会長の”三行日記”

2014.12.16

自民党の大勝 No.2662

 大方の予想通り自民党が大勝しました。公明党と併せると絶対安定多数の議席を獲得したことになります。これで安倍政権は益々強気になるわけで、昨日の会見を聞いていると、集団的自衛権の行使容認を国民から支持されたなどと述べています。

また来年に控える自民党総裁選再選はもちろんのこと、憲法改正を視野に入れた今後の展開にまで触れています。前日、この選挙特番の開票速報番組で面白かったのは、テレビ東京の「池上彰の選挙ライブ」でした。

例によって歯に衣を着せない池上さんの自由なト-クがあちこちで見られたのです。翌日のネットでもその無双ぶりが健在だったと伝えられている通り、自民党圧勝がいち早く伝えられる中、どこよりも早く占うポスト安倍と称して、総理大臣の椅子を頂上にした山を作って予想解説をしていました。

また選挙結果からも各党の幹部にも、鋭い質問を浴びせて池上節を存分に披露していました。こうした中、安倍さんには投票率が低かったことから、まず「低い投票率の中での勝利、自慢できないのでは?」とグサリと突き刺しています。

そして集団的自衛権からの憲法解釈についても、街頭演説でもあまり触れていなかったのではと突っ込むと、安倍さんの方も声色が変わり、「そんなことありませんよ。街頭演説は限られているしテレビ討論では何回も申し上げている」と少し剥きになりながら反論していました。

それくらい痛いところを突かれたということではないでしょうか。確かに今回の選挙では、アベノミクスの成果を問うというところにポイントが置かれていましたが、憲法改正や集団的自衛権といったことにはあまり触れていなかったように思えます。

このままいくとそんなに遠くないうちに、憲法改正ということになるかもしれません。何しろ自公併せて326議席となり、憲法改正の発議に必要な2/3(317議席)を上回っているからです。そうなったら日本が世界に誇る平和憲法に手が付けられるだけに大変なことになるわけです。

とにかく選挙前にも触れましたが、今回の選挙に何の意味があったのか、今もって私達国民には理解できません。まさに与党の党利党略そのもので、暮れのこんなに忙しいときに莫大な費用まで掛けてやることに大きな無駄を感じているものです。

ただ一つだけ少し救われているのが、公明党・山口委員長の談話です。今回の選挙で自公が勝利を収めたからと言って、全てが国民から信任を受けたわけではないと言っていることです。

さすがは東大法学部卒弁護士出身の山口さんです。人柄は温厚で敵もいないし、明快な理論づけて語れる人です。こうなったら山口さん率いる公明党に頼るしかないかもしれません。とにかく政府の強引なやり方にしばらくは目を離せないものです。

2014.12.12

ピーナツ副社長 No.2661

 米ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港で、大韓航空の女性副社長が自社の客室乗務員の接客に激怒し、離陸直前の旅客機を滑走路から引き返すという問題が起こりました。

そもそもその発端はファーストクラス内で起こったのですが、 ある乗務員が、他のファーストクラスの乗客と同様、乗客として搭乗していた趙副社長に、「ナッツを召し上がりますか?」と聞いた後、袋に入ったまま出したことがその始まりです。

その途端、趙副社長は「サービスがなってない!!」と突然声を荒らげ、この乗務員に「飛行機からおりろ!」と命じたのです。規定では乗客の意向を聞いてからナッツ類を皿に盛って提供しなければならないということには一応なっていたといことです。

でも乗務員がマニュアル通りだと言ったことから事務長まで呼びつけられ、副社長のあまりの剣幕に事務長があたふたしていたことでその怒りが増幅していったのです。そして乗務員の代わりに今度は事務長に飛行機から降りろと大声を張り上げて、結局は飛行機を搭乗口まで引き返させたのです。

その怒鳴り声はエコノミー席まで聞こえるほどだったと言います。このため飛行機は出発時間が遅れたわけですが、250人の乗客にはその間、何も知らされなかったと言います。

お客として乗っていたとはいえ、大韓航空の内部の人間が自分たちの都合で飛行機の発着に勝手に関与するとは、もっての他のことです。それも責任者とも言える立場の人間ではお話になりません。

このことで、さすがに韓国国内でも「ピーナツ副社長(趙氏)は韓国の恥だ」などという表現で、大ブーイングの非難の声が挙がっています。また大韓航空の本社と仁川空港の出張事務所にも強制捜査に乗り出したとも聞かれます。

この趙という副社長、大韓航空を中核企業の1つとする財閥・韓進(ハンジン)グループの2世会長、趙亮鎬(チョ・ヤンホ)氏の長女にあたるということです。いわば金持ちの苦労知らずの令嬢が、その能力を問わず、世襲で職に就いたようなものなのです。

手腕や評判も必ずしも良いとは言えず、鳴り物入りで始めた機内での免税品販売は、販売ノルマを課された乗務員の自腹買いが関税法違反ではとの疑惑まで報じられているほどです。また書類の束などで殴られたと証言する従業員は数えきれないほどで、周囲にも暴言を浴びせることが少なくなかったと言います。

とにかく滑走路に向かっている旅客機が搭乗ゲートに引き返すのは、機体に異常が発見された場合や乗客の安全に問題が生じた場合に限られ、客室乗務員のサービスを問題視して引き返したのは前代未聞の話です。まさに越権行為以外の何ものでもありません。全くお粗末な話で言葉もありません。

15日の月曜日は年末のお客様への挨拶回りで、一日会社を留守にするためカキコミは休ませていただきます。

2014.12.11

ゴルフ賞金王 No.2660

 今年のゴルフ賞金王に小田孔明選手が輝きました。いかつい風貌なのですが、最終戦の日本シリ-ズで3位となり、賞金王が確定したあとインタビュ-を受けたのですが、胸いっぱいみたいで目に涙さえ浮かべていました。結構、ここまでの道のりが苦しかったのでしょうね。

この小田孔明選手に対して、同じプロ仲間からも、本場アメリカで十分通用する技術を持っている人だと絶賛する声が挙がっています。何しろドライバ-は飛んで曲がらないし、その上アイアンの切れが凄いみたいです。

そのアイアンの球筋が低い弾道ゆえ、風とかの影響を受けにくいからです。ある日一緒にラウンドした、本人も憧れるジャンボ尾崎選手からも、「お前のアイアンは一流だ」と言われて感動したとも言われています。

でもここまで至るのには必ずしも順風満帆ではなかったみたいです。ゴルフとの出会いは先の日本プロゴルフ選手権で優勝した手嶋多一さんとの出会いからです。手嶋さんは中学、高校とアマチュアでは九州に手嶋ありと知られた方だったのですが、手嶋さんの実家が経営していたゴルフ練習場でその姿を見たのが始まりです。

それも小学1年生の時、父親に連れて行かれたのがきっかけで、練習する手嶋さんの上手さに心奪われたみたいです。そして手嶋さんの父親の勧めもあって、それから小田さんの父親とのマンツ-マンの練習が始まったのです。

練習は想像以上に厳しいもので、学校から帰ったら、腹筋、腕立て、スクワット、鉄アレイを毎日300回ずつ、それが終わるまでは遊びにも行けないし、晩御飯も食べられないような超スパルタ教育のものでした。

その練習を小学校2年生から続けたそうですが、初めのころは晩ゴハンにありつけるのは9時ごろだったと言います。でも振り返ってみると、その練習があったからこそ人一倍強靭な今の体力ができたと、本人は語っています。

そして小学校の卒業時、大人になったら何になるかという問い掛けで、賞金をいっぱい稼げるプロゴルファ-になりたいと言ったところ、クラス中の皆に笑われたそうです。このクラスの嘲笑には本人もかなり口惜しかったみたいで、その後の闘志に少なからぬ影響があったみたいです。

こうして2000年ゴルフ場の研修生からプロテストに受かり、プレイヤ-としてのゴルフ人生が始まるわけですが、ツア-デビュ-が2003年、それからシ-ドを獲れるまでには3~4年の期間を要しているくらい、必ずしも順調なスタ-トとは言えなかったものです。

でもシ-ズンのほぼ全試合に出場できるようになってからは、先輩のプロゴルファ-達からも自分のゴルフを褒めてくれるようになり、それがまた自信と変わっていき、本来持ち前の才能が徐々に頭角を現わして現在に至ったのです。

こうして今年初めて賞金王に輝いたわけですが、冒頭触れたようにパワ-があるゆえ長い距離の本場アメリカでも苦にならないものと思え、海外ツア-での期待が高まります。その意味では今シ-ズンの実績と大きな自信は今後のゴルフ人生に大きなプラスとなるのではないでしょうか。とにかくメジャ-ト-ナメントで日本人のプレイヤ-が一人でも多く活躍することを願いたいものです。