会長の”三行日記”
2015.02.18
日本百名山ひと筆書き No.2692
何と凄い人がいるものです。あの百名山すべてをたった半年で、しかも人力だけで踏破したということです。その人の名は田中陽希さん、31歳の方です。とにかく超人というしかありません。
この100の頂きを目指し、昨年4月に鹿児島の・屋久島の宮之浦岳からスタ-トし、陸は徒歩、海はシ-カヤックで移動して、10月にとうとう出身地でもあり最後の頂きである、北海道の利尻岳を登り終えたというのです。
その間、約200日にも及んだというこの偉業は、深田久弥さんが書かれた「日本百名山」で定められた100座を人力のみで繋ぐもので、過去にもそうした踏破の記録はなく、前人未達の全く新しい挑戦でもあったわけです。
そして一気に踏破することから、「日本百名山ひと筆書き」プロジェクトと名付けられたのです。宿泊はテントや民宿などに泊まり、食事は主にコンビニで済ませたそうです。そしてその挑戦の様子を、日記や写真でホ-ムぺ-ジに公開、GPSで現在地を知らせると、遠方から応援に駆け付けてくれた人もいたとのことです。
田中さんは大学までクロスカントリ-スキ-に打ち込み、その後、チ-ムが地図を頼りに自転車やカヤックで何百キロも駆け抜けるアドベンチャ-レ-スと出会いました。厳しい自然環境と戦うこのレ-スから、眠気や疲れで感情が抑えきれず、自分の役割を投げ出したこともあったそうです。
ここから自分の弱さを認め、人の意見を受け入れないと成長できないことを学びました。そして厳しい状況でも自立して、チ-ムを鼓舞できる人間になりたいと決心し、周囲からも背中を押されてこの百名山への挑戦に至ったのです。
無事この偉業を成し遂げた後、「資金や物品を寄付してくれる人、差し入れをしてくれる人等、想像もしなかった多くの人たちとの繋がりを持てたのが何よりも財産です」と述べ、更なる成長をめざし体験したことを消化するため、本にまとめたいとも語っています。
何とも凄いものです。私などは百名山と言ったら、富士山、北岳、仙丈ケ岳、天城山ぐらいしか登っていませんから、それを一気に踏破するというのは信じられないくらいの話です。でもいつかその幾つかでも登ってみたいと願ってはいました。
そんな私ですから本当に夢のようなことなのですが、人間の能力の弛まない可能性をまた1つ学ぶことができました。あきらめていては何もできないということで、とても足元に及ぶことではありませんが、不可能なようなことでも挑戦する気概を持たなければいけないということでしょうね。
この素晴らしき挑戦の様子はNHK・BSプレミアム「グレ-トトラバ-ス日本百名山」という15分番組で紹介されています。明日は一日私用で休ませていただきますが、その20日の晩から夜間の切替工事のため、埼玉に出張予定となっています。このため19~20日の2日間、カキコミは休ませていただきます。
2015.02.17
イチロ-さんの存在 No.2691
いよいよ今日から前期高齢者の仲間入りです。よく60の手習いとか言うようですが、私は65の手習いを密かに始めました。それが何かとは敢えて話しませんが、長い目で見て2020年に開かれる東京五輪までに間に合えばよいと思っています。
さて昨日は今シ-ズンから広島カ-プに戻ってきた黒田投手の入団会見が行われました。戻るのなら今しかないというタイミングで古巣・広島に帰ってきたと言われていますが、球団にとっては大きな戦力になることは間違いないと思われ、今シ-ズンの広島カ-プの活躍を期待したいものです。
その黒田投手が今までいた大リ-グのヤンキ-ス時代を振り返り、同僚であり1級先輩にも当たるイチロ-選手の存在について、以下のような感謝の気持ちを表わし伝えられています。
二人は日本と米国、それぞれ別々の道を歩むことになったが、新天地が決まった際にはともに連絡を入れたという。2人は固い絆で結ばれている。
2年半、一緒にプレーさせてもらいましたが、一番印象に残っているのはイチローさんの強さでした。体もそうですけど、精神的な強さ。イチローさんがいたから僕も多少なりとも強くなれたのかなと。
よく本人が口にされていた「持って生まれたものだけでやっているのではない」という言葉も、近くにいたからこそ身に染みた。イチローさんなしでは、ヤンキースでローテーションを守ることはできなかったと思っています。
イチローさんは何があろうと試合に出続けた。体のことは僕らチームメートだから見える部分があって、「やばいんじゃないか」「大丈夫かな」と心配になった日もありましたけど、ユニホームを着て必ずグラウンドに立っていた。
そこにブレはない。特に2年目、3年目はレギュラー確約ではなく、悔しい思いもたくさんされたはずなのに、一切それを表に出さず淡々と準備を続けた。芯が強い、逆境に立たされても強い人だなと。
あそこまで成績を残してきた人にそんな姿勢を見せられると、やらざるを得ないというか、先発投手は中4日もらって、ローテーションを簡単に飛ばせないなという気持ちになりました。食事にも連れて行ってもらいましたけど、この期間は野球人生の財産です。
実は年末に広島に復帰すると決断した際、最初にイチローさんに連絡を入れました。びっくりされていて、僕もその時点では気持ちの面でまだもやもやした部分があったんですけど、「決めた以上は頑張れ」と背中を押してもらった。今回、マーリンズへと決断された時に、再び話す機会をいただけて、それは凄くうれしかった。
メジャー3000安打とか言いますけど、イチローさんの場合は数字ではないと思う。僕より1学年上で、また気持ちを奮い立たせて、新たな挑戦を、という姿勢が凄い。環境が変わってもやりきる、貫き通そうというのがイチローさんらしいなと感じています。
やはり身近にいたからこそ、イチロ-選手の凄さに気づかれたのでしょう。黒田投手が言われるように、あれだけの数字や成績を残した人が少しも腐ることなく、ストイックにただ淡々と自分の仕事に徹していた姿勢に学ぶことが少なくありません。スポ-ツの大選手以上に人間としての凄さを感ずるものです。
2015.02.16
魅惑のコンサ-ト No.2690
先週土曜日の午後からは、友人のやっている演劇鑑賞で三島へと出向き、そして終了次第、夕方から沼津市民文化センタ-で開かれた八神純子さんのコンサ-トに家内と合流し、出掛けてきました。
友人の方の演劇の熱演はまた機会があれば触れたいと思っていますが、コンサ-トはとにかく圧巻で久しぶりに心躍るものでした。八神純子さんと聞くと、今の若い方々はあまり知らないかもしれませんが、当時その透き通るような歌声は私たち世代にはよく知られたものでした。
ちょうどこの日はバレンタイデイということで、 2015 Here I am 〜チョコと私〜と名付けたバレンタインチャリティ-コンサ-トには、地元のライオンズ主催ということもあって、1500人が収容できる会場にはいっぱいのお客が詰めかけていました。
やはり年代的には彼女を知る中高年の方々が多かったでしょうか。そのパワフルでもあり、高音で透きとおるような歌声は昔と何も変わらないものでした。彼女の歳を言ったら失礼かもしれませんが、ちょうど私の家内と同じくらいと聞きました。
それだけに若々しくエネルギッシュなその姿に私をはじめ、多くの方々が魅了されたのではないでしょうか。お話を聞くとしばらく日本ではその歌声を聴くことがなかったと思っていたら、イギリス人のプロデュ-サ-と結婚してアメリカに住まいを構えているとのことです。
そして東日本大震災をきっかけに復帰し、その音楽活動を通して収益の寄付など被災地への支援を行っていることも映像をとおして知りました。嬉しいことです。ネットでも彼女のそんな姿を下記の通り紹介しています。
開催する大会場でのライブチケットは毎回完売する、そんな名実共に確かな実力を誇る八神純子がテントの前に敷かれたブルーシートをステージに見立てて、ライブを行う光景を目にしたことがある。
地面に直接ひかれたシートの上に裸足になってあがり、舞台装置は皆無、音源はカラオケであった。この特殊な状況のライブは、東日本大震災の際に岩手県で行われたものであるが、八神純子が発声した途端まばらだった観客からはため息がこぼれ音楽がもつ力の大きさに改めて気づかされた瞬間であった。
艶やかな髪と褐色の肌、こぼれる笑顔は八神純子の絶対的な歌唱力とあわさって、見る人の置かれている環境に関係なく珠玉の時間を約束してくれる。自己の才能を出し惜しみすることなく、ハートフルでパワフルな時間をいつでも提供してくれる八神純子である。
まさにこの紹介の通りです。笑顔を絶やさないと若々しく見られるとご本人も言っていたとおり、ステ-ジでは笑顔が絶えることなく、十数曲をあっという間に歌い切り、しかもその熱唱にもかかわらず、少しも声が枯れないのはプロとはいえ見事なものです。
それこそあっという間の2時間だったのです。いつも感ずることなのですが、やはりたまにはこうしたライブに出掛けなければいけませんね。素敵な歌声や演奏は何よりも私たちを癒してくれます。ひさしぶりにプロの歌声を堪能できた素敵な時間を過ごすことができました。