会長の”三行日記”

2016.07.19

交通マナ- No.2869

 母校は昨日も浜松東に快勝しました。この試合が行われた掛川には応援に行けなかったのですが、スマホで途中経過を何回か眺め、気にしてはいました。5-2と迫られた4回裏には一挙7点を挙げたらしく、結局12-3の7回コ-ルド勝ちでした。これで3回戦は地元・愛鷹球場で清水西と対戦します。何とかこの試合をものにし、シ-ド校・掛川西と当たりたいものです。

さて最近ウィンカ-も出さずに曲がる人が多くありませんか。1つには対向車が右折しようと待っているとき、自車よりも先に曲がらせたくないため、わざと左折のウィンカ-を出さずに曲がるという車もありますが、それ以外でもこうした傾向は少なくないようです。

また信号機のある交差点では信号がもう、とっくに黄から赤に変わり、右折のみに変わっているのにもかかわらず、直進してくる車も少なくありません。これなどは大事故になる可能性が大きいわけですが、本人は知ってか知らずか猛スピ-ドで交差点を抜けています。

こうした交通マナ-違反についてJAFがインタ-ネットを通じてアンケ-トをとったようです。上にも挙げたようにウィンカ-を出さずに車線変更や右左折する車が多いとか、青信号になる前に発進する車が多いという、マナ-が「悪い」、「とても悪い」という結果が4割弱に比べ、「とても良い」「良い」は1割強にとどまったそうです。

そして「悪い」「とても悪い」の割合が最も多かったのは香川県で80%、続いて徳島が73.5%、茨城67.2%の順だったようです。もっともこれはあくまでも回答者の意識の問題で、実際の事故発生率とは関係ないとのことです。

また不要なクラクションを鳴らす車が多いと感じた人は大阪と京都に多く、4割超だったようです。ということは関西人はイラッチョが多いということなのでしょうか。これなど以前、クラクションを鳴らして殺された人もいたくらいですから十分気をつけたいものです。

一方、交通マナ-が「とても良い」「良い」が多かったのは岩手、長崎、島根、秋田の順で、2割を超えたのはこの4県だけだったそうです。長崎はよく分かりませんが、他の県の特徴からすれば比較的人々がおおらかであることからでしょうか。

そんなわけで今の法規では信号のない横断歩道でも、歩行者が渡ろうとしている場合、車は一時停止しなければいけません。なかなか私を含め、守られていないのが多い現状ですが、何かあってからでは取り返しがつかないことから、歩行者に優しい運転を心掛けなければいけません。携帯電話を使用しての運転も同じですね。

明日20日は地元・片浜産業クラブで山梨の優良企業視察研修に終日出掛けるため、カキコミは休ませていただきます。

2016.07.15

ちょっと良い話130 No.2868

 挨拶には不思議な力があるという、ちょっと良い話を見つけました。とかく日本人は外人に比べて挨拶が下手だと指摘しています。袖擦り合うも多生の縁という言葉もあるとおり、人との触れ合いを大切にしたいものです。ではちょっと紹介させて下さい。

全然未知の間柄にも、言葉の通じない相手にも、ひとことの挨拶は、その心を開かせる力を持っている。海外に出かけた時など、まず旅先の国の挨拶の言葉を覚え、片言交じりの挨拶をすると、いかめしい顔をした人もにっこり顔をほころばせて、挨拶してくれる。

旧知の間では、さわやかなひとことの挨拶によって、昨日の感情のしこりが解けるだけでなく、こうした場合、先に挨拶したほうが勝ちで、挨拶された側は挨拶の遅れたことにうしろめたさを感じ、相手を自分よりもひとまわり大きな人物のように感じることは、どなたにも経験のあることと思う。

このように不思議な力を持っている「挨拶」なのに、日本人はどうも挨拶がへたである。どうしたわけだろう。遊牧民族は、水や牧草を求めて家畜とともに移動し、幾日も幾日も人に会うことがない。それだけに親しい友に会ったときは、握手し、抱きつき、キッスして、出会いのよろこびを全身で表現する。

こうした習慣を永年にわたって積み上げてきた西洋人であれば、挨拶が上手になるのは当然のことである。これに比べ、朝から晩まで、昨日も今日も明後日も、顔をつき合わせている農耕社会に育ってきた日本人には、人に会うことの感激がない。

感激がないので、挨拶の仕方も上達せず、その結果はたいへん損をしている。ひとことの挨拶により、その人が、その家族が、その企業が、大きくいえばその国が、それなりの評価を受けるのである。挨拶のへたな日本人であればあるほど、挨拶には充分意を用いたいものである。

ところで、この「挨拶」、実は禅語である。“挨”は積極的に迫って行くこと、“拶”は切り込んでゆくことである。修行者が師家(指導者)に問題を持ちかけて答えを求め、または、師家が、あるいはお互い同志が、問答を交してその力量を計ることで、挨拶は禅家の真剣勝負である。

さて、禅家の挨拶といっても、挨拶である以上、何も特別なものではない。私どもの日常生活における場合と同じく、身近な事象をとらえておこなわれる場合が少なくない。極端にいえば、「おはよう」「こんにちは」の一言で、相手の心の琴線に触れるのである。そのような心のこもった挨拶ができるよう、精進したいものである。

近頃、毎朝の散歩でオ-トバイに乗った、ある新聞配達のおじさんに会います。このおじさんがとても素敵な笑顔で会うたびに気持ちの良い挨拶をしてくれます。そうするとこのおじさんに会うのが楽しくなるわけです。ただの挨拶でもこのように楽しくなれば価値あることではないでしょうか。

2016.07.14

築地見学 No.2867

 同友会沼津支部の納涼例会で東京築地場内市場を見学してきました。場外の数あるお店や食べ物店と違って、場内は忙しく動き回る行商人の仕事の邪魔になることから関係者以外は立ち入りができませんが、会員の知人がいることから案内して頂けました。

到着した時間はちょうど10時頃で本来ならもう終わりの時間なのですが、私たちのために店を開けて待っていてくれました。私たち一行は子どもも併せて総勢50人という少なくない人数でしたので、移動の際、一列で狭い場内の通路を邪魔にならないように歩いてはいましたが、それでも結構迷惑そうな顔をしている人にも出くわしました。

会員の知人が経営しているお店でしばし買い物をした後、本まぐろを扱っている別のお店に連れて行ってくれました。びっくりしたのは扱う包丁の切れの良さです。包丁と言ってもまさに日本刀のようなものです。

ご覧のように包丁はすこぶるその切れ味が良いみたいで、日本刀のように、つばや手を動かしていく先に止まるものがないため、うっかり手を滑らせてしまうと指など簡単に落としてしまうそうです。

また長さは大小それぞれあって、写真のように長いものは2mを超えるものがあります。全て冷凍ではない本マグロの解体に使うわけで、説明して頂いたご主人も昨年ぐらいにやはり手を滑らせ、手の腱を切ってしまうという、たえず危険が伴う大変な仕事のようです。

そしてわざわざ見せて頂いた本マグロの頭の部分もこのように大きなもので、脳天に穴が開いているのはいちはやく魚をしめて、臭みを抜き味を良くするためとのことです。。

この他、店先の天井からはお寿司屋さんなど、あちこちのお店からの注文を示すように、各店の名前を記した荷札のようなものが下がっていました。やはり築地は日本一の魚市場だけのことはあって、賑わいが半端ではないものを感じました。

この築地が今年の11月には豊洲に移転となるそうです。都民の胃袋や生活を支えている大市場なのですが、永年の間には蓄積された深刻な問題が出てきたようです。詳しくはまた別の機会に触れたいと思います。とにかく有意義な視察研修でした。