会長の”三行日記”

2015.08.19

ちょっと良い話123 No.2748

 こんなちょっと良い話もあります。ケチは丸損という話ですが、少しばかり惜しんだばっかりで大切なものを失ったというものです。

山寺にケチな和尚がおり、桶に飴を入れ大事にしまっていて、時折一人でこっそり舐めていた。そして一人しかいない小僧には、「これを食えば死ぬぞ」と言っていた。しかし小僧はそのウソを見抜いていた。

ある日和尚が外出した。小僧は“時はいま!”と、高い棚の上にある飴の桶を取るべく踏み台に乗って手を差し伸べた。桶に手がかかったとき、踏み台がぐらついたため、手にした桶が傾き、流れ出た飴が頭や着物にかかってベトベトになった。

“万事休す”“どうせ怒られるんだから”と、小僧は腹を据えて心ゆくまで舐めた。そして一計を案じ、日頃和尚が愛用している茶碗を落として割った。

和尚が帰ってくると小僧はしくしく泣いている。訳を訊ねても言わない。なだめすかして聞くと、「和尚様の大事にしている茶碗を割ってしまいました。どんなに叱られるだろうと思うと恐ろしくなって、いっそのこと死んでお詫びをしようと思いました。

どうして死のうかと思い、いろいろ考えましたら、桶の中の物、食えば死ぬと聞いていましたので、“よしこれで死のう”と、少し舐めましたが死ねません。二口舐めても、三口舐めてもダメでした。

頭にも着物にもつけてみましたが、まだ死ねません」といって泣きわめくのだった。これには和尚、一言もなく黙り込んでしまったという話が、無住禅師の「沙石集」に出ている。小僧にも時折与えておれば茶碗も割られずに済んだものを。ケチは丸損というべきか。

知能犯の小僧にしてやられたという話ですが、得てしてこのようなケ-スはよくあるものです。少しでも与えておけばこのようなことにはならず、損害がなくて済んだものをケチったばっかりに取り返しがつかないことになってしまいます。

人生の処世訓とも言えるのではないでしょうか。人には優しくおおらかに接していれば、回りまわっていつかは必ず自分のところに返ってくるものです。金は天下の回りものという言葉もそんな意味合いを含んでいるのではないでしょうか。利他祝福の心を持ちたいものです。

明日から2日間、現場調査等のため会社を留守にするのでカキコミを休ませて下さい。