会長の”三行日記”

2014.03.11

あの日から3年 No.2539

 あの日から3年が経ちました。依然として進まぬ復興に26万7千人の方々が、今尚、避難生活を送っていると言います。こうした方々に比べ、何不自由なく暮らしている私たちが何かいたたまれず、申し訳ないような気持ちから、一日にも早く元の生活に戻れることと、多くの犠牲者のご冥福を祈って、朝礼時、全員で黙祷を捧げました。

この日のテレビでは特集が組まれ、被災地のいろいろな様子が映されていました。震災の年、7月に3日間ほど訪れた宮城県石巻も土地はいくらか整備されたものの、沿岸部には住宅も建つことなく、あまり変わっていないような様子でした。

また仮設での校舎で中学生活を終え、卒業式に臨んでいた生徒の様子も紹介されていましたが、いろいろな複雑な思いがそれぞれの胸に到来していたのでしょう。皆、涙をいっぱい眼にためていた様子に、こちらまで胸がいっぱいになったものです。

原発に悩まされている福島の人々もさらにお気の毒です。避難しているその数は13万人にも及ぶと言います。故郷があっても帰るに帰れない、その口惜しい気持ちと寂しさはとても当事者でなくては推し量ることができないものです。

また無人となった大熊町での駐在員6人の奮闘も、土曜日のNHKスペシャルで放送されていました。帰還困難区域となった現場にテレビカメラが初めて長期に亘って入り込んだのです。6人は皆、元役場の管理者ばかりで、退職してからこの“じじい部隊”を編成し無人となった町での苦闘を紹介していました。

じじい部隊は防護服に身を包み、除染作業の監視やセシウムの計測、そしてこの町への住民帰還が不可能とならないよう、無人の町のパトロ-ルや復興・帰還計画に着手しているのです。映像には無人となった家屋を動物が荒らし回っている様子も紹介されていました。

そしてそこにはこうした荒らされた町であっても、いつかはしっかりと愛する故郷に戻ってきたいという、熱い思いが溢れていたものです。しかしこうした願いに反し、第一原発の周辺では除染で取り除いた土や汚染された廃棄物を一時的に保管する、中間貯蔵施設の設置場所の検討もあり、なかなか問題は少なくないようです。

このように今尚、見通しの立たない大きな問題を抱え続けている被災地なのですが、震災直後にお馴染みのビ-トたけしさんが語っていた次のような言葉が、3年経った今でも少しも色褪せていないことを感じました。

よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。

悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね

まさにそのとおりです。3年経った今でも一向に進まないように見える被災地の復興について、それぞれが感ずるところが少なくないものと思われます。今、私たちにできることは何か、少しも過去のことではない大震災について風化させることなく、しっかりと見つめていかなければいけないものを感じています。

2014.03.10

橋の開通 No.2538

 ロ-カルな話題で恐縮ですが、沼津と清水町を結ぶ黄瀬川橋がこのたび開通しました。治水工事に伴う橋の架け替えだったのですが、工事に費やした期間が何と2年4ヶ月にも及んだのです。

全長は以前が67メ-トル、そして今度は105メ-トルに延びたとはいえ、高々100メ-トルぐらいの橋の架け替えにこんなに長期の期間を要するものなのでしょうか。

弊社の女子社員がこの橋の向こう側である、清水町からバスで会社に通ってきます。この工事の期間、もちろん橋は通れないので、旧の国道1号線の方に迂回してくるのですが、大変な渋滞を捲き起こしていたと言います。

そしてもっとひどいことは橋の近隣の商店か企業の中で、2店舗ほど営業不振に陥り倒産か廃業を余儀なく求められたところがあると言います。地形的にもこの橋が通れないと、道路を行き交う人々の足が全く途絶えてしまうからです。

まさに死活問題で本当にお気の毒な話です。そんな中でこの道沿いにあるコンビニエンスストアが何とか急場を凌ぎきったという話を聞きました。当初、工事が始まったときには今までのお客の足が遠のき、散々だったと言います。

唯一、工事に携わる作業の人々しかお昼に買ってくれないという状況が続いていたのです。そしてこのままではいつまで持つか判らないという危機感があったのでしょう。そうしたことからいつ頃か定かではありませんが、独自の食材をお店に出すようになったと聞きます。

こうして少しずつお客を繫ぎとめ、何とか今日に至ったのです。まさに生き残りの戦略とも言えるのではないでしょうか。当事者にとっては2年4ヶ月の期間が本当に長く、首を長くして待ち望んでいたものと思われます。

このように橋の開通が違った意味で待ち遠しかった話ですが、他人事とはとても思えないものです。ある日突然、こうした外部環境が豹変しないとも限りません。大型店舗の進出とか、最大顧客の移転とか倒産・廃業に伴い、今までの営業が大きく変わることもあるわけです。

そのようなとき、ただ手をこまねいているのではなく、このコンビニのように新たな戦略を打ち出していかなければなりません。極論からすれば、これからの時代、中小企業にとってはまさに求められていると言ってよいのではないでしょうか。

少しでも差別化された商品、そしてニッチな市場を創り出し、お客様にとって無くてはならない存在になることです。それが大企業に打ち勝つ中小企業の重要な戦略ではないでしょうか。この橋は「明日に架ける橋」と言えるかもしれません。

2014.03.07

リオのカ-ニバル No.2537

 新聞の片隅にこんな記事が載っていました。ブラジルのリオのカ-ニバルですが、こんな裏話があるようです。一見、華やかに見えるものですが、隠れたところでこんな悩みがあるものですね。

華やかなパレードが世界の注目を集めるリオのカーニバル。その会場近くで、地元の高校生アマンダさん(18)は、今年も「トイレ貸します」と看板を掲げていた。

カーニバル期間中、500もの路上イベントが開かれ、90万人の観光客が押し寄せる。ビール片手にお祭り騒ぎをし、路上やビーチで用を足す不届き者は後を絶たない。

市は仮設トイレを設けるが、観光客は足りないと訴え、漂う悪臭に地元住民は嘆く。彼女が数年前にトイレ貸しを思いついたきっかけだ。昨年は親戚宅のトイレを1レアル(44円)、シャワーも使うなら4レアルで貸した。

貧しい家で建物も粗末だが、警察が立ち小便の「現行犯」を拘束し始めたので利用者は5日間で300人近くに達し、アマンダさんは「これでノートやペンを買える」と話していた。

1年ぶりに訪ねると、ピザやジュースまで売っていた。来年はパレード出場者の衣装保管も始めるという。「去年買った文房具、役に立ったからね」。そう話し、ピザを温めてくれた彼女は年末に大学入試に臨む。目指すのは看護師だ。来年また会うのが楽しみになった。

こういうことをしながら勉学のために少しでも足しにしようと考えているのです。昔はさておき、豊かになった今の我が国では考えられない話です。物資ともに生活が豊かになることだけが人間を豊かに成長させるものだろうか、そんなことをつくづく考えさせられました。