会長の”三行日記”
2016.05.31
九州沖縄ブロック役員研修会から No.2842
先週の木曜日から2日間、佐賀の地で開かれた同友会九州沖縄ブロック役員研修会に参加してきました。これは静岡同友会の事務局員全員が初めて行なった視察研修旅行でしたが、それに帯同したものです。道中、ちょっと感じたことを記したいと思います。
静岡空港から福岡空港まで往復、富士山ドリ-ムエアライン(FDA)を利用、私は同機に初めて搭乗させてもらいましたが、約1時間15分のフライトはその時間からしてもすこぶる快適なものでした。また羽田などの空港と違って、空港内に飛行機の数も少ないことから、定刻にはしっかりと飛び立てるのも嬉しいところです。
また駐車場が無料というのもいいですね。9時出発の飛行機で家を6時45分に出たのですが、空港には8時前には着きました。羽田ならこうはいかないものです。それから料金も往復で35000円ぐらいと言いますから格安です。
FDAの飛行機の色もカラフルで、現在10機あるのでしょうか、それぞれが全て違う色です。行きの便はゴ-ルド、そして帰りは黄緑とどちらも比較的新しい機体のように思えました。また1時間ちょっとの短いフライトでも、クロワッサンがついた飲み物サ-ビスがあったのは嬉しいことでした。
これならまた、ここの空港とエアラインを使ってみたくなるものです。この静岡空港は最近中国からの観光客で賑わっているようです。昨年から就航する国際線が13路線週47便と、1年前に比べて大幅に増えたそうです。
それは日中間の協定があるらしく、混雑している羽田空港や成田空港を除けば、中国の航空会社は自由に航空路線を開くことができるみたいです。このお蔭で当初、地方空港の失敗例とも言われてきた静岡空港でしたが、どうやら息を吹き返したようです。
それにしても静岡と違って福岡は空港はじめ、街中もやはり九州を代表する都市だけに人波が凄いものです。ソフトバンクがこの地を本拠地にしたのもうなづける話です。
佐賀で開かれた研修会では、同友会運動はまず自社を良くすることが原点であることをいろいろな角度から分析していました。この研修会に訪れた会員はそれぞれの地区の役員ですが、平日の木、金の開催にもかかわらず150人以上の方々が熱心に取り組んでいました。
静岡ではこれほどまでに役員の意識が上がっていないだけに見習わなければいけない点です。とにかく同友会運動の到達点とも言われた、地域条例制定運動がいまいち腑に落ちなかった私にとっては、1つのきっかけになるような今回の研修会でした。
2016.05.30
オバマ大統領の広島訪問 No.2841
政府は来年4月に予定されていた消費税率10%への引き上げを、2019年10月にまで2年半延期する考えを示しました。ただ閣内の麻生財務相や自民党・谷垣幹事長などとは意見が分かれていて、それなら民意を問おうとする衆院解散を条件にという、何やらきな臭い話も出てきました。
首相はサミットで示した、現在がリ-マン前の経済状況に似ているという理由を述べていますが、G7加盟の日本以外の報道が示すように少し説得力を欠くものと思えます。それより予期せぬ熊本地震が起こったり、世界経済も低迷していることから増税のリスクは避けられないと素直に言った方が変にこじつけのように聞こえません。
また麻生さんが言う衆院解散も、一国の行く末を案ずるというより、追い風を受けている自民党の党利党略のように聞こえるものです。そんな我が国の世知辛い政治に比べたら、やはり多くの反対を乗り越え実現したオバマ大統領の広島訪問は意義深いものではなかったでしょうか。
その歴史的スピ-チの概要は以下の通りです。71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。
そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらし、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていたのにもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。
この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。
科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。
現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。
だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。
私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。
いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。
あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。
私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。
原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています。すべての人命は、かけがえのないものです。
私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。だからこそ私たちは、広島に来たのです。亡くなった方々は、私たちと全く変わらない人たちです。
多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。
この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。
オバマ大統領は広島の地で謝罪をしないと伝えられていました。でもアメリカ大統領としてではなく、人間オバマとして二度と繰り返してはならないと、人間的に立派な謝罪に当たるメッセ-ジではないでしょうか。まさに歴史に残る一日でした。
2016.05.25
沖縄の遺棄事件から No.2840
沖縄でまた悲しい事件が起こってしまいました。20歳の女性が夜の散歩中、アメリカ軍の軍属(元兵士)の男に襲われ遺棄されるという事件です。先月末に行方不明になり心配されていたのですが、3週間後に遺体という最悪の形で発見されたのです。
犯人は現地に住み日本人妻や子どもがいるという境遇にありながら、このような蛮行に及んだのです。初めからわいせつ目的で標的となる女性に近づき、殺害した後、準備したス-ツケ-スで運び去るという事前での用意周到な犯行とも考えられています。
まさに基地がある街ゆえに以前から起こっている事件そのものなのです。以前にも何件か伝えられている悲しい事件があります。その1つは1955年にこの事件と同じうるま市で起きた「由美子ちゃん事件」です。
街の中心部で起こった、6歳の少女が米兵に連れ去られた事件です。自宅から250メートルほどの場所ですが、家を出たのは、今回の20歳の被害女性と同じ、午後8時ごろだったそうです。
そして無残にも少女は翌朝、車で30分ほどの海岸のゴミ捨て場で遺体で発見され、暴行の跡があったということです。当時の現地新聞には「少女の左手に草二、三本が強く握りしめられていた」という悲しい記述が残っています。
またその他にも性暴力の被害にあい、人知れず米兵の子を産んだ知人がいたり、小学生の子どもが襲われ、町を去った家族の話も耳にします。このように苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起き、忘れたくても、忘れられないのが沖縄の日常だと言われています。
まさに基地があるゆえに繰り返されている悲劇なのです。警察庁や沖縄県によると、全国の警察が検挙した米軍関係者(軍人と軍属、その家族)による刑法犯事件は1990年代前半、300件近い年もあったそうです。
それが96年には90件まで減少しましたが、03年に194件と増加し、その後は100件前後で推移しているとのことです。そして国内の米軍専用施設の75%近くが集中する沖縄が、そのうちのおよそ半数を占めていると言われているのです。
このまま放置してよいのでしょうか。私の友人も声を大にして言っているように、沖縄は日本の植民地でもなく、ましてアメリカの植民地でもありません。終戦前後からずっと沖縄だけが苦しんでいる実態を政府はもっと真剣に考えなければなりません。
基地も沖縄だけに押し付け、さも他人事にようにずっと対処しているのでは、あまりにも同じ日本人として惨い仕打ちではないでしょうか。繰り返される今回の事件を契機に、日本全体として沖縄問題を見直すときだと思います。
明日26日と27日の2日間、九州・佐賀で開かれる、中小企業家同友会九州・沖縄ブロック役員研修会に参加するため、カキコミは休ませていただきます。