会長の”三行日記”
2012.11.07
反日が自滅を招く No.2307
朝日新聞のデジタル記事でユニクロの柳井社長は、中国に現在ある約170店舗を毎年100店舗ずつ増やしてできるだけ早く1千店舗にし、将来は3千店舗にしたいと依然、強気の姿勢を示しています。
しかしあの反日デモが続いた9月中旬には、ユニクロのロゴが入っていない透明の袋を渡さなければいけないほど、お客の身の安全を考えなければいけない、逼迫した状況に置かれていたようです。
こうした中国における反日政策が、自滅の道に繋がるという記事を読ませていただきました。これは先輩から頂いた、選択という情報誌からのコピ-なのですが、大企業の幹部等、それなりの人が読んでいる情報誌みたいです。
それによると、衆目のとおり今回の反日運動は底流にある経済格差の拡大、人件費などの上昇による競争力の低下、産業高度化の遅れなど、中国が直面する政策課題が大きな影響をもたらしているとのことです。
一番暴動が激しく日本企業の被害が大きかった山東省青島では、世界最長を誇る41.58kmの青島海湾大橋があります。2005年に着工し11年に完成した、中国のインフラ建設を代表するようなものですが、橋の上を通る車の数は決して多くはありません。
要は建設資材を大量消費し、作業員の雇用を生み出すためのインフラだったのです。そして完成した今ではこの地域の経済に陰りが出てきて、仕事のなくなった労働者や地元企業の不満が渦巻いているというのです。
これが中国内需型成長の実態だと指摘しています。このインフラに多額の資金を要した地方政府は、今では財政が逼迫し、とてもそうしたインフラ建設などの再現は不可能だと言われます。
こうした経済状態の中で、政府にとって日本の尖閣諸島国有化は領土問題以上に、悪化の経済から国民の目を背けさせ、日本にその責任を転嫁させる格好の材料だったと言っているのです。
また不思議とデモの統制がとれていたのは、共産主義青年団(共青団)と一部の大手国有企業が統率していたからで、前者は大使館など日本政府の施設を対象とし、後者は農民の出稼ぎ等の日雇いを募り、日本企業の工場や店舗への打撃を目的にしたからと指摘します。
経営が悪化する中、売上げの伸び悩みの解決を図るのには、ライバル企業の追い落としだと考え、一番のライバルである日本企業が標的にされたのです。そしてその思惑通り、不買運動や破壊などにより日本企業は多大な損失を受けることになりました。
でもこのことにより、日本企業にとって、中国は事業展開が今後難しい国としての位置づけが明確になってしまったのです。要するに堪忍袋の緒が切れ、中国撤退を頭の中に描いていた企業にとって、実行に踏み切る機会となったのです。
ただそれでも中国市場は、米国と並んで巨大市場であることから、ビジネスに影響のないよう静かに撤退し、ASEAN諸国で生産した商品を、無税や低関税で中国市場に持ち込もうと考えているのです。
こうした日本企業の中国撤退は、中国での当局者は、日本が撤退しても欧米や韓国企業が埋めるから痛手にはならないとの考えですが、いろいろと模倣してきた日本のモノづくりや商品・技術開発、また人材育成のノウハウという点では、大きな影響を及ぼすと指摘しているのです。
今期、業績が大幅に悪化したパナソニックも、かつては鄧小平氏の来日により、中国の電機産業の近代化を要請され、惜しみなくその技術を提供し、多大な貢献を果たしました。
その工場まで破壊しようとする中国の思惑は全く理解できないところですが、情報誌の述べるとおり、自滅の一途をたどりつつあるのではないでしょうか。恩義は犬や猫でも感じているところです。
2012.11.06
ラブリバ-狩野川 No.2306
先週土曜日の文化の日には、沼津で「ラブリバ-狩野川」と称した狩野川レガッタが開かれました。これは静岡新聞SBSが主催したもので、狩野川をもう一度見つめ直そうと、レガッタなどのボ-ト競技がメインで行われたものです。
たまたまこのイベントの実行委員長を務める、沼津東高ボ-ト部OB会長の小泉さんが、母校運動部支援委員会のメンバ-としてご一緒していることから、一般参加に委員会でも1艇出そうかということになったのです。
当日は絶好の晴天に恵まれ、現役の高校時代、当時は開かれていた学校のボ-ト大会でたった1度だけ漕いだことのあるボ-トに、期待と不安が半々の思いで挑んだわけです。
競技は午後からとのことでしたが、朝8時に来れば30分ほど練習できると言われ、写真のメンバ-4人で集まり、ボ-ト部OBの方から手ほどきを受けたのです。
このコックスとしていろいろと教えてくれた方が、やはり母校の恩師で、先の熊野古道への旅にもご一緒している近藤昭三先生の娘さんだったのも、何となく縁を感じさせる奇遇でもありました。
何しろ45年ぶりに、しかも2回目ですから、こちらは全く初心者と言えるものです。でも力ではなく、4人全員がリズムを合わせて漕ぐことが、何よりもボ-トが進むこつだと教わりました。
またその他、いろいろと細かな注意事項を受けながら、「さすが皆さん元運動部、うまいですよ」とおだててもらい、ちょっといい気分にさせてもらったところで、練習は終わりです。
そして本番、今度は小泉実行委員長をコックスに駆り立て、堂々と他の1艇とのレ-スには勝つことができたのです。さすが息の合っているメンバ-は練習より、本番に強いものです。
このように絶好の秋の行楽日和をボ-トで楽しんだわけですが、ちょっと漕いでみただけで、その魅力の虜になるものです。従って来年もまた開かれると聞き、再度チャレンジをその場で誓い合ったものです。
とにかくこのイベントは今回が第1回とのことで、今年から始まったばかりでいろいろと準備が大変だったことと思われますが、市民が愛する狩野川だけに、もっともっと大勢の方が楽しめるようになることを祈っています。
2012.11.05
貴重な補欠 No.2305
今朝の朝日新聞に西武ライオンズの平尾博嗣選手の引退記事が載っていました。既に先月の1日に引退を発表しているのですが、阪神・金本選手やソフトバンク・小久保選手らの華やかな引退とはちょっと違っているようです。
それと言うのも、ずっとレギュラ-を張り続けていた両選手と違い、あまり出番に恵まれなかった補欠だったからです。それも必要とされ続けていた貴重な補欠だったのです。
野球通の人が平尾選手と聞けば、かつて大宮東高時代、高校屈指のスラッガーと言われ、通算68本もの本塁打を放ち、選抜大会でも先頭打者本塁打などで母校を準優勝に導いた、センスあるプレイヤ-だと知られているところです。
でもドラフト2位で阪神入団後、ケガなどの影響もあり、周囲の期待通りの成績も収められず、伸び悩んでいました。そして西武へとトレ-ドに出されるのですが、移籍直後に内野ファ-ルフライを追い掛けフェンスに激突しての骨折の影響で、1年以上もリハビリに費やすのです。
その後、元々器用だったのでしょう。内野ならどこでも守れる選手として起用されるのですが、一番多いシ-ズンでも227打席しかなく、規定打席(144試合の場合446)には遠く及ばない、フル出場は果たせなかったのです。
それでも持ち前の勝負強さを発揮することが多く、2008年の日本シリ-ズでは大活躍し、チ-ムの日本一に貢献するシリ-ズ優秀選手賞にも輝いているのです。
そしてここ数年は代打の切り札として貴重な存在だったのですが、やはり度重なる体の故障の影響もあり、満足の行くシ-ズンは送れませんでした。
しかし通算打撃成績を眺めると、392安打を放ち196打点と、ヒット2本に1回は適時打ということになります。その勝負強さはどこから来ているものなのか、記事は次のように紹介していました。
試合開始の6時間前には誰もいないグラウンドに来て、ランニングやティー打撃を黙々とこなす。2時間後、全体練習が始まるころには、野手最年長はすでに汗だくだった。
一度、テレビ局がその姿を撮りたいと申し出たが、かたくなに拒んだ。「人に見せるためにやってるわけじゃないから」。ファンの前では“チャラい”男を演じ続け、試合を決める一振りで球場を沸かせた。
そして1軍選手の平均寿命が約9年と言われる厳しい世界で、「補欠」なのに20年近く必要とされ続ける選手も、そう現れないだろうと結んでいました。いわゆる華々しい活躍は少なかったと思われますが、こうした玄人好みの選手が去っていくのもまた寂しいものです。
ケガなどの故障に悩まされ、本来の素質が十分開花することなく去ることになるわけですが、それでも長く必要とされ続けたのは、やはり人知れない練習の賜物ではなかったでしょうか。これからの人生に幸ありと祈りたいものです。