会長の”三行日記”

2012.10.30

石原都知事辞職 No.2301

石原慎太郎さんが東京都知事を辞職して新党結成するとのことです。80歳の俺にこんなことやらせるなよと言いながらの、新たな挑戦なのですが、誰もそんなことは言っていないはずです。
 
まあその自意識過剰は今に始まったことではないものですが、さてこの先ご本人の思惑通りに事が進むのでしょうか。石原さんは日本の大きな権力を握っている官僚制度の打破を叫び、また橋下さんの維新の会やみんなの党などとの連携を模索しているようです。
 
そして以前からウマの合っている、平沼代表率いる「たちあがれ日本」は早々に名前まで変更し、新たに石原さんを党首にした新党を来月上旬にも結成すると伝えられています。
 
でもみんなの党などとは原発政策や消費税の扱いについても、考えが異なっています。小異を捨て大同を作ると言って、その連合勢力を第3極にして政治を動かしたいというものですが、果たしてまとまるものでしょうか。
 
何しろこの原発政策や消費税はとても小異とは言えないものです。それに一説によると、息子である石原伸晃氏の自民党総裁選の落選が少なからず、都知事を辞した理由にもなっているようです。
 
それと言うのもこの人、結構親バカのようで、産経新聞に載った森喜朗元首相のインタビュ-記事によると、自らの都知事4選出馬に消極的だったのを、森さんと伸晃氏が説得に当たり、次期総裁選候補に自派閥からでなく、伸晃氏を候補に推薦する密約のようなもので収めた経緯があったみたいです。
 
また無派閥だった息子を、「オレは天下を取れずに東京都知事で終わったが、息子を頼む。あんたに預ける」と言って、親交のある日本テレビ取締役会議長であった故氏家斉一郎氏を仲介として、山崎派に入会させた事情も伝えられているのです。
 
というわけで、息子が駄目なら自分自身が動かなければならないと、覚悟を決めたのかもしれません。それにしても元気な80歳です。一部では都知事後継に自民党から出馬するのではないかという、息子・伸晃氏とは根本的に異なる、偉大なる行動力だと思います。
 
でも新進気鋭だった「太陽の季節」からは、余りにも時が隔たり過ぎました。現在の小粒ばかりが揃う政治家に業を煮やしての再出馬でしょうが、まだまだ衰えてはいない思惑とは異なり、歳をとり過ぎました。それは誰あろう、ご本人が一番解っていることではないでしょうか。

2012.10.29

日本シリ-ズより No.2300

土曜日から始まった日本シリ-ズは巨人が2連勝と、良いスタ-トを切りました。やはりCSでの崖っぷちから巻き返した3連勝での良い流れが、そのまま継続できているのではないでしょうか。
 
2試合とも少し眺めていましたが、試合の流れが変わる、それぞれポイントがあったような気がします。初戦は何といっても、2打席目のボウカ-選手への初球です。
 
スライダ-が抜けたような球が高めに入り、日本人なら見逃すような球をライトスタンドに運ばれたのです。これが試合を決めるような3ランとなり、4点目を与えてしまったのです。
 
このボウカ-選手の最初の打席は、1死1-3塁でセカンドゴロのダブルプレ-でチャンスを潰してしまったのですが、キレのある吉川投手のストレ-トには全くタイミングが合っていませんでした。
 
なぜこの打席もストレ-ト中心に組み立てなかったのか、少しキャッチャ-のリ-ドに悔いが残るところです。まあ、ボ-ルにしようと思ってスライダ-を投げたかもしれませんが、1球目から積極的に打ってくる外人だけに、もう少し気をつけたかったところです。
 
そして2戦目、巨人の沢村投手は立ち上がり、やはり日本シリ-ズの重圧があったのか、少しおかしなところがありました。手元での抑えがきかなかったのか、先頭打者と4番中田選手にも死球を与え、2死1-2塁のピンチを背負いました。
 
迎えた稲葉選手の打席でけん制のサインプレ-があり、ショ-ト坂本選手が2塁ベ-スに入ったのにもかかわらず、投手は全然無反応でした。ここで捕手の阿部選手がマウンドにつかつかと詰め寄り、沢村投手の頭をはたいたのです。
 
テレビでは珍しいシ-ンでしたが、叩かれて沢村投手はようやく正気に戻ったのではないでしょうか。もし阿部選手に頭を小突かれなかったら、地に足がいまいち着いていなかったことから、稲葉選手に打たれたかもしれません。
 
そうすると前日に引き続き、殊勲者は阿部さんということにもなるわけです。このように日本シリ-ズのような大試合になると、たった1つの局面でのプレ-が試合を大きく左右することになるものです。
 
その意味でも日本ハムは1戦目の鶴岡捕手から替えて、2戦目に大野捕手を起用したのは成功ではないでしょうか。この大野捕手のリ-ドで初回こそ、先頭の長野選手に外角の球をうまくとらえられホ-ムランを打たれましたが、あとは強気でインコ-スをうまく攻めたような気がします。
 
このように巨人が連勝し、俄然有利になったシリ-ズですが、1つのプレ-や1球で流れが大きく変わることもあります。その意味でも、地元北海道に帰り心機一転、日ハムの巻き返しにより、益々面白い日本シリ-ズにしてもらうことを祈っています。

2012.10.25

貧しさと抗日教育が生んだもの No.2299

沖縄近海に中国海軍のミサイル駆逐艦など艦艇3隻が航行するなど、相変わらず不穏な動きを見せている中国ですが、先の反日デモで逮捕された一人の若者についての記事が昨日の朝日新聞に載っていました。
 
それによると、貧しさと小さな頃から繰り返し教えられてきた抗日教育から、今回のデモがちょうど鬱積したはけ口になっていたみたいです。
 
出稼ぎ先から河南省南陽に戻ってきた21歳の青年は、9月15日に西安で起きた反日デモで、日本車に乗る中国人男性を襲い頭の骨を陥没させ、半身不随にさせた容疑で連行されました。
 
ネット上に、この青年が バイク用のU字形ロックで車を襲う姿が映し出されていたからです。車に乗っていた被害者の妻は「日本車を買った私たちが悪かった。もう二度と買わない」と必死に許しを求めたらしいのですが、容赦なく何度も攻撃したとのことです。
 
彼をここまでの犯行に駆り立てたものが何だったのか、記事は追求していました。気の弱い子だったとの母親の話があるものの、小さな頃から日本軍人が殺人や略奪を繰り返すシーンを強調した、抗日戦争映画などが大好きな子だったと言います。 
 
その頃、村で悪者は誰かと聞くと、子どもたちは必ず「日本人」と答えたそうです。ですから「日本鬼子をたたきのめせ」と言い合ってよく遊んだと言います。
 
そして小学校5年で学校をやめ、1日30元で左官職人の見習いを始め、18歳で西安へ出ますが、収入の安定しない日雇い仕事ゆえ貧しい生活だったようです。事件前の本人のブログには、悲しい人生や勉強したいといった言葉が数多く見つかったそうです。 
 
こうしてちょうど自宅に戻る途中、バスで通りかかったところでこのデモにぶつかり、バスを降りて興奮して輪に加わり、身動きできない車を襲うことになるのです。
 
母親は「学校では日本人は悪いと教わり、テレビをつければドラマの多くが抗日もの。反日感情を持つなと言うのが酷だ」と言います。 このように中国では抗日ドラマが量産されていて、昨年は確認されただけでも12シリーズ、計396回が新たに制作されたと言います。
 
こうした出稼ぎの不満や、幼い頃から培われた反日感情が爆発して、このような残虐的な犯行に及んだのでしょう。また豊かな沿海部に比べ、義務教育も十分に受けられない内陸部の農村では、こうした政府の愛国教育や抗日ドラマの思想に染まる若者が圧倒的に多いと言われています。
 
これが中国の実態なのでしょうが、日本にとっては由々しきことです。この先、深まる経済不安からもっともっと、そのはけ口にされかねません。育てられた環境が人を変えると言われますが、日本は益々中国とは付き合いにくくなるかもしれません。
 
明日26日は追加工事があり、早朝から再度軽井沢に出掛けますので、カキコミは休ませて下さい。