会長の”三行日記”

2015.07.28

食中毒 No.2745

 今年の夏、土用の丑の日は既に過ぎてしまった7月24日と8月5日の2日間が当たります。近年その減少から、なかなか値段が高くて口に入りにくくなってきているうなぎですが、和歌山ではこの土用の日に購入したうなぎ弁当から食中毒になったと伝えられています。

それくらい高温多湿で食中毒が起こりやすい季節になっているわけですが、腹痛や下痢、おう吐などが急に出るのがその症状です。食中毒は飲食店で発生するばかりでなく、家庭でも起こると言われています。

この時期、以前にも食中毒に関しては触れましたが、再度注意を促すため記載してみました。食中毒を防ぐためには、細菌などを食べ物に「つけない」、食べ物に付着した細菌を「増やさない」、食べ物や調理器具に付着した細菌やウイルスを「やっつける」という3つのことが原則となるそうです。

引き起こす主な原因は細菌とウィルスです。これは目に見えない小さなものですが、細菌は温度や湿度などの条件がそろうと食べ物の中で増殖し、その食べ物を食べることにより食中毒を引き起こします。

一方、ウイルスは自ら増殖しませんが、食べ物を通じて体内に入ると、腸管内で増殖し、食中毒を引き起こします。細菌が原因となる食中毒は夏場に多く発生し、その代表的なものは、腸管出血性大腸菌 (O157、O111など)やカンピロバクター、サルモネラ菌などです。

また代表的なウイルスであるノロウイルスは、調理者から食品を介して感染する場合が多く、ほかに二枚貝に潜んでいることもあります。特に冬は、ノロウイルスによる食中毒が毎年多く発生しています。

このようにさまざまな原因物質によって食中毒は1年中発生しているわけですが、飲食店で発生する食中毒に比べ、家庭における食中毒は、症状が軽かったり、家族のうち全員には症状が出なかったりする場合があるため、食中毒であると認識されないケースも少なくないと言われています。

つまり認識していないまま食中毒にかかっているわけですから、かえって始末が悪いかもしれません。とにかく細菌やウィルスを食材や自分の手につけないように心掛けることです。肉や魚などにはそれが付着していると思っていた方がよいということです。

そしていろいろなものに触れる手にも注意が必要です。次のようなときには必ず手を洗った方がよいそうです。調理を始める前、生の肉や魚、卵などを取り扱う前後、調理の途中で、トイレに行ったり、鼻をかんだりした後、おむつを交換したり、動物に触れたりした後

食卓につく前、残った食品を扱う前などと言われています。また冷蔵庫を過信するのもよくないそうで、できれば冷蔵庫に入れたものも早めに食べることです。そして時間が経ち過ぎたものや、ちょっとでもあやしいと思ったら食べずに思い切って捨てることです。

おう吐や下痢の症状は原因物質を排除しようという、体の防御反応と言われています。それだけに食中毒をあまり簡単に考えず、おかしいと思ったら早めに医師の診断を受けることです。とにかく暑い夏、食中毒が起こりやすい季節だけにくれぐれも気をつけたいものです。

2015.07.27

小松大谷のリベンジ No.2744

昨日は離陸したばかりの飛行機が民家に突っ込み、3人が亡くなるという悲しい事故が起こってしまいました。離陸してから1分もしないうちに墜落したということで、たぶんエンジントラブルだと思われますが、巻き添えになった民家の方々は本当にお気の毒な出来事です。

さて夏の全国高校野球の地方予選が各地で白熱化しているこの時期ですが、石川県の準決勝で凄いことが起こりました。ご存知の方もいらっしゃることと思いますが、昨年の石川県大会の決勝戦、星稜対小松大谷戦は8-0で勝っていた小松大谷が9回裏に9点を入れられ、サヨナラ負けを喫しました。

ちょっと信じられないような話で野球の怖さを感じさせられたのですが、何と今年は昨年敗れた小松大谷が0-3で星稜に負けていた9回裏、今度は4点を挙げて逆転勝ちを収めたのです。

まさかの敗戦から1年、まさに昨年のリベンジを見事に果たし、先輩たちの口惜しい思いを晴らしたのです。9回裏、先頭打者の下口主将は不思議な予感がしたそうです。「もしかしたら何かあるかもしれない。去年と同じパターンだ」と。

1年前の夏、相手の猛攻も相手主将の出塁から始まり、その前の9回表が3人で終わったのも同じだったからです。こうして下口主将の2塁打から始まった小松大谷の猛攻はあっという間に同点とし、4番西田君の犠牲フライでさよなら勝ちとなったのです。

この二人は昨年もレギュラ-だったことから、その口惜しさは今でも忘れずしっかりと胸に刻みつけているとのことです。下記のように紹介されています。1年前、決勝の翌日に選手たちは部室で黙々と掃除をした。

大差をつけてチームに慢心が漂ったことを猛省し、部室のホワイトボードにはその試合のイニングを手書きした。それは今も消えずに残る。「甘えをなくそう」。技術の向上以上に、それぞれが自分と向き合い、朝の掃除が日課となった。

「あの日のことを一日も忘れたことはない」と話す西田君。「絶対かえす」と打席に向かう。強く振り切った打球は高く、深くレフトへ上がる。決勝の犠飛となってサヨナラ勝ち。

試合後、下口君は「去年の負けがあるから今がある」と振り返り、西田君は「最後は気持ちが強いチームが勝つんだと、今日分かった」と笑った。

やはり野球は下駄を履くまで判らないとよく言われますが、そのとおりですね。そして思いの強い方が最後には優ることを知らされています。ということは絶対あきらめてはいけないということですね。

名前負けしないことです。埼玉でも春の選抜ベスト4の浦和学院が、ノ-シ-ドの県立高に準決勝で敗れるという波乱がありました。敗れた方にも油断があったかもしれませんが、それ以上に相手校の勝つという執念が優ったのではないでしょうか。この勝つという強い執念を我が母校も是非学んでもらいたいと願っています。

2015.07.24

ちょっと良い話122 No.2743

 「いまここに生きる」というちょっと良い話です。今このときを逃すと二度と戻らないから、大切に生きよというお話です。過ぎ去った時を呼び戻すことができないわけで、もっとも確実なときである今を完全燃焼させるのが賢明な生き方と説いています。

道元禅師は二十四歳のとき、真実の仏法を求めて、明全和尚とともに入宋した。青年僧道元が天童山景徳寺(浙江省)におったときのこと、ある日、病気療養中の明全和尚を見舞うため、東の回廊を通って仏殿の前まで来ると、一人の老僧が敷き瓦の上に茸を並べて干している。

見れば典座(てんぞ:食事を司る最高責任者)の用(ゆう)和尚である。手に竹の杖をつき、暑いのに笠もかぶらず、汗だくになって作務(仕事)に余念がない。こんなときの作務は若い人でさえらくでないのに、古希に近い老僧ともなるとまことに痛々しい。

若き留学僧道元は用和尚の側に歩み寄り、「ご高齢のご老師がそんなことをなさらずに、誰が若い者にやらせてはいかがですか」と思いやりの言葉を述べた。

すると、「他は是れ吾にあらず」(他人のしたことは、わしのしたことにならんでのう)まことに厳しく鋭い言葉がはね返ってきた。ぎくりとしたが道元はさらに、「まことにそのとおりではございますが、いまは暑いさかりですし、いま少しお休みになられてはいかがでしょう。

お体に無理があるといけませんから」と、いたわりの言葉をかけた。すると、用和尚は毅然として、「更にいずれの時をか待たん」(ひとたび去って還らぬこの時を過ごして、またいずれの時をか待とうといわっしゃるのか)と答えて、作務の手を休めなかった。

道元は、「山僧すなわち休す」と、絶句して、「廊を歩する脚下、潜かにこの職の機要たるを覚ゆ」と結んでいる。「他に是れ吾にあらず」、これは空間的位置ここを決定した言葉であり、「更にいずれの時をか待たん」は時間の位置いまの決定である。

他人でなく自分(ここ)、あとでなく(いま)、このいまとここのクロスしたところが現実であり、道元禅師はこれを「而今(にこん)」という。

今日ほど社会の進展変貌のはげしい時代はないであろう。技術革新は単に生産工程の一部を変えるだけでなく、産業構造から社会構造までアッという間に変えてしまい、新興勢力のかげには没落の悲運に泣く多くの人がいる。

したがって、世の中が、いつ、どんな方向に、どんなふうに変わるかは誰しもが知りたいところである。しかしそれは、コップを床に落せば割れることはわかっても、いくつの破片に割れるかはわからないと同様、誰にもはっきりしたことはわからない。

不確かな未来は他人と同様であてにならないし、過ぎ去った時を呼び戻すことはできない。するとこの世の中でもっとも確実なのはいまここの一点「而今」でしかない。だとすると、いまここの一点に生命を完全燃焼させることがもっとも確実な賢明な生き方ではないか。

 他不是吾(他は是れ吾にあらず)  更待何時(更に何れの時をか待たん) いま、ここに生きることを端的に表明した言葉。

言われるとおり、一寸先は見えない現世です。それゆえ一番確かな今を大事に生きなければということですが、私のような凡人はついつい流された生き方をしてしまいます。先日ある会で、会社の方向性を決める経営指針は10年先まで見据えたものをしっかりと立てなければいけないと指摘されました。不確実なだけに尚更求められるのではないでしょうか。