会長の”三行日記”
2014.12.26
1年の終わりに感謝します No.2668
NHKの朝ドラ「ごちそうさん」で共演した夫婦役の杏さんと東出昌大さんが、本物の夫婦になるとニュ-スで伝えられていました。元日早々に結婚式を挙げるとのことですが、おめでたいことです。二人とも背が高く、大型カップルとなるわけですが、ドラマでの役柄同様、仲の良い微笑ましい夫婦になればいいですね。
さていよいよカキコミも今年最後となりました。1年間振り返ってみますと、会社にとって今年は良い年だったと思います。伝えられているアベノミクス効果というよりは、ある特定の顧客の仕事が続いていたことから、年間通して仕事が切れるようなことがなく、順調だったように思えます。
そんな忙しい中、社員の皆さんの奮闘には本当に感謝しています。過日も榛原で少し経営報告をさせてもらったとき述べたように、やはり「企業は人なり」を改めて強く実感した年でもありました。
個人的には年初に次の7項目を掲げ、日々の実践目標にしていたのですが、目標到達はほぼ半分ぐらいでしょうか。まだまだ甘いところが多く見られるものです。
① 朝7時15分まで出社 ② 人の話を最後まで聞く ③他人の悪口を言わない ④1日一回ありがとうを言う ⑤感情的にならない ⑥新しい発見に努め、感動する ⑦ 整理整頓を心がける
以上の行動目標だったのですが、⑥、⑦が全然ダメですね。昨日も経営指針を創る会に出たとき、話が出たのですが、人が感動するということは結構、大変なものです。自分の予想や期待を大きく上回らなければ、なかなか感動はしないものです。
また毎年のことですが、整理整頓がいつまで経ってもできません。つい目先の仕事に追われて手一杯のような言い逃れをしがちですが、毎日それように少しでもしっかりと時間を割けばきっとできるものです。引き続き、来年に向けての大きな課題となっています。
とにかく自分にまだまだ甘さが多く見られるものです。来年は年が明けるとすぐ65歳、いよいよ前期高齢者への仲間入りです。でも人間としてはまだまだ未熟ゆえ、もっともっと精出して励まなければなりません。
どうぞ今年同様、来年も一層の温かいご支援、ご交誼をお願い申し上げます。1年間、いろいろとお世話になりました。27日の夕方より出張工事で大晦日まで仕事で出掛けますが、年始は5日より営業いたします。
このカキコミは年始早々挨拶回り等ありますので8日より再開させていただきます。どうぞよいお年をお迎えください。
2014.12.25
ささやかな晩餐 No.2667
昨日のクリスマスイブはいかがだったでしょうか。仕事が少し忙しいので家に戻ったのは8時近くになったのですが、我が家でも出産直後の次女とその子どもたちを交えて、ささやかな晩餐を過ごしました。
今年はチキンの類がありませんでしたが、長男が自分の仕事の関係でケ-キを2個も買ってきて、それにあやかりました。この日は自宅でクリスマスをやりたいと御殿場に戻りましたが、つい先日までは長女とその娘まで家にいたから、家の中は大賑わいです。
長女の娘が2歳4か月、そして次女の上の娘がちょうど2歳ちょっと、また今月15日に生まれた長男が加わりましたから、家の中はてんてこ舞いです。この長男、名前を蔵之介と名付けたとのことです。
字はちょっと違いますが、生まれた前日の12月14日は忠臣蔵四十七士の討ち入りの日です。別にあやかった訳ではないでしょうが、何となく奇妙な縁を感ずるものです。
そして年が明けると今度は長女の二人目が春ごろに出産予定となっています。またその二人目が双子だというものですから大変です。従って春になると私たち夫婦はいっぺんに5人の孫に恵まれることになるわけです。
有難いことです。世の中、少子化うんぬんといろいろ騒がれていますが、とりあえず我が家の娘たちは何とかその責任をクリヤ-できそうです。あとは無事生まれてくることを願うだけです。
このようにお金はそんなに無くても、健康で家族揃って楽しく集まれることが何よりも幸せだと思います。日頃、仕事に追われなかなかこうした至福のときを味わうことができませんが、いざそんな場所に自分が置かれてみると実感できるものです。
今年も残り少なくなり、ちょっぴり内輪の話題で辛気臭くなりましたがどうぞご容赦下さい。とにかく今年は2020年の東京五輪開催に湧き立ったものの、相次ぐ土砂災害や思わぬ御嶽山の噴火、そしてSTAP細胞などによる混乱等、波乱の多い1年でした。
できれば来る年は穏やかな波乱のないことを願いたいものです。改めて家族が揃うことの大切さを実感しています。
2014.12.24
人身受け難し No.2666
最近は忙しさにかまけて少しご無沙汰しているのですが、月に1回開かれる座禅の修養会で唱えるお経の中で、三帰衣文というものがあります。その冒頭に「人身受け難し、今すでに受く」という一節があります。
この意味を何も知らずにただ唱えていただけですが、先日あるところでちょっと教えてもらいました。以下のようなことらしいのです。
人間として生まれようと思って生まれた人は誰もいません。また命を保証された人もいません。つまり危うい命を生きているとも言えます。従って「あたりまえ」と思って人間として生活していることが、実はたいへん有難いことだと言われるのです。
確かに私たちが今こうして当たり前のように生きていますが、その起源を考えてみると、到底その真相にはおぼつかない、実に深いものがあるわけです。
生まれてくる親を選べるわけでもなく、果たしてこうして日本人として生まれてくることができるとも限りません。またそれ以前に人間かどうかも判りません。
ですからこうした現実を否定的に捉えるのではなく、ありのままで生かしていかなければいけないというのが、その教えではないかと思われます。次のように説いていました。
今日も朝起きて、食事をして、少しの用事をこなし、夜には眠るあたりまえの生活を過ごしています。しかし、私が生きて、今ここに生活していることは、目に見えない様々な縁が整っていなければ叶わないことなのです。
何かのきっかけで、あたりまえと思っていた生活があっという間にくずれてしまうこともあるのです。私たちは「あたりまえ」という自力の思いで生活しています。でも生きている事実は不可思議であり、有ることが難しい中を生かされている他力なのです。
「あってあたりまえ」の自己中心のはからいを超えて、「おかげさま、ありがとう」の仏の眼をいただきたいものなのです。このように皆が考えるようになると、世の中ずいぶんと変わるのではないでしょうか。私もせめて一日1回は「ありがとう」の言葉を出せるよう心がけています。