会長の”三行日記”
2015.07.17
安保法案 No.2739
安保法案が衆議院で可決されました。民主党など野党が採決に欠席する中、強行採決という形で行われたものです。世論調査の結果では、国民の70%以上がこの法案の中身を十分に理解していないという段階にも拘わらず、採決まで踏み切ったことに強く憤りを感じています。
これで9月まで延長された今国会での法案成立の可能性が高くなったということです。それはたとえ参議院で否決されても、60日ル-ルというものがあり、衆議院に法案が戻され2/3以上の賛成があれば再可決できるからです。
このことを当初から見越して強行採決に踏み切ったということは、数だけの力を頼りにした卑劣な暴挙とも言えることです。何しろ国民の声や意向が全く反映されていないからです。おそらくどんどん高まっていく国民の反対の声を聞いていては、法案成立の見通しが立たないという危機感を持ったのでしょう。
そもそも事の始まりは4月に安倍首相が訪米した際、米議会での演説で夏までに成就させると勝手に期限を切って宣言したことからです。そこにアメリカの強い圧力がなかったとは言えませんが、戦争を全く知らない世代である首相の軽挙妄動とも言えるのではないでしょうか。
元自衛官の兵庫県市議は下記のように語っています。そもそも自分の自衛隊への入隊は陸上競技を極めたいということで体育学校の希望でしたが、体力があるからということでレンジャ-部隊になりました。自衛隊員は全て、入隊時に服務の宣誓をします。
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し」「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えることを誓います」
自民党が推薦して国会に招いた方を含む憲法学者や、「法の番人」と言われる内閣法制局長官経験者、そして国民の多くが憲法違反と考えている集団的自衛権の行使を認める法案は、明らかにこの宣誓文に反するもので、民主主義をないがしろにするものです。
命を張って国民の負託に応えることを求められている現役自衛官たちに対する明白な契約違反です。3カ月にわたる陸自で最も過酷とされる訓練では、炎天下、小銃を携帯し、完全武装で20キロ走。生きたカエルや蛇を食べさせられる生存自活。
敵を暗殺する隠密処理など数々のメニューをこなすことで、外国並みの精強な兵に育てられます。死亡事故が発生することもあり、遺書を書かされます。しかし、約14万人とされる陸自隊員のうち、レンジャー経験があるのは5千人ほどしかいません。
9割以上が最過酷の訓練には挑戦できない、いわばサラリーマン隊員です。そうした実態で恒久法による海外派兵に耐えられるとは思えません。私自身は定年まで働くつもりでしたが、1992年に国連平和維持活動(PKO)法が成立したことで、依願退職をしました。
自衛隊の役割が国土防衛から海外派兵まで拡大したわけですが、そうした契約を国と交わして入隊したわけではありません。敵が撃つまで反撃もできず、誤って射殺すれば帰国後、罰則を受けかねないなど、自衛官の命を軽視した法律に我慢がならなかったからです。
今も、同期の隊員が一線で頑張っています。今回の法案について彼らの本音はなかなか漏れてきませんが、先行きについて最も不安で、懸念を持っているのが、彼ら隊員やその家族であることは間違いありません。
第1線で国を守ろうとしている自衛隊員でさえ、このように本音と建前が大きく違っているのではないでしょうか。とにかく自衛隊員だけでなく、私たち国民にも強い覚悟が求められる法案の内容です。明らかに憲法違反が明白なものだけに、私たちは勇気を持ってノ-といった声を出し続けなければと考えています。
2015.07.16
全米女子オ-プン No.2738
男子の全英オ-プンが今日からゴルフの聖地とも言われる、セントアンドリュ-ス・オ-ルドコ-スで始まりますが、先ほど行なわれた全米女子オ-プンの話題です。
日本人では大山志保選手が頑張りました。その大山選手と一緒に最終組の1組前で回った、韓国のチョン・インジ選手が優勝し、他の韓国勢も上位を独占してその強さを見せた大会でしたが、大山選手とチョン・インジ選手の組がギャラリ-から好評だったようです。
というのもこの組は二人とも笑顔を絶やさなかったからです。ギャラリ-の中には二人をよく知らない人たちも少なくなかったようで、どんな人たちなのか報道陣に尋ねてくる人もいたみたいです。
でもプレ-内容と併せ、終始笑顔がこぼれる二人はだいぶギャラリ-を魅了したようです。この全米女子オ-プンが行われたペンシルバニア州にあるランカスターという地区は、ア-ミッシュと呼ばれる伝統的キリスト教を信仰する宗教集団で、近代文明と距離を置く“簡素な生活”が特徴な人たちが住む街です。
その数は3万人を超えると言われ、車などは使わず馬車かサドルのない自転車、あるいは徒歩が移動手段です。道の両脇にのどかな田園風景が広がり、牛や馬が放牧されているこの地域で、自給自足の生活を営み、その農業はオーガニックとのことです。
そうした一種独特な地域だけに、いわゆる俗っぽい選手より感じの良い選手が受けたのでしょう。ギャラリ-のある人は「スマイルが大切ね。スマイルはユニバ-サルジェスチャ-だから」と答えています。言葉が違っていても笑顔が世界を繋ぐということなのでしょうか。
その大山選手は大会前、このコ-スでの練習ラウンドを許可されませんでした。出場資格であるランク50位以内というのがまだ確定していないという理由からでした。前週までのランキングは44位でほぼ確実だったのですが、大会出場者のみラウンドを行えるという規定を貫く主催者側の、融通の利かない扱いからです。
でも少しも腐らずそうした事実を明るく受け止め、イライラすることもなく、起きた事態を素直に受け入れるという大人の対応を見せたのです。まさにベテラン選手の懐の深さと、ここ数年間ケガなどで苦しんだ時期を乗り越え、大会に出場できるという喜びからなのでしょう。
一方、優勝したチョン・インジ選手も優勝後のインタビュ-で自身の過去に触れ、次のように語っています。「自分がゴルフをはじめたとき、父は自分でビジネスをやっていて、母は小さな食堂で働いていた。それから、父の仕事があまりうまくいかなくなって、母も足を怪我して食堂を辞めなくてはいけなくなったの。
だから、一時期は両親とも仕事がなかった。でも、両親は私がゴルフに恋をして以来ずっと、私に金銭的な困難は感じさせなかったし、それを知らせもしなかった。ちょうどその頃、コーチに会った。コーチから教わったのは、ゴルフを楽しむこと。
だから、私がしてきたことは、悲観的なことは一切考えず、ただゴルフを楽しむこと。それが、全米女子オープンの優勝につながったと私は信じています」。
やはり二人の持つ性格の良さや、今まで積み重ねてきた苦労や経験から自然と笑顔を生み出したのではないでしょうか。誰かとは言いませんが日本の女子プロの中にも、ブスッとした顔から全然笑顔がこぼれない選手もいます。
ギャラリ-などお客様あってのプロの世界ですから、よく考えてもらいたいものです。やっている人間が楽しそうなら、観ている私たちも自然と楽しくなるものです。
2015.07.14
高尾山古墳その2 No.2737
「高尾山古墳を知ろう」という学習会に出掛けてきました。先週土曜日の午前中、沼津市内の第5地区センタ-で行われたものですが、静大教授である篠原和大さんを講師にお迎えしたこの学習会には200人を超える方々が参加していました。
参加者は予想以上の人数で駐車場が車で溢れていたほどです。遠くは大阪の方からも参加された方がいたみたいで、それだけこうした古墳や遺跡といった我が国の歴史・文化への興味や関心の高さを示しているのではないでしょうか。
まず初めに高尾山古墳がどんな古墳なのか触れていました。形状等は前回のこの欄でも触れましたので省略しますが、この作られた場所は当時は今のように高い建物がないことから、駿河湾と田方平野を広く見渡すことができ、かつ愛鷹山の山塊越しに富士山を仰ぎ見ることができます。
できればもう少し高台の方が駿河湾などを望むのには格好ですが、それでは富士山が愛鷹山に隠れて見えなくなることからこの場所が選ばれたのではないかということです。ですから古墳の巨大さと富士山の威容を背後にすることで、その威信を示そうとしたのではないかと言われています。
また古墳を造るという意味は、初期の農耕社会はお互いが協力関係を持つ農業共同体的社会でしたが、その中で人物や集団が権力を握るためには、権力の根拠となる威信やその継承の正当性を示す仕組みが必要で、独立巨大な墳丘を持ち、その威信を示す副葬品の納める築造物が役割を果たしたというわけです。
それからつくられたのがどんな時代かということですが、築造230年、埋葬250年と言われる時代は、農耕集落であった登呂遺跡の最後が洪水に襲われたのが127年頃で、それから100年後と言われています。
この作られるまでの間は、洪水や干ばつが繰り返されていた厳しい環境の時代であったと考えられています。ですから高尾山古墳の北側2kmに当たる地域には、こうした環境悪化を避け移り住んだと見られる高地性集落の遺跡群も発見されています。
そして倭国乱の後(2世紀末から3世紀初頭)の時期は邪馬台国の女王・卑弥呼が登場しています。その活躍の時代は3世紀前半で、中頃に没して巨大な墓を造ったと言われていますから、ちょうど築造され高尾山古墳に被葬された権力者とは同年代に活躍し埋葬されたと思われます。
つまり卑弥呼の時代と接点を持った可能性が高いわけです。また倭人伝の中では大和を中心とした卑弥呼の邪馬台国と東日本地域との抗争が記されていることから、高尾山古墳の主はその対抗勢力であったという見方ができるということです。
そうなると高尾山古墳の存在が日本の歴史を正しく理解する上で、欠くことのできない一級の文化遺産とも言えるわけです。こうした文化遺産は保存するからこそ、さらに調査研究が進むというものです。
この度世界遺産に登録された、韮山の反射炉も残されていたからこそ登録されたわけです。ですからこの高尾山古墳も今回の学習会で、改めて極めて重要な遺跡だということを知らされ、とても取り壊されるものではないことを強く感じました。
要するに残していけば我が街の重要な史跡になることは間違いなく、多くの人々から愛されるのではないでしょうか。
明日15日は客先への挨拶回りで会社を留守にしますので、カキコミは休ませていただきます。