会長の”三行日記”

2014.08.11

エボラ出血熱 No.2608

 週末は台風11号の影響で各地で被害が相次いだようで、被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。特に三重県など四日市市をはじめ全県に大雨特別警報の避難指示が出て、大変だったことと思われます。

我が県静岡では天気予報で予想されたほど強い雨もなく、ヤレヤレほっとした日曜日でしたが、なぜか最近この地だけが被害に遭わず通り過ぎていくようで、半分他の地に申し訳ないような気持ちにもさせられるものです。またその裏返しがないことも願っています。

さて西アフリカではエボラ出血熱なるものの感染が拡大しています。先週7日までに1700人以上が感染、そのうち死者は900人を超えていると言います。このエボラ出血熱とはエボラウィルスによる急性熱性疾患で、血液や体液の接触により人から人へと感染拡大していくものです。

またその症状としては発熱、頭痛、さらには腹痛まで伴い、出血が止まらなくなると言われています。現在その治療に関しては特に対処するものが見つかっておらず、死亡率は50~90%とのことです。

このためテレビのニュ-スでも写されていましたが、道端に倒れているそれらしき患者にも誰も手を触れることなく、路上に放置している始末です。それから医療スタッフなども死亡していることから、国境なき医師団も感染などを怖れていて、人手が足りずその対応に限界を感じていると言います。

こう語っているのは日本から看護師として派遣されている吉田照美さんという方ですが、その献身ぶりに頭が下がる思いです。エボラ出血熱の発生原因はオオコウモリによるものとされ、この地方ではそれを食する習慣があったり、また死者を葬儀のしきたりで、直接手によって清めたりする風習があるといいます。

こうしたことで感染が拡大しているのではないかと考えられます。このため各国では空路によるウィルス侵入防止に努め始めているとのことですが、感染地からの入国者を水際で防ぐというのも、なかなか大変なことと思われます。

この問題を採り上げていたテレビでも話されていましたが、エボラ出血熱に限らず、鳥インフルエンザなどのウィルスが近年、猛威を振るっているのも人間が自ら招いたものと指摘していました。それは今まで入り込まなかった未開の地にどんどん入り込み、開発という行為を繰り返したことによるものというのです。

まさに自然との調和、他の生きものとの共生を崩したことによるのです。言われてみるとなるほど、人間の身勝手さを感ずるものです。近年、頻発し以前に比べどんどんその勢力が拡大している自然現象も同様です。ノストラダムスの予言ではないのですが、このまま進んでいったら人類の滅亡に繋がるかもしれないというのも、満更、絵空事でもないように感じています。

明日は美術館のポンプ盤が故障とのことで出張するため、カキコミを休ませていただきます。

2014.08.07

どこからかの囁き No.2607

 先日少し触れましたように、8月2日(土)は母校全体の同窓会でした。リバ-サイドホテルで460人ぐらい集め、盛大に開催されたわけですが、どこからかこんな声が聞こえてきました。

どことは言わぬが、とてもだらしない団体が先日、ホテルに大勢集まり会を開いていたようだと。よ-く聞いてみると、それは間違いなく私たちの同窓会の集まりを指しているようです。

ではいったい何がだらしがなかったのかと、突っ込んで聞いてみると、会がお開きとなり人々が会場を去った後には、グラスに飲みかけのワイン等がことごとく残っていたとのことです。

それはまるで「兵どもの夢のあと」ではないのですが、ほとんどのテ-ブルに一様に残っていたと言います。確かに食事付の飲み放題プランでやってもらっているわけですが、あまりにもその飲み残し方が綺麗ではないと言われているのです。

またバ-カウンタなるものが会場の隅にあり、そこから自分の好きな飲み物を自分で取りに行くというのが原則になっているのですが、ほとんどのテ-ブルが係員を呼びつけ持ってこらせているというのです。

しかも中には偉そうに呼びつける人もいるというのです。こうした声は決して直接ぶつけられたものではなく、人々の口を経て廻りまわって出てきたものでしょう。でもやはり正直な声として受け取らなければいけないものと考えます。

またその中に入り、楽しんでいる当事者の私たちには多分気づかないようなことかもしれません。そうした指摘されて初めて気がつくことですが、飲み放題というのはそもそも自分が飲める量だけオ-ダ-して、しっかり飲んで帰るというのが基本です。

それを飲めるかどうか判らずに、どんどんオ-ダ-だけしていっぱい余らせて帰るというのは、やはりマナ-違反です。また私もその一人ですが、そういったことに気づかないでいるというのも考えなければいけないことです。

明らかに無駄が多いからです。いくら飲み放題だからと言って、飲み物を無駄にしてよいというものではありません。こういったことにより、会そのものがどんな会なのか疑われてしまうことになるわけです。

出来る限り参加者の負担を軽くしようと、出席者が全員各丸テ-ブルに座れる形式で、しかもいちいち料理を採りにいかなければいけないビュッフェスタイルではなく、各テ-ブルまで運んでくれるスタイルにしてもらったのも、ある程度はホテル側の配慮によるものです。

それだけこの大人数への対応に気を遣ってくれていることにも、もう少し私たちは考えなければいけないことなのです。出席者の中には自分たちがこの地元・沼津を背負っているような勘違いをしている輩もいるかもしれませんが、会の良識を疑われないためにも、私たちは謙虚に反省しなければいけないことだと考えています。

明日8日は地元のお客様2か所に午前と午後、工事で入る予定となっています。このため終日、会社を留守にしますのでカキコミは休ませていただきます。

2014.08.06

原爆記念日 No.2606

 STAP細胞の小保方晴子さんの研究指導員でもある、理研の笹井芳樹副センター長が自殺をしてしまいました。これで一層、その真相解明が困難になるばかりでなく、日本の再生医療研究における有数の科学者の一人であるだけに誠に残念な話です。

さて今日は69回目の広島の原爆記念日です。広島と長崎に原爆が落とされてから今年で69年の歳月が流れたわけですが、高齢の被爆者は次々と亡くなり、この3月には被爆者健康手帳を持つ人の数は20万人を割り込んだと言われています。

それだけ原爆を実際に知る人が少なくなっているということですが、一度に多数の人を殺傷して街を破壊するほか、長期にわたって健康や環境に悪影響をもたらすといった「人道的に取り返しのつかない惨事」となった、この原爆を決して忘れることなく、二度と繰り返さないためにも後世に引き継いでいかなければいけないものです。

そうした役目を担っている一人に女優の吉永小百合さんがいます。来年70歳にもなろうとしている吉永さんは、相変わらず綺麗でとても年相応には見えない若々しい方ですが、原爆や原発廃止に取り組むその姿勢には敬意を表するものです。

吉永さんは胎内被爆した主人公を演じた「夢千代日記」というドラマや映画をきっかけに、以後、原爆詩の朗読を続けてきています。それは何よりも「日本人だけはずっと、未来永劫、核に対してアレルギーを持ってほしい」という祈りに似た強い願いからです。

また原発の再稼働や輸出の動きがあることに関しては、「さよなら原発と私は声を出していきたい。みんなの命を守るために、今、せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」。そして「まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」と述べています。

そして「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」と言って、ひたむきにその活動を続けています。詩の朗読で自ら選んだ一つが、「にんげんをかえせ」で知られる詩人・峠三吉の「原爆詩集 序」です。これには峠さんのすべての思いが詰まっていて、まったく原爆のことを知らない方でも、『えっ』という思いになってくれると言っています。

それよりもっと強い表現の詩がたくさんあるのですが、最初からそんなものは聞きたくないという、拒否反応を怖れているからです。やさしく分かりやすく読んで、こういった詩があることに気づいてもらい、次のステップに進んでもらいたいという手法です。

そして「自分の力は小さくても、朗読を聴いた学校の先生たちが子どもたちに教えてくださり、その時の生徒が今、先生になって、ご自身が子どもたちに教えてくださっていることが大事で、受け止めてくれた方が次にまた伝えることが被爆者の願いでもあると思う」と語っています。

また渋谷の女子学生にインタビューして、「1945年8月6日に何が起きたか知ってる」って聞いたら、「えー、知らない、地震?」っていう答えが返ってきたが、そんな日本であってはいけない、みんながあのときの痛みを分かろうとしないといけないと指摘しています。

それから原発事故についても、「日本の原発の事故を見て、ドイツでは原発をやめましょうと決めているわけです。でも、日本はそうじゃない。やめたいと思っている方はたくさんいると思うんですけど、声を出す人は少ないんですよね。だからやっぱり、自分が思ったことは声に出したい、意思を伝えたいと考えました。

仕事をしていくうえでネックになることはこれからあると思いますけど、人間の命のほうが電力よりも大事じゃないか、という根本だけは忘れたくありません」と、ある種の覚悟が感じられるほど、真正面から向き合ってこの問題を捉えています。

さすがは吉永小百合さん、物心ついた頃から憧れた人だけのことはあります。とにかく広島や長崎に行く機会があったら、是非、資料館に出掛け、その悲惨さから一人でも多くの人が何かを感じ取ってほしいものです。

吉永さんも被爆60年の年、仕事で行ったパリの市庁舎で開催していた、広島展の出口で鶴を折るコーナーがあり、フランスの子どもが不器用だけど一生懸命折っていた姿が目に焼き付いているそうです。こうした「私たち、忘れないでいようね」という思いが世界中で核兵器の廃絶につながってほしいと強く願っているものです。