会長の”三行日記”

2016.07.13

参議院選挙 No.2866

 参議院選挙が終わりました。結果は事前の予想通り、与党の大勝に終わりました。選挙後の旧民主党にいた平野達男さんなどの新たな入党により、自民党は独自で参議院過半数に達する結果となりました。

また公明、おおさか維新の会などの改憲勢力を加えると、これで参議院2/3を超える勢力となり、いよいよ憲法改正の動きが始まろうとしています。でも今回の選挙で投票に及んだ有権者の真意は果たしてそれを認めるものだったのでしょうか。

確かに近年、北朝鮮辺りの危ない動きを見ていると日本も他の諸国同様、自国で敵を振り払うものを持たなければいけないという考えも解らないわけではありませんが、今の若い人たちの意識の中に自分でこの国を守ろうとする意識があるものでしょうか。

お隣の韓国と同じように徴兵制などが敷かれた場合、若い人たちが進んでこれに参加するとは思えません。たとえ一部には喜んで参加する人がいたとしても、私は自分の子どもや孫を戦場に送る気にはとてもなりません。

今回の選挙結果から顕著なのが東北地域を除いた全地域が現状肯定だったのに対し、東北各県において保守が野党候補に敗れる結果が相次ぎました。ということは東日本大震災から5年以上経った今でも復興が進んでおらず、地域の人たちは日本の将来などとてもまだ考える余裕はなく、現状の生活に精一杯ということで強い不満の表われと言うことではないでしょうか。

また選挙前、安倍首相は敢えて憲法改正には触れていませんでした。おそらく日本人の心の中に潜む平和意識から、憲法改正というアレルギ-を引っ張り出すことを怖れたためでしょう。

一方、野党のだらしなさが一層目立った選挙でもありました。民進党など、何でも反対、反対で自党での対案が少しも出てきません。それに加え、政権を任された一時期の不甲斐ないイメ-ジが拭い去っておらず、いまいち信頼に欠けていたのではないでしょうか。

こうなれば人心一新で出直すしかありません。このまま自民党の独裁を許さない強い野党を作っていかなければなりません。願わくば拮抗した勢力の2大政党制で、お互いの行き過ぎを指摘し合える政治を目指してもらいたいものです。もちろん憲法改正には絶対反対です。

2016.07.11

胸のすく逆転勝ち No.2865

 昨日は草薙球場へ母校の応援に行ってきました。予定では土曜日の開幕試合だったのですが、雨天のため日曜日に順延となったのです。私としては他の用事と重なり土曜日は行けなかったのですが、雨天順延のお陰で観に行くことができたわけです。

おまけに試合の方は3-4のスコアでこちらが1点負けていたのですが、9回に3点を入れ、胸のすく逆転勝利を収めてくれたから言うことはありません。ですから勝利の校歌を歌う時は思わず込み上げるものがあったくらいです。

そのくらい嬉しかったわけですが、先行逃げ切りが多い我が方としては、まれにみる終盤での見事な勝ち方ではなかったかと思います。その9回の攻撃を振り返ってみると、この回は1番からの好打順でまず先頭の高橋君が四球で出塁します。

続く2番の大橋君の送りバンドが少し強い当たりで1塁前に転がったのですが、少し2塁よりでしたので2塁手の1塁カバ-が遅れ、落球を誘い2塁手が走者と交錯した間に1塁走者は3塁まで進み、無死一、三塁とチャンスが広がりました。

ここで負傷した2塁手の治療の関係でしばし試合は中断するのですが、再開直後の1球目を3番宮川君が見事にレフト前に弾き返してまず同点としたのです。続く4番の笠井君はこの日一番当たっていて、ライト前に3本目のヒットを放ち、無死満塁と攻め立てます。

続く5番が倒れた後、1死満塁からキャプテン山田君の放った3塁ゴロはいい当たりでしたが、3塁真正面で思わずダブルプレ-かと目をつぶりそうになりました。ところが相手3塁手がこれをファンブルして待望の勝ち越し点が入ったのです。

こうなればこちらのペ-スです。たぶん1球目にやってくるのではないかと思われたスクイズを次打者が決め、相手には重い2点目の勝ち越し点が入り、ほぼ試合を決める展開となることができました。

やはり得点に絡むのは我が方の守備でもそうですが、四球とこうしたエラ-が必ず致命傷となるわけです。それにしても同点打を放った宮川君のバッティングは思い切りの良い、狙いすました見事なものでした。この積極果敢な打撃が勝利に繋がったとも言えるのではないでしょうか。

その他にも随所に良いところを見せてくれました。相手の5回の攻撃でも、5点目となるかもしれないレフト前のヒットを大橋君が見事な返球で2塁走者を本塁で刺しました。これなども試合展開からしても、その次の6回にこちらが2点取り、1点差に迫ったわけですから大きなプレ-と言えることができます。

それから先発・佐竹くんが両足痙攣で降板した後、引き継いだ渡辺君と高橋君がそれぞれ2回ずつよく投げました。これも勝利を呼び込んだ大きな要因だと思われます。

とにかくどちらかと言うと、今までは強豪相手に対し、こちらがリ-ドしていて最後にひっくり返されるというゲ-ムが多かっただけに、見事な逆転勝ちは胸のすくとても気持ちの良いものでした。もちろん家に帰っての晩酌が進んだことは言うまでもありません。

明日12日は伊勢原のお客様の工事現調を兼ね、あちこち挨拶回りで早朝より出掛けるため、カキコミは休ませていただきます。

2016.07.08

大谷吉継 No.2864

 戦国時代の武将の中にこんな友達思いの人間がいることを初めて知りました。その人の名は、今放送中の大河ドラマ「真田丸」にも出てくる大谷吉継という人です。

北の政所の縁故関係から豊臣秀吉の家来として知られていますが、秀吉をして「100万人の軍勢を指揮とらせてみたい男」といわしめた知勇兼備の武将です。

でも秀吉の死後は人間としての風格に好ましく思っていた徳川家康に心を寄せていました。そして家康の会津の上杉征伐にも出陣しするのですが、途中、石田三成のところに立ち寄った際、挙兵の話を持ち出されるのです。

大谷は時代の趨勢として利が家康にあることから、何度も三成に対し思いとどまるように忠告するのですが耳を貸しません。また三成の人望の無さを指摘したりして、親友であるがゆえの忠告だったのですが聞き入れませんでした。

こうして関ヶ原の戦いに移っていくわけですが、結局のところ大谷は三成との友情から西軍に加担することになったのです。勝ち目のない戦にあえて加わることになるのですが、それがなぜなのかは以下の理由からのように言われています。

大谷吉継は若いときから当時は死病として恐れられていたハンセン病を患っていたのです。今回のドラマでは顔は綺麗なままですが、よく時代劇に出てくる彼の姿は崩れた顔を隠すため、白布や包帯で覆っているのを目にします。

二人の間にこんなエピソ-ドがあります。秀吉が起こした朝鮮の役。吉継は軍監として渡朝しましたが、戦後、その功が称えられ秀吉が大阪城で開催した茶の席に招かれました。その席で緊張のあまりか吉継は、鼻水を茶碗のなかに落としてしまうのです。

それを見た諸将は以降、飲む真似をするだけでしたが、席に列していた三成は、何事もないように茶碗のなかの茶をすべて飲み干してしまったのです。その夜、吉継はひとり寝所で男泣きに泣いたと伝えられています。

業病と戦う自身への、へだたりのない三成の友情に感激したためです。関ヶ原の戦いは名将として知られた吉継からすれば、勝利のありかは一目瞭然にもかかわらず、勝敗を超えた彼の行動の裏には三成への友情が何よりも優先し熱く広がっていたのです。

このような戦国の世に限らず、自分自身の損得勘定や出世のためには、平気で他人を出しぬいたり裏切る人が少なくありません。しかしそうした中で、吉継のような友情や義を貫いた人がいたことも事実なのです。特に現代のような割り切った世の中では、忘れてはいけない人間の生き方を学んだような気がします。