会長の”三行日記”
2016.03.04
お雛祭り No.2818
昨日は3月3日の雛祭りでした。お客様と一日出掛けていたため、カキコミができませんでしたが、家に戻ったらご覧のようなお雛様が輝いていましたので記念に写真を撮っておきました。
贈ったとはいえ、今ではこうしたお雛様を普通の若い夫婦の家では飾る場所がないようです。従って夫婦二人だけの我が家のような、そんなに大きな家でなくても空いている部屋がなくてはこうして飾れないのです。
これを飾ったばっかりに、寝るのにも困ったら元もこうもないからです。でも予めそんなことも考えていたから、長女のときには7段飾りのようなものではなく(もっとも予算的にも無理でしたが)、場所もくわない市松人形にしたのですが、それすら飾れない始末です。
こうして今回、二人目、三人目の双子ゆえにどんなものにしようか、結構、考えさせられました。いずれは二人が大きくなったとき、分けられるものでなくてはいけないと思ったからです。
そんなとき、人形店の方が素敵な提案をしてくれたのです。木目込み人形というものを対で揃えたらどうかと言ってくれたのです。私はこの木目込み人形というものをあまり知らなかったのですが、大きさ的にもちょうど手頃で、しかも可愛らしいのです。
木目込み人形を調べたら以下のように書かれていました。桐塑または木で作られた人形に、衣服の皺や模様の形に本体に筋彫りを入れ、筋彫りに目打ちなどで布の端を押し込んで衣装を着ているように仕立てた人形ということです。
こうしてこの人形も我が家に飾るはめになったのですが、お陰でこのところ華のない我が家にも、きらびやかな雰囲気が戻ってきました。やはり女の子ならではのもので、可愛い彼女たちの存在に感謝するものです。
2016.03.02
寄席二人会 No.2817
先週末の27~28日は中小企業家同友会の県経営指針を創る会の卒業式でした。初日こそ一日中、会場である沼津のウェルサンピアに夜まで詰めましたが、翌日の日曜日は親戚の49日法要があるため休ませていただきました。
それにしてもいつものとおり、白熱した議論のやりとりには凄いものがあり、皆さんの経営に対しての真摯な取り組みに少なからぬ刺激を頂けるものです。さてその日曜日、法要が済んだ夕方、予めチケットを購入していた沼津寄席二人会という落語を聴きに家内と出掛けました。
人間国宝・桂米朝さんの息子である桂米團治さんと、笑点でお馴染みの林家たい平さんの二人会です。まず最初は二人による掛け合いのト-クショ-から始まり、次は前座の吉の丞さんによる『犬の目』という落語です。
古典落語の1つらしいのですが、両目を患った男が医者の元に駆けつけ、目玉をくり抜いて洗浄し、乾かしていたら犬に食われてしまったという噺(はなし)です。
そして仕方ないからその犬の目を代わりに元の目に戻すというものですが、今までよりずっとよく見えるようになったけど、1つだけ困ったことができたと言います。それは電柱を見ると小便がしたくなるという落ちがついていました。
往復6時間以上かけてこの沼津に来たが、演ずる時間がたった12分とぼやいていた吉の丞さんでしたが、短い時間でも結構楽しませてもらいました。そして昼の部では1時間20分ぐらいの大熱演をトリで務めたという桂米團治さんが、今度は先の出番での登場です。
本当だかどうだか分かりませんが、ご本人の真打ち口上で自分の名前を米團治ではなく、あの関西大御所4人衆の一人、春団治さんと間違ったところから展開する、面白おかしい失敗談から始まり、『稽古屋』というお囃子や踊りも交えた落語で楽しませてくれました。
これは音曲噺(おんぎょくばなし)という貴重な噺みたいですが、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら進めていく形式のものです。そのやり方は今では絶滅したというくらいの貴重なものらしく、米團治さんにその素養があるからだと思えました。
そして最後はたい平さんの登場です。ちょうど笑点をやっている時間帯だったことから、ここに来ている人たちはみんな笑点を観ていない人たちなんだと笑わせてから始まりました。演目は『抜け雀』といって、無一文の絵師であるお客が、夫婦だけでやっている旅籠に泊まるところから始まります。
宿賃の代わりについたてに雀の絵を書くわけですが、あくる朝、1羽5両だと言って、戻ってくるまでの抵当だとして絵師は出て行きます。出て行った部屋を覗くと不思議なことに、その5羽の雀がついたてから抜け出て部屋の中を飛び回り、終いには元の絵の中に帰ります。
このことが評判となり旅籠が繁盛していくわけですが、しまいには絵師の親が現われこのままでは雀が死んでしまうと言って、止まり木と籠を書き足します。そしてまた数日後、この絵師が戻ってきてその絵を眺めると、俺は親不孝をしたと言って屏風の前でひれ伏すのです。
衝立を見ろ、俺は我が親をかごかきにしたという落ちでしめていました。さすがですね。米團治さんといい、たい平さんといい、その話芸には堪能させられるものがありました。やはり日本が守らなければいけない古典芸能です。少しやみつきになりそうです。
2016.02.29
山の日 No.2816
今年2016年から8月11日が山の日ということで祝日になります。このためお盆の休みと繋がり、以前より早めに夏季休暇をとる会社が少なくないことと思われます。その名前のとおり、この日から山に出掛ける人も多いのではないでしょうか。
さてこの山の日にちなんで、登山家の田部井淳子さんと、田部井さんをモデルにした小説を執筆中の作家・唯川恵さんの、山の魅力を語り合った対談記事を読みました。
田部井さんはご存知の通り、ちょうど40年前の1975年に女性として初めてエベレスト登頂に成功した方です。そして1992年にはやはり女性初の7大陸最高峰の登頂に成功しています。
そのくらい偉大な登山家として知られているわけですが、最近そのヒマラヤを訪れたそうです。40年前にお世話になった人たちにお礼を言うためということです。でも麓の村々は民家が増え、カラフルな建物も並んでいて結構、様変わりしているようです。
そして当時のシェルパのほとんどはすでに亡くなっていて、40年という歳月を実感したとのことですが、山そのものは全然変わっておらず、改めて大きな存在だと思ったそうです。
また昨年のネパ-ル大地震からまもなく1年が経とうとしていますが、現地の人たちが一番心配しているのが観光客が減ることです。観光に生計を頼るところが多いだけに、田部井さんの故郷の福島同様、美しい自然があるのにパタッと人が来なくなることを心配しているわけです。
福島でも現地に行って食べて、お土産を買うことが応援になると思っていることから、被災した福島の人たちとも毎月、ハイキングを続けているそうです。山では日頃の悩みを忘れ、前向きになれるからです。
この10年くらい山に登る女性が本当に増えていますが、登る環境も整ってきたし、山の魅力である素晴らしい風景を楽しめる人が多くなったからと言います。そして山は男も女も上司も関係ないわけで、登るのは競争ではなく、一歩一歩進むのはみんな同じですごく平等だと話しています。
でもそうした今の時代ではなく、男は仕事、女は家庭という、女性が置かれていた立場の大変な時代に、偉業を成し遂げた田部井さんの生きざまに凄まじいものがあるわけです。そんな観点で唯川さんは小説に書いてみたいと言われていました。
とにかく誰も成し遂げないことを先頭切ってやることの素晴らしさを感じます。山の日の意義は山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝するということらしいのですが、苦労して登るからこそ達成感が増すわけです。今年はまだ1回も登っていませんが、できれば何回も親しみ、山の持つ素晴らしさをまた味わってみたいと思っています。
明日は人間ドックに出掛けることもあり、帰社後、納品等の業務に追われるため、カキコミを休ませていただきます。