会長の”三行日記”

2013年09月

2013.09.30

ためいき No.2465

 ためいきのことがこんなに話題になるとは思いもしませんでした。先月の話になりますが、去る24日、東京有明で開かれた東レ・パンパシフィック・オープンでの話です。

42歳にもなりながら頑張って現役を維持しているクルム伊達公子選手が、観客のため息で切れたという話です。この試合、世界ランキング17位のサマンサ・ストーサーとの2回戦で、第2セットタイブレーク1点目にダブルフォールトをしてしまったのです。

その瞬間、伊達選手を応援する観客の残念な思いが、このため息となると、「ため息ばっかり!」と激高したのです。そして集中力を切らした結果、3-6、6-7で敗れてしまったのです。自分自身のいまいちな調子にもイライラが募っていたのでしょう。

ダブルフォ-ルトの瞬間、「ため息ばっかり~!!」という、その甲高い叫びが、会場中に響き渡ったのです。それはまさに両手を広げて、その手を振りながら激高している様子だったと言います。

これでは試合には勝てませんね。私はテニスのことをよく知りませんが、そんなにメンタルになることなのでしょうか。観客のため息は伊達選手を応援しているからこそ出るものなのです。平日とは言え、この会場には7000人もの観客が詰め掛けていたのです。

それというのも、全てとは言わなくても大部分は伊達選手の応援に駆けつけている人でしょう。運悪いことにこの日は雨のためセンタ-コ-トの屋根が閉まっていて、ため息が室内でこだましていたと言います。

とは言っても観客に向かってキレるなど、自分の不甲斐なさへの八つ当たりのように思えてなりません。それがため息ではなく、「あ-あ-」といった半ば馬鹿にしたような本人への叱責ならともかくとして、タダではなくれっきとして高い入場料を払っている観客に対してですから問題です。

私に言わせれば、ため息を聞きたくなかったら、自分自身がもっと良いプレ-を見せることです。何か自分が日本テニス界の女王様のようなつもりで、観客に良いプレ-を観ていただくのではなく、上から目線のような振舞いにも思えます。

もっと観客やファンあっての自分というものを自覚してもらいたいものです。そうでなくてはとても第1人者とは言えないでしょう。この歳まで頑張っている彼女の姿に好感を持ち続けていたのですが、少し興醒めしました。

2013.09.27

楽天の優勝 No.2464

 楽天が悲願の優勝を飾りました。球団創立9年目のことだと言います。まずはともあれ、楽天の優勝に心からお祝いの言葉を捧げたいと思います。元々2004年の球界再編騒動に伴い、産まれた球団ですが、オリックス、近鉄が合併したことに伴い、その余りもののような選手での出発でした。

ただ一人、岩隈投手をトレードで獲得したものの、1年目は何と38勝97敗という最悪のスタートだったのです。それだけに創立時を知っている人には、夢のような優勝ではないでしょうか。何といってもこの弱小球団を支えてくれたのは、温かい東北のファンだったと思います。

1年目、あれだけ負け続けたチームに対しても、ファンはヤジることが一切なかったと言います。そして悲運の大震災がこの地を襲うことになりました。今でもしっかりと感動を覚えているのが、選手会長だった嶋選手の言葉です。

東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう。今、この時を。絶対に勝ち抜きましょう、この時を。今、この時を乗り越えた向こう側には強くなった自分と明るい未来が待っているはずです。絶対に見せましょう、東北の底力を!

これは感動的なスピーチの一部に過ぎませんが、このときから今度は楽天の歩みが逆に被災者を励まし、勇気付ける使命を負うことになったのです。この年から星野監督を迎え、戦うプロの集団として選手の大幅な意識改革も図られたようです。

そしてご存知の通り、今シーズンはマーくんこと、田中将大投手の開幕から負けを知らない22連勝という、とてつもない活躍がありました。このマー君の負けなしだった裏にも、結構、好調な打線があったものと思います。ジョーンズ、そして4番のマギーといった助っ人も良く働いてくれていました。

でも星野監督自身が言われていたとおり、今シーズン優勝するとは誰もが信じられなかったことです。最弱と言われていた楽天の優勝は、未だに大きな苦難を強いられている東北の方々に、これで大きな励ましや勇気を与えることになったのではないでしょうか。

また星野監督が7度も宙に舞った胴上げには、それこそ選手全員が輪の中心に向かっていました。よく見る最近の他の胴上げには、中心から外れた外側の選手はマスコミを意識してか、輪のほうではなく外側を向きジャンプする姿を見受けます。それだけ監督、コーチ、選手全員が1つの方向に向いていたとも言えるのではないでしょうか。

そしてこれからも地域と一緒に歩み、共に戦う球団としてしっかりと位置づけられました。ある意味では10年も経たずして、よくここまで根付くことになったと、羨ましくなるような話でもあるわけです。新聞の見出しではありませんが、「9年目の悲願喜び100倍返し」、本当に誰もが嬉しくなった優勝のような気がします。

2013.09.26

ネットでおしゃれ No.2463

おしゃれをすれば、遊びの時間はもっと豊かになるが、お金がないからできない。でもそんなお金がない人でも、できるだけお得におしゃれを楽しめる、インターネットサービスが首都圏で生まれていると、新聞に載っていたので紹介します。

1つは安く髪を切りたい人と、報酬にこだわらずにとにかく髪を切る練習をしたい美容師見習いを、引き合わせるサイトです。場所やどんな髪形にしたいかなどの条件を元に、美容師見習いを検索し、依頼する相手を選択するものです。

その見習いの所属する店で、営業時間後に髪を切ってもらうシステムです。散髪中は店長ら熟練の美容師がそばにいて、見習いにアドバイスをしてくれるうえ、見習いの練習を兼ねているから、最も安いのは500円でも切ってもらえます。

そして多少、不満の残る出来でも、最後は店長らが整えてくれるので、店を出る際は満足のいく髪形になるそうですから不安にもなりません。また以前利用していた1回1万5千円の美容師にも、引けをとらない技術を持つ見習いに出会うこともあると言います。

これでは文句のつけようがありません。それから、値段の高い売れっ子美容師だと、ただ作業として切られているように思えるが、見習いの方は真剣で、こちらの要望にも丁寧に応じてくれ、一人前になろうという意欲や頑張る気持ちが伝わってきて、こちらまで元気になれるという声も聞かれます。

また2つ目は零細工場の衣類販売です。国内外の有名ブランドの洋服などは、実は国内の零細工場が受託生産で作っている例が多いと言います。この世界に通ずる製品を作れる工場の、オリジナル製品をインターネットで販売しようという仕組みです。

利ざやを抜く中間業者を通さないため、工場の1製品当たりの利益率を倍近くにしても、値段は受託生産の半額程度で済むと言います。この通販サイトを運営する人によると、こうしたビジネスモデルを採ることにより競合の衣類販売会社との差別化を図り、日本の零細工場を盛り上げる狙いがあると言います。

驚くのは国内市場における衣類の国産比率は、1990年の約5割から2012年の4%弱にまで減っていることです。それだけにブランドの受託生産だけだと買い叩かれがちな零細企業にとって、こうした仕組みは嬉しいことです。

とにかくメード・イン・ジャパンの優れた技術を、もっともっとこのような仕組みで守ってもらいたいものです。このようにネットには上記に示すような素敵な使い方があるものです。工夫すれば私たちが生き残れる術がまだまだ見つかるのではないでしょうか。やはり横並びではない、他社との差別化が求められているものです。

2013.09.25

米ツア-挑戦 No.2462

 来月から松山英樹、石川遼の日本を代表するとも言える2選手が、PGAツア-に挑戦します。来季からは日程が今までの1月から繰り上がり、10月スタ-トとなるためです。このため今季は9月でツア-が終了する、短い変則日程にもなったわけです。

ご承知のとおり、松山選手は出場試合が7試合と少ないにもかかわらず、全英オ-プンでの優勝争いのような活躍で、文句なしの来季シ-ド入りを果たしました。一方、石川選手は今季から、米ツア-に本格参戦したのですが結果がいまいち伴わず、獲得賞金額が149位とこちらでは来季のシ-ド入りは果たせませんでした。

しかし、4試合の下部ツア-との入れ替え戦に回り、第2戦5位、第3戦7位と健闘し、現在10位のランキングで何とかシ-ド権を獲得できる見込みがつきました。こうして若きホ-プの2人が本格参戦するわけですが、果たしてその実力が本場で通用するのでしょうか。

まず松山選手ですが、全英オ-プンの活躍で俄然、世界でも注目される存在となりました。その前の全米オ-プンでは10位、またメジャ-最後の全米プロでも19位と、難しいコ-スセッティングでも難なくこなしています。それだけに大いに期待を持てるのではないでしょうか。

それを裏付けるデ-タが示されていました。1ラウンド当たりの平均スコアが68.77とツア-で1位というのです。もちろん試合数が少ないから参考記録に過ぎないのですが、ツア-トップが68.95ですから、難コ-スが多かっただけに文句なしにその実力を示しているのではないでしょうか。

一方、石川選手の方はというと、入れ替え戦に回らなければいけないほど苦戦したわけですが、序盤での腰痛やスイング改造が度重なる予選落ちの原因だったようです。しかしこのところ、アイアンがキレてきているようですし、元々上手かった小技やパットが回復すれば十分通用するだけの力はあるのではないでしょうか。

全英オ-プンでスロ-プレ-としてペナルティ-を課せられた松山選手ですが、ある方が指摘していたことで、初出場の全英でこんなに自分のペ-スで回れる選手はなかなかいないというのです。また帰国してからその後の試合でも、横尾選手あたりからもプレ-が遅いと苦言を呈されていました。

もちろん、そうしたマナ-は改善しなければいけませんが、ある意味では泰然自若としたオオモノぶりを示しているのではないでしょうか。また鈍感とも言えるかもしれません。そうした野生児的なところが石川選手と対照的で面白いものです。

とにかくこうした野生児的な人間がいち早くアメリカで結果を出すのか、はたまた永年の夢でもあるマスタ-ズで、いわゆる優等生的な遼君が成果を上げるのか、応援する私たちからすれば興味が尽きないところです。どちらにしても、早く日本人ここにありというところを見せてもらいたいものです。

2013.09.24

半沢直樹最終回 No.2461

 テレビドラマ「半沢直樹」の最終回を観ました。回を追うごとに視聴率が上がり、何と日曜日の最終回には42.2%という、驚異的な数字を示したと言います。これは「家政婦のミタ」を抜いて最高だとも言われています。

ではなぜこのように視聴者の目を釘付けにしたのでしょうか。結論から先に述べると、私は現実にはなかなか不可能な、一社員が世の中や会社内における矛盾に対して行った、大きな反攻(逆に攻撃に回ること)への賛美ではないかと思います。

誰しも半沢のような正義感や抑えがたい怒りは持っているものの、現実にはなかなか上司に向かって大きな口は叩けないものです。それをやるとすれば半分、退社を覚悟でしなければなりません。やはり自分の安定した生活や将来のことを考えると、二の足を踏んでしまいます。

こんなことから、自分にはやりたくてもできないことを、テレビの主人公がやってくれることに対しての痛快さを覚えているからではないでしょうか。言い換えればそれだけ現実の世界には、そうしたストレスやフラストレ-ションが溜まっているとも言えるわけです。

原作者の池井戸潤さんもこの最終回を観て、やっと原作どおりの展開にしてもらって助かったと言われるとおり、テレビ向けにそれなりの脚色はあったのはないかと思われます。それだけテレビは誇張していたかもしれませんが、毎回、私も面白く観させていただきました。

幼い頃からの長年の口惜しさを晴らし、銀行の名誉も挽回した、半沢に対して銀行がとった処置はセントラル証券への出向という、思いがけない結論でドラマは閉められました。また一方、融資を私物化したような不正を働いた役員に対しては、大きな左遷もなくそのまま役員に留まる処分で済まされました。

この結論はドラマ的には面白くなかったかもしれませんが、これが現実ではないでしょうか。常務を100倍返しと言って、土下座までさせた社員(次長)をこの先、どうやって執行部は使っていったらよいのでしょうか。それを考えたら、現実にはなかなか使い方が難しいものです。

またもう一つ、銀行内部にうごめく派閥などを考えたら、切るのは簡単だが残した方が得策という、ドラマではない現実的な処分も少し面白かったところです。ということですが、原作も出向してからの半沢直樹を描いている通り、高視聴率を誇ったこのドラマをこれきりにするとも思えません。

それだけに後に続くべきエンディングではなかったでしょうか。それにしてもドラマを更に盛り上げていた大和田常務と金融庁の黒崎を演じた、香川照之さんと片岡愛之助さんの敵役は見事でした。どちらも歌舞伎役者だけに、やはり私たち視聴者を大きく惹きつけるものを持っているのはさすがです。

2013.09.20

穂高挑戦その4 No.2460

 横尾からいよいよ山道に入り、目指すは涸沢、何とか辿り着くことができるでしょうか。それにしてもお天気はよく、眺める景色は抜群です。さすがにここまで来ると山の醍醐味を味わえるものです。

9月14日 横尾  9時40分出発           同    涸沢 12時45分到着

遠くには前穂高岳でしょうか、横尾大橋からもその雄大な姿を見えます。横尾から歩き始めて20分、今では地面が埋め尽くされてしまったのか、とても泊まることはできなくなってしまった岩小屋跡がありました。

昔はこんなところにも泊まったのでしょうか、先人のまさにパイオニア精神です。そしてそれから40分ほど歩くと本谷橋に出ます。ここで初めて綺麗な水の流れる沢を渡ることになります。

以前は丸木橋だけだったのでよく流されたということですが、今はこのような他の吊り橋が架かっています。今日は少ない川の流れが、大雨などで突如として増えることがあるのでしょう。

15分ほどの休憩後、一路、目的地涸沢に向かい歩き始めたのですが、あと2時間ぐらいだと言います。

進むに連れてだんだん登りもきつくなり、足もとに岩場も増えてきます。何ともなければよいと思っていたのですが、次第に初めて背負ったザックの重みが増してきました。

と感じていたら、その影響からか、左ひざの外側が痛み出してきたのです。同行のベテランからは、やはりザックの重みに筋肉がびっくりしたからだと指摘されました。

今までにない経験だったのですが、やはり山を甘く見ていたつけが出始めたのです。でもペ-スは少し下がりましたが、何とか歩き続けることはできました。

そしてまだ遠くですが、涸沢のカ-ルや小さく山小屋が見えてきたことにより、痛む足を気にしながらも少し勇気づけられたのです。こうして本谷橋での休憩してから約2時間後、目指す涸沢に何とか辿り着くことができたのです。さすがに初めて眺める涸沢の大カ-ルは圧巻です。

ちょっと前に出掛けた木曽駒の千畳敷にも感動しましたが、ここはそれ以上の大きな感動ものです。大カ-ルを眼下に、右に北穂高岳、そこから左に行くと奥穂高岳、そして吊り尾根を経由して前穂高岳といった穂高連山がしっかりと取り囲んでいるのです。まさしく大パノラマの光景にすっかり魅せられたのです。

予定より早く着いたお陰で、テントの設営も余裕を持ってでき、あとはおいしい生ビ-ルで乾杯あるのみです。とにかく格別だったのは言うまでもありません。こうして涸沢の夜が暮れないうちからテントで就寝となったわけですが、翌日は生憎の雨、またその翌日には台風が迫っていることから、穂高連山への挑戦は次回へのお預けとなりました。

このへんがさすが日本山岳会の会員ならでの素早い決断です。ベテランはこのように決して無理はしないものです。でもお陰で膝の外側を痛めた私が、皆さんの足を引っ張らずに済んだわけです。そういった意味では台風に感謝しなければなりません。

こうして翌日は上高地まで下山することになり、上高地温泉ホテルの温泉にもゆっくりと手足を伸ばして浸かることができました。予約できた小梨平の上高地キャンプセンタ-のロッジも、広い部屋で快適でした。

メンバ-が用意していただいた歌集を、皆が全ペ-ジ歌い尽くすほどの盛り上がりで、楽しい最後の夜を過ごすことができました。とにかく山の素敵な魅力を十分堪能させていただいた、同行の皆さんに感謝の言葉があるのみです。

2013.09.19

穂高挑戦その3 No.2459

9月14日 明神 7時25分出発            同    横尾 9時20分到着

一同は穂高神社に今回の無事を祈願し、明神に別れを告げ、次の休憩地・徳澤に向かいました。およそ45分ぐらい歩いたでしょうか、キャンプ地としても知られる徳澤に着きました。

ここに構える山荘「徳澤園」は、井上靖さんの小説「氷壁」を執筆したところとしてもよく知られています。

少し玄関を覗いてみたのですが、山荘というよりはむしろホテルといってもよいくらいの豪華さです。徳澤からは小説の舞台ともなった前穂高岳をしっかりと仰ぐことができます。

しばしの休憩後、山歩きの最終地点・横尾に向かいました。というのは同行のメンバ-にこう言われたのです。「横尾までは山歩きだが、本当の山登りは横尾から先だ」と。この先少し、その違いを見せつけられそうな気持ちになったものです。

徳澤から約1時間、無事、横尾に着いたわけですが、ここで道は槍ヶ岳方面と涸沢とに大きく分かれます。

涸沢は左の橋を渡って行きますが、ここから6km、いよいよ本格的な山道です。50リットルのザックを初めて背負っていますが、果たして大丈夫でしょうか。

2013.09.18

穂高挑戦その2 No.2458

 お天気は絶好で、いよいよ穂高挑戦です。

9月14日 6時  河童橋出発             同    7時25分 明神発

翌朝は4時半過ぎに目覚め、顔を洗って身支度を整え、5時20分に沢渡駐車場からタクシ-で上高地に向かいました。上高地には1年を通してマイカ-の乗り入れ禁止となっているため、バスかタクシ-でないと向かえないのです。

写真の通り、既に上高地バス停には早朝だとはいえ、ご覧のような人だかりで、目指す山もくっきりとその姿を現わしています。

こうしてバス停を出発したのが5時40分、ものの15~20分でかの有名な河童橋に着いたのです。初めて眺める河童橋はやはり素敵なところです。

梓川が下に流れ、遠くには雄大な穂高連峰をまるで絵画のようにバッチリと眺めることができます。山に登らなくてもここが観光名所となる所以です。

しばし素敵な風情を楽しんだ後、いよいよ今日の目的地、涸沢に向けて出発です。6時に河童橋を出た後、約45分で明神に着きました。

明神橋を渡り、少し中に入ると明神池と、その入口に穂高神社奥宮が祀られています。

上高地は古くは神降地と呼ばれていたみたいで、池と神社の手前にはこの地で猟をしながら山の案内人もしていた、上條嘉門次が作った嘉門次小屋もあります。

いわば上高地の草分け的な人なのでしょう。囲炉裏の周りには仕留めた熊の毛皮などが飾られ、小屋の名物料理とも思えるイワナが水槽にひしめいていました。

このようにちょっとコ-スを外しただけで、また趣のある風情を楽しめるものです。

2013.09.17

穂高挑戦その1 No.2457

昨日は台風18号が日本列島を縦断し、あちらこちらに大きな被害をもたらしました。浸水や突風等、被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。そんな中、13日の夜からこの3連休を利用し、以前から山行きのお誘いを頂いていたことから、出掛けてきました。

お誘い頂いたのは仕事上のお客様でもあり、日本山岳会のメンバ-でもあるベテランの方からです。当初の予定では北アルプス、黒部川・下の廊下という、黒部ダムから宇奈月温泉まで歩く3日間コ-スだったのですが、今年は残雪が未だにあり、途中通行止めの箇所があるということで、急遽そのコ-スを変えたのです。

一行は私以外は全てベテランばかりで、計6名のグル-プです。そして向かったのはやはり北アルプスの穂高岳という、登山家なら誰でも知るあこがれの山です。でも何にも知らない私はただついて行くだけで、道中の大変さも知らない、相変わらずのノ-天気さを隠せませんでした。その奮闘記をちょっと紹介させていただきます。

9月13日 19時30分 富士川楽座出発       同    23時すぎ  沢渡駐車場着

一行はそれぞれ東名上り線に併設している道の駅・富士川楽座に集結し、1台の車に乗り換え、今夜の根城となる沢渡(さわんど)駐車場に向かいました。

途中、52号線から現段階ではここまでしか伸びていない、中部横断自動車道・増穂ICより、一路長野道・松本までの高速道や、松本を降りてからの上高地への道のりは極めて順調でした。

こうして途中、パラパラと少し雨も落ちてきましたが、明日はきっと良いお天気になることを願いながら、無事、今夜の宿泊地・沢渡駐車場に着いたのです。

事前での予想は駐車場も混んでいて、停めるのは大変ではないかと思っていたのですが、お天気が崩れる予想のためか、いつもの時期より少ないようです。

それでも既に到着している車や、もう山に入っていて置き去りにされていると思われる車は少なくありません。こうして駐車できたからには、あとは寝場所の確保だけです。

幸い、トイレにも近く、屋根もありベンチもついている格好な場所が見つかりました。これではテントも不要とのことで、シュラフに包まってただ眠りにつくだけです。

こうしたときには、ささやかな乾杯を挙げた缶ビ-ルがその効果を上げるもので、お陰でぐっすりと眠ることができました。一行の中には女性もいただけに、男の自分はまだしも、野宿だけに結構、ワイルドにも思えた、初日でもあったのです。

2013.09.13

好調セブンイレブン No.2456

 火曜日、水曜日と熱海のホテルの油移送ポンプの切替工事で出張してきました。消防法等の改正で、地下タンクの設置基準が厳しくなった関係で、ボイラ-で使う重油を地上タンクから、ボイラ-への供給のサ-ビスタンクまで、直接移送しようとするものです。

今までは業者から仕入れる地上タンクから一旦、地下タンクに移し、ここからサ-ビスタンクまで自動制御で移送していました。このため、地下タンクを少なくない金額で改修するなら、いっそのこと、これをやめてしまい、地上タンクから自動制御でサ-ビスタンクまで移送しようと、設備と電気、それぞれ新たに改修を行ったのです。

費用的にはこの方が少なくて済むことから、今後、同じような案件を抱えているホテルからは、少なからずこうした引き合いがあるのではないでしょうか。期待したいものです。

さて前置きが長くなりましたが、コンビニのリ-ダ-格とも言えるセブンイレブンが好調です。つい先日は一部フランチャイズの加盟店から提訴された、消費期限対策の安売り戦略に対しての本部からの禁止措置に対し、原告の訴えが認められる判決が出たようですが、そんなことを全く苦にしないほど、業績はすこぶる順調のようです。

それというのもセブンイレブンの実質創業者であり、現会長兼CEOの鈴木敏文さんのお店へのこだわりが特に強いようです。まず弁当1つとっても、鈴木さんは来客がない限り、役員と共に弁当の試食を続けているそうです。

40年間続いているそうですが、ご本人は小売業をやってれば当たり前のことだと話します。たとえばチャ-ハン、家庭で作るのと違って大量に作ると、どうしてもベタつきます。このため、販売を中止しながらチャ-ハンを作る機械を1年半も掛けて開発したとのことです。

また赤飯や冷やし中華なども同様で、設備から新しく作っていて、冷やし中華は10回以上作り直したと言います。このように一つひとつの味を大切にして、こだわってきたからこそ他社との違いがあるのではないかと言われています。

そして同社はこの40年間、行き詰ったことがないといいます。1日の販売が約67万円で、他社と10万円以上その開きがあります。また不振店の割合も1~2%と驚異的な数字を示しています。これは接客や欠品に対する考え方を積み上げてきた結果だというのです。

それから速くなっている時代の変化に敏感に対応しているからこそ、今日があると言っています。課題は新しいものをどこまで出していけるかという、人間の心理への挑戦とのことです。新しいものが出たから買いたくなるわけで、食べ物も同様で、おいしいものを食べたいが、明日はまた違ったものを食べたくなるのが人間の心理だと指摘します。

また系列のヨ-カ堂に比べ、なぜセブンイレブンが違うのかという問い掛けには、問屋に任せ切りの前者に対し、セブンイレブンはもがきながら成長してきたからだと言います。お客様の要望をいち早くキャッチして新しい商品に反映させようとする、仕事に対する姿勢が違うためです。

これでは売上げが伸びず苦戦している他の既存店と違いが出てくるわけです。PB商品にしてもただ安いといったものではなく、どんどん良いものを開発し、最高の品質のものを提供するといった、新しい常識を持ち合わせています。

こうした同社の戦略は私たち他の業種においても、そのまま通用するのではないでしょうか。欲を言えば、2013年2月期には単独営業利益1867億円と3期連続増益、最高益を更新している同社ですから、巷でたまに噂されている、不振が続くとすぐチェーン店の契約を切るようなことではなく、業界のトップの座に恥じないよう、人間的な心豊かな経営を目指してもらいたいと願っています。