会長の”三行日記”

2013.03.07

日本のトイレ No.2357

今日は臭い話で恐縮ですが、日本のトイレについて触れさせていただきます。昨日の茅ヶ崎出張時にラジオから聞こえてきたことですが、日本にやってきた旅行客の多くが日本のトイレは素晴らしいと語っているそうです。

何が素晴らしいのか、よく聞いていなかったのですが、1つにはあまり探すのに苦労することなく、どこにも公衆トイレがあるということではないかと思います。聞くところによると、ヨ-ロッパのフランスなどでは街に出たとき、このトイレを探すのに苦労するそうです。特に車の場合は渋滞などしていたら大変みたいです。

それに引き換え、我が国では公園には必ずトイレが備わっているし、ス-パ-などのお店では必ずあることから、いざという時にも困らなくて済みます。それから賞賛されるのはやはりトイレの持つ機能性ではないかと思われます。

今の日本ではウォシュレットが当たり前のように、あちこちに備えられています。ホテルや自宅はもちろんのこと、高速道路のパ-キングの公衆トイレにまで完備されています。それは温水や脱臭、乾燥機能まで備えているものです。

こうしたウォシュレットが少しずつ世界に普及しているのでしょうが、元々作り出しているのは日本のメ-カ-です。それは留まることなく、どんどん多機能で進化しています。今ではセンサで人を感知すると、自動的に上蓋が開き、いちいち手を使わなくてもよいようにまでなっています。

これから先、もっともっとハイテクでペ-パ-レスのトイレまで、そのうち生まれるのではないでしょうか。こうしたトイレに快適さや利便性を求めるのは日本の文化ではないかと思われます。ただ用を足すだけではなく、トイレが自分ひとりになってホッとするような、癒しの空間的存在でもあるからではないでしょうか。

また歌にもあったように、古くからトイレには神様が住むと言います。それゆえ綺麗にしていなければいけないとも言われています。私ももうずっと前ですが、1年半もの間、毎日欠かさずトイレ掃除をしていた時期があります。

それが今では2週間に1度となってしまいましたが、この毎日掃除をしていた時期が懐かしく思い出されます。今考えると、少しは人間的にも成長できたような気がするし、充実していたようにも思えます。やはり神様が住んでいたのでしょうか。

話が少し横道に逸れてしまいましたが、とにかく日本のトイレは素晴らしいと、世界の人からも絶賛されているようです。一事が万事、このトイレと同じように、日本の技術や文化が世界をリ-ドしていくことはまだまだいっぱいあるようにも思えます。「頑張ろう!ニッポン」まだまだ捨てたものではありません。

2013.03.06

父の尊い愛 No.2356

北海道を襲った暴風雪により9人もの方が亡くなられました。その中の一人である岡田さんの話に胸を打たれました。自分は犠牲になったのですが、愛する娘を10時間も抱き続けてその尊い命を守ったのです。以下はそのときの記述です。

オホーツク海に面する人口1万人ほどの漁師街、北海道・湧別町。昼までの春らしい陽気が一変し、大雪が降り始めた3月2日午後3時過ぎ、漁師の岡田幹男さん(享年53)は、学童保育に通うひとり娘・夏音ちゃん(9才)を迎えに、自宅から6km離れた児童センターへ車で向かった。

自宅と児童センターの送り迎えだったため、岡田さんは薄手のジャンパーをはおっただけの軽装で家を出てしまったという。漁師という職業柄、天気を読むことができるという岡田さん。児童センターに着くと、先生や親たちにこう言った。

「今日は酷い天気だから、早く帰ったほうがいいよ」 上下スキーウエアの夏音ちゃんを車に乗せ、帰り道を急いだ。だが、雪は彼の予想を超えて、激しさを増していった。帰り道の景色が、いつもと違っていた。雪で視界が遮られ、どこが車道かさえもわからないほどだった。

岡田さん父娘を乗せた車は、児童センターから約4km離れた場所で、道路脇にあった雪の吹きだまりに突っ込んでしまう。岡田さんは知人に、「車が動けなくなった」と助けを求め、消防や警察が捜索を始めたが、難航を極めた。

エンジンはかかるものの車は動かない。車内で救助を待とうにも、ガソリンが少なく、暖房も長くは使えない。何より、恐怖と寒さで凍える夏音ちゃんを早く安心させてあげたい。そう考えた岡田さんは、夏音ちゃんを連れて、近くの知人宅に避難しようと車を降りて歩き始めた。

この時の最大風速は20.1mで、気温はマイナス6℃。風速が1m増すと体感温度は1℃下がるといわれていることを考えると、その寒さは想像を絶するものだっただろう。風が強くて息をすることすら難しい。そんな過酷な状況下でも、岡田さんは夏音ちゃんを抱きかかえて、一歩ずつ前へと進んでいった。

数時間後、岡田さんがやっとの思いでたどり着いたのは、車から300m先の牧場倉庫。だが、入り口の扉には鍵がかかっていて、中に入ることはできなかった。吹雪は岡田さんの体力を奪い、もう一歩も歩けない。朦朧とした意識の中、彼は、ある決意をする。

「この子だけでも守る」着ていた薄手のジャンパーを脱ぎ、夏音ちゃんに着せると、雪が少しでも入ってこないように、両手で強く覆いかぶさるように抱きしめた。それから約10時間もの間、父は、祈る思いで娘を抱き続けた。

翌3日午前7時、警察官がふたりを発見。岡田さんの脈はなく、すでに死後硬直が始まっていたという。「ふたりの上半身は雪で埋まっていたのですが、夏音ちゃんが窒息しないように小さい穴が掘られていたんです。

岡田さんは娘を温めながら、顔に積もった雪を必死で振り払っていたんです。それを見た救急隊員は、岡田さんがどれほど必死で娘を守ろうとしていたのか、胸がつまる思いがしたそうです」(消防関係者)

この父の命と引き換えに守られた夏音ちゃんは、凍傷だけで済み、奇跡の生還を遂げたのでした。一昨年、妻に先立たれた岡田さんは、この長女と二人暮らしでした。そしてこのひとり娘のために、ひなまつりのケ-キまで予約していましたが、一緒に祝うことが叶わなかったのです。

何とも切ない話で胸が詰まります。自分は死ぬ覚悟を決め、愛する娘だけは必死に何とか守ろうとしたのです。これが我が子を持つ、真の親の愛情というものでしょう。心からお悔やみを申し上げます。そして一人きりになってしまった夏音ちゃんですが、守られた尊い命に少しでも幸多かれと祈ります。

2013.03.05

生き残り戦略その1 No.2355

先日も少し触れましたが、私たち中小企業の生き残る要素は他社にないものを持つということではないでしょうか。それは技術や商品、そして人や情報の差別化にあると言われていますが、大企業と違って私たちの一番手っ取り早いのは、やはり人という分野です。

なかなか他社にない技術を持つと言っても、中小企業、特に私たちのようなレベルでは難しいものです。従って比較的簡単に取り組むことができるのが、人(社員)の差別化ということになります。

それは社員一人ひとりが、いかにお客様の喜ぶ姿を描きながら仕事ができるかということに掛かっています。今回の弊社のように、大手が納期が無いからといって断わった物件を、同じように断わっていて私たちの存在価値は生まれるものでしょうか。

納期がなくて確かに厳しかったのは事実です。エンドユ-ザ-の開店を4月に控え、引き合いを頂いたのが1月末、3日間で5面の盤の大きさ等算出しながら見積を提出、納期は2月20日頃と言います。それゆえ、注文を頂けるなら早急にと申し入れたのですが、なかなか返事がありません。

きっとお客様の仕様がコロコロ変わっていたのでしょう。1週間後の2月4日にようやく最終仕様が固まり、手配を進めるようにと返事をいただき、部品手配と図面作成に取り掛かりました。間に軽井沢や平塚の出張工事を挟んで厳しかったのですが、早朝や夜遅くの時間を活用しながら図面が完成し、客先に確認申請をしたのが3連休の最終日である11日です。

ですから実質の製作に取り掛かったのが連休後の12日以降です。一部は先行手配していた関係で入荷していた部品もありましたが、板金等の製作モノはそれからの手配になります。こうしてそれから約7日間で盤を作り上げるのだから大変です。

おまけに忙しいときは仕事が重なるもので、16、18、20、21日と、この現場製作に携わっている社員も別の出張工事に出掛けなければなりません。この社内製作が忙しいなどという理由は他のお客様には通用しないのです。

こうして仕事を進めたくても掛かれないジレンマはありましたが、出張工事から帰ってきて、疲れている体に鞭打ってもらって製作を進め、何とか指定されていた21日に納めることができたのです。本当に感謝以外の言葉が何もないものです。

これは自分たちの会社に求められているものを、私だけでなく、社員全員が理解しているということではないでしょうか。一度約束した納期は絶対的なもので、言い訳ができないものです。そうした使命感に支えられているとも言えるものでしょう。

またどこでも楽にできるのでは何の差別化にもなりません。言い換えれば、そうしたものでは私たちにお鉢が回ってこないとも言え、無理なようなものでも可能にするから出番があるのです。納期に追われていたため、小さな社内的ミスはありましたが、幸いお客様に迷惑を掛けることなく、何とか仕事を完了できました。

予定通り納めてもらって助かりました。これからもまたよろしくお願いします。」こうしたお客様の声や喜ぶ姿に、「やってよかった」という、新たな生きがいが生まれるもので、小さな会社の生き残りに繋がるものではないでしょうか。