会長の”三行日記”
2015.08.26
ちょっとしたミス No.2750
今週ぐらいから、もう夏が終わったかのような、すっかり秋めいた陽気になっています。酷暑とも言えた本当に暑かった夏だっただけに、とても有難いものですが、果たしてこのまま秋になってくれるものでしょうか。
さて弊社に部品等を供給して頂く代理店の所長が先日、御挨拶がてらにちょっとお寄りしたいとやって来られました。当たり障りのない四方山話が済んだ後、供給部品のことで話さなければいけないことがあると切り出されました。
大手のメ-カ-であるM社のブレ-カ等に不具合品があったという話です。近頃、自動車などでも不具合がありリコ-ルの話をよく聞きますが、私たちの取り扱っているものにもそうした関係が出てきたのです。
幸い対象製品は昨年の5月から8月にかけて生産された、あるシリ-ズのものに限られるということで、弊社が購入した部品に関しては該当していなかったのですが、メ-カ-としてはかなりのロットで出荷されていたものと思われ大変なことです。
不具合な現象としては漏電遮断器が漏電もしていないのにトリップしたり、再投入してもまたトリップしてしまい投入ができないということです。これでは電源の保護として使用されているものだけに、その機能を果たすことができないわけです。
それゆえに大変な問題なのですが、既に該当製品は全国各所に出回ってしまっていて事後対応が難しくなっているのです。私たちが作っている制御盤等に組み込まれているものがあれば、単体で使われていたり変電室等でも使用されているものもあるかもしれません。
従って交換等にも必ず経費がかかるわけで、責任問題等にも展開しかねません。メ-カ-でその原因を調べるのにかなりの時間が掛かったらしいのですが、結局のところ製造工程での人為的なミスであることが判明しました。
プリント基板に部品を組み込む際、不必要な力で押しつけたため、デリケ-トな部品にクラックが発生し、部品の持つ機能を果たせなくなってしまったのです。原因判明後、メ-カ-では直ちに組み込み手順を変更するなどの対策をとったとのことです。
よく聞いてみると製作したのはこの大手メ-カ-独自のものではなく、やはり外注での生産でした。それゆえこの外注先の存続興亡は大変なことになるのではないかと危惧したのですが、さすがは大手のM社のことです。
多少の責任問題は発生したかもしれませんが、そのまま今まで通りの繋がりはできているとのことで、少し安心しました。たとえ生産工程に携わる人がパ-トや研修生であっても、このようにちょっとの人為的ミスであっても、会社にとっては死活問題にまで発展するのです。
そうした怖さや、このようなことが及ぼす影響の大きさを改めて感じています。やはり自社から出荷する製品に関しては、念には念を入れたチェックと安全性が求められるものです。
2015.08.24
人間の潜在力 No.2749
希望が人間の潜在力を開花するという話が載っていました。それだけ人間の持つ力というものは偉大なものなのでしょうが、いつも前向きに生きなければいけないという話を紹介したいと思います。
“アメリカの良心”と言われたノーマン・カズンズという博士は、35年間にわたってジャーナリスト(週刊誌編集長)として健筆をふるいました。なぜ良心と称賛されたかは以下の理由からです。
まずナチスによる生体実験の後遺症に苦しむポーランドの女性たちの補償のために執筆しながら奮闘し、当時の西ドイツ政府から補償を勝ち取りました。また原爆で両親を失った日本の「原爆孤児」400人余の里親になってもらえるよう、アメリカ国内に呼びかけ実現させました。
そしてアメリカ・ソ連の首脳に対し、核兵器廃絶への論陣を張り、部分的核実験停止条約の可決・批准への世論を盛り上げていったのです。こうしたひとりの人間として、世界の平和と人々の幸福を希求し、そのための活動を生涯を賭して実践していったことが、そのように呼ばれている所以です。
このカズンズ博士が、人間の体内には神経系や免疫系、循環系などよく知られたシステムのほかに、2つの重要なシステムとして「治癒系」と「信念系」があると言われています。
「治癒系」とは人間が病気と戦う時、身体の総力を動員する機能をもっていて、これと共同して働くのが、精神の「信念系」だと言っていますが、この2つのシステムが連携して働くときが重要だと指摘しています。
つまり信念系における希望や愛情、生きようという意欲、使命感、楽観などの前向きな精神的活動が、治癒系を活性化し、人体という一大薬局を活発に働かせることになるというのです。
そのように言っている博士自身も多くの闘病経験を持っていて、10歳で肺結核になり、50歳の時には膠原病にもなり、また65歳で心筋梗塞に倒れたのです。特に肺結核は1920年代のことで、結核が死病と恐れられていた頃のことです。
でもその度に「さぁ、やるぞ」とのエネルギーを沸き立たせ、希望を胸に戦いを開始し、すべての病魔に打ち勝ってきたというのです。「人間の脳が、考えや希望や心構えを化学物質に変える力ほど驚嘆に値するものはありません。すべては信念からはじまります」というのが、このカズンズ博士の言葉なのです。
そしてさらに次の言葉を付け足します。「おそらく人間には、2つのタイプがあります。問題が起こったとき、解決のために『行動すべきだ。しかしむずかしい』としり込みする人。一方、『むずかしい。しかしやるべきだ』と挑戦する人です」
私たちが「もう、だめだ」と思ったら、そのとたん「もう、だめだ」という脳の命令に従って、自身の体全体がその方向に動きはじめ、逆もまた同じであると指摘するのです。その意味で人生には2つの生き方しかないということで、「やらなかったから、できなかった」か、それとも「やれば、できる」ことを証明するかというのです。
このように人間の潜在的な力は大きく、希望と挑戦の意欲こそ潜在力の開花につながると言われているのです。何事も挑戦する意欲を失うことなく、絶対あきらめてはいけないことがここでも示されています。常に前向きに生きたいものです。
明日は一日会社を離れるのでカキコミは休ませて下さい。
2015.08.19
ちょっと良い話123 No.2748
こんなちょっと良い話もあります。ケチは丸損という話ですが、少しばかり惜しんだばっかりで大切なものを失ったというものです。
山寺にケチな和尚がおり、桶に飴を入れ大事にしまっていて、時折一人でこっそり舐めていた。そして一人しかいない小僧には、「これを食えば死ぬぞ」と言っていた。しかし小僧はそのウソを見抜いていた。
ある日和尚が外出した。小僧は“時はいま!”と、高い棚の上にある飴の桶を取るべく踏み台に乗って手を差し伸べた。桶に手がかかったとき、踏み台がぐらついたため、手にした桶が傾き、流れ出た飴が頭や着物にかかってベトベトになった。
“万事休す”“どうせ怒られるんだから”と、小僧は腹を据えて心ゆくまで舐めた。そして一計を案じ、日頃和尚が愛用している茶碗を落として割った。
和尚が帰ってくると小僧はしくしく泣いている。訳を訊ねても言わない。なだめすかして聞くと、「和尚様の大事にしている茶碗を割ってしまいました。どんなに叱られるだろうと思うと恐ろしくなって、いっそのこと死んでお詫びをしようと思いました。
どうして死のうかと思い、いろいろ考えましたら、桶の中の物、食えば死ぬと聞いていましたので、“よしこれで死のう”と、少し舐めましたが死ねません。二口舐めても、三口舐めてもダメでした。
頭にも着物にもつけてみましたが、まだ死ねません」といって泣きわめくのだった。これには和尚、一言もなく黙り込んでしまったという話が、無住禅師の「沙石集」に出ている。小僧にも時折与えておれば茶碗も割られずに済んだものを。ケチは丸損というべきか。
知能犯の小僧にしてやられたという話ですが、得てしてこのようなケ-スはよくあるものです。少しでも与えておけばこのようなことにはならず、損害がなくて済んだものをケチったばっかりに取り返しがつかないことになってしまいます。
人生の処世訓とも言えるのではないでしょうか。人には優しくおおらかに接していれば、回りまわっていつかは必ず自分のところに返ってくるものです。金は天下の回りものという言葉もそんな意味合いを含んでいるのではないでしょうか。利他祝福の心を持ちたいものです。
明日から2日間、現場調査等のため会社を留守にするのでカキコミを休ませて下さい。
