会長の”三行日記”

2013.05.28

ちょっと良い話その107 No.2399

母の日記という、ちょっと良い話を見つけましたので、久しぶりにカキコミさせていただきます。

母がこの春、90歳で他界しました。長寿社会の日本では、決して長生きとはいえないかもしれませんが、父の死後、約20年間一人暮らしで元気に生活を続けてきました。

元気とはいいながら高齢の為、外出する際は出来る限り家族が同伴するようにしていました。確か、目医者に行くときだったと思います。電車の中で空席があったので、危ないから座るように言ったところ、母はこう断わりました。

「ここは、お年寄りの優先座席ですよ」。この時は、一体お年寄りとは何歳ぐらいの人を指すのかと、妻と顔を見合わせました。このように気丈で元気な母でした。しかし、最後は約1ヶ月闘病生活を送りました。

母の死後、遺品を整理していると、日記を発見しました。亡くなる前日まで日記をつけていたのには、驚きました。病気が治らないことに対する不満はありましたが、入院中、母の住む家と病院(徒歩20分ぐらい)を一日に何往復もして世話をしてくれた妻に対して、感謝・感謝と書いていました。

こんな些細なことで喜んでもらっていたんだと、日記を読みほっとしました。些細な事しか出来ない家族でしたが、母に感謝してもらいながら天国に送り出せたのは、寂しさはあるものの、自分にとってちょっといい話かなと思っています。

ピンピンコロリという言葉もありますが、なかなか、そのようにうまくいくものでもありません。生老病死と言われるように、人間歳をとってくると、思うように体もいうことをきいてくれず、やがては死を迎えることになります。

小さな頃から、この自分自身が全く消えて無くなるという死に対して、すごく恐怖を抱いていたものです。それは60年過ぎた今でも変わっていませんが、遅かれ早かれ、やがては素直に受け入れなければならない事実です。

逃れることができない事実なら、せめてこの生きているうちに、充実した人生を送らなければと、ある時から思うようになりました。この筆者同様、私の家内にも、亡くなった母の介護を10年以上続け、やれやれと思う間もなく、今度は連れ合いをなくした父の面倒をみてもらっています。

その献身ぶりには全く頭が上がらないほど、感謝以外の言葉がありませんが、夫婦だけになかなかその気持ちを素直に伝えることができません。できればそうした境遇から少しでも逃れ、気晴らしに旅行でも連れ出してあげたいと思っているのですが、老いた父親を一人置いていくわけにもいきません。

そうしたジレンマを抱え、ままならない昨今なのですが、何とかその感謝の気持ちだけは持ち続けているものです。決して父の死を望んでいるわけではなく、命ある限り精一杯生きてもらいたいと願っていますが、一方では家内の負担が少しでも軽くなる日が待ち遠しくなったりするものです。

2013.05.27

チャリティ-ライブ No.2398

 なかなか面白い企画をやるものです。沼津市制施行90周年記念と称して、東日本大震災チャリティ-ライブが来る6月29日に行われるとのことです。主催は沼津市政策企画課内に席を置く実行委員会によるものですが、青年部のメンバ-が協力してこれに当たっています。

商工会議所青年部(YEG)と沼津青年会議所(JC)、そして沼津法人会青年部という、市内の若者を中心とした3団体がこぞってこのイベントに協力しているという話です。さらに嬉しいのはチケット代は1000円というお手頃価格なのですが、その全額を義援金として被災地に寄付するとのことです。

また会場は現在新しく作られていて、完成まで後わずかと言われる新キラメッセぬまづです。このオープンを祝う意味でのイベントとして位置付けられているみたいです。出演者はかつてスパイダ-スのメンバ-でも知られた、あのムッシュかまやつひろしさんと、女性ヴォ-カリストの坪倉唯子さんです。

森山良子さんの従兄でもあり、今をときめく森山直太朗さんの叔父さんでもある、かまやつさんに関してはあえて説明することもないでしょう。もう一人の坪倉さんはB.B.クィ-ンズのボ-カルとして、ちびまる子ちゃんの主題歌だった「おどるポンポコリン」で知られた人でもあります。

この2時間あまりのライブを、格安の価格で行ってくれるというのも嬉しいことです。しかも被災地に全額寄付するとは、低迷している我が街・沼津市もなかなか見捨てたものではありません。そして、今まで上記青年部3団体が一緒に1つのイベントをやったということはなかったのではないでしょうか。

原発の再稼動話がまた新たに持ち上がり、東日本大震災での人々が受けた心の大きな傷が少しも癒されていないというのに、震災そのものはだんだん風化されようとしている現在、このようなイベントは素晴らしい試みだと思います。

風化されようとしているからこそ、震災は決して終わっているわけではなく、本当の意味での復興はこれからだということを知らしめなければなりません。そうした意味でも、この街の青年部が力を合わせて1つの事業をやり抜くということは、とても意義深いことです。

私も片浜産業クラブの総会で、PRにきたYEGのメンバ-から初めてこの話を聞き、その趣旨の素晴らしさから思わず嬉しくなって10枚ものチケットを購入したくらいです。とにかく私たちだっていつ来るとも知れない震災だけに、いつまでも被災者の苦しみを少しでも思いやりながら生きていたいものです。

2013.05.24

見事な80歳の挑戦 No.2397

 昨日は出張が入ってしまい、カキコミができず申し訳ありませんでした。さて凄いニュ-スが飛び込んできました。80歳の冒険家・三浦雄一郎さんが世界最高峰である、8848mのエベレスト登頂に成功しました。

ご本人のエベレスト登頂は今回で3回目となるわけですが、もちろんこの80歳という年齢では史上最高齢とも言える、世界初となる快挙です。最終キャンプ地の8500m地点を出発したのが午前2時15分頃、満天の星空に囲まれた無風快晴の絶好のお天気だったそうです。

そして午前9時、地球上で最高点とも言える山頂征服に成功したのです。「頑張って頑張って頑張って、とうとう地球のてっぺんにたどり着きました。応援ありがとうございました」。このように語る三浦さんの言葉に示されるように、シェルパと呼ばれるヒマラヤ登山の案内人や、山岳パ-ティ・一行の力強い支援があったことは言うまでもありません。

また用意周到な事前での登山計画は、前回よりも途中でのベ-スキャンプを増やしたり、三浦さんの80歳という年齢を考えて、念には念を入れたものだったようです。それでも普通の山ではありません。氷の壁がそびえ立つような難関を克服して快挙ですから、やはり凄いとしか言いようがありません。

三浦さんは2003年70歳で、また2008年75歳で過去二度の エベレスト登頂に成功しているわけですが、その後、スキ-事故による骨盤骨折や持病の不整脈を克服しての、今回の挑戦だったのです。それだけに人知れない陰での訓練や日頃の努力があるわけですが、何と言っても支えていたのは冒険一家とも言える家族の素晴らしき絆です。

元モ-グル五輪選手だった次男の豪太さんは3回の登頂に全て同行しています。その2回目のときには重い高山病に掛かり、生死をさまよったとも言われています。またスピ-ド競技系スキー選手として活躍した長男の雄大さんも、父のエベレスト挑戦の度にシステムエンジニアの仕事を休職し、遠征隊の通信担当として支えています。

そして国際ヨットレ-スの運営には辣腕をふるっていた長女の恵美里さんも、父のエベレスト挑戦を聞くと、あっさりと仕事をやめ、スポンサ-の調達や広報担当に至るまで裏方の責任者として仕切っています。

それにしてもこれだけのスタッフを抱えての挑戦ですから、掛かる費用も半端ではないはずです。通常、エベレスト登山には一人700~1000万円も掛かると言われています。入山料をネパ-ル政府に払ったり、シェルパや食糧・燃料・テントなどの滞在・運搬費が全て含まれるからです。

ですから三浦さんの今回の挑戦は、一説には数億円とも言われていますから、スポンサ-にも恵まれているでしょうが、裏方の支えも結構、大変なはずです。このような壮大な夢を叶えるのには、やはりそれなりの少なくない費用も伴うわけです。そして何よりも、三浦さんの言葉にあるように、「諦めなければ夢が実現できる」ものです。