会長の”三行日記”

2016.05.24

人生の終い方 No.2839

 ここで歌丸さんが司会を勇退することになった笑点ですが、次期司会者にメンバ-の中から春風亭昇太さんが選ばれることになりました。大方の予想では円楽さんではないかという見方が多かったので、ちょっと意外に感じた人も少なくなかったのではないでしょうか。

でも伝えるところによると、消去法で昇太さんが選ばれたということで、一番の新参者ゆえ回答者の方が全て上から目線となり、かえってスム-ズにいくのではないかという見方です。また長寿番組であることから、もっともっと長続きしてもらいたいという狙いがあるのではないでしょうか。

でも笑点のあとに放送された、日曜日のNHKスペシャル「人生の終(しま)い方」という番組を観たのですが、番組の進行役を務めた歌丸さんの気力には恐れ入りました。何しろお客から離れた高座が終わると、もう歩けないで車椅子で移動するのです。

入退院を繰り返し、医師に無理は控えるようにと言われる中でも地方公演を続け、「高座の上で死ねれば本望」と語る歌丸さんは多い月には1ケ月に半分以上の20日ぐらい、高座を務めているのです。

鼻には酸素チュ-ブを差し込み、裸になった体は痩せていて骨が見えるほどのギロギロの姿です。そんなにまでなっても尚且つ働き続けている原動力は何なのか、探ってみたくなりました。歌丸さんは笑点についても次のように答えています。

引き受けている以上は責任がありますから、責任を果たすのが当り前だと思っております。普通だったら、入院した時点でほかの方に頼んでわたくしはお払い箱になると思うのですけれども、仲間はわたくしが帰ってくるのを待っていてくれましたし、その恩は返さなくちゃいけないと。

正直、前にくらべて苦しい時もありますが、自分に課された役目は、つとめていかなくてはならない。ただ、ずいぶん長いことやっていますんで、そろそろ考えるときにきているのではないかな、という気はします。目をつぶる時も、自分なりの責任は果たしていかなきゃならない。これが人間だと思います。

この会見の1週間後に笑点の司会者引退の発表をされたそうです。これほどまでにご自身の人生をかけて打ち込める落語の魅力についても次のように語っています。

落語というものは、どんなに笑いの多い噺(はなし)の中にも、あるいはささやかな噺の中にも、義理人情が入っているんですね。その義理人情を、聞いているお客様が察してくだされば、あるいは何かのときにご自分の役に立ててくだされば、噺家(はなしか)として幸せだと思っています。

また番組の中では同世代で良き友であった、先代の圓楽師匠から亡くなる直前に「歌さん、頼むね」という電話があったことを紹介していました。「わかった」と一言答えただけですが、頼むねの一言に含まれる深い意味を十分受け取ったという話をされていました。

誰しもが迎える人生の終いですが、考えさせられることが少なくありませんでした。また終いの直前まで自分の意思が貫けたら、どんなに幸せだろうかと考えさせられました。いつになるか全く判りませんが、自分の終いの時、財産は残せなくても、しっかりとお礼を言って去りたいものです。

2016.05.23

企業30年説 No.2838

 巷では企業30年説ということが謳われていることがあります。企業にも寿命があり、人間同様、時間的制約によって、必然的にその生命を終えるというもので、旧態依然としていて新陳代謝の乏しい会社は生き残れないと言われている説です。

そんな中、昨日は日頃お世話になっている客先の創立50周年記念祝賀会に参加させていただきました。一口に50年と言ってもそこまでの積み重ねには大変なご苦労があったものと推察されます。聞くと設立当時、世の中にない革新的な技術を生み出そうという強い思いを持っていた、7人の侍とも呼ばれていた人たちによる出発だったと言います。

当初のその思い通り、数々の優れた技術を次々に生み出している現在ですが、改めて確固たる経営理念と「一念岩をも通す」と呼ばれる強い思いの大切さを知らされました。また祝賀会にはいわゆるこの会社の客先企業の方々は一切呼ばれておらず、私たちのような協力企業と言えば聞こえはいいものですが、下請企業と社員及びOB社員だけが出席していました。

また受付で私たち下請企業に対して、来賓がよく胸につけている赤いリボンが配られていたのにはびっくりさせられたものです。その上、私たちからのご祝儀も受け取らず、全てご招待という形にも恐縮させられました。

これで思い出したのが4月の末に開かれた、もう1社のお客様の創立100周年祝賀会です。本社が東京にある関係で、帝国ホテルで華々しく開かれたわけですが、やはりこの会社も同様に客先は招待されておらず、私たち協力企業と社員、OBによる全てご招待という形でした。

このように永く続くことのできる企業には共通したところがあるのでしょうか。こんなことから「日本でいちばん大切にしたい会社」を書かれた坂本光司先生のことを思い出しました。先生は本当の企業経営は五人に対する使命と責任を果たすための活動のことと定義しています。

大切にしなければいけない五人の真っ先に挙げたのが社員とその家族です。そして二番目は社外社員として下請けや協力会社の社員とその家族を挙げています。つまり三番目に挙げる現在顧客と未来顧客という客先より優先して挙げているのです。

まさに私どもの有力なお客様2社はたまたま今年、それぞれ100周年、50周年を迎えられたのですが、共通しているのは坂本先生の優先して言っている、社員とその家族、及び社外社員を大切にして頂いているのです。

こんなところにも優れた業績と長続きしている秘訣があるのでしょうか。弊社も1974年創業ですから今年で42年が経ちます。両社に比べたらとても足元に及ばない脆弱な会社ですが、晴れて50年を迎える8年後には少しでも社員が胸を張れる会社を目指して頑張っていきたいと思っています。

2016.05.19

加藤清正 No.2837

 現在のNHKの大河ドラマ「真田丸」にも出てくる加藤清正の話です。豊臣秀吉の子飼いとして小姓から身を起こした武闘派の人物として知られていますが、築城や治世にも優れた手腕を発揮したことがわかっています。

秀吉の母である大政所と、清正の母が従姉妹か遠縁にあたる関係で秀吉に仕えたわけですが、忠義を尽くした秀吉亡きあとは、徳川の家臣の大名にもなり両家の縁を取り持つこともしているみたいです。

また今度の熊本地震で大きな被害に見舞われた、名城と呼ばれる熊本城を造った人としても有名で、築城術、治世に長けていて、肥後熊本に領国を得てからは、この熊本城は設計から監督までを成し遂げたということです。

後世に伝わっている話としては、西南の役の際、薩摩より北上しようとする西郷隆盛の軍勢の攻撃を受け、政府軍が49日間にわたってこの城に篭城して守り切ったことは有名です。

それは清正の築城術が巧みで、城内に植えた銀杏の木がいざというときのための食料用や、また大広間の畳には、井草の替わりに芋蔓やカンピョウを使い、これも非常用の食料として考えていたことが少なからず功を奏したのではないでしょうか。

また人を見る目、人心掌握術でも秀でた部分があったようです。こんな話が紹介されています。肥後熊本にも加藤清正の名を慕って多くの浪人武士が仕官を求めてやってきたそうです。

たまたま老人、中年、青年の3人の武士が同時期に清正以下側近の面談の機会を得ることができました。面談後、側近達は言葉の端々に有能さをみせた青年武士を登用しようとします。

しかし清正の目は違いました。老人の長く経てきた経験と、中年のヤル気を買いたいというのです。そして「青年武士はどこの家にいっても通用する。あの青年を優秀、有能というのなら当家の青年武士は腐ってしまうぞ。当家の青年武士は優秀 である」と喝破したそうです。

そして実際に登用された老人、中年武士はそれぞれの持ち味を発揮し、家中に大いに刺激を与え、活性化の推進役となったというのです。というように、企業においてもともすれば青年の未熟ではあるが有能さに目がひかれ、登用・採用することも多いかもしれません。

それはそれでいいのですが、自身の経営する企業の状況によっては、それがまた有害となるケースもあることを頭の片隅にとどめておくべきで、老人の知恵・経験、中年のヤル気が必要とされる場合も往々としてあるのだと指摘しています。

このように知恵が働き、優秀であるがゆえに時の政権に恐れられ、うとまれて最後には毒殺されたという説も残っています。またこの加藤清正、いつも腰に米3升と味噌、銀銭300文を入れていて、腰が重いだろうと人から案じられていました。

常日頃から戦時の備えを怠らなかったのです。やはり先を見越した長期的な展望を持っていた人なのでしょう。テレビのドラマでは怪力で秀吉の命に従い井戸に放り込んでしまうような、荒くれさだけが強調しているようですが人の見かけだけでは判断できないということでしょう。