会長の”三行日記”
2015.06.15
山下清さん No.2721
興津にある清見寺というお寺をご存知でしょうか。徳川家康が幼少時、今川家の人質としてこのお寺に移され、当時の住職からいろいろと学びを受けたことでも知られているところです。
このお寺に5年ほど前まで、あの放浪の画家で有名な山下清さんの言葉が書かれた看板が立っていたそうです。「清見寺スケッチの思い出」と題した看板は次のように書かれていました。
清見寺という名だな このお寺は 古っぽしいけど上等に見えるな
お寺の前庭のところを汽車の東海道線が走っているのは どういうわけかな
お寺より汽車の方が大事なのでお寺の人はそんしたな
お寺から見える海は うめたて工事であんまりきれいじゃないな
お寺の人はよその人に自分の寺がきれいと思われるのがいいか
自分がお寺から見る景色がいい方がいいか どっちだろうな
60年代後半、その遺作となった「東海道五十三次」のスケッチで清見寺を訪れ、上記のような言葉を残しているのです。これは山下さんなりに、日本の近代化や経済成長が進むことと、その過程で失われた原風景のどちらが大切なのかと、鋭く投げ掛けている疑問です。
山下さんは少年時代に同級生からいじめられ、戦時中は徴兵から逃れたいと日本各地を放浪しました。また画壇でも異端児扱いだったそうです。山下さんの甥である山下浩さんという方は次のように語っています。
「日本は戦時中も戦後も、声の大きな『本流』が少数派を切り捨ててきた。戦争に異を唱えれば非国民。経済発展を疑問視すれば異端者。地方の衰退も教育現場でいじめがなくならないのも、この変わらない構造に原因があるのではないか」
山下さんの清見寺を描いた絵画には「ふみきりちゅうい」の警告板まで描かれています。それはまさに感じたままに素直に表現する山下さんなりの手法ですが、同時に景観まで損ねてしまう当時の高度成長への彼なりの警告のようにも思えます。
よく山下さんのことをどうのこうの言われていましたが、鋭い指摘ができる、素晴らしき感性の持ち主だったことが判ります。言葉の書かれた看板は台風で割れ撤去されたそうですが、是非また再建してもらいたいものです。
2015.06.12
変形性膝関節症 No.2720
先日は仲間と山歩きに行ってきました。その詳しい内容は後日触れたいと思いますが、よかったのが心配していた膝の痛みが出なかったことです。やはり65歳を過ぎると体の各部分に少しガタが出るのでしょうか。ソフトボ-ルとか山登りなど少しハ-ドに動くと最近では膝に痛みが出てきます。
この膝の痛みですが、変形性膝関節症という名の症例が中高年に多く見られるとのことです。典型的な例としては加齢や筋肉の衰えとともにO脚が進み、体重が膝関節の内側にかかって、軟骨がすり減り痛みが出るのが特徴です。
そして変形が進んで痛みが強いと、人口膝関節の手術を勧められることも多いそうです。でもそれ以前にできることもたくさんあるとのことが載っていましたので紹介させてもらいます。
この変形性膝関節症はじわじわと進むとのことで、早めに受診した方がよいと言われます。痛みを取ることは大事だが、それで全てよくなるわけではないからです。
痛みの原因は1つではなく、軟骨がすり減った場所の他、荷重のかからない部分は逆に骨が出っ張って棘(とげ)ができるそうです。それが引っ掛かったり、靭帯を圧迫したりして痛みが生ずるとのことです。
またすり減った軟骨が炎症を起こして関節炎が起きることもあり、水がたまって痛みを感じることもあると言われます。こうしたことは年齢が大きな要因となっていますが、個人の体重の影響も大きいと言われています。
初期治療としては次の4つです。① 傷んだ所に力が加わらないよう装具を付ける。 ② 筋力を付ける。 ③ 炎症を抑える ④ サプリメント摂取などで軟骨を少しでも殖やす。
ですから人工関節は最後の手段なのです。治療には鎮痛薬やヒアルロン酸の関節内注射も効果がある他、コラ-ゲン・トリペプチドの摂取も勧めているそうです。また運動療法として専用の装具を使い、痛む箇所に荷重をあまりかけず、歩いて筋肉をつけると正常な歩行に近づき、痛みが取れてかなりよくなる人がいるそうです。
幸い私はこの変形性膝関節症というものではないのでまだ安心ですが、加齢とともに油断はできないものです。このように人間も歳を取ってくると錆びついてくるものです。
従って機械同様、油を差さなければ動かなくなってしまいます。自分には膝や関節の痛みなど無関係だと、少し前まで胸を張っていたものですが、やはり年相応ということでしょうか。いやはや歳はとりたくないものです。
2015.06.11
両投げ投手 No.2719
両投げ投手がいることに驚きました。しかもあの大リ-グにです。スイッチヒッタ-と言って、右投手には左で打ち、また左投手に対しては右で打つバッタ-は多くいるものですが、右打者には右で投げ、左打者には左という両腕を使って投げ込むことのできる投手は稀有な存在です。
去る6月5日、レッドソックスの本拠地フェンウェイパークの球場で、アスレチックスのパット・ベンディットという両投げ投手がメジャー初昇格即登板を果たし、2-4で迎えた七回から2イニングを投げて1被安打無失点と好投したのです。
近代メジャー史上では、かつてエクスポスの右腕グレッグ・ハリスが1試合だけ打者2人に左手で投げるということがありましたが、彼は1試合限定の登板でしたので、常時左右で投げ分けるベンディットは事実上、史上初の“本格的両投げ投手”の誕生ともいえるわけです。
それにしてもただ投げることができるというだけではなく、大リ-グの投手としてスイッチピッチャ-という形で打者に向かうことができるのだから凄いものです。まさに天が二物を与えてくれたとも言えるのではないでしょうか。
彼はその幼少期、左右同等に優れた身体能力を持っていたそうです。そしてそれに着目した父の影響で3歳の頃から左でボールを投げ始めたと言います。ですから元々は右利きではなかったかと思われますが、反対側の腕も意識して鍛えたのでしょう。
私たちのように少しでも野球をかじったことのある人間なら、左右で打つバッティングに比べ、左右両方の腕で投げることの方が限りなく難しいことだと察しがつきます。それは両手で箸を使うようなことより、デリケ-トで微妙な手の感覚が要求されるからです。
投げるときボ-ルを最後に手から離すとき、手首のスナップももちろん必要ですが、リリ-スポイントとして指先の微妙な感覚が投手には要求されるからです。またスイッチヒッタ-は投手の投げる腕の反対側に構えるとボ-ルが見やすく打ちやすいからですが、両投げ投手は打者が腕と同じ側にいるわけですから、むしろ投げにくいとも言えるのではないでしょうか。
とにかくこんなわけで、ここまで辿り着いたその凄さを感じているわけですが、もう一つ陰で支えていたのが日本のグラブメ-カ-であることを知らされました。野球規則で投手は投げる反対側の手にはグラブをはめなければいけないという項目があります。
そのため両投げ投手用のグラブが必要なのです。これを以前からいち早く開発し、サポ-トとしていたのが日本のミズノ社だったのです。左右対称で真ん中にポケットがあり、両端に親指が入る6本指の特注グラブなのです。
聞くと今でこそ他メ-カ-でも出しているとのことですが、30年近く前からミズノ社は手がけていて、ベンディット投手も22年間ずっと使い続けていると言います。ここにもモノづくりとサ-ビスに定評のある日本の企業が貢献しているのです。
華々しい両投げ投手のデビュ-の裏にも、私たち日本企業が携わっていたと聞くと、思わず嬉しくなってしまうものです。ただ専門的に一流選手のモノを手がけるだけでなく、指にハンディキャップを負った人やこうした販売市場では保証のない分野にも変わらぬ情熱を注いできたメ-カ-の姿勢に敬意を表しています。