会長の”三行日記”
2013.04.10
たった一言 No.2375
弊社の応接兼会議室に次のような言葉の額が掲げられています。「たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を暖める」。これはかつて信州上田の別所温泉に旅行したとき、朝の散歩で近くのお寺・聖禅寺を訪れたとき、目に留まり購入したものです。
いつもこの額を眺めるたびに、たった一言の重さを実感しています。それというのも、私自身の生来の無神経さが災いし、長年、交友のあった友人が離れていってしまったのです。それも私から放った、たった一言が原因です。
彼とは竹馬の友とも言えるかもしれません。生まれたのが同じ地で隣近所だったのです。そして小学校は同じところに入学したのですが、入って間もない5月、私の家(当時は借家)が火事で全焼してしまったため、翌年の新年度から今の片浜の地に引っ越してしまったのです。
このため彼とは離れ離れになってしまったのですが、たまたま高校の入学式で、彼の父と私の母が再会したため、お互い幼少時の記憶が薄れていましたが、旧交を温めることになり、それ以来、気心が知れた友人として社会人になってからもずっと付き合っていたのです。
彼の名誉のためにも、私が放った、たった一言は何かとは申し上げませんが、それが彼の心を大きく傷つけてしまいました。私自身は特別他意はなく、いつも言いたいことをお互い言い合える関係からだったのですが、受け取る側はそうはいきませんでした。
その晩、同じ宿に泊まり、電車での帰り道まで一緒だったのですが、1週間ぐらい経って再会しても彼の怒りは収まっていませんでした。こちらも彼への気安さから、電話で1回は謝り半分「まだそんなことを言っているのか」と、少し時間が経てば収まるものと思い、それ以上フォロ-もしませんでした。
そしてそれっきり、もう何年が経つのでしょうか。おそらく5年以上にはなると思われます。私が傷つけた、たった一言を放ったその年の暮れ、こちらの正直な気持ちを伝えようと、詫び状まで書き記して郵送したのですが、それも受け取り拒否で封も開けてもらえず返送されてきたくらいです。
でも私自身が招いたことですから、非は全てこちらにあると考えています。ですからもちろん、相手の彼のことを悪く言うつもりはありませんし、彼の閉ざされた心が開くのを待つしか仕方がありません。でも私自身は自業自得かもしれませんが、寂しい気持ちには違いないのです。
このように、たった一言が大きく人の心を傷つけることが実際にはあるのです。特に申し上げておきたいのは、親しさが増すほど、その気安さから招きやすいということです。「親しき仲にも礼儀あり」くれぐれも節度を保って気をつけたいものです。
2013.04.09
「寅さん」共演者の素敵な言葉 No.2374
私も大好きな映画でした「フ-テンの寅さん」ですが、新聞に共演者の以下にあげるような、味わい深い含蓄のある言葉などを集めていました。既に3代のおいちゃん役はじめ、亡くなってしまったの人たちばかりですが、おいちゃんたちの言葉から紹介します。
まず初代は森川信さんです。「あ-いやだ、いやだ。おれはもう横になるよ。おい、枕、さくらとってくれ」。飄々とした感じが花を添えていましたね。この人の「ばかだねー」という、寅さんへの言葉がとても懐かしく思い出せます。
次は松村達雄さんです。「金のねえやつがみんな不幸せだって言うならさ、この寅なんぞ、生まれてからずーと不幸せの連続じゃねえか」。そういう心は全く逆で、幸福は金では買えないと、その生き方をある意味で羨ましく思っていたのでしょうね。
それから3代目は下條正巳さんです。一番長くこのおいちゃん役を務めていた方ですが、何ともいえない味わい深さがあったものです。寅さんが女性に律儀なところをほめて「その手の間違いだけはしたことないんだ、あいつは」。生真面目で小言も多かったのですが、寅さんを信頼していたのでしょうね。
またタコ社長を演じた太宰久雄さんのこの言葉も有名です。「お前なんかに中小企業の経営の辛さがわかってたまるか」。映画を観ているときは全くそんなことを感じなかったのですが、今自分がその立場になってみると実感のある言葉です。
その他、共演者の素敵な言葉が続きます。お寺の御前様だった笠智衆さんは「困った。困った」と言いながら「もともと寅の人生そのものが夢みたいなもんですから」と、寅次郎をとても可愛がっていました。ゲストでも三船敏郎さんは獣医師役で出ていて「俺が行っちゃいかんと言うわけは...。俺がほれてるからだ。悪いか」
また、さくらの亭主・博の父を演じた志村喬さんの言葉も、なかなか含蓄のある言葉です。「人間は絶対に一人じゃ生きていけない。逆らっちゃいかん。人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。そこに早く気がつかないと不幸な一生を送ることになる。わかるね、寅次郎君」
そして宇野重吉さん扮する画家の、かつての恋人役を演じた岡田嘉子さんに至っては、「私、このごろよく思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。ああすればよかったなあという後悔と、もうひとつは、どうしてあんなことしてしまったんだろうという後悔」という言葉に、ご自身の恋人とソ連に逃避行した波乱の人生が重なるだけに、ずいぶんと重い言葉になるものです。
とにかく、このように映画の中のセリフにすぎませんが、寅さんシリ-ズは人生の機微と味わい深い言葉にあふれていました。またそんな記事を読みながら、映画館で一人、大笑いをしていた自分を懐かしく思い出すことができたものです。素敵な映画でした。
2013.04.08
国民栄誉賞 No.2373
長嶋茂雄さんと松井秀喜さんが国民栄誉賞をダブル受賞することになりました。ご存知、長嶋さんはミスタ-と呼ばれ、多くの野球ファンから愛され、今のプロ野球人気を王さんと共に築き上げた大功労者とも言える方です。
まだもらっていなかったのかと、大部分の方が不思議に思うほどの人なのですが、ある意味では受賞するきっかけを失っていたのかもしれません。そうした意味ではここで愛弟子でもある、日米で大活躍し引退することになった松井選手の受賞と併せ、やっとそのタイミングができたとも言えるものです。
巨人、大鵬、玉子焼きと言われ続けるほどの巨人軍にあって、やはり長嶋さん抜きにはとても語ることができないものでしょう。私は子どもの頃からアンチ巨人だったのですが、不思議と長嶋さんと王さんは嫌いではありませんでした。
そのくらい誰からも人間的に愛されていたのでしょう。特に長嶋さんはチャンスに強い人でした。そして天覧試合のサヨナラ本塁打のように、大試合やここ一番という場面で、憎らしくなるくらい活躍したのをはっきりと憶えています。
ですから野球だけでなく、日本の高度成長の時代にあって、国民に活力を与え続けた、時代を象徴する人とも言えるのではないでしょうか。その性格は天真爛漫とも言われ、一部天然とも呼ばれるほどの、訳の分からないところも随所に見られましたが、やはり大人(たいじん)だったのでしょう。
そんな長嶋さんなのですが、気配りに富んでいたとも言われています。そして9年前に脳梗塞で倒れたのですが、不自由な体をおしても相変わらず野球にかける情熱は凄いものがあったようです。
愛弟子の松井さんは不調になると、海を越えた国際電話でよく長嶋さんに問いかけたと言います。すると長嶋さんは「受話器をそこに置いて、バットを振ってみろ」と指示したそうです。そして電話口から聞こえてくるバットが風を切る音で、スイングをチェックしたというのは有名な話です。
そうした二人三脚の努力が実って、ワ-ルドシリ-ズでのMVPという偉業にも繋がったのでしょう。とにかく二人の受賞は喜ばしいことです。できればもう一人、日本人大リ-ガ-の道を切り拓き、ノ-ヒットノ-ランを2回も達成している野茂投手にも、スポットライトを当ててもらえば何の異論もありません。二人の受賞をよい機会に、先駆者たる偉業を見直してもらいたいものです。