会長の”三行日記”
2015.06.19
ちょっと良い話121 No.2724
あるホテルマンの話ですが、惜しまれてその道を引退するちょっと良い話です。「ミスター・シェイクハンド」と名付けられたこの方は1万人ものお客様を憶えているそうです。やはり一流と言える方なのでしょうね。
都心にある老舗ホテルが43年の歴史に幕を下ろし、一人のベテランホテルマンが引退する。「キャピトル東急」の加藤健二さん(65)。常連客は親しみを込め「ミスター・シェイクハンド」と呼んでいる。
ホテルの前身は「東京ヒルトン」。東京五輪の前年の1963年に、日本初の外資系ホテルとして国会議事堂を望む山王の丘に開業した。米国式の経営で、初来日のビートルズなど国内外のVIPが愛用。84年からは東急傘下に代わって営業を続けた。
加藤さんが入社したのは開業2年後の65年。部屋を掃除するハウスボーイを皮切りに、ベルボーイやフロント勤務を経て、顧客応対の先頭に立つエグゼクティブコンシェルジュに上り詰めた。
その生活は分刻みに進む。午前3時半に起床して新聞に目を通す。5時3分の始発乗車に乗り、50分にホテルに入る。オフィスで顧客の出入りをメモに書き写し、背広のポケットに入れてロビーに立つのが7時ジャスト。チェックアウトが落ち着く11時すぎまで顧客の間を歩き回り、万歩計は1万5000歩を刻む。
「お客さんを何人まで記憶出来るか?」。テレビに引っ張り出され、数え上げたのは1万人。誕生日などの顧客データをメモした手帳は山積みで、クリスマスカードと年賀状は1300通を超える。
ニックネームの由来となった「握手」はヒルトン時代に身に着けた。感謝の心を込め、ゲストの手のひらに控えめに重ねる。そのぬくもりの記憶は数知れず。ちなみに、あまりの小ささに驚いたのはマイケル・ジャクソン。ゴルファーのアーノルド・パーマーは「ゾウのように」大きかったそうだ。
30半ばに腎臓を病み、40歳で移植を受けた。透析が欠かせなかった当時は、ホテルが透析室を設け、同僚が仕事をカバーしてくれた。「足に負担がかからないよう」とゲストがプレゼントしてくれた特注の靴は、いまでは一番の宝物になった。
最終日の30日、加藤さんは午前7時にロビーに立ち、別れと感謝の気持ちを込めて、最後のゲストの手を握る。そして、年明けからは一人のボランティアとして、「臓器移植ドナー参加」を呼びかけて全国を回る計画だ。
やはりその道に携わるプロとも言えます。また一芸にひいでた方は全てに通じるとも言われています。引退してもきっとまた新たな道を切り開くのではないでしょうか。
2015.06.17
信頼 No.2723
信頼ということを野球のあるエピソ-ドから採り上げていました。ここ数年は少し一時期の強さが鳴りを潜めている常葉菊川高の話題です。このチ-ムを率いているのが、かつて自身が浜松商でも活躍した森下知幸監督です。
チ-ムを救ったのがスランプに喘ぐ主軸の2人という話です。それ以前の準決勝までの4試合で、3番の長谷川は15打数1安打(0割6分7厘)、また1番の高野は17打数2安打(1割1分8厘)と、強打を誇るチームにあって、主軸の2人が鳴りを潜めていました。
しかし、森下知幸監督は動きません。どれだけ打てなくても、決して打順は変えなかったのです。「チームをつくり上げる過程では変えることもありますけど、この形で勝ってきましたから。2人とも春先(開幕前)は良かったですし、いつも打ってる子たち。
甲子園ではハマっちゃう子が1人か2人いるもの。それがたまたま2人だっただけです」と語っています。その結果、7回2死一、二塁。3番・長谷川裕介が左中間へ1点差に迫る二塁打を放つと、同点に追いついた8回には、2死一、二塁から1番・高野敬介がセンター前に勝ち越しのタイムリーを放ったのです。
いずれも、常葉菊川高らしくファーストストライクを逃さず打ったものでした。その決勝戦の土壇場、、大きな重圧がかかる場面で、自分たちの持ち味を発揮できたのには理由があります。キーワードは『信頼』という言葉です。
最後にこの2人が活躍したことこそ、今大会の常葉菊川野球の象徴でした。調子よりも、それまでの過程から生まれた信頼を重視したのです。だからこそ、ヘタに動くのは避けたのです。
監督は「ベンチでも必ずなんとかできるという雰囲気がありました。信じてました」と語っています。またそんな思いは選手にも伝わり、「甲子園だけじゃなくて、練習試合でも、打てなくても絶対3番から外されたりしないんです。結果が出てなくても使ってくれているんで、なんとか打ちたいと思いました」と長谷川君は話しています。
その両者の思いが一つになった結果が、2本のタイムリーを生み出したのです。デンと構えて、任せるのも監督のさい配の一つと言われています。またこうしたお互いの信頼が象徴されているのが、バントを使わない森下野球です。
その理由は「バントでチャンスをつくるより、打ってチャンスをつくる方が得点の確率が高い」と言っているのです。もちろんこれは常葉菊川のような強豪だから言えることかもしれませんが、1死からでもバントで送ったりしている近年の高校野球を観ていると、もう少し選手への信頼ということも考えてみたいものです。
あえて動かず、選手を信じ切っていたからこそ掴みとった常葉菊川高の初の大旗です。そこには以上のように紹介した監督と選手の強固な信頼関係があったからだと言われているのです。
早いものであと1ケ月も経たないうちに、県下ではこのような熱い高校野球夏の大会が始まります。上記のようなチ-ムのレベルには達していないかもしれませんが、チ-ムの信頼と結束力を更に磨き上げ、我が母校にも是非期待したいものです。
明日18日は一日会社を離れますのでカキコミは休ませていただきます。
2015.06.16
高尾山古墳 No.2722
高尾山古墳と言っても、八王子の手前にある、皆さんがよく登る高尾山のことではなく、我が街・沼津にある高尾山という地で見つかった古墳のことです。ここで大きな騒ぎになっている問題ですが、恥ずかしながらここに至るまで私はそのことを全然知る由がありませんでした。
聞くと 長さ62mもある大型前方後方墳といい、造営時期の見解に隔たりはあるものの、230年ごろ築造、250年ごろ埋葬という調査結果が昨年公表されています。「古代スルガの王」を埋葬したとみられ、「古墳時代最初頭の重要遺跡」と指摘されているのです。
高尾山古墳は前方後方墳で、本体の大きさ(墳長)は62mと古墳出現期としては屈指の規模を持つとのことです。また前方部、後方部ともに31mで、他の前方後方墳と比べ前方部がよく発達しているのが特徴と言われています。
そして古墳の周囲には幅8~9メートルの周溝が巡らされていて、後方部のほぼ中央で主体部と呼ばれる埋葬施設の跡が確認されました。墳丘の頂きの高さは周溝の底から約4.7メートルあると言われます。
また棺(ひつぎ)は残っていませんでしたが、板状の木片などの残留物の様子から舟の形をした「舟形木棺」が特別な施設を設けずに直接地面に置かれていたとみられ、これが古代スルガの王ではないかと言われているのです。
ですから古代スルガの国は今の静岡ではなく、我が地・沼津周辺にその中心があったとみられています。こんな重要遺跡があったことに驚いていますが、もう一つ更にびっくりしているのがその遺跡が今、取り壊されようとしているのです。
地元の道路渋滞緩和の陳情要請もあり、都市計画道路建設の方針を立てた沼津市は、その道路調査の途中に見つかった今回の遺跡問題について、古墳を残して迂回(うかい)するような対策は行わず、計画通りに道路を整備することを市議会に報告したのです。
つまり昨夏から中断している古墳の発掘調査を今年中に再開し、更地にした後に道路工事を行う予定だと言っています。これでは古墳は跡形もなく消滅してしまうのです。東日本最大級とも言われ、歴史的価値が非常に高い古墳だけに是非守りたいものです。
その重要古墳を整備すれば逆に県外からの見物客を呼び込めるというものです。沼津市は市民から取り残せという声が挙がらなかったからということですが、私のようにこんなに重要なものだと知らなかった人たちは多くいるものと思われます。
それだけに是非再考してもらい、文化の香りのする街という名に恥じない結論を導き出してもらいたいものです。そうでなければ沼津市は末代まで残る失態を演じた街として、人々の記憶に長く留まることは間違いありません。