々出席するたびに思うことが、その規模がどんどんと膨らんでいることです。何しろ女子マネ-ジャ-を含んで、総勢48名の大所帯なのです。それにほとんど両親が加わっていることから、会場もそれなりの広さがなければ開くことができなくなっているのです。
 
3つほど激励の言葉を贈りました。まず自分の学校にプライドを持ちなさいということです。我が校は野球ばかり長時間やっているような学校ではありません。通常では19時半には完全下校となるような、もっと練習をやりたくても叶いません。
 
ですから練習量からしたら、強豪と呼ばれるチ-ムの比ではありません。それがいざ本番を迎えると、そうしたチ-ムに対しても、そこそこの試合になります。近年でも静岡学園、またその前には常葉菊川、そして創立100周年の時までさかのぼると、東海大翔洋との試合でも、あわやと思わせるゲ-ムにもなりました。
 
それは何なのでしょうか。やはりただ負けるわけにはいかないといった、学校としてのプライドがそうさせているのではないでしょうか。また戦後間もなくと言っても、かつては甲子園にも出場し、50年ぐらい前までは常に県下でも指折りのチ-ムとして、名を知られていた伝統の強さかもしれません。
 
それから”あきらめない”ということを言わさせていただきました。最近の若者の傾向としてはあきらめが早いところがあります。野球でも自分の判断で勝手に読んでしまうところが見られます。サッカ-のような時間に支配されているのならまだしも、野球は9回2死を取られても何が起こるか判りません。
 
それだけに最後まであきらめず、必死で喰らいついていくことです。そして高校野球の経験者なら誰しも感ずることなのですが、練習が辛くあれだけ嫌だった高校野球がもうやれないと思うと、その寂しさは半端なものではありません。
 
ですから1日でも長く、この高校野球をやり続けていてもらいたいと望みました。近年、我が県の野球レベルは以前ほど地域差や学校差がなくなっているように思えます。
 
ですがこの暑い中、6回も7回も勝ち続けていくのは、かなりしんどいことでもあります。勝負は時の運、また勝ち続けていくうちに、一戦一戦力をつけていくこともあります。それだけに、私たちOBのみならず、同窓生全員が待ち望んでいる悲願達成を是非、後輩達に託したいと思っています。

2011.06.24

日本がめざす節電とは No.2032

未曾有の大災害のあと、日本中で節電が叫ばれています。今まで我が国では、ずいぶんと電気の無駄使いが行われてきました。そういった意味では大変意義あることと思われますが、ただ節電、節電と叫ばれていて、その目的が明確ではないような気がします。
 
何と言っても一番の目的は、ピ-ク電力を抑えることにあります。これから暑い夏に向け、電力の消費はどんどんと増すことになるでしょう。そのときを迎えたとき、私たちが今までどおりに電気を使っていたら、その使用量は供給量を上回ることになります。
 
こうなったらどうなるでしょう。当然、供給先の電力会社からは送電がストップし、停電となり、私たちは電気を使えなくなるのです。これが一番怖れることなのです。
 
こうならない為の節電を呼び掛けているのですが、いつの間にか、何でもかんでも節電という世の中の動きになってきました。こうしてそこまではやらなくてもよいものまで、必要のない所まで電気の需要を抑えるようになってきました。
 
例えば一般道路のトンネルの中は真っ暗です。また通常の道路の街路灯まで消されているため、先日のように夜、横断歩道を渡っていた老人に気が付かず、トラックがはねてしまったという、痛ましい事故まで起きています。
 
そしてもう一つ、何でもかんでも電気を使わなくなってしまったら、供給先の電力会社はどうなるのでしょう。電気を売って営業しているわけですから、当然その営業収入は減ることになります。
 
そしたら今一番騒がれている東京電力など、どうなるのでしょうか。つい先日、避難住民に対する原発の被害補償に一人当たり12万円の支給などが決まりました。それだけで1000億円近い金が必要となってくるのです。
 
もちろん他のいろいろな補償を考えたら、とても東電一社だけでは対応はできないものでしょう。従って国のバックアップがあると言っても、企業ですから採算が合わないときは当然、その売り価格に反映させなければなりません。
 
こうして私たちが一番嫌がる、電気量の値上げに繋がっていくのです。私はだからと言って決して東電の肩を持っているわけではありません。東電が企業として存続していく上には、やはり採算ということを考えなければいけなくなり、電気が売れなければ原料高の影響もあって、高くせざるを得なくなるからです。
 
ですから目指すべきものはただ一つ、夏のピ-ク電力を抑えることにあるわけです。このためにエアコンの使用をやめるとか、それぞれの明確な課題が出てくるわけです。その目標が明確でないと、やっぱり暑いからと言って、みんなが一斉に使い始めたら今まで節電してきた意味がなくなってしまいます。
 
これでは全く本末転倒な話になってしまうわけです。自分たちのことで精一杯に見える政府も、もっと国民に、こうした意味を解りやすく説明する必要があると思うのですが...

2011.06.23

マキロイの強さの秘密 No.2031

今週もあまりはっきりしない天気でパッとしませんね。今朝も東北では震度5弱の地震がありました。なぜ東北だけと、本当に気の毒になってしまいますが、早く一連の動きが収束してもらいたいものです。
 
さて先日全米オ-プンに勝った、ロリー・マキロイ選手の記事を少し読みました。こちらはちょっと勘違いしていたのですが、記事からとても裕福な家に生まれついたわけではないことを知りました。
 
彼を支えてきたのは、何と言っても両親でした。父のジェリーは自宅近くのハリウッドGC(北アイルランド)で、午前中はクラブの掃除、夕方はバーテンダー、さらに夜はバーの裏方を務めるなど、3つの仕事を掛け持ちしていました。
 
そして母のロージーは近所の工場で夜勤に従事し、1歳でゴルフクラブを握った息子のために、日々懸命に働いてきたそうです。ですから母は毎日夜遅くまで働いているし、父も仕事でほとんど家に居なかったため、彼は日本で言う、かぎっ子だったかもしれません。
 
でもそんな両親が、マキロイのゴルフについては、とやかく何も言うことはありませんでした。ですから彼が「今日の優勝は、両親のおかげ。ここにいる父と母国で優勝を見守ってくれた母にこの栄冠を捧げたい」と何を差し置いても言うわけです。
 
私のような門外漢が考えるに、普通幼少の頃からゴルフをやっていると言えば、誰しも裕福な家に生まれ育っているからだと思います。でも現実には違っていて、ハングリ-な部分も潜んでいるのですね。
 
ある意味では、両親が小さな頃から自分の子どもに秘めたものを見抜いていたとも言えるわけです。そしてそれを伸ばす為に、苦労も厭わず頑張り抜いてきたのでしょうね。
 
やはり子を思う親の心には凄いものがあるものです。日本の石川遼君だって同様なことが言えるのではないでしょうか。ただ二人を比べた場合、違うのは修羅場を潜った経験の差ではないでしょうか。
 
マキロイ選手は今年、マスタ-ズの3日目を終わって2位に4打差をつけて、一番優勝に近い位置にいました。それが守ろうとして攻撃性を潜めたのか、最終日に80を叩いて、優勝から遠く圏外の結果となってしまいました。
 
この経験が今回に大きく活かされています。あれだけリ-ドを保っていても、攻め続ける姿勢を貫き、逆に2位に大差をつける記録まで狙っていたと言います。こうした1つの失敗から次に大きく活かしていくことが必要となるわけです。
 
マキロイ選手同様、我らの遼くんもきっといつか成し遂げてくれるものと思っています。それにはただ順風満帆に突き進むだけでなく、たまには大きな壁に当たることもよいかもしれませんね。とにかく若い人の活躍はフレッシュで見応えがあるものです。

2011.06.22

バッテリ- No.2030

球児たちの夏が始まろうとしています。我が県は来月9日からこの熱戦の火蓋が開けられるものですが、被災地でも復旧活動の中、例外でなく、この夏に挑まなければなりません。将来、この甲子園を目指す少年たちの、こんな悲しい出来事が紹介されていました。
 
東日本大震災の大津波で、宮城県石巻市の少年野球団「釜小ヤンキース」の団員2人が死亡し、1人が行方不明になった。投手の沢田佑(たすけ)君(11)=5年生=は震災のショックで同市立釜小から転校し、一時は野球をやめようとした。

思いとどまらせたのは、亡くなった捕手の松川空(そら)君(10)と交わした誓い。「空と一緒に野球をしたい」。沢田君は松川君の分まで野球に打ち込もうと捕手にポジションを換え、白球を追う。

いま、あなたの宝物は何ですか?「バッテリーを組んで、6年生の県大会で優勝しよう」。沢田君と松川君は4年生の時から誓い合っていた。「空は自分が投げたいところにサインを出してくれた」と沢田君が話すように、2人は練習でも学校生活でも息の合った仲間だった。

だが、大津波で松川君と鈴木秀和君(当時6年)が死亡し、島悠菜さん(同)が行方不明になった。沢田君は自宅にいるところを大津波に襲われ、2階に逃げて無事だったが「家が船のように浮かんで400メートルくらい流された。近くの家も流されて周囲は湖みたいになった。怖かった」と振り返る。

震災後、沢田君は「空がいないので野球はできない」と感じ、ボールを遠ざけた。「波が来ない学校に行きたい」と家族に訴え、港から約2キロ離れた母親の職場に近い市立山下小に転校した。

沢田君に再びボールを握らせたのは、松川君だった。松川君の自宅を焼香で訪れた時、松川君の母や祖母から「佑君は空のために野球を続けてね」と言われた。その後、団長からは「みんな生きているんだから頑張ろう」と励まされ、団の練習を再開する方針を伝えられた。

5月1日に行われた松川君の告別式。沢田君は泣くのをこらえながら別れの言葉を振り絞った。「空、元気か。おれは元気だ……。気持ちが切り替わった。空と一緒に野球をしていきます」

沢田君は釜小ヤンキースに戻り、グラウンドでは生き生きとした表情で練習に励む。「野球をしていると、どんな球でも捕ってくれた空のことを思い出す。それでも今は野球ができて楽しい。空の分まで頑張りたい」。沢田君は再び親友と誓った。

 
野球でバッテリ-と言ったら、それこそ捕手が女房役と言われるくらい、切っても切れない仲です。よく少年時代のバッテリ-がそのまま高校、大学と進み、活躍している例も少なくありません。
 
それだけに、この掛け替えのない相棒を失ったショックは半端なものではないはずです。今回の予期せぬ大災害はこんなところにまで影響が及ぼしているのです。でも立ち止まっていては何も変わりません。是非もう一度勇気を奮い立たせ、しっかりと夢の目標に突き進んでもらいたいものです。

2011.06.21

プロ野球交流戦から No.2029

1ヶ月以上に亘るプロ野球の交流戦が終了しました。ソフトバンクが圧倒的な勝率で、セパ交流戦の優勝を飾ったわけですが、毎年、なぜかパリ-グの圧倒的な優位が示される、この交流戦です。
 
今年で7年目を迎えるわけですが、過去の優勝は全てパリ-グで、一度もセの球団が優勝していません。今年の結果も全144試合で、パの78勝57敗9分けだったそうです。
 
この原因はいったい何でしょうか。1つにはパのチームは各球団とも、エ-ス級の投手を2,3人揃えていることです。ざっと眺めただけでも、ソフトバンクには和田、杉内、西武は涌井、帆足、そして日ハムはダルビッシュ、武田勝、また楽天には田中とケガで出場できないがエ-ス岩隈、ロッテは唐川、成瀬と、好投手の役者が揃っています。
 
一方、セリ-グを見渡してみると、安心して任せられる投手が1人ぐらいはいますが、2人以上となるといまいち心もとないものです。
 
こうしたことに加え、2連戦の各カ-ドがいっそうパに後押しをしているように思えます。上記のパリ-グ投手のうち、ソフトバンク・山田を含む8人が何と防御率1点台なのです。これは1試合9イニング換算で2点は取られていないということなのです。
 
それではなぜこのように、好投手がパに集まっているのかというと、セとは違う指名打者制が1つにはその理由に挙げられるのではないでしょうか。
 
この指名打者制では投手はバッタ-ボックスに立たなくてもよいため、セリ-グのように、接戦の土壇場で投手に代打を送って代えなくてもよいからです。ですからその内容がよければ、8回や9回まで投げさせることができます。
 
こうした環境が明日に繋げる、若手投手を育てている原因にもなっているのではないでしょうか。やはり投球機会が多ければ多いほど経験を積めるというものです。
 
それからもう一つ、今シ-ズンから実施されているセパ両リ-グの統一球も、少なからずその要因になっているのではないでしょうか。統一球はご存知のとおり、以前よりボ-ルが飛ばなくなりました。
 
従って打者より投手の方が条件が良くなり、好投手を揃えているパの方が有利とも言えるのです。こうなってくると、セが勝つのには良い投手を揃えて、守りを強化しなければならないということになるわけです。
 
こうした結果からではないでしょうが、セの一部有力チ-ムのご意見番が、必ずしもこの交流戦を評価していないように思えます。例によって、自分のことしか考えない身勝手さからだと思われますが、プロ野球の魅力がこの交流戦により増しているのは事実です。
 
無視すればよいことでしょうが、有力選手を金の力で集めてみたところで、必ずしもその結果に結びついていない現状からも、もっと日本プロ野球の発展という、大きな視点から物事を考えてもらいたいものです。

2011.06.20

高速道路割引制度終了 No.2028

毎日、朝早くからテレビにかじりついて眺めていた全米オ-プンも、22歳のロリー・マキロイが圧勝とも言える、堂々たる優勝を飾って幕を閉じました。何と2位に8打差をつける16アンダ-という、驚異的なスコアで優勝したのです。
 
しかも初日から独走という形でトップを走り続け、とうとう4日間危なげなく完結したのです。一部の人がテレビで全米オ-プンというよりは、全遼オ-プンではないかと皮肉っていたテレビ放送だったかもしれませんが、我らの遼くんも、このマキロイのプレ-を見ていたら、まだまだ課題が少なくないようです。
 
さて昨日の19日で、高速道路の日曜休日上限1000円の特別割引が終わってしまいました。その最終日の昨日は各地、最後の割引でと、だいぶ遠出した車で賑わったようですが、いざ終わってしまうとなると、もう少しその延長を望みたくなるものです。
 
できればこの制度を使って、北陸や新潟の方にまで足を延ばしてみたいと思っていました。何しろ1000円というのは魅力ですからね。この割安感から高速道の各地SAやPAでのレストランや売店は、だいぶ潤ったようです。
 
でも、この廃止財源が東日本大震災支援に回されると聞けば、何にも言えなくなるものです。またこの被災者の方々には、新たに今日から東北道などが無料になる制度が開始されるとのことです。
 
そして中型以上のバスやトラックも同じく無料になるそうです。このことは被災者の便宜が図れるのはもちろん、全国から東北へ向かう観光地振興や支援にも繋がることができます。
 
大変良いことではないでしょうか。振り返ってみれば1000円割引制度を使い、家内の実家はもちろん、その先、高松や松山の道後温泉、そしてしまなみハイウェイまで足を延ばすことができました。
 
そう考えると、この制度がなかったら果たして行けたかどうか、分かりません。ですから、ずいぶんとその恩恵を受けたとも言えるわけです。また先日、小田原に出掛けた際、1年間の無料化社会実験の対象道路となっている箱根新道にも、20日から無料化終了との掲示がありました。
 
もっともこの箱根新道は1ヶ月は有料になるものの、その後はまた無料道路になるそうです。このため、立ち寄った箱根のそばの売店は、ちょうどその日で店じまいとのことでした。
 
有料道路でなくなると、いろいろな補助がなくなるからでしょう。お客様感謝とうたって、その日は割安で食事ができたのですが、長いこと親しまれてきただけに、名物の箱根のそばがなくなるのは寂しいものです。
 
こんなところにも思わぬ余波があるもので、1つの制度が変わることにより、いろいろな人たちに対してそれなりの影響があるものです。

2011.06.17

夢を持ち続ける No.2027

栗城史多さんという若い登山家がいます。夢を持てないという若者や、そんなことができるはずがないと思っている大人の方には、この人の挑戦を是非知ってもらいたいと思っています。
 
栗城さんは世界一高いエベレストで、単独無酸素登頂に挑んでいる方です。また登頂の間でも、自らカメラを回し、極限の状態にいる自分自身の姿を世界へ同時発信しています。
 
そんな前人未到なことに挑む栗城さんでも、かつてはニ-トと呼ばれていて、生きる気力さえ失いかけていたと言います。そんな彼からの、私たちみんなへのメッセ-ジを少し紹介したいと思います。
 
まず山に登ることだけが目的ではないと、次のように語っています。「僕が目指しているのは冒険の共有です。登頂することも大事だけど、それ以上に登るという困難な過程をみんなで共有したい
 
エベレストの単独・無酸素登頂はこれまでに一人しか成し遂げておらず、重さ4キロの送信機を8000m地点まで持っていき、ビデオカメラを回すというのはその労力はもちろんとして、膨大な資金と人力が必要となります。
 
企画の段階から、たくさんの人と出会い、輪が広がっていくのがうれしい。僕がやろうとしていることは、一人じゃできないことだから」。特に山に興味があったわけではなく、高校卒業後は夢も目標もないニ-トでした。
 
そして始めたきっかけも、山好きな彼女にふられたからだと言います。世界第6位のヒマラヤ・チョ・オユ-に登る前、ニ-トや引きこもりの人たちから「登れるわけがない」という、否定的なメッセ-ジが寄せられたそうです。
 
でも一度は頂上手前で断念し掛かりましたが、3日後に再出発、見事頂上を極めた後に、彼らから届くメッセ-ジは否定でもおめでとうでもなく、ただ「ありがとう」というものでした。
 
そして昨年のこのエベレスト挑戦には失敗したものの、決して下を向かず、こんな素適なメッセ-ジを贈ってくれました。「成功の反対は失敗じゃなくて、何もしないことだと思う。”できない”という壁は自分が勝手につくり上げているもの。僕はそんな幻想を打ち破りたい
 
そしてさらに「苦しみは立ち向かうと、さらに苦しくなる。逃げても追っ掛けてくる。だから受け入れるしかない。そして苦しみに感謝する。すべてを受け入れると、うまくいくんです
 
そして「誰もがそれぞれのエベレストを持っているし、生きることそのものが冒険だから」という、栗城さんからの味わい深い言葉です。私たちも「ありがとう」という言葉に、背中を押されて前に進めるような生き方を工夫していきたいものです。