会長の”三行日記”
2015.02.13
マックの誤算 No.2689
あのマクドナルドが2014年の連結決算で218億円の赤字という、壊滅的とも言える数字を出しているとのことです。例の異物混入の問題が大きく響いているのでしょう。
でもそればかりでなく、トップであるサラ・カサノバという社長の事故後の対応も良くなかったようで、トップの謝罪ということについて改めて指摘されていることが少なくないようです。
何しろ最初の謝罪会見にはこの社長、現れることすらなかったのです。3時間にも及んだという会見には姿を見せず、社長が出張中ということで取締役上席執行役員二人に任せたのです。
これではマスコミ関係者や消費者に対しても「責任を部下に押し付けて、トップが逃げた」という印象を強く残すこととなったわけです。こうした謝罪会見は、企業のトップが臨まねばならないというのは、広報戦略の基本中の基本と言われているからです。
そもそもマックにとってケチのつき始めとして、その発端となったのは期限切れの中国での鶏肉問題からです。問題発覚後、社長が約10日間も謝罪会見を開かず、決算会見にタイミングを合わせて陳謝したことは、この会社が「商品の安全性を軽んじている」との印象を世間に与えたと言われているのです。
当時の会見でカサノバ社長は「マックはだまされた」と訴え、被害者を装いましたが、消費者からは責任転嫁と受け取られ、「申し訳ないことをした」という気持ちが全く伝わらなかったということが言われています。
またこうしたカサノバ社長の強気の姿勢は、報道関係者や消費者に、一番嫌悪される内容だ言われているだけに、当該企業への不信感が益々募ることにもなるわけです。
とにかく相次ぐ企業の不祥事で、テレビのニュ-スでも度々伝えられるあの屈辱的な頭を下げた姿を、謝罪会見においてはどこまでも貫かなければいけないと言われているからです。ですから開き直ったり逆切れしたりするのはもっての他のことなのです。
つまり平常時の自信に満ち溢れたプライドは隠しながらでも、会社存続のため、ひたすらこうべを垂れ続ける忍耐力が求められているということなのです。
このように言われてくると、やはりトップの責任というものは本当に大きなものと言えることができます。企業である以上、絶対間違いはないとは言えないだけに、万が一でも起こってしまった場合はこのトップの姿勢次第で会社の浮沈が左右されるとも言えるわけです。
もっともこのことはほとんどブランド力のある大企業だけに言えることで、私たち中小企業では間違いイコ-ル会社廃業・倒産に繋がるわけで絶対許されないものです。とにかく食品への異物混入が続いているだけに、企業のモラルやコンプライアンスが一層問われ求められている今の時代です。
2015.02.12
ちょっと良い話119 No.2688
こんなちょっと良い話を見つけました。私たちは本当に良いものや美しいものが果たして解っているのだろうか、それは他人からの単なる受け売りではないだろうか、そんなことを考えさせられる話です。
ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男の前を通りました。
3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。
ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、彼女は止まることなく歩き続けました。少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、腕時計を見るとすぐに歩き始めました。会社に遅刻しそうだったのです。
一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。
それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。
お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。稼いだお金はたったの32ドル。彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。
バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。それも3億円のバイオリンを使って。
彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。これは実際にあった話です。ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・ポスト紙によって行われました。
私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか? それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか? 予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?
一つ結論として言えるのは、もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?
いくら予想していない状況に置かれていても、本能的にその美しさに心惹かれるのが人間だと思っていましたが、どうやら違っているようです。それだけ人間の視覚や聴覚といった五感は、既に蔓延る先入観に左右されているのかもしれません。
2015.02.10
フェアプレ- No.2687
過日は錦織選手の活躍に日本中が盛り上がったテニスの全豪オ-プンでしたが、この大会の中でのフェアプレ-とも言える心温まるシ-ンが紹介されていました。優勝候補の一角と呼ばれていた準々決勝で敗れたナダル選手と、2回戦で対戦した相手のスマイチェク選手の話です。
この2回戦、激戦を制したのがナダル選手ですが、相手のスマイチェク選手が見せた素晴らしいスポーツマンシップにとても喜び感謝したと伝えられています。その様子は以下の記述の通りです。
最終セット、6―5で迎えたサービスゲーム。ここをキープすれば3回戦進出だった。ところが30―0とリードした後の第1サーブ、ナダルがトスを上げた瞬間に1人の観客が大声を挙げた。
突然のことにサーブの動作を止められず手痛いフォールト。ナダルには動揺した様子もうかがえたが、ここでスマイチェクが予想外の行動に出た。主審にプレーのやり直しを申し出たのである。
試合の行方を左右しかねない大事な場面。第2サーブとなれば自らのチャンスは広がったはずだが、それをよしとはしなかった。結局このゲームをナダルがキープして4時間12分の熱闘に終止符。
大金星を逃したスマイチェクだったが「観客が何を言ったかは分からなかったけど、明らかにナダルのプレーが邪魔された。そうすることが正しいと思っただけだよ」と爽やかに全豪のコートを去った。
明らかに自分が有利となる局面でのこうしたプレ-には、感動まで覚えて賛辞を送りたくなるものです。また一方で清武選手が活躍しているドイツのサッカー・ブンデスリ-グでも、同じような心温まるプレ-がありました。
昨年3月に行われたニュルンベルク 対 ブレーメンの試合で、ブレーメン所属のアーロン・ハント選手の話です。後半30分、2点をリードしたブレーメンが攻め込むと、ハント選手がペナルティーエリア内で倒され、PK の判定が下ります。
しかし、このシーンでハント選手は、自分はファウルで倒れたのではないと主審に自己申告したのです。従ってファウルという判定も覆ってしまい、そのままプレ-再開となったのです。どうでしょう、まさにフェアプレ-そのものではないでしょうか。
近年、繰り広げられているサッカ-のゲ-ムを観ていると、相手のファウルでもないのに、自分がさもそれかのように自分で倒れるシ-ンを何度か観ることがあります。それだけに貴重な価値あるプレ-と言えるのではないでしょうか。
こうした、とかくズルしがちなプロスポ-ツですが、ル-ルを守り正々堂々と戦うことにより、観ているこちら側にも爽やかな感動が伝わってくるものです。まさにスポ-ツマンの神髄です。