会長の”三行日記”
2012年02月
2012.02.14
山伏岳へその2 No.2156
連休の山伏岳登山の影響で、昨日は腿やふくらはぎの筋肉がパンパンで、今日もまだ階段を下りるのには大変です。慣れない冬山ということもありますが、自分が感じていたより結構、それなりに歩いていたのでしょうか。でも2日掛けての登山の方が歩くのは楽ですね。
ちょっとその詳細を振り返ってみます。日本山岳会会員でもあるお客様のS氏が、朝5時半に自宅まで迎えに来ていただいた車で、途中他のメンバ-と合流し、目的地の静岡・安部奥にある梅ヶ島温泉すぐ近くの、西日影沢登山道入口に着いたのが8時過ぎだったでしょうか。
お借りした慣れない、ちょっと大きめのザックに詰め替えたりするのに、ちょっと私が手間どってしまいましたが、メンバ-に自己紹介を済ませた後、ようやく一行の出発です。
目的地の山伏岳はやんぶしだけと呼び、2014mの高さです。通常では約3時間ぐらいで行けるとのことですが、そこは冬の山登りですから、そんなに早くは行けないことと思われます。
そしてこの日は山伏岳頂上でテントを張り、1泊することもあって、先頭のリ-ダ-は至ってゆっくりと歩を進めてくれていました。これでは無理がありません。
ワサビ田を横に見ながら進むと大岩と言われるところに出て、歩き出しておよそ2時間ぐらい掛けて到着したのが、写真の蓬峠です。ここから大谷崩れの山並みを眺めることができます。
行動食を少し口に含み休憩した後、軽アイゼンと呼ばれる4本の尖った爪が出ているものを貸していただきました。この峠から先がいよいよ雪道になるためです。
確かに日の当たる南側は雪も解けてないのですが、蓬峠から左に折れ登り始めは北側斜面のため、雪が凍りついているような状態なのです。メンバ-のベテランの方々は、このくらいでアイゼンを付けたら昔では叱られたというくらいで、装着などしませんでしたが、私は無くてはとても怖くて歩けません。
そんなわけで、慣れない雪の登り道をどうにか、こうにか皆さんについていきながら、何とか頂上に辿り着いたのです。それからのテントの設営や早目の宴会など、まだまだ楽しかった初めての体験がいっぱいありますが、また続きは後日、紹介させていただきます。
2012.02.13
山伏岳へ No.2155
この連休、山伏岳に登ってきました。仕事でもお付き合いのある、お客様から誘っていただいたことによるものですが、一行は総勢11名にも及ぶ1泊2日の登山です。
まず一言で言わせていただければ、参加して本当に良かったと思える、素晴らしい2日間の、生まれて初めての体験でした。事前から事細やかな準備のレクチャ-もあり、シュラフやエア-マット、ちょっと大きめなザックに至るまでお借りしての、おんぶに抱っこのような山登りです。
でもこの時期の山登りは全く経験のない、いわば冬山は初心者だけに仕方がなかったかもしれません。当初はそんな期待と不安が入り交ざった、正直、複雑な思いで挑んだわけです。
それというのも、友人からだいぶ脅かされていたのです。何しろ山でテントにも1泊したことのない自分ゆえ、まして冬の2000m級の山の上の寒さやその対策など、想像すらできなかったからです。
でも同行させていただいたメンバ-は皆、ベテランです。そんな不安など最初からどこかに吹っ飛んでいくようでした。山行きの詳細はまた後日、改めてカキコミさせていただきますが、とにかく素敵なメンバ-に恵まれたことと、2日間これ以上の天気はないと思えるくらい、絶好のお天気にも恵まれたのです。
お陰で写真のように、南アルプスもばっちり眺めることができました。また朝、山伏岳頂上からの、朝日が昇る富士山の景色も、言葉は何も要らないほど美しいものでした。
私自身、小さな失敗はないわけではありませんでしたが、この素敵な山の魅力に取り付かれそうです。でもこれもみな、テントなど用具の入った、100Lもの大きなザックを担いで登ってくれたり、至れり尽くせりの準備をして下さったメンバ-のお陰です。感謝以外の言葉が何もないものです。
2012.02.10
大モノ登場 No.2154
日本ハムに入団した凄い新人が頭角を現してきたようです。その名は大嶋匠さんと言って、昨年のドラフト7位で入団してきた捕手です。
それと出身が早大ソフトボ-ル部と言いますから、いわゆる野球出身者ではないのです。野球とソフトボ-ルは似たようなものですが、私たちが行うレベルならまだしも、選りすぐられた人たちの集まりであるプロの世界なのです。
この大嶋さんが何とキャンプでの紅白戦、初打席で初本塁打を放ったというのです。白組の8番DHで先発した大嶋選手は、カウント2ボ-ルからの初スイングで、特大のホ-ムランをバックスクリ-ンに運んだとのことです。
やはり栗山新監督が言われるように、何か持っているのでしょうね。それにしても、早大でのソフトボ-ル終了後、こうした準備のために野球の練習に一時期加わっていたというものの、それも大した期間ではないことと思われます。
そうした彼がプロ野球の世界に飛び込んできていきなり、こうした結果を出すというのはやはり人並みではないのでしょう。ソフトボ-ルの球はご存知のとおり、野球の硬球よりずっと大きいものです。
ですから当てるだけでは、ソフトボ-ルの方がずっと当てやすいとも言えるわけです。でもソフトボ-ルでも彼がやっていた使用球は、私たちが使うゴムではなく皮製のものです。
この皮製の球はゴムのものと違って、芯を外しては全然飛びません。そう考えると外見こそ違っていても、芯に当てるのには、やはり硬球と何ら変わりがないのです。
そして更にそれだけ重い分、力がなければ遠くまで飛ばないのです。大嶋選手は小学3年で軟式野球を始めた後、中学でソフトボ-ルに転向し、高校時代はインタハイ、国体で優勝したとも言われています。
そして早大時代はU―19全日本の4番まで務め、U―23ワールドシリーズでも優秀選手賞を獲得し、昨年は練習試合を含め13試合連続本塁打を記録したという、輝かしい球歴の持ち主です。ですから、やはりそれなりの力があるのではないでしょうか。
そして彼のユニ-クさはノ-ステップ打法です。これは多分、野球よりずっと近いところから、速い投球が投げ込まれるため編み出されたものと思われます。ステップしていたらスイングが間に合わなくなってしまうからです。
私も比べにもならないレベルでやっている一人として、ノ-ステップを目指しているのですが、なかなかこれができそうで、できるものではありません。ノ-ステップの方が上体もぶれないし、球をそれだけ長く見つめることができるからです。
従ってそれをしっかりと身につけている大嶋選手は、プロ野球の世界でも十分通用するのではないでしょうか。とにかくフアンに対し、最初にサインした言葉が「初球ホ-ムラン」とのことです。その言葉どおりに実現できるこの選手は、きっと大モノには違いないでしょう。
2012.02.09
海底トンネル事故 No.2153
残念ながら7日、倉敷のJX製油所で海底トンネルの工事中、事故が起こってしまいました。海底トンネルの掘削中、海水が吹き出たことにより、未だに5人が行方不明となっている事故です。
この工事はB工場と呼ばれる、旧ジャパンエナジ-と、水島港をはさんで対岸にある、旧新日本石油精製のA工場を結ぶ、約790mの海底トンネルの建設です。
B工場側で直径11メ-トルの縦穴を約30mの深さまで掘り、そこから直径4.5mの横穴を対岸に向けて掘り進むもので、いわゆるシ-ルド工法と呼ばれるものです。
このシ-ルド工法は日本が世界に誇れる技術で、海底トンネルの他、地下鉄や下水道、地下道路など、トンネル工事に一般的に使われている工法です。
テレビの解説で知ったのですが、円筒形の大型重機の先にドリルがあり、横穴を掘り進めていくと同時に、掘った後のトンネルの壁に後方からリング状のコンクリ-トを押し出し、隔壁を固めていくやり方です。
この工法が世界でも日本が飛び抜けていると言われるのは、元々軟らかい地盤が多い国内でも安全にこの作業が進められており、イギリスとフランスを結ぶ地下トンネルなど、世界中で難関工事に携わり、実績を積み重ねているからです。
それでは今回はなぜ?という疑問が湧いてくるものですが、一部には隔壁がコスト削減で少し薄かったのではないかとも言われています。
この水島のJXの工場には、弊社の人間も別の仕事で出張しており、全く他所事とも思えない出来事です。行方不明者の捜索も油など不純物が海水に混ざっているため、なかなか、はかどらないようです。
できればその無事を祈りたいものですが、何しろ時間が経ちすぎているのが気になるところです。今、いろいろな工事の施工について、以前よりずっと強く安全というキ-ワ-ドが叫ばれているものです。
従って私たちが向かうお客様の工事でも、必ず安全朝礼などが実施され、こうした事故が起こらないよう細心の注意が払われています。
確かにそうした私たちの工事に比べれば、ずっとリスクの高い高度な仕事には違いないでしょうが、それだけに準備も怠らないはずです。尊い人命に関わるだけに、コストより安全、もっと細心の注意を払ってもらいたいものです。
2012.02.08
今日限りの人生 No.2152
もし今日一日しか生きられないとしたらどうでしょうか。おそらくやり残しのないよう、精一杯この日を努めることでしょう。ある書にこんなことが書かれていました。
1日が30日重なると1ヶ月、1ヶ月が12重なると1年、そして1年が数十回重なると人間の一生であります。人間の一生をこう考えてみますと、所謂一日一日の積み重ねであります。
この一日をどう生きるか、どう過ごすかがそれぞれの人生の全体像ではないかと言われているのです。またお釈迦様について次のようなことが書かれていました。
お釈迦様が弟子達に向かって「人生とは、どの位の長さだろうか」とおっしゃいました。ある弟子が即座に「50年」と答えました。インドでは、当時50年が平均的寿命だったのでしょう。
お釈迦様は「ちがう」と申します。「40年」「30年」「20年」と短くしていきましたが、いずれも首を縦にふりませんでした。最後に「1時間」というと、やはり首を縦にふりませんでした。
お釈迦様は、「一呼吸の間だけ」と示されました。無意識で呼吸していますが、吸う息、吐く息が勝負なのです。この片方どちらかがストップしたらそれで人生はもう終わりです。
私の人生「80年」と自分で決めたところで誰が保障してくれましょう。そんな保険会社はどこにも存在しません。
まさに今生きている一瞬一瞬が勝負だと言われるのです。ですからこの与えられた、”たった一瞬の命”を決して粗末にはできないのです。
そして感謝の心で、この一瞬の積み重ねである一日を送ることができれば、仏への道の第一歩とも言われています。
先日、龍澤寺を訪れ栄山老師のお話を伺っているとき、私もときどき出掛けている座禅について、ちょっと質問をしてみました。「たかだか30分ぐらいの間なのですが、いろいろな雑念が次から次へと浮かび上がってくるのですが、いかがなものでしょうか」と。
「至極当たり前のことで、なかなか無念無想の境地には達せられないものです。でも呼吸を整え、できる限りゆっくりと呼吸することを心がけなさい」とその答えが返ってきました。
そして何とその境地に達すると、1分間に1回だけの呼吸で済むと教えていただいたのです。上記でも挙げられているように、この呼吸がしっかりと生きていくことに密接な関係があるのですね。
2012.02.07
おばあちゃんの薬 No.2151
「おばあちゃんの薬」という、新聞の投稿文に目を惹かれました。被災地・仙台の方からのものです。
東京の大学に通うひとり息子は、幼い頃ぜんそく気味で、軽いとはいえ夜中に発作を起こすことがあった。
心配した実家の母は、ぜんそくに効くからと、自分で煎じた薬を季節の変わり目にせっせと作っては、孫のために送ってくれた。
その煎じ薬は、ホオズキと白ナンテンを乾燥させ、ザラメを入れて煮詰めたもので、かなり甘苦い。それでもなぜか、息子はそれを「おばあちゃんくすり」と呼んで、喜んで飲んでいた。
「これを飲むと苦しくならないからね」という母の言葉とともに、おまじないの薬となった。大きくなって体力もつき、ぜんそくが改善されても、相変わらず母は煎じては送り続けてくれた。
大学受験で東京に行く時も、息子は小瓶に詰めて持って行った。苦しい就職活動の時にも、飲んでいたという。
でもその薬は、この冬に向かう時、息子の元に届けられることはなかった。煎じ続けてくれた母は、あの震災による津波で、突然命を奪われてしまった。
お母さん、あなたの孫は、あなたの力を借りながら、たくましい青年になりましたよ。おかげさまでこの春、社会人になります。
被災地にはこのような方が少なくないものと思われます。もっともっとその思いを伝えたかったのではないでしょうか。何か切ないものを感じてしまうものです。
でもこの方のように、おばあちゃんはしっかりと心の中に生き続けています。こうしたかけがえのない先人の温かな気持ちを大切にしていかなければと、改めて教えられます。
それにしても、極寒の仮設住宅などに住む被災者の苦労は、私たちの想像が届かないくらい大変なものがあるようです。あの震災から、かれこれ1年が経とうとしている今日、季節だけではない、暖かな春の訪れが待ち望まれるものです。
2012.02.06
華麗なる転身 No.2150
先週、金曜日はカキコミができず失礼しました。残念ながら昨日のサッカ-、対シリア戦は負けてしまいましたね。眠い目をこすりこすり眺めていたのですが、後半終了間際の相手方のロングシュ-トに負けたと言ってもよいかもしれません。
まさか入るとは思わなかったのですが、これでロンドン五輪に向けて少し苦しくなってしまいました。さて以前、フジテレビのアナウンサ-をしていた菊間千乃(ゆきの)さんってご存知でしょうか。
よく新人の時からリポ-タ-などやられていた方ですが、入社4年目の生放送中にビルの5階から転落し、腰の骨を折る全治3ヶ月の重傷を負ったりした人でもあります。
そのくらい行動的で、明るく人気もあった方ですから覚えている人もいるかもしれません。その菊間さんがその後フジテレビを辞めて、何と弁護士に転身したというのです。
でもやはりそこまでの経緯は大変なものがあったようです。転落事故の後、病院のベッドで眺めるテレビからは、出演者の薄っぺらで白々しいコメントが聞こえてきて、冷ややかに分析する自分がいたそうです。
アナウンサ-という、自分の就いていた職業に意識が変わっていったのはこの頃かもしれません。そして33歳のとき、アナウンサ-からジャ-ナリストになるため、法曹資格を取ろうとロ-スク-ルの夜間コ-スに入学しました。
でも会社員と受験生の二重生活は大変で、極度の睡眠不足の日が続きました。そして追い討ちをかけるように、未成年のタレントとの飲酒問題が発覚し、謹慎生活とマスコミからのバッシングを受けたのです。
こうして1日16時間の勉強時間を確保するため、ついにはフジテレビを辞めて退路を断ち、その勉強に専念した結果、2度目の受験で弁護士試験に合格したのです。
近年、女優かタレントと思わさせられるアナウンサ-が少なくないわけですが、菊間さんのような生き方もあるのですね。またプロ野球人の奥さんに納まるのは一番の近道とも言えそうな、女性アナウンサ-を決して悪く言うつもりはありませんが、果たしてその職業意識はどこにあるのかと考えてしまうものです。
菊間さんの入院中、薄っぺらに聞こえてきたのは、こうしたところがあったのかもしれません。訴訟に強い弁護士になりたいというのが彼女の願いなのですが、そんなここまでの苦闘の記録が綴られた本も出版されたそうです。
本に書かれている文体は、とてもやわらかいとのことです。裁判員裁判などができ、裁判が身近になってきている現在、こうした分かりやすい言葉が求められていることからも、菊間さんのような身近に感じられる弁護士は貴重ではないでしょうか。
「禍福はあざなえる縄の如し」、ここにもその言葉どおりの人生を歩んできた人がいました。苦あれば楽ありです。まさに菊間さんのような生き方は華麗なる転身と呼べるのではないでしょうか。アッパレです。
2012.02.02
豪雪 No.2149
各地で大変な雪の被害が出ています。秋田県仙北市ではがん治療などで知られる玉川温泉で、雪崩の被害により亡くなられた方が出てしまいました。
ほとんど雪崩など起こったことのない場所らしいのですが、1月下旬に寒い日が続いたため、降り続いた雪が固まり、その上にまた大量の新雪が積もったことで、表層雪崩を起こしたのではないかと言われています。
私も4~5年前になるでしょうか、仲間とこの東北を旅したとき、少し立ち寄ったことがありますが、季節が違っていたこともあり、晩年、何日もこうした場所でのんびりと湯湯治などできたらいいなと、思いながら通り過ぎたものです。
雪崩で3人が亡くなられたのですが、その一人である奥さんは夫婦でここを訪れており、ご主人がトイレに行っている間に雪崩に巻き込まれ、ご主人が戻ると元の場所が見つからなかったと言います。
何ともその運命は皮肉なものです。それから青森県横浜町では猛吹雪により、多数の車が立往生したことによる交通渋滞で、約300人ぐらいの方が車の中や、近所の避難所などに不安な一夜を明かしたとのことです。
昨年の1月にも、このちょっと良い話欄で紹介した、鳥取県琴浦町のことを思い出したのですが、こうした雪の中、車が動けなくなるのはいろいろと大変な問題を抱えています。
トイレもそうでしょうし、飲食や寒さ、車の燃料等、巻き込まれたら最後、なかなか自力では解決できないことでしょう。その朝の最大瞬間風速は20m近かったと言われます。これでは雪の中、前に進むのはとても無理ではないでしょうか。
それからその他各地でも、記録的な積雪量の凄さが伝えられています。その一つ、新潟県津南町でも3mを優に超える積雪で、1階がすっぽりと埋まり、2階の部屋まで雪が届く様子が映されていました。
その屋根の雪を降ろさなければ家が潰れてしまうということで、毎日雪かきに追われていますが、お年寄りでは本当に大変な作業だと思われます。しかし業者に依頼しても1回2万円の金額が掛かると言われています。
これでは毎日次から次へと降り続くことからも、とても頼むことはできないのではないでしょうか。こうした影響で除雪などの作業により50人以上もの方が亡くなっているとも伝えられています。
あの純白で清らかにも見える雪が、むしろ厄介な存在で、恨めしくさえなってしまうものです。また仮設住宅などで暮らす人々はまだまだ多くいらっしゃいます。そうした方々に、この雪による追い討ちを掛けるような被害がないことをただただ祈りたいものです。
2012.02.01
動の中にも静を No.2148
早いもので今日から、もう2月です。日本海側は大変な大雪とのことで、一番寒いと言われる今月はまだ始まったばかりで、いったいどうなるのでしょうか。まだまだ先でしょうが、暖かな春が待ち遠しいものです。
先週の土曜日は高校の同期会がありました。60数名の参加でしたが、恩師と見間違えるような輩も少なくなかったようです。こう言う私も、他人のことをとても言えたものではありませんが、やはりこの歳になると、それなりに歳相応に老けてくるものです。
この同期会に先駆け、午前中から親しい同級生の仲間が集まり、三島のお蕎麦屋さんで昼食をとりながら禅寺で知られる龍澤寺を訪れました。
お蕎麦屋さんはフォルクロ-ロというお店でしたが、とてもおいしいお蕎麦をいただきました。ここのご主人、少しこだわりのある方で、定年を迎えてからこのお店を開業したとのことです。
またフォルクロ-ロという名前も、自身があの民話の里・岩手県遠野出身ということから、故郷が生んだ偉大な詩人、作家の宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」に出てくる、愛称の駅名・フォルクロ-ロ(民話)から名づけたと言われます。
またログハウスの綺麗な建物も1年がかりで作ったとも言われています。同級生の友人からこのお店を紹介していただいたのですが、また是非のんびりと行ってみたいと思った、素敵なお店でした。
こうしてお腹が満足してから向かったのは龍澤寺です。友人から何回か機会あるごとに誘われていたのですが、訪れたのは初めてでした。友人に車を任せ、山門から歩いて向かう辺りの雰囲気は、静寂の中、やはり禅寺の甘えを許さない厳しさが漂っているように感じました。
生憎、この寒さのためか、梅の蕾はまだ固く閉ざされたままでしたが、寺の建物と手入れの行き届いた庭との全体的な調和はさすがです。
そして本堂に上がり、後藤栄山老師のお話を聴くことができました。老師は地元・沼津のお寺で、毎月開かれている禅話会でもお会いしている方ですが、いつもよりずっと砕けた、人間的な部分を見つけ、より身近に感じたものです。
老師のお話から1つ、フランスに出掛けたときの神父の話を紹介します。「1日の幸福を得るにはワインを飲め、3日の幸福を得るには結婚をしろ、1ヶ月の幸福を得るには豚を殺せ、そして一生の幸福を得るには神父になれ」
でも全ての人が神父になってしまったら、献金をしてくれる人もいなくなるわけで、神父廃業になってしまうとジョ-クで結ばれていました。それにしても、1時間半以上にも及んだ老師のお話の最中、何とかきちんと正座してお聴きしようと心がけたのですが、正直、とてもしんどいものでした。
しかし、いろいろと所用に追われる毎日、意識してでも、こうした静寂の時間を持つ必要性をつくづく感じ、とても有意義なひとときでした。友に恵まれ、感謝しています。
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