社長の三行日記

2012.02.29

人間ドック No.2166

昨日の午前中は人間ドックに入ってきました。毎年、誕生日の近辺で実施しているものですが、今年は例年以上に、1月からお付き合いの飲み会が多く続いた関係で、検査結果を心配しながらの検診でもありました。
 
でも細かな検査結果は後日郵送されてくることと思いますが、検診後の先生のお話では心配するほど結果は悪くなかったようで、一安心しています。
 
人間ドックは採血や視聴力検査、心電図、眼底写真等、一連の流れで進められていくものですが、最初に血圧とともに身長、体重の測定があります。
 
この身長について例年感ずるところですが、毎年自分の身長が縮んでいることに驚いています。何年か前までは174cmもあった身長が、数年前には173cmを切り、昨年は172.5、そして今年は何と172cmジャストなのです。
 
やはり老化現象なのでしょうか。若いときのように身長が伸びるのは嬉しいものですが、このように減っていくのはずいぶんと寂しいものです。
 
また、ここ数年そうした傾向にあるのですが、だんだん聴力が乏しくなっていますね。周囲の雑音が比較的多い場所ではよく音を聞き取りにくくなっているのです。
 
だからテレビなどを観ている時に、周囲の人の声や雑音がやかましかったりすると、よく聴こえなくなるわけです。従って家族からお父さんがテレビを観ているときは、音が大きいと言われるのも合点がいきます。
 
胃カメラについても、いつもそうですが知らないうちに眠ってしまい、目が覚めると終わった後なので全然苦痛が伴いません。また結果も毎年のように少しポリ-プが多いものの、良性なので心配は要らないとのことです。
 
こんなわけで、それなりの警告は発せられますが、お陰さまで大事に至るところまではいかないようです。こうした1つの自分自身の体に対する安心や、自信を持たせる意味が大いにあるのも人間ドックなのでしょう。
 
でも自信過剰は禁物、いつ何処でどんなことが起こるのか判らないのが人生です。日々こうして健康で元気に生かされていることに、改めて感謝して、歳相応の無理のない生活を送らなければと自戒しているところでもあります。

2012.02.28

首相の器その1 No.2165

日経ビジネスにあの人気者の解説者・池上 彰さんが首相の器について書いていました。2008年9月に突然、福田康夫さんが辞任してからたった3年半で、麻生、鳩山、菅、そして現在の野田首相と4人も首相が交代しています。
 
そしてその前の安倍さんも加え、現在の野田さんを含めなければ5人もの首相が短期政権に終わっています。このように日本のトップはなぜすぐ辞めるようになったのかというのがそのタイトルです。
 
未曾有の不景気、東日本大震災、東京電力原子力発電所事故、国際経済の危機。日本の政治が直面する問題の数と規模は、間違いなく戦後最大と言っても過言ではないでしょう。まさに、政治家の手腕が試されるとき。

そんな日本で、首相の器たる人間は、はたしているのか? そもそも首相とは、何か?
というのが政治学者の御厨貴・東京大学教授との対談で述べられています。
 
まず安倍さん以来、どの首相も1年前後で辞めてしまっています。福田さんが政権を投げ出したとき、御厨先生はそのインタビュ-で「日本の首相というのはここまで軽くなったのか」と嘆いていましたが、当時よりもさらに「軽くなった」印象すらあると言われています。
 
その前の安倍さんはお腹が痛いといって辞めてしまったわけですが、中学・高校生に政治の話をする機会があったとき、女の子が質問してこう聞いてきたそうです。 
 
「安倍さんはどうしておなかが痛いぐらいで首相を辞めたんですか?私は病気になっても学級委員を続けました」と。先生も思わず答えました。「あなたが首相になった方が良かったね」。 
 
そして民主党が政権を奪ってから、そのリ-ダ-シップが発揮されるようになったかというと、そういうわけでもありません。初代の鳩山さんは夢物語ばかり語って、最後には普天間の移設問題で余分なことを言って、自損事故のような形で退陣に追い込まれました。
 
そして、その次が菅直人さんですが、今度は「辞めない」ことが問題になった人です。菅さんが首相になって明らかになったことは、「不信任決議案が一度、否決されたら首相を辞めさせる手立てはない」ということです。
 
首相の座が軽い一方で、日本の首相は、本人が辞める気にならなければ、居座ることができてしまうものということが万人に知らされたのです。
 
元々首相というのは 余力を残して辞めるものでしたが、近年はいきなり政権を放り出す人もいれば、周囲が辞めてほしくても、首相の座に無理やり居座り続けようとする人もいるような、不測の事態の連続だと言われているのです。
 
まだまだその話の続きはあるのですが、次回またご紹介することにして、とにかく現在の政治家の中に首相の器を擁する人は稀有ではないかということです。これでは山積する問題にはとても対処できないのではないでしょうか。パフォ-マンスではない、明治維新の志を持った真の政治家が求められるものです。

2012.02.27

男子マラソンにも光明 No.2164

昨日行われた東京マラソンで、藤原新選手が日本人トップの第2位となる、素晴らしい走りを見せました。序盤から2時間6分台が狙えるような高速レ-スが展開され、しかも強いエチオピアやケニアなどのアフリカ勢に混じっての2位は堂々たるものです。
 
このレ-ス、25kmぐらいまでは、強いアフリカ勢の第1集団と、日本人有力選手を含む第2集団が分かれていましたが、その後、第2集団から藤原選手が飛び出し、第1集団への追撃を開始しました。
 
そして41kmを過ぎた辺りで、日本人選手では誰一人として敗ることのなかった、皇帝と呼ばれるゲブレシラシエを一気に抜き去り、ゴ-ル前でも、もう一人キプロティチ選手まで抜いて2位でフィニッシュしたのです。
 
この藤原選手、元々は実業団のJR東日本に所属していたのですが、練習方針が合わなかったことから退社し、その後、別の会社と契約を結びましたが経営難で昨秋、契約解除となったそうです。
 
ですから現在は無職の身、しかも奥さんの仕事の都合で奥さんと子どもは富山に住み、離れ離れの生活です。こうした苦難を乗り越えての今回の大飛躍なのです。
 
伝えるところによると、レ-ス中、本人の頭の中からは、この大会の賞金と副賞の車、そしてロンドン五輪への代表切符という3つが離れなかったと言います。
 
何しろ日本人1位には600万円相当のBMWの車が贈られるというのです。そして2位は400万円、3位は200万円の賞金が贈られるとのことですから、無職の藤原選手にとっては、張り合いがないわけではありません。
 
ですからこのことも、終盤の驚異的な粘りで、3位から2位へと押し上げた要因ではないでしょうか。そしてタイムも日本人選手では、4年ぶりに2時間7分台という、久しぶりの好記録を挙げることができました。
 
これでほぼロンドンも間違いないものと思われます。また期待されていた埼玉県庁の川内選手は、2回の給水失敗が響き、残念ながら14位と敗れ去ってしまいました。
 
でも福岡での成績のみならず、ロンドン五輪代表を確実にしようと、果敢にチャレンジしていった姿勢はたとえここで代表の座を失っても、評価されるものではないでしょうか。
 
こうしてみると、だらしないのが実業団の選手です。丸抱えで何不自由なく練習にも打ち込めるのに、いまいち結果が出ないのはなぜでしょうか。やはりハングリ-さが足りないためなのでしょうか。あまり環境面で満ち足りていても駄目なのですね。
 
とにかく、藤原選手の今回の活躍で、少し世界でも戦える可能性が見え始めました。でも世界は4分とか5分台の勝負とも言われています。それだけに、その名前どおり、高レベルの世界に向けて新たな挑戦を始めてもらいたいものです。

2012.02.24

ロシアのトイレ事情 No.2163

今日は臭い話で恐縮ですがトイレの話です。あるところで読んだのですが、ロシアのトイレ事情がだいぶ悪いと言われていました。
 
観光でもロシアを訪れる人たちは年々増えています。従ってこれからそのロシアを訪れようと思っている人に対して、一番大事な情報として提供していたのです。
 
ロシアと言っても、訪れる都市によっては気温が30度近くになるところもあります。暑いとすぐ水分を補給したくなるものですが、朝食の時など、暑くなくてもホテルでコ-ヒ-やロシアンティーを飲むことが多いものです。
 
こうしてホテルを出発する際、その前に必ずトイレに行きなさいと忠告しているのです。というのはロシアのトイレ事情は最悪とも言えるもので、街には公衆トイレが極端に少ないと言われています。
 
そしてモスクワには地下鉄も走るのですが、この地下鉄内にほとんどトイレがないというのです。また街の中に公衆トイレが少ないため、車などで出掛けた場合も大変とのことです。
 
モスクワ市内の道路は東京以上の大渋滞です。そんな中で催したらこのトイレを見つけるのが大変で、探している間に我慢できないという、最悪の事態も招きかねません。
 
首都・モスクワがこんなですから、地方に行くともっと大変とのことです。男性の場合は草むらでちょっと用足しもできますが、ご婦人となればそうもいきません。でもやっと見つけたトイレが、日本人では考えられないほど汚い、不潔のようなところが多いそうです。
 
また長距離の移動バスには、日本のようにトイレは設置されていることはなく、途中の道の駅のようなものやサ-ビスエリアがないため、考えられないようなことまでしているみたいです。
 
途中トイレタイムをとり、道路の脇にバスを止め、男性と女性がバスをはさみ、それぞれ両脇に分かれて用を足すそうです。まさに日本では考えられないことです。
 
よく中国のトイレがあまりよくないと言われていますが、このロシアに関しては私も聞くのは初めての話でした。昨日のネットでも、スイスの街中にある、ガラス張りのスケスケのトイレが紹介されていましたが、所変わればやはり品が変わるものです。
 
くれぐれも大事に至らないよう、出掛ける前にはきちんと用を足していかなければなりません。でもそう考えると、何も心配が要らない我が国・ニッポンに生まれてよかったですね。朝から場違いな臭い話題で失礼しました。

2012.02.22

山口・光市母子殺害事件 No.2162

山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で、当時18歳だった少年に死刑判決が確定しました。あれから13年になろうとしている今日、被害者の夫で、父親でもある本村洋さんはずっと被告にこの極刑を求め続けていました。
 
この結果を受けての本村さんはこう答えています。「遺族としては大変満足しています。ただ決して嬉しさや喜びの感情はありません。厳粛に受け止めなければならない
 
記者会見での本村さんは、この言葉に表されているように、至って冷静沈着でしっかりとしたコメントを話されていました。頭の良い人なのでしょう。
 
事件後、被害者の権利や地位向上を訴え、全国各地での講演活動などを通して、妻と娘の死を無駄にしないよう活動を続けてきました。それが実り、刑事訴訟法などの改正により、被害者・遺族などが法廷で意見を述べたり、裁判記録を閲覧できるようになったと言います。
 
ずいぶんとここまではその道のりが長かったことでしょう。事件は被告が本村さん宅に排水検査を装って侵入し、抵抗する妻の弥生さんの首を絞めて殺害し、強姦したというものです。
 
そして更に犯行の発覚を恐れて、泣き続けていた当時11ヶ月の長女を床にたたきつけ、首を絞めて殺害したのです。どうでしょうか、もし自分がその被害者遺族の立場だとすれば、きっと同じ気持ちを抱き続けるのではないでしょうか。
 
幸か不幸か、少年は当時18歳1ケ月の年齢でした。もしこれが1ヶ月以上前で、年齢が18歳未満でしたら、死刑適用を禁じている少年法の適用で、この判決はなかったのです。
 
今回の裁判は、改めて少年による凶悪犯罪を世に問うものになったのです。確かに少年の育った環境には問題がありました。幼少期から母親や自分に暴力を振るう父親や、中1のとき母親が自宅で首を吊って自殺したこと、さらに若い外国人女性と父親が再婚など、孤立感を強めていった家庭環境がそこにはありました。
 
でもだからといって、何の罪も無い本村さん親子をそこまで陥れることはないものです。もう一つ、裁判開始後、少年が知人に当てた手紙にこう書かれていたと言うのです。
 
被害者さん、ありゃ-ちょ-しづいてる。犬がある日かわいい犬と出会った。...そのまま『やっちゃった』...これは罪でしょうか?」冗談では全く済まされない、その神経を疑ってしまいます。
 
厳しいかもしれませんが、自分の犯した大きな罪は、やはり自分の死を持って償うしかないものと、本村さんが言われるように、厳粛にその刑を受け入れてほしいと考えています。
 
明日は早朝より、見積引き合い分の現場調査で出張するため、カキコミは休ませていただきます。

2012.02.21

バックネット完成 No.2161

キャンプインしてから3週間が過ぎ、プロ野球は練習試合やオ-プン戦など、いよいよ本格的な実戦モ-ドになってきたようです。巨人の大型補強や新星・中畑DeNAが目立っていますが、他の球団の意地を何とか見せてもらいたいものです。
 
さて、同じ野球でもこれは母校・沼津東高の野球部の話題です。昨年11月ぐらいから着工していた、バックネット改修工事がようやく完成し、去る6日に引渡され、そしてOB会主催で17日に安全とこれからの健闘を祈り、完成安全祈願祭が行われました。
 
当初はもう少しささやかに行うつもりだったのですが、学校側副校長や教頭(校長は出張中のため)、そしてこの工事立ち上げにつけ、いろいろとご尽力下さったOBでもある地元の県会議員、また同窓会から運動部支援委員長などのご列席も賜り、それなりに厳かに執り行うことができました。
 
この改修工事は全て県からの予算で、2100万円近い工事費が掛かったと聞いています。それだけに立派なものが出来上がったと思っています。そもそも発端は、三塁側上部に位置する民家にファ-ルボ-ルが飛び込み、いろいろと迷惑を掛けていたことが起因します。
 
この民家が作られたのが、グランドが出来上がった時期の後のことにしても、それは今のこうした時代ゆえ、許されないことでもあるわけでしょう。それゆえ、これからはこうした煩わしい問題も解消されるのではないでしょうか。
 
そしてこのバックネット完成を機に、やはり3塁側ブルペン後方に、網に囲まれた打撃ゲ-ジを作ることににいたしました。これは現役野球部からの強い要請があり、半分の額は同窓会の運動部支援資金から援助していただき、残りをOB会で負担するものです。
 
総額で400万近い金額になる工事ですが、施工していただくところも高校OBの会社の方で、有難いことに比較的安価で考慮していただいています。
 
こうして実施することになったのですが、一番の理由が現役選手諸君のバッティング機会が少なくなっていることによります。私もグランドにあまり顔出しできないせいか、よく知らなかったことなのですが、グランドを共有しているサッカ-やホッケ-部の練習があると、野球部はバッティングをやめているとのことです。
 
かつて現在の香陵運動場が学校の練習グランドであった私たちのように、ホッケ-やサッカ-に限らず、いろいろなクラブがひしめき合って練習していた時代では考えられないことですが、これも今の時代を反映してのことでしょう。
 
それと7時半には完全下校しなければいけない学校の性質上の問題もあります。また部員数の増加という要素も加われば、やはり少しでもこうした施設を作って、その機会を増やしてあげたくなるものです。
 
でもその機会が少ない割には、練習試合などでもよく打っているものと感じています。こうしたことから、少しでも打撃練習の機会が増え、効率よく練習できれば、元々は素質のある子どもたち、もう少し良い結果を出してくれるのではないでしょうか。
 
その期待を持ちながら、悲願達成の日が来ることを待ち望んでいます。

2012.02.20

乗客と鉄道側との攻防 No.2160

所変われば品変わる」という言葉が昔からありますが、新聞にインドネシアの鉄道列車についての記事がありました。何と列車の屋根に上る乗客が絶えないとのことです。
 
私はこのことは全く知らなかったのですが、数百人が屋根に座って走る、この光景は名物にもなっているそうです。でも鉄道会社としては至って危険極まりない迷惑な話で、その対策に追われているようです。
 
乗客と言うのかどうかは分かりませんが、屋根の上に乗る人々は無賃乗車やスリルを求めてなど、その理由はさまざまみたいです。
 
そこで会社側がとった珍作戦が紹介されていましたが、様々などうしても上りたい人たち(とりあえず乗客と呼ばせて頂きましょう)との攻防は面白く読ませていただきました。
 
1つめに試みた作戦は乗客に向かっての放水です。でもレインコ-トを着た乗客が続出して失敗に終わったようです。
 
次には滑って上れないように油を塗ったところ、鉄道側の車両管理部から、電気系統がショ-トして火事になるといって怒られたそうです。
 
そこで今度取った作戦は、線路にサッカ-ゴ-ルのような枠を設け、屋根ぎりぎりの高さに1ケ5㎏もあるコンクリ-ト球を吊り下げたのです。
 
こうしたところ、頭に当たったら死んでしまうとの苦情が相次ぎ、上がる乗客は激減しましたが、ヘルメットをかぶる強者も出てきたとのことです。
 
また現在、実験中なのが、「擬似トンネル作戦」といって、列車通過の際、屋根すれすれの位置に鉄板をつけた枠を設置する方法です。またそれでも駄目なら、汚水を浸したモップをつける悪臭作戦を考えているとのことです。
 
何かイタチごっこみたいで面白い話のようですが、2010年には43人、また11年は37人が屋根から落ち、併せて15人が死亡しているとのことですから、満更、笑ってもいられないことなのでしょう。
 
でも日本では考えられない話で、のどかで暖かな、南の国ならではのことではないでしょうか。

2012.02.17

山伏岳へその3 No.2159

    

2~3回は途中で滑って転んだでしょうか。それでも何とか頂上に辿り着くことができました。予定では15時ごろの到着でしたが、それよりだいぶ早かったのではないでしょうか。
 
山伏岳頂上には雪が50~60cmぐらいだったと思いますが、聞くと冬山のテント張りにはこの雪がないといけないと言われるのです。これは私たちの思っていたのと全く反対です。
 
一面に熊笹の茂る頂上で、それを覆いかぶせている雪がないと設営できないのです。設営候補地を見つけたら、今度は一同揃ってこの雪を踏み固めるのです。雪で見えなくなっていますが、もちろん平らな場所だけではありません。
 
へこんだところに雪を積み足し、ようやく幕張の開始です。写真のようなド-ム型のテントですが、使われているフレ-ムパイプなども軽量で折り畳みができ、実によく作られています。
 
また張るためのペグも竹製で、通常のペグのようにハンマ-などで打ち込むものではなく、雪を少し掘って埋めれば自然に周りの雪が凍って固定されるのです。

こうしてテントも無事設営され、まだ4時ぐらいだったと思うのですが、中に入り、早めの楽しい宴会が始まりました。宴会も11人全員が車座で会すことができましたから、テントも見た目よりずっと大きいものだったのでしょう。
 
重いのにわざわざ下げてきて頂いた純米吟醸の日本酒は、心地よいある種の征服感と安心感が手伝い、それはそれはおいしかったこと、言うまでもありません。こうして楽しい語らいと、やはり用意され配っていただいた山の歌集をほとんど歌い尽くした宴会は延々と続けられていったのです。
 
それでも始まりが早かったためか、もう夜遅いのではないかと思われた、シュラフに入っての就寝は、何とまだ8時を過ぎたばかりでした。お借りしたシュラフが良かったせいか、思っていたより寒くないのです。
 
こうして酔いも手伝い、眠りについたのですが、やはり慣れていないためか、ときどきは目を覚まします。そして外での風が吹くたびに、顔に雪のような何か冷たいものが落ちてくるのです。
 
てっきり、テントの隙間から雪が舞ってくるのかなと思っていたのですが、朝になってそれが大違いであることを知らされました。テントの内側が結露していて、風が吹きテントが揺れるたびにその水滴が落ちてきていたのです。
 
それとそんなにスペ-ス的には狭くなかったのですが、場所的にマットの下の地形というか、雪面が少し歪んでいたのでしょうか、あまり寝心地がよいものではありませんでした。
 
でも満点の星空が見えていたくらい、夜まで天気はすこぶる良かったし、これ以上の贅沢は言えないものでしょう。ですから何回か目が覚めた割には、気持ち良い朝を迎えたものです。

     

そして朝食後、テント撤収が完了次第、9時には下山を始め、途中蓬峠での休憩を挟み、12時前には無事下山できたのでした。帰路、ゆっくりとくつろいだ梅ヶ島温泉・黄金の湯は、もちろんこの上もなく気持ちよかったことは言うまでもありません。とにかくメンバ-のお陰で、山の魅力を堪能させていただきました。深く感謝しています。

2012.02.16

人の値打ちは行為できまる No.2158

釈尊の「四人の妻」という話を読みました。人間の値打ちはその行為で決まるというもので、以下紹介いたします。
 
ある金持ちの商人は四人の妻を持っていました。羨ましいなんて思ってはいけません。

第一の妻は、とても可愛くて利口でいつもそばにいないと安心できませんでした。

第二の妻は、美人で人と争って取った妻でした。

第三の妻は、互いに自由に話し合い、慰めあう間柄でありました。

第四の妻は、夫のためにただ汚れて働き続け女中同様の存在でした。

この商人が遠い旅(死出の旅)に出ることになり、それぞれの妻に同行を頼みますと、第一の妻は即座に、「とんでもない」と断わりました。

第二の妻は、あなたが好きで勝手に人と争って妻にしたのですから、せめて村はずれまで送ってあげましょうと断わりました。

第三の妻は、「そうですね、線香とお花位はあげてあげますよ」と答えました。第四の妻は、喜んでついて行くといいました。

旅人とはあなた自身のことなのです。第一の妻とは、肉体のことで一番いとおしいもので、死ぬ時はおいていかなくてはなりません。

第二の妻とは、財産とか地位のことで、人と争って得たものです。第三の妻とは、親族のことです。共に泣いて、線香を上げてくれても棺桶の中までの同行は無理のようです。

第四の妻とは”業(あなたの行為)”のことです。あなたの行為は、すべてあなたの心で決め行動したことです。これが最後の荷物ということなのです。

 
人は死んで、その肉体や財産・地位、そして親族も全て失うことになるのですが、その人の積み重ねた行為だけはいつまでも消えることなく、残されていくということです。
 
ですからお金や地位、名誉ではないのですね。善行は後世まで永遠に語り継がれることでしょう。また反対に悪行は死んでも消えることがないのですね。そう考えると怖い話で、お金や名誉はなくても、せめて他人から後ろ指を指されない生き方をしたいものです。

2012.02.15

渡辺謙さん No.2157

俳優の渡辺謙さんっていい人ですね。幾たびの困難を乗り越え、地球に戻ってきた、あの小惑星探査機「はやぶさ」を描いた映画「はやぶさ 遥かなる帰還」がこの連休中に封切になりました。
 
その初日、舞台あいさつにたった謙さんはこれまでの様々な思いがこみ上げ、胸を詰まらせ男泣きしたと伝えられています。情に厚い、人間味溢れる謙さんの一面を知り、好感が持てたものです。
 
というのも、この映画の撮影があの東日本大震災の後だっただけに、いろいろ考えていたようです。果たしてこのような時に、映画の仕事に自分がついてよいのかと。
 
でも苦難を乗り越えてふるさとに帰ってきたはやぶさのように、もう一度被災者にふるさとを見せてやりたいとの思いが強くなりました。震災より1ヶ月経ってから、謙さんは何度も被災地に足を運び、被災者を励まし、生きる勇気を与えたと伝えられています。
 
その数、何と3000人とも言われ、それぞれの方と語り合い、自分にできる役目は何か、常に考え行動に移していたようです。ちょうど阪神大震災のとき、その惨状を眺めても、急性骨髄性白血病と診断されていた自分に何もできなかったことも、強く影響を及ぼしているのでしょう。
 
そして災害を受けた日本にとって、この映画がどういう役割を果たし、自分たちに何ができるのか、という思いで撮影に入っていったとのことです。映画の中の素晴らしい研究技術者のように、幾たびかの苦難にもめげず、絶対最後まであきらめなかった、日本人がいたことを誇りに思い、伝えたかったようです。
 
またプロモ-ション活動にも自ら奔走し、63日間、世界中の各都市を回り数々の試写会を開催し、総移動距離4.2万キロとも言われています。その中にはスイスのダボスで開かれた世界経済フォ-ラムでも発言の場に立ち、絆の大切さと併せて、伝えられていない脱原発にも触れたとのことです。
 
嬉しいのは国内で真っ先に開かれた試写会は、被災地を選んだことです。ここにもその熱い思いが感じられます。はやぶさが運んだカプセルは小さな、小さなものかもしれませんが、届けた思いは謙さん同様、とても大きなものではなかったでしょうか。是非、映画の大ヒットを願いたいものです。
 
また謙さんの言われるように、2012年が新たな日本の出発の年かもしれません。

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