会長の”三行日記”

2014.12.22

困った中国人観光客 No.2665

 今年もいよいよ営業最終週となりました。年末に控える工事に向け27日夕方より移動し、多分大晦日まで出張することになると思われます。そのため、全員揃っての年末大掃除は今年はできませんが、それより忙しい仕事に恵まれていることをむしろ喜ぶべきでしょうか。

さて、またとんでもない話題がネットを賑わしていました。あきれた中国人観光客の話です。何と飛行機の中でカップ麺のお湯を客室乗務員にかけ、顔にやけどを負わせたというのです。

伝えるところによると経緯は下記のようです。事件は2014年12月11日、バンコクのドンムアン空港発中国の南京空港行きのタイ・エアアジアFD9101便で起きた。中国メディアが報じた目撃者の話を総合すると、離陸の時点で中国人の4人グループが、お互いの席が離れたことで紛糾していた。

ある女は、離陸中にカップ麺のお湯を注文したが安全上の理由から断られ、男は、お湯が来るのが遅いのと支払いでもめていた。中国語が分かるCAが状況を説明しようとかけつけると、男は「爆破するぞ」とCAを脅迫し、女はやっと届いたお湯をCAにぶちまけた。

CAが一連の行為に抗議すると、一団は「飛び降りる」などと窓を叩きながら暴れたという。このトラブルの結果、飛行機はバンコクに引き返し、4人はタイの警察当局に引き渡された。4人は5万バーツ(約18万円)の罰金を支払ったという。

いやはや、あきれてお話になりません。かねがねそのマナ-の悪さに、世界中の観光地からバッシングを受けている中国人観光客ですが、この事件の他にも伝えられることは少なくありません。

タイ・バンコクの有名なお寺でも、やはり中国人の一行が壁画の前に設置された柵を倒したとのことです。幸いタイの国宝に指定されている壁画が傷つくことはありませんでしたが、彼らは謝罪しないばかりか、係員をののしり始めたと言います。

自分たちのせいではないと主張したかったみたいですが、係員が監視カメラの映像があると伝えると、おとなしくなったそうです。 また重慶から香港に向かう飛行機の中でも、子どもがうるさいということで口論になり、乗客同士が殴り合いの大乱闘にまで発展するということもあったみたいです。

これでは同じ中国人として、とても耐えられず恥ずかしいという声もあちこちから出てくるわけです。私がバンコクを訪れた時も彼らのマナ-の悪さを目にしなかったわけではありません。やはり観光客で賑わうお寺巡りの時ですが、2~3歳の幼女を連れた父親か祖父らしき人間が、ごみを捨てる籠の中に幼女の排泄をさせているのです。

いくら人々で混んでいるとはいえ、日本では考えられないことです。極端な話、これでは中国人というだけで世界中から相手にされ兼ねなくなる怖れだって出てきます。やはり一人っ子政策やバブルで浮かれ過ぎた影響が出てきているのでしょうか。とにかくしっかりと考え対処してもらいたいものです。

2014.12.19

出てきた財布 No.2664

 3日前の火曜日のこと、お客様主催の関連業者懇親会が夜、磐田で開かれ、夕方電車で出掛けました。いつもは遠方とあって車で出掛けることがほとんどなのですが、この日はお酒も出る席ということもあって車は置いていくことにしました。

こうして60人を超える出席者の懇親会は盛大に開かれたのですが、会が終わって家路に着いてから問題になるようなことが起こっていたのです。会場から磐田駅まではタクシ-、そして駅に着いてからは小銭がいっぱいあったのでそれで帰りの乗車券は購入しました。

そして何も心配するようなこともなく、お酒も入っているからホンワカ良い気持ちで家まで戻ってきて、その日はバタンキュ-で眠りにつきました。翌朝、会社に出掛ける際、いつものとおりズボンのポケットにいろいろな物を入れてきたつもりなのですが、なぜか財布が見つかりません。

不安になって昼休みに家に戻ったのですが、家の中をどこを探しても財布は見つかりません。そしてやっとここになって初めて、財布を落としたのではないかということに気がついたのです。

まず一番怪しいと思ったのがタクシ-です。運賃を払う際、お金を出したのは覚えているのですが、よくあるのはポケットへのしまい忘れです。それに気がつき、幸い領収書ももらっていたことから電話番号も分かり、タクシ-会社に電話をしたのです。

あって欲しいと願いながら恐るおそる電話をしてその旨告げると、「お名前は」と聞かれたので「秋山です」と答えると、「カズタカさんですか」という相手の女性からの返事です。一瞬、この言葉だけでもう嬉しくなりましたね。

そうなんです。親切なタクシ-会社の運転手さんが車内への落し物に気がつき、会社に届けてくれていて、財布の中に免許証も入っていたのでこちらの名前まで知っていたのです。そして多分、午前中いっぱいこちらからの電話があるのを待っていたのではないかと思われます。

しかしながら私が気づいたのが遅かったため、お昼に電話したちょっと前、ご親切に警察に届けてくれたということを知らされました。でも、何よりも財布が出てきてくれて大助かりです。こうして一旦は警察との厄介な郵送でのやりとりを希望したのですが、時間が掛かることから本日、直接そちらまで出向き受け取ってきたのです。

暮れの忙しいとき、まさに私の仕出かした大チョンボです。財布の中には現金はたいして入っていませんでしたが、免許書はじめクレジットやETCのカ-ドなど、いろいろ入っていましたので本当に助かりました。

改めて親切で善良なタクシ-会社に感謝いたします。タクシ-会社は磐田の遠鉄タクシ-株式会社です。この暮れの忙しいときだけに、こちらのチョンボを救ってくれた善意の有難さをつくづく感じ入っております。

そうそう、警察では落し物などの係は会計課というところで担当しているとのことですが、ここでも親身になって接してくれた担当も感じの良い親切な方でしたので、付け加えさせていただきます。世の中捨てたものではありません。

2014.12.17

外で戦ったら日本は終わり No.2663

 故林家三平さんの奥さんである海老名香葉子さんが戦争の悲惨さを訴えていました。戦時中、我が街・沼津にも疎開していてご縁のある方です。先日もこの疎開当時、通っていた小学校の同窓生と70年ぶりに対面したとの記事も読ませてもらいました。

その海老名さんが「外で戦ったら日本は終わり」と強く言っているのです。「私は自国を守る自衛隊には反対ではありません。でも武器を持って外に出て行って戦うことは絶対に避けるべきです。そんなことをしたら日本はおしまいです。

安倍晋三首相は息子の襲名披露にも出てくれて借りはありますが、戦争だけは絶対にだめですと言いたい」80歳を超え、戦争を体験した海老名さんだからこそ、こう言えるのではないでしょうか。

昭和19年7月に東京本所から沼津市に一人で疎開してきた海老名さんですが、その時は10歳、家族と別れる前に白いご飯を食べたそうです。母がくれた新しい防空ずきんに、大好きな友禅の切れ端が縫ってあって喜んだら、母は嬉しいわと言って涙を流しました。

またかわいい弟の4歳の孝之輔さんに「空襲警報が鳴っても泣いちゃだめよ」と言い残してきたとのことです。その両親や弟はじめ、祖母、長兄、次兄は1945年3月10日の東京大空襲で全て亡くなってしまったのです。

ただ一人生き残った中一の兄である喜三郎さんがその3日後に沼津にやってきました。唇は腫れ上がり、服はぼろぼろの出で立ちです。家族が亡くなったことを初めて知るのですが、母は4歳の弟を抱いて伏せ、父はその上に覆いかぶさっていたと聞きました。

そしてその後、叔母夫婦と石川県に移り終戦の玉音放送を聞いたのです。叔母が「お父さん、お母さんは犬死だね」と言って泣き、本人も心が折れてしまいました。こうして親戚からも見放され、戦災孤児となってその日生きることに必死な毎日が続いたのです。

こんな悲惨な体験者だからこそ、もう二度と繰り返したくないという思いが人一倍強いのでしょう。海老名さんは80歳を超えてはいますが、あと30年は生きて、戦争の悲惨さをご自身の体験談を通して伝えたいと言います。

このように実際に体験した人の言葉は何よりも重いものがあります。それだけに現在の日本から、こうした惨い戦争体験者がどんどん少なくなっていることが残念です。日本の行く末を、まさに机上の空論で感情だけが先走った結論は本当に危険だと考えています。

明日は私用で一日会社を留守にしますので、カキコミを休ませて下さい。