会長の”三行日記”

2016.05.30

オバマ大統領の広島訪問 No.2841

 政府は来年4月に予定されていた消費税率10%への引き上げを、2019年10月にまで2年半延期する考えを示しました。ただ閣内の麻生財務相や自民党・谷垣幹事長などとは意見が分かれていて、それなら民意を問おうとする衆院解散を条件にという、何やらきな臭い話も出てきました。

首相はサミットで示した、現在がリ-マン前の経済状況に似ているという理由を述べていますが、G7加盟の日本以外の報道が示すように少し説得力を欠くものと思えます。それより予期せぬ熊本地震が起こったり、世界経済も低迷していることから増税のリスクは避けられないと素直に言った方が変にこじつけのように聞こえません。

また麻生さんが言う衆院解散も、一国の行く末を案ずるというより、追い風を受けている自民党の党利党略のように聞こえるものです。そんな我が国の世知辛い政治に比べたら、やはり多くの反対を乗り越え実現したオバマ大統領の広島訪問は意義深いものではなかったでしょうか。

その歴史的スピ-チの概要は以下の通りです。71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。

そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらし、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていたのにもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。

この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。

私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。

いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。

あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。

原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています。すべての人命は、かけがえのないものです。

私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。だからこそ私たちは、広島に来たのです。亡くなった方々は、私たちと全く変わらない人たちです。

多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。

この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。

オバマ大統領は広島の地で謝罪をしないと伝えられていました。でもアメリカ大統領としてではなく、人間オバマとして二度と繰り返してはならないと、人間的に立派な謝罪に当たるメッセ-ジではないでしょうか。まさに歴史に残る一日でした。